エンドフィールド絶賛プレイ中ですが、あの世界の1つ感動したところの1つとして、源石が人類の敵ではなく、むしろ人類存続のための鍵であり心強い仲間のような立ち位置になっている事です。
エンドフィールドはアークナイツから約150年後の世界らしいので、その間にどのような変化があったのか考察するだけで楽しいです。
個人的には、ワルファリン先生に早く会いたい今日この頃。
タルラとの馴れ初めは、まあ物騒なもんだった。
それは今から一年ほど前の出来事だ。下校途中、ふと廃れた倉庫の中でした物音が気になった。聞こえてくるのは複数人の男の怒声と、何かが割れる音。
放っておけばよかったのだろうが、もし大怪我を追っている人がいれば大変だ。そしてその思考に至った時点で見なかったことにするという選択肢は消えていた。
携帯を片手にいつでも通報できるようにしつつ角から奥を覗く。
そこでは1人の女子高生が大勢の不良に囲まれていて、今にも襲われそうだったから俺は思わず飛び出した。
まあそれもまったくの杞憂だったわけだが。
孤立無援にも関わらず、最初に殴りかかった大男は壁まで吹っ飛ばされ、次に別の不良が振り下ろしたバットは難なく躱され逆にバットの持ち主は顎を拳で振り抜かれた。
入り乱れる彼らの中で彼女、タルラだけが舞を踊っているように綺麗だった。
「うう……いてえ」
数分後、呻き倒れ伏す屍の群れの真ん中で、タルラは頬に跳ねた血を乱暴に袖で拭った。その暴力的な光景すら美しく見えたのを覚えている。
つい放心していると、その鋭い眼差しが唐突にこちらに向いた。
咄嗟に隠れるも遅かったようだ。彼女は確信したように言葉を投げかけてくる。
「隠れていないで出てこい。騙し討ちをしようとしても無駄だぞ?」
やけに好戦的だが、仕方なく曲がり角から姿を見せる。
俺の姿を目にしてタルラは怪訝な目をした。
「知らない顔だ」
「ああ、そりゃ初対面だからな」
「ほう。それで私に挑もうとは」
「は?」
「ん?」
俺達の間に空白の時間が生まれる。
何で俺が戦いに来たことになってるんだ。
「ちょっと待て! 俺はむしろ助けを呼ぼうとしてただけで」
制止する俺をタルラはじっと観察する。その視線が俺のつま先から頭頂まで昇ってきたところで、彼女はぽつりと呟いた。
「確かに、喧嘩が強そうには見えないな」
「ひょろくて悪かったな!」
何にせよ、俺の尊厳と引き換えにはなったが、不良の仲間だという勘違いは解消されそうだ。あとはこの惨状をどうするか、周りを見渡して頭を抱える。
「貴様からは殺気を感じない。ただの通りすがりということか……」
「そういうこと。だからまずは」
「おいおい、随分呑気に話してるじゃねえか」
和みかけていた空気がまた切り替わる。
タルラが声のした方に向き直る。既に拳は構えられ臨戦態勢だ。
さっきまでぶっ倒れていた不良どもが起き上がっている。そしてさらに悪いことに、奴らはこれで全部じゃ無かったのか、俺が入ってきた方からお仲間と見られる連中が続々とやって来た。
ただでさえ人数不利どころか孤立無援だったのに、その数はさらに膨れ上がっていた。
逃げ場はなく、手にしていた携帯は先程ポッケに仕舞ってしまった。これでは通報する前にタコ殴りにされるだろう。新しく来た連中の中には鉄パイプなんかの武器を持っている奴もいて、地面を引き摺る不快な音がしている。いくらタルラが強かろうと、この人数差に加えて得物の差もあれば勝てるかは分からないのではないか。
(くそ、どうすれば逃げられる?)
近づいてくる足音が思考に焦りを生じさせる。
堂々巡りになった俺の思考は、眼前に翳された腕に遮られた。
「この男は無関係だ。行かせてやれ」
見れば、タルラが俺を庇うように前に立っている。
「それで俺達に何の得がある?」
「お前達もこれしきの小競り合いで人死にを出すつもりはないんだろう。なら、一般人を怪我させてそのまま帰らせたら余計に話が大きくなるぞ? それでもいいのか?」
それは言外に、自分のことはいたぶろうが構わないと語っていた。
主犯格なのだろう男はむかつく笑みを浮かべ、他の仲間に逃げ道を開けさせた。丁度、俺1人がギリギリ通れるくらいの。
言葉が出てこない俺を振り返って、タルラは申し訳なさそうに少しだけ眉を寄せた。
「すまなかった。巻き込んでしまって」
その顔は、これから袋叩きにされる恐怖なんか微塵も感じさせない。
ただ俺を巻き込んだことに対する申し訳なさと、それでも俺だけは無事に帰すという決意だけがあった。
なんだよそれ。怖くねえのかよ。
そもそも、これお前のせいじゃねえだろ。なんか雰囲気的にあっちが仕掛けてきて、それを返り討ちにしただけだろうが。なのになんでお前が謝んだよ。
というか、それ以前に。
何で、誰かに
疑問と、心配と、ほんの少しの苛立ち。
それらが合わさって、気付けば俺はタルラの横に並び立っていた。
「ここでお前を置いていく程、俺は人間捨てたわけじゃないんだよ」
「なっ」
タルラは驚き、主犯格の男は不愉快な表情を浮かべる。
「お前、戦えるのか?」
「いんや? 喧嘩なんてしたことねえな」
「なら何故残った?!」
交渉は決裂。唯一の逃げ道は塞がれ、視界の端から端まで剣呑な眼差しで埋め尽くされる。
「まあまあ。よく見とけ、戦い方ってのにも色々あるんだよ」
言い募るタルラを制止し一歩前に出る。
妙に自信ありげな俺の態度に、不良共は警戒した。
そんな中、俺は大きく息を吸い、そして。
「お巡りさあああん!!! 助けてくださあああい!!!」
大声で、助けを求めた。
帰り際の時間帯。季節は未だ冬を越しておらず、そのため空は澄み切っていて音がよく通る。
壁で跳ね返った声が木霊する。そしてひび割れだらけの外装は俺の渾身の叫びをしっかりと外に届けてくれることだろう。
タルラは呆気に取られていた。
「て、てめえ! サツを呼ぶとか卑怯だぞ!」
「だまらっしゃい! 大勢で1人を囲んでた奴が卑怯もクソもあるかボケ!!」
自然と足が前に出る。それは奇しくもタルラを僅かに彼らから庇う姿勢となった。
よし。もう言っちまったもんは仕方ない。
この大人数相手、どこまで凌げるかは分からないが助けが来るまでは精々抗ってやる。
時間が無いと焦燥に駆られた奴らは一斉に詰め寄ってきた。
それを殴り返し、投げ飛ばし、時には殴られ、もみくちゃにされながらも無我夢中で戦った。タルラのことを気にしている余裕なんてなかった。でも喧嘩強そうだし少なくとも俺以上にやばい事にはなっていないはず。
背中をパイプで殴打され、振り抜かれた拳で唇が切れる。意識が段々と朦朧としてきて、ぼやけた視界の中で体格のいいフォルテの男がこちらに拳を振りかぶっていた。
もう避けることはできない。前後不覚の俺には、それがこっちに飛んでくるのを見る事しかできなかった。
だが突き出されるはずだった腕を、何者かが突然掴み止めた。
それに文句を言おうとしたのだろう。その不良は振り返り、そして言葉を失った。
そこには青い炎を立ち上らせた、般若がいた。
「お、鬼…」
「小官はただのお巡りさんですよ?」
緑の髪が宙を躍る。流れるような体術で腕だけを起点に投げ、フォルテの巨漢を地面に叩き伏せる。それだけでそいつは動かなくなった。
「さて、これだけの大騒ぎ。流石に現行犯でいいでしょう」
彼女が拳を掌で握りこめばポキポキと小気味いい音が鳴る。
「今日は全員、大人しく牢屋で寝てもらいますよ!」
それからの大捕物は、まさに鬼神の如き鮮やかさだった。
その後、俺達は警察署で事情を聞かれ、被害者側だとわかった事で無事帰された。
辺りは夕方どころかもう真夜中と言えるくらいで、街灯に照らされた道を並んで歩く。無言で隣を歩くタルラに目立った怪我はなさそうだった。
正直、沈黙が辛い。さっき知り合ったばかりの女子相手に、何を話せばいいのだろうか。とりあえず天気の話でもしとくか?
「何故逃げなかったんだ?」
そんな気まずい空気は、意外にもタルラの方から破ってくれた。
「君は私に何の関係もない。それなのに、そんな怪我までして」
「しょうがねえだろ。見ちまった以上、無視なんかできねえよ」
「人を殴った事もなかっただろう? あの我武者羅ぶりを見ていれば分かる」
「殴る蹴るだけが戦いじゃない。うまく争いを回避することも、立派な戦いだ。だからお前のそれは、なんだか自棄になってるように見える」
「そうか…」
まるでそんな事思いもしなかったような口ぶりだ。まさか今まで売られてきた喧嘩全部買ってきたんじゃないだろうな。
「だから、これからはちゃんと逃げるなり助けを呼ぶなりして自分を守れよ?」
「ふふっ、自分を守れと説教をした奴はお前が初めてだ」
その微笑みがまた、夜中にも関わらず陽だまりの中にいるようで。
散々だった出来事の帰り道、俺達の間に話題は尽きなかった。
「それが、今じゃこれだもんな」
「?」
タルラが膝枕をしながら俺の髪を撫でつけているのを見上げる。
まあ、そんな紆余曲折があり、今こうして交際にまで至ったわけである。
「夢でも見ていたのか?」
「ああ。タルラと初めて出会った時のことをな。随分変わったなと思って」
あの時の荒々しい雰囲気は鳴りを潜め、こちらを見る眼差しには常に慈愛がある。
そこには毎日喧嘩に明け暮れていた不良グループのリーダーの面影はない。
「あの時のことは、忘れてくれ。恥ずかしい」
「? 何で?」
「それは、こう……あまりお淑やかとは言えない頃だったからな…」
どうやらタルラにとって、家族との折り合いが悪く荒れていた頃のことは今や黒歴史らしい。
今はもう改善されたが、当時は授業も休みがちだったらしく今でも何人かの生徒からはそのころの印象を引き摺って敬遠されている。
「あの時も綺麗だったけどなあ」
少なくとも、俺はあの時タルラを綺麗だと思った。
強い意志が伺える瞳、躍動する肉体、そのどれも今のタルラに引けを取ってはいない。
そう思っていたのだが、ふと見上げるとタルラが俺の顔をじっと見たまま動かない。だがほんのりと耳の血色がよくなっているのが分かった。
「……そういうところだぞ」
タルラの呟きに、何がと返す間際。昼休憩の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
慌ただしくなる校内の音に引っ張られ、名残惜しくも俺は体を起こした。
「じゃあ、また放課後にな」
「おお、ありがとな」
「お安い御用だ」
さて、全男子待望の彼女の膝枕を堪能した俺に死角はない。
これなら、午後も頑張れそうだ。
束の間の天国を味わった後、午後の授業もどうにか気合で乗り切り、下校の時間を迎えた。
他の学生は各々部活に励むなりして青春を過ごしているようだが、俺は帰宅部だった。委員会の仕事や友人たちの用事が無い限りは真っ直ぐ家に帰る。
そしてそれはタルラも同じこと。
ロドス学園の生徒の殆どは何らかの部活に所属しているため、この時間の道はかなり空いている。
帰り途中、お使いを頼まれた食材をスーパーで買う。2つの買い物袋を分けて持ち、空いたもう片方の手を繋ぐ。
2人きりの帰路に話題は尽きず、繋がれた掌からは言葉以上の感情が伝わってくる。
そうして学園での出来事について話していれば時間はあっという間に過ぎた。
「今日も食ってくんだろう?」
「ああ。お義母様のシチューの作り方を教えてもらうんだ。楽しみにしておけ」
「そりゃ楽しみだ」
タルラが家の合鍵を取り出し鍵穴に突き刺す。
その後ろ姿を見守っていた。その時。
『 』
ふと、誰かに呼ばれた気がして振り返る。
小動物でも隠れているのか、庭の茂みがガサガサと揺れていた。
『 』
またこの感覚だ。これだけ続けば気のせいとは思えない。その正体を掴もうと、首を傾げ声のした方へ踵を返す。
だが、後ろから手を引かれた。
怪訝な表情をしたタルラが、俺を行かせないようしっかりと手を掴んでいた。
「どこに行く? 帰るんだろう?」
「……ああ、そうだな」
束の間感じた違和感が、急速に輪郭をぼやけさせていく。
この手を振り払う程の意思は既になく、そのまま俺は振り返らずに家に入った。
その日、タルラが母さんと厨房に立つ姿をぼーっと見つめながら、俺は帰宅間際の事を思い出していた。
ダーリ家にタルラを加えた夕食の席でも。タルラを家の近くまで送っていった帰り道でも。
あの時の小さな違和感は、こびりついて離れなかった。
それから、何日も、何か月も、俺達は穏やかな青春を過ごしていった。
夏には海にも行ったし、地元の祭りも見に行った。特別デカい花火を浴衣姿のタルラと一緒に見上げた。
文化祭は2人で回って、お化け屋敷に入ったり、占い部の出店場所で俺達の相性を占うなんて柄にもない事をした。とても相性がいいと言われたタルラはそこから終始ご満悦そうだった。
冬休みにはクリスマスに2人きりでイルミネーションを見に行った。互いにプレゼント交換をして、ネックレスに喜ぶ姿があんまりにも可愛くて不意打ちでキスをした。普段やられてばっかりだったから、顔を真っ赤にするタルラを見れて満足だった。
正月には神社に家族総出でお参りをした。義母のフミヅキさんが着付けをしたのだろう、晴れ着姿のタルラはとても華やかで綺麗だった。
そうして気付けば、季節はあれから一周しようとしていた。
「今年もあっという間だったな」
「そうだな。あの学園は退屈しない」
方舟学園は終業式を終え、我が家に帰って来た感想がそれだ。
光陰矢の如しとは言うが、この一年を振り返るとどれもつい先日の事のように感じられる。
学園は午前で終わってしまい早期下校となったので、昼飯はまだだ。タルラが下校途中で買った食材を整理しようと先に家に上がる。今日は腕によりをかけると張り切っていた。
俺も土間からその後を追う。
『 』
また、背後で何かが俺を呼んでいる気がした。だがそれに振り返ることはない。また幻聴が聞こえたなんて言えばタルラを心配させてしまうだろうから。
だから努めて何もなかったように振舞う。俺は今幸せなのだと、そう彼女も信じられるように。
最近はその甲斐もあって、タルラは俺を悩ます物はなくなったのだと安心しているようだった。
タルラは買い物袋の中を見分しながら、ふとこんな事を呟いた。
「ずっと、こんな日が続けばいい。何も変わらない、綺麗な日々のまま」
それはきっとあの日、荒んだ日々から抜け出した時からずっと願っていたものなのだろう。
争いのない、平和で、穏やかな日々が続くように。
「そうだな。ずっと、こんな平和な日々が……」
俺だってそう願っている。だからそんな小さな祈りを肯定しようとした。
―本当にそうか?
靴を脱ぎかけていた足が止まる。今、ふと小さな疑問が浮かんだ。
そんな訳が無い。こんな素晴らしい日々が続いて欲しい、それは正しい願いのはずだ。
だが、いつもなら薄れていく違和感は徐々に輪郭を鮮明にし始めていた。
「? イグナス?」
ずっと引っかかっていた。穏やかで誰も傷つく事のない優しい世界。理想郷のはずのここで、俺の胸には何かを忘れているような空虚さが常にあった。
そして今。タルラの何気ない言葉が俺の直感に触れた。いや、感覚的には何かに引っ掛かれたという方が近い。
不快なはずのそれが、いつも俺の傍にあったような気がしてならない。
久しく感じてこなかった痛みが、急速に俺の思考をクリアにしていく。
それはまるで、長い夢から醒めたようだった。
やっと気付いたことが、俺の口から自然と漏れ出た。
「これは、
唐突な俺の言葉に、タルラは足を止める。
「……夢のように、幸せということだろう?」
「いや、これは現実じゃない。いつかは醒める、幻だ」
タルラが、押し黙った。
「…どうして、そう思うんだ?」
尋ねてくるタルラの声音に変化はない。
だがその眼差しは、その線を超えてくれるなと懇願していた。
胸が痛いが、それでも俺は口にした。
「流石に、出来過ぎだ。この世界は、あまりに綺麗すぎる」
理不尽も、不幸も、裏切りも存在しない。別にあって欲しいと願ったことはないが、こうも何もないとそれはそれで不自然だった。
俺は人の善性を信じてる。だがそれと同時に、認めがたい事だが、この世には悪意も確かに存在するのだと知っている。
それを俺は、
タルラが買い物袋を床に落とす。今日は確か以前母さんから教わったシチューを作るのだと言っていた。それに使われるはずだったじゃがいもや玉ねぎが、袋から転げ落ちる。
しかしそんなものには目もくれず、タルラは真っ直ぐに俺を見つめていた。
この世界を幻と断じた俺を、その目は容赦なく糾弾してくる。
どうして?
何故?
私達を拒絶するのかと。
「私では、不満か?」
「んなわけねえだろ。制服姿も惚れ惚れしちまうくらいだ」
だから、そんな悲しい顔をしないで欲しい。この夢は、確かに綺麗で温かかった。そこに嘘はない。
それでも。
俺は誰もいるはずのない天井を見上げながら、どこかにまだいるはずの彼らを思い出す。
「
「何故? あそこは醜い大地だ。命が平然と失われ、君もたくさん傷ついた」
右手が瞼を覆う。そこには何もない。
あの日、大切な仲間を救うために払った代償は跡形もなく消え去っていた。タルラと訓練する過程でついた擦り傷も、抑制剤を定期的に打つ腕の注射跡も、この体には無い。
タルラは両腕を広げ俺を招く。
「ここなら君を傷つける物は何もない。誰かの不幸の上に生を積み上げる必要も、そんな人々を救うために身を削る必要もない」
目の前の、タルラの瞳は揺れていた。こちらを案じ、寄り添ってくれる姿はまさしく自分の最愛の人だ。
それを嬉しく思いながらも、これだけはどうしても譲れなかった。
「でもよ、あの世界の皆んなは生きてた。クソみたいな世界だったけど、それでも誰もがその中で懸命に生きてた」
もう知ってしまったんだ。彼らが生きる理由も、その泥臭くも輝かしい姿も。
たとえ醜くても、無かったことになんてしたくない。彼らと一緒に走った俺を、否定したくない。
それに、自分は1人じゃない事を知っている。
レユニオン、ロドス。それだけじゃない、多くの人が同じ方向を見て進んでくれる。
何より。俺の隣で、肩を預け支え合ってくれる大切な
「だから、俺は行くよ」
意志は固かった。
見返したその先で、タルラが俺を見つめている。
だが俺の意志が揺るがない事を悟ったのか、諦めるように両腕をだらんと下げ、ため息を吐いた。
「……妬けるな」
「そうだろ? 世界一かっこいい、最高のパートナーだ」
そうして玄関のドアノブに手を掛ける。扉を開けようとしたが、やけにドアノブが重い。
きっと、これは俺の未練だ。あんな顔をさせてしまった、愛すべき人への。
だから俺はタルラを振り返った。
「すぐには、無理だけどよ…」
「?」
「いつか、この世界に負けないくらい馬鹿馬鹿しくて、楽しくて温かい。そんな世界にしてやるから…」
言葉を続けようとして、途端に何も言えなくなった。
たとえこれが幻想だとしても、その先を彼女に誓うのは酷だ。
ありえないほど平和な世界を見捨てて、自ら苦難に満ちた世界へと戻る俺。
そこに1人残される彼女に、
途切れた言葉のせいで空気が重い。
タルラはそんな俺を呆然と見ていたが、得心がいったとばかりに表情を崩す。
全部拾っていきたい、そんな俺の傲慢にも似た願いと、それを果たせない慙愧の念。それらを彼女は見抜いていた。
だからこそ、春の日差しのような暖かな笑みを浮かべ、俺を見送った。
「ああ。ずっと待ってる」
俺はその笑顔を生涯忘れることはないと思った。網膜に焼き付いたそれはどんなに時が経っても、何も見えない暗闇にあってもこの心に火を灯してくれるだろう。
タルラは俺をしばらく見つめたのち、その両手を俺の肩に置きそっと押した。
「行ってこい」
「……ああ、行ってくる!」
扉に手を掛けノブを捻る。
それは先程までよりも、ずっと軽く感じられた。
後ろ手で扉を閉める。振り返りはしなかった。
背後でガチャンと音がする。目の前にはいつもと変わらぬ玄関先が広がっている。
この優しい幻想から醒める決意をしたイグナスは、すぐさま行動を起こすべきだった。未だこの世界が何なのか理解できていないこの状況、やるべきことはいくらでもある。
だがイグナスは、玄関を出てすぐ頭を抱えた。
そして開口一番、大声でこう言った。
「あ~~。もったいない事した気がする~!!」
最愛の人に送り出され、あれだけ格好つけたにも関わらず、未練たらたらであった。
なんとも格好がつかないのがこの男である。
「くそ~~、幻影に学パロとか使いやがって。くそ良かったわどうもありがとうございましたクソったれ!!」
イグナスとて男である。転生前を含めて初めてできた最愛の彼女の制服姿に、決心はガクガクに震えていた。
「体操服姿とか現代ファッションとか似合いすぎだろ! てか学校で見たカップルどれもてえてえすぎてニヤニヤ抑えるのに苦労したわ!」
いっそ、血涙すら流しかねない勢いであった。
頭をガシガシと掻きむしった後、一度顔を手で覆い大きく息を吐く。
一度は荒ぶったものの、冷静さを取り戻せば思考は次にやるべき事を見据え始める。
そして両の手を振りかぶり、勢いよく頬を叩く。
気持ちのいい、乾いた音がした。
「よし、行くか!!」
顔を挟んだ右手には、いつの間にか慣れ親しんでいた固い感触が戻っていた。それは顔の右半分を覆う体表源石。
イグナスは己が何者であるかを思い出した。
レユニオンの幹部。ロドスの盟友。彼らと共に理想の未来への轍を刻む者。だからこそ、その過去の証明は自然と表出する。
ピントのぼやけたレンズ越しのような、魂と物質の輪郭があやふやな世界でイグナスは周囲を見渡す。
そして気付く。
「やっぱりお前か」
庭の茂みから、一匹の黒い蛇が現れた。
都会で見るには珍しいそれを、イグナスは胡散臭げな表情で見る。彼の予想が正しければ、それはこれまでイグナスにこの世界への違和感を植え付けるのをサポートしていた恩人であると同時に、あまり2人きりにはなりたくない相手だった。
『ようやく気付いたか』
「なんでお前がここにいる? というかここはどこだ? ひょっとして、源石の中か?」
―
イグナスの魂と同化していた不死の黒蛇、コシチェイはイグナス同様この謎の空間に閉じ込められていた。
そんな彼は何故かイグナスのように記憶の操作を受けず、この世界の情報収集に当たっていた。
そして、この世界が何なのか真相を突き止めた。
『推察通り、お前は奴の命と引き換えにテラの大地で肉体を失った。だが何故かその魂は霧散することなく源石の中に流れ着いたようだ』
「いやでも、あの時内宇宙は崩壊したはずだろ?」
テレシスとの決戦の間際、テレジアによるアナンナの制御を失った内宇宙は崩れた。イグナスはテレシスともども現実世界に弾き出されたはずだ。
『お前の特殊なアーツの影響か、はたまた源石の機能にも何かしらの変調をきたしているのか。断定はできないが、1つ確かなことがある』
「何だよ?」
黒蛇は舌をチロチロと動かし忙しなくする。
源石の内宇宙が崩壊したのは間違いない。あの日、囚われていた幾億ものサルカズの魂が解放されたことからもそれは裏付けられる。
だが今こうしてイグナスを囲む風景はただそこにあるだけではなく、明確な意図を持って回っていた。
即ち、イグナスを現実世界から遠ざける甘い幻想を見せるために。
『そのためにこの世界を維持している何者かがいる、ということだ』
「……心当たりが1人いるのが、笑えねえな」
源石の制御を可能とする人物。
黒蛇が鎌首をもたげ、先を示す。
『微睡みから醒めた今ならば、この世界への干渉も可能だろう。強く念じれば道は開ける』
「お前は来ないのか?」
黒蛇は首を左右に振った。
『私にその権限はない。この世界に干渉できるのはあくまで、
そう言って黒蛇はイグナスの足を滑るように這い上がり、その腕に沈み込んでいく。
これまでと同様、イグナスの内部で眠ることにしたらしい。
完全に溶けきる直前、釘を刺すように忠告する。
『忘れるな。私はお前の結末を見守っている。何があろうとな』
「へいへい。助太刀あんがとさん」
義父の最後っ屁を適当にあしらってやれば、沈黙が周囲を包み込んだ。
周囲は普段の喧騒はどこへやら、人の気配も車の音すらしない。幻に気付いたイグナスだけが、この世界に取り残されているようだった。
「さて、ご対面といくか!」
イグナスが強く念じれば、その右手にはレユニオンの旗が握られていた。
その石突を地面に強く打ちつける。途端に周囲は硝子のようにひび割れ、砕けていった。
仮初の世界が崩れ、その正体が露になる。
青空は薄暗い天井に。屋外の景色はどこか近未来的な家具が並んだ室内に。
空から降り注ぐ朝日は消え、壁に設けられた硝子窓から漏れる仄かな青い光だけが周囲を照らしている。
そんな窓際の一画に、白衣を着た1人の女性がそこにいた。
「初めましてだな」
―
彼女の名を呼べば、窓の外を眺めていた彼女がイグナスに向き直る。
その小ぶりな口元が感情を覗かせないまま動いた。
「ようこそ」
―
旧人類の1人。源石の創造主は彼をそう評した。
その無機質な瞳が、菱形とともにイグナスを映していた。