ロドス本艦。19:00
静まった道を1人歩く男がいた。
全身を覆う分厚く白い外套に、暁色のスカーフが映える。
普段と違い屋内なので顔を覆い隠すフードは取っ払い、どこにでもいるような特徴のない顔が晒されている。
そう、俺だ。
俺の名前は、まあ名乗るほどのもんじゃない。
レユニオンが誇る幹部の1人、フロストノヴァが率いるスノーデビル小隊、その一員ってだけ。
精々スノーデビル1号といったところだ。
何故レユニオンの俺がこんな場所をうろついているかというと、それは数日前にまで遡る。
チェルノボーグ事変も終息し、
幹部勢も積極的に交流をとっており、もう顔馴染みといってもいいだろう。
そんな製薬会社ロドスとの協力体制が本格的になってきたこの頃、レユニオンでは重篤な鉱石病患者を優先的に本艦で治療することになった。
そうなると当然、いの一番に候補者に挙がったのは姐さんだった。
イグナスの抑制剤のお陰で以前より遥かにマシになったが、特異な体質として表面化するほど源石は彼女の体を蝕んでいる。
様々な人からの後押しもあり、頑固な姐さんもついには折れ診察の為ここを訪れることとなったのだった。
俺は姐さんの付き添いだ。ビッグベアも一緒に来ているが、俺達の症状は幸いなことに比較的軽度で専門的な治療を必要としなかった。
日々の鉱石病治療も殆どなく、週に一度の検診と抑制剤投与以外には何ら普段と変わらない生活を送っていた。
あいつは今頃、訓練施設でここの戦闘員と汗をかいているところだろう。らしくもなくウキウキしながら相棒の大太刀を手に廊下を歩いていくのを見た。
ここで働く人間は本当に様々だ。
製薬会社らしく医療専門の人間もいれば、輸送を担うメカニックやいかにも商人って感じの奴もいる。
それに下手すればうちの幹部勢とタイマン張れるような戦闘員もいるし、変わった奴では前に戦う医者なんて奴にも会った、それも複数人。
「こんだけの組織が、俺達以外にもあったなんてな」
どこか武骨で代わり映えのしない廊下を行きながら、改めて実感する。
廊下を走る幼い子どもも、訓練生と見られる少年少女達も、作戦帰りの大人も、皆笑みを浮かべていた。
イグナスがあちこち駆け回ってくれていなければ、ウルサスでの俺達もこんな表情を浮かべることはできなかっただろう。
日々の食事に頭を悩ませ、先の見通せない未来に焦燥し、やがてその矛先を今ある全てに向けていたかもしれない。
人間、食うもん食って、しっかり寝て、初めて人でいられるんだ。
あの罵声と暴力が支配していた鉱山の中でそれは嫌というほど身に染みた。
さて、姐さんはアーミヤさんらと食事をするらしいしビッグベアは鍛錬中。
1人浮いた俺はこの先どうしようか。
同じ兎耳同士気が合うのだろう、姐さんらの邪魔はしたくないしそもそも昼に食い過ぎたせいで腹もそこまで減っていない。
それでも何か口寂しくて適当にうろついているわけだが、ほとんど変わらない景色にそろそろ飽きてきた。
このまま帰って何かつまむかと、そう考え始め角を曲がった先に看板が見えた。
Bar Open
おしゃれな照明に照らされたその文字は、彷徨う俺には天国への入り口に思えた。
(入ってみるか)
いざ入ると、これまたお洒落な店だった。木目を基調とした落ち着いた内装を少し薄暗い照明が輝かせていて、うっすらと流れる音楽はリターニアのクラシックだろうか、穏やかな音色が酒で丸裸にされた心を優しく包み込んでいるようだった。
バーのカウンターへ向かい、椅子に腰かけ酒を頼む。
初老のループスのバーテンダーが壁に並んだ瓶から注文のそれを迷いなく取り出し、用意していたグラスに削った氷を入れる。
カランと、どこか小気味いい音がした。
そしてそこに瓶の中身を注ぐ。
氷のはじける音がパチパチと響いて、思わず口元が緩む。
こういったしっかりとした店で飲んだことは今までなかったが、中々にいいかもしれない。
酒の味と肴になる話以外にも、こういった楽しみ方があるのかと勉強になった。
差し出されたグラスをしばらく手の中で弄び、眺めてからぐいっと呷る。
度数の高い酒精がいい感じに冷やされ、喉をすっと抜けていく。
その爽快感に思わず唸ってしまう。
「店主、いつもの~」
俺が至高の一杯を噛みしめていると、隣から声がした。
いつの間にか俺の他に客が来ていたらしい。
横目で見れば、白いジャケットに身を包んだフェリーンの女がそこにいた。
ジャケットの前側は大きく開かれ、薄いタンクトップが目に映る。
咄嗟に目を逸らすが、下もショートパンツから健康的な足が惜しげもなく晒されており、なんとも目に毒だ。
今はもうすぐ冬になろうという季節だ。ウルサスほどではないだろうが、ここら一帯もそれなりに外は寒いはず。
隣からひしひしと感じる人並み以上の熱に、どうやら基礎体温が高いのだろうと推測した。
そんな彼女もイケるクチなのだろう、店主からジョッキを受け取るなりそれを一気に呷る。
小麦色の液体がみるみる流れていき、ぷはーと声を上げるその口元には白い泡が引っ付いてまるで髭のようになっていた。
「ぷふっ」
おっといかん。
そう思ったところで手遅れだった。
隣から聞こえた笑い声に、髭をつけたままの彼女がこちらを向く。
「ん~? あなた見ない顔ね」
目を細めてこちらを伺う彼女。
失礼にならない程度に返事をした。
「ああ、数日前にここに来てな」
「ああ、アーミヤちゃんが言ってた人達ね。ウルサスから来たんだっけ?」
「そうだ。あんたはロドスのオペレーター、なのか?」
聞いた話ではここでは戦闘員の事をオペレーターと言うらしい。
見た感じ医療分野の人間には見えないし、何より戦える者特有の体の身軽さを感じる。
「そうよ! 私これでもエリートオペレーターなんだから!」
追加で注文したグラスを掲げながら自慢げにそういう彼女。
やはりかなりの手練れらしい。
まったく。いつも思うが俺達の周りには女傑が多くないだろうか?
タルラに姐さん、最近だとWにリュドミラもか? 彼女らにはうちの男連中総出で対抗しても勝てる気がしない。
パトリオットの旦那やヘラグ将軍なんかはそもそもそういったことに首を突っ込まなそうだしイグナスの野郎はそもそも戦闘員じゃないしな。そのくせやたらと強敵との戦いには首を突っ込むので俺含めレユニオン全員が目を光らせているわけではあるが。
まあ、それはさておき。
そこから隣り合った縁もあり、酒の力か話も弾む。
こうして見知らぬ土地で、その場の出会いに身を任せる。
どこかで読んだ旅雑誌にあった体験ができてテンションが上がり、気付けばお互いの話を肴に酒を楽しんでいた。
「それにしても」
目を細めて俺の外套の内を見つめる彼女。
その目はまるで獲物を見据える野獣のようだった。
「その懐に隠してあるウォッカ、美味しそうだね」
「なんでそれを?!」
咄嗟に懐の酒瓶を抑える俺。
隣のフェリーンは慌てる俺を見てケラケラ笑っていた。
「いいね。そんなところに隠し持っているなんて中々の酒好きだ!」
「やらねえからな。これは俺がちびちび飲むために買ったんだ」
「お酒は皆んなで飲んだ方がおいしいでしょ?」
「そりゃそうだが! これは俺の秘蔵っ子なんだ」
ただでさえスノーデビルには酒好きが多い。そしてあいつらは俺が酒好きで酒を常備していることを知っている。
瓶一杯を買ったのに一口しか飲めなかったなんてよくあることだった。
「ふ~ん。じゃあ、ハイ」
「?」
何故か手にしていたグラスを机の上を滑らせてこちらに渡してくる彼女。
「これあげるから、そっち頂戴?」
「はあ?!」
「いいじゃん、これでチャラでしょ? 甘いのをさっぱりさせたいのよ」
「じゃあ自分で頼めよ!」
「いいじゃんちょっとくら~い。ケチ!」
「はあ、どこにも酔っ払いはいるもんだな」
イグナスの野郎を思い出す。あいつの絡み酒というか酔い方は凄まじいからな。
ちゃんと酒には強い分、まだ彼女の方が可愛げがあると思えばいいか。
ふやけた目尻と頬、机に肘を立てながら俺を流し目で見てくる。
紺色の髪が耳から垂れ落ちて、ドキリとした。
まあ俺もいい大人だ。こんな事気にするほどガキじゃあない。
何より、俺がそのグラスにドギマギしてるのを悟られでもしたら絶対に揶揄ってくるのはこの短い付き合いでも分かる。
意を決してグラスの中身を流し込む。
ブランデーの果実の香りが鼻を抜けて、甘ったるい酒気が喉を潤した。
「おお、いい飲みっぷり」
「グラスを2つくれ」
バーの店員に新しくグラスを貰う。
その間に懐から俺の秘蔵っ子を取り出し、そのコルクを抜く。
店の酒じゃないのは行儀が悪いだろうが、そこらへんの融通は利くのか特に何も言われなかった。
グラス2つに中身を注ぎ、片方を手渡す。
「いい香り」
「? ウォッカだぞ?」
「アルコールのにおいがする」
「そうかい」
どうやら彼女の鼻は酒飲み用に改造されているらしい。
まあ分からんでもないが。
「じゃあ、出会いに乾杯」
「乾杯」
カンと音を響かせ、鏡合わせのようにぐいっと飲む。
かあ~と悶える様までまるで同じで、2人揃って笑った。
「なあ」
「うん?」
存分に語り明かし、時刻もそろそろ9時になろうかというところ。
静かに並んでグラスに口をつけつつ、俺はふと気になっていたことを聞いた。
「なんで俺に声かけたんだ?」
聞かれた本人はこちらを見ず、正面を向いている。
「そうだね・・誰かと話したくなったからかな」
そう語った彼女の目は憂いに満ちていた。
だが、こんだけ社交的な奴が人と話せないなんてこともないだろう。
「何かあったのか?」
「いやね? ちょっと嫌なことがあって」
なんでも、彼女の同僚に感染者に対する態度が悪い奴がいるらしい。
それに腹を立てても、周りは彼女の境遇を考慮してやれと取り合わないそうだ。
「なるほどな。そりゃ確かに腹も立つ」
「でしょ!? あいつも口下手なところはあるけど、それでも何言っても許される訳じゃないでしょ? なのにあいつらときたら、な~にがドラ猫ちゃん、よ! あの髭全部毟ってやろうかしら!」
「おうおう、全部吐き出しちまいな」
ヒートアップする彼女は机を叩いたり、拳を握りしめたりと忙しない。
バーの店員も慣れているのか、無言でグラスを磨いていた。
いつもなら彼がこの愚痴を聞く羽目になっていたんだろう。彼女から見えない位置で手を合わせられた。
いや助けろよ。
「まあ、時が解決してくれることもある。気長に待とうぜ」
「他人事だと思ってえ~」
頬を膨らませて拗ねる。そんな幼い言動も、彼女ほどの美人がするとなんとも絵になるもんだと素直に思った。
(うちの女性陣にはいないタイプだな)
姐さんは酔うほどの酒は飲まないし、タルラは酔っているところを見た事がない。何杯飲んでも涼しい顔をしていてイグナスが羨ましがっていた。
アリーナさんも嗜む程度には飲むが、少し眠そうになるだけだ。
彼女のコロコロ変わる表情は、気まぐれな猫そのものだった。
「他人事じゃないさ。うちは逆だったけどな」
「どういうこと?」
今でも思い出せる。
まだ南部遠征からそれほど経っていない頃、新しく参入した感染者の一団がイグナス達に食ってかかったあの事件。
あの場はイグナスがとんでもないことしたおかげで場は収まったが、それでもしばらくその火種は燻り続け俺達やタルラがその火消しに動いた。
そして収穫祭のあの日。避難した先の拠点に、顔の半分を源石で覆った彼が担ぎ込まれた。
あの時ほど、自分を無力と感じた事はない。
「俺達感染者の為にめちゃくちゃ動いて、助けてくれた奴らがいてな。でも俺達の仲間の一部が何か裏があるんじゃないかって疑った時、あまり力になれなかった」
あの時、もっとちゃんと庇えていたら、あいつがあんな物を持たなくてもいいようにできていたら、何か変わったんじゃないだろうかと。
いつもと変わらない表情で笑うあいつを見る度にそう思う。
「さっきは時間が解決してくれるって言ったけどよ、それだけじゃ手遅れになることもある。だから、そいつの事、諦めないでやってくれないか?」
こんなところで働いているんだ、その同僚にも色々あるんだろうが悪人ってわけでもないだろう。
なら、いつか理解しあって互いを受け入れられる時が来る。
俺達みたいに、後悔してからでは遅いから。
「ふ~ん。やけに親身になってくれるのね?」
意外そうにそういう彼女。
確かにお節介かもしれないな。あいつのが移ったかね?
そういえば、こういう事をなんて言うかイグナスが言ってたっけか。
「なんつったか。確か、『袖振り合うも多生の縁』だったか?」
偶然出会ったとしてもそれは何か意味のある事。確かそういう意味だったはずだ。
あいつも生粋のウルサス人のくせにやたら東側の諺に詳しくて驚いたものだった。
こちらを見る目が柔らかく細められる。
「いいわね、その言葉。私達酒飲みにはピッタリの言葉だわ」
「確かに。これも何かの縁ってことだ」
もうその顔に陰はかかっていなかった。ニコリと笑った彼女は、懐から紙幣を出し席を立つ。
「ありがと。少し気分が晴れたわ」
「そりゃよかった」
「また今度飲みましょ?」
「いいぜ、酒飲みは大歓迎だ」
出口に向かって走っていく彼女は、ふと振り返った。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったわね」
そうだっけか? 話に夢中でいつの間にかしたもんだと思っていた。
俺は名前をそのまま言おうとして、またアーミヤさんが言っていたことを思い出した。
そういえば、ロドスでは普段オペレーター名を名乗るらしい。
俺はロドスの職員じゃないからその必要はないだろうが、郷に入っては何とやら。
思えば変に奇をてらわず本名を答えればよかったのだが、久しぶりに気の合う人間と酒を飲んでテンションが上がっていた俺は、回りもしない頭で考えに考え、結局先程一人廊下で考えていた内容をそのまま口に出していた。
「俺の事は、スノーデビル1号とでも呼んでくれ」
客もいない。静かなバーに俺の声が響く。
キョトンとした後、名も知らぬフェリーンは腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! 何それ、1号って! 変なの!」
ひとしきり笑った後、目元の涙を拭いながら彼女は言った。
「私はブレイズ。よろしくね、1号君?」
ウインクしながらまた外に向かって走っていくブレイズ。
そんな彼女が見えなくなるまで、俺は椅子に座ったままだった。
ようやく出口から視線を外し金を払おうとして、机上に置かれた紙幣がやけに多いことに気付いた。
奢られちまったか。
出しかけた財布を仕舞い、店を後にする。
頭の中は美味い酒のリストで一杯で、その中から彼女に合う酒を見繕いながら帰路につく。
「これも、多生の縁、というやつなんだろうな」
イグナス曰く、前世や別の世界、そういった全ての人生での関わりを指すものらしい。
なら、俺と彼女はどんな関係だったのだろうか。
案外、今と同じように一緒に酒を飲むような間柄だったのだろうか。
そんな分かるはずもない事を想像して、ついニヤけてしまう。
1人歩く廊下は、行きと違い少し暖かかった。
数日後
「あっ1号く~ん。君も任務?」
「ああ。姐さんと一緒にな」
「彼女、凄腕の氷のアーツ使いなんだって? 負けてられないわね」
「あんまり張り合うなよ?」
「私が勝ったら今度奢ってね?」
「聞けよ! それなら勝ち負けとか関係なしに用意してあるから」
「・・・へえ~。そんなに私と飲みたいんだ~?」
「まあ、あんたとは話も合うしな。それに姐さんに1人で勝とうなんて流石に無茶だ」
「・・・・」
さっきまで上機嫌でこちらを揶揄っていたのに急に返事が無くなった。
どうしたのかと振り返ると、気ままな猫は獲物を見据える猛獣へと姿を変え、その瞳は燃え上っていた。
「余計負けられなくなったね」
「なんでだよ?!」