アーミヤが彼女の姿を見るのは2度目だった。
初めて目にしたのは、ドクターとともに魔王の王冠、別名「文明の存続」の深奥にアクセスした時。純白の天廊を抜け、流れ込んでくる膨大な情報の波を耐え抜いた先に見た、遥か過去の記憶の中。
彼女はロドスと似た甲板の上でドクターの隣に立ち、親し気に話しかけていた。その会話の殆どは理解すらできなかったけれど、並ぶ2つの後ろ姿は、今も記憶に鮮明に残っている。
だが、今彼女を目の前にしてアーミヤに浮かぶのは、得体の知れない存在に対する恐怖。
天候を操り、空間に干渉し、音も無く突然現れた。それらも確かに彼女の異常性を際立たせていたが、アーミヤの心を一番に揺さぶったのはそれらではなかった。
アーミヤが恐れたのは、プリースティスの瞳。人の心に歩み寄ることを是とした彼女だからこそ気付けた、プリースティスの心の内。
アーミヤは思う。人はこうも、穏やかな顔で人を凍てつかせることが出来るのか。
「ドクター。私よりも随分早く目覚めたようね。この星を目にした瞬間を共有できなかったのは残念だわ」
その声音は穏やかで、敵意など微塵も感じられない。それでもドクターは彼女に親しみなど感じられるはずもなかった。彼女との思い出は断片的で、その表層を他人がなぞった程度でしかない。そしてドクターは気付いていた。彼女の瞳には今、ドクターしか映っていない事を。
プリースティスは彼との再会を心から祝し、ふと空を見上げた。源石結晶が肥大化するほど高密度の源石粉塵によって、雲は黒く染まっている。そして彼女達を中心に、その暗雲はくり抜かれ極光が降り注いでいる。そのことに彼女は不満を覚えたようだった。かつて誓った瞬間は、もうすぐそこにある。ならば、それは美しい晴天であるべきだと。そう彼女が口にした瞬間、空一面を覆っていた天災雲が晴れ、穏やかな青空が広がった。
アーミヤ達は気付く。プリースティスは、源石を掌握していた。
「驚く事ではないわ。そもそもこれは、
ねえ、ドクター?
明かされる衝撃の事実に、ドクターの頭を様々な疑問が駆け巡る。もしそうだとすれば、これまで鉱石病で苦しみ、そして死んでいった人々は全て、ドクターが原因という事になる。
ヴィクトリアでの戦争後、ロドスの館内放送で読み上げられた殉職者の名前。戦争が終結する間際、源石に包まれて目の前で消えていったイグナスの顔。彼らの手が、自分へと伸びる光景を幻視する。
苦しむドクターをアーミヤが必死に宥める。一方で、プリースティスは残念だと眉を僅かに顰めるのみだった。
「忘れているのね。でも、気にしないわ。記憶は人を構成する重要な因子の1つではあるけれど、変わらない本質もある。私達の絆は、時空さえ超える。そう信じているもの」
そうして、プリースティスはドクターに手を伸ばす。
彼女の目的は1つ。テラを源石の結晶へと変え、その全てを保存し、滅びでさえ手の届かない永遠を得る。かつて旧人類の文明が繋いだ最後の希望を、不可侵のものへ昇華すること。
自責に駆られるドクターは、呆然と見上げていた。彼女の手に、足が自然と引き寄せられる。例え記憶はなくとも、その奥底で眠る何かが彼女を知っているように。
「「ドクター!」」
「!」
だが、後ろから呼ぶ声にその足を止める。そこにはアーミヤとケルシーが似た表情で自分を見つめていた。そうしてようやくドクターは思い出す。
テレジアとの別れの際言われた、「あなたは初めからずっと変わらない」という言葉を。彼女が自分の手を取り、どこか既視感を感じる優しい眼差しで、ドクターを賢くて、優しくて、一度も希望を諦めた事のない人と断じたことを。目覚めたばかりで、自分が何者かすらもあやふやな中、自分のありのままを見つめ、ありがとうと言ってくれた友のことを。彼はその最期まで、共存の道を諦めた事はなかった。
もし、変わらぬ本質というものが存在するのであれば。自分のそれが向かう先は、少なくとも、目の前の彼女の手の先にはない。
伸ばしかけた手を握りしめ、ドクターは答えを待つプリースティスを見返した。
「断る。私達は、源石に屈する事はない」
ドクターは、自らの意思で口にした。それは過去との決別、そして現在の仲間の手を取るという決意。
「……そう……」
その返答にプリースティスは落胆した。そして初めて、ドクター以外の存在に目を向けた。
「Ama-10。あなたかしら? 彼の思考基準にノイズを発生させたのは」
「……」
話を向けられ、ケルシーは押し黙る。プリースティスはそれを、創造主に対する畏敬からくる沈黙と捉えた。実際、プリースティスは彼女に対してもひどく落胆していた。源石計画を見守る役割を与えたはずのそれが、何故かその邪魔をしてくる。自分の起源とはなんら関係のない、
「源石計画に残された時間を、あなたは随分無駄にしたわね、Ama-10。その行動基準は当初のものと大分かけ離れているようだけれど、あなたにもエラーが起きたのかしら。この修正を、いったいどうすればいいものか」
「黙れ」
プリースティスがあまりの驚きに言葉を止める。自分の創り出した存在が、創造主である自分に牙を剥く。設定されていないはずの行動を起こしたことに、思考に空白が生じた。
そんなプリースティスを見上げるケルシー、その肩が震えている。今、ケルシーの胸中はかつてないほどの怒りで燃え滾っていた。
自分を創り出した2人。その片割れである
そこから万を超える年月の中で、ケルシーはテラ文明の栄枯を見守った。そこに生きる人々の出会いと別れ、奇跡と悲劇を目の当たりにしたのだ。
そして永遠に近い時の中で、ケルシーは誰よりも優しい魔王と親友になった。彼女を助けるため、自分に使命を与えた創造主を呼び起こし助けを乞うた。
その結末は、決して望んでいたものではなかったけれど。彼らは矜持と苦しみの果てで、希望を紡ぐ選択をした。この大地の不条理を嘆き呪ってもよかった。そうする権利がテレジアにはあった。それでも、彼女は最期まで、ドクターの本質を信じていた。
プリースティスは、そんな尊ばれるべき人の在り方の結末を、ノイズと言ったのだ。オラクル、テレジア、イグナス、彼らが信じ、ケルシーもまた愛したものを、本来あるべきでない取るに足らないものであると。
「ドクターの考えを変えたのは、このテラの人々の生であり、死であり、そしてそれを受け止めた彼自身の選択だ」
だからこそ、ケルシーは記憶を失ったドクターをもう一度信じることが出来た。彼とアーミヤならば、オラクルが自分に課した使命の到達点に向かえる。だからこそ、ケルシーは自らの創造主に立ち向かう事が出来た。
「私に歯向かうと言うの? Ama-10」
「プリースティス。君の知るAma-10は、もう存在しない。ここにいるのは、ロドス・アイランド製薬医療部総責任者のケルシーだ」
ドクターとアーミヤ、そしてロドスを守る。それこそが、彼女が自分に課したもの。
「Mon3tr!」
Mon3trが唸りを上げ、プリースティスに飛び掛かる。突撃は突如聳え立った源石の壁に阻まれる。だが緑色の光線を乱れ撃ち、その爪を何度も叩きつけ、壁を削っていく。
源石を掌握するプリースティスに対し、本来勝ち目はない。既に意識を源石を介して現界させることが出来ている彼女は、この場で倒したところで意味はない。その本体を叩けない時点で、どれだけ倒そうとも復活してしまう。
だがこの日のために、ケルシーは楔を打ってきた。イグナスに彼女の目覚めを予言された時から、その復活がこのテラにとって致命のものとならないように。
ケルシーはまず自身に設計された疑似的な不死、双生循環システムを切り離しプリースティスの支配から逃れた。そして石棺を利用し、プリースティスが目覚める際に罠が発動するように細工した。彼女の意識が現界した端末に囚われ、それを失えば源石に対してのアクセス権も同時に制限されるように。
Mon3trの猛攻にアーミヤも加勢する。黒いアーツと緑色の光線がプリースティスの全周を覆った源石クラスターを砕く。その攻撃が、源石の拡大速度を上回り始めた。勝負が一気に傾く。その瞬間を、ケルシーは見逃さない。
「メルトダウン!」
Mon3trの奥の手。過剰に活性化したエネルギーの奔流が源石を硝子のように割って進む。何重にも層となった源石の壁が崩壊し、遂にプリースティスの姿が露となる。一瞬彼女の顔が驚愕に染まる、そして彼女の姿はMon3trの光線に貫かれた。鋼鉄の壁すら溶解する熱量、テラ人のような屈強さを持たない旧人類が耐えられるはずもない。
光線の余波が過ぎ去ったのち、蒸気を上げる甲板の上には焦げた白いコートの端だけが残された。静寂が辺りを包み、アーミヤのアーツですらプリースティスの反応を捉えられなかった。
倒した。そんな言葉が口から洩れかけた、その時。
「おふざけはこの辺で終わりでいいかしら?」
「「「!?」」」
道を尋ねるような、日常の延長にいる声音で語り掛けられ、ドクター達は振り返る。そこには、先程と何ら変わりのないプリースティスが立っていた。
ケルシーはプリースティスを封じるためいくつもの策を講じた。だがケルシーにとって誤算だったのは、彼女が3年前に既に目覚めており、イグナスを懐柔しようと試みる過程で源石の掌握をほぼ完了させていたことだった。彼女はケルシーの予想以上の速さで自身に掛けられた罠を解析し、その制限から脱していた。
今の彼女にとって、滅ぼされた端末から次の端末を複製し乗り換える事など、造作も無い事だった。
「Ama-10。何があなたを変えてしまったのか、少し興味があったけれど、もういいわ」
その腕が、動揺に固まる3人に翳される。
「あの彼が語ったものも、あなたの抵抗も、どれもちっぽけなものだった」
あの彼、と言われて思い浮かぶのはただ1人。今もタルラの持つ源石結晶に囚われているだろうイグナスのみ。
そこに思い至った時点で、ケルシーは致命的な隙を晒したことにようやく気付いた。
「やはり、当初の計画通りに進めるべきね」
「!」
源石結晶が急速に拡大する。それはこの場にいた全ての人を巻き込もうとしていた。
「Mon3tr、守れ!」
ケルシーの叫び交じりの指示に従い、Mon3trは主の元を離れる。その瞬間、拡大した源石結晶が炸裂した。
アーミヤとドクターは黒い金属質の殻に覆われた。ケルシーの元を離れ、2人を守ろうと庇ったMon3trの外殻が寸でのところで間に合った。
なら、ケルシーは?
「ケルシー!!!」
「ケルシー先生っ!!!」
ドクターとアーミヤの視界の先で、その身を源石の前に晒したケルシーが僅かに目元を緩める。そこに籠められたものは諦めであり、安堵であり、信頼だった。
(ああ。2人は無事だ。ならば、大丈夫だ)
ドクターとアーミヤの叫びは、源石の炸裂音に遮られた。
一方その頃、ケルシー達と分断されたエリートオペレーターらは、辿り着いたAbyssで敵と対峙していた。
「こいつら、キリが無いな」
「ケルシーとドクターとアーミヤはどこに行った?」
「Raidian、座標は!?」
「だめだわ。信号が全く感じられない」
「!? Mantra!」
『私のアーツでも知覚できない』
Scoutが次から次へと湧いてくる源石結晶体に銃弾を片っ端から撃ち込んでいく。それらのいくつかにScoutは見覚えがあった。過去の亡霊が蘇り向かってくる光景に悪態をつきつつも、正確な射撃でその額を撃ち抜く。
だが、彼らは動きは鈍ったものの未だに動き続けている。自分の攻撃の効果が薄いのを見て、彼はRaidianにドクター達の場所を問う。しかし、生体電気を含むあらゆる電気信号を見逃さないはずの彼女のアーツですら、ドクター達がどこに消えたのか突き止められなかった。
入ってきたはずの空間の亀裂はいつの間にか閉じていて、周囲は未知の素材でできた壁に覆われていた。手掛かりも掴めず閉じ込められ、終わりの見えない敵勢力に焦りが募っていく。
そして、この場の脅威は過去の亡霊だけではない。その空間の中央では、巨大な機械構造体がそのモノアイに菱形を浮かべ暴れていた。
「この! そこそこ硬いくせに再生するなんて生意気!」
「私の弓矢では威力不足ですね。アーツで行動を阻害できませんか?」
菱形。旧文明を指し示すシンボルが、その場の全員を見下ろしている。プリースティスがPRTSの制御を奪い発動させた防御システムが牙をむく。
「どけ! 私達で一気に叩く!」
接敵していたブレイズとStormeyeが退き、タルラとフロストノヴァが前に出る。
フロストノヴァが周囲一帯を凍り付かせ、その足を鈍らせる。その装甲に霜が降り始めた頃、タルラの炎が一気に呑み込んだ。急激な温度差によって装甲だけでなくその内部までもが破裂、普通の機械ならばスクラップになっているはずの攻撃だ。
だが、生じた亀裂から源石が膨れ上がり、瞬く間に損傷は無かったことにされてしまう。これまでの傷と違い、内部から完全に破壊したにも関わらずこれだ。
「チッ、これでもだめか」
思わずフロストノヴァが舌打ちをしてしまうのも無理はない。無限に再生し、しかも先程から挙動が徐々に対応しづらくなっている気がする。奴は学習し、ロドス側の数的有利すら克服しようとしていた。
どう攻略したものか考える最中、砲塔が開きエネルギーが集束されていく。見ただけで、あれがMon3trの光線並みの火力を持つことは分かった。
全員に距離を取るよう叫ぶ。だが放たれる寸前、砲塔は巨大な剣によってかちあげられ天井を焦がすに留まった。
「そこをどいて」
見れば、ロスモンティスがその手を翳しアーツを操っていた。彼女の剣が機械構造体を割断し轟音を上げる。しかしそれも瞬く間に修復されてしまう。ロスモンティスが再び剣を振り下ろし、今度は地面に串刺しにする。そのまま二つに割いてしまおうとアーツに集中する。彼女の周囲が漏れ出たアーツの余波で弾けた。
「はやく、しないと!」
アーツの過負荷によって鼻から垂れ始めた血を拭う事すらせず、青い燐光を放ち両腕に力を籠める。
ロスモンティスは自分が焦っていることを自覚していた。そして、その衝動が起きる原因についても。イグナスを失った日、その事実を知って泣き崩れた。そしてそれから数か月の間、記憶疾患によって彼が亡くなった事すら思い出ごと消えてしまうのではないかと、恐怖に怯え続けた。その記憶は繊細な彼女の心へ確実に傷跡を残していた。
「もう、失うのはいや!」
『必ず、帰って来てね』
『ったりめえだ。ロスモンティスこそ、帰ったら頭撫でられる準備しとけよ?』
あれだけ本心から誓っても、人は突然帰らぬ人となる。いつまでも続くように思えた日常は、何の脈絡もなく永遠に失われてしまうことだってあるのだ。
『大丈夫です。私達なら、きっと乗り越えられます!』
この作戦の前、アーミヤ達は誓ってくれた。必ず生きて戻ると。それでもロスモンティスは、その言葉は何も保証してくれないと知っている。誰かを守るために、ロスモンティスは翼を手にしたのに。自分が傍にいない間に、世界はロスモンティスの大切な人を奪っていく。だから、早くアーミヤ達を見つけ出さないといけないのに。
「アーミヤ達に、会わせて!」
このままでは彼女自身が壊れてしまう。アーツが暴走しかけているのに気付いた周りのオペレーターが止めに入るも、その声は届かない。既に彼女の周囲は不可侵の力場に覆われてしまっていた。
機械構造体の巨躯が、プレス機にかけたみたいに拉げていく。彼女の周囲の床が破砕され、形の定まらぬ純粋な力が空気を弾けさせる。不条理への怒りと、喪失の恐怖を乗せて、邪魔するものは壊れてしまえと強く願う。
RaidianとMantraがアーツで無理矢理止めにかかる。双方にダメージを残すことになってしまうが、背に腹は代えられない。2人がアーツユニットを構えた、正にその時。
『よくやった。ロスモンティス』
「……へ……?」
ロスモンティスの耳が、懐かしい声を聞いた気がした。周囲の音は聞こえず、Raidianがアーツに乗せた声も空気中に発生したプラズマで通りにくかったはずが、何故かその声は鮮明だった。
「なに、これ?」
そして、異変は伝播する。際限なく出現し、復活していた源石構造体の様子がおかしい。今までは幽鬼染みた挙動をしていたが、今はエラーを起こした機械のように不自然な挙動を繰り返している。巨大な機械構造体の方も、そのモノアイに浮かぶ菱形が頻りに明滅していた。
そしてもう1つ。
タルラが胸元を見る。そこが温かく、仄かに輝いている。咄嗟に首のチェーンを手繰りペンダントを取り出せば、イグナスの源石結晶がかつてない程輝いていた。
「これは……」
『いや~、まさかプリースティスに啖呵切ったまま迷子になるとは思わなかった! 辺り一面金ぴかの海で、どっちに行けばいいかわかりゃしねえ!』
そこから、能天気で聞き馴染みしかない男の声が聞こえて来た。そして黒いはずの源石が黄金に染まり、それに共鳴して他の源石構造体の体表源石も活性化する。
プリースティスの企みで生み出された源石構造体は、源石に取り込まれた過去の人物の情報を基に創り出される。亡くなった人物の器だけを象った、プリースティスの命令に緩慢に従うだけの操り人形。だからこそ、彼らは亡霊と呼ばれた。
しかしプリースティスがロドスを乗っ取るための手駒に過ぎないはずのそれに、ただ1つの例外が存在した。写し取られた情報だけではない。記憶、感情、意志、それらを全てひっくるめた、魂と呼べる概念ごと保存された唯一の存在。彼女にとって誤算だったのは、単にロドス内を制圧するために選んだ戦力拡充の手段が、彼と現世を再び繋ぐ糸口になってしまった事だ。あるいは、それは死者を弄ぶ所業に対する報いだったのか。
創り出された源石構造体はプリースティスの基本的な命令に従う。だが、空の器に注がれる中身があれば話は別だ。
タルラが手にしていたペンダントが独りでにその手を離れる。それは薄暗いこの空間で眩い程の光を放ち、成長していく。
『お前達の光、ちゃんと届いたぜ?』
当てもない情報の海の中、彼はこれまで出口を求め彷徨い続けた。それは砂漠に隠された一粒の砂金を見つけるような無茶だった。だがここに至り、彼の特殊な眼は久しく見なかった光をいくつも目にした。彼が愛し、守りたいと願った仲間達の魂の輝きを。
だからこそ。彼はその出口を見つけることが出来た。
『待たせたな、お前ら』
その頼もしい声に、皆の心が奮い立ち歓喜に震える。ずっと聞きたかった、彼を喪ってからそう願ってきた。黄金の輝きはやがて収束し、1人の男の形を取る。その神秘的な光景に敵味方も揃って目を奪われていた。
その靴が床を踏み鳴らす。手にした旗の石突が、金属質な床を叩く。その1つ1つが今、彼がこの場に再び蘇ったのだと確かな現実感を伴って教えてくれる。
数多の視線を集めながら、彼は意気揚々と笑った。
「レユニオン幹部兼ロドス外勤オペレーター、イグナス。満を持して登場ってな!」
イグナスの復活。思いも寄らぬそれに誰もが心奪われていた。レユニオン結成当初からの付き合いであるフロストノヴァや、彼によく懐いていたロスモンティス。歴戦のエリートオペレーターであるAce達でさえ、彼の姿を再び目にした感動で動きを止めた。
そしてそれは最もイグナスを想い、再会を願った彼女も同じ事。タルラはイグナスの後ろ姿に手を伸ばし、懸命に言葉を紡ごうとしていた。
言葉が詰まる。口に出したい思いが多すぎて、どれを選べばいいのかさえ分からない。それでも足はゆっくりと彼に吸い寄せられていた。
イグナスがタルラに気付き振り返る。今すぐ彼を抱きしめ、その熱を感じたい。タルラはそんな衝動に駆られる。だがイグナスが途中で周囲の敵に気付き、再び前を向いてしまうのを見て、タルラは拳を握りしめ心の中で自分を一喝した。
そして、タルラはイグナスの横に並び立つ。
「アーミヤとケルシーとドクターの3人が隔離された。どうすればいい?」
それは一見、感動の再会を棚に上げる冷たさを感じるものだった。
だがその問いに、むしろイグナスは心から喜んだ。彼が何のために復活したのか、その思いを汲み取ったが故の簡潔明瞭な説明に、愛する伴侶の頼もしさを感じ自然と笑みが込み上げる。
イグナスが魂を見通す瞳で周囲を見渡す。その視界は物質に遮られず、程なくして遥か直上に浮かぶ3人と彼らに対峙するプリースティスを見つけた。
「多分、甲板上だな。プリースティスと交戦してる」
「何? なら早く助けに行かなければ!」
そう急かすタルラだったが、イグナスが待ったをかける。その瞳は未だ天井を見上げていて、何が見えたのかイグナスは薄っすらと笑みすら浮かべていた。
「おい、どうした?」
「ああ、安心しろ。どうやら俺が用意してた助っ人が到着したみたいだ」
「助っ人だと? いつの間に」
イグナスは今ようやく復活を果たしたばかりで、そんな布石を打つ余裕などないはずだった。だが、プリースティスが目覚め、PRTSへの干渉に源石の権限を行使した際、それに便乗する形でイグナスも小細工を仕掛けることには成功していた。
「ま、できたのは精々メッセージをばら撒くくらいだったけどな」
そう言われ、タルラはPRTSが世界中に発信した文字化けだらけのメッセージを思い出す。得心がいったタルラは、しかし苦い顔を浮かべるイグナスに首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「いや、あいつが来てると思うと後が怖くてな……」
「? それはどういう」
言い終わる前に、突如爆発音がAbyssを蹂躙した。未知の構造体であった壁がなんと外側から徹底的に破壊され、爆炎とともに誰かが飛び込んできた。
「何?!」
警戒するブレイズ達。だがその煙を割いて現れた人物に思わず目を丸めた。
「随分好き勝手されたみたいねえロドス。邪魔だったから壁ごとぶち抜いてきたわよ?」
「ウィシャデル?!」
そこにいたのは、新たな装いと装備に身を包んだウィシャデル。彼女はその傍らに砲塔を浮かばせ、ずかずかと荒々しい足取りでAbyssに侵入した。
周囲の様子を伺う中、その視線がピタリと止まる。丁度、その先には気まずい表情をしたイグナスが顔を反らしていた。
「あ~~~、よう、W。久しぶりだな?」
「ウィシャデルよ。もうその名前で呼ばないで」
刺々しい返答にイグナスがたじたじになる。これまでならそれくらいでへこたれるイグナスではなかったのだが、今回は負い目があるためかどことなく押され気味だった。実際、今のウィシャデルにこれ以上軽快に話しかけていればイグナスはその口にレヴァナントの砲撃を食らっていたことだろう。それくらい、今のウィシャデルは虫の居所が悪かった。
W、改めウィシャデルというサルカズは、実に傭兵らしい処世の術を持っている。常に余裕があるように見せかけるため、愉快そうな顔で相手を小馬鹿にする。その実、頭は冷静にその脅威と対処法を思考し続けており、瞳の奥にはどこか冷たさを保っていた。
だが今の彼女にはそれすらない。彼女の思考の全てを怒りで塗りつぶしてしまうほどの何かがあった。そんな彼女にできる事と言えば、そこに油を注がぬように気を付ける事だけ。
少なくとも、ここで癇癪染みた暴走をしなくなっただけ大人になったと言える。議長となりそれなりに責任ある立場を背負った彼女は、自分の怒りを上手く御すことが出来るようになっていた。
「ホント、私も丸くなったものね」
気まずい沈黙が過ぎ、ようやく口を開いたウィシャデルはため息とともに不満を吐き出す。そうでもしなければ、このイグナスという男の、あまりのお人好しと無神経に気が狂ってしまいそうだった。
「いくらあんたの遺言だからって、まさか
ケルシーを呑み込む源石クラスターの爆発。それはテラの感染者にとって死そのものだった。触れれば最後、体内の源石結晶と共鳴し、その肉体は瞬く間に塵と化す。
だが、それは何人も巻き込まず、その炸裂音を響かせるに終わった。
「き、みは……」
一度受け入れたはずの死が、その脇を通り過ぎた感覚は筆舌に尽くしがたい。
だがそんなことよりも遥かに大きい衝撃が、ケルシーから言葉を奪っていた。
ケルシーは目を疑った。
彼女の眼前に迫った源石クラスターの爆塵は、何者かによって左右に断ち切られていた。今も彼女を避けるようにして、周囲の床は超高濃度の源石粉塵によって結晶化している。
そして、ケルシーの前には誰かが立っていた。姿をすっぽりと覆う外套を靡かせ、その手に一振りの剣を携えて。
その人物が、プリースティスに向かい一歩踏み出す。踏みつけられた源石が音を立てて崩れ去った。
「あなたの存在は想定になかったわ。あなたは、誰かしら?」
見知らぬ男に、プリースティスは首を傾げる。だがアーミヤ達は彼を知っていた。
背後に通り抜けた爆風の余波を受け、露になったその顔は。
記憶よりも少し長く、束ねられた
彼らのよく知る優しい
「以前の貴様は、霞のような存在であった」
男が声を発した。その声は、鋼のような意志の強さを伺わせる力強いものだった。
かつて彼は、神のような存在を斬るためだけにその全てを捧げた。だが、その目論見はある1人のお人好しによって命と引き換えに阻止された。
男は今際の際の、
『いつか、ロドスの仲間として、あいつらを助けてやってくれ』
男は敗者の務めを果たすと誓った。ならばこの瞬間こそ、その誓いを果たす時。
「源石の創造主よ、心するがいい。この剣が貴様の傲慢を暴く」
男は剣の切っ先を真っ直ぐに向ける。その先にいる存在は、テラの苦難の元凶であり、双子に立ち塞がった運命であり、かつてその命を以て自分を救った男の祈りを無に帰す敵である。
プリースティスは現界しその真体を晒している。その強さは目覚めたばかりとは比べるべくもないが、それはつまり源石の最奥に潜らずともその剣が届くということでもある。
今、再び彼は神と相対する権利を得た。
しかし前とは違う。その背には守るべき存在があり、彼の戦いは決して孤独なものではない。
「我はテレシス。貴様を誅する一振りの刃である」