明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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次元の果てで

「ここは・・・?」

 

 イグナスは目の前にいる彼女から目を離し、周囲の様子を伺う。

 

 そこは金属質な素材と清潔感のある白に満ちた空間だった。だが一方で生活の気配は感じられず、窓の外を見つめていた彼女以外に人の気配はない。

 そして窓の外は一面の黒に染まり、そこに無数の小さな光が浮かんでいる。

 

 見知らぬはずの場所。だがイグナスは自然とその場所がどこか分かった。

 実際にそこに立ったことはない。だが、テレビの向こう側で、あるいはフィクションの舞台として、その静謐で薄暗い青に照らされた光景は見覚えのあるものだ。

 

 

「宇宙船?」

 

 大気と重力が消え失せた虚無の空間。テラの文明では未だそこに手をかけることすら許されない領域にイグナスはいる。

 イグナスはその現実感の無さに、踏みしめる床が妙に頼りなく感じられた。

 

「ここに彼以外の人間が訪れる事は想定外だったわ」

「!」

 

 静寂が破られる。

 その声の主が、イグナスに正対する。

 

「プリースティス」

「……まさか、彼以外に私の名前を呼ばれることがあるなんて」

 

 イグナスがその名を呼んだことに、彼女は少なくない驚きを感じているようだ。だが警戒しているのか、その声音はひどく冷たく聞こえる。

 

 彼女の目線、表情、声音。その全てから意識を反らさない。イグナスの原作知識をしてその目的も詳細も不明な、旧文明の人類。

 角もなく、耳も人の形。尻尾もない。彼女はイグナスがもう随分と見ていない“地球”の人のカタチをしていた。

 身に纏う服装もイグナスが前世で見知ったものとは少し意匠が異なるが、なんとなく科学者のように見える。

 

 彼女、プリースティスは冷たい眼差しのままイグナスを見ている。無意識に覗いた彼女の感情は、僅かな敵意と驚愕が浮かぶのみ。

 

 音はなく、薄暗く、唯一といっていい光は彼女の後ろにある窓から漏れる淡い月明りのような光だけ。それもおそらくテラの大地が反射した日の光だろう。

 時の流れが感じ取れないそこでは、沈黙はいやに長く感じられた。

 

 だが、やがて彼女はその警戒を緩め再び口を開いた。

 

「実証はできなかったけれど、その存在については考察したことがあるわ。私達よりも高次元に生きる者達。俯瞰次元からの漂流者なら、これまでの貴方の行動にも説明がいく」

 

 プリースティスはそうやって、イグナスという存在を考察する。本来言語学者である彼女だが、源石を開発する事となった経緯から様々な知識を修めていた。

 その中には、あの旧文明の叡智を以てしてもある意味眉唾と言える知識も存在する。

 

 俯瞰次元。本来交わるはずのない別の次元を見下ろす世界。

 イグナスが原作知識と呼んだものを、彼女はそう定義づけた。

 

「加えて、貴方が望んでいたあの世界の光景。アーカイブで閲覧したことのある遥か昔の映像に類似したものがあった。多世界解釈理論については神の言語を探求する上で論理的矛盾の評価に一部引用したけれど、時空論が未発達な時代の古い解釈という印象だった。けれど貴方という実例がいる以上、その評価は改めなければいけないわね。この内なる宇宙で不完全ではありながら独立性を失わなかったことも、それが影響しているのかしら?」

 

 能面のようだったプリースティスの視線に初めて感情が乗る。

 

 その瞳に浮かぶのは僅かな好奇心。今までに無い研究対象を目の前にした、親しみと冷たさを併せ持つそれに思わず冷や汗が滴る。

 

 かつて、運命を否定した科学者がいた。

 宇宙の全てを理解する観測者がいたとしても、その観測者自身の行動を観測することはできない。さらに、確率的な挙動を起こすミクロの世界の全てを正確かつ同時に観測することは現実的ではない。

 故にその小さな揺らぎは蝶の羽ばたきとなって嵐を引き起こし、予測された未来からは大きく外れてしまう。

 

 だが仮に、その世界に影響を及ぼさない別の次元から世界を俯瞰すればどうだろう?

 混じり物のない極めて純粋な箱庭は、それを頭上で見下ろす存在にとって結果の分かりきった結末を辿るだろうか。

 そしてその上で。

 

 もしそのような存在が、本来それだけで完結していた場所に異物として紛れ込めばどうなるか。

 

 

「貴方の存在は波1つ無い湖面に落ちた小石のようなもの。些細な揺らぎで宇宙は産声を上げる。貴方の言葉や行動が、あの星に致命的な変化を齎すの」

 

 それは、プリースティスにとって望ましくない。

 世の殆どの実験は、事前の想定通りに事が運ぶ方が稀だ。だが不確定要素は少ないに越したことはない。ましてや、テラの大地における源石の浸透率は彼女の想定を遥かに下回っている。

 

 彼女は、宇宙に終焉が訪れる事を知っている。

 

 星々を渡ったあの旧文明ですら、いくつかの対抗策を残した上で皆石棺で休眠するという選択しか取れなかった未曽有の災害。時空を呑み込む虚無としか表現できない滅びの現象。

 その到来を確信している以上、僅かな瑕疵すら見逃す気にはなれない。

 

 だからこそ。

 プリースティスが望む結末へ至るため、彼女はその手を差し出した。

 

「私と共にこの大地を源石で覆いましょう。貴方達は誤解しているけれど、これは侵略ではなく保全。貴方達が失うはずだったものを守るための行為」

 

 プリースティスにとって、イグナスは厄介な存在であると同時に実に興味深い対象だった。

 

 俯瞰次元からの来訪者という特殊な経歴は、彼女に今までにない知見を与えてくれるだろう。あり得たこの世界の結末も、今後の方針を決定するうえで大いに参考になる。このテラで生まれたアーツという技術体系についても、源石とテラ人類の間でどのような相互作用が発生したのか検証する必要がある。

 それら全ての条件を、目の前の人物は満たしている。

 

 プリースティスには、この手を拒まれない自信があった。

 何故なら。

 

「私なら、貴方の望みは全て叶えてあげられるわ」

 

 無数の時を超え、様々な変わり映えのしない観測結果を見届けて来た彼女の目に久方ぶりに留まったイグナスという存在。その歩みを観察していれば、自ずとその望みも理解できる。

 

 不治の病を根絶する事。

 失われたはずの人を蘇らせる事。

 深く根付いた確執を人々の記憶から抹消する事。

 

 全てがプリースティスの手に掛かれば思いのままだ。

 先程までイグナスが過ごしていた世界同様に、戦争も迫害もない平和な世界を創造することができる。

 

 その上、例え源石が大地を覆い尽くさずとも世界は終わる。

 プリースティスはイグナスへ、テラを含むこの宇宙全体が直面している危機について語った。

 

 北の果てに聳える門。星々を繋ぐ旧文明の遺産は既にその制御を離れテラの外から崩壊を招きこんでいる。

 今こうしている間にも、何万光年と離れた宇宙ではまた1つの星がその光を失っている。そこに息づいていた文明も、塵一つ残さず消えていった。

 

 1つの文明程度では太刀打ちできない、滅びの理とでも言うのだろうか。

 それにいずれは、全てが呑まれる。

 

「滅びゆくこの広大な宇宙にあって、これ以上の結末は存在しないわ。例え阻隔層がこの惑星を覆い隠そうとも、この宇宙の終焉は必然のもの」

 

 だからこそ、彼女は源石を創った。

 

 源石がこの大地の全てを記憶と化し、保存する。

 物質的な消滅からは隔絶された内宇宙に、その足跡は情報として永遠に残される。

 

()()()()とは何度も意見を交わしたわ。星々の衝突が重力の渦や元素を生むように、それは無数の奇跡を育んで今ここにあるの」

 

 プリースティスの掌に源石が浮かび上がる。それを見る目は我が子を見るそれだった。

 親しみの籠る瞳の奥には、もう1人の親とでもいうべき彼が浮かんでいる。

 

「全てを記録し、不朽不変の存在へと変える。私と彼、そして多くの同胞の希望を乗せたこの黒い結晶こそ、人類の存続を約束する方舟よ」

 

 それこそが救いなのだと、プリースティスは言って聞かせた。

 

「……」

 

 再び、場に静寂が戻る。

 壮大に過ぎる話だ。技術的にも、捉えている世界の広大さからも、旧文明との隔絶とした壁を感じられる意見だった。

 

 それでも、イグナスはそれを受け止める。

 圧倒されるでも、ましてや理解できないものとして拒絶するでもない。

 

「あんたは……」

 

 テラに源石を齎した創造主。神の如き視座を持つ彼女に対し、イグナスはようやく得心がいったように息を呑んだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

「……」

 

 イグナスの言葉にプリースティスが答えるまで、僅かな空白があった。

 その穏やかな表情のまま、それでも何か決定的なものに触れた感覚があった。

 

「囚われている、というのは解釈の余地があるわ。確かに彼と一緒だった時間は私にとって他のあらゆる事象に優先される。けれど私は、宇宙に存在する全知的生命体にとって最良の選択をしたつもりよ」

「あんな風に、殻に閉じこもって生きる事がか?」

「非生産的な同種間の争いを失くし、そこから生まれる苦しみを取り除いた。私達が数世紀も前に通り過ぎたちっぽけな問題に躓く貴方達には評価が難しいかしら?」

 

 聞く人が聞けばその挑発とも取れる問いに声を荒げた事だろう。テラで目の当たりにした悲劇を取るに足らないものと断じられ、掴みかかっていたかもしれない。

 

 だが、イグナスは違った。

 

 

「なら、やっぱり俺のとは違うな」

 

 そうあっさりと、伸ばされた手を拒む。

 プリースティスは表情を変えない。ただ心底不思議そうにその理由を尋ねた。

 

「どうして? 貴方達は何にも侵されることなく別の方法で生存できるのよ?」

 

 それにイグナスは答える。

 その表情は、人類の命運を握っていると言うにはあまりに穏やかで、凡庸だった。

 

 

「だって俺は、あいつらのその先が見たい!」

 

 

 その先を語るイグナスは、夢を語る少年のようだった。

 

「俺は、タルラが年老いていく姿を見たい。まだ生まれてすらいない、俺達の子どもが成長する姿をこの目に焼き付けたい。フロストノヴァとドクターが結ばれる瞬間に立ち会いたいし、それを見守るパトリオットと語り合いたい。アーミヤの大人びた姿が見たい。イーノとサーシャが成人した時一緒に酒が飲みたい」

 

 それは、人類の存続と比べてあまりにちっぽけな願いだろう。

 だが本来イグナスはそういう男だった。身近な人の幸福を願い、その為に足を踏み出し、そしてその先にまた救いを求める誰かを見つけ、もう一歩と歩き続けた。

 

 彼が願ったのは、そんな小さな幸福の数々。苦難の中でもなお凛然と輝く魂の輝きこそを、尊んだ。

 

「俺達は欲張りなのさ。今日だけで満足なんてできない。俺達は、明日(みらい)が欲しいんだ」

「その先には何もないわ。肉体に縛られた貴方達の生命活動は限られている。貴方達感染者ならばその期間はより短い。この星に滅びが到来するのも時間の問題よ」

「だからこそ、俺達は受け継いでいくんだよ。1人じゃ抱えて沈んでいくだけの想いを、次の世代に託していく」

 

 それこそが、“人”の在り方なのだ。

 

「永遠なんてありえない。いつかは別れもするし終わりもするんだろう。それでも、俺達はここが終着点だなんて勝手に決めつけて前に進むのを止めちまうほど、傲慢にはなれねえのさ。あんたもそうだろう?」

 

 イグナスのその問いに、プリースティスは首を傾げた。

 

「私も?」

「そうさ。あんたの作り上げたその源石も、この宇宙船も、全てはあんたが諦めたこのテラと同じ、なんならそれよりもっと原始的な文明からの歩みの延長線にあるものだ」

「……貴方達があれに対抗できる文明レベルに発展するには絶対に時間が」

「そんなのいつ誰が決めた?」

 

 プリースティスが否定した可能性を、イグナスは肯定する。

 

「星が誕生してから文明と呼べるものを得るまで数億年。でも俺達はそこから()()()()()()()で宇宙にまで行ったんだぜ? 俺達が未来に走る速度なんて誰にも測れやしない。明日にでも、偽りの空を引き裂いて天に指をかける奴が現れるかもしれない」

 

 少なくともそんな人間を1人、イグナスは知っていた。

 聡明で、人望があって、それでも他の全てを地上に置き去りにして、身勝手に空を先駆けた裏切り者。

 

―おやすみ、テラ。

 

 そう言って孤独な眠りについた1人の科学者を、イグナスは知っている。

 

 

「テラの人達を舐めるなよプリースティス。お前が取るに足らないと決めつけたあいつらは、もうすぐそこまで迫っているかもしれないぞ?」

「……」

 

 プリースティスが押し黙る。それは取るに足らないと思っていた人々から突きつけられた刃に対する驚きか、はたまた無謀な挑戦に対する呆れか。それは本人のみぞ知る事。

 

 最初の冷たい表情に戻った彼女は、最後に問うた。

 

「その抵抗が、テラに生きる生命の断末魔を引き延ばすだけになったとしても後悔しないかしら?」

 

 暗にそうなるだろうと告げる彼女。

 それでもイグナスは不敵な笑みを浮かべる。

 

「それでも、だ。もしお前の言う平穏が、俺達から苦難と絶望、そして希望と幸福を奪うものならば。お前が言う方舟が、凪いだ水面に浮かぶだけのハリボテならば」

 

 そして拳を握りしめる。骨が鳴り、引き締まった筋肉が悲鳴を上げる。

 

「俺達はあいつらとともに、傷ついて血まみれになりながらも、その醜さの中に希望を見出す。暗く荒れ果てた水平線の果てに、まだ見ぬ未来を求めて舟を出してやるさ!」

 

 そうしてイグナスはプリースティスに背を向け歩いていく。この停滞した世界を抜け、仲間達が待つ残酷で美しい大地へと戻るため。

 

 

 交渉は決裂した。プリースティスは最初と同じように窓の外に視線を戻した。

 計画に賛同しない以上、その手を引く理由はない。敵対する意思も無ければ応戦する必要も無い。

 

 彼女はもう、この場への久方ぶりの来客に対する興味を完全に失っていた。

 去り際に放たれた一言が彼女を無理矢理振り向かせるまでは。

 

「じゃあな、プリースティス。()()()()()()()

 

 プリースティスがつい振り返る。しかしそこにはもう誰もいない。

 再会を告げた彼は、源石の外を目指し既に彼方へ消えていた。

 

 

「……」

 

 

 元より、彼女がこの世で唯一執着するものはドクター(オラクル)のみ。それ以外は全て彼と作り上げてきた源石計画の副産物に過ぎない。

 だけれど、彼の去ったその部屋は先程よりもほんの僅かに広く冷たく感じた。もう手の届く間際まで迫っているパートナーの存在に、人恋しさが蘇っているのか。

 

 その姿を思い起こすうち、彼の言葉がふと頭を過る。

 

『プリースティス。君と私が創造したこの新たな言語は、この宇宙の果てで誰かの道標となるかもしれない。例え宙を渡ったこの文明が滅びようと、我々の希望が未来へと継がれ、彼らが滅びに抗う原初の火となることを願っている』

 

 かつてあの船の甲板の上で、2人並んで見上げた曇り空を覚えている。

 議論を交わし、互いの知識を紡ぎ合わせ、不変不朽の絆を育む事が出来た唯一無二の存在。そんな彼の瞳の奥に、自分では理解できない領域が潜んでいたことも。

 

 彼はいずれ、自分の元に戻ってくる。そこに疑いの余地はない。

 それでも、些細ながら決して埋めようのないその差異には、興味があると当時にひどくもどかしさを感じる事があった。

 

 

 あるいは、本当にありえるのか?

 源石が、彼らが滅びに抗う希望となり、迫り来る終焉を退けることが。

 

 プリースティスは無人となったその空間をしばらく見つめたのち、これまでと同様窓際に寄り外の淡い光を眺め始めた。

 

 そして窓に映る碧い星に手を伸ばす。そこに彼女が欲して止まない温もりを求めて。

 透明な窓に伸ばす手を遮られながら、彼女は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ会えるわ。ドクター」

 

 




この大地の上で
今日も誰かの命は還る

大空に見守られ
育まれた愛が産声を上げる

命の輪廻が廻る先
生命の旅路の果てで
君を待つ
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