ブラッドブルードの大君は乱入者を見上げ、ため息を吐く。
彼女は先程、自分の足元にすら及ばないマンフレッドにいいように使われていた小娘だ。ダブリンなる者共が寄越した愚者、それが大君の評価だった。
それが自分達の戦いに水を差し、あまつさえ自分を
肌に触れる事すらできなかった石礫は、それでも大君の機嫌を損ねるには十分だった。
「何用ですか? 野良猫が迷いこむような場ではありませんよ」
「・・・」
マンドラゴラは沈黙を保ったままだ。
流石に王庭の1人に敵意を向けられれば平然とはしていられない。緊張のあまり唾を飲み込んだ彼女は目を逸らすようにイグナスの方を向いた。何故自分がこんな場所に来ているのか、その原因となった張本人へと。
あのサルカズの傭兵達とのいざこざの後、マンフレッドに一応の弁明を行ったマンドラゴラは来た道を戻っていた。その荒々しく踏み鳴らす足音を聞けば、誰もが彼女の心中を察する事が出来るだろう。
(くそっ、あのくそ魔族! 今に覚えておきなさいよ)
マンドラゴラは心の中でマンフレッドを罵る。
自分の得意でない交渉紛いの弁明は、両者の間に決定的な亀裂を生まないという最低限の成果を果たすことはできた。だがそれと引き換えに、彼らに上から物を言われ顎で使われたというのはマンドラゴラの自尊心を大いに傷つけた。
それでも、その態度を彼の前で明らかにはしなかったというだけでマンドラゴラを知る者からすれば大きな変化だった。
(ここでサルカズと対立するわけにはいかない。リーダーの益にならないどころか、またしてもその道を遮る事になる)
既にマンドラゴラには後が無い。ヒロック郡でやらかした失態、それを挽回してなお余りある成果がいる。
それにこれはチャンスでもあるのだ。あのマンフレッドに守衛を命じられた捕虜を閉じ込める施設には自分達のロンディニウムへの潜入員もいるのだ。
「スパイ」と呼ばれる彼とマンドラゴラは旧知の仲であり、同じ下水道から成り上がることを誓った戦友だった。彼を助ける機会を伺っていた彼女からすればこれは千載一遇のチャンスだ。
彼を助け、彼の持っている情報を持ち帰ってリーダーに献上する。そうすれば必ずや信頼は取り戻せると。胸の奥で囁いてくる、小さな不安を振り払ってマンドラゴラはその希望に縋りつく。
だからこそ、この扱いにも耐えられる。いつかあの長い鼻っ柱をへし折ってやると息巻く彼女は、人影の無くなった街道で苛立ちを込めて小石を蹴飛ばした。
それは薄暗い路地裏へと転がっていき何かにぶつかったのか石の跳ねる音がする。溜飲が収まって来たのか、閉じていた瞼を開き歩き出そうとした彼女に横合いから声が掛けられた。
「よう、あんたがマンドラゴラか?」
咄嗟にアーツユニットを構え石錐を形作る。先程蹴飛ばした小石の向かった先、薄暗い路地から何者かがこちらに歩いてくる。その声は最近相手していたサルカズ達と比べれば親し気だが、マンドラゴラはアーツユニットを構える手を下ろすことはなかった。
こんな人の気配が無い場所でわざわざ声を掛けてくるやつは後ろめたい事情を抱えてるか、命を狙ってくる裏の人間だ。
どちらにせよ、気軽に挨拶を交わすような関係でないのは違いない。
流石にこの距離になってもまだ臨戦態勢を解かない事に焦ったのか、謎の人物は手を上げ敵意が無い事を示す。
「おいおい待て待て。こっちは丸腰だぜ?」
「あんた誰? いや、その顔・・・」
こちらに近づいてきたことで少しづつその背格好やらが浮かび上がる。といっても、その頭はフードらしきものに覆われ顔は分からない。
それでも街灯の光が差し込んだそこからは僅かに黒い煌めきがのぞいていた。
「体表源石・・・レユニオンの連中ね」
「正解」
フードに手を掛けその相貌を露にする。そこには空色のウルサス人の青年がいて、顔の半分を源石で覆っていた。その顔面に一瞬動揺したものの、そんな事はおくびにも出さずマンドラゴラは来訪者の目的を考える。
感染者と聞けば、マンドラゴラの脳裏には苦々しい記憶がよみがえる。
ヒロック郡のあの事件。本来ならばあそこで大々的にヴィクトリア中にダブリンの存在を知らしめ、リーダーの影であるラフシニーを祭り上げるとともに真のリーダーの暗躍を手助けするはずだった。それが失敗に終わったのはあのロンディニウムが寄越した軍人達もそうだが、ダブリンの兵士達を鎮圧していった彼らのせいでもあるのだ。
「何の用? 今すぐ挽き肉にしてやってもいいんだけど」
「そう怖い顔すんなよ。皺が取れなくなるぜ?」
「っ! ・・・怒らせようとしても無駄よ」
すぐさま用意した石錐を撃ち出そうとしたのを堪え、マンドラゴラは息を整える。
こういった余裕そうな声をしている奴は、大抵口が上手い。あのマンフレッド然り、巧みな話術やらでこちらを怒らせぼろを出さないかと手ぐすね引いて待っているのだ。それはここ最近ロンディニウムで過ごして嫌でも理解できた。
「おや、何かあったのか?」
「白々しい。ヒロック郡であたし達を邪魔した事、忘れたとは言わせないわよ」
「襲われていたターラー市民を守ったんだ。むしろ感謝してほしいくらいだが。それとも本当は市民に被害が出て欲しかったか?」
「・・・」
マンドラゴラのアーツユニットを握る手に力が籠る。今すぐにでもアーツでこの男を物言わぬ肉片に変えるべきだろうか。
もしかしたらあのヒロック郡の駐屯軍に仕込ませていた工作員の事もバレているかもしれない。いや、多分そうだろう。目の前の感染者からはマンフレッドやアルモニのような、策を巡らす奴特有の胡散臭さが漂っている。自信があっていつも涼しい顔をしていて、そういう人間の相手が苦手だという事は彼女にも分かっていた。
「これ以上失敗するわけにはいかないのよ」ボソッ
「なら手伝ってやろうか?」
「・・・は?」
僅かな呟きを拾われた事よりも、その申し出の意味が分からずつい聞き返す。
「サルカズに協力するふりして仲間を助けたいんだろう?」
「!! あんた、何で!」
「待て待てそう興奮すんな。なんでって質問には答えられないぜ、何故なら言ったってお前はそれを信じないからだ。それよりも重要なのは俺がお前の狙いを知っていて、それに協力する意思があるって事。そうだろ?」
「・・・じゃあ、あんたらが協力する理由は何?」
「うちのお仲間のお仲間がどうやら同じとこに閉じ込められてるらしくてな。それを助けたいってだけだ。ならそこで消耗する戦力は少ないに越したことはない。そちらは何もしなくていい。守衛を任された場所にいてくれればこっちも適当に戦力を送る。そいつらと一芝居うっていればサルカズの方にも言い訳が利くだろう?」
「・・・」
「どうする? 俺達の目的は一緒だと思うんだが」
次々と告げられるイグナスの提案に冷や汗を浮かべるマンドラゴラ。
理由は分からないが、奴はこちらの計画を知っている。案の定こいつは得体の知れない奴だったという事だ。何もかもお膳立てされていて、こちらに敵対の意思がないだけで胡散臭さはあのクソ将軍やアルモニより遥かに上だろう。
それでもこの要求を飲むべきだ。だけど、マンドラゴラに残ったほんの僅かなプライドがそれを邪魔する。また駒のように、いいように扱われる事がマンドラゴラの奥底に爪を立てる。
「しょうがねえな。ならお前達が考えてることサルカズ連中に話しちゃおうかな~? そしたらもう仲間の救出は無理だよな~?」
ついでにダメ押しの一言が乗せられた。
「あんたっ!」
「あいつらの鼻を明かしてやりたくないか?」
「!」
当然だ。今まで散々我慢して耐え忍んできたのだ。頭の中であいつらに石錐を突き刺した回数は既に十を超えている。
これは悪魔の契約だ。頷けば最後、どんな対価を払わなければならないのか。でもその手を取る以外の選択肢はどこにもない。少なくともマンドラゴラには思いつかなかった。
せめてもの反抗に、マンドラゴラは差し出された手を握ることなくイグナスを睨みつけた。
「言っとくけど裏切ったりしたらただじゃ置かないから。こっちがサルカズの連中に告げ口したっていいんだからね?」
「安心しろ。契約はきちんと履行するのが商人ってやつだ。それが例え証拠も何もない口約束だとしてもな」
「は、どうだか。少なくともあたしの知る金持ちどもの言葉は羽毛よりも軽かったわ」
「ならそいつらが“ウルサススラング”なだけだな」
「? 何よそれ」
「ええと、つまりそいつらは“ヴィクトリアスラング”ってことだ」
「ぷっ」
突如出た暴言にマンドラゴラは噴き出した。こいつの事はマンフレッドやアルモニと同類だと思っていたが、どうやら少し違ったようだ。少なくともあいつらにこんな
「はは、そうね! あの頭空っぽの“ヴィクトリアスラング”は“ヴィクトリアスラング”で“ヴィクトリアスラング”だわ!」
「口が悪いな・・・」
「あんたもいい育ちしてるじゃない?」
笑う彼女を前にして、イグナスは一瞬動きを止めるもすぐに姿勢を正した。
「契約はここに」
胸に手を当てるイグナスを見て、これ以上の対話は不要だと判断したマンドラゴラは踵を返す。
本当はイグナスはそれで話を終えるつもりだった。
だが背を向け歩いて行くマンドラゴラを見て、先程の勝気な笑顔を目の当たりにして、つい魔がさした。
「あー、それともう1つ」
「・・・次から次へと何?」
「これはあくまで推測でありもしもの話だが」
「いいからもったいぶってないで話しなさいよ。あんたらみたいなのってほんと回りくどい話が好きね」
我慢ならなくなったマンドラゴラが続きを急かす。
「・・・もし、あんたらが既にリーダーとやらに見放されていたらの話だ」
その仮定に、マンドラゴラは石錐の先をイグナスに突きつけた。
「・・・なんですって?」
「お前もある程度考えてはいるだろう? 既に何回かサルカズと小競り合いを起こした後だ、それでリーダーが自分達にどんな処遇を下すか」
「あんたに何が分かるってのよ!? それにあたしだってあんな魔族どもとの小競り合いばかりしていたわけじゃない。ロンディニウムの貴族との話もつけた、その功績があれば」
「本当にそれで十分か?」
そうだと、リーダーが自分を見捨てるはずがないと。そう言い返したいのに言葉が出ない。
うまくいかない事ばかりだった。挙句の果てにはあの馬鹿なラフシニーに深い傷を負わせて身柄を奪われた。あれ以来、一度もリーダーとは顔を合わせていない。
次に会う時、自分が憧れたあの誇り高くて冷徹な眼差しが自分に向けられるのではないか。その不安を押し潰しながらロンディニウムで挽回のチャンスを待ったのだ。
二の句が継げない彼女に、やはりそうかと納得したイグナスは、あまりこじらせない方がいいと話を終える。せっかく成った一時的な協力関係すら壊れてしまっては元も子もない。
「まあ、これはあくまでももしもの話だ。だがもし、その悪い予想が現実になって行き場が無くなったら俺達のところに来い」
「それで何になるってのよ。リーダーを裏切れとでも言うつもり?」
そんなつもりはない。自分にとってリーダーこそが最も尊敬すべき人なのだから。それだけはどんな事があっても変わらない。あの日、薄汚れた暗い下水道から手を引いて温かさを教えてくれたのは他でもない彼女なのだから。
「あくまでも一時的に身を寄せとけって話だ。まず、お前達は現時点ではそこまでサルカズとの対立関係を煽ろうとは思ってない。でもロンディニウム内での地盤を盤石にして、全ての準備を終えた上でサルカズや他の公爵陣営から首都を勝ち取るつもりだ」
「・・・」
答えはしない。その代わりこめかみを冷や汗が流れていく。
「つまり、お前達がやったことは時期が悪いだけで、結局ダブリンはサルカズと事を構えるんだ。ならそれまでは大人しくしておいて、戦う段階になったらまた援軍として助けてさりげなく列に加わればいい」
その提案を受け、マンドラゴラは考える。
確かにその案は筋が通っているように思える。リーダーの元に戻る時期を変えただけで、自分は失態を続けた部下から貴重な戦力へと変わる事もできるだろう。ただその提案には先程と違い、どうしても理解できない事があった。
「あんた達になんのメリットがあるのよ?」
一度は敵対した身だ。あの炎刃を振るう剣士の姿は今でも脳裏に焼き付いている。遺恨のある相手をわざわざ身内に引き込むことはない。
あるいは、そうしてでもあたしから得たい何かがあるのか。それはダブリンの内情か、それかリーダーの情報か。
どちらにしても、自分の保身の為にそれらを売るつもりはなかった。
果たしてどのような意図で自分を誘ったのか。それを見極めようとするマンドラゴラ。そんな彼女に、イグナスはようやく口を開いた。
「・・・なんのメリットがあるんだろうな」
「はあ?」
要領を得ない答えに、怒りと呆れが混ざったため息を吐く。
「ヒロック郡でのあの事件、俺達が市民の保護に回ったがそれでも全員を助けられたわけじゃない。犠牲になった人もいて、それを引き起こしたのは間違いなくお前らだ。いくらヴィクトリアとターラーの間に亀裂があったとしても、お前達ダブリンのやり方は間違いなく多くの人を巻き込んだ。特にお前なんて、裏切り者を私刑で見せしめにしようとしたそうじゃないか。俺は、お前みたいな奴は嫌いだ」
「あたしもあんたみたいな上から物を言ってくる奴大嫌いよ」
先程の雰囲気とは一転し、互いを罵り合う2人の間に友誼を結べそうな気配は欠片も感じない。イグナスは残忍な彼女を心からは受け入れられないし、少し見直したとはいえ自分の毛嫌う人種と同じ匂いのする彼に対してマンドラゴラもまた同様の意見だ。
だが、やがてイグナスは顰めていた顔を緩め、理由が分からないとでも言いたげに息を吐いた。
「・・・嫌いなはずなんだけどな」
イグナスは目の前で自分にアーツユニットを突き付ける少女を見据える。
金持ちや貴族を恨んでて、彼らをアーツで磨り潰しても喜色を浮かべる彼女は間違いなく悪人だろう。残忍で高慢な、救いようのない人間なんだろう。
(でも、本当にそれだけか?)
どうしても、あの光景が瞼にちらつく。
彼女が迎えるはずの末路を知っている。見捨てられ、見下され、それでも生きることを諦めなかった彼女は、最後に下ろされた蜘蛛の糸を掴まずに旧友の亡骸へ寄り添う事を決めた。
恵まれなかった彼女は、それでも精一杯生きようともがいたのだ。
(それに救いがあって欲しいと、そう願ってしまう俺はやっぱりわがままなんだろうな)
「これは正直、レユニオンとしてじゃなく俺個人としての願いだ。なんとしても説得するが、あまり居心地は良くないかもな」
そこまで聞いて、マンドラゴラはそれに答えるでもなく別の質問をした。
「最後に聞かせなさい。あの偽物はどこに行ったの?」
「今のところは療養施設で体を休めてる。ただ、それももうじき終わるさ」
「どういうこと?」
「彼女は誰かさんの影からもう抜け出した。彼女は既に、自らの炎で誰かを照らせる」
「・・・あいつにそんな事、できるわけ」
「あまり舐めんなよ? うちの弟分の太鼓判もあるんだ。お前もうかうかしていたら置いてかれるかもな?」
「なっ」
そしてそれっきり、イグナスは話は終わりだとばかりに路地裏に姿を消した。
誰も居なくなった路地の影をマンドラゴラはしばらく見つめ、そして歩き出した。
そして時は来た。配置された廃工場の出口の1つ、あのレユニオンの感染者の言った通りやって来た何人かとわざと苦戦を演じるよう命じマンドラゴラは部下数名とともに地下牢へと向かう。同時襲撃のおかげで警備が手薄になったそこで、彼女は無事『スパイ』を見つける事が出来た。
部下を先に向かわせ出口を確保させる間、2人は肩を支え合って薄暗い廊下を歩く。
地上では今頃あの連中が騒いでいるのだろう。そう考えたマンドラゴラはあのレユニオンの男の話を思い出した。
「ねえ『スパイ』、この後あたし達はどうすればいいと思う?」
「なんだ、らしくないな。部隊長様だろ?」
「いいから。部下の意見を聞くのも上司の務めってやつよ」
やけに素直なマンドラゴラに『スパイ』は口を開きかけ、それでもその言葉は寸での所で喉に引っ掛かる。告げるべきか分からない憶測、それを口にできないまま時が過ぎる。
しばらく肩を支え合う2人の足音が地下道に響いた。
「・・・」
「リーダーが、もうあたしを見捨ててるって?」
「! お前・・・いや、そうだな。正直その可能性は高いと思ってる」
旧友の言葉に、マンドラゴラは動揺した。でも、ただ動揺しただけだ。そんな自分に少し驚く。前までの自分ならそんなはずはないと一蹴しそのまま走り抜けていただろう。
自分の中の灯すべき火は消えていない。憧れの先には変わりなくあの日見た紫炎が燦然と輝いている。
だけどもう、そこまでの一本道は塞がってしまった。
「ねえキリアン、あんたがあたしを引っ張って貴族のガキから逃がしてくれた時のこと覚えてる?」
『スパイ』は久しく呼ばれなかった名で呼ばれたことに驚きつつも、それに頷いた。
「あの時、一度道に迷って行き止まりに着いたでしょ。あの時どうしたか覚えてる?」
「よく覚えてるな、そんな事。誰かさんを何回逃がしたかなんてもう覚えてない」
「あの時、あなたはあたしをゴミ箱に押し込んで一緒に隠れていたわ。ひどい臭いだったから今も覚えてる」
行き止まりに辿り着いた追手達は、辺りを探し回ることはあってもゴミ箱を漁るような事はしなかった。当然だ、そんな事をするはずはないとああいう奴らは考えるし、自分達の手を汚したくはないだろうから。
彼らが諦めて悔しさに怒鳴り散らしながら去っていくのをゴミ箱の隙間から眺めて、暫くして外に出ればゴミだらけの自分達を日の光が照らしていた。
「同じような事をしようって言ったら、あんたはまたあたしの手を引いてくれるのかしら」
問いかけてくるマンドラゴラを見て、『スパイ』は彼女に何があったのかと考える。前までの直情的で考え足らずの彼女は鳴りを潜め、目の前でなく自分達の向かう先を見据えている。
『スパイ』はそのきっかけを聞こうとしたが、それも止めた。サルカズとの摩擦に繋がる手段をとってまで自分を助けに来てくれたのだ。憎む相手にはどこまでも暴虐になる分、身内はどうしても切り捨てられない甘さがそのままならば、支える誰かが必要だ。
サルカズによる拷問で痛む体を起こしつつ、『スパイ』はマンドラゴラの背中を押す。
「いいさ。俺達が育った下水道よりもひどいとこなんてそうないだろう?」
「・・・そうよね」
マンドラゴラは初めて、胸に灯る紫炎が伸ばす影から逸れる決意をした。
憧れた彼女にいつかまた出会い、今度こそ認めてもらうために。
マンドラゴラの頭上で何かが騒めく音がしたのはそんな時だった。
そうして『スパイ』を部下に任せ様子を見に来れば、あれだけ偉そうな事を言っていたイグナスという男はお仲間と一緒にサルカズのヤバイ奴に追い詰められている。
せっかく格好つけてレユニオンを利用してやろうと決心した直後にこれでは話にならない。とりあえず窮地を救ってポイントを稼ぐことにしたわけだが、早くもマンドラゴラは後悔し始めていた。
(『スパイ』、何が下水道よりもひどいとこなんてそうないですって? ここに比べればどこだって高級宿に思えるわ!)
眼下の暗い血溜まりから、白いサルカズが自分を見上げている。その鮮紅に染まった目を見るだけで全身の血が体温を失っていくようだ。あのマンフレッドと相対した時すらここまでの威圧感は感じなかった。
「マンドラゴラ!」
竦む体に力が戻る。唯一黒に染まっていない地上から、イグナスが自分を見上げていた。
突然の乱入者に戸惑う彼らの中で、彼だけが次に為すべき事に思考を移し行動を始める。
「倒さなくていい、撤退戦だ!」
簡潔で、それ故に迅速な指示。
仮にも部隊を預かる幹部の1人であったマンドラゴラは、それを完遂するための最善の一手を導き出す。それはつい最近、ヒロック郡での苦々しい記憶とともにマンドラゴラの脳裏に刻まれている。
つまり。
「『いばらの森』!!」
初手のアーツ全開放。濁った血に覆われていたはずのサディアン区の地面が軋み崩れていく。
その地下構造の大半を鋼鉄でできた迷宮と化したこのロンディニウムでも、その地表は岩石と砂で覆われている。それらが地を砕き、我が物顔でその上を闊歩する外敵へと牙を剥く。
「潰れろ、このクソ魔族!!」
身を這いずる怖気に蓋をして、今までの扱いへの不満と怒りをかき集める。なけなしの反抗心は叫びとなって眼下の大君へと叩きつけられた。
その大地の怒りを具現化した範囲攻撃も、大君は涼しい顔で一瞥しただけで鎮めてしまう。支えを失ったはずの血液が重力を無視して宙を泳ぎ、その主を襲う石礫を砕いていく。
「そのような土塊など、見るに堪えません。かの土石の子と比較する事すら烏滸がましい。児戯に等しい土遊びです」
マンドラゴラの放つ巨大な石塊が呑まれ消えていく。
生きる為に研鑽を続けてきたアーツが歯牙にもかけられない。
その血の海の如く、底無しの絶望が彼女のアーツごと呑み込もうとしているようだ。
それでも彼女は不敵な笑みを張り続ける。何故ならば、彼女は最初から彼に勝てなくていいと思っていたからだ。自分ではあのサルカズに勝てないと悟り、そんな自分を受け入れていた。
彼女の心の在り様は僅かに変わり、その誤差が絶対のピンチに光明を差す。
「上出来だ、マンドラゴラ!」
大君が
「あんた達多すぎ! あんまり保たないわよ?!」
マンドラゴラの非難めいた忠告に頷きながら、イグナスは距離の空いた大君を見下ろす。
その顔は今までに無いほど不愉快げに歪められ、その魂からは僅かながら苛立ちすら感じられた。
「無駄な事を。弱者の手を借りたところでこの檻より逃げおおせられはしません」
「はっ! それはどうかな? 戦いに絶対なんてねえだろ」
「貴方達はこれが戦いとでも思っているのですか? 狩りにおいて獲物の役割とは、その遁走を以て狩人を愉しませ最後にはその矢に貫かれ戦果となる事です」
「! まずい」
アーツの制御に必死になっていたマンドラゴラは狭まっていた視界を広げ周囲を見る。
先程イグナス達を取り囲んでいたように、廃工場の上空を血の檻が囲っていた。
「さあ、最後の足掻きをお見せなさい」
徐々にその包囲が縮まっていく。焦りを含んだ問いかけがイグナスの横から投げかけられた。
「どうすんのよ、言う通りにしたけど本当に逃げ切れるんでしょうね!?」
「焦んな。もう少し時間を稼ぐ」
「どうやってよ?!」
「決まってんだろ。俺は商人だ。口でなら貴族すら手玉にとってやるよ」
眉間に皺を寄せアーツユニットを掲げる彼女の前に立って、イグナスは王庭の一席の注意を一身に集める。
「さっきから聞いてれば、偉そうに狩りだのなんだの言ってるがまだ俺達は生きてるぜ。ブラッドブルードの大君はよほど狩りが下手らしい」
その言葉に、大君がピクリと身じろぐ。俺達を捕えようとする血の檻も動きを止めた。
安い挑発だ。こんなもの、社交界や仲の悪い商人同士では挨拶にもならない。
だが大君は動きを止め俺をその瞳に映す。どういう訳かあいつは俺を毛嫌いしているらしい。俺を
「それに、こうしてお前を見下せるってのは中々に気分がいいぜ。他人を見下してばかりのお前にはさぞ新鮮だろ?」
「不快です。今すぐ堕として差し上げましょうか?」
「堕としてから言え吸血鬼。お前は俺達を、こいつを弱者と呼んだな?」
「そうでしょう。そこのフェリーンもダブリンなどという下らない肩書きを掲げながら、あのテレシスの従僕にすら届かない。今も血を巡る恐怖に従い走り去ればいいものを、不相応な場に身を晒しその矮小な灯さえ失おうとしている。弱く、愚かでなければなんでしょう?」
獲物を追いつめいたぶる捕食者の目で大君はマンドラゴラを見つめる。竦みかけた彼女の前で、イグナスは大君に告げた。
「少なくとも、お前から俺の仲間を助けることはできる」
「!」
「まあ、お前の一番の欠点は消費期限100年超えの腐った性根だがな。俺達を血が入ってる皮袋とでも思ってるんだろうがその1人1人に守るべきものがある。それを理解しなかったのが、お前の敗因だ」
「ふっ、勝つおつもりですか? この私に」
思い上がりを冷笑する大君に、イグナスはちっちっちと指を振る。
「言っただろ、
「?」
大君はそんな言葉に自信が揺らぐ事など無い。醜い哀願や死への嘆きが未だに零れる事のない彼らに苛立ちを覚え始めたところで、大君は改めて彼らを見た。
その殆どが自分を恐怖に満ちた目で見つめている。今に捕食される獲物がその目を逸らすことができないように。あの魔王の継承者ですら、その怯えを隠しきれてはいない。
虚勢を張る小さきコータスの姿を視界に映したところで、大君は気付いた。
(あの竜の娘はどこに?)
その疑問は宙を裂く一閃に切り裂かれた。
鋭い金属音とともに、岩が砕け業火が地上を焼き払う。爆発と勘違いするほどの熱量の解放は、地上だけでは飽き足らず空を囲う血の檻すらも燃やし尽くした。
(なるほど。地上に1人隠していましたか)
その業火の中心で、1人のドラコが剣を構え大君を見据えている。この問答の間に極限まで高めたのであろうそれは、その足元を溶解しつつあった。
「逃げるぞ!」
イグナスの号令とともにマンドラゴラが岩盤を操りタルラ以外の全員を避難させる。
逃がさないよう空に伸ばされた血の触手は、またしても鋭い一閃とともに蒸発した。
2人残された彼らは、静かに向かい合う。
「まあいいでしょう。テレシスの元に向かうというのであれば、今度はあちらから私の元にやってくるでしょうから」
大君はそんな事より、とタルラを見据える。
目の前の獲物より漂う血の香り。それはこの国に蔓延る有象無象とは一線を画す。
貴族などというものは所詮は何にもならぬ飾りでしかなく、その高貴さは血に染みついた根源的な何かによってのみ証明される。
だからこそ、この娘は私とほんの僅かながら対峙する資格はある。その純度は薄まり、氷の融けきったワインのようではあるがその芳醇な香りに違いはない。
「さて、殿とは殊勝ですね。とても彼らの命がその血と天秤にかけられるとは思いませんが」
「勘違いするなブラッドブルードの大君。この身はそう安くはない」
「おや意外です。貴女は自身の血脈に誇りがあるのですね」
タルラは大君を笑う。的外れな事を宣うこの愚か者に。
「いや、彼らの命は何に代える事も出来ない程尊いものだ。私が言っているのは、お前などにくれてやる命はないという事だ。サルカズの王庭、旧きに魅入られ新芽を蔑む者よ」
大君がアーツを解放し、鮮紅のカーテンを背にドラコに問う。
「何ができるというのですか、赤竜の末裔よ。私は貴女の祖先すらこの目に映し、そしてその猛る血肉を咀嚼してきました。その身に宿る暴虐の炎は血とともに薄れていき、僅かな残滓を残すのみ、ならば」
「やはり貴様の眼は濁っているようだな」
タルラは大君の言葉を遮り、胸に手を当てた。
ここに来てなお他を見下す傲慢さを笑いながら。
「私がこの身の内に宿る大火を支配できていないとでも?」
大君はその時、風が彼女に向けて吹くのを感じた。極限まで高まり今まで膨張していた熱量が、その理に逆らって一点へと集まる。
周囲を焼く炎が帯のように紡がれ、彼女に向かって収束していく。
それを受け止める器は赤熱し、色を変え、その輝きを増していく。
その中心に立つタルラ。彼女の輪郭にイグナスに語った奥の手、その片鱗が顔を見せる。
「見せてやろう、私が歩みの果てに得た炎を」
その日、大君は焦土の上に立つ伝説の竜を幻視した。
マンドラゴラにとって感染者とは、鉱石病とは最も戻りたくない場所への片道切符だ。
日の出も見られぬ下水道の下で、誰に看取られることもなく物言わぬ結晶になる。
弱さが憎かった、自分の運命すら満足に決められないその無力さが。
強さが妬ましかった、そんな自分達を眺め時には駒として扱うその傲慢さが。
だから必死にアーツを鍛えて、ここまで上り詰めた。自分達を地下に追いやっていた人々を、さらに上から嗤ってやる為に!
―だけれども。
岩盤の上で隣で笑うこの男と。そして自分達の背後、這う這うの体で逃げ出したそこから浮かび上がった炎とその光を見て、マンドラゴラはつい呟いた。
「・・・きれい・・・」
その炎がやがて収まり、その中心から炎を纏った一筋の閃光がこちらに飛んで来た。
敵襲かと見紛えたあたしを抑えたイグナスは、降ってくるそれを優しく受け止める。何故かその炎が彼を焼くことはなく、風に流されたそれの中からさっきまで1人であのサルカズを相手していたドラコが姿を見せる。
「お疲れ、タルラ」
「ただいま」
その流れのまま抱きしめ合う2人はコータスの少女の言葉でようやく離れた。
(なるほど、こいつらそういう仲ってことね)
至極どうでもいい事だが、これもリーダーに報告すれば何かしら上手く使ってくれるだろう。マンドラゴラは依然としてダブリンだ、その利益を第一に行動する。
そしてイグナスの指示に従い向きを変え、一行はサディアン区の空を行く。流石にこの人数を支え続けるのは無理なので、戦力を整えた彼らは次の舞台へと向かうための場所を目指す。
目指す先はサディアン区の駅。列車のレールはロンディニウムのさらに中央、ハイベリー区へと続いている。
その近くで、サルカズの部隊を率いる女性が空を見上げた。
点にしか見えない程遠い彼らを眺める彼女の桃白の髪が風に揺れる。
「・・・もうすぐ会えるわ」
邂逅の時は、すぐそこまで迫っていた。
マンドラゴラとエブラナ、君達スカートかスパッツ穿きなさい。
あと1、2話で10章は終了します。