明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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エピソード3 春になったら

1097年 1月 チェルノボーグ

 

 物騒で慌ただしかった12月も過ぎ去り新たな年を迎えて数日。

 12月を過ぎたと言ってもまだ1月、チェルノボーグは依然として厳しい冬の只中にあった。

 

 冷たい風が窓を叩く音が聞こえる。

 だけれども暖房に暖められた居間の中からでは、それも少し他人事のように思えた。

 

 全寮制の学生寮とは違う、懐かしい我が家での温かい一時ももうすぐ終わってしまうのかと思うと少し寂しい。

 

(まあ、私はお邪魔みたいだけど)

 

 嬉しさと呆れと、ほんの僅かないじけの気持ちを込めて私、ゾーヤはキッチンをじっと見た。

 

 そこではウルサス人の男性と女性が仲睦まじく料理をしていた。

 彼ら、つまり私の両親は結婚してからもう何十年も経つというのにその熱は未だ冷めることはないらしい。

 普段は仕事人間な父も、こういった時間は大切にしたいと言って積極的だ。

 

「もうすぐ春になるな。冬を送る祭りもすぐそこだ」

「もう、最近そればかりなんだから。パンケーキのレシピ、忘れてないでしょうね?」

「もちろん、君との大切な思い出の味だからな。あの頃の味と寸分違わぬものを用意して見せようじゃないか」

「楽しみにしてるわね」

 

 キッチンからは私が冬季休暇を終えた後の予定を楽しそうに話す2人の声が聞こえる。

 久しぶりに帰ってきた娘がここにいるというのに、夫婦水入らずでお祭りにでも行くらしい。

 

 なんだか釈然とはしないが私ももう子供じゃないしそんな事に口を出したりはしない。

 なにより、色白な母が満更でもなさそうに頬を赤らめる姿を見て何か言えるわけもない。

 

 

 えも言われない感情と胸焼けを無視するように、私は窓の外を眺め続けていた。

 

 

 夕食も終わり、身支度も整え後は寝るだけだ。

 濡れた長い髪を乾かして自室に向かう途中、居間のソファで独り座る父の姿が目に入った。

 

「父さん?」

「ん? なんだ、ゾーヤ」

 

 去年のあの騒動以来、父さんはこうして1人黄昏ることが多くなったように思う。

 昔から仕事一筋の警察官で、守ることが自分の天職と言って憚らない父。

 

 だからこそここ最近の様子は気になっていた。

 

「また、あの時の事を考えているの?」

「・・・やはり分かってしまうか。うちの娘は賢いな」

「もう、そういうのはいいから」

 

 父さんがそう言って頭を撫でる。昔からこの大きな手が好きだった。

 自分で言っておきながらなんだか名残惜しくて、口では拒否しつつも振りほどいたりはしない。

 

 そのまま父さんの横に座る。じっと見るのも悪くて正面を向いたまま言葉を待つ。目の前の源石ストーブの音が静寂を紛らわしてくれていた。

 

「あの事件で、私も色々と気付かされた」

 

 父さんは唐突に語り出す。

 

「私は誤解していた。鉱石病と感染者というものをな。今までこの町を守ると言いながら、その対象から彼らを除外していた」

 

 悔いるようなその顔を、私は今まで見た事が無かった。

 いつも誇らしげで、でも母さんにはベタ惚れで。

 今目の前でソファに腰かけながらも肩を落とす自分の父が、なんだか小さく感じた。

 

「私はあの日、彼らとともに南側地区の避難に努めた。この町の住民ですらない、それどころか理不尽な扱いを過去に受けただろう人もいた。それでもあの天災の濁流から抜け出すその時まで、彼らは身を挺して市民を守っていた。勤めが終わってこの家に帰ってくる最中、崩れた建物や打ち捨てられた荷物が目に入る度、気が気でなかったよ。お前達のすぐ傍で暴動が起きていたことを知った時なんて腰が抜けかけた」

 

 お前達を守ると誓ったのに。

 

 そう零した父さんの手は少し震えていた。

 

 

 あの時、逃げ惑う市民の中に私もいた。

 休日で気晴らしに宿舎から出て街を散策していたら突然騒ぎが聞こえた。

 

 町中に轟く爆発音、誰かの悲鳴、視界の先からこちらへ逃げてくる群衆。

 父さんに憧れて警察になるための訓練を受けていなければ私もパニックに陥っていたと思う。

 

 それでも、武器もなければさして抵抗ができるわけでもない。

 袋小路に追い詰められた私達にゆっくりと近づく暴徒達、せめてもと転がっていた鉄パイプを持って立ち向かおうとしたその時、揃いの服を纏った集団が私達の前に躍り出た。

 

 そんな彼らが、武器を無差別に振るう彼らから懸命に私達を庇う背中を見た。

 

「レユニオン、か」

「ああ。あまり大きな声では口にできんがな」

 

 最近ウルサス内で密かに噂となっている感染者の集団。

 事情を知らない人からすれば危険なテロリスト集団である彼らが、私達を救ってくれたのだ。

 

 あれからしばらく。チェルノボーグ事変と命名された一連の騒動は、現在の感染者弾圧に不満を持った感染者による暴動だと報道されている。

 だけれども、あの場に居合わせた多くの人間がそれが単なる欺瞞でしかない事を知っていた。

 

 レユニオンという感染者組織、それからボリス侯爵が自ら集めたという謎の集団。

 彼らの協力もあって被害は最小限に抑えられた。

 その上、天災への対応が遅れた原因として中枢部の移動都市制動室が暴徒に占拠された事が挙げられていたが、そもそもただの暴徒に正規の軍人が守衛していたあの場所を落とせる可能性は低い。

 

 なんらかの裏の事情があるというのは未だ世間を知らない私にも察することはできた。

 

 

 ただその正体を知るには、私はあまりにも未熟で無力だった。

 父さんのような正義の味方に憧れながら、目の前の底知れない悪意にただ立ち尽くすことしかできない事実が悔しくて、惨めだった。

 

 

「正義って、何なんだろうね?」

「・・・・」

 

 今まで考えなかったわけではない。

 それはいつだって私とともにある永遠の議題だ。

 

 それでも、今回の動乱を経て私は信じていたものを根底から覆されたように感じていた。

 

 我先にと女子供を押しのけ逃げる大人達、正当性を掲げ無辜の市民に武器を振るう暴徒達、それを治めた感染者のテロリスト達、そして未だ全貌が掴めない陰謀。

 

 人を守ることは良い事、じゃああの場で誰を守ればよかったの?

 何を守る事が、本当に正義だって言えるんだろう。

 

 今まで信じてきたその2文字が、その文字数と同じくひどく薄っぺらいものに思えてしまう。

 

 

 それに明確な答えが欲しくて、助けを求めるように隣を伺う。

 それでも私が今まで憧れてきた人からもついぞ答えは出てこなかった。

 

「そうだな。私にも分からん」

「そっか」

「それでも、あの時の彼らは確かに正義の味方だった」

 

 

 そんな父さんが正義の味方と称える人達、会ってみたい。

 会って、話してみたい。

 

(あの人達なら、答えを持っているかもしれない)

 

 いつか見たあの背中を思い浮かべ、そんな期待をした。

 

 正義とは何なのか。

 彼らは何故あの混沌の最中で揺れることなくそれを口にできたのか。

 

 

 その答えを知れば、私はまた正義を追い求められるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

ペテルヘイム高校

 

 

 階段をゆっくりと昇っていく。

 創立50年を超えるこの学舎はところどころ古びていて、この階段も私が一歩踏み出す度に木の軋む音がしました。

 不気味で不安を煽るようなそれを何度も鳴らしながら、それでも私は自らの意思でこの先を目指しています。

 

 辺りに物音は殆どしません。それも当然で、ここしばらくここは休校状態ですから。

 

 ()()()以来、チェルノボーグ内の学校の多くは授業再開の目途すら立っていません。

 誰もいない、ましてや他校の校舎に忍び込むなんて事は初めてで、どこか浮足立ってしまっているのでしょう。

 

 

 やがて階段が終わり、目の前に錆びついた鉄製の扉が現れました。

 取っ手を掴んで、捻る前に一度深呼吸をする。

 気持ちを整理した後、意を決して私は扉の先に躍り出ました。

 

 

 照明も点いていない屋内に比べて、珍しく晴れたウルサスの太陽が視界を焼く。

 

 その明るさに慣れた頃、視界の先に私を振り返る女生徒の姿がありました。

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 

「ソニア」

「・・・アンナか、どうした?」

 

 

 切れ長の眦から澄んだ青い瞳が私を射貫く。

 

 彼女とは昔近所付き合いがあって知らない仲という訳ではありませんでした。私が引っ越してからは疎遠になったけれども、最近になってまた会う機会がありました。

 それが幸か不幸かはさておき。

 

 

 そんな彼女は今や学校一の不良生徒であるそうで、彼女の異名である冬将軍の名前は私の高校にも轟いていました。

 それでも、今日の後ろ姿からはそんな恐ろしさなんてちっとも感じられず。

 

 柵も無い屋上の縁に腰かけて、遠くを眺める彼女はどこか物憂げに見えました。

 

 

「何を見ていたんですか?」

「別に」

 

 そっけない。仕方なく彼女の視線の先を追う。

 あれは確かショッピングモールだったはずです。街中でもこの距離で目に入るだけの高さのそれは立派な建物でしたが、今や別の意味で目立っていました。

 

 屋上に突き立っている、巨大な源石結晶。

 

 あの日からしばらく経ってもなお残る爪痕に、胸がざわつきました。

 

 

 チェルノボーグ事変と呼ばれる感染者の暴動テロ。

 その当事者としてそこにいた私達は、天災に見舞われる中この校舎に避難し偶然再会を果たしました。

 

 その時感じた混乱と恐怖は今でも鮮明に思い出せます。

 校舎の周囲に源石が降り注ぎ、それらから逃げ惑う事しかできない群衆。

 誰よりも先に屋内に逃げ込もうと先頭を押しのけながら進む人々。

 些細な口論が容易く暴力沙汰にまで発展し、口汚く罵りあう様は人の本性を暴き立てました。

 

 私達も、逃げ遅れたことで近くにあったこの校舎に避難したところ満員だからと強く拒絶されました。

 足元が崩れ落ちる感覚というのは、きっとああいうことを言うのでしょう。

 

 校舎の扉を叩くその間にも源石が着弾する音が響いていて、情けないですが恐怖で涙を流しながら開けて欲しいと何度も扉を叩きました。

 

 

 そんな時、私達を締め出していた人を押しのけて中に招き入れてくれたのが彼女でした。

 

 

「貴女に伝えたかったんです」

 

 あの日、私達を迎え入れてくれてありがとうと。

 涙を流すことしかできなかった私達の代わりに、怒ってくれてありがとうと。

 

 そして。

 

「助けてくれて、ありがとうって」

「別に。汚い言葉が聞くに堪えなかったからのしただけだ」

 

 ぶっきらぼうにそう言う彼女ですが、そんな事関係ありません。

 

「それでも。一緒に居たヴィカやラーダも含めて、私達は助けられました」

 

 今日来られなかった彼女達の分も合わせて感謝を伝えます。

 

 これ以上、言葉で伝えても彼女は受け取らないでしょう。

 何だかんだ根は優しくて仲間想いな彼女は、それと同じくらい不器用だという事も知りました。

 

 だから、後は何も言わず黙って彼女に頭を下げ続けます。

 

 僅かな沈黙ののち、頭上からはあ~と長い溜息が聞こえました。

 

「・・・好きにしろ」

 

 つい顔を上げてしまいますが、彼女はもうこちらを見てはいませんでした。

 

 屋上の向こうを眺めるその後ろ姿が、なんだか照れているように見えてかわいらしく思いました。

 

 

「それにしても、あれだけの人数を黙らせるなんて、さすが冬将軍といったところですか」

 

 妙な沈黙に耐えられなくて、ついお世辞のようなことを言ってしまいました。

 実際私はその異名を格好いいと思っていますし、彼女もそれを気に入っているはずでした。

 

 ですが、私の言葉に彼女は苦い顔をしました。

 

「喧嘩してるのが性に合ってるってだけだ」

 

 そういう彼女が、なんだからしくない感じがして。

 ついお節介を焼いてしまったのでしょう。

 

「どうしたんです? 元気が無いようですが、何かあったんですか?」

「関係ないだろう」

「関係あります。ソニアは私達の命の恩人ですから」

 

 こればかりは退く気はありません。助けられたのなら助け返すのが礼儀というものです。

 

 私の強情な態度に面を喰らったのか、少し固まった後不機嫌そうに顔を背ける彼女。

 そんな彼女に近寄っていく。さすがに屋上の縁に座るのは少し怖いので彼女から一歩引いた位置で立ち止まる。

 

 こちらを振り返らず、やけになったかのように彼女は天を仰いで言いました。

 

「冬将軍なんて恐れられちゃいるが、結局アタシもただのガキだ。ここを卒業すれば技術学校に進学して、なんてことのないただの大人になっちまう。あの時、校舎を丸ごと源石から守って見せたあいつらのようにはなれねえ」

 

 

 羨むような、それでいてどこか悔しがるような声音でした。

 

 確かにそうでしょう。社会に出れば、どれだけ腕が強かろうと勉学に励もうとその構成要素の一部として私達は取るに足らない歯車の1つになるでしょう。

 

 ソニアくらい強ければ警察官や軍人という道もあるでしょうが、おそらくそれは彼女のなりたいものとはかけ離れているように思います。あの事件の陰謀めいた噂を耳にしているなら尚の事。

 

 

 あの日校舎の屋上に集い、アーツや盾を以て屋内に避難した私達を天災から守った彼らのようになることはありません。

 

 

 未来への不安と諦観。俗っぽく言ってしまえば、将来の進路。

 そんな、ある意味私達学生に等しく降りかかる問題に彼女も悩んでいるのだと思うとなんだか今までよりもずっと彼女を理解できたような気がしました。

 

 

「この先、どうするのですか?」

「別にどうするもねえよ。学校が休みなら仕方がねえ。家にいるのも億劫だし、ここでのんびり時間を潰すさ」

 

 コートを下に敷いて寝転ぶ彼女。どこかふてくされているように見えるのは未来に不安があっても解決する方法すら思い浮かばないからでしょうか。

 

 なら、今日ここに来てよかった。

 

 

 私は手提げのバッグを開き、彼女の横に並ぶ。

 

 

「あの、もしよかったら一緒に行きませんか?」

 

 私は彼女に1枚のパンフレットを手渡す。

 

 学校が休みの間チェルノボーグの行政局から配布されたそれは、私にとっても彼女にとってもいい経験になるはずです。

 

 

「インターン?」

「はい。会いに行ってみませんか? ()()()

 

 

 ただ待っているだけでは、何も変わらない。

 

 今度こそ、自分の手で扉の先を掴むために私は一歩を踏み出すと決意したのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ロドス艦内

 

 ロドスでの生活にも慣れ、鉱石病の治療とリハビリもすっかり生活の一部になって久しい今日この頃。

 その提案は唐突だった。

 

 

「俺に会って欲しい子がいる?」

「はい。正確にはレユニオンの方と話がしたいという方なんですが」

「まあ、俺は構わないけど」

 

 呼び出されたドクターの執務室、彼と一緒に俺を待っていたアーミヤからの提案に俺は特に躊躇いもなく頷いた。

 

 

 だが引き合わされたのは、意外な人物だった。

 扉を開けた先、椅子に姿勢よく座る彼女に見覚えがあり過ぎて固まる。

 

 思わず、彼女の名が口からこぼれ出た。

 

 

「アブサント?」

「? 私のことでしょうか」

 

(何でここに、まさか家族に何かあったのか?!)

 

 

 天災から逃げる最中、俺は南側地区にあったかのペテルヘイム高校、ズィマー達ウルサス学生自治団の母校にいた。

 近隣の避難困難者や逃げ遅れを一箇所にまとめて、降り注ぐ源石から集中的に守るためだった。

 

 だからこそ、あそこで原作のような監禁状態による学生達の暴走が無かったのも知っている。彼女の父親の直接的な死因は消し去れたと思っていた。

 

 それによく見れば彼女の姿にも所々に差異はあった。

 その灰色の髪は原作と違い無造作に切り揃えられてはおらず、肩につくくらいの長さのそれが後ろで束ねられている。

 表情もどこか和らげで、物静かな印象は受けるが精神的な不安定さは感じられない。

 とても家族を一度に無くし自暴自棄になっているようには見えない。

 

 だとすれば、何故彼女が今ロドスにいるのか。

 

 

「いや、何でもないです。知り合いの子に少し雰囲気が似ていたもので」

「そう、ですか」

 

 咄嗟にごまかして話を進める。

 納得のいっていない様子ではあるものの、特にこだわらずに答えてくれた。

 

「改めまして、ロドスに短期研修という形でお邪魔しています。ゾーヤです」

「短期研修?」

「はい。学校が去年の騒動でしばらく休校となるらしく、伝手を使ってお邪魔させてもらいました」

 

 なんでも、チェルノボーグの政策の一環でもあるらしい。

 事件の影響で滞った行政能力を回復させる傍ら、休校となった学校のインターン先にロドスが指定されたらしい。

 

(ボリス侯爵め。皇帝の派閥に入ろうと必死みたいだな)

 

 あれ以来チェルノボーグ、ひいてはボリス侯爵は表立って事件の真相を公表したりはしていないものの、現皇帝率いる保守派につくことにしたらしい。

 捕虜も何人か生かしておいたし、裏で首謀した開戦派の軍人が何人か消されていてもおかしくない。

 

 このインターンとやらも感染者差別撤廃を掲げる皇帝のご機嫌取りと言ったところだろうか。

 いくらロドスが完全実力主義かつ医療分野においては屈指の業績を誇る先進的な企業だとしても、感染者支援を表立って公表しているここに人を送り込むなどそれしか考えられない。

 あいつ自身は感染者に対して特に何の思い入れも無いだろうし、精々俺達を皇帝に取り入るための材料くらいにしか考えていないだろう。

 

 お前達を存分に利用させてもらおう、なんて嫌味で高慢ちきに笑う姿が目に浮かぶ。

 

 

「それで、話ってなんだい?」

 

「はい、まずは感謝を。私と両親が無事だったのは貴方達のお陰です。特に父からは貴方の話をよく聞きました」

「お父さん? ・・・・ああ!」

 

 思い出した。

 あの日一緒に避難誘導をしてた警官の1人、どこかで見覚えがあると思ったらアブサントのお父さんだったのか!

 

「お父さんから聞いていたよ、自慢の娘だって」

「ありがとう、ございます」

「もっと気楽に話してくれていいよ」

「・・そうさせてもらいます」

 

 少し肩の力も抜けたようだ。

 

「あの日の事で、ずっと思い悩んでいることがあって。貴方達レユニオンとロドスが協力して暴徒を鎮圧していたから、ここに来れば貴方達に会えると思った。会って、聞いてみたかった」

「何をかな?」

 

 聞き返してもアブサントはすぐには答えなかった。

 幾分か勇気が要るのだろう。一度深呼吸し気持ちを整えた彼女は俺の眼を真っ直ぐ捉えた。

 

「正義って、なんなんだろうって」

「・・・難しい質問だね」

 

 多くの人からすれば青い疑問だろう。だが、幼い頃から警察官の父に憧れその背を追うと信じて疑わなかった彼女にとっては、まさに至上の命題なんだろう。

 

「あの日、私の中の多くの物が覆された。自分の力も、信じていた正義も、目の前の惨劇を止める何の役にも立たなかった。人々の恐怖と憎悪と悪意の前に、それがひどく薄っぺらいものに感じた」

 

 彼女は悔しそうに自らの思いの丈を打ち明ける。

 

「だからこそ知りたいの。それに何の価値があるのか。父さんが今まで尽くしてきたそれに、私が追いかける夢に、本当に意味があるのか」

 

 不安げに瞳を揺らすその姿は、暗闇で震える迷子のようで。

 

 その言葉に、そうだと答えたところで本当の意味で彼女の心は晴れないだろう。

 

 だから。

 

 

「ゾーヤって言ったっけ?」

「はい」

「少し、歩かないか?」

 

 俺は彼女と2人、ロドスを散策することにした。

 

 

 艦内の至る所を回った。食堂を冷やかしたり訓練場の様子を見学したり、とにかく色々回った。

 最初は訝しげに見ていた彼女も一応の目的である研修の一環として興味深げにしながら俺についてきた。

 

 

 そして、今は艦内に設置された療養庭園にお邪魔していた。

 喜んで見学を許してくれた管理人のパフューマーさんには感謝しないとな。

 

 

 いくつもの香草や薬草を眺めながら、ふと彼女のオペレーター名も植物が由来だったなと思い出す。

 

 

「アブサント、か」

「さっきも言ってましたね。確か、ニガヨモギのことでしたか?」

「詳しいね」

「ルームメイトが花や植物が好きで、偶に話してくれるんです。それに警察を目指す者として印象的なものですから」

 

 同室の友人を思い出し笑みを浮かべるが、それもどこかぎこちない。

 おそらく伝え聞いた話があまり幸せなものとは言えないからだろう。

 

 俺も前世で読んだことがある。

 ニガヨモギ、それを利用したリキュール酒が有名だったが、その葉に含まれる毒が幻覚作用を生み中毒者を続出させたという事で規制された植物だ。

 とある王妃が夫の死を悼み遺灰とともに飲んだという逸話から、花言葉は「離別と恋の苦しみ」。

 

 いや重いわ。コードネームなのに暗すぎだろう。

 相変わらずのアークナイツクオリティ、運営は人の心が無いに違いない。

 

 

 知った当時はあまりの無慈悲さに恐れおののいていたものだ。

 だが、救いは無いのかと調べるうちに俺はとある事を知った。

 

 

「実はな、アブサントには別の花言葉もあるんだ」

 

 悲しいだけに思われたその花言葉にもちゃんとした理由があって。

 そして、それだけが全てではないことを知った。

 

 大切に育てられたであろう庭園の植物を眺めながら、知り得た知識を彼女に話す。

 

 

「確かに毒性を持つ植物だが、同時に解熱作用や健胃の効果、防虫剤としても利用されている普遍的な生薬でもある」

 

 そんなアブサントの花言葉には、“平和”というものもある。

 

「平和・・・」

「そうだ。人の手によって毒にも薬にもなる、ありふれたもの。だからこそ、その花言葉は人々の祈りを表しているんだと俺は考えている」

 

 アブサントの目が俺を真っ直ぐに射貫く。

 

「こんな世界でも、誰かの為にその力を振るえて、それが多くの人を救うことに繋がって欲しいって、そんな願いが込められていると思うんだ」

 

 まさにテラの大地を表していると言っていいだろう。

 

 無知や恐怖、偏見から息をするように他者を迫害する人間もいれば、そんな人達を救いたいと懸命に手を伸ばす人もいる。

 そして、そのどちらになるかは全て当人次第。

 

「だから、さっきの君の問いに答えるとするならこうだ」

 

 

「正義とは、誰もがその心の内に宿す普遍的な善性だ。現実の壁にどれだけ阻まれようとも、それは決して消えることはない」

「でも、そんなもの何の役にも」

()()()。正義は必ず勝つ、なんて嘘っぱちだ。言えるとするなら勝った方が正義という事だけ。“正義”という言葉は、紙1枚よりも薄っぺらい」

 

 彼女の否定を肯定する。

 

「じゃあ、やっぱり正義に価値なんて」

「いや、価値はあるさ。必ずな」

 

 愕然とする彼女にそう続ける。

 

「“正義”という言葉は何よりも薄っぺらい。そんなものを振り回すより武器の1つでも握って理不尽に見舞われる人を救った方がずっといい。だけどな、そもそもその時何で武器を握る? そもそも困ってる人をなんで自分から探しに行く? 自分には関係の無い人なのに?」

「見捨てるのが普通だっていうんですか?」

 

 俺の意見に押し潰されていた彼女の目に力が戻る。そんなの間違っていると、そう訴えかけてくる。

 そんな反応をしてくれることが嬉しい。

 

(だってそれは)

 

()()()()、俺や君を含め武器を握り自ら戦いに行く人はいる。なぜなら、それがとてもきれいで、優しくて、誇り高くて、良いことだとここが知っているからだ」

 

 親指が胸の中心を叩く。

 形も質量も無い。それでも、確かにそこには大切なものが詰まっている。

 

「君のお父さんもそうだった。暴徒に囲まれて逃げ道も無い中で、背中に庇った市民を逃がそうと文字通り命を懸けた。それは断じて“正義”という言葉が偉大だからじゃない。それに殉じてでも他者を守ろうとした君のお父さんの意思が尊いものだったからだ」

 

 アブサントの瞳から水滴が頬を伝った。

 流れ出るそれにやっと気付いたようで袖で何度も拭うが止まる気配はない。

 

 胸ポケットからハンカチを取り出し彼女に差し出す。

 手渡した手はそのまま彼女の頭を優しく撫でた。

 

 大丈夫だと、そう伝えたい。

 君はその尊いものを、決して手放してなんかいないのだから。

 

「もし君が、その“正義”という言葉に意味を持たせたいなら、腕を磨いて多くを救って自分の正義を育てるんだ。そうすれば自然と仲間が増えるし、そうでなければ自分で探しに行ってもいい。俺達みたいにな?」

 

 1人でできることには限界がある。あのタルラだって仲間がいなければ何もできなかった。

 彼女がこの先、警察官になるかはたまた原作と同様このロドスに勤めることになるかは分からない。

 それでもその隣に同じ理想を追い求める人間がいればいいなと思う。

 

「じゃあ、貴方達と一緒ならうわっ!」

「生意気言っちゃいけねえ。気持ちは嬉しいがな」

 

 少し乱暴に頭を撫で回し言葉を遮る。

 いくら何でも警察を目指す人間がテロリストに加担はまずい。

 

「お前はまだ学生だろう? なら勉強が本分だ、ちゃんと卒業して親御さんを安心させてやりなさい」

「・・・うん、分かった」

 

 そう言って彼女は手にしていたハンカチを見る。

 紳士の本分を果たし少女の涙を拭ったそれはしっかりくしゃくしゃになっていた。

 

「これ、洗って返すよ」

「いや別に構わないぞ」

 

 優しく取り上げようとするも何故か手を引っ込められる。

 ハンカチを握った手は胸に大事そうに仕舞われてしまっていた。

 

「恥ずかしいし」

「・・・思春期だなあ」

 

 手短に今日はありがとうと言って席を立つ彼女。

 だが去り際にこちらを振り向いて、微笑みを浮かべた。

 

 

「いつか、自分なりの答えを見つけたら、返しにくるね」

 

 

 そう語る彼女は、春のような温かみに溢れていた。

 




ニアール、グレイディーア、シュバルツ

基本的に強くてかっこいい女性が癖な私ですが、アブサントは何故か刺さりました。
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