明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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少し短いですが、昨日に引き続き投稿します。


第八十四話 不明 ミスティファイド

「お前は、何者だ?」

 

 テレシスが訝し気にイグナスを見つめている。

 

「…」

 

 イグナスは沈黙を保ったままだ。不気味な単眼がテレシスを見つめ返す。

 

「イグ、ナス?」

 

 タルラが彼を呼ぶ声にすら反応しない。

 

 明らかに何かがおかしい。テレシスとタルラの2人が警戒を強める。その前でイグナスはレユニオンの旗を左手に持ち替え、ゆっくりと腰元に手を回した。その手に握られているのは、イグナスが愛用する短剣型のアーツユニット。

 

 

 直感でテレシスは大きく身を屈めた。その上を何かが横薙ぎに通り過ぎた。攻撃されたのだと遅れて気付きテレシスは反撃に出ようとするが急制動し今度は左に飛び退く。さっきまで立っていた場所に黒い何かが振り下ろされた。地面に叩きつけられたそれは床を割るどころか音すら立てず再びテレシスへと斬り上げられる。

 

 テレシスとイグナスの距離はそれなりに遠い。少なくとも一刀足の間合いとは言えないはずだ。だがイグナスは一方的にテレシスにアーツの剣を振るい続ける。それをどうにか避け続ける。長く伸びるその刃を受けてはいけないと本能が告げていた。

 実際、それは正しかった。イグナスのアーツの剣は物質的な干渉を受け付けない。テレシスにその刃を防ぐ術はなかった。

 

 一方、タルラの額には冷たい汗が流れていた。

 先程から、彼らしくも無い一方的な攻撃。救うと決めたテレシスの魂を両断しかねない一撃を躊躇なく振るっている様子もおかしい。

 そしてなにより。

 

()()()()()()?」

 

 タルラはイグナスのアーツを知っている。初めて出会った時、非道な監視隊から自分だけではなく村そのものを守ったあの瞬間は目に焼き付いている。雪に似て白く鈍く輝くその刀身は、とても綺麗だった。だが今イグナスが横薙ぎにしたアーツの剣は宙に墨を垂らしたような漆黒の残滓を残しており、しかもその長さは剣の間合いを明らかに超越している。

 

 普段の彼のような明るく包み込むような温かみは何処にもない。ウルサスの吹雪のような、敵対する者全てを凍てつかせるような冷たさと荒々しさがあった。

 

 猛攻を掻い潜りテレシスがイグナスに迫る。袈裟斬りの剣を短剣で受け止めたイグナス。両者の視線が間近で交差する。

 

 

「仕立屋と衛兵の双子。その片割れが今や王を名乗るとは、面白い」

「!」

 

 それはイグナスの声をしていた。にもかかわらず、まるで別人のように聞こえた。冷たく慇懃で不遜な振る舞い。貴族のような言葉遣い。

 

「サルカズの英雄よ。()()()()の大砲すら一時は押し返した貴様が、ヴィクトリアなどに骨を埋めるつもりか? 嘆かわしい」

 

 テレシスの剣が押し返される。膂力においてもまるで別物だ。例えウルサス人であったとしてもテレシスに敵うはずがないのに。

 イグナスの無形の剣が唐竹割に一閃される。テレシスは転がるように避け、開いてしまった間合いを悔やみながら再び回避に専念する。

 

「それならば()自ら引導を渡してやろう」

 

 

 空間を縦横無尽に蹂躙していく刃を見ながら、タルラは気付いた。

 

「まさか、お前は…」

 

 その正体に、1つだけ心当たりがあった。何度も、何度も、嫌になる程相手にした男だ。自身の目的の為ならば何者であっても貶める事に躊躇いはない。慈悲などかけない。上からものの理を説くような口調を、冷たい雪の国で氷より冷たい眼差しをした男を、タルラはよく知っている。

 

 ありえない。奴はイグナスが祓ったはずだ。タルラの内に潜む奴をイグナス本人がアーツで握りつぶしたはずだった。

 そこまで考えて、タルラは1つの可能性に思い当たる。

 

 

 その時、本当は斃せていなかったのでは? イグナスのアーツの特異性故に、奴の意識がイグナスに乗り移ってしまった?

 

 

 イグナスの視線が一度だけタルラに向く。だがすぐに逸らされた。今はただ、目の前の敵を排除するために意識を集中する。

 感じる圧倒的な存在感。ウルサスとカズデルの戦争を見て来たかのような口ぶり。そして傲岸不遜にもテレシスを下に見るその態度。

 

「ウルサスに潜む邪悪の化身。不死の黒蛇か」

 

 テレシスの問いにイグナスの口角が小さく上がった。

 答え合わせは済んだとばかりに、ゆっくりとテレシスに向かって歩き始める。

 

「私はウルサスの人々を愛している。この思いは千年変わらず、今もなおこの身は全て彼らの為にある」

 

 そう言ってのける彼は原作の暴君となんら変わらなかった。ウルサスの成長の為に戦争を起こし、戦火を以て国を鍛えるだけの暗躍者。

 そんな奴が今この場で目覚めた。警戒しないわけがない。タルラも突然の事態に胸をかき乱される。不死の黒蛇が、コシチェイがイグナスの体を乗っ取ってしまった。倒すわけにはいかない。だがどうすればいいのか見当もつかない。

 

 タルラの頭の中をどうすればが埋め尽くす。受け入れがたい現実に思考が追い付かない。

 

「だが貴様は言ったな。矮小なこの身では何も成し得ぬと。違うな。貴様はこの男を知らぬ」

「…え?」

 

 その一言が、タルラの思考を晴らした。

 

 イグナスの足が止まる。

 短剣を握った右手を見下ろし、それはゆっくりと顔の右半分を覆うように持ち上げられた。

 

「この男は傲慢にも、強欲に、ウルサスのみならず全てを救いたいと宣った。言葉だけならば私も嘲笑っただろう。だが証明し続けた。己の持つ全てを懸け、過去から未来に至るまで、その障害に楔を打ち続けている」

 

 不死の黒蛇はずっとイグナスの中にいた。そして彼の持つ全てを読み取った。こことは異なる世界の、平凡な男の人生。そしてそこで物語られた極めてこのテラの大地と酷似する世界の末路を。

 

 イグナスは無念に沈む感染者達を救い上げ、そして未来へ向けて布石をうった。その中には海に眠る脅威への対策すらあった。一国のみならず、全ての国が団結してもなお飲み込まれた惨状。その中には当然ウルサスも含まれる。

 

 イグナスに握りつぶされ、もはや残滓としか呼べないようなか細い存在となりながらも不死の黒蛇は彼の中に潜み生き続けた。

 そして1人の男の歩みが、大地を少しずつ変えていく様を見た。異種族の魔王と手を組み、旧人類の亡霊と縁を紡ぐ。あらゆる国から逃れ集まる感染者にとって、彼は闇を照らす篝火であった。

 自分の手から後継となるはずであったタルラを奪い取って見せた時のように、それは不死の黒蛇の価値観そのものを奪い去った。

 

 イグナスの視線が再びタルラに向く。呆然と見上げる()がそこにはいた。

 

 この男は必要だ。テラそのものの存続に。ひいてはウルサスのために。

 にも関わらず、目の前の男はその命を奪おうと刃を振り下ろした。

 

 それは断じて許せるものではない。この男は、イグナスは、不死の黒蛇(ウルサス)のものだ。

 

「あの先帝ですら成し遂げられなかった、全ての命を等価とする偉業。それはウルサスのみならずこの大地全てを覆いつくすだろう」

 

 イグナスの、いや、かつて大帝国を裏で操っていた亡霊の剣が蠢いた。

 

 その魂が形を変え、その奔流が背中から翼のように噴き出す。源石の奥に隠された右目が仄かに明かりを灯しゆらりと揺れる。

 剣に纏わりつく黒く濁った輝きはとぐろを巻き、その剣先がゆっくりと鎌首をもたげ牙を突き立てる瞬間を伺っている。

 

 イグナスのアーツを解放した不死の黒蛇が剣を掲げた。

 

「彼らの道に、貴様は不要だ。疾く歴史のうねりに呑み込まれるがいい」

 

 

 

 

 

ヴィクトリア郊外 荒野

 

 戦場において、その勝敗を決する要因は主に2つある。それは軍事力と戦略だ。

 どれだけ高性能の装備を整えられるか。どれだけの兵士を揃えられるか。物資の補給体制は十分な余力を持っているか。そしてそれらを的確に運用できるか。

 

 長く続く人類史は戦争の歴史でもあり、その時の長さの分だけ兵器はより洗練され戦術も研究されていった。原始的な石斧から始まり金属の武器、弓、銃、そして大規模な兵器。現代では射程も威力もその当初とは比べようもない。

 そしてそれらは予め大体は把握されているものだ。当然だ、無からいきなり兵を生み出すことはできない。軍事力はそのまま国力に紐づいており、敵の全容をある程度把握していれば凡その予想はつく。

 

 だからこそ、多くの戦術家は後世にこう残す。戦争の行く末は始まる前にほぼ決まっているのだと。戦争とは国と国の衝突であり、そこに個人の力量は影響しない。ことさら兵器の発達が著しい現代にあってはなおその傾向が強い。英雄が功を争う時代は幕を終え、システムと国の基盤から見たマクロな戦力こそが勝敗を決する世となった。

 

 

 それが、常識のはずなのだ。

 

 

「移動戦艦の外装甲、損壊甚大! まもなく航行不能となります!」

 

 ウィンダミア公爵軍の艦長である彼もまた、そのように考えていた。

 だがどうだ。今や自分達はこの戦場で唯一移動戦艦を保有しているというのに窮地に追いやられている。

 

 薄暗いブリッジには悲鳴じみた報告の声が溢れている。装甲は源石の嵐に鑢に掛けられ源石エンジンはなけなしのフィルターも意味をなさず大気に満ちる活性源石の影響で暴走状態。テラの人類が技術を結集し移動都市を作り上げたのはこの惨状から逃げおおせるため。そこに自ら突っ込むというのだからこうもなる。

 現在ブリッジに残る者は指示の通り本当に最低限の人数だけだ。いくつかの空席を非常用の照明と各種計器の光が照らしていた。窓は全て隔壁が下ろされており外の情報は伺えない。源石嵐の前では強化ガラスであっても薄氷のようなものだ。だからこそ隔壁を下ろす直前に見下ろした戦況とレーダーの反応をもとに、彼らはほぼ目隠しに近い状態で走っている。

 

「間もなく源石嵐を抜けます!」

 

 待望の時を知らせる観測手の声。しかし艦長はなお声を強張らせた。

 

「砲手は両弦方位角3024射角1828を維持、脱出の直後に砲撃を指示する。だがブリッジの隔壁解除はその30秒後だ、逸るなよ!」

 

 艦長の頭では既に源石嵐を抜けた後の戦場が見えていた。だからこそ、視界を開くのを態々遅らせた。

 暗中模索の中、抜け出してきた自分達を待つものとは。

 

「カウント開始。5,4,3,2,1,抜けます!」

「総員衝撃に備えよ! 砲手、撃てぇ!」

 

 砲弾を弾き出した砲塔が爆発音を響かせる。

 だがその行方を確認する暇すらなく、移動戦艦を激しい揺れが襲った。

 

 天地がひっくり返ったような衝撃に、艦長は手摺にしがみ付いて耐えた。

 

「損害報告!」

「左舷前方大破。主砲2基大破!」

「ダメコン急げ! 主砲は位置修正、両弦4020射角1715。撃てぇ!」

 

 予想される敵の居場所へ向けて咄嗟に相対距離と方位を見極め砲撃を指示。ノーガードの殴り合いを続ける艦長の前で外からの衝撃に歪んだ隔壁が不協和音をあげながらゆっくりと開かれる。

 

 

 その先には地獄のような光景が広がっていた。

 

 

 左右から自分達を囲うように展開した砲撃隊からいくつもの光が放物線を描いてこちらに向かってきている。空を駆けるそれらは流れ星のように見えるがそんなおめでたいものではない。

 それら1つ1つがサルカズ軍の巫術砲であり運悪く被弾した甲板にいくつもの大穴を空けていく。

 

 そしてブリッジと同じ、もしくはそれ以上の高さに浮かぶ布切れを纏った敵の軍勢。敵の指揮官たるネツァレムによって生み出された霊骸布の数はブリッジの窓の殆どを埋め尽くしていた。それがゆらゆらと空を滑るようにこちらに近づいてくる。

 

(源石の嵐を抜けたあとは砲撃の雨と亡霊の群れか。やってくれる)

 

 思わず悪態をつく。

 彼らは今か今かと待ち構えていたのだ。天災に足をもがれ弱った獲物が這い出てくるのを。移動戦艦という巨躯の歩みを鈍らせ纏わりつくように狩る瞬間を。

 

 敵はご丁寧に左右から囲い込むように砲撃隊の布陣を取っている。船首をかちあげられたカスター公爵旗艦を囲む歩兵の陣よりも遥か前に突き出た彼らは、そこに至る前にこの艦を止める腹積もりなのだろう。

 

「副砲は空の亡霊を撃ち落とせ! 奴らを砲塔に近づけるな!」

 

 霊骸布の狙いはおそらくそこだ。足も届かない、そんなこの艦にとって主砲は彼らに損害を与えられる唯一の武器だ。牙を抜かれればいよいよこの艦はただの獲物に成り下がる。

 艦長は彼らのもう1つの狙いには目を向けず、それだけに注力するよう命令する。それを察したブリッジの軍人全員が軽く笑みを浮かべた。

 

 ガラス越しに見える霊骸布は2手に分かれた。一方は高度を落とし連射砲をばらまく副砲のもとに。

 そしてもう一方は真っ直ぐ、ブリッジを見据えていた。

 

 艦長が顎を引き口角を上げる。

 その場の全員、既に覚悟は決まっていた。不気味な死の圧力を漂わせる霊骸布の群れを睨み返す。艦長の左手は久しく抜いていない軍刀の柄を撫でていた。

 

「後先の事は考えるな。とにかくできるだけ前に出るんだ。このままでは殿下らが歩兵と衝突する前に囲まれるぞ!」

 

 もはやこの移動戦艦がカスター公爵の旗艦と合流する事は叶うまい。だからせめてそこに向かうであろうシージ達の障害を1つでも多く排除する。

 

 艦長は艦内無線を手に取った。

 源石エンジンを全開に、砲塔は全て敵陣へ。

 

「さあお前達。最後の務めを果たしに行くぞ」

 

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