先程から、爆発音が遠くより聞こえてくる。
音に付随して自分が歩く建物自体も揺れていて断続的に聞こえてくるそれらの規模が大きいことだけが伝わる。
今もその余波か、ただでさえ力の入らない足が振られ体勢を崩しかける。
だが膝をついてしまうよりもずっと早く傍らの人物が私に手を伸ばした。
「ドクター、大丈夫ですか?」
「・・・ああ、問題ない」
そんな私を支えてくれるこの少女。
名はアーミヤ。
私の
私は、何故か記憶を失ってしまっていた。
棺のような物体から彼女らに助け出され、こうして行動を共にしている。
なんでも私は彼女らの仲間で、“ドクター”と呼ばれていたらしい。
優秀な指揮官でいくつもの戦いを勝利に導き、またこの世界に蔓延する鉱石病という病気を研究する第一人者だったと教えられた。
だが、その記憶は私にはない。
あるのは助け出された時に頭を過った、アーミヤと同じように私に手を伸ばす謎の女性の記憶。
そして、ドクターという呼び名だけ。
それ以外、私には何もなかった。
過去も、記憶も、誰かとの繋がりさえ、この頭から抜け落ちてしまっていた。
アーミヤに同行していたドーベルマンという女性からは記憶を失っていると知ってひどく落胆された。
私が何かしたわけではないが、申し訳ない気持ちになる。
彼女らにとって、それだけ“ドクター”という存在は大きいものだったのだろう。
そのほとんどが先程語った鉱石病に罹患していて、それが現在病状の進行を抑えることしかできない不治の病だというのだから当然だろう。
なら、私はいったい何なのか。
視線が自然と下がり、歩く度後ろに流れていくアスファルトの床が視界に映る。
何の特徴も無い無機質なそれがまるで今の私のようで、顔を上げることができない。
幸い、最初から被っていたバイザーのお陰で視線を彼女らに悟られることはなかった。
これ以上に情けない姿を晒して、失望されたくなかった。
下を向いて歩くうち、いつの間にか私達は地上へとたどり着いていたらしい。
僅かに側溝や茂みに残る雪の存在が、今は冬の時期なのだと教えてくれる。
レンガや鉄骨が並ぶ街並みに見覚えは、ない。
遠く、爆発音がした方向を見れば建物の隙間から煙が見えた。
「大丈夫、だろうか?」
「安心してください。今私達の別動隊が暴徒の鎮圧に動いています」
「彼らは、無事なのか?」
「ええ、皆さんとても頼りになる方ばかりです」
そう答えるアーミヤからは気を遣った様子はない。
ならば本当に大丈夫なのだろう。
それからアーミヤ達の先導の下肌寒い道を移動していく。
途中、暴徒の生き残りが市民を襲っている場面に遭遇してそれを撃退した。
守るべき市民も多く、全員を助けるのは不可能に思えたがなんとか無事怪我人を出さずに済んだ。
どうやら、以前の私の能力は失われていなかったらしい。いつの間にか渡された端末、PRTSに手が伸び息をするように自然と指示を出していた。
これなら、彼女達の役に多少は立てるだろう。
胸中に残る、僅かなしこりから目を背けて。
自分に唯一残っていた“ドクター”の面影に安堵した。
「この後は、どうなるんだ?」
「どう、とは?」
さっき彼女達が話していた。
今この場所はさっき鎮圧した暴徒に加え、天災という大規模な災害に襲われようとしていると。
だが人目につかないよう選んだ路地裏から表通りを見るに、まだ住民の避難は済んでいないようだ。彼らも見捨てるしかないのだろうか?
胸が痛む。記憶の無い自分だが、倫理観の様なものは残っているらしい。
人が死ぬのは、悲しい。
それが例え、先程暴徒から救った際触れられることを拒んだ親子のような人間だったとしても。
だが、その不安にも彼女は力強く頷いた。
「そちらも安心してください。彼らが解決のために動いてくれています」
「彼ら?」
「はい。レユニオンという、ドクターを救出するのに協力してくれた方達です」
そんな人もいるのか。
私を助けるために協力してくれたというなら、礼を言わなければ。
「きっとドクターも気が合うと思います」
「そうかな?」
こんな記憶もなくした人間と、話が合うのだろうか。
「はい。イグナスさんという方は特にそうですね」
ただ、冗談を言ったりする方なのであまり真に受けないでくださいねとも言われた。
そう言いながら顔を赤くするアーミヤ。
何かあったのだろうか?
「現在、レユニオンの方がこの移動都市を動かすための制御鍵を取りに行っています。それさえあればこのチェルノボーグは天災から逃げることができます」
移動都市? 聞きなれない言葉だ。
「そのお話はまた後で。今はドクターを安全な場所に移動させることが重要です」
休憩は終わった。
私達はまた、人の気配のない路地裏を進む。
この都市のどこかで未だ戦っている彼らに、後ろ髪を引かれるような思いをしながら。
そして歩き続け、遂に航空機が停泊しているポイントに辿り着いた時。
それは起こった。
「あれが、天災です」
ビルの屋上から未だ避難の続く方向を見渡す。
それは正しく厄災だった。
黒い結晶、恐らくあれも源石なのだろう。
ただし、
それらが大地に突き刺さり、都市が激しく揺れる。
それ以外にも、いくつもの源石が降り注いだ。
神話に出てくるような、ヒトにはどうしようもない現象。
だからこそ、彼らはこの移動都市を造ったのだろう。
この、人知を超えた災害から身を守るため。
それが腑に落ちた。
既に移動都市は動き出している。
数分前、大地が丸ごと揺さぶられたかのような衝撃の後に駆動音が轟いた。
だが、あまりのスケールの違いに距離感を上手く測れない。
既に地上を蹂躙し始めているあれから果たして逃れきれるのだろうか。
「早くドクターを航空機へ!」
アーミヤの声が聞こえる。
だけど、足が縫い付けられたように動かない。
彼女が頻繁にやり取りしていた無線機からの声は私にも聞こえていた。
誰もかれも、懸命に天災からこの地を、住民を守ろうと必死に動いていた。
今もまばらに人が走ってくる方向に、彼らを急かす警察官や矢のように降る源石をアーツで懸命に防ぐ集団も見える。
なのに、私だけここから逃げる? 何もせずに?
報告を受けるアーミヤの顔を見た。
避難が思ったほど進まず未だ被災予測地点には多くの人間が取り残されている事、それをまだ諦めていない仲間達、そして最悪の場合その区画を切り離してでも避難するという事。
それを聞いた時、彼女はとても辛そうにしていた。
とてもやさしい子だ。
そんな子に、この決断はあまりにも重すぎる。
小を切り捨てて大を救う選択、そんなもの、こんな小さな背中に背負わせていいものじゃない。
(何かないのか? 天才だったんだろう、私!)
以前の自分だとか、そんな事今はどうでもいい。
今を懸命に生きる彼らを、ほんの少しでもいいから幸せにできるような何か。
それが欲しい!
額に手を当て、記憶を探る。
何もない暗闇の中、手探りで落とし物を拾うように。
けれど、掴みかけたそれは掬うと同時に霞のように薄まり消えていく。
夢の内容を思い出せないような、もどかしい感覚に苛立ちが募る。
そして、見つけた。
ふと視線を向けた先。トランスポーターが操作していた画面に映し出された源石の活性化状況。それが記憶の中の何かに引っかかった。
掴んだそれを離すまいと画面に見入る私。トランスポーターも鬼気迫る様子に画面前から身を退けた。
(これを、私は見た事があるのか?)
確証はない。だが次々と知らなかったはずの数式が頭の中に溢れだす。
それらに現在のチェルノボーグの状況を当てはめていく。
膨大な数の変数に値を当てはめ、導かれる数字を記憶しまたその値を入力していく。
この時私は知らなかったが、通常であれば専門の知識を持った天災トランスポーターが電子機器を用いても至れるか怪しい最適解を、頭の中だけで組み立てていく。
「これなら、行ける」
自然とそう零していた。
「ドクター?」
「アーミヤ、お願いがある。制御室にいる人間に繋いでくれないか?」
「ですがドクター」
「お願いだ、アーミヤ。こんな私にも、君達を救う力があるのだと、信じてくれ」
私を航空機に乗せようとするアーミヤに懇願する。
しばらくアーミヤは迷っていたが、こちらに退く気が無いと悟ったのか掴んでいた袖を離した。
「分かりました。貴方ならできます、ドクター」
「ああ、任せてくれ」
彼女が手にしていた無線機を預かる。
相手は制御鍵で移動都市のエンジンを起動していたレユニオンのメンバーらしかった。
ミーシャというその子は制御室での操作も心得ていたようで、私の言う通りの軌道を辿れるよう操作してくれた。
依然として天災の脅威はチェルノボーグの一画を襲っている。
建物や大地が粉砕される音を背に、観測機をじっと見つめる。
モニターに映し出される観測結果や地形情報が更新されるたび、都度再計算を行い彼女に移動都市の速度や方向を細かく指示していく。
細かく進路を調整された移動都市は、まるで針の穴を通すかのように飛来する源石を避けていく。
多少の被弾は免れないが構わない。そんな余裕など存在しない。
これだけの大規模構造物、見てからでは遅い。常に1分先の状況を予測しながら初動が間に合うように操作する必要があるし、それだけでは足りない。
障害物や地形情報、源石の活性分布や天候情報すらも計算に組み込み、最適なルートを辿れるように思考を巡らせ続けた。
そして度重なる常人の処理速度を超えた計算でもうどれだけの時間が経ったか分からなくなったその頃、音が止んだ。
後ろを振り返れば、空を覆う暗雲は後方に置き去りにされていた。
トランスポーターが再び画面の前に躍り出る。
「チェルノボーグ、天災予測地点からの離脱を確認」
「・・・損害は?」
「・・・・被害軽微。南側区画の離脱もなんとか免れました!」
その言葉を聞き、安心のあまり膝から崩れ落ちる。
横で最後まで指示を見守っていたアーミヤやAceに支えられるが、力が抜けたのか上手く立てない。
相変わらずの虚弱体質だ、以前からこうだったのだろうか。
「病み上がりで無茶をするからだ」
「面目ない。でも、良かった」
そう言いつつも肩に手を回すAceは、言葉に反して笑みを浮かべていた。
「ドクター、これを」
アーミヤが何かを手渡してくる。
それは先程も使っていた無線機だった。
それを受け取り、スイッチをいれる。
「こちら、ドクター」
「よお、あんたがドクターか?」
どこか陽気な声が聞こえた。
これもまた記憶にない若い青年、だが不思議と確信があった。
「もしかして君が、イグナスか?」
「お? もしかしてアーミヤちゃんから聞いてるのか。そうとも、俺はイグナス。レユニオン・ムーブメントの幹部の1人であり、あんたの同盟相手さ。今後ともよろしく!」
「ああ、よろしく。私を助けるために協力してくれたと聞いた、ありがとう」
「いいってことよ。こっちも、あんたには期待してるんだからな」
その言葉に、息が詰まる。
彼らは、私が記憶を失っていることを知らないのだろう。
私が、優秀な指揮官で、有望な鉱石病研究者でないと知って、落胆するだろうか。
それでも、こうして救われた以上話すのが筋だろう。
「そのことなんだが、実は―」
私は彼に自分の状況について話した。
しばらく沈黙が続く。
「だから、すまない。私は君達の求めた人間では、無いんだ」
申し訳なかった。こんな自分で。
彼らの“ドクター”を、奪ってしまって。
「なるべく早く、記憶を取り戻せるように努力する。だから―」
「ちょっと待て。じゃあ、さっきの指示は何だったんだ?」
返ってきたのは、ただの質問。
そこには失望も、怒りも、悲しみも無い。
ただ純粋な疑問を口にしていた。
「あれは、咄嗟に頭の中から浮かんできたというか、少しだけ断片を思い出しただけというか」
「じゃああんた。記憶を失くした状態であんな芸当したってことか?」
「あ、ああ」
「お前、すげえな!!!」
何を言われたか、分からなかった。
「え、いや」
「いやすげえよ! 天災の動向をあれだけ正確に予測するなんてトランスポーターでもできるか怪しいぞ」
「だが、私は記憶を失っていて、何も分からない。自分のことさえ」
そんな何もない私に、彼は。
「関係ねえよ! お前は選んだ、そして行動した、それが俺達を救った。今、俺達を救ったのはあんただぜ
無線機越しの、スピーカーが再現しただけの声がやけに胸に響いた。
自分の生年月日すら知らないのに。
彼は顔見知りですらないのに。
今の自分を認めてもらえたようで、嬉しかった。
無性に胸が熱くなって、大人にも関わらず涙で目が滲む。
「まあとにかく、おかげで助かった。俺含めて南側区画で避難誘導を続けていた多くの人間がな、だから」
ありがとう、と。そう言われた。
その、たった5文字の言葉に救われた。
声が震えないよう、一度落ち着いてから改めて返事を返す。
そんな彼に、かっこ悪いところは見せたくなかった。
「ああ。どういたしまして」
それでも無線機を握りしめてしまう私を、アーミヤは柔らかい笑顔で見守っていた。
こうして、のちにチェルノボーグ事変と呼ばれるこの騒動は感染者による暴動という人災と天災の両方に見舞われながらも
ヴィクトリア 宮殿内
荘厳な装飾に、華美な絵画。騎士の甲冑に王家の紋章をあしらったタペストリー。その場に住まう者の貴さを示さんと集められたそれらも今はその鳴りを潜めている。
豪勢に明かりを灯すであろう燭台も、ほとんどが先に火も点けない蝋燭を飾るだけとなっていた。
古き良きヴィクトリアの面影はそこにはなく、広い謁見の間は冷たく厳かな空気に包まれその玉座も仮初の主を戴いている。
謁見の間にて報告を受けたサルカズの男はその者を外させ、沈黙する。
やがてサルカズを束ねる軍事委員会の主、テレシスは口を開いた。
「聴罪師、答えよ。ウルサスの地にて結成したレユニオン・ムーブメントなる者らについて」
協力関係を築くか否か。
傍らに控えた人物に意見を問う。
黒い装束にサルカズの仮面を張り付けたその男、聴罪師は暫し逡巡した。
「恐れ多くも、未だ分かりませぬ」
「ほう」
全てを見通すかの如く躊躇うことのない彼にしては珍しい反応だ。
興味が湧き、続く言葉を待った。
「あれは確かに力を伴います。ですが、いずれ我々と対立する事でしょう。その時、あの組織の有する血筋と力は必ずや厄介な障害となります」
傅くサルカズの男は、恭しく頭を垂れながらも否定的な意見を述べた。
その懸念も分からなくはない。
「ドラコの王の血筋、そして純血のウェンディゴか」
「然様でございます。特にあの女については現在表面上は協力関係を保っているダブリン、あの竜の王家の末裔が知ることとなれば要らぬ不和を招くでしょう。あちらだけで事が済めばよいですが、不確定な因子は今の摂政王殿下には不要かと」
「それに加えウェンディゴか。サルカズの一大事であるというのに、かつて地上を支配した十王庭も今や私の元に集ったのはその半分にも満たない」
「そも十分でございましょう。諸王の力は絶大、ヴィクトリアでの影響力も確実に広がりかの飛行船の準備も進んでおります」
内戦を乗り越え着々と牙を研いできた我々に抜かりはない。
それだけに、未だその影響力を無視できない集団が目障りで仕方がなかった。
それに認めがたい理由は他にもある。
「感染者と非感染者の共存、か。霞を掴むようなものだ」
「然様でございます」
国の中でさえ互いを許容できずに気が遠くなるほどの年月が経った。
そして、未だこの大地にそんなものは芽吹くどころか土壌を血で汚し悪化の一途を辿っている。
憎しみの上に憎しみを呼び、その上にしか何かを生み出すことができない生き地獄。
そんな世にあって、誰が共存の夢に現を抜かすというのか。
故に、奴らの掲げる旗のなんと軽いこと。
そんな妄言、いっそ屈辱的だ。
我々サルカズの数百年に渡る憤怒と悲劇が、奴らの血以外で拭い去れるとでも言うのか?
三千を超える滅亡と、その度に積み上げられていった屍にそれで報いろと?
戦場での応酬でしか自らを示すことが出来ない、そんな我らに平和だと?
「惰弱、惰弱の極みだ」
かつて自らの妹が口にしていた言葉が蘇る。
『この大地が、安らかに眠れるために』
安眠など許されない。
既に私達は動き出した。
この大地に、サルカズの憎しみと強大さを知らしめる。
我々は嵐となり、諸国を戦火で覆い、奴らが見上げることしかできぬ暴虐として君臨するのだ。
全ては、我らが故郷。カズデルを取り戻さんがため。
聞く者もいなくなったその場所で、人前だからと抑えていた言いようのない怒りと憎しみが漏れ出す。
「その理想、語るには200年遅かったな」
遠い地で新たな時代を迎えた彼らを、そう吐き捨てた。
これより、サルカズはまた新たな時代を迎えるのだ。
カズデルを再建し、失われたサルカズという種族としての誇りと尊厳を取り戻す。
そして―――
第一章 大地黎明・完
これにて第一章・完となります。
前にお話しした通り、これから暫くは閑話という形で何話か書いた後、本編のストーリーに絡む部分を書いていきたいと思っています。
とりあえずヴィクトリア編は書きたいです。
そして、その閑話についてなのですがかなり私の書きたかった内容をそのまま書く形になるかと思います。
所々内なるカプ厨が暴れるかもしれませんが、どうか、何卒ご容赦ください。