人は未知のモノを恐れる。
その恐怖心から数多の妖怪が生まれ落ちた。
では、人の身でありながら妖怪の力を持つ者を人はどう思うのか?
恐れるのか、それとも受け入れるのか。
その明確な答えを持つ者は居ない。
青蛾が神子の下を離れてから幾年かの月日が流れた。
神子や蘇我氏の力によって隋の国よりもたらされた仏教は民の心を鷲掴み、瞬く間に広まっていった。
国を少しでも良くしておこうと思った神子は立場の弱い者(農民や商人)に尊敬されたが、中には神子の成功を妬む者も少なくはなかった。
しかし、神子には蘇我氏という強力な後ろ楯があるために表だった問題はなかった。
ある噂が流れる前までは・・・・・・
「不味いことになったわね。」
神子は自分の屋敷に籠っていた。
最近は会合に出ることも少なくなってきた神子は非常に危うい状況に陥っていた。
斑鳩宮では「神子は妖怪ではないか?」という噂が広まり始めていた。
神子の身体はある年を境に全く成長も老化もしないようになったのだ。政治に関わることが多い神子は、人と接する機会も多かった。そして、それが仇となってしまったのだ。
「まあ、いずれはこうなるとは予想してたけど。」
私の身体が成長しなくなったのは大体二、三年前から。
その時からずっと予想はしてたけど、こうも上手く予想通りに進むと誰かの作為を感じるわね。
「よいしょっ、と。」
身体を起こして、縁側から自分の書斎を眺める。
十七条憲法や冠位十二階制度の原案に、仙術に関する書物、仏教に関する書物等々が納められている。
最初の頃はきちんと整えられていた書斎も今では随分無茶苦茶になっている。
「潮時、ね。いずれは出ていくつもりだったから、別に何とも思わないけど。」
神子は自分の書斎を眺めながら少しだけ笑顔を見せた。
「やりたいことは全てやった。もう思い残すことは何もない。」
「でも、どうやって宮を出るのさ?」
神子の背後にはいつの間にか宮が座っていた。
相変わらず大きな爪のような鎌を背負い、昼間だというのに威風堂々とそこに佇んでいる。
「変な噂が立ってる時に逃げ出せば、その噂は本当だったと思われるよ?」
「そんな事、分かってるわよ。」
宮の言う通りだ。今、宮より逃げ出せば神子は妖怪だったと誰もが信じてしまうだろう。
今は妖怪=絶対的悪の時代。そうなれば、神子が色々してきたことが全て水の泡となってしまう可能性は極めて高い。
「だからこそ、私は人間だったと思わせるの。」
「どうやって?」
「それはまだ考え中。」
「駄目じゃん!!」
「まあ、次の冬までには考えるわよ。それよりも、宮は何をしに来たの?」
「ちょっと猪辺りを狩りにきた。」
現在、紅鬼たちは神子の仙界で共同の日本屋敷を築き上げて暮らしている。
木の実や果物類には事欠かないが、まだ生息している動物は非常に少ない。なので、当番制で肉類を持ち込んでいるのだ。
ゆくゆくはちゃんと食物連鎖の上に成り立つ生態系を築く予定。
「ご苦労様。」
「じゃあ、少し行ってくる。」
そう言うと宮の身体はゆらめく陽炎のように消えてしまった。
“物体を透過させる程度の能力”。
それが尼野 宮の固有能力である。
その名の通り、物体を一時的に存在しない状態にすることができる。また、この能力の対象には制限がない。
しかし、それほど長時間物体を透過させることはできないという欠点を抱えている。
「でも、本当にどうしよう?死体をでっち上げる方法なんて・・・・・・」
「あらあら、何かお困りのようですね。」
当面の問題に頭を悩ませる神子に1人の女性が声を掛けた。かつての師匠、寉青蛾である。
「本当に神出鬼没ね、師匠。」
「悩める弟子に助言しに来たのに、その物言いは失礼じゃありませんか?」
「そう思うなら、玄関から入ったらどう?」
「面倒なので却下です。」
そう言いながら青蛾は神子の隣に座った。
「まだこの国に居たのね。」
「ええ。少し興味深い人物を見つけたので監視していました。」
「物部布都に、蘇我屠自古のこと?」
「あら、ご存知だったんですか?」
「植物たちの情報を使えば容易いことです。」
神子に仕えていた布都と屠自古は神子と同じように道教を信仰している。
神子は二人が道教を信仰する理由までは知らないが、かつてのよしみで青蛾にもらった錬丹の残りを譲っている。
また、彼女らが困ってる時は進んで助言を与えるなど師匠よりも師匠らしいことをしている。
「完全に失念してました。豊聡耳様の力は植物に関するモノでしたね。」
「ええ。植物たちが色々教えてくれるおかげで、いろんな情報が入ってくるわ。」
「でも、死体をでっち上げる方法までは入って来なかったようですね。」
青蛾は皮肉を交えた言葉を返した。
神子は何も言い返すことができず、そっぽを向いた。
「・・・・・・あの二人は近々戸解仙になる準備を終える筈です。」
「戸解仙・・・・・・あの二人は肉体を捨てることにしたのね。」
神子は特別驚くことはなかった。
布都と屠自古に錬丹を渡した時から神子は何となく予見していたのだ。
錬丹の中身は基本的に人体には非常に有害である。
神子は妖怪なので大丈夫だが、彼女らは普通の人間。不老不死を手に入れる前にガタが来るのは分かっていた。
「貴女様も戸解仙になれば良いのでは?」
「私はこの肉体に愛着があるの。おいそれと肉体と捨てるようなことはしないわ。」
青蛾の提案を神子ははっきり断った。
「まあ、予想はしていました。」
「でも、おかげで良い方法が思い付いたわ。」
神子はクスッと笑みを浮かべた。
悪魔の笑みを浮かべる神子に青蛾は激しい悪寒を感じた。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
数週間後。神子は布都や屠自古と共に斑鳩宮より少し離れた場所にある霊廟に集まっていた。
その霊廟の中で彼女たちは肉体を捨てて眠りに就き、幾年の月日の後に戸解仙となって復活するのだ。
二人は最後の最後まで神子を信頼していた。
「では、太子様。またいずれ・・・・・・」
「待っておるのじゃ!!」
そう言って布都と屠自古は瓢箪に入った劇薬を口に運んだ。
すると、二人の身体は糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
屍となった二人の体はそれぞれ壷と皿に変わってしまった。
「さて、私も準備をしないといけないわね。」
術が成功したことを確認した神子は霊廟に頑丈な鍵を掛けると、斑鳩宮の方を見た。
すると、斑鳩宮の一角から黒い煙がもくもくと立ち上っていた。
「これで大丈夫でしょう。」
「あんな簡単な方法で騙されるのですか?」
霊廟の屋根の上に降り立った青蛾が声を掛ける。
神子は背後を振り替えることなく、黒い煙が立ち上る所を見つめる。
「かなり念入りに準備しましたからね。そうそうバレることはないでしょう。」
一応偽装のための死体も置いてきた。この時代の医学じゃあ、死体から個人を特定することなんて不可能。
屋敷で働いてくれていた従者には申し訳ないけど、仕方ないわね。
「まあ、しばらくは様子見ね。そう言っても仙界に引き篭もるけど。」
「そういえば、豊聡耳様はこれからどうするのですか?」
「そうね。せっかく自由の身になったから、とりあえずこの国を巡ることにするわ。」
「そうですか・・・・・・。では、また何処かでお会いするかもしれませんね。」
そう言い残して、青蛾は何処かに行ってしまった。
神子も仙界への扉を開き、そのまま現世との一時的な別れを告げた。
神子が偽装のために誰の死体を使ったかは内緒です。
別に物語に関わってくるようなファクターではないので。
まあ、単に何も考えてなかっただけなんですがね。