時は昼過ぎ。
ゲヘナ学園、万魔殿の応接室。
本来ならば敵地であり、訪れることのないであろうこの場所を、ハスミはある目的の為に訪れていた。
他でもないエデン条約、そのための会議を行う為に。
「トリニティ総合学園の正義実現委員会副委員長、羽川ハスミ様ですね。 中でマコト議長がお待ちです、どうぞ」
「……」
親衛隊に礼儀として、軽く会釈するハスミ。
扉を開いた先で待っていたのは、彼女を知る一部の生徒からゲヘナの総統とも評された、噂に違わぬ傑物であった。
「───お前がトリニティからの遣いか。 直接対面するのは初めてだな、羽川ハスミ」
部屋に踏み入ったハスミを待っていたのは、圧倒的威圧感を放つ人物。
デスクに肘を起き、口元で腕を組んでいた彼女は、そう言い僅かに目線を上げてハスミを注視する。
その体勢は、俗に言う所のゲンドウポーズであるが、元ネタを知る人がこのキヴォトスにいる筈も無く。
「私がこのゲヘナ学園、万魔殿の代表を務めている……羽沼マコトだ」
そう告げ立ち上がり、ハスミへと歩みを進める人物。
黒と赤を基調とした万魔殿の制服に、何処か重量感のある外套。 長い灰髪や三白眼など、まるで男装の麗人を彷彿とさせる。
直接対面するのは初めてだが、観察せずとも分かる。規格外だ。
ハスミは会釈しながら、そっと目の前の人物を流し目で観察した。
羽川ハスミは聡明である。
たとえゲヘナの事を蛇蝎の如く、ある種の本能とも言えるレベルで嫌っていようとも、決して侮りはしないし、過小評価もしない。
その上で、彼女から見て目の前の人物は、ティーパーティーの三分派が一丸となってそれでも尚、一人で互角以上に渡り合える程の者だと判断した。
成る程、この混沌極まるゲヘナを統治するだけはある。
彼女、羽沼マコトの実力は未知数であった。
果たして強いのか、弱いのか、ティーパーティーの情報網を駆使してもなお、それすらも掴めていないらしいのだから。
そしてそのマコトはと言うと、先程から口を開いて居なかった。
唖然、若しくは衝撃とでも言うべきか、視線はハスミの身体の一点を注視していた。
「お──ッ!?」
「……?」
「──いや、失礼した。何でもない」
おっ……、の後に果たして何を言おうとしたのか。
もしや、このような無駄なやり取りを増やすことで、こちらのペースを崩そうとしているのかと、ハスミは冷徹な表情を保って考える。
伊達に正義実現委員会を委員長であるツルギに代わって回しているわけでは無いと自負しているが、向こうの治める規模は広大なゲヘナ自治区全体。
やはり政治の手腕は向こうが上か。
そうやって思考を回すことに気を取られていたハスミにはマコトの内心など知る由もなく、スン……ッとマコトが何事もなかったかのような仏頂面に表情を直した為に、追及も憚られた。
やはり侮れぬ存在である。
成る程、これがゲヘナの長。
内に秘めている心境も、一切こちらに気取らせない手ごわい相手だ。
『うおでっか……』
そのマコトの内心は何とも酷い物であったが。
まさか同年代にあのサツキ以上のものを持っている人物がいるとは、ここ最近の中でもトップクラスに驚かされた。 嗚呼、世界は広いや。
まあもしコレを仮に口に出していた場合、ただ一つ言えることは、少なくともこの会議の一切合切が無駄になっていただろうという事だけだ。
「まあ、お互い前置きは不要だろう。疾く本題に入るぞ」
「……そう、ですね」
結局何が言いたかったのかは分からないが、その意見には賛成である。
お互い向かいの椅子に座り、ハスミもマコトも、マコトの隣に座って書類の整理をしていたイロハから、必要な資料と書類を受け取った。
その後暫し、資料に目を落としたまま、淡々と会話が続く。
会議開始、一時間後。
太陽が天頂を通過した所でひと段落。
一旦小休止ということで、椅子にもたれ掛かったマコトが肩を下ろして脱力していると、何者かが応接室の扉をノックしていた。
「……誰だ?」
「……私が行ってきましょうか? マコト先輩」
「いや、構わん。 座っててくれ」
そう一言断りを入れて、椅子から立ち上がる。
それにしても、別に誰かを呼んだ覚えは無いのだが。
加えて言えば、何か問題が起きた報告でも無さそうなので、一体誰なのかと内心で訝しみながらも席を立ち、いそいそと扉の方へと歩くマコト。
「───ん?」
そのまま無造作に扉を開くが、正面には誰も居ない。
もしやと思い視線を下へと落とすと、そこには白い箱を抱えるイブキの姿。
「えへへ、マコト先輩、イロハ先輩、それとトリニティのお姉ちゃん、こんにちは!」
「……イブキ? 事前に伝えていた筈ですが、どうして此処に?」
挨拶をして、小さくお辞儀するイブキ。
イロハが、読んでいた本をぱたりと閉じて問いかける中、どう見ても初等部に在籍しているだろう年頃の少女がマコト達と同じ制服を着て現れたという事実に、ハスミはほんの僅かではあるが瞠目した。
もしや、初等部から拉致したのか。 いやでも流石にそこまでのことをするとは……。
そんな思考が脳裏によぎったハスミではあるが、マコト達に純粋な笑顔を浮かべているイブキと言う少女の姿を見てすぐに、己の見当違いだった事に気付く。
だって、あの少女が望んでこの場に居るわけでは無いのなら、目の前の彼女たちはこんな親し気な仲にはなっていないだろう。
犯罪性が無いことくらいは、見ていれば分かる。
それならば、飛び級だろうかと当たりをつける。
彼女も万魔殿の所属なら、やはり同世代に比べても頭一つ抜けた能力を持っているのだろう。
今現在ハスミが目をかけている後輩と同様に、本来よりも上の学年のテストを受けても尚、赤点なんて取らずにトップクラスの成績を維持できる程度には。
ハスミが内心でイブキがこの場にいる理由を考察する間、イブキはイロハの問いかけに対して首を傾げ、口を開いた。
「えっと、イブキね、マコト先輩が忘れ物してると思って持ってきたの。……はいこれ、イロハ先輩」
「ありがとうございます、イブキ。……それで、何なんですか。これは」
「あー……」
コレを用意していたのは先輩でしょう、とでも言いたげな表情でマコトの方を見るイロハ。
箱の中にはショートケーキやモンブラン、ガトーショコラにプリンアラモードといった洋菓子がいくつも入っており、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。
「……ここに来る前に店に寄って買ってきていたんだが、色々あって完全に忘れていたな。 イブキのお手柄だ」
「……まあ、確かにそうですが、マコト先輩は今日の朝に買ってきたのでしょう? そんな直近の出来事を忘れるのは、割とヤバくないですか?」
「それはまあ、人間誰しも多少のミスはあるという事でだな…………食器を用意するから、三十秒程待っててくれ」
そう言い残して、ふらりとマコトの姿が消えた。
仮にも正実の中でツルギに次ぐ実力者であるだろうと自負していたハスミが、殆ど動きを見切れなかったという事実に瞠目する。
予備動作はほぼ皆無。
消えたかと思えば、次の瞬間には何歩も先の位置にいるのだ。 正直初見での感想は、伊達にゲヘナの生徒会長をやっているわけじゃ無く、全く底が見えず不気味と言う他なかった。
いつの日だったか、嘗ての百鬼夜行か山海経には『縮地』なる歩法を扱う存在が居るという噂話を又聞きで聞いた覚えがあるが、ソレに限りなく近いことを行っているのではないか。
そしてそれ以上にティーパーティーの持つ情報網を以てしても、己に関する情報を一切トリニティ側に流した事の無かった羽沼マコトが、態々今この場で実力をひけらかすような行為を行うのだろうか。
もしや──トリニティに対する、牽制?
「(ですが今までティーパーティー、その中でもナギサ様以外とは交流が無かった筈のマコト議長が何故……。 もしや、この段階からトリニティに圧力を掛ける事で、少しでもエデン条約をゲヘナ有利の形に傾けようと?)」
先に明言すると、ハスミの考えは杞憂である。
この手のあれこれに関わったことのある生徒には周知の事実であるが、三権分立のティーパーティーを中心に据えた中で、多くの派閥同士が常に水面下で目を光らせているトリニティと、万魔殿をトップに据えた上で風紀委員会等の下部組織と完全な上下関係が構築されているゲヘナでは、各々に求められる役割や立ち振る舞いは全くの別物なのだ。
端的に言ってしまえば、ぶっちゃけマコトは特に何も考えてないという事。
トリニティの場合は学校の中で、同じ生徒相手の一挙手一投足を互いに観察し続けているのだから、当然そういった物と縁のない人が傍から見れば理解しかねる物だろう。
まあ、ロボットとか犬猫の大人が経営してる悪徳企業が相手なら話は別だが、と後にマコトは語った。
この辺りの認識の相違は、いわゆる文化の違いというやつであろうか。
ハスミが今なお脳内で思考を続ける宛ら、マコトが人数分の皿とフォークを持って戻ってくる。
「客人を待たせてしまって申し訳ない。 元々はこれも最初に出すつもりだったんだが……個人的に聞きたいことがあるから、続きはそこで。ショートケーキでいいか?」
「え? いえ、私は……」
「イブキの分はこのプリンアラモードで……イロハー? 、好きなの持って行って良いからイブキと奥の休憩室で遊んでてくれないか? 三十分くらい」
「……まあ、それくらいなら良いですけど」
別に同席していても問題は無いのだが、出来れば一対一の方が都合が良い。 そんな言外に込められた意図を察してか、軽い溜息を吐くイロハ。
「では行きましょうか、イブキ。 マコト先輩はこれからトリニティの方との大事な用事があるらしいので」
「じゃあね、トリニティのお姉ちゃん!」
そう言って袖を振るイブキがイロハの後を追って退出していくのを見届けてから、マコトはハスミの正面、先程己が座っていたところへと着席する。
その際に、ハスミがケーキに手を付けていないのを見て、何を思ったのかこう続けた。
「……ケーキの味は保証するぞ? 美食研究会が爆破しなかった数少ない店で、近々トリニティに二号店を開くそうだからな」
「いえ、そういう問題ではなく……個人的な問題で……」
「……?」
いまいちよく分かってなさそうに首を傾げるマコト。
最近また体重計に乗るのが怖くなってきたハスミからすると、必要以上の糖分は制限しておきたかったのだが、だからといってゲヘナ相手とは言え出された物に一切手を出さないのもいかがなものかというのも事実。
……だからこれは仕方なく、そう、あくまで仕方のない、不可抗力だったのだと自らに言い聞かせて、ハスミは目の前のケーキを口にした。
美味しかった。 ゲヘナにある店とはにわかに信じ難い。
まあ何はともあれ、これで両者一対一。
互いに何を話そうとも、その会話の中身が意図せず外部に漏れることは無くなった。
詰まるところ今のこの場は完全なオフレコであり、イブキが居る間は多少緩んでいた室内の空気も、また心なしか張り詰めた物になっていた。
そんな中で、マコトが口を開いた。
「───さて、ある意味ここからが本題だ」
「……」
お互いの視線が交差する。
最初と同じ、この厳格で威厳ある佇まいをしているのが対外的な、万魔殿の議長としての羽沼マコトの姿なのだろうと、ハスミは思案する。
少しでも気を抜けば気圧されてしまいそうで、無意識に息を呑んだ。
「元はと言えば連邦生徒会長が主導で行っていたエデン条約。 アレが失踪してからは私と、現ホストの桐藤ナギサが受け継いではいるわけだが…………どうも引っ掛かる部分が多くてな」
「……と、言いますと?」
「前提として、トリニティは
行政機関が万魔、風紀で完結しているゲヘナ。
三頭政治というシステムの都合上、複数の組織、多くの生徒が運営に携わるトリニティ。
何処までも対極の位置にあるのが、この二校なのだ。
そんなトリニティ
現在存在しているフィリウス、サンクトゥス、パテル、救護騎士団、シスターフッド等の各組織はそれぞれ元となった学園が存在していたのだろう。
「───既知の事実とはいえ、未だ課題は多い」
そう言って椅子から立ち、反時計回りに部屋の中を歩き始める。
外からの環境音さえ聞こえぬ静寂の中、部屋の中ではカツカツとマコトの足音だけが反響していた。
「エデン条約の概要は事実上の停戦協定であり、講和条約だ。 衝突のリスク回避の為とはいえ、長きに渡って険悪な関係にある組織同士の関係改善への道は遠い。 まず求められる物は───」
「『隣人愛』…………ゲヘナとトリニティが、過去から続く禍根を水に流し、歩み寄る努力を行うこと」
「……理想論ではあるが、現状を変える意志が当人達に無ければ何も始まらない。 だから前提としてゲヘナ、トリニティ両校の学園内でのスタンスの統一、或いは多少の譲歩を視野に入れる必要がある。 ソレが無理なら、少なくとも今の世代での締結は不可能だろうな」
マコトの内心の個人的な考えとしては、ゲヘナとトリニティの衝突やら、積み上げてきた歴史がどうとか、憎悪がどうとか、そういうのは本当に心底ど──でも良かった。
今までの歴史云々で、致命的なまでにゲヘナ生とトリニティ生の双方の在り方が相容れないだろうことは理解している。
だが、だからといって何で学生間の好き嫌いの話が武力衝突に発展しかけてしまうのか。
これが理解できぬ。
本当に危機感持った方がいいよキヴォトス。
そんなマコトの心の叫びはさておき。
真面目にエデン条約の中身を実現させようと考えると前述の通りであるのだが、正直やっぱり無理なんじゃないかと思う部分は少なからず存在する。
それほどまでに両校、主にトリニティの一般生徒の意識に刷り込まれた、『直接何かされた訳ではないけど碌でもない話しか聞かないから嫌い』といったベクトルでの嫌悪意識は深いものになっている。
一応名前は伏せておくが、仮に一部のガチ問題児達のやらかしの責任を万魔殿に詰められた場合、相手側に土下座して許しを請う以外の手札が無いのは自分が一番よく分かっている。
「実際、
「…………」
正義実現委員会副委員長、羽川ハスミ。 正実のナンバー2であり、優秀な能力を持つ彼女には唯一、トリニティ内でもあまり口にされない噂があった。
それはトリニティ内でも有数のゲヘナ嫌いということで、その度合いはもはや嫌悪とも形容出来るほどの物である……と、情報部の作成していた資料には記されてあった。
その情報が事実であるならば、彼女がゲヘナとの和解を本気で望むとは考え難い。
それが学園という集団の総意だとしても、純粋に嫌いな相手と仲直りしようと言われて、ハイそうですかとは中々ならないのが人間という生き物なのだ。
だからこうして、他ならぬ彼女自身に直接尋ねるのが手っ取り早いと考えた。
「……返答を無理に強いるつもりはない。 だが以前、トリニティの生徒はこの楽園の名を冠した計画をどう思っているのか、桐藤ナギサに尋ねてもはぐらかされてしまってな」
そう独り言のように吐き捨てて、ハスミの方へと視線を向ける。
己がトリニティに対して保有している
故に実際他の生徒はエデン条約に対してどう感じているのかというのは、純粋に興味があった。
「……貴方の言いたいことは分かりました。 羽沼マコト議長。ですがその前に、私からも一つ」
沈黙を破ったハスミが、そう言ってマコトの方を見て、お互いに目があった。
その視線はつい先程までの自分と同じような、相手のことを試そうとしているようなものであった。
「今までの発言は確かに事実で、エデン条約の締結が困難極まる事柄だというのも、また真実なのでしょう。 ですが、そこまで分析している上でマコト議長、貴方は───」
束の間、一瞬の間を挟んでハスミは続けた。
「───本気でこの、今は行方不明の連邦生徒会長が提起した繰言を、実現させようとしているのですか?」
その問いの答えは、始めから決まっている。
「──そうだと言ったら、どうする?」
「……そう、ですか」
当然と言うかのように不敵な笑みを浮かべるマコトに対して、ハスミはただ、何度も頷くのみであった。
何かに対して、ひどく感心するかのように。
「はい。確かに私は、ゲヘナの生徒の事をあまり好ましく思った事はありません。 それは認めましょう。 ですが───」
今はあり得ないような夢想の姿。
ソレを脳裏に思い浮かべたハスミは、今日ここに来て初めて表情を微かに緩めて、微笑を浮かべた。
「もしも、ゲヘナとトリニティの生徒が手を取り合い、同じ道を行き、同じ正義を掲げるようなことがあるのなら、それはきっと……喜ばしいものなのでしょう」
「そうだな。 きっとそれが……普通の女子高生のあるべき姿なんだろうな」
ハスミ
ゲヘナが嫌いというのは依然として変わってはいないが、それはそれとしてその中にも分かりあえる相手は居る、程度には認識が改善された模様。
なおこの後お土産として貰ったケーキを気持ち上機嫌になってドカ食いした結果、少しだけ体重計の数値がアレなことになって『おのれゲヘナ!』となったのは別の話。
私個人の解釈ではありますが、正実のグループストーリーでのハスミの過剰なゲヘナ嫌悪から、時系列的には万魔殿での一件→ハスミのゲヘナ嫌いが悪化、という順番だと思っているので、この段階ではまだワンチャンあるのではと解釈しましたが、実際の所どうなのかは神の味噌汁。
次回は他に捩じ込むタイミングの無さそうなゲヘナバカマコトモドキとゲヘナシロモップの戦闘を挟んでから、三度目の正直でエデン条約本編に進みたいと思っております。
個人的にはワルサー一丁だと戦闘シーンが同じような光景のコピペみたいになりそうなので、もう一丁程オリジナルで固有武器捏造したいんですが、その辺りはどうなんでしょうね。