曇らせに耐性の無い方は薄目にしながら恐る恐るご覧ください。
私が、間違っていたのだろうか。
「兄さん、起きて! お願いだよ!」
「兄貴! なんで、こんな!」
嗚咽交じりに彼を呼ぶイーノ。
サーシャが混乱しながらも、症状を把握しようと触診している。
そんな2人に囲まれたイグナスは血を吐き倒れていた。
色白な頬に、血の跡が広がる。
「鉱石病?! そんな、なんで・・・!!」
何かに気付いたのか、彼の腰袋を探るサーシャ。
その手には、あの日見たケースが握られていた。
使わせるものかと誓ったそれが、開いていた。
「急性のショック症状が出てる。イーノ、抑制剤は?!」
「持ってないよ、どうしよう!」
「タルラ!」
サーシャに名を呼ばれた。その表情はどこか切迫していて、普段から冷静な彼らしくなかった。
「な、んだ?」
「抑制剤だよ! 持ってないの?!」
ああ、そういえばそんな話をしていたな。
確か予備で持っていたものがあった筈だ。
ポーチを探り、それを手に取る。
だが、なぜこんなものが今必要なのだろう?
「! 貸して!」
ひったくるようにそれを奪い、イグナスに打ち込むサーシャ。
何をしている、イグナスは感染者じゃないだろう。
それになぜされるがままなんだ、イグナス。いつも弟可愛がりする君らしくもない。
そう言おうとして、彼の顔を見た。
顔だけではない。額の右側から首元にかけて、夥しい体表源石が浮かんでいた。
口からは血が泡となって吹き出し、ショック症状のせいか全身が小刻みに震えている。
なぜ? そう思い、彼の足元に目がいった。
そこには、サーシャがさっき投げ捨てたケースが落ちていて。
その蓋は先程と同様、開いていた。
何か、気付かなくてはいけない気がする。手遅れになる前に。
だが気付いた瞬間、私の何かが壊れてしまうような予感があった。
なぜ、こうなっている?
なぜ、彼らは焦っている?
なぜ、イグナスは血を吐いている?
思考を巡らせようと右手を持ち上げる。
その時初めて、私は何かを抱きしめていたことに気付いた。
腕の中に、血まみれのアリーナがいた。
そうだ。走った先で、彼女が倒れていて。
もうすぐ助けが来るからと、声を掛け続けて。
どうか恨まないでと、そう言って彼女は息を引き取った。
そう。彼女は死んだはずだったのだ。
「あ、あああ」
思い出す。
彼女から命が失われた瞬間の手の感覚を。
必ず助けると言ったイグナスの瞳も。
「ああああああ!」
彼が顕現させた、月のように輝く花弁も。
アリーナが息を吹き返した時の歓喜も。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
満足げに笑い、血を流して倒れる彼も。
全部、すべて。私が招いたものだった。
「うっ、おえ」
吐き気が止まらない。
胸を搔きむしる。自分が気持ち悪くて堪らない。
この時ばかりは頑丈な龍の体が、恨めしかった。
自分を切り裂いて、中身を全て取り出さなければ、この不快感は拭えない。
(私が、無力だったから。彼女を救ってほしいと、願ったから)
そんな考えが頭を過り、すぐに愕然とする。
アリーナを見捨てていればと、そう願っていた自分に頭がおかしくなる。
私が、彼に願ってしまったのだ。
アリーナから命が失われたのを知って、嘆くことしかできない私に彼が掛けた言葉に縋ってしまった。
死んだ者が蘇ることなど、不可能だと知りながら。
彼ならできるかもしれないと、そう盲信して。
それに何が伴うか、私は考えもしなかった。
その結果がこれだ。
今も目の前でイーノとサーシャが必死に治療を行っている。
だが、その表情は険しい。
イーノのアーツも、鉱石病の症状には効果が薄いようだった。
彼を失うかもしれない、そう考えただけで足元が崩れたように感じる。
全身から熱が奪われて、凍えてしまいそうで、震える自分の体を抱く。
溢れ出る無力感と、自分への嫌悪に、思考が淀んでいく。
もう、何も考えたくなかった。
それなのに、目を逸らすなとでも言うように、世界はそれを許さない。
近くから雪を踏みしめる足音がした。
「お、ガキと女か」
近づいてきたのは、先程相手した軍人達と同じ装備をした兵士だった。
「感染者風情が。こんな辺境で数増やしやがって、目障りなんだよ」
軍刀を片手で弄ぶ。その刀身には、血がへばりついていた。
それが意味するものに、停滞していた思考が再び動き出す。
「そんなに仲間が大事か?」
そしてそれを聞いた時、なにかがはじけた。
震える声で問いかける。
その震えは、少なくとも恐怖によるものではなかった。
「なぜ、こんなことをした? 彼女が武器を握っていたのか?」
アリーナを抱きしめる腕に力が入る。
先程の殲滅戦。こちらは被害がほとんどなかった。
それでも、その勝利に酔うことなどできなかった。
本当は、戦いそのものを避けたかった。
軍人にだって家族がいる。
彼らの中にだって、手を取り合える人はいる。
私達が掲げてきた理想は、決して幻想ではないのだと。
そう、思っていた。
「感染者は武器が無くてもアーツが使えるだろ」
さも当然のように言う男。
「彼女はただ逃げただけだった。彼女は、善良な教師だった」
私の、ようやく絞り出した言葉も。
「知らねえよ。感染者の事なんてどう知れっていうんだ」
無責任に、突き返された。
(そうか、お前が)
ああ、今の物言いといい、お前がアリーナを襲ったのか。
お前が、アリーナを殺したのか。
だからイグナスが、死のうとしているのか。
腰から剣を抜く。イグナスに贈られた方は使わない。
こんなことで、彼の剣を汚したくなかった。
アリーナとイグナスを2人に任せ、立ち上がる。
今まで、目指す未来の為に戦ってきた。
そのために多くの命をこの手で奪いもした。
それでも、いつか来る”和解”の日のため、彼らの命を奪わずに済むのならそうした。
だが、私は初めて、
感染者を人とも思わぬこいつらが、ただただ憎い。
(そうだ。お前の幻想は憎しみへと変わる)
愛する人に裏切られ、お前は彼らとの身分の違いを悟るだろう。
自らの為に死にゆく友を見て、お前は将来への希望を失うだろう。
隣人を愛する者などいない、お前の奮闘は無駄に終わると気づくだろう。
お前が全霊を捧げようと、この大地は、お前を必要としていないのだから。
お前は目の当たりにするだろう。全てが無に帰す様子を。
久しく聞かなかった、あの男の声がする。
それに抗う事すら、億劫だった。
目の前の男と距離を詰める。
女と侮り雑に振るわれた刀を軽く払い、その衝撃で相手の体勢を崩す。
がら空きの胴に、切っ先をねじ込むべく構える。
『俺達が、本当の意味で平等になれたらいいな』
ある日、仲良く談笑する商会の者とレユニオンのメンバーを見て、彼がそう呟いたことを思い出す。
(そうだな、そう思っていた)
だが、世界は私を拒絶した。
それも、最低最悪の手段でもって。
私の大切な人を奪っていく、この不条理で不義理な世界に嫌気がさした。
あの日の約束を、誓いを、振り払うように。
やけに重たく感じる剣を、思い切り突き出した。
(目の前の、この男だけは!!)
「タ、ルラ」
水気を含んだかすれ声に、切っ先が止まる。
それは奇しくもあの日、コシチェイに剣を突き立てた時と同じ構図だった。
あの日と違い、そして私達が出会ったあの日と同じように、彼の言葉が再び私を踏みとどまらせた。
「かたきうち、なんて、おれはしんで、ねえぞ」
その左目は未だ閉じられたまま、右目はそもそも源石結晶に覆われてしまっていて、意識があるのかさえ怪しい。
それでもイーノに支えられた彼は、私に震えた手を伸ばしている。
必死になって、今にも死にそうなのに。
君をそんな目に遭わせたのは、私なのに。
彼の言葉と、目の前の男に湧き上がる殺意で、体が引き裂かれてしまいそうだ。
剣を握る手が震える。
(私は、どうすれば・・・)
「くっ・・・・・ああああああああ!!!!」
衝動の赴くまま、剣をかざし、振り下ろす。
振るった剣は兵士の横数センチを切り裂き、纏ったアーツの熱量で地面をガラスに変えた。
それに慄き、腰を抜かしながら走っていく兵士。
それを見届けた私は、剣を取りこぼし、頭を抱えながら膝をついた。
「それで、いい」
彼がほっとしたように言うが、そんなわけがない。
なにも、よくなんてない。
「だが私は、お前を、死なせ、憎い、切り裂いて」
今まで背負ってきたものが、リーダーとしての仮面が、零れ落ちていく。
過去の誓いが、今の自分を縛り付けて痛かった。
違えるものかと思っていたそれが、初めて煩わしく思った。
張り裂けそうな胸のうちに、支離滅裂な言葉しか口にできない。
そんな私に、いつものような強がりな笑顔でイグナスは言う。
「わらえ、よ。そんな・・お・・にあ、わ」
だがその言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「兄さん? 兄さん!?」
「まずい、呼吸が!」
サーシャが胸に手を当てる。
そしてイグナスの口に手を突っ込み、赤黒い血の塊をかきだした。
それでも、彼の呼吸はみるみる弱くなっていく。
「・・・・いやだ・・・・・」
気付けばそう呟いていた。
一度口にした思いは、堰を切ったように止まることはなかった。
「いやだ・・置いていかないでくれ・・・・」
いつも笑って応えてくれた。
時には怒り、叱ってくれた。
ともに歩み、同じ夢を見た。
辛い時、心が挫けそうな時、いつだって傍で支えてくれた。
私とともにこの世界の行く末を見ると、そう約束したはずだった。
「誰か、誰かいないのか?! 誰でもいいっ!」
広い雪原に、悲痛な叫びが木霊する。
応える声はない。
「彼を、イグナスを助けてくれえ!!」
彼を救えるならなんだってする。
龍門に帰れなくたっていい。
どんな責め苦だって受け入れよう。
悪魔にこの魂を売っても構わない。
私に捧げられるものは、全て捧げるから。
だから。
「私の、大切な人を、奪わないでくれ~~~!!!」
その切実な願いは、無人の雪原に響き渡って。
「
苦しむ者を救わんとする者に、確かに届いた。
確かに聞こえた声に振り向くと、遥か彼方から光が降ってきた。
その眩く輝く黄金の光が、雪原を染め上げる。
かなりの高度から地面に衝突したにも関わらず、着地の際の衝撃はほとんど殺されていた。
着地の際ふわりと舞い上がった光の羽に、一瞬天使が舞い降りたのかと錯覚する。
だが光の中心から現れたのは、分厚い装甲を身にまとった凛々しい
「あなたは?」
「私は・・・いや、説明は後だ」
そう言って上を見上げる麗人。
彼女の視線の先、遠い空から何かが近づいてくる。
やがて聞こえてくる規則的な風切り音と、肌に感じる突風。
空を見上げれば、この大地では珍しい、航空機が滞空していた。
宙に浮かぶそれから、やがて降下用のロープが降ろされ、2人のサルカズが降りてくる。
1人は長いブロンドの髪を伸ばした白い装束の少女。
そして彼女を抱えたまま降下してくる、剣を携えた白髪の女性。
彼女らは地上に着くと、イーノとサーシャに抱えられたイグナスと、すぐ近くに寝かされているアリーナを見た。
イグナスの顔を覆う体表源石に目を顰めたものの、彼女らは頷き彼に近づく。
「誰だお前ら!」
「安心しろ。この光が、君達を癒す」
サーシャの問いかけにも答えず、最初に降り立ったクランタの麗人が手にしたウォーハンマーを地に突き立てる。
すると彼女のアーツだろうか、先程も見た黄金の光が周囲に広がり、私達を癒した。
「心配しないで、彼は私達が救います」
「はい、私達が必ずお守りします」
そしてサルカズの2人が手にしたスタッフと剣をイグナスにかざすと、それまでとは比べ物にならない光が彼を包む。
そのあまりの光景に、声を失う私達。
特にイーノは現代アーツとはどこかかけ離れたその未知の力に、圧倒されていた。
「君、達は?」
イグナスの呼吸が安定してきたのを見て、安堵とともに問いかける。
今もイグナスに回復アーツをかけ続け集中している2人の代わりに、クランタの麗人が応えた。
「製薬会社ロドス・アイランド。貴殿らの要請により、医療支援に参った」
そう告げる彼女は、何処までも凛々しく光に満ち溢れていた。