また、来年の序盤は私事によりまた投降頻度がガタ落ちしますがお許しください。
完結はなんとしてもしたいので、どうか見守っていただければと思います。
感染者の故郷、移動都市ポラリス。
土地の殆どを農地と防衛施設に割くそこは、移動都市というよりは移動耕作地とでも言うべき光景が広がっている。
外縁部に防衛用の塀と500m間隔に監視塔が設置され、その内部は起伏の無い平坦な土地だ。
監視塔から内側を覗けば、それらが綺麗に区画化され多種多様な作物を育てているのが見えるだろう。焦げ茶色の土に規則正しく並ぶ緑のチェック模様は、外からやって来た感染者達が最初に驚くこの都市の特徴だった。
そんなポラリスにも僅かながら農地と防衛施設以外の建物も存在する。
普段はレユニオンの訓練兵の鍛錬場として開放され、緊急時には防衛本部として活用される宿舎と司令部に、農地を耕す人々の宿泊地。
そしてとある施設もまた、都市の外縁部、堀に近い森林地帯のすぐ傍に設けられていた。
「失礼する」
「ああ、ナインさん。いらしてくださったんですね」
扉を開けるナインを土一つない小綺麗な白い服装を纏った中年の男性が迎える。そんな彼に案内されるナインは、普段より少し厳しい表情を浮かべたままその施設の中の一室に踏み入った。
そこにはベッドがいくつか置かれており、その内の1つに目的の人物がいた。
彼はサルカズの老人で、ベッドから起き上がることもせずナインを見てその頬を緩めた。
「おや、ナインさん。儂に何か用かい?」
「そうだな。君に用があって来たのは確かだ」
「そうか。いやいや参ったな。ナインさんが来るって知ってたなら、身支度の1つでもできたのに」
無理をするな、とナインは努めて穏やかに話しかける。
開いた窓からはこの時期にしては珍しい暖かい陽気とともに部屋の外の匂いが流れ込んでいた。
土の匂いとでもいうべきか。肥料の僅かな異臭が混じってはいるが、生命力に溢れた新鮮な空気だ。この空気の良さも、この都市の誇るべき特徴の1つと言えるかもしれない。荒野の上やヴィクトリアのような工場に汚染された場所では、これらが鼻腔内を満たす感覚というのは中々経験できないものだった。
ナインはレユニオンの幹部となりポラリスで日々を過ごすようになってから、ここを頻繁に訪れている。ここに来るたび、その時期に応じたこの都市の空気がここに流れ込んでくるのを彼女は感じていた。
そうなる理由も存在していて、実はこの施設は常に都市に対して風下になるよう設計されている。トランスポーターによる気象予報等を踏まえて毎度位置を調整しており、おかげでここは郊外にもかかわらず都市の息遣いを肌で感じる事が出来るのだ。
そしてそれは、ここに住まう人々が感染者の故郷たるポラリスの空気というものを存分に楽しむためであり、また、最期を迎える彼らを安全に供養するためでもあった。
老人の指が持ち上がる。何も持っていないそれは酷く震えていて、寒風に揺れる小枝のように細かった。
「ナインさん、私はあとどれくらいで死ぬのかい?」
「・・・私は医者ではないからな、何とも言えない。だから、貴方の望みを聞きに来た」
「ほっほっほ。この老いぼれの我儘に豊穣の女神様が付き合ってくれるとは、光栄だね」
「止してくれ。女神なんて柄じゃない」
ほんの少し、ナインはその頬を緩めた。すっかりこの都市に定着してしまった異名だが、とても自分の事とは思えない名だ。
毎朝鏡を見ても、そこにはいつも仏頂面の女しか見えない。女神と言うには些か勇ましすぎる。結局、ナインはアーツで農家の手助けをしているからだろうと結論付けた。
だがナインは気付いていなかった。もしそれだけであるならナインはこのように温かく慕われてはいなかっただろう。
感染者や非感染者を問わず、生きる為に戦う者達の糧を育むため日夜試行錯誤している彼女の姿を彼らは見ていた。
ポラリスに住む人々の笑顔を見た時だけ、いつもの仏頂面ではなく慈しみに満ちた笑みを浮かべるナインを彼らは慕っていたのだ。
サルカズの老人も、それにつられて笑みを浮かべた。
「そうだな。特に思い入れがあるわけでもない。妻はとっくに先立っているし、子ども達も傭兵になって散り散りになってしまった」
「なら、お子さん達を探そうか?」
「いや。あの子らももう一人前だ。今更会ったところで話すこともないだろうよ」
ただ、と。サルカズの老人は遥か遠くの、ここではないどこかを思い浮かべながらちっぽけな願いを語った。
「昔、妻と偶然見つけた花畑があってな。一面に名前も知らない白い花が咲いていて、甘い香りが辺りに漂っていたんだ。妻が摘んだそれをよく見たら、1つの花の中にたくさんの小さな花が咲いていた。あれをもう一度、見てみたいのお」
「分かった。探してみよう」
一瞬の迷いもなく、ナインは断言する。
それに対しサルカズの老人は咄嗟に申し訳ないと謝罪しようとした。
しかしその言葉は寸での所で止まり、代わりに皺だらけの顔で精一杯の笑顔で感謝を述べた。
それから何度も日が昇っては落ちていった。
サルカズの老人は次第に寝ている時間が長くなり、日中は痛み止め等を打って鉱石病の症状を抑えるのが日常になってきた頃。
もう一度、ナインは彼の元を訪れた。
「待たせてすまない。さあ、行こう」
2人はポラリスの一画を行く。先程の施設から程近い庭を、ナインが車椅子を押して歩く。
少し視線を上げれば防衛用の塀が聳え立っている。それに沿うように森の獣道を歩いた先に、目的地はあった。
道中、冬を迎え始めた近頃は珍しい陽気に老人はウトウトしていた。
ナインはしばらく待ったのち、軽く肩を叩いて起こしてやる。
ゆっくりと目を開く老人は、目の前に広がる一面の花畑に気付き心を奪われた。
「ああ・・・」
車椅子から立ち上がる彼をナインが横で支える。
その花畑を目を細めて見る彼は、そこに今は亡き妻の姿を見ているのだろう。
立つのを支えながら伺い知れたその横顔は、何よりも愛しさに溢れていた。
「ナインさん、ありがとう」
涙を浮かべながら、しわがれた声でそう言った。
その正午過ぎ。彼は眠るように息を引き取った。
―カツッ、カツッ。
ナインが監視塔の階段を上がっていく。靴の音が寂しそうに鳴っていた。
葬儀も終わり再び静けさを取り戻したそこを、ナインは見下ろした。
この施設は病院であると同時に、もはや助かる見込みのない感染者を収容する隔離施設でもあった。
そしてそのすぐ傍には感染者の遺体を適切に処理する為の設備と、彼らを弔うための共同墓地が存在する。墓地と言っても置かれているのは少し大きな墓石だけ。それが塀の上からこの都市を見渡される場所にひっそりと存在するのみだった。
ナインはその墓石に向かい合う。そして懐から先日生み出した花の一部をそっと供えた。
しばらくそのままでいると、塀の階段を上ってくる足音が聞こえてくる。
ナインはそれに振り返ることはしない。今まで、彼女は何度となく彼らを見送り、そして彼もまたそれに少し遅れてやってくるのが常だったからだ。
「遅かったな、イグナス」
「すまん、遅れた」
イグナスは花の代わりに香を焚き、両手をそっと合わせる。ナインには今までそういった文化は無かったが、何度も彼とともに弔いの時間を過ごすうち気が付けば彼とともにそれに倣うようになっていた。
少しの黙祷ののち目を開いたイグナスは残念そうに言った。
「しかしとうとうノストスの爺さんも逝っちまったか。爺さんの作るシチュー、チーズがたっぷり入ってて美味かったんだけどな」
「だいぶ前に弟子を見つけて粗方レシピは伝えたそうだ。その弟子は葬儀で泣き崩れていたがな」
「爺さん、弟子には厳しかったもんな。まあ愛情の裏返しって奴だろうが」
「よく話を聞かされたよ。今の弟子は中々根性が据わっているとな」
「まったく。そういう事はちゃんと言っとけってんだ」
「彼らには彼らの繋がり方がある。そこまでするのは野暮というものだろう?」
「違いねえ」
他愛無い話が2人の間で交わされる。
いつもこうだ。涙は流れない。穏やかな気持ちのまま、ただそれを受け入れるだけの時間が流れる。
「なあ、下に咲いてたあれ。ナインがやったのか?」
イグナスが眼下に咲く花畑を見る。森林にぽっかりと空いた更地から、白い花弁と甘い香りが巻き上がっていた。
「彼の最期の頼みでな。奥さんと見た景色だったらしい」
「ははっ、なるほど」
「?」
「いや、案外爺さんもロマンチストだったんだなと思ってな」
そう笑うイグナスは今も下で一面に広がっている花の名前を語った。
1つの花にたくさんの小さな白い花を咲かせるそれはイベリス。
花言葉は『初恋の思い出』。
おそらく、当の本人はその意味を知らないまま世を去ったのだろう。この花を選んだのは偶然、彼と奥さんの間に残った記憶にあったから。
それでも、こういった偶然に何か意味を見出したくなってしまうのは、彼らと長く時間を過ごしてきたからだろうか。
「よくそういった知識を持っているものだな」
「ロドスに療養庭園があってな。そこの女の子達が教えてくれるんだよ」
イグナスの脳裏にはパフューマーとポデンコとスズランとメランサ、そして庭園の番人と化したエンカクと自分が仲良く(?)テラスで茶会をする光景が過っていた。
今思ってもあれはおかしかった。なんというかこう、あの人も尻に敷かれてるんだなあとイグナスは少し同情したものだ。
それから、他愛ない時間が過ぎる。
イグナスは近頃のロドスでの日々や、ナインが気にしていたフェイゼの様子を語り、ナインはポラリスの住民の生活について話した。
話題もそろそろ尽きた頃、イグナスは唐突に話題を変えた。
「なあナイン。預かっててほしい物がある」
「何だ?」
そう言ってイグナスは懐から小さな巾着を取り出しナインに手渡す。
ほとんど生地だけのように軽く、サイズも小さい。掌にすっぽりと収まってしまうくらいだ。
中身は何か、そう尋ねる前にイグナスがその答えを言った。
「花の種だ。もし俺の番が来たら、それを植えてくれ」
「・・・・・・」
2人の間を風の音が通り抜ける。
突然の言葉に、ナインは何を話せばいいのか分からなくなる。
「・・・お前」
「ああ、勘違いすんなよ? 別に今すぐどうこうとかいう話じゃねえし、死ぬ気もねえよ」
ただ、とイグナスは付け加える。
「この先、いつそうなるか分からない。そうなった時、きっとそれはもう俺1人の命とかそういうもんじゃ済まねえだろうなっていうのは分かってる。俺も一応レユニオンの幹部だし、俺が死んだらきっと俺の想像より多くの人に影響が出る」
「・・・」
「その時、皆が足を止めちまわないようにこれを贈りたいんだ。俺がいなくても、ちゃんと前を向いて歩けるように」
この時、ナインの胸中は様々な感情で綯交ぜになり荒れ狂っていた。
それでもそれらを押しとどめる事ができたのは、彼が自分に打ち明けた意味を悟ったがゆえだ。
「この事は、タルラは知ってるのか?」
「言えるわけねえだろう? もう皆の前で正座のまま説教されるのはごめんだ」
なら最初からそんな事するなと一喝したい思いをなんとか鎮め、巾着を握りしめる。
「中身は?」
「それは咲いてからのお楽しみ・・・すまん、言葉を間違えた」
向けられる視線が鋭くなったのを見て、イグナスは自分の失言を悟り謝罪する。
だが神妙な態度を取ろうと、ナインは容赦をするつもりはない。
「お前は自分の事になると途端に雑になる。それが分かっているはずだろうに、中々改善されないとは、フェイゼの姉も苦労しているだろうよ」
「おっしゃる通りです・・・」
隣から感じるプレッシャーに耐えかねたのか、イグナスはそのまま立ち上がり階段へと向かう。
「じゃ、頼んだからな」
「待て。最後に聞かせろ。何故私に託す?」
ナインの言葉に、イグナスは足を止めた。
「ナインは途中から俺達に参加したし、立ち位置が少し特殊だろ?」
確かにそうだろう。タルラ達と違い、自分にはまだ見かけだけとはいえ龍門近衛局の隊員という立場がある分他のレユニオンの面々と比べて客観的な考え方を保っている。
だがそれは、いつでも彼らを裏切る可能性もあるという事だ。今は良好な関係を維持出来てはいるが、それが崩れ龍門に被害が及ぶことになればナインは決断を迫られる。
「それに、お前ならレユニオンの事を任せられると思ったからだ」
「何故・・・」
「お前は感染者の為に、そして道を失った誰かの為に、先頭を歩いて導いてやれる奴だよ」
だが、イグナスは断言する。
曇りのない瞳で、当の本人ですら知らないそれを言い放った。
言い返そうと、口を開く。
だが、否定の言葉は終ぞ出ず、代わりに呆れた笑みが浮かんだ。
「それも、商人の勘か?」
「お、分かってるじゃないか。外れた事ないだろう?」
自信ありげにそう言って、イグナスは階段を下りて行った。
その背中も見えなくなった頃、ナインはようやく一言だけ絞り出した。
「馬鹿者め、荷が重いぞ」
ナインは掌に置かれた巾着から1粒の種を取り出す。一見何の変哲もないそれが、どのような意味を持っているのかナインはまだ知らない。アーツで成長を促し花を咲かせる事はできる、だがナインはあえてその種を再び戻した。
それがどのような花を咲かせるかは、過ぎ去る時間と大地だけが教えてくれるのだと信じて。
感染者の故郷で、去り行く魂に花を手向ける送り人。
レユニオンという列にあって、未来へ進む彼らから過去に置き去りにされる者へ祈る彼女がその列の先頭に立つことはこの先あるのだろうか。