今回はスピンオフ的な感じで、まあ、はい。
カプ厨の血が騒ぎました。
2本立てです。
ロドス本艦 とある1日。
1日の予定も終え、現在ロドスに滞在しているスノーデビル隊員、もとい通称1号君は廊下を歩いていた。
予定と言っても大したことはない。その日は珍しく休日で午前中に訓練を終えた彼はそれ以降ロドス本艦の中を散策して回っていたのだ。
とっくに日も暮れており、ロドスの子供たち、スズランやポプカルといった面々は既に床に就いていてもおかしくない時間帯だ。行きつけのバーも今日は定休日だったらしく口寂しくなっていたところ、ホシグマやニェン、パラス、ミッドナイトら酒豪たちの酒盛りに誘われた。
そしてそこからつい先程まで飲んだくれ、子供たちには見せられない酔い方をした悪い大人がそこにはいた。
それを彼は友好を深める為であるとか、東方の酒類の味を覚えるだの何だかんだ言い訳をしていたが、勿論そんな気休めが通用するはずもなくまた聞く人間もいない。
人気のない廊下を若干千鳥足になりながら歩く。
(やばい。つい調子に乗り過ぎた。酔いを醒まさないと)
もしこんな所を誰かに見られでもしたら心配をかけるだろう。それか彼らの姉貴分に見つかればけして軽くはない小言が入るに違いない。昔、レユニオンの女性陣に仁王立ちで説教されていたどこぞの友人のようにはなりたくはなかった。
だが、ここから自分の部屋までの距離は歩いて向かうには少し遠く、体力的にも気だるい。どうしたものかとアルコールで鈍った頭をなんとか働かせ、彼はこの近くに訓練場がある事を思い出した。
(そういえば、あそこは中にシャワールームがあったよな)
着替えなどは持っていないが、それで冷水でも浴びれば酔いも醒めるだろう。そう考え訓練場に向かうべく歩を進めた。
だが着いて早々、彼はここを選んだ事を後悔した。
扉の先に誰かの気配がする。防音処理の施されているはずの一室からは時折甲高い金属音が漏れ出ており、間違いなく先客がいた。
別にシャワールームを借りるだけなのだから大したことはないのだが、声を掛けないというのもばつが悪い。ひっそりと事を済ませる予定だった彼からしてみれば誤算だったのは間違いなかった。
扉の隙間から中を覗き込むように様子を伺う。ゆっくりと両開きの扉を開けば、だだっ広い空間の中で縦横無尽に動き回るフェリーンの女がいた。彼はその横顔をここ数ヶ月で何度も目にしてきた。
ロドスのエリートオペレーター、ブレイズが独り炎とともに舞っていた。
彼女の手には重厚なチェンソーが握られており、その回転する刃からは金属がこすれ合う火花とも違う紅蓮の炎が吹きあがっていた。
それが振るわれるたび、大気を熱が上書きする。
斬り払い、振り下ろし、斬り上げる。飛び上がった空中ですらまるでそこに足場でもあるかのように体勢を自在にコントロールし重厚な一撃を放つ。
舞踏にも似た流れるような連撃は何かを想定しているのだろう、無秩序に振るわれるのではなく明確な意図をもって繋げられていた。今は大方前方から飛来するアーツか矢を斬り払いつつ距離を詰めているのだろう。
激しい体捌きに揺られ、彼女から健康的な汗が流れる。それを拭う暇も無いのか、口角を吊り上げながら疾走する彼女の首元に濡羽色の髪が張り付いていた。
ここに来た目的も、呼吸すら忘れてその光景に吸い寄せられる。
だが思わず1歩前に出た彼に、振るった灼熱の刃の余波が迫った。
「あぶねっ?!」
「! 誰!」
咄嗟に横っ飛びでそれを躱す。だがその声で自分以外の存在に気付いた彼女が武器を納める。思いがけない乱入者に訝し気に細められた目も、地面に横たわる彼の姿を見て大きく見開かれた。
「1号君? どうしたのこんなところで」
「いや、ちょっとな・・はは・・」
見惚れていたせいで危うく黒焦げになるところだったなどとは口が裂けても言えず曖昧に言葉を濁す彼に首を傾げるブレイズ。
一連の事で既にすっかり酔いは醒めているのだが、ここまで来たからには一汗流すかと考え直しシャワーを借りる旨を伝える。
ブレイズはそれを快諾し、もう少し自主練を続けると言って得物を手にする。また素振りから始める彼女に熱心だなと思いつつも、特に気にすることなくシャワールームへ向かう。
そして酔いやら冷や汗やらを洗い流し、再び訓練場に戻ってきた時にはブレイズも自主練を終えていて火照った体をタオルで拭いているところだった。
「熱心だな」
「まあこれでもエリートオペレーターだからね、情けないところは見せられないのよ」
「へー」
彼女には具体的な相手のビジョンがあるらしく、その瞳は依然として燃え上がっていた。その奥にはきっと誰か打ち負かしたい相手の姿が映っているのだろう。
それに呼応するように彼女から伝わってくる熱気も勢いが増す。彼女のアーツは炎を生み出すものなのだと本人から聞いたことがある。自分の姉貴分と同様に、その残滓が無意識下で影響を及ぼす事はまああるにはある事だ。
上気した頬。タオルから零れ落ちる彼女の流れるような長髪。生命力に満ち溢れたその姿をぼうっと眺めていると、当の本人はその視線と自分の体を行き来した後、にやりと笑って体をかき抱いた。
「何よそんな見て。えっち」
「な! そんなんじゃねえよ!」
「うそ~? じーと見てたくせに」
「ちげえって!」
そんな考えは微塵もないくせに、きゃーと騒ぐブレイズにどうにか弁明しようとするが、どれもこれも説得力の無いものばかりだった。
いかんせん無意識に眺めてしまっていたのは事実だったばかりに、あながち否定しづらかった。
「分かってるわよ。君もかわいいとこあるわね?」
「うっせ」
「いいじゃない。私達、人には見せられない姿も晒し合った仲でしょ?」
とんでもない事を宣うブレイズは揶揄いながら肩を組んでくる。
おい、変な言い方をすんな。
「そりゃ便器にゲロぶちまける姿なんて誰にも見せらんねえだろ! てか近え!」
「照れないでよ~」
「シャワー浴びた直後なんだよ触んな!」
「む。レディに向かって汗臭いってか! この~!!」
首を脇でホールドされこめかみをグリグリと押される。
痛みに襲われつつも鼻腔が爽やかな柑橘系の香りに包まれる。そして首を締め上げる力強くも時折感じる柔らかな感触に、冷ました頭がまた熱を持ちはじめる。
「もう悪かったわよ。ほら、いい物貸してあげるから」
「・・・なんだよ」
やっと解放された自分を置いて後ろを向いたブレイズは壁際の手荷物の中からスプレーを取り出し再び戻ってきた。
シャカシャカと音を鳴らしながらそれを振る。
「これ、制汗剤。フローラルな香りで汗もすぐ引くのよ。結構高いんだからね」
「・・・別に、汗臭いとか思ったわけじゃない」
「? じゃあ何で離れろって言ったわけ?」
「! もういい、それ貸せ!」
これ以上話を続ければ墓穴を掘る。そう判断しスプレーを受け取り体に吹きかける。
先程と同じ、柑橘系の香りがした。
「よし、これで貸し借り無しだ。じゃあな」
思えば貸しも借りもあったもんではなかったのだが、早々にこの場から撤退するべく話を切り上げ出口へ向かう。
だがそれをブレイズが呼び止める。
「ねえ1号君」
「? まだなんかあるのか?」
「この後、またお風呂に入るの?」
振り返った先でやけに神妙な顔をしているブレイズ。
最初、その質問の意図するところが分からなかった。
だが先程、汗の臭いどうこうの話をしたのを思い出し、ここでまた入るなどと言えばまた要らない気を遣わせると考えた。
「いや、もう部屋に戻って寝るよ」
「・・・・そっか。じゃあおやすみ!」
「ああ。また明日な」
途端に元気になったブレイズを見て、自分は正解を引いたのだと安堵しその場を後にした。
そうして自分の部屋に帰る途中、向かい側からエレーナ、彼の姉貴分がやってくる。それに一瞬身構える彼だったが、既にシャワーのおかげで酔いは醒めているし酒の匂いも落ちている。
自分の暴飲がバレることはないと自信をもって堂々と歩く。対面のエレーナが気付いた。
「やあ、兄弟」
「ああ、姐さん。部屋に戻るところか?」
「ようやくアーミヤ達との茶会が終わったところでな」
「そうか。気を付けて帰ってくれよ。おやすみ」
「ああ」
短く言葉を交わしすれ違う。
勝った、とそう内心ガッツポーズを上げた矢先、彼女の鼻がピクリと動いた。
「・・・待て、兄弟」
ギクッと音が鳴りそうなくらい肩を跳ね上げ止まる1号君。
ゆっくりと振り向いた先でエレーナは何故か怒るでもなくどこか訝し気な目を向けていた。
「なんだい姐さん?」
「兄弟、お前先程まで何をしていた?」
「え? 訓練室に寄ってシャワー借りて帰るとこだけど」
なお、あくまで訓練室に寄っただけである。だが聞く者によっては先程まで自主訓練をしていたと勘違いするような上手い言い回しだ。
だが、彼女が気になったのはそこではないらしい。
目を細め、口を開いては閉じるのを繰り返す。だがやがて言い淀みながらも口にした。
「・・・ブレイズと仲が良いのだな」
数秒思考に気を取られ、彼はやっと自分が纏う制汗剤の匂いの事を言っているのだと分かった。
「ああ! まあそれなりに付き合いがあって。さっきも風呂上がりだってのに絡まれてさ、お詫びに制汗剤貸してもらったんだ」
「・・・そうか」
だが自分の答えになんだか難しい表情を浮かべる彼女。ぼそぼそと「・・・いや、まさかな」とか呟いているのが聞こえたが、結局答えは出なかったらしい。気を付けて帰れよとだけ言われてそのまま行ってしまった。
「なんだったんだ?」
今日はやけによく分からないことが多いなと、そう首を傾げつつ帰路についた。
エレーナは自分の弟分と別れた後、1人考え事をしながら廊下を歩いていた。
ブレイズ。ここロドスで生活するようになってから度々見かけるロドスのオペレーターだ。本人が血液を炎に変換するという自分と対照的なアーツを使うこともあり、戦闘訓練でも何度か手合わせをした。
自分のように特殊な体質という訳でもないのにその身軽さとパワー、アーツの出力、それらの総合力は目を見張るものがあり印象に残っている。手合わせをする度、本人の気質かかなり好戦的だったのも覚えていた。
だが、その印象は今回の件で少し変わった。
思い出すのは、先程自分が参加した茶会の話の内容。
アーミヤを始め、アンジェリーナとウタゲとムース、それに最近加入したゴールデングローで個室のテーブルを囲み茶や菓子を摘まんだ。名目としては新人の歓迎会をうたっており新人の彼女と同じ比較的一般的な感性を持つ年若い少女が多かったのもそれが理由だろう。
そして話題も自然と年相応のものへと変わっていき、そこに恋愛に関するものが含まれていたのもまた当然だった。
『やっぱ好きな人とはお揃いの物を持ってたいよね~』
『わかるぅ~』
ウタゲの言葉に首を激しく縦に振るアンジェリーナ。そんな彼女が誰に懸想しているかなど本人の態度を見ていれば一目瞭然なので内心複雑ではあるのだが、その意見はある程度普遍的なものだったらしい。
そして今日、弟分から漂ってきた香りは普段ブレイズがいつも身に纏っているものと同じだった。
少女達のそれとは少しだけ違う、独占欲のようなものが滲み出たマーキング。エレーナにはそう思えてならなかった。
「気のせいだといいんだが」
苦労するだろう自分の弟分に、エレーナはそっと祈った。
訓練用の広い空間で、断続的に矢が風を切る。
控え場となる場所に掲げられた時計は後数刻で日付が変わることを示していた。
夜の射撃訓練場は人気が少ない。
まずこんな時間まで訓練をしようという人が稀なことに加え、どうしても騒音が出やすい射手の訓練というのは日中に行われるのが常だった。
だがそれはあくまでも気持ち的な問題である。ロドスの設計は優秀で防音対策は万全。それはこの射撃訓練場とて例外ではなく、大人数で一斉に射撃を始めでもしない限り外に音が漏れることはない。
しかしそれを実感を伴って知っているようなベテランはそもそもこんな時間にまで自主訓練には訪れず、それを知らない新人達は気を遣ってこの時間帯は避ける。
つまり、こんな時間にまでここを訪れる人間というのはそのどちらにも当てはまらない貪欲な一人前なのである。グレースロートはその僅かなうちの1人であった。
射撃台から半身となってフロントサイトと目標を重ね合わせる。
引き金を引き、その真ん中を貫いたのを確認したらすぐに矢を番え次に備える。その手付きは歳に似合わない程洗練されており、淀みなく滑るような動作だった。
ほどなくして今度はより少し離れた位置に人型の標的が現れる。それを視認してすぐに標準を合わせ引き金を引く。それもまた先程同様標的の中心を貫いた。
戦場において、相手を見つけそれに狙いを定めるまでの時間は短ければ短いほどいい。
より迅速に、より正確に、鍛錬を重ね削っていったコンマ1秒が自分だけでなく隊全体の生死に直結する。その事を彼女はよく理解していた。
だからこそ、冷静に黙々とそれを積み上げる。
程なくしてビーという音とともに標的が動きを止める。
訓練が終了した合図を耳にしてすぐに構えを解くことはなく、周囲の状況を確認する。
それは武道における残心のようなものだった。これは訓練ではあるが実戦を経験した彼女はそれに囚われる事はない。
―周囲に敵影、なし。
心の中で呟き、ようやく構えを解く。
息をつきベンチへ向かいながらグレースロートは1人反省していた。
(終盤、明らかに集中力が欠けていた。矢の充填も一回手元が狂った。視認してからじゃなくて気配を掴んで照準するのには慣れてきたけど、まだまだやれるはず)
これまでの動きを頭の中で反芻し反省点を検討する。
タオルで顔を覆い自分だけの世界に没頭していたところに、一発の狙撃音が響く。
(そういえば、もう1人居たのね)
自分とは違い、百メートル程離れた標的に撃っているあたり長距離が専門の狙撃手だろう。ロドスにも狙撃手はいるが、射撃場に響く音は銃ではなくボウガンのそれだ。アンドレアナやアンブリエルではないだろう。
となればファイヤーウォッチかメテオリーテか。そう予想を立てていたところで射撃台同士を隔てるパーテーションから人が出てきた。予想を外れ、訓練を終え出てきたのはフィディアの少年だった。その横顔に彼女は見覚えがあった。
それはレユニオンに所属しているはずのサーシャであった。
「「あ」」
互いに目が合い、時が止まる。
いつかの戦場以来の再会にどう反応すればいいか分からず、両者の間に気まずい雰囲気が流れる。
だが完全に無視するのも失礼だと考えたのだろう。サーシャは軽く会釈だけしてその場を立ち去ろうとした。
もともと口数が多いわけでもない2人の関係は、そこで終わるはずだった。
だがふとグレースロートに過ったある考えが、その縁を再び繋ぎとめた。
「待って」
急に呼び止められ困惑するサーシャ。ベンチから立ち上がり彼と正対したグレースロートは、真剣な眼差しで言った。
「あんた、サーシャって言ったわよね?」
「ああ。こっちでの名前はファウストだけどな」
「龍門では助かった。お礼を言い忘れてたと思って」
「律儀な奴だな。受け取っておく」
何でもないと感謝の言葉を軽く流したサーシャだったが、続く言葉に思わず肩を跳ねさせた。
「あの日、眠れない私のために歌を歌ってくれたよね?」
「・・・・何のことだ?」
「隠す必要ないよ。綺麗な歌だった」
努めて冷静にごまかすサーシャだったが、先の反応で既に確信を得ていたグレースロートがゴリ押した。
やがて観念したサーシャは長い溜息を吐いたのち、青白い肌をほんのりと染めながら忘れてくれと言った。
だが、既に明確な目標を持って行動しているグレースロ-トはそれを意に介さず話を続ける。良くも悪くも彼女は目的の為には真っ直ぐだった。
「少し頼みがあるの。大丈夫、時間はかからない」
場所は変わり、とある一室にて2人は向かい合っていた。
もっとも、1人はベッドの上に体を起こし、もう1人はベッドの横にわざわざ移動させた椅子に座ろうともせず落ち着かない様子で立っていた。
グレースロートは相変わらずその平坦な灰色の眼で相手を見つめており、サーシャはその視線を受け目を逸らす。彼にしては珍しい反応を見せつつ、眉を八の字にしながらサーシャは今一度問うた。
「なあ、本当にやるのか?」
「まさか今になってできないって言うの?」
「いや、別に構わないんだが」
サーシャは視線を下ろす。その手には武骨なボイスレコーダーが握られており、それはつい先程グレースロートが自分に手渡してきたものだった。
『あんたが歌ってくれた夜は久しぶりに夢を見なかった。だから、その歌をもう一度聴かせて欲しい』
真剣な目でそう告げられて、恥ずかしさもあれど根がお人好しなサーシャは渋々それを受け入れた。龍門で実際に魘される姿を見てしまったこともあり、つい善意で頷いてしまった。
だが一度荷物を置きに戻ろうとしたところ、一緒に着いてきてと言われ彼女の個室の前に来た時点で早くも嫌な予感がしていた。
あれよあれよと中に通され、引き出しからボイスレコーダーを取り出した時サーシャは軽率に頷いた先程までの自分を呪った。
極めつけに仮にも異性の目の前で布団にもぐり無防備な姿を晒し始めた頃には逆に心配になってきた。
「じゃあ、お願い」
心の中で様々な思いが暴れまわるサーシャを置いてグレースロートはベッドに完全に横たわる。毛布をかぶり顔だけこちらに向けるその姿は、かつてエレーナに子守唄をせがんでいたイーノや子ども達のようだった。
あの時のように無邪気な期待に満ちた眼差しではないけれど、それでも訴えかけるようなその視線に根負けし息を吸う。
レコーダーの録音スイッチを押し、あの日と同様歌い始めた。
歌を紡ぎながら、サーシャは過去に想いを馳せる。
まだ自分がボウガンも持てなかった幼い頃。レユニオンのとある拠点でもう1人の姉貴分であるエレーナが歌ってくれた子守唄。
イーノ達と違ってそう簡単に寝入ることも無かった自分は、穏やかで安らかないい夢をと歌う彼女の顔をずっと見ていた。
あの日、愛おしいとはああいう眼差しなのだと学んだのだ。
自分が浮かべる表情に気付かないまま、歌を終えたサーシャは過去から現在に立ち戻る。
(さて、どうしようか)
目の前には案の定、寝入ったグレースロートが規則正しく呼吸を繰り返していた。
その表情は穏やかと言うには感情の起伏に乏しいが、少なくとも悪夢に魘されているようには見えない。
本当に効果があったことに良かったという思いと、これから寝る度に彼女はこれを聴くのかという羞恥に複雑になりながらもそっとその場を去る。
デスクの上にボイスレコーダーを置き、部屋の照明を消す。音が出ないようそっと扉を開き廊下に出る。
扉が閉まる直前、サーシャは振り返り廊下の光が差し込む先へ呟いた。
「おやすみ。いい夢を」
―翌日。
正午頃。午前の訓練を終えたサーシャ、もといファウストは1人食堂で昼食を食べていた。
龍門との協力関係も軌道に乗り、手が空いたことで一時的にロドスに出向している彼だが任務がないからといって素直に休む彼でもない。ただでさえ生真面目なサーシャは龍門で変形者に苦汁を嘗めさせられたこともあり、近頃はより一層励んでいる。
時間が空けば訓練や勉強に精を出しており、食事は彼の中で数少ない休み時間だった。
本当はそれまで食事の時間すら削って訓練をしていたのだが、サーシャとイグナスの関係を聞きつけたロドス食堂の裏番長、もといイグナスの母に「悲しいわ。せっかく丹精込めて美味しいごはんをつくったのに」と涙ながらに説得され食事の時間はきちんと取るようにしたのである。
独り黙々と食事を進める彼の正面に、トレーが置かれる。
サーシャが顔を上げれば、そこにはつい昨夜会ったばかりの人がいた。
「どうだ、ゆっくり寝られたか?」
「おかげさまでね」
グレースロートは席に着き、対面の彼同様食事を進める。
しばらく食器と皿の音が鳴るだけの時間が続く。
やがて皿の上の料理が綺麗に無くなった頃、グレースロートがポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「改めてありがとう。おかげで訓練にも以前よりずっと身が入った」
「やっぱり寝る度にそれを聴くんだな」
「? そうじゃなければあんな頼みしない」
項垂れるサーシャに首を傾げつつも食器を片付けるため席を立つ。
だがその場を立ち去る直前、グレースロートは振り返った。
「やっぱり綺麗な歌ね。大事に使う」
ボイスレコーダーを振り、仄かに笑みを浮かべるグレースロート。
食堂がしんと静まり返る。
サーシャとグレースロートは知る由もないが、食堂に集ったオペレーター達はその光景に目を疑っていた。
何故ならばグレースロートは戦闘オペレーターや人事課のオペレーターも知る程の感染者嫌いであり、一時はPTSDによって感染者や源石製品から隔離されていた程だったからだ。つい最近までは戦闘オペレーターに成り立てというのもあり感染者とのいざこざが絶えなかった。その筆頭であるブレイズとの口喧嘩などもはや見慣れたものだった。
だがとある任務を経て、その態度が突然軟化したというのは話題になっていた。いつも何かに怯えるように視線を巡らせ、平坦な態度を貫き強く見せようというそれが無くなった。その理由について多くの憶測が飛び交っていたのだ。
そして今日。今まで一匹狼のごとく食事は1人で摂っていた彼女があろうことか外部の、それも感染者と席を同じくした。
それだけで注目の的になるには十分だったのである。
そんな周囲の反応に気付くことなく、サーシャは自分の歌声が永久保存されるという事実に項垂れつつも彼女同様食器を片すため席を立つ。感染者が苦手な彼女に気を遣って数歩離れた位置を保っていたが、グレースロートは逆に一向に距離を詰めてこない彼に「どうしたの?」と不思議そうな顔をして自ら歩み寄る。
「・・・いや、なんでもない」
「? 変なの」
何か言いたげなものの、結局なんでもないと漏らすサーシャをグレースロートが笑う。
その笑顔がどれだけ貴重な物だったのか、当の本人達だけが理解していなかった。
とある酒盛りにて
「いや~ウルサスから来たあの青年、中々に(酒飲みとして)いいですな」
「ほどほどに俗に染まってるってのか? まあ楽しいやつだな。話も面白いし」
「ええ。ぜひミノスにも来ていただきたいものです。英雄譚には語り部も必要不可欠ですからね」
「・・・・・」
「・・・・・」(かつて東夜の魔王としての経験が警告を鳴らしているミッドナイト)