フェイゼへ:
私は初めてこの地へやってきた時、一面を覆う雪と鉄に閉塞感を覚えた。
それらから感じる冷たさが、この地に住まう市民の心さえ冷たくしているようでな。
あのコシチェイは私を後継として育てるため、数々の教育を強いてきたがそれらにはその冷たさを私にも抱かせようという狙いがあったことは否定できない。
私はそれらに抵抗し続けたが、奴が最後に放った言霊は今も私の胸の内から消えてくれない。
それでも、今の私は絶望に打ちひしがれていない。
あの日、イグナスと出会った日から何かが変わり始めている予感がする。
彼は聡明で、慈悲深く、私達感染者を救う為に現実を見据え行動してきた。
私にとって初めての同志であり、信頼できる仲間だ。
だが、最近妙に私の扱いが雑になりつつあると思う。
つい先日、村で家に使う建材が足りないというので、私が木を剣で斬り運んだのだがあいつは「流石、裂獣と称されただけはあるな。」などと揶揄してきた。私は龍人族だ。
ここは静かだが、それは人の心を凍てつかせる冷たさではなく人々を安心させる静謐によるものだと思う。
食糧も冬を越すまでは保つだろう。今度獲物を狩ることができたら爺さん達に送ってやろう。前の手紙に書いた私を匿ってくれていた老夫婦だ。きっと喜ぶ。
黒蛇の手から逃れて三年と数ヶ月
とある村
手紙を書き終えた私は暖炉で温められた屋内から外へ出た。雪に反射された光に目を窄める。
眼前には、ここ数ヶ月で見慣れた風景が広がっていた。
周りを覆う針葉樹林の中に紛れるようにいくつかの家があり、その内の少し広めの1軒の煙突から白煙が漏れている。
ここはイグナスに案内された拠点のうちの1つ。深い森の奥に位置し、外からは決まった目印に従って進まなければ辿り着くことはできないので今まで監視隊や軍に見つかったことはない。
私達がここへ来た時の最初の仕事は村の拡張だった。当初は感染者の家族ほんの数世帯がひっそりと暮らす場所だったが、冬を越せるかいつも瀬戸際だったそうだ。
幸い、私は腕に覚えがあるし近くに出没する危険な動物を狩るなどして安全圏を拡大し、私が助けたりまたイグナスが連れてくるなどしてその人口は3倍ほどになった。
そんな安全な土地だが、節約することに越したことはない。食事を作る薪を節約するため食事はあの中で作ると決めている。
中に入ると、既に数人食事をしていた。
10歳もいかない子ども達が3人。そして今も鍋の前で椀にスープを注いでいる見知った鹿人族の少女だ。
「アリーナ。いつもすまないな」
「ええ、温かいうちに食べちゃいなさい」
彼女アリーナはあの日、村を離れることを決めた私に着いてくることになった。
自分も感染者だということを明かし、これ以上爺さん達に迷惑をかけないようにと。
「今日は少し遅かったわね」
「タルラ寝坊したの?」
「僕の方が早起きだぞ!」
「ああ君達は早起きで偉いな」
アリーナが疑問を口にすると、子ども達が元気に自分の方が早く起きたことを自慢してくる。確かに子ども達の模範となるべき私が惰眠を貪っているように思われるのは良くないな。
「すまん。手紙を書いていてな」
「例の妹さん?」
「ああ。少し近況報告をな」
村にいた時から手紙を書いていたので、アリーナはフェイゼのことを知っている。いつか実際に会って話がしたいと言っていて、そんな機会が訪れることを願っていた。
食事も終わり、アリーナは子ども達を連れてとある一室に向かった。彼女は子ども達に勉強を教えていて、ここ数ヶ月で彼女はすっかり村の先生になってしまった。本人は謙遜しているが、彼女の包容力や見識は彼らの良い手本となるだろう。
さて、私は私の仕事をしなければな。
村を出て、近隣の森を散策し不審者の類や猛獣が出ないかを見て回る。この村にはかつて猟師だった者もいるが、監視隊等には太刀打ちできない。
今の所、剣を振ることと火を出して暖を取ることしかできない私には丁度いい仕事だろう。
ふと、これまでの数ヶ月を振り返る。
感染者を何人も救い出し、豊かではないが怯えることもない安全な生活を送れている。
地道だが、確かな一歩を踏み出せているのはわかる。
だが、これで満足していていいのだろうか。
通ってきた道を見返す。
そこには確かに私の足跡が刻まれていた。
だがこれも数日後にはまた雪の下に覆い隠されてしまうのだろう。
イグナスは私が感染者の希望を担うことができる器だと言った。
果たしてそうだろうか。
これから先、何をすればウルサスの、世界の感染者の希望となれる?
目指すべき理想が、その輪郭すら見えないほどに、遠い。
何処か鬱屈とした思いのまま村に帰ると、人が集まっていた。何かあったのだろうか。
彼らの中心にはスノーモービルと荷台があり、そこから積荷を降ろしているところらしい。
「おーい、タルラ〜!」
人混みの中心から、やけに明るい声が響く。
そうか、今日は彼が来ていたのか。
「久しぶりだな」
「ああ、イグナス」
私と話す彼の口調からは商人としての真面目さや堅苦しさはすっかり消え、まるで旧友かのような気安さで私を呼ぶ。
私もそんな彼の態度に少し甘えているのかもしれない。彼の前では、皆のリーダーとして気を張らずにいられる。
彼を迎える輪の中へ、私も加わった。
イグナスが運んできた積荷は食糧や鉄製の道具に加え、ここ一帯の辺境では希少な医薬品類だった。
彼はそれと引き換えに、私達が狩った動物の毛皮や手芸品、密かに栽培している薬草類を積み込んでまたここを発つ。
そうして、彼は見事に感染者への援助を商売として成り立たせている。
商売人として関わった事業には何としても利益を上げてみせると意気込んでいたが、我らが優秀なパトロンは見事にやってのけた。
運送や交易を担う商会の中でも安定した実績を上げる商会の会長でありながら、彼は自ら仕入れや交渉を行い各地を飛び回っている。そこで広げた人脈をさらに使い、規模は小さいながらも細かいところに手の届く優秀な商会、そんな評価を受けているらしい。
実際、彼は人に好かれる。
性格や適性に合わせ対応し、かつ人の助けとなることに躊躇がない。
今日も交易品とは別に村の皆に土産を持ってきていた。
アリーナにはウルサス語とクルビアの語学書を渡したらしい。生徒にも教えられるようにとのことだったが、子どもたちがそれに不満の声を挙げると懐から児童書や冒険本、漫画を取り出し、
「じゃあこれはいらないか〜。めちゃくちゃ面白いけど読めないんじゃな〜。」
と子どもたちをやる気にさせていた。
安全とはいってもここは監視隊の目すら掻い潜る辺境の地だ、子ども達も娯楽に飢えている。
確かに子ども達の関心を引くのが上手いが、早く読みたいとせがむ子ども達から文字の勉強が先だと漫画を取れないよう逃げ回る彼の姿は、追いかけっこをする子どものようだった。
積荷の入れ替えも終わり、彼ももうすぐここを発つ。
次に会えるのはまた数週間先だろう。
「タルラ」
「なんだ?」
「手紙だよ手紙。出すんじゃないのか?」
「ああ、そうだな。少し待っていてくれ」
部屋に戻り、簡素な便箋に包まれた手紙を手に戻る。
彼には手紙の配達も任せてしまっている。宛先についてはまだ話していないが、深くは聞いてこなかった。事情も聞かず、その手紙を毎回大切にカバンへ仕舞い必ず届けると約束してくれる。
手紙だけではない、彼には話していないことが多い。
私は誰なのか。
なぜあの村にいたのか。
それ以前は何をしていたのかさえ。
「どうした?まだ何かあるのか?」
いつだって、
「少し、話せないだろうか?」
そんな君になら、アリーナのように私の不安を打ち明けられるのだろうか。
それから私達は村から離れ、しばらく歩くと小高い丘に着いた。
ここらは建材を切り出すのに使ったため、いくつかの切り株が放置されていた。
そこに二人腰掛ける。
この心の内を、どう表現したものか。君に失望されないだろうか。
「で、どうしたよ?」
中々切り出せない私の意図を汲んだのか、あちらから問いかけてくる。
「またアリーナを怒らせたのか?寝坊でもしたのか、それとも慣れない料理でスープを焦がしたか?」
「君が私をどう思っているのか理解できた。暖をとりたくないかい?」
どうやら私がアリーナとの喧嘩の仲裁を頼もうとしていると思ったらしい。私はそこまで子どもではないし、不器用でもない。
アーツを使って軽く脅してやると、顔が引き攣った彼は慌てて謝罪してきた。
全く、気安さがあるのは良いことだが商売人としての口の良さはどこへいってしまったのやら。
すっかり肩の力が抜けてしまった私は正直に胸に抱えているものを彼に打ち明けた。
私の身勝手な思いを、彼は真剣に聞き続けてくれた。
「つまりタルラはこの先どうしていけばいいか分からないと」
「この生活が素晴らしいものだとわかる。だが、これ以上規模を拡大し本格的に活動しようとなればそれを壊すことにも繋がる」
それに巻き込まれるのが私だけならば構わない。
だが、アリーナや子ども達、今も村で生活する者たちを見て思った。
私は国から彼ら全てを守れるのか、と。
「そもそもよ、なんでお前1人だけが戦うつもりでいるんだ?」
その言葉にハッとした。
「今は始まったばかりだし、時期じゃねえってだけだよ。お前と同じで感染者の為に戦ってやろうって考えの奴はきっとまだ何処かにいる。そいつらも仲間にして、大きくなって、お前が言う戦士、同志が前線張って戦って他の奴を守れる規模になればいいだけだ。確かに俺はお前をリーダーに推したが、それは全部任せるって意味じゃねえ。俺は商人としてバックアップするし、戦力が足りないならそういったやつをスカウトすればいい。確かに時間はかかるだろうが、そうやって一歩ずつ進んでいけばいいんだ」
そう言った彼の横顔はまるで全てを知っているような、年に似合わない達観したものだった。
でもそうか、私は焦っていたのか。
「そうだな。ならもし私がいなくなっても、後を継ぐものがいるだろう」
感染者である私の、いや私達の寿命はずっと短い。それでも仲間ができ彼らが手を取り合うそんな組織を作れたら、きっとその意志は受け継がれていくだろう。
私が目指すべきはそういったスケールのものだったのだ。
私達の理想の結末を、自らの眼で見れないのは少し寂しいが仕方がないことだ。
「いや、俺は案外そう遠くない未来だと思うぜ?」
だが、そんな寂しさすらも、彼はなんてことないように吹き飛ばすのだ。
「これまでの歴史で一度も無かったことに挑むんだ。私達の代だけで完結するとは思わんさ」
「いいや、予言してやる」
そう言って彼は切り株から立ち上がり、私の前に堂々と立って指を向ける。
「きっと近い将来、鉱石病は不治の病じゃなくなる。そして俺達はその眼で、この国が、世界が変わる様を目にするだろうさ」
そう自信に満ち溢れた表情で、断言した。
ああ、眩しいな、君は。
本当に根拠に乏しい意見だ、予言だなんて馬鹿馬鹿しい。
それでも、嬉しかった。
「本当か?」
「ああ、もし違ったらなんでも言うこと1つ聞いてやるよ」
「言ったな?戦士に二言はないぞ」
つい頬が緩む。全く、やる気にするのが上手いじゃないか。
嬉しさついでに、私は私の秘密を1つ教えてやることにした。
「私には妹がいてな」
「・・・・」
突然の話題だからだろうか、イグナスは呆然としている。
「なんだ?そんなに意外か?」
「あっいや、どんな人なのかと思ってさ」
「龍門に出している手紙の相手だ。機会があれば会わせてやる」
そう言うと、何故か涙を堪えるような、切ない表情をした。
だがそれも一瞬。すぐにかぶりを振った彼の瞳は決意に満ちていて、その真摯さに目が離せなかった。
「ああ。俺が必ずお前の妹に会わせてやる」
「ふっ。だから会わせてやるのは私の方だ」
全く、おかしな奴め。