隣に立つ彼に、テレジアは尋ねた。
「恐くないの?」
「そなたはバベルを建てた時、自分に向けられる剣を恐れたか?」
「・・・また多くの人が死ぬのね」
「これは戦争である。彼奴との、万年も続き、終わりの見えない戦争だ」
異論があるかと彼は尋ねた。しかしそれにテレジアはないと告げた。
「・・・」
彼女の賛同が、テレシスには小骨のように引っ掛かっていた。
ザ・シャード ?階 大広間
タルラとテレシスの剣撃の音が広間を幾度も震わせていた。
灼熱を纏った斬撃が大気を撹拌する。冬を迎え寒々しいヴィクトリアにも関わらずそこは真夏のシエスタよりも遥かに熱気が籠っていた。その中心にいる両者の戦いは荒々しくも武の極みに手を掛けた者特有の美しさを内包している。
浄化の炎を纏ったタルラが果敢に攻め、それをテレシスは想像を絶する技量でいなし続ける。攻守は片時も入れ替わらず、その拮抗はタルラ攻勢のまま数十合と続いていた。
何故テレシスは耐えるだけなのか。それには2つの理由があった。1つはこれがあくまでもザ・シャードの起動までの時間稼ぎに過ぎないからだ。いずれザ・シャードはロンディニウムの上空に天災雲を発生させ、源石に対する耐性の強いサルカズに戦況は大きく傾くだろう。テレシスの目的は目の前のドラコに打ち克つことではなかった。
そしてもう1つは相性の問題。
タルラの連撃を巧みな足捌きで避けるテレシス。だが赤霄剣術を修めたタルラの一閃は音すら置き去りにする。一撃だけでも必殺となるそれを淀みなく繋ぎ合わせ振るう様は折り紙にも似てもはや芸術とすら言える。それは次第にテレシスの影を捉え始め、今再びその身に届いた。
テレシスは止む無くタルラの剣を手にした無骨な両刃の剣で弾く。タルラのそれに見劣らない程の速さ、それに長年戦場を渡り歩いた戦士としての勘が拍車をかけ的確に衝撃を外に逃がしている。通り抜けた斬撃の余波は壁を抉り砕けかけのガラス窓を粉微塵にした。
だが暫し距離を取ったテレシスの表情は険しい。手にしたその剣の刃先は歪み、波打つように削り取られていた。
タルラの纏う熱はその体を貫こうとした槍の穂先でさえ傷をつけるどころか逆に溶け落ちてしまう。当然この高速の駆け引きの中で痛打を狙うべくもなく、彼女の振るう剣の刀身すら本来は触れるべきものではない。
この奥義を以てして早々に武装解除を試みたタルラにとって予想外だったことは、テレシスの卓越した剣の技量によってそれが未だ彼の手に残り続けている事だった。赤霄の剣を見切り、避けきれぬと判断した一撃のみ振るわれた剣の側面を狙って接触が最低限となるよう弾く。言葉にしてみれば一文で終わるそれを実現できる者が果たしてこの世に何人いるだろうか。
タルラは目の前の武人に対する認識を再度改めた。強い信念を抱える、倒すべき巨大な壁と心得た。紛れもなく彼は英雄。かつてカズデルを滅ぼさんと侵攻してきた各国の連合軍を退けた六英雄の1人。
生半可な覚悟では倒せない。決意は力となりその剣撃を速く重くした。その変化に気付いたテレシスもまたギアを上げる。より一層激しさを増した攻防は遂にイグナスの視界にすら映らなくなりつつあった。
状況が動いたのはそれから数分もしないうちの事。
最初に気付いたのはイグナスだった。タルラとテレシスの戦いの行方を追っていた彼だったが、突然空気が変わったことで空を見上げる。仄暗い気配が空から自分達を押し潰そうとしているように感じた。
直後、ザ・シャード全体が激しい揺れに包まれる。凄まじい攻防の余波は大気を震わせステンドグラスに罅を入れており、砕け散った所々からロンディニウムの空が覗いている。それがここに来てさらに大きな振動が建物全体を襲ったことでその裂け目が広がり空の様相が明らかになった。
「あれは」
イグナスが呆然と呟く。青々としていたはずのそこは、既に赤黒く染まり始めていた。
イグナス達は気付きようもなかったが、この時遠く離れたブレントウードで大君がその血からティカズの血を精錬した。そしてリッチの秘術によりこの場へと転移してきたそれは、儀式の準備を終えその第一段階へと手を掛けたのだ。
ザ・シャードが起動する。
その圧倒的な巫術反応が大気を振るわせ、塔の頂点に赤黒い雲を形成し瞬く間に広がっていた。色を変えた空。不気味な赤雲は日の光を遮り大地を血の色に変えていく。ロンディニウムの上空が天災雲に覆われ大気を活性源石が満たしていく。
「タルラ!」
叫ぶ声にタルラも状況を把握する。ザ・シャードが起動し天災雲が生まれてしまった。もはや猶予はない。一刻も早く彼を倒しその制御を奪うかこの塔そのものを破壊する必要がある。
「どうやら鮮血の王庭はその役割を果たしたようだ」
タルラから片時も目を離さないテレシスもその反応に納得したようで1人呟いた。
当初の計画では大君はこれまで準備していた戦争法陣を起動したのち、その祝福の恩恵を利用しティカズの血を精錬する。そしてそれを触媒として原初の源石であるアナンナを降臨させる手筈だった。
アナンナ降臨の儀式については聴罪師の弟子の1人であるサルースが担当する。ティカズの血精錬後はここザ・シャードにて儀式を行う事になっていた。ザ・シャードが齎す天災雲は儀式を加速する作用があるからだ。
「どういうことだ?」
「ザ・シャードが起動した。これは大君が太古の血を蘇らせ、我らが運命を討ち滅ぼす手筈が整ったということだ」
タルラの問いにテレシスが答えた。運命を討つ。抽象的ながらその言葉はいやに重く感じられる。タルラの攻勢が緩んだ隙をつきテレシスが大きく距離を取った。そしてテレシスは対する2人に語り聞かせた。
ザ・シャード起動があくまでも前段階に過ぎない事。この儀式が原初の源石をサルカズが再び手にするためのものである事。アナンナこそが、サルカズを終わりなき争いの循環から救う鍵である事。
それらはイグナスの原作知識にすらない知識であり、流石の2人もこれには驚いた。そしてそれを態々語って聞かせたテレシスを疑念の眼差しで見つめた。
テレシスがそれを包み隠さず明かした理由はそこまで大したものではない。彼の目的は一貫して時間稼ぎだ。ザ・シャードの制御室へと向かわせないため、加えて今はタルラの纏う炎の鎧が剥がれるのを待つため。いずれ明らかになるであろう事柄を隠し続けるよりも動揺を誘い今この瞬間に利を齎す事を優先した。
当然、そんな計画を聞かされては黙ってなどいられるはずもない。天災雲だけでも活性源石を撒き散らし大量の感染者を発生させる危険がある。その上、アナンナという危険な遺物を利用されればどうなるか分からない。
タルラは今一度周囲を見渡す。広間の奥には上の階へと繋がる幅広の階段がある。そしてその直前に立ち塞がるテレシスの姿。彼を倒すより他に、道はない。
「悪いが押し通る!」
タルラは浄化の炎を辺りに撒き散らし物理的に逃げ道を塞ぎにかかる。広間全体が煌炎で満たされ、剣圧で防いだテレシスの周囲も四方八方を囲まれた。
足を止めたテレシス。そこにタルラが大上段に構え一気に迫る。
逃げ場はなく、対するテレシスも迎撃の構え。タルラの頭上で刀身に収束した炎が白光を放ち広間を照らす。
振り下ろすは一刀一足の間合い、テレシスの剣域よりも僅かに外。カウンターはない。そして剣そのものではなく斬撃に乗せ放出する浄化の炎で焼き切る。それ故に意志を絶つ無形の刃は剣では防げない。
詰将棋にも似た王手の盤面を整えたタルラ。
同じ赤竜の末裔すら下した断罪の一閃が放たれる。
「『暁光が闇夜を切り拓く』」
「!」
目を見開くテレシス。振り下ろされた一刀は音を超え、光に迫る斬撃はテレシスの正中を通り抜け炎の残滓を一直線に残した。
戦意を焼き去る絶技をまともに食らってしまったテレシスが、ゆっくりと前のめりに倒れていく。それを横目に見ながらタルラはその横を抜け奥へと走る。
制御室へ辿り着きザ・シャードを停止させる。制御できなければ残る余力の全てを捧げてその中枢部ごと破壊すればいい。
焦りで息が荒くなる。奥義を長時間使い続けて既に体力も限界が近い。時間は限られていた。目の前に聳え立つ階段は憎らしいほど長く続いている。自分のアーツがもつかどうか、足を動かしながら考えを巡らせるタルラ。
その背後で、大理石の床を何かが強く踏みしめた。
脳がそれを認識するよりも早く、タルラの全身が怖気立つ。
「タルラ!!」
それを防げたのは奇跡に近い。イグナスの叫びと本能からの警告が、背後に剣を構えさせた。
直後、今まで感じた事のない衝撃がタルラを吹き飛ばした。階段の縁を幾つも欠けさせながらタルラは階段を上に向かって転がっていく。痛む体を押さえながら、タルラは信じられないという顔でそこに立つテレシスを見た。
先程倒れかけたテレシスが踏みとどまり、そしてあろうことか背後を抜けようとするタルラに踏み込み渾身の一撃を放ったのだ。もしイグナスの声が無ければまともに食らっていただろう。あまりの衝撃と斬撃の鋭さにタルラを守っていた炎の鎧は今ので完全に解けてしまっていた。
しかし剣を振り切った体勢のテレシスもどうやら無傷とはいかなかったようだった。もし今の一撃が先程までのテレシスから放たれたものであったのなら今頃タルラの首と胴体は生き別れとなっているはずだった。そうなっていないという事は彼が本調子ではないということ。
「な、ぜ?・・・確かに私の一撃を、受けたはず・・・」
だからといって変わらず敵に対し剣を振ることができた事は異常である。タルラの業火は対する者への敵意すら焼き尽くす。あれだけ真っ向から直撃しておきながらその戦意を保てるとは思えない。
だがテレシスは今もその剣を手放さず、タルラ達を通すまいと立ち塞がっている。一体、何が彼を突き動かしているというのか。
「いや、タルラのアーツは確かに効いた。だがあいつはまだ立ってる。それはつまり、そういうことだろう」
テレシスを見つめる。肩で大きく息をしながらなんとか立っている、そんな様子だ。
イグナスはどうしても確かめたいことがあった。それはテレジアの記憶を盗み見た時から抱いていた疑念だ。
あの時、テレジアはテレシスを心から信頼していた。そしてそれは最期の瞬間まで変わらなかった。彼女が彼に抱いていたのは敵対する者への憎悪ではなく同じ道を行く同胞を置いていってしまう後悔だった。
あのテレジアがそこまで信頼していた人物が、他種族への恨みからこの戦争を起こすのか。ザ・シャードや飛空船というある種の抑止力となりうる兵器を生み出し、それらを利用して本当にテラの大地を戦火で覆うのか。そう考えた時どうしても違和感があった。確かに戦力の拡充は必要だっただろう。根無し草であるサルカズを1つにまとめ彼らを国として庇護するためにはそれだけの目に見える分かり易い強さが必要だ。だが、サルカズ対他国の構造を取ってしまえばどれだけ強かろうと為すすべなくまた滅ぼされるのが目に見えている。そう考えた時、イグナスはテレシスらの目的が戦争を起こす事ではないと悟った。
そして先程語られたアナンナという遺物の存在。
「テレシス。お前は端から戦争なんて望んじゃいない。いや、違うな。取れる手段がそれしかなかっただけで、本当の目的は別にある。さっきのアナンナとやらが関わっているのか? 運命を討ち滅ぼすって言ってたが、何をするつもりだ?」
「・・・」
運命を討ち滅ぼす。一見それは差別されるサルカズの地位向上のように思えるが、おそらくその本質は違う。彼はまだ何かを隠している。
沈黙の間にすっかり息は落ち着いていて、テレシスは口を開いた。消耗した体力を回復させようと時間稼ぎをしたのか、それともそこにまで至った彼に感心したからなのか。何故話す気になったのかは、テレシス本人ですら分からなかった。
「源石には、製作者が存在する」
突然の暴露。だがイグナスは驚かなかった。既にドクターが源石の製作者の1人だったとテレジアの記憶から知っているからだ。だがテレシスが言っているのはおそらくドクター個人ではない。遥か昔、ドクターとともに源石を生み出した旧人類の事を言っているのだろう。
その1人の名を、イグナスは知っていた。原作で記憶を失ったドクターがそれでも忘れなかった、女性の名前。
「プリースティス」
思わず呟いた名前を知る者はいない。一瞬怪訝な顔をしつつも、テレシスは続けた。
「旧人類の亡霊、あるいは管理者。神と呼んで差し支えない存在が、今も我らを縛っている。テレジアの役目はそやつから源石の権限を奪い我らの魂を源石から解放する事だ」
テラ文明は源石を軸に発展を遂げている。今や全てのエネルギーを代用する普遍的かつ重要な資源だが、実は源石そのものについて明らかになっている事実は意外にも少ない。
源石の正体については長年多くの者が解明しようと試み、そして失敗してきた。一般人は空気の存在に疑問を抱かないようにそれを既に当たり前のものとして捉えており、それに疑問を抱いた者もその基礎理論のブラックボックスさに手を焼き匙を投げた。
だがアーツに造詣の深い者の一部はそれぞれ独自の解釈を持っていた。テラで最も強大な術師と恐れられたリターニアの巫王、彼はその裏に旧人類の存在を読み取った。そしてサルカズの中で最もアーツを理解した魔王でありまた記憶を失う前のドクターと交流したテレジアはまた別の捉え方をしていた。
彼女曰く、源石とは全ての存在を内部に取り込み保存するための記録媒体である。
朽ちず、衰えず、対象を侵食し増え続ける源石。その中には別の次元、“内宇宙”という領域が存在しそこに源石の被害者が眠っているという。
サルカズはこの大地で初めて源石に接触した種族だ。それ故か源石との親和性が高く鉱石病に罹患しやすい。源石と深く繋がったことでサルカズは源石そのものに縛られることになってしまった。
鉱石病、戦争、アーツ。呪いと呼んでもいいその種族的特性。それは死を以てしても逃れられなかった。そしてそのあるがままを取り込まれたサルカズがその内宇宙とやらで何をしているか。
「我らサルカズの魂は死して尚源石の中に囚われ続けている。彼らはこの身に巣食う黒曜の輝きの中、終わりのない戦争に身を投じている。幾層にも連なった憎悪が現世の我らにまで聞こえてくるほどに」
それはまるで延々と再生されるビデオテープのようなものだ。死後に魂だけとなっても、彼らは記録された通りの戦争を演じ続ける。憎悪が記録され、それが今を生きるサルカズに流れ込み復讐への道を加速する。それが争いを生み死したサルカズが再び源石の中で憎悪を募らせる。サルカズと源石の結びつきがある限り、終わりのない敵愾心と滅亡の輪廻からは逃れられない。
テレシスが語るサルカズの死後の末路は、惨いという言葉すら生ぬるかった。
「テレジアはその最期に、源石の中で我らを見下ろす超越者の姿を見た。源石こそがいずれ来る終末を逃れる唯一の鍵なのだと。この大地が源石に覆われる事こそが、救いなのだと奴は言ったそうだ」
テラの文明はあくまでも源石が生んだ副産物に過ぎず、例え鉱石病が蔓延し感染者が差別され続けようと、終わりのない憎しみが大地を埋め尽くそうと、その結末は変わらないのだと。
それを聞いた時、テレジアとテレシスはともに戦うと決めた。
こんな源石を、運命を自分達に強いる神に抗うと決めた。
双子の片割れは今、飛空船でこのザ・シャードに向かっているはずだった。再誕したアナンナを制御下に置く事で源石の管理権限を奪い取るために。
それに対しテレシスの役目は単純で、しかしどこまでもでたらめだった。
「我は、神をその座から引きずり下ろす」
ヴィクトリアで戦争を起こし、軍事力を増強してサルカズの国家を盤石なものとする。テレシスは軍事委員会に従う全てのサルカズにそう約束した。それは嘘ではない。だが王庭の一部だけに共有された本当の目的は、そんな途方もないものだった。
その宣言にタルラは絶句する。タルラとて感染者だ。テレシスが明かしたサルカズの末路は他人事ではなく、感染者全体にも言える事だ。レユニオンのリーダーとしてそれをどう受け止めるべきか分からなかった。
一方のイグナスは、今もテレシスを見据えている。彼と目が合った。相変わらずテレシスの瞳は揺るがない。その下には長いことそのままなのであろう隈がこびり付いていた。
「どうやってその神様を倒すつもりだ?」
「奴は源石の奥に隠れ潜んでおる。アナンナはその玉座の元へと向かう鍵。それを取り込む事で奴への扉は開かれる。そして我は神と相対し、この剣で切り裂く」
柄を握り直し堂々と神を斬ると言ったテレシス。それだけでも驚くべきことだ。だがイグナスはそれよりももっと別の事に気が向いていた。
イグナスの瞳は人の奥底に浮かぶ感情を映す。最終目的を語ったテレシスの魂は、消える直前に明滅する蝋燭のような輝きをしていた。そんな魂をした人間が抱えているものは1つしかない。
「お前、死ぬつもりだろ?」
「・・・」
テレシスは答えなかった。それが答えだった。
「原初の源石なんて物を取り込んで無事で済むとは思えねえ。何より、お前からは死に急ぎ野郎のにおいがする。だったら俺は尚の事、お前をここでぶっ倒さなくちゃいけなくなる」
彼が浄化の炎で倒れるはずもない。彼は悪意を以て立ち上がったのではないのだから。ただサルカズの未来を憂い、その未来を掴み取る為にこの戦争を起こした。故に立ち止まらない。彼を突き動かすものは同胞への深き愛と、そして使命なのだから。
イグナスはそんな人間をよく知っている。強く凛々しく、誰かの為に戦うカリスマがあって、それでも少し不器用で。自分の事なんて二の次で。誰かを照らす魂の輝きは、太陽にも負けないくらいに燦爛としているのだ。
タルラがようやく立ち上がり、その剣を構える。テレシスもまた剣を構えた。
テレシスとタルラ、2人は鏡合わせのように向かい合っている。テレシスは背後のイグナスを振り返らないまま、彼の発言を今一度確認した。
「ここで、斃れよと?」
「そうだ」
「我に、膝をつけと?」
「そうだ」
剣も眼差しも向けられてはいない。それでも一言返すごとにその場の重力が強まったのではないかと錯覚する。それ程の重圧がテレシスから発せられていた。だがイグナスは臆することなく自分を貫いた。
「貴様は我を
「ああ。だから」
「その先を口にするな」
テレシスがイグナスの言葉を遮る。強い拒絶が滲んでいた。
彼は察していた。背後のウルサスがどんな感情を抱いて自分を下そうとしているのか。そのどこまでも傲慢な考えが彼には不愉快だった。
「我は誓った。我が半身に。最後まで運命に抗うと。我らを縛るそれを斬り伏せるため、長きに渡り耐え忍んだ。サルカズの同胞を死地に送り、誇りある敵兵を騙し討った。そして同じ理想を追っていたはずの彼女すら、サルカズ達を1つに統べるため謀殺してみせた」
テレシスの表情は揺るがない。その魂に映る感情すら凪いでいた。犠牲となった全てが彼にそれを許さない。人1人が背負うには重すぎる責務を背負って、それでも歩む姿はあるウェンディゴを想起させた。
「サルカズに未来を指し示し希望を齎す者として、これほど相応しくない者はおらぬ。我は剣でしかない。過去は彼女を妨げるものを、そして今はサルカズに立ち塞がるものを切り裂き道を拓くための剣。であればこそ、我はサルカズを縛る全てを断ち切る。安寧を許さぬ運命に、それを強いる神にすら身命を賭して刃を突き立てよう。貴様らにそれが担えるか? その我に、貴様は剣を下ろせと宣うか?」
(ああ、本当に。どれもこれも見覚えがあり過ぎる)
思わずイグナスは笑ってしまいそうになった。
今ではもう数年前の事になってしまったが、凍原で仲間と一緒にこんなような奴と派手に喧嘩をした。
「お前に似た奴を知ってる。そいつも背負った物が重すぎて、そのくせ1人で行こうとする頑固者だったよ」
「我は贄となるのではない。憐れみは最大の侮辱である」
「別に可哀そうなんて思っちゃいねえよ。ただなあ」
そう、これは好みの問題なのだ。
テレシスは、サルカズを救うために全てを懸けて戦おうとしている。その覚悟に貴賤などありはしないしその多寡を計るのは無粋だろう。
ただ、イグナスは許せないのだ。そんな風に戦ってきた人間が孤独に生を終わらせるのは。ここが終着点なのだと、そんな悲壮な覚悟よりももっと別の光景を見せたいのだ。
それは甘くて、ご都合主義で、非現実的な夢物語でしかないのかもしれないけど。いつか彼らが、その人生が一秒でも長かったことに感謝できるようなそんな結末を迎えられることを望む。
「俺が、そんな結末クソくらえって思ってるだけだ!」
それこそが、
イグナスがアーツユニットを展開する。暁の旗が風に揺れ、地を叩いた石突が大理石を砕く。テレシスを挟むようにタルラも剣を構えた。
今この瞬間、2人はテレシスを倒すことを最優先とした。ザ・シャードと天災雲に関しては一応対策は打っている。カスター公爵の元へ向かっているはずのシージ達が鍵だ。彼女が諸王の息とともに辿り着きさえすればあの天災雲を晴らす事ができる。ここに侵入する前、マンフレッドが刺客が向かったと言っていたが彼女達が無事に危機を乗り越え合流できていると祈るしかない。
「タルラ、悪いな」
「気にするな。救われるべき者を救うのが我々だ。君がそう判断したのなら、それに最後まで付き合う。そう誓っただろう?」
全く、何て果報者だとイグナスは思う。
どこに敵の親玉を救いたいなんて願う馬鹿がいるだろうか。
でも一度知ってしまったら、もう見なかったことになんてできない。テレジアの記憶を覗いた時、双子の始まりの誓いを見た。優しく温かかった彼女とは対照的に冷たく合理的だった彼だった。それでも、その内に宿る信念は彼女と同じほど強かった。魔王の王冠を掲げる2人は、同じ理想を追っていたはずだった。
そんな彼が、唯一の肉親を謀殺して、こんな戦争を起こして、悪魔の悪名を背負って、そのまま死んでいく?
そんなこと、許せるのか?
「ハピエン厨なめんなよ。お前なんか、俺の敵じゃねえ!」
イグナスがアーツを解放する。感情の波がテレシスを打ちその足を止める。変形者はすぐに無力化できたが、ここで膝をつかないあたりどうやらテレシスは骨が折れそうだった。
頑固者めとテレシスを内心罵倒する。
だがタルラの浄化の炎によって負の感情は焼き尽くされている。他者に対する敵意は心を守る鎧の役目を果たしている。それが剥がされたテレシスへのアーツはノーガードのぶつかり合いになるだろう。
アーツユニットを掴む手が震える。それをイグナスは無理矢理力で抑え込んだ。外気に晒された左の瞼がピクピクと痙攣している。意識が朦朧としぶれそうになる体幹を維持、それらを全て無視してイグナスは不敵に笑う。
(保ってくれよ・・・)
ハリボテの虚勢の裏側で。タイムリミットは近づいていた。
一方その頃、シージ達は襲撃され航行不可能となったウィンダミア公爵旗艦から乗り換え、一隻の移動戦艦で急ぎカスター公爵の元へと向かっていた。
ウィンダミア公爵は負傷のため退却せざるを得ず、ウィンダミア公爵が従えていた他の移動戦艦は抱えていた大量の避難民とともにウィンダミア公爵領へと戻っていった。だから今いるのは元から移動戦艦に配属されていたウィンダミア公爵軍の者とシージらグラスゴーの面々、Scout、現当主から限定的な代行権を与えられたデルフィーン、そして自分も戦うと自ら志願してきた一部の民間人だけだ。
「よかったのかデルフィーン。君の母上は重症だろう?」
「いえ、殿下。おかげで一命は取り留めました。それにも関わらずいつまでも後に引き摺るのはウィンダミア家の恥です。今は公爵の意向を全うするためにも私は貴女とともに戦います」
「殿下は止してくれ。ヴィーナでいい」
当主代行という重い役割を意識してか言葉が固くなるデルフィーンを宥める。
「しかし、状況は依然悪いままですね」
2人は背後をちらりと振り返る。そこでは移動戦艦の艦長が檄を飛ばしていた。そんな彼の後方にはロンディニウムの城壁が小さいながらも見えた。その上空は既に赤黒く変色し、不穏な雲がみるみるとその勢力を拡大し今や自分達を追い抜いてしまっていた。
移動戦艦に取り付けられた各種センサーが既に外の源石粉塵が危険域に到達しているとアラームを鳴らしている。
天災雲の人為的な発生。軍事に関わるものとしてこれほど脅威と感じられるものがあるだろうか。しかも今はそれが自分達に矛先を向けているというのだから笑えない。彼の指示の熱の入りようも頷ける。
ザ・シャードが起動してしまった以上、作戦は次善の策を遂行するしかない。万が一に備えてアレクサンドリア殿下、シージの持つ諸王の息をカスター公爵旗艦に届け天災を退ける機能を発揮してもらう。既にあれが起動してしまっている以上迅速な合流が求められる。
にも関わらず。
「カスター公爵の艦隊がサルカズによる襲撃を受けているとのことだったな」
「おそらくロンディニウム外周で戦艦を警戒していたサルカズ軍でしょう。加えて巨大な源石潮の影響で航行不可能とのことです。私達が合流するためには、こちらから近づくしかありません」
つまりシージ達はカスター公爵軍を包囲しているサルカズ軍を突破しなければならない。無線から流れてきたその数は千を優に超えている。加えて移動戦艦を有するカスター公爵軍が足止めを食らっているのだ。敵にも相当な強者がいると予想できる。大君の脅威を知っている彼女らは無意識に震える手をもう片方の手で押さえた。
移動戦艦が荒野を疾走する。そして遂に地平の先に何かが見えた。
「見えました、カスター公爵軍です!」
「観測手、状況を報告。敵の規模は?」
艦長の問いにも関わらず、観測手は言葉を失っていた。
「観測手!」
「は、はい! 敵の数、およそ5千。カスター公爵軍艦隊、ほとんど壊滅状態です!」
「何だと!?」
観測手のレンズの先には、地獄のような光景が広がっていた。
地平を埋め尽くすサルカズ軍。そして上空にも幽鬼のような何かが浮かび時折艦隊に攻撃を加えている。
一方でカスター公爵軍の方は悲惨だった。旗艦はその下から巨大な源石クラスターが舳先を持ち上げ完全に浮き上がってしまっている。あれでは航行など出来ようはずもない。身動きの取れなくなった旗艦を守ろうと他の移動戦艦が周囲を固めているが、上空を飛ぶ敵の対処に手が追い付いていない。
その間に懐に潜り込んだサルカズが巫術砲をひっきりなしに放ち舷の装甲を削っている。歩兵が何とか押し返そうと地上に降りているようだがそれすらサルカズ軍に劣勢を強いられている。
一刻も早く加勢しようと艦はその速度を上げる。それに対し、サルカズ軍も反応を見せた。背後のこちらに対し動き出す様子を観測手が報告する。
「敵がこちらに気付きました。砲撃隊、そして上空を飛行する正体不明の一団が向かってきます」
賢明な判断だろう。いくら多勢とはいえ歩兵ごときで突っ込んでくる移動戦艦を止めることはできない。砲撃で足を止める、もしくはその装甲を削るのは移動戦艦を持たないサルカズ軍として取れる唯一の選択肢だった。
サルカズの砲撃部隊はこちらに接近しつつ左右に分かれ、真ん中に道を開ける形で展開した。敵の飛行部隊に関しては縦横に見事な列をなし突っ込む移動戦艦に接近している。道の遥か先にはカスターを包囲する敵歩兵の背中が見えていた。
(誘われている? いや、必ず撃退できると確信しているかのようだ)
艦長は敵の布陣を見てその指揮官の意図を探った。あれでは中央を通り抜けろと言っているようなものだ。左右の敵軍と砲弾の応酬を繰り広げながら走るだけで突破できてしまう。
ウィンダミア公爵軍でも古株の彼はリターニアとの戦争時も活躍した軍人だ。だがその経験が告げている。敵の指揮官は間違いなく、歴戦の名将だ。
何か策があるのではないか。そんな疑念が首をもたげる。そしてすぐに艦長はその直感が正しかった事を思い知らされる。
「艦長!」
「どうした」
いくつもの計器の前に電測員が立ち上がり声を上げる。
「進路上の源石活性が急速に上昇しています。このままではおそらく数分以内に源石嵐が発生します!」
「! くそ、まさか狙ったのか!」
観測手が急ぎ前方の様子を再確認する。展開した砲撃隊の手前で旋風が渦を巻き始めていた。
源石嵐はただの嵐ではない。その中は天災雲により発生した源石が吹き荒れる鑢のような空間だ。活性化した源石は計器を狂わせ些細な衝撃で爆弾へと早変わりする。そこを抜ける場合艦の被害は甚大だろう。だがもし速度を落とし迂回しようとすれば砲撃隊と敵の謎の飛行部隊のいい的となる。
艦長は唐突な二択に対し、迅速に決断した。
「このまま嵐を突っ切るぞ! 機関員、速度を最大で維持。隔壁を下ろして内部への被害をできるだけ減らせ」
速度をさらに引き上げ源石嵐の規模が拡大する前に突破する。彼は肉を切らせ骨を断つ道を選んだ。
悔しいが見事な戦術だ。あちらでは覆しようのない移動戦艦と言うエースを天災というジョーカーで崩された。
天災を発生させる力の精度を見誤っていた。艦長は拳を震わせつつも、思考を切り替え為すべきことを為す。
「殿下、デルフィーン嬢。お話があります」
「どうした?」
艦長は2人に向き直り、ここからの唯一の打開策を告げた。
「嵐を抜けた後、おそらくこの艦も航行不可能になるかと思われます。ですので殿下らには自力であの包囲を突破していただく必要があります。ですので急ぎ甲板に上がる準備を」
「・・・そうか」
「艦でできるだけ距離を縮めます。殿下らが地上に降りたのち私どもは砲撃で援護いたしますので、そこを駆け抜けてください」
ウィンダミア公爵からの命令を果たせそうにない。艦長の表情は無念と言うほかなかった。敵の布陣に対し、こちらが出せるのは艦1つに収まる程度の人数だけ。
はっきり言って、無謀に近い特攻だ。
「殿下らを戦場に放り出すような事態となった事、誠に申し訳ありません」
艦長の悔しさと不甲斐なさがない交ぜになった謝罪を前に、シージは彼の肩に手を置いた。
「気にするな。援護は頼んだぞ」
彼女の言葉はまるでこの程度大したことはないと言っているようだった。そんなはずはない。戦力差は単純に10倍を超えている。いくらカスター公爵軍と挟み撃ちの状況とはいえ、その戦力差は埋まらない。
そんな絶望的な状況である事を進言しようとして、伏せていた顔を上げた。艦長の喉から出かかった言葉は、寸での所で押しとどめられた。
黄金の瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。その視線には有無を言わせぬ確かな熱があって、歴戦の軍人である彼が気圧された。
「ここまで連れてきてくれた事感謝する。ここからは私の務めだ。ヴィクトリアを天災から救うこの剣は、必ずカスターに届ける」
言葉に質量が宿り、耳にした者を奮い立たせる。シージは皆を率いるための才を開花させていた。
それに続きデルフィーンが艦長の前に立つ。背の低い彼女だが、射貫く視線はソードガードの光のアーツのように鋭い。容姿だけではない、その纏う雰囲気に彼は当主の面影を見た。
「当主代行として命じます。任務は依然継続中です。貴官はウィンダミア公爵軍の艦長として、最後まで務めを果たしなさい」
彼女が言ったのはたったそれだけの事だ。だが、こと戦場にあってはそれは重たい意味を持つ。
デルフィーンは今、その命を使い尽くせと他者に命じた。それはその命に責任を持つという事だ。この戦闘で犠牲になるであろう全ての者を死地に送る事になると、理解した上でそれをした。
それは残酷で、だからこそ強い覚悟を求められる。
「は! 確かに承りました!」
ウィンダミアの軍人として、未だ少女といえる跡継ぎがこれほどまでに成長していたことを嬉しく思う。
それを噛みしめながら、艦長は艦内無線を手に取った。
「総員聞け。我らはこのまま源石嵐を抜けできる限りカスター公爵艦隊に接近する。途中、この艦は航行不可能となることが予想される。よって最低限の運航に必要な人員と砲撃手を除き、戦闘員は各種装備を整えた上デッキに上がる準備を整えよ。以降、君達の指揮権は殿下に委譲される。なんとしてもヴィクトリアの希望を送り届けろ!」
無線が終わると歓声と同時に艦内が忙しない音を奏で始める。艦長は一度瞑目してその音を聞いた。そして目を開き顔を上げ、シージ達に行くよう言った。
その覚悟を受け止めたシージは一度拳を握りしめ、そのままブリッジに降りる階段へと向かった。デルフィーンもその後を続いていく。
その背中を何人もの視線が見送る。気付けばブリッジの殆どが起立しヴィクトリア式の敬礼をシージ達に捧げていた。
振り返ることの無い彼女らに、艦長はエールを送った。
「殿下、お嬢様。ご武運を」
「死中に活を見出すか。よいぞ」
生まれたての源石嵐へと速度を上げ突っ込んでいく一隻の移動戦艦。ヴィクトリアの上空で老人がそれを見下ろしていた。
艦長の予測通り、もし迂回路に向かっていれば速度を落とした移動戦艦など鈍くてデカい鉄の的。すぐさま巫術砲と飛行部隊で蜂の巣にしていたところだった。
だが敵はすぐさま速度を上げた。僅かに早くその判断を下したことで、前線は老人の予想よりも詰められるだろう。
だが構わない。むしろそう来なくてはと老人の心が湧き立つ。
戦場とはそういうものだ。互いに戦略を練り、戦術で殴り合い、戦力で敵を圧倒する。その応酬はより多くの屍を生む。その循環こそが彼らの司る根源そのものなのだから。
「今ここに、戦の支度は整った」
彼の背後では源石に足を取られた艦隊が必死の抵抗を続けている。だがそれもじきに片付くだろう。
ナハツェーラーの軍勢がゆらりと列を成す。幽鬼のように朧気で、しかし圧倒的な死を予感させるそれらは彼の枯枝のような杖から無尽蔵に湧いてくる。
霊骸布と呼ばれるそれら。かつて骸を包んでいた布に過ぎなかったそれは、彼の力により骸が干からびてなお死を貪らんと空を漂っている。瞬く間に空を覆い始めゆらゆらと大地に影を落とす。
そしてその足元で暗くなっていく大地では数千を超えるサルカズの兵士と、その身の丈を優に超える枯木が列を成していた。明らかに尋常のものではないそれは目に見える速さで成長を続け、続々とナハツェーラーの使徒へと姿を変えていく。
膨れ上がっていく戦力。それはドゥカレが起動した戦争法陣を彷彿とさせる。
『サルカズの巫術は多かれ少なかれ生と死の循環に深く関わっています。この地が戦火に包まれれば、それだけ彼らにとって有利に働くでしょう』
かつてシャイニングはサルカズの巫術をそう表現した。サルカズは戦争を支配する。であればナハツェーラーこそがもっともサルカズらしいサルカズだろう。
ナハツェーラーが司るは死そのもの。包帯のような白布に覆われた肉体は戦地でこそ奮う。
「行け、勇猛なる戦士達。その方らの命は吾輩が預かろう。敵を飲み干し、鋼鉄を裂け。その屍が汝らを祝福しよう」
号令をかけるその老人の肉体は余すことなく布に覆われていた。彼の体躯を覆うのは一枚の巨大な布、それが古いサルカズの軍旗と知る者はいまやほとんどいない。そして顔に当たる部分は暗闇に覆われ、白布の奥からしわがれた声が戦場にやけに響く。
「吾輩がいる限り、戦場は我らの味方である」
彼の名はネツァレム。ナハツェーラーの王、宗主、六英雄の1人、生ける伝説。彼の前では全てが腐り落ち、その骸を包む布が新たな霊骸布となり敵を襲う。長きを生きた賢人でもある彼は魔王の双子を始め、あのパトリオットの師として戦争の術法を授けた。
彼を形容する言葉は数あれど、この場では最も相応しいものがある。
曰く、10倍の戦力差をものともせずヴィクトリア軍を押し返した。
曰く、六英雄のバンシー、ラケラマリンと肩を並べ敵の悉くをカズデル城壁の下に沈めた。
曰く、テレジアとともにリターニアの術師を1000人討ち取った。
数多の戦況を覆し、敵兵に死を刻む指揮官であり戦士。戦場の支配者。
戦神、ネツァレム。
シージ達が超えるべき壁は、果てしなく高い。