とあるVR空間のプライベートなチャットルームにて。
白を基調とした家具が並べられた透き通る空気感、窓の外は空を写す水面の綺麗な光景が水平線の先まで続いている。
ずっと見つめていると自然と涙が零れてしまいそうな程に幻想的な光景。
何処までも現実的で、何処までも非現実的な、現実と空想の狭間。
2.5次元と呼ばれる世界に二人の少女が居る。
一人はアンドロイド風の少女でVs名を紺アルファ、型式は深蒼D型Ver.αという設定があったりなかったりする。
そんな設定は本人も忘れている。
「ふええ~! 凄い、凄くて! 凄すぎるんですけど~!!」
もう一人は白色と水色を基調にしたキャラデザインの幼い少女でカーディガンを羽織っている。
Vsの中でも特別、幼い姿をした彼女に与えられた名は、吉兆エリザ。設定上は紺アルファの開発者で最初はDigi-LIFEに所属するVsのサポート役の立ち回りで配信に参加していた。彼女はクッションの上で胡坐を組んだアルファの上に座って、ギュッと握り締めた両手を上下にブンブンと振り回す。二人の視線の先には、大型モニターが置かれていた。映し出されるのは、プロのゲーミングチームに所属する八目鰻の生配信。対戦相手はRENと呼ばれる金髪金瞳の少女で、二人の魅せる真っ向勝負の近接戦にエリザは空色の瞳をキラリと輝かせる。
アルファもまた二人の対戦から目を離せずに居た。
CODE:Fが人気を博した理由のひとつに、試合展開の早いハイスピードのバトルアクションというのがある。フィールドを縦横無尽に駆け回り、CODEと呼ばれる特殊能力を駆使する戦闘は視聴者から視ても見栄えが良く、展開も一辺倒にはならない程度の駆け引きがある。チーム戦の時、一人のプレイヤーが戦局を引っ繰り返す事もあれば、作戦勝ちで一方的に対戦相手を蹂躙する事もある。技術と戦略の融合がCODE:Fの対戦だと呼ばれる中でも八目鰻とRENの繰り広げる真っ向勝負は手に汗握るものがあった。膝の上で暴れるエリザを気にも留めず、アルファは小さく開けた口で二人の対戦を見守る。
アルファとエリザの二人に限らず今、八目鰻の生配信を見ている者は画面に映る二人の姿に魅了されていた。
◆
CODE:ダブルスピードは、CODE:バーストと同じく発動した時にリソースを打ち切る同じタイプだ。
発動したが最後、確定で一定量のリソースが消費される。そして強力なCODEである分、消費量も相応に高く設定されていた。連続で使用出来るには二回、二回でリソースは底を尽きて、リソースが完全に回復するまでCODEを使用する事が出来なくなる。故にCODE:ダブルスピードを使用する時は、勝負時を見極めなければならない。
即ち、CODE:ダブルスピードを使った以上、此処が勝負所になる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
吠える八目鰻は絶体絶命の窮地の中、片腕が捥がれてもなお戦意を失わず勝機を手繰る。
「地面がなければ、CODE:ダブルスピードのメリットも半減だ」
自由落下を続ける青年の着地地点で待ち構えるのは金髪金瞳の少女、REN。
彼女は落下中の瓦礫片を掴み取り、そのまま八目鰻に投げ付けた。
八目鰻は守らない、守れば攻撃が間に合わないと気付いたからだ。
「が……ッ!?」
瓦礫片を額に受けて、思っていた以上の質量に首を仰け反らせた。
直ぐに体勢を立て直すが一手、後れを取った。それでも八目鰻は攻撃の手を止めない。CODE:ダブルスピードの助力を借りて、全身で反動を付けながら片手剣を振り被る。舞台は整った。乗るか反るか、逃げるか迎え討つか。そんな段階は疾うの昔に過ぎ去っており、RENは対戦の興奮から笑みを浮かべる。今、この瞬間が楽しくって仕方なかった。
RENは両足を広げて、迫る八目鰻を睨んだ。此処で退くは有り得ない、そんなのはダサ過ぎる!
「此処で勝負を決めてやるっ!」
「決められるものなら決めてみなッ!」
二人の視線が交錯し、二振りの片手剣が弧を画いた。
八目鰻の振り落とした片手剣をRENは下から打ち上げるように弾き返す。繰り返すがCODE:Fの身体能力は、現実世界の人間を遥かに凌駕する。八目鰻は片手剣を弾かれた反動で地面に降り立つ事が出来ないまま、地面から繰り出されるRENの斬撃を捌き続ける。二人が繰り広げる無数の斬撃が火花を散らし、甲高い金属音がショッピングモールに木霊する。流石の八目鰻も地面に足が付いていない状態では、CODE:ダブルスピードの速度を制御し切れなかった。ましてや片腕、自分の速度に振り回されている。しかし、振り回されてなおも八目鰻は攻撃の手を緩めず、強引にでも斬撃を繰り出し、RENの攻撃を受け止め続けていた。
サングラスの下に隠された眼光が今は無に等しい勝機を探り続ける。
呆れを通り越して畏怖すら感じる八目鰻の曲芸に対してもRENは一歩も退かなかった。退く事が出来なかった。少しでも攻撃の手を緩めたら最後、自分の敗北が決定付けられると確信する。故に彼女は退く選択肢を頭から追いやった。此処まで来れば、後はもう意地と意地のぶつけ合いだ。少しでも心を折った方が負けだと二人は歯を食い縛って互いの斬撃を受け止め合った。
瓦礫が落ちて、砂塵が舞い上がり、二人の剣閃が切り裂く。我慢比べで苦しいのは八目鰻、彼には明確なタイムリミットがある。
CODE:ダブルスピードの残り時間が少なくなるに連れて、八目鰻の顔に焦りが混じり始めた。辛かった、きつかった。そして長かった。敗北の二文字が何度も脳裏に過ぎる。しかし、八目鰻は辿り着いた。タイムリミットまで残り数秒、RENの片手剣を握る右腕が切り落とされる。八目鰻は両足を地面に付ける事に成功した。感無量である。自分がプロである事も忘れて、恥や外聞を捨て必死に食らい付いた末に手繰り寄せた勝機。彼はプロゲーマーだ、プロゲーマーの中でもトッププロに匹敵する一人。ゲームプレイで金を稼ぐ彼は、プレイ一本で人々を魅了する華がある。絶体絶命の状況を覆し、細い勝利への道を手繰り寄せるから彼はプロゲーマーを名乗れている。
CODE:ダブルスピードの効果時間は残り僅か、充分だ。
八目鰻は感傷に浸る間もなく、屈めていた身を翻して背後に立つRENに向けて片手剣を振り被った。
いや、待て。嫌な予感が脳裏を過ぎる。RENのCODE:バーストの残り回数は? 彼はCODE:バーストの連続使用可能回数を覚えていない。最後まで勝利を諦めない彼だからこそ勝負が決まるその瞬間まで、彼は思考を止めなかった。数年前の記憶を掘り返す。思考の奔流は一秒未満の時間を限界まで引き延ばす。メインストーリーで使っていた時、CODE:バーストの連続使用可能回数は四回か五回、記憶は曖昧だけど六回はなかったはずだ。既に相手は五回分を使い切っている。自然回復をした分を合わせると怪しいか?
一瞬の逡巡、八目鰻は目を細めて、しかし一歩を踏み出した。
時間の感覚が元に戻る。超高速の攻防戦、屈めた身を起こしながら振り返る。
先に左手を切り落とす、それでゲームセットだ!
「まだ一手、残されているんだよね」
八目鰻が上半身を起こそうとした、その額にRENの足が乗せられる。
「ぐっどげぇ~む♪」
RENの勝利を確信した挑発的な笑顔、視界の端に捉えた彼女の左手には棒状の何かが握り締められる。
思い出すは昨日のRENと小春日和の対戦。最後に彼女が使っていた武器は確か──RENの足裏で額を小突かれる。片腕を失った自分は、体勢を立て直す事ができず、背後に身体が倒れていくのを受け入れるしかなかった。CODE:ダブルスピードには、時間を引き延ばす効果はない。なのに、やけに時間がゆっくりと感じられる。まだ足元に揺らめく砂煙、落ち切った瓦礫片の中から巨大な刃が姿を現す。
八目鰻の驚異的な動体視力が全てを悟らせる。
RENには華がある、彼女の戦い方には浪漫が詰め込まれていた。
しかし、彼女にはまだ浪漫が隠されていた。
「このメスガキがァァァァッ!!」
照明の光に反射する大鎌の刃が、八目鰻の背中に食い込んだ。
全てを悟った敗北が、額を足蹴にされた怒りを呼び起こし、彼に見事なまでの捨て台詞を吐かせるまでに至る。
切り抜き確定の締めの一撃は、大鎌による両断。RENは、大金星を掴み取った。
◆
モダンシックな落ち着いた内装のチャットルーム。
プライベート用の自室で二人の対戦を見ていた私、歌風ハルカは感嘆を零す。
「……こんな戦いって、できるんだ」
八目鰻の実力は、嫌というほど知っている。
実際に大会で対戦した経験もあり、半年前の時点でまぐれや偶然で勝てる相手ではない事を肌身に感じて理解させられている。流石のRENも日本のトッププロが相手では勝つのは難しいと思っていた。なのでRENの対戦履歴を見た時、RENが八目鰻を相手に勝利を飾っていた事に驚いた。初戦を見た後で八目鰻の生配信に移り、二人が連戦を続ける姿を観戦し続ける。流石に勝ち越す事は難しかったようで30戦で7勝23敗と大きく負け越してしまっていた。
それでも八目鰻を相手に7勝もしているのは十分に凄い事だ。何十戦もして八目鰻に勝ち越せるのはプロでも片手で数える程で、アマチュアだと本人の申告で一人だけ。そして連戦を重ねれば重ねるだけ地力のあるプロの方が有利になる中での2勝は、残り5試合で勝ち得たものだった。
RENは、特別な何かを持っている。
その自分の眼の正しさを確信すると同時に、自分もまだRENの事を侮っているのかもしれないという思いもあった。
ピロン、と電子音が響いた。
メッセージを受け取った通知音、ウインドウを開いて確認すると妹からのメッセージだった。サイバーネスト、即ちサイバネプロダクションが毎週開催するライブイベントの予定の確認だ。私達は今回、前座で即ち、引き立て役。サイバネプロダクションの大切な収入源の一つである為、失敗する事は許されない。歌と踊りのレッスンにも気合が入るというものだ。あと数週間もすると対抗戦の季節になる。対抗戦で優勝したチームは、閉会式の時のライブでメインを張る事になっていた。直近のライブイベントに参加するのは、閉会式で恥を掻かない為って理由もある。
嗚呼、ゲームにライブと手が抜けなくて目が回る!
「……そういえば対抗戦の前に日和パイセンのチームで告知するんだっけ?」
小春日和はVs界隈のCODE:F企画では、強過ぎて出禁状態になっている。
特定条件下では並のプロゲーマーを蹂躙してしまう実力を持っているのだ、大会の体を為さなくなるので企画側としても苦渋の決断だった。しかしCODE:F界隈における日和人気は凄まじいものであり、解説やゲストという形で企画には参加させて貰っていた。実際、彼女の名前があるとないとでは、CODE:F企画の視聴者数に顕著な差が出てしまうのである。
その出禁扱いを受けている日和のチームが今度、チーム内で対戦する事が企画されている。
これは対抗戦の宣伝も兼ねており、他の事務所も参加するコラボ企画にもなっていた。尊敬する日和パイセンの晴れ舞台、本当は参加したかったのだけどライブイベントで忙しくなるし、今回は大人しく視聴者側で楽しむことにする。
そう思っていたのだけど、ライブイベントが三日後に迫った日の事、マネージャーから連絡を入る。
「えっ? パイセンのチームに全然人が集まってないから参加して欲しいって? もう一週間後なのにそれって本当に大丈夫なの!?」
日和パイセンは、恐らくダメ人間に分類される人だった。