ドッソレスでの束の間のバカンスもあっという間に過ぎ、俺達レユニオンにいつもの日常が戻ってきた。
引き続き各地でひっそりと活動しつつ、感染者の同志を集める幹部の皆んな。
ロドスの見繕ってくれたアーツの講師から日々講義を受け精進する俺達。
これといった大きな出来事もなく、かといって怠惰に時を過ごすことも無い。
全員が来る日に向けて一歩ずつ前に進んでいた。
窓の外を眺めながらそんなここ最近の日々を思い返す。
ガラス1枚隔てた先には一面の雪原が広がっていて、ほとんど変わらないその景色は自然と考え事を多くさせた。
猛吹雪とまではいかないが、ヘッドライトの光が無ければ前方10メートルの様子すら覚束ない道中。僅かに照らされた先に見える轍を頼りに俺達は目的地へと向かっていた。
今は1097年11月の半ば。
年を跨げば、そろそろヴィクトリア編に突入する。
(この先はいよいよ俺にも未知の領域だ。気張んねえとな)
車のドアに立てかけた肘とは逆の手に力が入る。
自分が持つアークナイツの知識は確かクルビアの科学企業、ライン生命に関する“孤星”イベントが最後だ。
メインストーリーに関しても12章まで。
軍事委員会との本格的な戦闘にすら入っていない段階までの知識でどこまでいけるか不安にならないといったら噓になる。
それでも。
自分の左を見る。そこにはタルラがいた。
まだ旅路は長いと言うのに、いつもとは少し様子が違い僅かに緊張していた。
革のシートに身を預ける事も無く、折り目正しく座っていることで綺麗な直角を描いている。
表情はあくまでも柔らかいままだが、時折視線を下にやる。
何よりこうして見続けてもこちらに気付く様子すらないのは俺からすれば結構分かりやすい。
「あんま緊張しなくていいんだからな?」
「! やはり分かりやすいか?」
ビクッとらしくも無く肩を跳ね上げるタルラ。
「そりゃあな。今から肩肘張っていてもしょうがないって」
「そうもいかないだろう」
だって、と。タルラが続ける。
「君のご家族と初めてお会いするのだから」
俺達は今、俺の実家へと向かっていた。
それは1通の手紙から始まった。
ロドス艦内の自室にいた俺にペンギン急便から手渡されたそれは実家から届いたもので、その送り主に気付いた時思わずやっちまったと反省した。
(あれ以来手紙送ってねえ・・・怒ってるだろうな~、特にイーナの奴)
ちなみにイーナというのは実家に置いてきた自分の妹である。
タルラ達を支援するため実家の商会から独立することを相談した際、父さんからは年に一度は顔を見せるようにと言われていた。
壁にかかっているカレンダーを見る。
既に11月になりかけており、前回里帰りをしたのは去年の夏頃だ。
これまでは頻繁に手紙も送るように努めていたこともあり、ここ1年音沙汰の無い事に相当気を揉ませただろう。
「やっちまったな~。さて、どうしようか?」
とりあえずウルサスに行くのは確定として、その後何をするか頭を悩ませる。
「どうしたんだ?」
あれこれとやるべき事でこんがらがってきた思考を一回取りやめ、後ろを振り返る。
2人分のマグカップにコーヒーを淹れたタルラがこちらを見ていた。
その視線は俺が手にした手紙へと注がれている。
「ああ、これか? 俺の実家から顔見せろってな」
そこまで言ってふと思いつく。
「そうだタルラ、今度俺の実家に」
「行く」
言い終わる前にいつのまにかタルラが目と鼻の先まで距離を詰めていた。
両手に手にしたマグカップからはコーヒーは一滴も零れていないことに無駄な身体能力とセンスを感じた。
「絶対に行く」
「そ、そうか。分かった」
流石に圧が強すぎて一歩のけ反る。
このまま壁にまで詰め寄られるわけにもいかず、急いで便箋を取り出し返事を書く。
具体的な日時と持っていくもの、話したい内容について軽く触れる。
そして何より、紹介したい
ドアを開ければさっき届けに来たペンギン急便の面々が壁に身を預けて待っていた。
「お、それ返事の手紙?」
「そうだけど、わざわざ待ってたのか?」
「どうせすぐ返事送るだろうなって思ってね」
赤髪のサンクタ、エクシアが出てきたばかりの俺から手紙を受け取る。
その頭に浮かぶ光輪に負けない程、その笑顔は眩しかった。
「さすがペンギン急便。目利きは確かだな」
「いや~、イグナスさんには劣るよ」
あっはっはとにこやかに笑う彼女。
その後ろで壁に背を預けていたテキサスが自然体のまま静かに俺を見据えていた。
「安心しろ。仕事はきちんとこなす」
「よろしく頼むぜ、テキサスさん」
「ああ」
元から彼女達の能力を疑う事なんてしない。
エクシアとは打って変わって物静かな彼女にそう言うと簡素な返事が返ってきた。
相変わらず愛想というものとは縁遠いその様子は見慣れたものだったが、エクシアが接客対応についてあれこれ語っていた。
それに対しテキサスはまともには聞かないもののうっとおしがっている様子も無く、差し出された菓子をぱくっと啄む。
ああ~ペンギン急便マジ尊い~。
テキサスめ、何人の女性を誑かせば気が済むんだ?
でもそういうところも好き~。
「イグナス?」
背後から声が聞こえた。思わずビクッと肩が跳ねる。
百合百合しい光景とは逆に、そこには刺々しい笑顔を浮かべたタルラがいた。
「いや、違うんだタルラこれは」
「話は中で、な?」
有無を言わさず手招くタルラから少し距離を取る。
嘘だろ、これで浮気判定はちょいと厳しいですってタルラさん!
ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには既に厄介ごとのにおいを感じたのか早急に話を切り上げその場を後にしようとする2人の姿があった。
「では、私達はこれで」
「じゃ、あとはごゆっくり~」
追いかけようにも肩に置かれた手が重い。
みるみる遠くなっていく背中に、思わず恨みを込めて叫ぶ。
「この薄情者~!!」
そんなこんながあって、今現在実家へ車を走らせているわけだ。
幸い、ウルサスで活動しているアレックスやミーシャの手引きにより入国はさして問題にならなかった。
俺のいた辺境近い移動都市にもなんなく入り込むことができた。
しっかりと舗装された道路のお陰で乗り心地も大分マシになり、後は道に沿って行くだけだ。
ふと思い出したロドスでの出来事に笑みを浮かべた。
だがそれが引き金になったのか、気が抜けた俺の瞼がゆっくりと落ちていく。
(いかん。また眠気・が・・)
どうにか抗おうとするも、この襲い来る睡魔には未だ勝てたためしがない。
視界がどんどんと暗くなり、力が入らず首が船を漕ぐ。
「寝ていていいぞ?」
「すまん・・・」
慣れた様子で俺の頭を抱えゆっくりと自分の膝へと乗せるタルラに礼を言う。
温かく柔らかな感触に、俺はすっと意識を手放した。
暗闇の中ゆっくりと意識が浮かび上がり、やがて周りの様子が鮮明になっていく。
ここは、移動都市だろうか?
区画整理された建物が並んでいるが、微妙に違和感を感じる。
しばらくそれらを眺めて、やけにウルサスらしくない建物だと気づいた。
「ここは」
答えが口からこぼれ出るよりも早く、衝撃が大地を揺らした。
何事かと見れば、建物の一部が爆発しただでさえ狭い街道に混乱した住民が一斉に雪崩れ込んできた。
流れに逆らう事も出来ず、自分が置かれている状況も分からず彼らに押されるまま道を走る。
次々と後ろに流れていく街の光景は、正に地獄と表現するしかなかった。
炎上する建物や木々。追い立てられる市民と、それを追い回す暴徒。見た感じあれはサルカズの傭兵か。
道端には人らしきものも倒れていて、それらは身じろぎすらしていなかった。咄嗟に助けようとしても、民衆の群れに押されて彼らはどんどんと後方に置き去りにされていく。
待ってくれと叫んでもその声は恐怖と絶望に満たされた声に瞬く間に塗りつぶされていく。
(まだ助かるかもしれないんだ! だから!)
必死に縋っても、その声は誰にも届かなかった。
やがて俺達は広い場所に流れ着いた。
俺の背中を押す民衆もようやく大人しくなったようで全員が動きを止めた。
来た道を引き返そうと彼らを押しのけるも、まるで壁になってしまったかのように動かない。
つい苛立って退けと叫んでも、彼らはピクリとも反応しない。
彼らに相対する俺の背後、逃げ惑った民衆の行きついた先に目が釘付けになっているようで一言も発さず見入る彼らはいっそ不気味だった。
つい俺は振り返る。そして理解した。
彼らが眺めるものが何なのか。
そして何故、彼らがその場から動こうとしないのか。
この光景を、俺に見せつけるためだ。
かつて見た光景がそこにはあった。
雪は無く、石材とレンガで彩られた広場の中ではあったが。それでもやけに静まり返っていて代わりに心臓がうるさく聞こえてくるのは同じだった。
ボロボロの人間らしきものがそこら中に散らばっている。
そしてそのうちの1つの傍らに、見慣れたドラコの後ろ姿があった。
彼女は力なくへたり込み、目の前にある亡骸をそっと抱きしめる。
その腕は震えていて、震えは背中に伝わってやがて彼女を大きく揺さぶった。
天を仰いだ彼女の表情はここからでは見えない。声も聞こえない。
それでもあの日と同じように泣いているのは間違いなかった。
声を掛けようと走り出した俺を圧倒的な熱量が阻む。
彼女を中心に、全てが焼き尽くされていた。
大地は溶け、木々は燃え盛り、大気が灼ける。
その中心でただ1人、彼女だけがゆらりと立ち上がる。
周囲の全てを塵に変えながら進むその姿は、
でも泣きながら炎に包まれる彼女は蝋燭よりも儚げだった。
必死に、足を前に進める。
熱に焼かれもはや自分の手足がどうなっているのかも分からない。
それでも、必死に手を伸ばした。
「タルラッ!!!」
視界が一気に晴れる。
思わず手を伸ばした先にタルラはおらず、代わりにどこか見覚えのある天井が見えた。
ゆっくりと、重力に従う形で腕を下ろす。
ボスッと音がして、ようやく自分がベッドに寝かされていることに気付いた。
体を起こす。
いつの間に着替えていたのか、纏っていた寝間着は冷や汗を吸ってじっとりと重くなっていた。
「・・・夢かよ」
力が抜けてそのまま再度ベッドに倒れる。
鉱石病に罹ってから、眠る時間が多くなった。
今回もそうだ。多分俺が寝てる間に実家に到着して自室まで運んでくれたんだろう。
確かに不便ではあったが、そこまで気にしたことは無かった。
だけど、改めて自分自身ではどうしようもないこの時間の存在に恐怖を抱いた。
あれは、恐らく原作と同じルートを辿ったタルラだ。
もう乗り越えていたと思っていただけに、流石に動揺した。
俺がこの先、どこかで命を落とすようなことがあれば。
世の全てを、そして何より自分自身を憎み薪として燃やすあの姿が現実になる。
(何ビビってやがる? ちょっと居眠りが多くなっただけだ。対策を講じればどうとでもなる)
「絶対させるもんか」
気合を入れようと頬を叩く。
紅葉状に顔が赤くなるが関係ない。
気持ちを切り替え辺りを見回す。
幸い、天井と同じくそれも自身の記憶に残っている実家の部屋の通りだった。
ご丁寧にベッドの近くにあるサイドテーブルには着替えも用意されていた。
タオルで軽く汗を拭きとり着替えに袖を通す。
鏡でおかしなところがないかチェックしてから廊下への扉を開けた。
外に出てみると、これまた見慣れたレイアウトの廊下があった。左右に続く道のうち出て右側、リビングの方が少し賑やかだ。
おそらく皆んなもそこにいるのだろう。
そう考え少し不安になった。
多分俺の傍にいなかったってことはタルラは先に父さん達と会っているんだろう。
完全にアウェーの状況で果たしてうまくやれているだろうか。
一抹の不安を抱きながらもリビングへ向かう。
何回か角を曲がった先、意を決して観音開きの扉を開ける。
「おお。やっと起きたか」
「おかえりなさい、イグナス」
「遅いですわよ、お兄様」
コの字型に並べられたソファに両親と妹が座っていた。
揃って声を掛けられる。
1年見ない間に両親は少し痩せたようだ。心配をかけてしまっただろうか。
「ああ、ただいま」
それにいつも通り、普段通りの挨拶をした。
手紙で事前に事情を話したとはいえ、
「タルラは?」
「彼女ならお前の分のコップを取りに行っているよ。よくできた娘だ」
「そうねえ。唐突にそろそろ起きるからと行ってしまったけど、本当だったわね」
どうやら既にタルラとの顔合わせも済み、結果は悪くなかったらしい。
いつも優しい母さんが珍しく茶目っ気を出して俺を揶揄う。
「愛されてるのね?」
「・・・まあね」
否定するようなことでもないが、やっぱり実の母にそう言われると恥ずかしい。
「起きたか。ほら、目覚めの一杯だ」
「ありがとう、タルラ」
席についてタルラからコップを受け取る。
香り高い紅茶を飲めば、意識がクリアになっていく気がした。
「すっかり人気者だな?」
「ああ。ありがたい事にな」
家族全員にお代わりを注いでから俺の隣に腰かけるタルラ。
嘘をついている様子も無いし、そっと胸を撫でおろす。
「ほんと、素晴らしい方を捕まえましたわねお兄様!」
やけに溌剌とした声がリビングに響く。
突然立ち上がったのは俺の妹、イリーナだ。
俺と同じ空色の髪と瞳。だが俺と違ってウェーブのかかったセミロングをカチューシャでまとめている。
そんな妹はタルラの隣に席を移しそのままタルラの腕を取って手を絡ませた。
「あまりタルラを困らせるなよ? お前はこういうところ物怖じしないから」
「ご心配には及びませんわ! お兄様が寝ぼけている間に私達の仲はそれよりも深くなってしまいましたので! そうよね、タルラお姉様?」
「そうだな、イーナ」
すっかり愛称で呼ぶ関係になっているらしい。
この短い間にすっかり仲良くなったようで笑い合いながら冗談を言う。
・・・えっ、冗談だよね?
引っ付いている妹とタルラの距離が実の姉妹のように近くなっているのを見ると危機感を覚える。
「ちなみに、俺がいない間どんな事を話してたんだ?」
それとなく聞いてみる。
タルラが口を開くが、それを制して妹が眉を顰めて俺に注意する。
「もう、お兄様ったら。女性同士のお話の内容を知ろうとするなんて無粋ですわよ?」
「そういう問題か? ていうか父さんだっていただろ?」
「お父様はノーカンですわ!」
なんてことだ。我が一家の大黒柱は既に男としてカウントされなくなっているらしい。
あまりの暴言に父さんと2人揃って苦笑いをする。
「さあさあ、せっかくですからお二人の馴れ初めから互いに好きなところ、将来の家族計画まで洗いざらい吐いてもらいますわよ~! 言い終わるまで床に就くことは許しませんわ~!」
やや暴走気味の妹に苦笑する中、母さんだけはあらあらとにこやかに笑っていた。
時は少し遡る
イグナス達が実家に到着した時、タルラは先に家族と顔合わせをしていた。
だが、それは一般的なそれとはかけ離れていた。
「それは一体何の真似だい?」
イグナスの父、グラートはリビングでそう問うた。
問いかけながら見下ろした先、そこには床に手をつき平伏するタルラの姿があった。
便りを受け、準備を済ませた我らの家に先程やっと息子達がやって来た。
玄関前につけられた車から彼女が息子を抱えて出てきた後、軽く挨拶を済ませて先に息子を寝室に寝かせてくるといってそのまま行ってしまった。
しばらくして、リビングで待っていた私達の元へやって来た彼女は何を告げるでもなくこうしていた。
顔を上げる事なく彼女が喋る。
「私は、許されないことをしました。ご子息の献身に甘え、それが結果的に何を齎すかを考えず彼を鉱石病に罹患させてしまいました」
鉱石病、その単語が彼女の口から出た時私達の間に緊張が走る。
先程少しだけだが息子の顔を見た。
顔の右半分を覆う黒い源石を見た時、動揺しなかったと言えば嘘になる。
妻も変わり果てた息子の姿にふらついてしまい私が支えたばかりだった。
鉱石病、それは不治の病であると同時に人としての尊厳すら奪われる烙印だ。
息子がそれに罹った。それも、私達が一度もあったことが無いこの娘のせいで。
反応が無い私達に焦れたのか、言葉を続ける彼女。
「本当に、言い訳のしようもありません。全ては私が未熟で無力だったせいです。私のせいで彼は、イグナスは私達と同じ、いやそれ以上の呪いを背負ってしまいました。私はその罪を、一生背負って生きます」
淀みなく流れる言葉は必死に練習してきたのだろう。それでも隠し切れない後悔の念が僅かに語尾を震わせてしまっていた。
声を掛けようとして、それでもと彼女は続けた。
「それでも! 私は彼に救われました。身も、心も、私の全ては彼とともにあります。そして私自身、彼が望んでくれた強い私でありたい。彼とともに掲げた理想を現実にしたい!」
そうして初めて彼女が顔を上げる。
赤くなった目元とは対照的に、その瞳は強い光を携えていた。
「図々しい事は百も承知です。ご子息をこのような目に遭わせておいて何をと思われるかもしれません。ですがどうか、どうか!」
「私が、彼と添い遂げることを、お許しくださいっ!!」
そう言って再び頭を下げる彼女。
それきり、彼女は微動だにしなかった。
そんな彼女を、私達は見下ろしていた。
だが、やがてゆっくりと近づき彼女の前で膝を折る。
「顔を上げてください、タルラさん」
「! 私の名前を・・」
「ええ。息子から話だけは聞いていました」
彼女、タルラさんが顔を上げる。
さっきよりも間近で見ると、なんとも綺麗で凛々しい、素敵な娘さんだ。
なにより。
(ああ、なんて真っ直ぐな娘だ)
私は悟る。
息子も、この輝きに魅せられたのだなと。
アーツで見通した魂の輝きが、かつてないほど明るく私の視界を満たしていた。
ならば、仕方ない。
少なくとも、自分は納得していた。
かつての私と同じように、息子も自分の
ゆっくりと、彼女の手を取り立ち上がらせる。
「救われたのは、あなただけではないんです」
気づけば自然と口に出していた。
(ああ、いかんな。これを喋ったことは息子には秘密にしておかなければ)
少しばかり息子に罪悪感を覚えるが仕方ない。
だがこれだけの覚悟を示してくれたのだ、せめてそれには報いなければ。
これから話すのは、私の罪だ。
「息子は、幼い頃から聡明で思慮深く、そして何より優しかった。困っている人を見過ごせないし、そういった人に手を差し伸べるための努力を惜しまない子でした」
ですが、と下を向く。
「あの子が初めて鉱石病の感染者の扱いを目にしたとき、これまでに無いほど惨く、そしてどうにもならない事に胸を痛めていました。そしてあの子に道を示すべきだった私は何もできないまま、あの子はあの子なりに妥協策を生み出し、心を擦り減らしながらも手が届く範囲で多くを救う道を選びました」
あの頃からだろうか。
あの子が救えなかった人の数を数えるようになったのは。
自分の行いを誇りながらも、手が届かない人を意識するようになったのは。
「私はそれを誇らしいと思っていました、あの子の心の底の苦悩に気付かない振りをして。それが万能ではない私達人間が大人になる為に必要なことなのだと、そう言い訳をしてしまった」
一度だけ、街中で感染者が監視隊に引き渡される現場を見た事があった。
一緒に買い物をしていた息子は、悲痛に叫ぶ彼女に手を差し伸べようとして。
結局、その手を下ろした。
あの顔は、今でもよく覚えている。
「ですがあなたは違った」
あの時救えなかった感染者と息子の心を、この娘は救ってくれたのだ。
「あの子の苦悩を分かち合い、ともに立ち上がってくれた。それがどれだけ支えになっていたことか・・・」
許すも何もない。
彼女はとっくにその資格を得ている。
「タルラさん・・・」
「・・・お義母様と、お呼びしても?」
「! ええ、是非そう呼んで」
妻もこちらに歩み寄り、彼女の手を取る。
お義母様と呼ばれて、とても嬉しそうに微笑んだ。
「これまで、ずっとあの子を支えてくれたのでしょう? 本当に感謝してもしきれないわ」
「! いえっ、私こそ、ずっと彼に、支えられて」
涙ぐむ彼女を妻はそっと抱擁した。
新しくできた義娘に、惜しまんばかりの愛情をのせて。
「なら、お互いに支え合ってきたということ。お似合いよ、貴女達」
「! はいっ、はい!!」
「だから、ありがとう。これからも、あの子を支えてやってください」
「はい。私の命に懸けて」
「そこまでしなくていいわよ。ほら、涙を拭いて? 折角の綺麗な目元が腫れちゃうわ」
ハンカチを取り出し彼女の目元をそっと拭う姿は、本当の母娘のようだった。
そして最後に、末の妹が前に出る。
「お姉様とお呼びしてもよろしくて?」
「ああ、もちろんだ」
「ではタルラお姉様。お兄様のことを気に病む必要はありませんわ。どうせお兄様のことです、鉱石病をどうにかする算段もある程度つけているのでしょうから」
「! 何故それを」
「それはもちろん、私がお兄様の妹だからですわ!」
ふふんと自慢げに胸を張るイリーナ。
昔からよくイグナスに懐いていた娘は兄の一番の理解者を自称していた。
実際、この娘は本当に人を見る目がある。
それこそアーツの才能では私や息子を凌ぐほどに。
(その分、破天荒な言動が偶に瑕だが・・・)
これで人付き合いに関してはかなり慎重な娘だ。
そんな娘が言うのだ。
やはり私の目利きは間違っていないのだろう。
私と息子と同じ、空色の瞳を輝かせながら娘は堂々と言い放つ。
「お兄様の妹、このイリーナ・ダーリが貴女を認めます。貴女は良き人、強き人、賢き人。兄に相応しき
こうして家族全員が彼女を認め、ようやく普通の顔合わせらしい事が出来る。
さて、何を話そうか。
息子の昔話でもいいし、タルラさんの事についても知りたい。
話題は尽きることは無いだろう。
もう一話続きます。