明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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第十話 見えないものと戦うには

 採掘場への遠征も終え、拠点に帰還した数日後。

 私は暖炉の前でアリーナが縫い物をするのを眺めていた。

 

 

 きっかけは今日の昼、フロストノヴァと訓練中に彼女のマントをアーツで焦がしてしまったことだった。

 彼女にとって大切なものだったようであろうことか決闘騒ぎにまでなり、修繕することを約束した私はアリーナに泣きついたという訳だった。

(私はこういったことはからきしだな)

 縫い物ではないが、以前フロストノヴァへ料理を振る舞ったことがある。

 料理と言っても菓子の類。味覚が鈍いという彼女でも気軽に楽しむ事ができる、そんな味を目指していたのだが彼女ですらなんとも珍妙な表情を晒していた。

 いつかの酒に酔ったイグナスの鼻を明かしてやろうと思ったのだが、彼本人に渡すにはまだ時間がかかりそうだった。

 

 そうして彼女の持つ針が布を何度も往復しているのを見つめるうち、手持ち無沙汰になり彼女に話しかけた。

 その話し方はここ数年ですっかり大人らしく、いや先生らしくなった。暖炉が写す彼女の影の揺らめきも相まって、久しくなかったゆったりとした時間を2人で過ごす。

 その会話の内容は彼女と初めてあの村で出会った日から始まり、3人で村を出た日や拠点での子ども達とのやりとり、そして今は私達の運命について語り合っていた。

 

「アリーナは私に『見えないもの』と戦ってほしいんだな」

「今のあなたは大丈夫よ、でも忘れないでほしいの」

 アリーナの話はどこか哲学的で、理解が難しいものが多かった。イグナスから貰った本は全て何度も読み返しているようだし、つい年上の教師と話している気分になる。

 それでアリーナ先生と呼んでみれば叱られてしまった。その様もまさしく教師といった様子でついおかしくなってしまう。

 気を取り直すように彼女はこほん、と咳払いをした。

「目に見えているものほど簡単に私達を変えてしまう。でも、それに引き摺られてしまってはいけないわ」

「私はそうではないだろう?」

「でもこれからそうなることもあり得るわ。今、私は見えるでしょう?」

「当たり前だろう」

「ある日、私が、拠点のみんなが突然いなくなってしまった時、それでもあなたは心惑わされない?」

「それは!」

 

 アリーナが仮定したそのあんまりな未来に思わず声を荒げてしまう。言った本人はその反応を予想していたようで、手元の針から視線を外してはいない。

「でもあり得る未来よ。私達はその危険性を冒してでも、遠い未来がもっと幸福であってほしいと思ってあなたたちについてきたわ」

 そう語る彼女は毅然としつつも、どこか儚い。今私達を照らしている暖炉の火のように、いずれ消えてしまうのではないか。そんな不安が押し寄せる。

「そうならないように最善を尽くすと誓った。その為ならば、『見えないもの』とやらも必ず打倒してやるさ」

 そんな思いを消し去ろうと、あの日の誓いを再び口にする。

 パトリオットにも語った、自分の思いを。

 

 その答えを聞いてアリーナは呆れているのかため息を吐きながらも、最後には微笑んでくれた。

「ええ、期待してるわ。でも見えないものを見ようとして見えるものを見ないでいることもだめよ?」

「アリーナの言うことは日に日に難しくなっていくな。今度ミスターの説得に同行してくれないか? アリーナなら彼の石頭も解きほぐせそうだ」

「いえ、多分無理でしょうね。彼はもう言葉ではどうにもならないほど多くのものを背負ってしまったと思うから」

 アリーナは確か一度も彼と直接会ったことはないはずだ。それでも彼がどんな人間で、今までどんな人生を歩んできたのか確信にも近い考えがあるらしい。

 一度手を止めたアリーナは、悩まし気にそう語った。

 だが、それも顔を上げ私を見た時は逆に慈しみに満ちた目をしていた。

「でも、あなたは手本が身近にいるのだから、学ばなくてはだめよ?」

「・・・イグナスのことを言っているのか?」

 真っ先に浮かんだのは彼だった。私の初めての同志、彼は尊敬するところばかりだった。

 彼は大きな商談があると言って、彼の商会の者数人と共にチェルノボーグへ向かった。なんでもミスター・パトリオットの勧誘の助けになるとのことだが大丈夫だろうか。先日彼の兄弟となったサーシャとイーノも寂しそうにしていたので、早く帰ってやってほしい。

 

「私、あなたが彼と出会うことができて本当によかったと思っているの」

 そう告げるアリーナは、微笑みながら一度私を真っ直ぐ見つめた。

「彼が私たち感染者には手に入りづらいものを持ってきてくれるおかげで、皆んなこの生活を気に入っているわ。でも、彼は一度だって目指すべきものを見失っていなかったわ」

「目指すべきものとはなんだ?」

「さあ? 彼には既に明確なイメージがあるんでしょうけど、私たちにはわからないわ。でも、彼は一度だってそれを無償で行おうとしなかった」

 それと何が関係あるのだろうか。答えに至らず彼女に話の続きを促す。

「もし無償で物資を提供していたら、いつか私たちもそれを当たり前だと思うようになっていたでしょうね。そうしたらこの先、それこそあなたたちが教えてくれた本当の意味で感染者への差別が消えた時、私たちはその支えなしでは満足にこの地で立てなくなってしまっていたわ」

 そう聞かされたとき、私は全てを理解した。アリーナは私がそこまで考えが及んだことを理解し、改めてイグナスの行いの意味するところを語る。

「彼は本当の意味で感染者を差別していないんだわ。だからこそ蔑んだりしないし、特別扱いもしない。仕事の報酬に対価を得る、そんな当たり前のことを彼は大切にしていた。私たち感染者本人でさえ、自分の境遇を理不尽に感じて卑屈になったり逆に横暴になってしまうのに」

 そしてアリーナは一度針を納め、目を閉じ自分の感じるところを整理しているようだった。

 そして自分なりの表現が見つかったのかまた口を開く。

「彼は日常と非日常を正しく理解しているわ。その上で、日常を愛しているのだと思う。見えるものに囚われず見えないものを常に見据えている。その上で、見えるものを大切にできる。そんな人よ、彼は」

 

 そう言ってアリーナはまた外套に針を通し始めた。その手つきはどこか楽し気で軽やかだった。

「だから、あなたのことも正しく見ている」

 布の上を糸が何往復かした頃、アリーナは手元に目を向けたままそう言った。

「そうだな。あいつはいつだって、私が背負ったものではなく私自身を見ていた」

 いつか、フロストノヴァらと交渉に行った時もそうだった。

 1人で行くと言ったとき、リーダーとして正しい選択をしたと思っていた。それでも、あいつは馬鹿を言うなと私の頭を叩いて、ともに連れ添ってくれた。

 あの日のことを思い出していると、アリーナがいつの間にか手を止めこちらを眺めているのに気がついた。何だかその眼差しが子ども達を見ているときのようで温かく、妙に恥ずかしい。

「何だ?」

「いいえ、何でもないわ」

「話してくれ、気になるじゃないか」

「先生でも教えてあげられないこともあるわ。それが見えないものだとなおさらね」

 授業はおしまい、とアリーナは針をしまった。いつの間にか外套に開いていた穴は綺麗に塞がっていた。

「どうやら宿題を出されたようだな、先生?」

「ええ、言ったでしょう。私が見張っててあげるって」

 そんないつかの約束を今も守ってくれている、私の大切な友人はすっかり大人になってしまったようだった。

 

 

チェルノボーグ

 

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、怪我人の手当もして頂いてますし、困ったときはお互い様です」

 俺は現在、チェルノボーグの都市の一角に居を構える感染者診療所を回っていた。

 こういったことは何も初めてじゃない。

 昔から仕入れた薬草や抑制剤などのうちいくらかを格安で提供し、見返りにこちらの従業員の治療を行ってもらったり近辺の感染者の目撃情報などを共有してもらっている。

 俺がタルラ達と知り合う前から続けている、それなりに長い関係だ。

 相手もよく見知った顔で、今後ろに控えている社員のうち何人かはここらで診察を受けた人間だ。

 そして最後の一軒も今まで同様以前から取引のある診療所だった。そんな勝手知ったる場所だが、今日は服装もバッチリ決めて気合十分で伺っている。

 

 それもそのはず。今日は取引とは別に人と会う予定がある。

 その相手のことを考えれば、これでも足りないくらいだから。

 

「お世話になっております。ダーリ商会のイグナスです」

「おお、イグナスさん。お待ちしておりました。診療所()()()()にようこそ」

 診療所に勤める医者に医薬品等を預ける。

「今日は別件もあるんでしたね。部屋は用意してありますよ」

「ありがとうございます。ではここ、アザゼルの()()()のもとへご案内いただけますか?」

 

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