こうして、かのターラーの地にて起こった反旗の狼煙は空へと昇り、ヴィクトリアの各地に種火を撒いて散っていった。
今は戦火の兆しも鳴りを潜め、ヴィクトリアは仮初の平和を再び手に入れた。ヒロック郡からは駐屯軍が撤退した事でダブリンが統治を行っている。貴族達の誰がヒロック郡を奪還するために動き出すか、その様子見の膠着がこの安寧を生み出しているのはなんともヴィクトリアらしい。
内輪揉めと足の引っ張り合いは我が国のお家芸、とはスカイフレアの談だ。
ヒロック郡事件から数週間後、ロドスは忙しなく次の計画の準備を整えていた。
帰ってきたOutcastらから齎されたダブリンの情報、そして感染者として保護されることになったラフシニーの証言によって、ロドスは遅くても1年以内にヴィクトリアの首都ロンディニウムに向かうべきだという結論を下した。
政変により混乱し、今もサルカズ軍事委員会によって支配されているかの国にロドスは立ち向かう事を決めた。
当然、その為にはいくつもの準備が必要だ。ロンディニウムに停泊するための理由付け、出向するメンバーの選出、ロンディニウム内の情報収集、挙げ続ければキリがない。
それらの準備を万全にするため、ロドスは一時炎国周辺の荒野に停留し来たるべきロンディニウムへの出航に備えている。
そんなロドス艦内で、ドクターと1人のオペレーターが顔を合わせていた。
ロドスの通路でドクターがこちらを見ている。相対する彼の表情はバイザーに遮られ伺えない。だがその人柄は今までともにした時間が教えてくれた。
きっと今も心の底から心配しているのだろう。声を掛けあぐねている彼に代わり、こちらから話しかけた。
「ドクター」
「緊張しているのか? ヴィーナ」
「・・・数か月前、ケルシー先生から準備はできているのかと問われた。だが、今もその答えは分からない」
ヴィーナ。アレクサンドリア・ヴィーナ・ヴィクトリア。それが私の名だ。
ロドスではシージという名で呼ばれているが、事情を知る者には本当の名を教えている。
ヴィクトリア。その姓が持つ重みを、このアスランの肉体が持つ意味を、私は本当の意味で理解出来てはいない。
物心がついてすぐの頃、王室では革命が起こり父は絞首刑に処された。そこから逃げ出してからはグラスゴーというストリートギャングの彼女らとともに生き、いつの間にかリーダーとなっていた。
もはや王室での記憶はどれもあやふやで、泡沫の夢のように朧気だ。
それらよりも、グラスゴーで何度喧嘩をしたかの方が遥かに鮮明に思い出せる。
それでも、かの地への望郷の念は消えない。
どれだけ記憶が薄まろうと、この血が、肉が、魂があの場所を欲してやまない。
(これだけ離れていて、何を今更とも思うがな)
ドクターはそんな私にも真摯に応えてくれた。
彼はかつての記憶を失ったという。それでもアーミヤを始めロドスは彼を受け入れた。
それはきっと、彼の人柄が成せる事であり、それだけ彼という存在は欠かせないものだったのだろう。
まさに、このハンマーに組み込まれたリベットのように。
私は、どうだろうか。
ロンディニウムを離れたあの日、私についてきてくれた者もいればあそこに留まった者も居る。その後どうなったかは分からないが、グラスゴーの仲間は軟じゃない。新しいリーダーを立て今も活動しているだろう。
そこに今更、私の居場所はあるのだろうか。
今までのストリートファッションとは打って変わり、この身はレイジアン工業製の灰の防護服に包まれている。
より戦闘に特化した装いながらも、肝心の自身の心はどこまでも頼りなく揺らいでいる。それが滑稽だった。
ドクターと別れ、道を歩く。
来るロンディニウムへの出航に向け、オペレーター達は準備に追われている。
行く道は誰の気配も感じられず、ブーツの音が廊下の奥に響いていく。
だが、その足は途中で止まった。
誰かが廊下に立っている。その影は廊下を塞ぐように中央に立ち、私の行く道を遮っている。
不意に雲が流れ、私達の間に光が差し込む。
朝日に照らされたその顔は、ここ1年でよく見た顔だった。
「シージ」
「タルラ」
タルラ。ロドスの同盟相手である感染者自衛組織レユニオンのリーダー。
その立ち振る舞いは凛として力強く、その背に続く者の心を奮い立たせる。
本人もロドスのエリートオペレーターすら凌ぐ力量を持ち、また高い教養も感じさせる。僅かな記憶に残る、ヴィクトリアの貴族すら霞むほどの高貴さが彼女にはあった。
そんな彼女が私に何の用だろうか。
「シージ。いや、今はヴィーナと呼ばせてもらおう」
「!」
話していないはずの私の愛称が彼女から出た事で警戒する。
空気に僅かな硬直を感じたのか、タルラは謝罪の言葉を述べた。
「すまない。訳あって君の名前を知っている。警戒させたのは申し訳ない」
「・・・理由次第だな」
「ならお詫びとして、私の名を明かそう」
だが、続いた彼女の名にまたしても驚かされる。
「私の名はタルラ・アルトリウス。炎国に流れたドラコ、エドワード・アルトリウスの娘だ」
齎されたそれは、私の本当の名と同様に特別な意味を持つものだった。
「ドラコだと? だが、君の妹君は龍人のはずだ」
「異父姉妹というやつだ。つまり私の半分はドラコ王の末裔ということになる」
その発言の意図を探る。
アスランである私に、
「勘違いしないでほしいのだが、私は別に王位などに興味はない」
「そう、か」
黙る私の思考を読んだのか、そう話すタルラ。
確かに、今の私を襲ったところで王冠は手に入らないだろう。ヴィクトリアの王権はギャングとなり故郷から逃れた私のような人間ではなく、八大貴族達が握っているのだから。
「なら、何故ここで待っていた?」
「少し話したくてな。同じ、特別な血を持つ仲間に」
「・・・」
「血とは不思議なものだ。姓とは名を騙ればいくらでも誤魔化すことができる。現に君は私が名乗るまで私の素性に気付くことはなかった。だが名を変える事は出来ても、この身に流れる血脈を否定することはできない」
「定められた運命からは、逃れようがないと?」
「いや、むしろ逆だ。私達にとって、それはただ数ある名の1つに過ぎないということだ」
あっけらかんと言ってのける彼女は、驚き呆然とする私を見据え自らの胸に手を当てた。
「私はタルラであり、ドラコのアルトリウスであり、レユニオンのリーダーでもある。それら全てが私であり、またどれも私を説明し足り得ない」
「!」
「ヴィーナ、未だ迷えるアスランよ。その名を背負う覚悟はあるか?」
その問いに、咄嗟に応える事ができなかった。その時点で、答えはもう出たようなものだった。
そうだ。私は、このハンマーで眼前の敵を打ち砕く事はできても、見えない大きな何かを背負う覚悟ができていなかった。アレクサンドリア・ヴィーナ・ヴィクトリアとしてではなく、グラスゴーのリーダーのヴィーナとしてこの任務に挑もうと考えていた時点で私は逃げていたのだ。
彼女は失望しただろうか。血だけが高潔な、この情けない獅子に。
俯いていた顔を上げると、私に問いかけた時と同じくどこまでも真っ直ぐとこちらを見据える彼女がいた。
タルラは私に歩み寄り、手を出した。
「これを」
「・・・これは?」
「私の父の遺産だ。ロンディニウムにある、とある場所の鍵」
手渡されたそれをじっと見る。それは精巧な造りをしていて黄金の輝きを放っていた。中央にはヴィクトリア王家の紋様が刻まれている。
「これを何故私に?」
「それは君が持つべきものだ」
用は済んだとばかりに、振り返りそのまま歩いていく。
「何時か君は選択を迫られる。その時、後悔する事のないようにな」
日が雲に隠れ、再び薄暗くなった廊下を彼女は真っ直ぐ進む。
立ち止まっていた私は、思わず彼女を呼び止めた。
「どうすれば、君のように迷いなく背負う事が出来る? 望まぬ血統に、見合うだけの重みを持たせる事が出来る?」
ドクターも、アーミヤも、タルラも、誰もが来る日に向けて自身の背負うべきものに正対する中私はそこから目を背けた。
だが、その日は必ずやってくる。タルラの言葉で確信を得た。その時、取りこぼしたくない
タルラは立ち止まり、再び私を見た。
「自分が何者であるか、それを知るべきだ」
「自分が何者、か」
「君は何だ? 何を望み、何を忌むべき敵となす? たった1つ、譲れないものは何だ?」
問いかけるタルラは、しばらく待った後再び背を向けた。今はまだ答えを得ることはできないと思ったのだろう。
だが、これだけ尽くしてくれたのだ。それには報いなければならない。自分が何者か、確固たる答えを導き出せば、それは必ず自身の助けとなるだろう。
礼を言わなければ。そう思い遠ざかる背に声を掛けようとした。
だがその寸前、タルラは「そうだ」と自ら振り返って言った。
「先程は言い忘れていたが。あと私はイグナスの伴侶でもある」
「・・・それは、良く知っている」
唐突な告白に混乱する。何故今それを?
そんな事、もはやロドスの人間ならば人事課のオペレーター含めてほぼ全員が知っていることだ。なんせロドス艦内でも四六時中一緒にいるからな。独り身の者が仲睦まじい彼女らの姿を見てファッジ*1を口に突っ込んだような顔をするのはよくある事。
2人の仲はもはや公然のものと言って差し支えない。
彼女自身、時々女性オペレーターに惚気ては照れられたり逆にうっとおしく思われているらしい。
私も一度イグナスという男に興味があってどんな人物か聞いてみたのだが、あれは地獄だった。その日は珍しく夕食が喉を通らなかった。
「だがそれが何だと言うのだ?」
「重要な事だ。何かを愛した人間は、強い」
そう微笑む彼女は1人の乙女のようであり、また数多を知り尽くした淑女でもあった。
年はそう変わらないはずの彼女に、私は何か人間としての格の違いを感じてしまう。
自らの肉体に流れる血と名に押し付けられた大きすぎる家名も、こともなげに背負ってみせる彼女と自らを比較して情けなくなる。
いかようにしてその境地に至れたのか。恥も何もかもを押しのけて尋ねようとした自分にタルラは愛だと語った。
そんな御伽噺のような事が果たして本当なのか。
「ああ、ドクターはやめておいた方がいい」
唐突に出た名前に戸惑う。
「それは何故だ?」
「これ以上、私の悪友の恋敵が増えるのはしのびない」
おそらくフロストノヴァの事を言っているのだろう。彼女もレユニオンの一員でありタルラと交友がある事は知っている。何より、時折彼女はドクターの秘書を務めている。
ドクターの秘書業務は担当者が変わることもあるが、基本はアーミヤやドクター本人の指名で決まる。それだけ何度も選ばれているのだから彼らからの信頼もそれ相応に厚いものなのだろう。
「心配するな。彼を同胞以上の目で見た事はない」
「そうか。まあ彼も相当な人誑しだ。魅力的だと言うのも分かる、イグナス程ではないがな」
ふふん、と自慢げに語るドラコに、アスランである私はすっかり毒気を抜かれてしまった。
伴侶を語る彼女の笑顔は、再び私達を照らし始めた太陽のようだった。