ゴールド下位まで叩き落されたポイントを見て茫然自失の私は朝風遥翔、もとい歌風ハルカは社宅の一室で項垂れている。
社宅での生活は認められなかったけど、ネット回線の都合やアイマスク型のVRゲーム機を使うには横になる必要がある事もあって配信する時は社宅の一室を使わせて貰っている。社宅には、事務所所属のVsが詰めている。配信前に仕事用のアドレスに連絡を入れれば、何時でも配信を初めても良いシステムを築いていた。
生活をしている訳ではないので家具は、ほとんど置いてなく、横になる為のベッドが置いてあるだけだ。少し大きめのベッドで私の隣には、可愛らしい女物の衣服を着た弟がVRゲーム機を装着した状態で横になっている。何時も後ろ手に纏めている長い髪は、今は解いており、人形のように可愛らしかった。
対する私は男物の衣服に袖を通している。
「まぁだ、配信をしてやがりますか」
と私は充電中のスマホを取り出して、コラボ先の配信を確認する。
コラボ先の相手は同業他社、女性Vsを相手に可愛がられる弟の姿を見て私は口先を尖らせる。VR世界でのアバターは、本人の理想が反映された姿だと言われる事がある。弟のアバターは、私のアバターと同じ顔のパーツで構成されていた。だけど姉弟で性格が違い過ぎる事もあり、視聴者には別人の印象を与えるようだ。赤茶色の長い髪を揺らして、にへらと微笑む弟の姿は育ちの良い御嬢様のようだった。
なんとなしに現実世界の弟の寝顔を見つめる。
弟は髪を短くするのが嫌だった。周りには姉の横暴という事で話を通して、ポニーテイルで学校に通わせている。弟の髪を指先に絡める、サラサラだった。弟の洗剤や化粧品は、私の財布から出した。代わりにゲーム等は弟の財布から支払わせる。本当は髪を短くしたかったけど、弟に姉の横暴という建前を使っている以上、私だけが髪を切るのも変だったので我慢した。姉だから我慢してやる。弟のせいなので髪の手入れは弟に一任している。
服を買いに行く時は何時も二人一緒で、私が好きな服は弟に買わせて、弟が欲しがった服は私が買ってやる。
今、弟が着ている衣服は普段、弟が着たがっている衣服だ。
私の方が十数分先に生まれただけで姉になった。せっかちで慌ただしく落ち着きがない、と親によく言われたものだ。だから私の方が先に生まれ落ちたのだ、と此処までがセットで語られる。自覚はある。よく忘れ物をする私は生まれ落ちた時も忘れ物をしており、母の胎に陰茎と睾丸を置いて来てしまったのである。
というのも私と弟では性自認が反対だった。
私は女性の肉体で男性の精神性を抱えており、弟は男性の肉体で女性の精神性を持っている。だからといって配慮して欲しいと思った事はなく、特別扱いをして欲しいと願った事もない。社会が精神性ではなくて肉体で区別している事を理不尽に感じた事はなかった。折り合いは付けているつもりだ、慣れたという方が正しいのかも知れない。余程の陽キャであれば話は別だけど、理想と現実の齟齬に対する悩みというのは、誰もが大なり小なりで抱えるものだと思っている。
私達の場合、それが性自認に関わる問題だっただけの話なのだ。
私は、自分が可愛い事を自覚していた。
鏡の前で可愛く着飾る私の姿は、自分自身じゃなければ惚れている所だ。女装が似合っている自覚は合ったので女装に対する抵抗は少なかった。私の理想の姿は格好良い男装だけど、それを自分がしても可愛くなるだけだ。理想はある。だけど似合うかどうかは別問題、少女趣味の衣装を三十路女性が着てもイタイだけだ。適当に折り合いが付けるのが大切でスカートが苦手な私は普段、ズボンを履いている。制服の時は中に体操服の短パンを履いて誤魔化した。
少なくとも客観的に自分自身を見た時、多少膨らみを感じる胸で自分の事を男性だと主張する事の滑稽さは理解しているつもりだ。
そして、そう感じる事が理不尽ではない事も分かっている。
肉体的に異性同士が恋人になり、愛を育んで肉体関係を結ぶ事が正しい事も分かっている。
そういう前提があった上で、では自分はどうするかを考える事が大切なんだ。
私の場合は、大多数の人間にどう思われても構わない。
自分の悩みを見ず知らずの人間に打ち明かすつもりもなかった。
社会に配慮して欲しいなんて厚かましいし、自分の居場所は自分で作るものだ。
自分の悩みを打ち明けられる親しい数名の友人が居れば十分だった。
だけど弟は私ほど割り切れる性格をしていなかった。
自分の肉体が男性なのは理解しているけど、他人に裸を見られるのは恥ずかしいようだ。髪を短くする事にも抵抗があるらしい。なので私は服を選ぶ時は必ず、連れ出した弟に選ばせて、代わりに弟の分は私好みの色に染める。
青春には、消費期限はなくても賞味期限がある。
私達の青春が他の人よりも短い事を私達は理解していた。なので、お出かけをする時に衣服を交換して歩き回るなんて事は何度もやった。適当な同人イベントでコスプレイヤーとして参加した事もある。
まだ肉体の性別が誤魔化せる内に、やりたい事はなんでもやる所存だ。
可愛い弟の可愛い思い出は私が知っている。
それで良かった、それだけで良かった。
その思い出を弟以外の私が持っている事が大切なのだ。
だけど青春の終わりが見えた頃、青春が名残惜しい想いが芽生える。
私の身体が丸みを帯びて、胸が膨らみを感じる。弟の声変わりが始まった時、青春に終わりが近付いている事を知る。逃れ切れない現実を突き付けられた弟は塞ぎ込んだ。親にも打ち明けられない弟の苦悩を私だけが分かってあげられた。
見捨てることはしない、だけど何時か受け入れないといけない事でもある。
そんな時だ、私がバーチャルストリーマーの配信を見たのは。バーチャルストリーマーに青春を延命できる可能性を見た。私達の短い青春に今少しの猶予を、その一心で弟の手を引っ張った。幸いにも弟は度重なる女装の強要で女性的な声を出すのが得意になっていて、私も男性的な声を出すのが上手くなっていた。
VR世界だけでも青春を漫喫してやろうって、偶々募集を掛けていたVs事務所に独断専行で応募する。
何故ならば、私は弟の姉なのだ。
お姉ちゃんが率先して動かなくてなんとする。
まあ性別自体は配信初日でバレてしまったけど。
慣れない事に上げてしまった悲鳴が女性の声だったのが原因だ。
事のついでに
弟は仕方ないなあって感じではにかんで「こんな僕の事を皆、受け入れられないかな?」と少し寂しそうに蠱惑的な低い声で視聴者に語り掛ける。
元から人気のあった弟には、更に人気が出た。
よく出来た弟である。
そして私の客層は昔から変わらない。
弟ばかりが持て囃される。
私の事をよく言ってくれるのは現実でも、ネットでも弟だけである。
なんとなく弟の頬を両手で摘まんでやった。
「……何してるの、姉さん?」
「あら、起きてたんだ。配信は終わったの?」
「終わったよ。姉さんのせいで疲れたよ」
「たくさん可愛がって貰ったんじゃないの?」
「それとこれとは話は別」
それはそうと、と仰向けになった弟が私を見上げる。
「どいてくれない?」
「えー? やだぁ♪」
弟の頬を摘まむという都合上、私は今、弟の腹の上に座っていた。
ゆっさゆっさと身体を前後に動かしてやっても弟は深い溜息を吐くだけだ。
「姉さんの全力で女の子を楽しむとこ、本当に尊敬する」
「こういうのが出来る相手って限られるからね、男にすると勘違いさせちゃうし~?」
「まあいいけど、それはそれとしてどいてくれない?」
はぁい、と気怠く返事をして弟の上から退いた。
ゆっくりと上半身を上げる弟の髪は寝癖で乱れている。
「背中」と端的に告げてやれば、弟は特に抵抗もせず背を向けた。
ポケットから取り出した櫛で弟の髪を整える。毎日手入れしているだけあって綺麗な髪をしていた。
男で通す時にはポニーテールに纏めてあり、女で通す時には緩いストレートヘアスタイル。
私は特に決めてない、朝の手入れは弟の気分次第だ。
身嗜みを整えて二人で部屋を出た。
部屋から社宅の外に出るには、皆が食堂と読んでいる共用のダイニングキッチンを通る必要がある。
社宅を利用するVsの皆が利用している場所で私達も偶に活用している。
不摂生になりがちなVsの食生活を守る要塞でもあった。
「んみゅ~、ガン攻めガールに押せ押せのまま押し切られてしまったのにゃ~」
「まんまは守り一辺倒になりがちだかんなあ。もうちょっと強気に出ても良いと思うよ」
「あれはそういう問題じゃないと思うけどにゃ~……」
食堂の中心に置かれた大きな机に腰を下ろすのは二人の少女、同じ事務所だけど私達とは違うグループのVsだ。
先程からにゃあにゃあ言ってる方が江ノ島まんま。又猫をモチーフにしたアバターを使っており、今も猫耳付きのヘッドホンを首に掛けている黒髪単発の少女。もう一人は隠蓑シノブというVs名で活動しており、配信を行う時は忍者モチーフのアバターを用いている。今は長く艶のある黒髪を後ろ手に纏めている。二人は共にCODE:Fプレイヤーでランクはゴールド下位、ある程度プレイを続けていると誰にでも辿り着けるのがゴールド下位というポジションになる。
ゴールドでポイントを稼げるか否か、そこが半人前と一人前の境目だとプレイヤーの間では言われている。
「CODE:Fの話?」
「お~、はるっちにかなっちじゃん」
「……え~と? どっちがどっち?」
先程まで、にゃあにゃあ言ってた方の女性が首を傾げる。
私が弟の方を見ると、弟もまた私を見つめていた。
二人でにんまりとした笑顔を浮かべて「どーっちだ?」と問い掛ける。
「どっちでも良いよ」
シノブが大きく溜息を零す。
「んっと、良い匂いのする女の子の方がハルカにゃ!」
「ざんねーん!」
「今日は僕が女の子で~す♪」
「シャンプーは私のと一緒のを使ってるから髪の匂いだとバレないかな~?」
「君達、双子にしても仲良過ぎない?」
若干、引き気味にシノブが告げる。
「この程度なら普通じゃない?」
「姉妹ならまだしも姉弟は流石に無理があるって」
姉妹でも結構キツイけど、とシノブが付け加える。
「双子だからじゃにゃい?」
「……いや、ないない」
「仲良しなのは良いことにゃ」
そんな事よりも、と携帯端末を弄っていたまんまが食堂備え付けのモニターを操作する。
公共で放映されている番組を無視して、動画配信サイトの生配信に飛ばされた。配信主の名は
その彼女が最近、プレイを続けているのがCODE:Fである。
ランクはゴールド中位。呑み込みが早い彼女は気晴らしにプレイするだけでゴールドまで辿り着いており、本腰を入れたらプラチナまでは行けると言われている。実際、彼女の実力はVs界隈だと中堅に位置する。
法被に胸を隠す晒し、赤色の小さなツインテールのアバターがモニターに映される。
「みゃーが倒されたのは、こいつにゃーっ!」
彼女が指で差したのは祭女の喝采ではなく、もう一人の少女。戦場に降り立った金髪金瞳の少女、プレイヤー名にはRENと表記されている。
◆
選択された戦場は、遊園地のキッズエリア。
メリーゴーランドやコーヒーカップを始めとした代表的な遊具が並べられたエリアの中心には、サーカスで見るような巨大なテントが建てられている。シングル用マップとして少し広めのフィールド、カウントが0を表示したのと同時に金髪の少女が駆け出す。フィールドの対角線上にある対戦相手を目掛けて、まっしぐらだ。右手に呼び出した片手剣を握り締めた彼女、RENは巨大テントを視認しても足を緩めず、更に加速する。
CODE:Fのシングル戦では、姿を隠し続ける事の意味は薄い。
何故ならば、一定周期で相手の位置を知らせるレーダーがシステムとして備わっている為だ。シングル戦では周期が早く、三十秒に一度の頻度で相手の位置が分かる。
しかし、それでもRENの行動は早過ぎた。
「CODE:バースト」
相手の姿を視認すると同時にCODEを起動し、後方に放った衝撃波の反動で瞬間的に加速する。
「えっ? 私の知らない間に新しいCODEでも入った?」
相手の挙動に困惑しつつも喝采は散弾銃を構える。
喝采が引き金を絞ると同時に再度、衝撃音。舗装された地面が砕かれて砂塵が舞う。視界が妨げられる喝采の頭上を小柄な少女が宙を舞っていた。「CODE:バースト」と口遊んだ三度目の衝撃を放つ直前、喝采は近場の遮蔽物を目掛けて駆け出す。空気を揺るがす衝撃音、喝采が数秒前まで立っていた場所に少女が流星の如し直落下。喝采が振り返る先に、金色の長い髪を靡かせた小柄な少女が、凶悪な笑顔を浮かべる。
RENは対戦相手の目を狙って短刀を投擲する。
喝采は思考するよりも早く散弾銃をストレージに入れて、代わりに呼び出した釘バットで短刀を打ち返した。
そして投擲すると同時に低い姿勢で駆け出していたRENが片手剣で切り掛かる。
「CODE:リコイルカット」
喝采の口から呟かれる言葉、振り抜いたはずの釘バットがRENの側頭部を捉える。
CODE:リコイルカットは、武器の反動を失くす効果がある。本来は銃器を発砲した時の反動を零にする能力だが、近接武器を用いた時、重量に身体を振り回される事なく扱える特別な補助効果が付与される。初速は変わらないけど、切り返しが早くなる。そんな感じの認識で良い。
佐々木小次郎も真っ青な減速なしの切り返し、側頭部を打たれたRENが地面を転がる。
「随分と活きが良いねェッ!」
体勢不十分な彼女を見た喝采は武器をバズーカに持ち返る。
喝采は攻略を詰めるタイプのプレイヤーではない。
ゲーム好きの彼女がフルダイブ型のVRゲームを活動のメインに据えない最大の理由は、プレイ中に酒を嗜む事が出来ない点にある。月夜を肴に酒を啜る者が居るように、彼女はゲームを肴に酒を呷る。元々が酒を肴に酒を呷る酒カスな彼女は半レム睡眠状態を強制されるフルダイブ型が苦手なのだ。というよりも酒が切れる事に耐え切れない。日常的に脳をアルコール漬けにしている彼女では、論理的に筋道を立てて攻略する事が出来なかった。持ち前の感性だけでプレイするので沼る時はとことん沼る。
しかし、彼女は、なんとなく、良い感じに立ち回るのが上手かった。
至近距離のバズーカ攻撃、今から回避をしても爆風によるダメージは免れない。
確実にダメージを稼ぐ為の一手だ。
喝采が引き金に掛けた指に力を込める瞬間、RENは不十分な体勢から片手を前に突き出す。
対戦相手を睨み付ける金色の瞳が凛と輝いた。
「……CODE:バースト!」
放たれたロケット弾を衝撃波で相殺する。
二人の間で爆炎が上がり、二人の身体は大きく吹き飛ばされた。
ダメージを大きく受けたのは、喝采の方だ。
CODEで反動を切っていた喝采は、爆風を真正面から受ける。
対してRENは、衝撃波の反動でダメージを軽減した。
「ぐううぅぅ~~……なんつー博打をッ!」
博打を打つなら競馬にしろ! と全身がビリビリと痺れる感覚に喝采が歯を食い縛る。
ゴロゴロと後ろ回りに転がるRENが両足を開いて、爪先を地面に叩き付けた。四つん這いの姿勢、爆煙が漂う視界の隙間に捉えるのは法被を羽織った女性の姿。CODE:バーストをノーリスクで放てる連続回数は四回、五回目でリソースが底を突き抜ける。リソースは底まで使い切ると完全に回復するまでCODEが使用不可になる。再度、使用可能になるまで一分程度。シングル戦では致命的な隙になる。
それはCODEの使用が前提のバランスで、リスクが大きすぎる選択だ。
「CODE:バースト!!」
しかしRENは躊躇なくCODE起動の言葉を口にした。
痺れは数秒、しかし衝撃波の反動で初速からフルスロットルの少女から逃れる事は出来ない。
喝采は、バズーカを相手に投げ渡すように軽く放り投げる。
──喝采は、殴り合う覚悟を決めた。
RENが眼前のバズーカを片手剣で弾き飛ばす。
その間に喝采は釘バットを呼び出した。懐深くに踏み込んだ金髪少女の脳天を目掛けて、頭上から釘バットを叩き付ける。間に合った。と喝采が考えたのも束の間、彼女の鳩尾にRENの左足の爪先が突き刺さる。片手剣では間に合わないと判断したRENが斬撃から横蹴りに切り替えた。堪え切れず、喝采の身体が「く」の字に折れ曲がる。
そんな彼女の姿勢は、RENから見た時、頸を差し出しているゆにしか見えなかった。
「結構、楽しめた」
驚くほどに幼い声、作っているかどうかは不明だ。
彼女が頭上に掲げた片手剣が振り下ろされる。
それは試合の勝敗を付ける致命の一撃だった。