「それでも兄弟達は私の事を未だに慕ってくれているし、あなたみたいな頑固で不器用な父もできた。そう考えると、私の人生も悪いものではないと思えるんだ」
「あいつが語ったように源石は私達から多くのものを奪ったが、それでも全てを奪えるわけじゃない。生きる限り、私達には未来が残されている」
「だから父さん。私は望む道を行く。この手に残された未来を、誰かのものになんてしたくないんだ」
その瞬間、ロンディニウム周辺の全ての人々がそれを自覚した。
「どうなってんだよこれは?!」
「何だ? サルカズの野郎、いきなり勢いつきやがって!」
遊撃としてロンディニウムの各地で戦うレユニオン達は、相対する者の力が明らかに増した事に気付いた。
拮抗を保っていた彼らの足元が突如として仄かに赤く輝き始めた。それと同時に彼らが武器を押し付けてくる圧力が増し、盾兵や重装オペレーターがなんとか押し返す。
「これは・・・力が溢れてくる」
「ブラッドブルードの大君様の祝福だ!」
ある者は自らの血が湧きたつ感覚に歓喜した。今まで呪いでしかなかったその血と肉体に、初めて感謝した。
体の奥底から次から次に力が溢れだすようだ。武器を振るう腕が軽い。柄を握りしめる音がビキビキと鳴る。早く確かめたくて仕方がない。この祝福の力を。その高揚感がサルカズを包み込む。
徐々に拮抗が崩れていく。戦力の天秤はサルカズへと傾き始め、何とか押されまいと踏ん張るロドスオペレーターとレユニオンの戦士達。だが戦場はサルカズの領域。嗅ぎなれた勝ち戦のにおいに次々と雄叫びを上げた。
「はは、ハナから甘い連中なんて敵じゃねえんだよ!」
「血祭りに上げてやれ! ここはもう、俺達の都市だ!」
同時刻、ブレントウードに程近い場所。そこにいた避難中の住民は異変に気付いた。
アーミヤ達に先んじて潜入したブレイズ達。彼女達は真っ先にその只中に建つ戦争法陣の危険性から住民の避難を計画した。一方を引き続きブレントウードに隠されたサルカズの秘密に、もう一方は避難する住民達の護衛に。
そうして別れたロドスの精鋭部隊の片割れの前で、それは起こった。
「おい、なんだその足元の・・・」
「あ? 何を言って・・・」
―ジュルリ。
避難した住民達は何かを啜る音を聞いた。
直後、地面が仄かに赤く輝く。続いて大地が揺れひび割れた。地面に刻まれた傷痕からは先程の赤い光がより鮮明に漏れ出ている。
―ジュルリ。ジュルリ。
そのひび割れから真っ赤なヒルが這いずってくる。細長い黒赤色の胴体をくねらせ、彼らをじっと見つめていた。瞳の代わりに空いた輪状の口から鑢のような歯が見え隠れしている。
硬直する彼ら。彼らの内に眠る本能が動くなと強く警告する。
だが、次第に視界が赤く染まっていく。何もしていないのに
ポタポタと呪いによって体の至る所から血が零れだす。ひび割れたバケツのように、生命が垂れ流される。
「ううっ」
誰かの呻き声が引き金となった。その人物は喉を塞ぎ始めた血を吐き出そうと嗚咽しただけだった。
音と匂いに釣られたヒルが彼に群がり襲い始める。大地から無尽蔵に湧き出るそれはサルカズ以外の一切を貪り始めた。断末魔は荒野に響く前に眷属の蠢く音に掻き消された。
―ジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリ
ジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリジュルリ
そこからはまさに阿鼻叫喚だった。赤く染まっていく大地。そこから逃げ出そうと逃げ惑う住民達。彼らも呪いの餌食となり何もできないまま底が抜けたバケツの如く目や口から鮮血が漏れ出していく。被害は拡大し漏れ出た鮮血をブラッドブルードの眷属が吸い尽くし呪いの影響力を増していく。その被害は拡大する一方だった。
銃弾の音が連続する。眷属に取りつかれていた住民の1人が突然のことに呆然としていた。
「ぼーっとするんじゃないよ。急いであっちに走りな!」
「は、はい」
ふらつきながらもどうにか立ち上がる彼を見送る間もなく、Outcastはシリンダーの銃弾を入れ替えて再度銃弾を放つ。銃弾は今にも少女へと襲い掛かろうとしていた眷属を穿った。
彼女らが礼を言いながらその屍を乗り越え走っていく。それを横目にOutcastはこの状況の最善手を模索する。
これがブレントウードに仕組まれていた法陣の影響であろう事は理解していた。同じくこの都市へと来たLogosともう1人のサルカズによって大体の効果は解き明かされていて、だからこそ二手に分かれてでも住民をこの地から逃がそうという話になったのだから。
「あんた達、こいつらは私達が引き受けよう。それ以外はあの都市からできるだけ離れるんだ」
「隊長、ですが!」
言い募るロドス隊員の言葉は銃声に掻き消された。その先には首元に嚙みつかれまいと必死に抵抗をする血まみれの住民がいた。
「これ以上犠牲を増やすんじゃないよ」
「~~~っ、了解。ご武運を!」
彼もよく見れば片目が充血し血が流れ出ている。その顔を悔しさで歪めながら背を向ける。
彼も分かっていたのだろう。ここにいても事態は良くなるどころか悪化するのだと。そういった大局的な判断ができるからこそOutcastはここにやってくる精鋭部隊の中に彼を入れたのだから。
彼は残っていた眷属を蹴散らし倒れていた住民の手を引いて立ち上がらせる。
他のロドスオペレーターもどうにか助けられる住民を救出してこの場から退避する。獲物を逃がすまいとそれを追う眷属の先頭を撃ち抜く。量は多いが足はそこまででもない。遠くなっていく背中を彼女は見送った。
逃した獲物の代わりに、眷属は新たな血肉を求めOutcastへ飛び掛かった。
それを銃弾と体術で迎撃しながら距離を取る。
「流石に量が多いね。どうしたものか」
ベルトに収まった銃弾数を思い浮かべながら頭を悩ませているとOutcastの背後が空間ごと削れた。
どうやらそこに潜んでいた眷属ごと
「悪いねMisery」
「どうやらこいつらは無限に湧いているようだ。この法陣が消えない限り止まらないだろう。銃弾は節約しておけ」
「無茶を言うねえ」
そう言いつつもしっかりと飛び掛かってきた眷属にハイキックをかます高齢のサンクタ。
「その分俺が働こう。皮肉なことに、この法陣はサルカズにとっては都合がよいようなのでな」
彼が握ったナイフを横薙ぎに振るう。それだけで地面を埋め尽くしていた眷属がキャンバスの油絵を削るように消えてなくなった。彼の空間を操るアーツが強化されている。
ある程度の距離が開いたところで今度は地面にアーツを作用させ一帯を沼地と化す。相性が悪いのか粘度の高い土に体を囚われ眷属の動きは明らかに鈍った。
サンクタとサルカズ。因縁を持つはずの2人が背中合わせで互いの死角を補い合う。
とはいえこれではジリ貧だ。Miseryが見れば傍らのサンクタも皺が目立つ掌から血を滴らせている。先程は傷を負っていなかったのでおそらく法陣の呪いの影響だろう。できるだけ根本的な解決が必要だ。
彼は遠くを一度だけ振り返る。おそらくこの元凶が立つ都市の中心部を。
彼を倒さなければ、この地は血の海に塗り替えられる。そこに今は手が届かない事をMiseryは悔いた。
そしてそれらの影響はその中心部にいるアーミヤ達も例外ではない。それどころか元凶に近いからかその影響は何処よりも強かった。
大地の裂け目から無限に湧くブラッドブルードの眷属。傷が自然と浮かび上がり血を垂れ流す。
それを必死に耐えながら、アーミヤ達は頭上に浮かぶ元凶を倒そうとしていた。
「止めなさいドゥカレ! これ以上の流血を欲するのですか?!」
アーミヤの静止の声を無視して大君は頭上に集積されていく血をいくつもの鞭と変え地上に叩きつける。
「聴罪師の配下よ、控えていますか?」
「はいここに」
ドゥカレの後ろにはいつの間にか青髪のサルカズが立っていた。彼女の名前はサルーズ。黒く染め上げられた装束は聴罪師のもので、彼女はその中でもクイサルトゥシュタの元で魔王のアーツに関する研究を行っていた。
「聴罪師は討たれたのですか?」
「はい。そのようです」
「・・・テレシスの忠臣を気取っていた彼もいなくなるとは。まあよいでしょう。ティカズの血は今ここに精錬されました。アナンナの起動の手筈に抜かりはありませんね?」
「既に準備は整っております。ザ・シャードに戻り次第儀式を遂行いたします」
「テレシスに己が務めを果たせと釘を刺しておきなさい」
「・・・」
浮かぶ赤い結晶を受け取ったサルーズは何も言わぬまま先程と同様に忽然と姿を消した。
それを一瞥する事すらなく、大君はアーミヤを見下ろす。
その瞳には強い侮蔑と殺意が乗せられていた。だがそれが真に映しているのはアーミヤのようでアーミヤではない。アーミヤの頭上に浮かぶ黒い王冠、サルカズを今の地位にまで貶める要因となった魔王という概念そのものを憎んでいる。
「平伏しなさい。その首を差し出しなさい。そしてその頭上に浮かぶ愚かな王冠を剥ぎ取ってあげましょう。斯様にまで誤った選択を取る古い器など最早不要。我らはアナンナを以て全てに恐怖を刻む覇者となりましょう」
「アナンナだとっ!?」
いつにないケルシーの大声に全員が驚く。
だがその驚愕も無理はない。
アナンナとは、このテラに送り込まれた最初の源石の名だ。それは遥か古代、テラに生きる原初の生命であったティカズをサルカズに作り変えた全てのサルカズの起源。つまり、アナンナはサルカズに対し魔王を上回る支配力を持つ。
加えてそれは触れた生命と同化する性質を持つ。もし悪用され暴走すればこの大地に生きる全ての生命が原初の源石に取り込まれかねない。
大君の操る鮮血が膨張する。サルカズ全体を祝福する法陣の対象はその行使者である彼も例外ではない。
かつて巨獣の身を切り分け血を抜き取り封印した男、単身で魔王殺しを為した古きサルカズの力がより一層増した。
彼は戦争法陣の上に立っている。頭上を取られ、戦場を掌握され、傲岸不遜に振る舞うその姿は絶対的な上位者を思わせた。
その頭上には最初に相対した時よりも遥かに多くの血液が宙に漂っている。それはもはやブレントウードそのものを飲み干しかねない量だ。今まで取り込んだ犠牲者から絞り出したものと、未だこの都市に残るサルカズから徴収したものとが混ざり合い等しくドゥカレの手足となっていた。
そしてそれは今も膨張を続けている。この地に呪いを浸透させ戦場と定義したことで生と死の循環が加速し流れ出す血の量も多くなっている。その全てを支配下に置く彼は、今もその力を増し続けている。
正に、鮮血の王庭に相応しい所業だった。
中央区へと向かう前に出会った時とは比べ物にならない規模のアーツだ。伸びてくる血鞭の数も、その大きさも、速度も、込められた怨嗟の濃度も。
今も大地に生きる全てから彼は血を啜り続けている。
「これは貴女達が見捨てたサルカズの血肉の数に比べるべくもない。私はサルカズを導かぬ魔王の代わりに、彼らの恥辱を晴らしているのですよ」
「黙れ!」「撃ち抜け!」
フロストノヴァが血を凍らせ、脆くなったそれをMon3trの蛍光色の光線が穿つ。だがすぐに新しく血が補填されその熱量は彼の守りを僅かに蒸発させるだけに終わった。
ニアールのアーツも圧倒的な質量を前にしてはそれを貫けない。
にも関わらず、大君の攻める手数はどんどんと増えていく。操れる血の量が加速度的に増えていることで、彼の領域が全周を覆い始めている。そしてその内側を満たすのは大地の裂け目から発生し続ける彼の眷属だ。単純な物量においても劣勢を強いられている。
遂には守勢で手一杯になったロドス。その拮抗は法陣が血を吸い上げるごとにどんどんと大君に傾いていく。
そして全周を囲む大君のアーツを切り裂くアーミヤの背後から鋭い血の棘が迫る。
「危ない!」
「! しまっ」
アーツと眷属の迎撃に影霄を振り切った状態のアーミヤは防げない。他のメンバーも届かない。
自分が貫かれる姿を幻視した彼女の頭上で、赤い流星が煌めく。咄嗟に気付いた大君が展開したバリアすら貫いて、それは大声を張り上げた。
「やらせる、もんですかああああ!」
それは紅蓮の炎を纏って大地に突き刺さる。エンジンの唸る音と共に、
遥か上空、未だその正体を掴ませぬ白鯨の亡骸から彼女はその身1つでこの大地に降り立ったのだ。アーミヤ達のように速度を軽減するでもなく、まるで流星のように。劣勢のアーミヤを守る為に。
そんな無茶ができる人物を、アーミヤは知っていた。
「アーミヤ、無事?!」
「ブレイズさん!」
やって来た援軍に顔を綻ばせるアーミヤ。しかしそれは一瞬だった。
ブレイズの体はあちこちから出血していた。切傷と見られるものもあればアーツの過負荷の影響と思われるものもある。既に満身創痍と言えるような有様だった。
「気にしないで。私は平気!!」
その動揺を感じたブレイズが一喝した事でアーミヤも調子を取り戻す。
四方八方から迫る赤い鞭を背中合わせになって切り捨てていく。蒼炎と紅炎が血を焦がす匂いが辺りに充満した。
頼もしい援軍が加わった事で崩れかけた均衡は何とか持ち直した。だが攻勢に出ることは難しい。既に周囲は鮮血の監獄となっていて攻めに意識を割けばすぐに呑み込まれてしまうだろう。這い寄る眷属達を切り捨てながらというのもあり単純に手数が足りなかった。
そこにもう1人、ブレイズの空けた穴からマントをはためかせ舞い降りる。
ブレントウードに向かっていた最後のエリートオペレーター、Logosは既にその骨筆を走らせていた。彼の紡ぐアーツが光の線となって周囲を漂っている。
「ブレイズ。その身から溢れだす血をこの領域内でそのままにするのは推奨できぬ」
「しょうがないでしょ、私のアーツの都合上、出血は必要経費なんだから」
「ならば暫し足を止めよ。我が骨筆が帳をおろす」
Logosが骨筆を走らせアーツを紡ぐ。完成した呪文によってサルカズの儀式の影響を弱められる結界が球状に展開され、中のアーミヤ達の出血は一先ず治まった。
だがそれも一時しのぎにすらならない。生み出された僅かな猶予で打開策を講じる必要がある。ドクターは戦闘に貢献できない分、勝ち筋を見出そうと思考を加速させていく。
この法陣を利用した呪いは大君が中心となって展開されている。そしてその恩恵が大君自身にも作用しかつサルカズ以外へは出血の呪いとして機能する以上長期戦は望ましくない。
だが近づこうにも祝福によって強化された大君は恐ろしいほど強く無限に湧き出る眷属がその領域を拡大していく。あと数分もしない間にブレントウード全体が呑み込まれるだろう。またその領域内では呪術の影響でサルカズ以外は常に出血を強いられる。この呪いが時間経過とともに強化されていくのならばいずれこの結界外では満足に動く事すら叶わなくなるかもしれない。
(時間が、足りない)
ブレイズは満身創痍。呪いの影響を受けないMon3trとサルカズであるLogosならば結界外でも活動可能だ。しかし、その2名だけであの何重にも折り重なった血のヴェールを剥ぎ取り致命傷を与えられるのかというと自信が無い。
(火力が足りない)
既に大地を埋め尽くす眷属の数は視界を埋め尽くすほどだ。倒しても倒しても無限に湧いてくる奴らを一網打尽にし、かつ集積された鮮血の壁を打ち破り、さらに大君に致命傷を与える必要がある。
そして、そんな方法は存在しない。それが短くも永遠のような時間の中で導き出した残酷な答えだった。
それを口に出す事が怖ろしい。まだ何かあるんじゃないかと、既に通った思考をもう一度なぞっていく。だが出る結論は同じだった。
ドクターはそんなことをおくびにも出さなかった。それに気づいたのは、魔王の力を持つアーミヤ。
そして、今の彼を最も長く深く支えてきた彼女だけだ。
「私が止める。アーミヤ、後を頼む」
フロストノヴァが、一歩前に踏み出す。残された声は淡々としたものだった。
その肩を思わずドクターが掴む。こちらを振り返らずに進む彼女が、どこか遠くに行ってしまう予感がした。最近熱を取り戻し始めた彼女の体は、未だにひんやりとしていて冬に積もる雪のようだった。
驚いたのか目を丸くしてフロストノヴァが振り返る。だが彼女はすぐに笑顔を取り戻した。
行かないでくれと、言葉にもできず縋るしかない男に彼女は問いかける。
「ドクター。お前はあの日、私の夢を叶えると誓った。それは今も違いないか?」
「もちろんだ」
その返事にそうか、と。大切なものを胸に仕舞いこむように、フロストノヴァは笑った。
いつか、誰とも気兼ねなく触れ合いたい。そんな当たり前を奪われた彼女に彼は誓った。いつか冬の呪いから、彼女を解放して見せると。
まるで御伽噺のようだと思った。だが彼なら果たしてくれるのではないかという期待があった。だからといって彼女はただ救われるのを待つだけの姫になるつもりはなかった。彼とともに、仲間と共に、その理想を実現するために武器を持ち、命を懸ける事が出来るのがフロストノヴァの誇りでもあるのだから。
例えその先で、この身が凍てつこうとも。
彼は誓いを破らないと。そう信じている。
「なら私の返答も変わらない。
その言葉だけを残して、再び彼女は鮮血の儀式場へと歩いていく。
結界の幕を抜ける。たちどころに肌はひび割れ血が滲みだす。それをものともせずフロストノヴァは彼女を見下ろす大君を見据えた。先程までの瞳の温かみは消え、氷を彷彿とさせる冷たい眼光だった。
「無粋な。たかがコータス如きにこの場に立つ資格はありませんよ」
まるで飛び回る蠅を払うがごとく、大君は腕を軽く振るっただけだ。
それだけで血の眷属が雪崩を起こし襲い掛かる。単純故に覆しがたい数の暴力。
「血は凍てつき脈動は止まる」
向かう血の眷属の動きが鈍くなる。その体表を霜が覆い始めた。
そしてそれらは彼女に触れる前に氷のオブジェとなり、そして自壊した。
「ほう」
感心する声がする。だがそんな事は彼女にはどうでもよかった。
ただ近づいていく。倒すべき敵に。一歩一歩、己の内の奥底に意識を沈めていきながら。
「~~~♪」
唄が聞こえた。
いつか彼女が歌っていた、誰かのための子守唄。そして全てを凍てつかせるアーツの詠唱。
フロストノヴァはイグナスから渡されたアーツユニットを仕舞いこむ、何故ならこれからしようとしていることには必要の無いものだから。代わりに彼女は胸に手を当て朗々と言葉を紡いでいく。
いつかイグナスが行った、体内の源石結晶を媒介としたアーツの行使。鉱石病の悪化と引き換えに、それはさらなるアーツの深淵へと手を伸ばしていく。
詠唱に伴いフロストノヴァの周囲が一気に白く染まった。
最初は冬の訪れのように、次第にそれは吹雪の只中の如く激しさを増し、大気を凍えさせていく。
彼女が一歩を踏みしめる度、薄氷を割る音が響く。
大地が凍り付いた。そこから溢れ出していた眷属の蠢く音も止んだ。
彼女は独り、冷たい冬の中を歩んでいく。その道を遮るものは1つもない。
全てが彼女の前に動きを止める、そんな白く塗りつぶされた世界で、彼女は独り歌っていた。
(そうか。この為だったんだな)
フロストノヴァは運命というものを信じない。彼女の前にはいつだって先の見えない暗闇しかなく、暗中を仲間とともに照らしながら進む日々だった。だが初めて、彼女はそれを信じそうになった。
イグナスと出会っていなかったら。彼の援助を受けていなかったら。自分はこうやって1人冷たい孤独の中でその生を終えていたのだろう。あるいは、誰かに看取られながらもその人の傷となっていたのかもしれない。
だが、彼との遭遇が自分に猶予を与えたのだ。
兄弟達との温かい日常も、父との穏やかな会話も、悪友との下らない喧嘩の日々も。
それら全てが、フロストノヴァを
自分の冬の呪いが遠ざかっていったのは。
今ここで、ロドス最大の壁を打倒するためだったのだ。
「何、これ・・・」
その時、Outcastの命令で血の眷属を撃退し避難民を誘導していたロドスのトランスポーターが計器を信じられない目で見つめていた。
彼女が見上げるのは先程までいた都市の中心部。不気味な赤い光の柱が、白い靄に覆われ始めていた。
「あそこを中心に気温がどんどん低下しています! ありえない、
もはや生者の領域ではない。空気中の酸素や窒素すら液体化する程の極寒の中、冬に愛された彼女だけは悠然と進んでいく。
源石結晶が急激な温度差に罅割れ光を失った。戦争法陣が徐々に輪郭を失っていきその効力を失う。
「・・・なるほど。巨獣に魅入られでもしましたか」
血が赤い結晶となって宙を舞い始める。乱れ撃った血のアーツが中空でその動きを止め、そして砕け散ったからだ。
綻び始める血のヴェールを認めながらも、大君は退かなかった。それは彼のプライドによるものだったのか。サルカズでも、魔王ですらない。異種族の魔王に侍るたかが臣下の1人から逃げ出すなど彼には耐えられなかったのか。
それでも言える事はただ1つ。
彼の攻撃の全ては彼女に届くことすらなく、絶対零度に達した彼女の領域に入り遂に彼は氷像と化した。
ドラコの炎と激突し、サルカズの英雄の弾丸に胸を撃たれた彼に待っていたのは、そんな形容しようのない孤独な最期であった。
大地の淡い輝きが治まった。もう血を啜る音は聞こえない。
各地のサルカズへの祝福も消え、盛り返していくロドスやレユニオン。
「フロストノヴァ、もういい!」
だが、まだ終わっていない。
アーミヤが大君の生命活動が停止したのを確認して、急ぎフロストノヴァに駆け寄ろうと走る。
だが彼女らは近づくことができなかった。全てを氷像と化すその領域が今なお彼女を閉じ込めているからだ。その領域は吹雪の只中のように先が見通せず、中がどうなっているのかすら外では伺えない。
アーミヤが剣を振るう。だが道が開くのは一瞬ですぐに空間ごと凍てついてしまう。繰り返し振るってもそれは同じだった。
ドクターの手元のPRTSが警告音を鳴らす。その中心で源石の活性が異常値に至っていた。
「聞こえていないのか!?」
ブレントウードには彼女の澄んだ歌声が響いている。
「フロストノヴァ!!!」
だが春の訪れを告げる祝砲は今だ鳴らず。
吹雪は、未だ止まないまま。
「頼む。私を、彼女に元に連れて行ってくれ」
次回、氷解
「私達でフロストノヴァさんを、助けます!」