テラの大地の大半を占める荒野とは、その上に立つ人間に容赦なく牙を剥く猛獣である。
テラの人類が移動都市を築き上げてから幾星霜。依然として源石は大地に等しく降り注ぎ至る所には巨大な源石結晶が野花の如く咲いている。そして源石以外にも、原生生物や天災による自然現象、さらには移動都市での生活から離脱し荒野を徘徊する錆槌(ラスティハンマー)なる組織もいる。彼らは殺戮を楽しむ野蛮な暴徒と認識されており、決して国家という繋がりに迎合しないこのテラでも独特の集団だ。
そんなあらゆる危険が潜んでいるこの荒野を、ましてや車などなく自らの足だけで踏破しようという人々は大抵やむにやまれぬ事情を抱えている者だ。
今、ウルサスの荒野を歩く集団がいる。
季節的に今は春になりかけた頃。大地を覆っていた雪のカーペットはその厚みを減らし、場所によってはその下の黒土が表面に出てきている場所もあった。
かといって決してその道中は快適とは言えないだろう。未だに残る雪と太陽の光を遮る曇天が容赦なく熱を奪い、溶けた雪でぬかるんだ地面が進む足を重くする。
「大丈夫か、お前達」
「ええ、なんて事ないわ」
「うん・・・へっちゃらよ、これくらい」
その集団は3人。大人の男女と少女が1人。それだけ聞けばどこぞの家族だろうと想像するだろう。だが彼らの種族は異なっていて、それが不倶戴天の敵同士であるがゆえにその異様さが際立っていた。
男の方はサルカズで、その頭からは黒い角が2本生えている。一方、ぬかるんだ道を懸命に歩く女の頭上には眩い光を放つ光輪が浮かんでいた。
サルカズとサンクタ。その長きにわたる確執はもはやその始まりさえ誰も知らない。互いを視界に映せば剣と銃を突きつけ合うような関係だ。
だがその2人は憎み合うどころか、悪路を支え合って歩いている。
そして何より、そんな2人の間には短い脚で懸命に歩く彼らの愛すべき娘の存在があった。
許されぬ関係。対立する両者の間に生まれた異端の存在。当然誰かに知られる訳にはいかず、離れることを余儀なくされた。娘がこれほどに大きくなっていて、もう自分で歩き言葉も話せるのだというのもつい最近知ったくらいだ。
家族の愛を押し殺し、その存在を隠しながら別々に暮らしていた彼らだったが限界が来た。
昨今のヴィクトリア周辺でのサルカズのあおりを受け各所で情勢が悪化し、それは彼ら家族の住むサンクタの国ラテラーノとて例外ではなかった。
サルカズ憎しの声は日に日に広がっていく。ラテラーノ周辺の治安も悪くなり、銃声に夜も震えながら眠る日々。
そんな彼らは遂に1つの噂に縋って荒野へと旅立った。
目指す先は遥か北の国。ウルサスにある極北の星だった。
幾度目かの丘を越える。周りを見渡しても似たような景色ばかりで、どこまで進んだのかすら定かではない。案内人なんてものは当然おらず、道中拝借した周辺の地図と酒場で男が聞いた噂だけが頼りだ。
用意していた旅道具も既に底を尽きかけている。野営用のテントは所々が解れ、着火剤なんてものはとうに尽きている。湿気た低木林の枝にどうにか火を点け、頼りない焚き火の炎の前で同じ毛布に身を寄せ合いながら家族は夜をやり過ごした。
今も気丈に振舞う2人を見ながら、サルカズの男は情けないと自分を恥じる。こんな異郷の地にまで赴いて、何の手掛かりも得られないまま自分達は凍え死んでしまうのか。
もしその時は、娘を真ん中にして3人で抱きしめ合おう。そして頭上へ彼女の守護銃で砲声を上げるのだ。こんな辺鄙な場所を通りがかりなおかつその銃声に気付いた人がいるならば、もしかしたら中心の娘だけは助かるかもしれない。
そんな想像をしかけたところで、ようやくもう1つの丘を越えた。
今まで同様、何もない雪景色が広がっているのだろう。諦めながらもその先を見る。
しかし彼の予想を裏切って、目の前には巨大な何かが大地に根を下ろしていた。
移動都市。今まで何度も目にしたはずのそれを、彼は最初認識できなかった。これまでの道中、家族以外とすら出会わずひたすら代わり映えの無い北の自然ばかり見ていたというのもあるだろう。
またそれ以上に。
(デカい! 大国の地方都市くらいはあるじゃないか!)
移動都市と言ってもその規模は千差万別だ。ヴィクトリアの首都、ロンディニウムのように複数の区を跨いで連結しているものもあれば移動艦という名称の方がふさわしいものも存在する。
そして目の前のそれは、1つのれっきとした国家が持つべきほどの全長がある。それを、たかが一組織が所有しているというのが信じられなかったのだ。
「ここが・・・」
「おっきい」
振り返れば自分と同様に妻と娘がその全容を視界に収めようとして見上げていた。
「お父さん、ここが新しいおうち?」
不安と期待が入り混じった表情で、娘が見上げてくる。
その頭を撫でてやり、疲れただろうとその小さな体躯を肩に乗せてやる。
「ああそうさ。行こうか」
喜ぶ娘が落ちないよう片手で支えてやりつつ、傍らの妻に視線を送る。
案の定、こちらの意図に気付いたようで小さく頷き腰元に手を遣った。サンクタの象徴、腰のベルトに収められた守護銃のグリップを軽く撫でる。
自分もそれに頷き、娘を支える手の反対で腰のナイフの位置を確かめた。
確かにここは楽園かもしれない。だが楽園が来訪者を受け入れるとは限らない。
期待に満ちた表情で見上げる娘の両隣で、2人は緊張を浮かべた面持ちを保っていた。
近づいてみたはいいものの、どこから入ればいいのだろうか。
移動都市である以上、外部との出入口は確保されているはずだ。だがセキュリティの関係上、そういった場所は厳重に警備されているかそもそも傍から見ても分からないよう偽装されている事が多い。
早くも躓いた。仕方なく周囲を探索していると、どうやら移動都市の上が騒がしい。自分達の接近に気付かれたか? そう疑いつつも物々しい雰囲気ではない。それは戦場に長年身を置いてきたサルカズである彼の経験からも言えた。
どうしたものかと立ち尽くしていると、突如大きな駆動音が辺りに響き地上近くの壁がゆっくりとこちらに倒れてくる。
いつでも武器を構えられるよう背中に武器と利き手を隠し、出てくる人影を伺う。
開かれた出入口の奥からは、分厚い装甲に身を包んだ盾兵と彼らに囲われた赤髪の女が歩み寄ってくる。その細く長い尻尾は恐らくフィディアだろう。彼女らは自分達の数歩手前で立ち止まり、前方に立っていた盾兵が道を開ける。
そして威圧感を与えないためか、その鉄面皮に小さな笑みを浮かべながら右手を差し出した。
「ようこそ。レユニオン・ムーブメントの拠点、極北の星ポラリスへ」
分厚い鋼鉄でできたエレベーターの中で、案内人を申し出たナインという女性がこの移動都市の概要を話している。
娘はこういった無骨なデザインが新鮮なのか興味津々に周囲を見渡している。今も下へと次々に流れていく照明に気を取られ、近づこうとしたところを危ないからとやんわりと止められ赤面していた。
娘の愛らしい姿を視界に収めつつも、周囲の状況をしっかりと観察しておく。
まずこのナインという案内人。彼女はレユニオンの幹部であり、食物資源の供給源たるこの移動都市の管理を担っているそうだ。
武装もしていないので内政官のようなものなのかと思ったが、どうにも隙を感じない。この感じは恐らく元は軍人か警官などだろう。身のこなしなどを考えるに自分だけでは少なくとも手も足も出ずに無力化される。そして妻の助けを得たとしても恐らく無理だろう。敵対の意志を見せれば最後、周りを囲む盾兵達も合わさればこちらにできることはない。
早まったか。思わずこめかみを冷や汗が流れる。
「そんなに緊張せずとも、我々は君達を傷つけたりはしない。無論、追い出すようなこともな」
「!」
いつの間にこちらを見ていたのか。やや無機質な視線に晒され狼狽える。その瞳がちらりと俺達の腰元の得物を一瞥した。
「疑問に思っているのか? 君達の素性を問わない事を」
「・・・ああ。そりゃそうだろ」
妻と娘。薄暗いエレベーター内でもその頭上には光輪が光っている。そんな彼女らと自分が連れ添って来たとあれば気になるはずだ。
「まあ、確かに珍しくはある。だがこう言ってはなんだが、我々にとってはそこまで大した事ではないんだ」
「サルカズとサンクタの争いを大したことではない、か」
事も無げにそう言うが、そんな風に言われても信じられないというのが本音だ。
月に一度、ラテラーノから遠く離れた森の中でしか俺達は会う事が出来なかった。もし同胞や他のサンクタに見つかっていれば今頃生きていなかっただろう。
その不信も伝わってしまったようで、こちらを見つつも苦笑いをする。
「まあ、実際見てもらった方が早い。丁度催しもある事だしな。その点で言えば、君達は時期が良かったと言える」
「催し? 何かやってるの?」
好奇心に駆られた妻が問う。身を乗り出す彼女に、先程よりもさらに柔らかい笑みをナインは浮かべた。
丁度そのとき立っていた地面が大きく揺れる。どうやらエレベーターは無事最上階に着いたらしい。目の前の壁だと思っていた場所はどうやら扉だったようで、そこが左右に開いていく。
外の景色を披露するそこからなんとも食欲をそそる匂いと賑やかな喧騒が光とともに差し込んで、寒さに動作不良を起こしかけていた体のセンサーを刺激する。
暗闇に慣れていた目がようやく順応し、その扉の先に広がる光景が目に映る。
誰もが笑顔で道を行く。ラテラーノのようなその楽園を前に、案内人は腕を広げた。
「ポラリスの一大イベント、
喧騒の中、俺達親子は勝手知ったるナインに一歩遅れてゆっくりとその中を進んでいく。
「すごいな」
「ええ、そうね」
混沌祭。その名の通り、その場は正にあらゆるものが入り乱れ混沌としていた。
急造の露店が辺りを埋め尽くし、それらの隙間を縫うように人が大勢行き来している。
そして何よりその彼らの装いが、この場が混沌たる所以だった。
「みんな、仮装してるね? 楽しそう・・・」
「・・・そうだな」
往来を走る子ども達を羨ましそうに見る娘。その視線の先には角や尻尾を生やした子ども達がいた。
その子どものうちの1人、その頭にはペッローの犬耳とサルカズの角が生えている。サルカズとしては何とも立派な角だが、走る度に前後に小さく揺れているのを見るにおそらく被り物だろう。
それだけではない。キャプリニーの少女がリーベリのような羽飾りを耳から下げていたり、先ほど見た盾兵のような張りぼてを纏ってのしのしと歩く大人がいたり、とにかくまとまりがない。
頭から4つ以上の耳が飛び出している人間なんて道中に溢れかえっていた。まあそれはおそらく装飾品なんだろうが。
実際、物珍しさに露店を物色していると被り物屋なる店があった。先程見た多種多様な付け耳やお面なんかも置いてあって、娘が目を輝かせる。
「いらっしゃい。お客さんは初めてかい?」
「あ、ああ」
「今日来たばかりでな。サービスしてやってくれ」
「はっはっは。豊穣の女神様に頼まれちゃ仕方ねえ。そこの嬢ちゃん、好きな奴1個持ってっていいぞ?」
「ほんと?! やったあ!」
「君達の分は私が出そう。好きなものを選ぶといい」
「いや、そういう訳には」
「気にするな。郷に入っては何とやらだ。それに仮装しておいた方が今日は都合がいいぞ?」
「?」
最後の言葉の意味は分からないが、どれにしようかなあ、と棚を見渡す娘につられしぶしぶ承諾する。いつの間にか妻も娘と並んでお面を見ていたし、まあなるようになるだろう。
「さて、俺はどれに・・・!!!」
だが棚の一画に思わず視線が釘付けになる。
「な、なんでウェンディゴの角が?!」
その曲がりくねった枯れ木のような角は見間違えようがない。サルカズの仮装ならともかく、ウェンディゴは確か遥か北に引きこもってるって話だった。
「なんだいあんちゃん、パトリオットの旦那の角がどうした?」
「パトリオット?」
「ああ、そういえば昔はボジョカスティって名前だったんだか?」
「ボ、ボジョカスティ?!」
出てきた名前に驚く。ウルサス帝国に仕えていた絶対の盾、人類最強と名高いあの最後の純血のウェンディゴがここにいるのか!?
「そうとも。うちの人気商品の1つだぜ? 他にも豊穣の女神セットや、タルラなりきりセットなんかも好評だね」
なんとも商魂逞しい事だが、それを突っ込むものはここにはいない。俺のセットは? と聞いてくるどこぞの幹部もいない。
ここが本当に感染者の希望の星であり、そして全ての感染者を受け入れているのだと改めて認識した。
数分程物色して、最終的に俺達は似たような仮装に落ち着いた。俺はサンクタの特徴である光輪と翼を、妻と娘は俺の頭に生えているような黒い双角のカチューシャを付けた。
「お揃いだね!」
「そうだな」
細い針金で支えているからか、俺の頭上の光輪は歩く度にぶんぶんと揺れている。彼女達のそれに比べれば光りもしていないただの安い被り物だ。
それでもこの笑顔が見れたのだから、まあ値段以上の価値があったのだろう。
サンクタとサルカズの特徴を併せ持った3人が露店を後にする。
ナインはその背中をほんの少しだけ見つめた後、露店の店主に礼を言ってその背を追いかけた。
どうやらこの祭りは、夜が更けるまで続くらしい。まだまだ宴もたけなわ、通りは人の活気に満ちている。
露店は旨そうな匂いを漂わせ、客を呼び込む声を張り上げる。その種類も正に多種多様で獣肉を焼いた串や温かいスープがちらりと見えた。
妻と娘はどうやらりんご飴なるスイーツが気になるらしい。果実にたっぷりと甘い飴を垂らして纏わせたそれは祭りの篝火に照らされ宝石のように煌めいていた。
ちらりと財布の中身を伺う。路銀はここに至るまでの道中で使い果たしていて、あまり贅沢はできない。それでも、2人して見た事もない甘味に目を輝かせる姿を見てしまえば、大黒柱として応えないわけにはいかない。
やけに軽い財布を握りしめ、露店の店主に注文する。
「すまん。このりんご飴というのを一本貰えるか?」
「おういいぜ。おたくらは家族かい?」
「ああ、ここに来たばかりでな」
「なんと! 新人さんかい、ならこの祭りにはビックリしたろう?」
「ああ、だが悪くない」
「はっはっは、そう言って貰えたんなら嬉しいよ。ほれ、娘さん。気を付けて持ちな」
「ありがとう!」
妻と一緒に綺麗だねえ、とうっとり見惚れる娘から目を離し店主にお代を手渡す。
「おっと、払い過ぎだぜ旦那さん」
だが店主はその内のいくらかを俺につき返してきた。だが俺が渡したのは張り紙通りの値段だ。まさか読み間違えたか? そう思ったが何度見返してもその数字は先程俺が渡した金額ぴったりだ。
「なんだ旦那さん、この混沌祭の事何も教えてもらってないのかい? 折角そんな仮装もしてるのに」
「? 仮装とこれに何の関係が」
疑問符が浮かぶ俺に、店主は露店の張り紙のうちの1枚を指差した。てっきり同じものかと思っていたが、見て見ればやけに目立つフォントで、しかもご丁寧に複数言語でこう書かれていた。
「『他種族の仮装をした人は割引』?」
「ああ。この祭りの提案者であるとある男の発案でな。なんとも珍妙な催しだろう?」
いつの間に横に立っていたのか、ナインが言う。自ら珍妙と言う割にはその顔はやけに誇らしげだ。さっきやけに含みのある言い方をしたのは、このネタバラシを心待ちにしていたからだろう。
まあ、珍妙というのも確かにそうだ。サルカズにも安魂祭という似たような伝統行事はあるが、あれはあくまでも元はサルカズの死者の魂を見送るもの。そのためにサルカズの仮装をしていたのが転じて、今は他種族の魔除けの祭りとなっている。当然、その魔の対象となるのは殆どが
だがこの祭りは、単純に仮装を楽しむような目的で作られているように思う。妻の話によく出てくるスイーツの割引デーのように、何か商売的なイベントの印象を強く受けた。
「どうしてこんなイベントを?」
「まあ、ここは移動都市でありながらその殆どが農地で占められているような場所だ。娯楽も殆ど無いに等しいのでな、その分羽目を外せるイベントをこちらで開催してやりたいというのが本音だ」
ナインはその質問に律儀に答えはしてくれたが、肝心な部分は未だ謎のままだ。
俺の表情で今一つ納得がいっていないのが伝わったんだろう。彼女は道行く人々の方へ目を向けた。
「君達には彼らがどう映った?」
「少なくとも、争いからはかけ離れた印象を受ける」
「治安の良さは多分ラテラーノ以上でしょうね」
「みんな、とっても楽しそうだよ」
俺達3人の感想を受け、ナインは微笑んだ。
「ありがとう。そう言って貰えると運営に携わった側としても嬉しい」
そう言って、彼女は遠い目をした。
「レユニオン・ムーブメントは今やこの大地の至る所にその存在を知らしめ、迷える感染者達の希望として存在している。迫害を受ける感染者達、そんな彼らの故郷、そして絶対の安全圏としてここは機能しているんだ」
彼女の視線を追ってこの移動都市の外周部に目を向ければ、俺達の上背の何倍もの高さの壁が周囲を囲っている。あれはおそらく外敵からこの楽園を守るための最後の砦なのだ。
「だが、我らを悩ませるのは何も鉱石病だけではない」
ナインは改めて俺達の方を向いた。
「種族、文化、貧富、宗教、属する国。もし鉱石病がこの世から完全に消え去ったとして、あるいはそれが不治の病でなくなったとして、この世は平和になるだろうか?」
「・・・ならないだろうな」
もしそんなに単純なら、この大地はもっとマシだっただろう。
だがどうだ。至る所に争いの種はある。鉱石病はあくまでもその一角だ。
「ウルサス=カジミエーシュ戦争、四皇会戦、リターニアによるカズデル侵攻にクルビアの独立。遺恨というものは心に空いた傷を塞ぐ何かと、それを癒す時間だけが解決してくれる。その時、少なくとも種族という1つの壁がそれを妨げる事のないように」
その話を聞いて、初めてレユニオンという組織の理想の壮大さを垣間見た気がした。
まだ先代の魔王が存命だった頃、そういった事を目指す組織があったとは聞いていた。だがそれもカズデルを追われ、最後には消えてなくなったのだったか。
「すまん、なんだか湿っぽくなってしまったな」
「いや、あんたらの目指すものっていうのがなんとなくわかった気がする」
「あくまでもそれは最終的な目標だ。それに、この祭りはまだ始まったばかりだからな」
ナインが腰を落として娘と視線を合わせた。
「どうだ、その仮装は気に入ってくれたか?」
「うん! お父さんとお揃いだし、かっこいいの!」
「・・・今は、これで十分だ。いつかこの子達が大人になり世を担う役割を負った時、私達が蒔いた種は花を咲かせるはずだ」
彼女が目を細め、娘の髪をそっと撫でる。
その姿は確かに、女神というに相応しいものだった。
「どうだ、楽しんでるかい!」
その光景を眺めていた俺達に声がかけられる。
声からしてまだ若い青年だろう。だが、問題はその恰好だった。
「それは、何の仮装なんだ?」
まず、顔が見えない。確かに先程のボジョカスティの仮装などでは仮面がセットになっているものもあった。だが目の前の彼はそんなものではない。背が比較的高い自分ですら見上げなければその頭部が目に映らない程だ。
そして、そんな頭上からはワニの頭がこちらを見下ろしている。種族としてはアダクリス人なのだろうが、それにしては違和感がある。腕は申し訳程度に短いし、足も短い。どちらかと言えば何かのマスコットの着ぐるみのようだ。それにしては顔面に圧迫感があるが。
そのあまりの怪しさに、妻がそっと娘を庇った。
「はあ。荒野を歩いてきた新人に、そう心臓に悪いものを見せるんじゃない。イグナス」
「はは、わりいわりい」
ため息を吐いたナインの横で、その首から上が急にぱかっと割れた。
中から出てきたのはウルサス人の青年だ。だがその顔の半分が源石結晶に覆われているのを見て思わず息を呑んだ。
源石への順応率が高いサルカズですらここまでのは滅多に見ない。そしてそんな状態にも関わらずありえないくらいの陽気さを浮かべながらナインと話しているのが何よりも異様だった。
「いいだろう? この祭りの開催には俺も色々準備したんだ。これくらいの役得があってもいいだろうが」
「だからといって、わざわざ住民に声を掛けられないようデカい被り物までする事はないだろう」
「いいじゃねえか、前からこういうのやってみたかったんだ。それに男子どもからは結構好評だぜ?」
彼女と対等な立場で話しているのを見るに彼も幹部の1人なのだろうか。
そんな彼を見ていると、俺の視線に気づかれた。
「気になるか?」
「・・・ああ」
「まあ、あれだ、男の勲章ってやつだから気にすんな」
そうにこやかに笑う彼に、一体どんな過去があるというのか。気になりはするが、あまり踏み込んでいいものではない気がする。
どう返したものかと言葉に詰まる俺。
イグナスといった彼は、そんな俺から目を逸らし縮こまっていた娘に目を合わせた。
「驚かせて悪かったな」
「うん、大丈夫」
「ありがとうな。お嬢ちゃん、このお祭り楽しいか?」
「うん、楽しいよ! 楽しすぎて、なんだか夢みたい」
そう言って、娘は齧った跡のあるりんご飴をぎゅっと握りしめた。楽しいと言ったにも関わらず、その表情は不安げだ。まるでそうしていなければ、これが夢のように朧気に消え去ってしまうのではないかと疑うように。
どうしたのか。心配になる俺達の前で娘が口を開く。その口から漏れ出た娘の本音は、俺達夫婦を大きく揺さぶった。
「わたし、ずっと家に閉じこもってたの。お母さんが言ってた、わたしは外のみんなに見つかっちゃいけないんだって」
妻の顔が歪む。
俺達の関係と、この娘の存在は誰にも知られる訳にはいかなかった。発覚を恐れラテラーノから離れ辺境近い田舎町の小さな家に引っ越したが、娘が知る世界はそこが全てだった。
寂しかっただろう。友達だって作りたかっただろう。カーテンも閉め切った暗い部屋で、どれだけ窮屈な思いを俺はさせてきたのか。
「わたしって、生まれてきちゃダメだったのかな?」
そんな言葉を、愛する娘に言わせてしまった事実が胸に深く突き刺さる。戦場でボウガンの矢が突き刺さった時よりもずっと痛かった。出会ったころから気が強かった妻ですら顔を伏せ涙が零れ落ちるのを懸命に抑えようとしている。
何も言えない俺らに代わって、そのイグナスという男が先程のナインと同じく腰を折った。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「・・・ジュリア」
「そうかジュリア。その質問に答える前に、1つ連れていきたい場所がある。演劇は好きか?」
「うん! 本をずっと読んでたから、お話は大好き!」
「そうか。なら丁度いい。もうすぐ開演の準備が整うところだ、ご両親も一緒に見てみませんか?」
「え、ええ」
「ああ」
そうして連れられた場所は、石畳でできた広い集会場だった。いつもは野晒しなのだろうそこも、今は木材等で作られた骨組みに支えられ即席の舞台と化していた。大勢の観客が見れるよう段々となった階段の一画に肩を寄せ合って腰を落ち着ける。この演劇はかなり人気らしく、前後左右に見知らぬ人々がぎゅうぎゅう詰めとなっていた。
やがてはきはきとした喋りをする進行役が舞台に上がり、その演題を語った。
「さて、これから皆様にお見せしますは世に許されぬ恋のお話。対立する2つの家、そこに生まれた1組の男女。互いに衝突するうちに、いつの日か芽生えた2人の愛。それはどのような結末を迎えるのか、この場の皆様にご覧いただきたい」
進行役が闇に消え、代わりに舞台に姿を現したのは2人の男女だ。
いがみ合う彼ら。そんな題目に、俺と妻は顔を見合わせた。だってそれは、まるで昔の俺達そのもののようであったからだ。
驚く俺達を置いて、物語は進んでいく。
2人は出会い最初は衝突するも互いの心根を知って和解、気の合う友愛から互いを支え合う恋愛へ、家の目を逃れてその愛を育んでいく。本当は平和を願っているその2人は秘密の待ち合わせ場所である柳の木の下で、理解されぬその思いを分かち合うように抱擁を交わしていた。
だがそれと並行するように両家の争いが激化し、両者は直接の対決を余儀なくされていく。杖を持つ一団と剣を握りしめた一団が舞台で遂に対峙した。
舞台の上でアーツの光が荒れ狂い、鋭い剣舞が宙を斬る。演出と分かってはいるものの、そのあまりの迫力にこれが今本当に目の前で起きているのではと錯覚するほど引き込まれる。
そして互いに傷つき倒れるなか、件の2人が向かい合う。愛するはずの人にその手の得物を向けながら、その顔は深い悲しみに包まれていた。
「ああ、どうして君は杖を持つ! それさえなければ、俺は君の手をとれるのに!」
「あなたこそ! その剣さえなければ、私はあなたを抱きしめられるのに!」
互いに己の運命を呪いながら、剣を振り、炎を操る。
彼らの最後の逢瀬は倒れ伏す両家の戦士達に見守られ、そして遂に終わりを迎えた。
剣が彼女を貫く。その剣先を赤い液体が濡らしていた。
最愛の人をその手で殺めた彼は、最期の一時を邪魔されまいとその体を強く抱きしめた。
「ああ。君をこの手で殺めた俺は、もはや剣を振るう理由はない」
「なら、ともに行きましょう。この運命から離れた、遠い場所へ」
彼女が震える杖を掲げる。そして抱きしめ合う2人は炎の渦に包まれた。
どこか幻想的な2人は満足げに笑みを浮かべ、彼らは炎に連れ去られた。
そしてそれが治まったその場には、愛し合った2人が握っていた剣と杖が寄り添うように重なっており、それを囲うように深い悲しみに包まれる両家の戦士達が残された。
そんな彼らを見守っていたのは、皮肉にも2人の出会う目印となった1本の柳の木であった。
こうして憎み合っていた両家は和解を誓い、協力して1つの石碑を建てた。
そこには重なった剣と杖の紋章が刻まれ、2人の得物が埋葬されました。
狂言回しがその後の顛末を語る中、俺は娘の方を見た。
娘はそのつぶらな瞳から零れる涙を必死に拭っていた。儚くも切ない恋に、彼らの幸せが実って欲しかったと泣いていた。
すごい演劇だった。この場の誰もがすっかり話に引き込まれ、その目元を拭っている。演出も演者の演技も何もかもが完璧だ。
それでも、俺はこの演劇を受け入れられなかった。
胸の内に残るもやもやとした感情を持て余していると、狂言回しが舞台に立つ。
これで終わりかと誰もがその場を後にする準備を始める中、彼は唐突にこういった。
「さて、両家の話はこれにておしまい。手を取り合う事を選んだ両者は互いに認め合い、国の発展に最後まで協力したそうな。だがこれにはあと少し、もう少しだけ続きがあるのです。皆様どうか最後まで、見届けていただけるとありがたい」
騒めく観衆を置いて、場面が移り変わる。そこは両家が最後の戦いを終えた柳の木の下だった。
演者もいない、ただだだっ広いその場にて床が突然開いた。
「いてて、なあもう少し穴を大きく掘っといた方が良かったんじゃないか?」
「しょうがないでしょ。お互い戦う事になるのが分かるまで時間がなかったんだから」
なんと、そこから這い出てきたのは心中したはずの2人だった。
「今頃親父達どうしてるかねえ。聞いたか、俺親父が号泣してるのなんて初めてだぞ」
「これに懲りて、少しは頭を冷やしてくれるといいんだけどね」
「そうだな。ここまでやってまた抗争にまでなったら、いよいよ化けて出てやらないと」
「そうね。丁度いいわ、この血糊なんて脅かすのにぴったりでしょ」
呆気にとられる俺達観衆の前で、2人は呑気に笑い合う。
「ほんと、いい性格してるぜ」
「お互いさまでしょ」
どうやらこの一連の流れは、全て聡明な2人によって仕組まれた物らしい。
計画通りと頷きあう2人に、観衆達の表情が暗いものから移り変わっていく。
男の方が、彼女の前で跪く。許しを請うようなその姿勢のまま、誰よりも真剣な眼差しが相手を射貫く。
「さて。こうして両家の柵からも抜け出せたわけだし。そろそろ言っていいよな?」
「・・・ええ、ずっと、ずっと待ってた」
男が懐から箱を取り出す。
そこから指輪を取り出した彼は、涙を堪える彼女に微笑みかける。
「愛してる。結婚してくれ」
「もちろん。一生離さないから覚悟なさい!」
もはや興奮を抑えきれず、観衆達が立ち上がり口笛を吹き歓声を上げる。
そんな彼らの沸き立つ熱に油を注ぐべく、狂言回しが口を回す。
「これにて誠に物語は決着。その後の2人がどこへ行き、何をしたかは皆様の想像の中。だがそれでも、その2人に笑顔が浮かんでいたことは語り部たる私が保証いたしましょう。さあ皆様、今一度祝声を!!」
鳴り止まない拍手と歓声の中、イグナスが娘にハンカチを渡す。娘の表情はもう涙でぐちゃぐちゃで、頻りによかったぁと繰り返している。
そんな娘が落ち着くのを待ってから、彼は口を開いた。
「実はな。この物語、最初は最後の場面なんてなかったんだ」
「! そうなの?」
「ああ。2人が亡くなって、それを悲しんだ両家がようやく和解。それでこの話は終わりだったんだ」
「そんなの悲しいよ!」
娘がそれはダメだと声を張り上げる。今まで見た事もない勢いに驚く中、彼は拳を握りしめ逆にその距離を詰めた。
「だろ!! で、そう思ってたらどうやら俺と同じ考えの奴がいたらしくてな。急遽脚本を変えたんだ」
きっと今、彼の脳裏にはその時の光景が浮かんでいるんだろう。
楽し気な雰囲気を纏ったまま、舞台上の俳優にも負けない程の熱を込めて彼は言う。
「物語ってのは誰かが書かなくちゃ生まれない。つまりそれは、誰かがそうある事を望んだってことだ」
「誰かが、望んだ・・・」
「そう!」
呟く娘を置いて、イグナスは観客席の階段を駆け下りていく。
そして舞台の手前でまたこちらを振り返った。
「遅れたが、さっきの質問に俺はこう答える。生まれちゃダメなんて、そんな訳が無い!」
そしてイグナスは手を広げ、広場を埋め尽くさんばかりの観衆とその沸き立つ姿を示した。
「少なくともここに、これだけの人達が! こんな奇跡みたいな出会いとその幸福な結末を望んでいる! だから胸を張れ。君は、世界に祝福されてここにいる!」
鳴り止まない拍手と、感動に震えるその姿と、その瞳から零れる温かい涙。
その全てがまるで自分達に向けられているように感じられた。それくらい、彼の言葉は真摯で、俺達を包み込むような温かさに溢れていた。
感極まって何も言う事が出来ない。
そんな俺達にこれ以上何をしようというのか。彼は唐突に会場の全員に聞こえるくらいに声を張り上げた。
「お前ら! 今日ここに、新たな同胞が生まれた! 困難を乗り越え、我らが故郷に辿り着いた彼らに、やるべき事があるよなあ!?」
その声に周囲の観客も舞台で歓声を受けていた役者も偶々近くを通りかかった通行人でさえその動きを止め、俺達を見つめた。
一瞬の静寂に戸惑う俺達に、彼らはまるで示し合わせていたみたいに揃って同じ言葉を言った。
「「「「「ようこそ! 我らがポラリスへ!!」」」」」
その言葉が止めとなって、俺は久しく流していなかった涙を流した。
祭りももうすぐ終わる。
今日一日で、俺達家族の価値観は随分変わったように思う。それくらい、色々な事があった。
娘もすっかりイグナスを気に入ったようで、祭りの終始彼に話をせがんでいた。
別れ際、涙を浮かべる娘に、彼は約束をしようと言いだし小指を差し出す。
「大丈夫だって。ここの皆もいい奴だから、すぐに仲良くなれる。それにこの先君みたいな子がここに来るかもしれないぜ?」
「そう、かな?」
「ああ。いつか見つけてやるよ。だからその時は、その子の友達になってやってくれるか?」
やけに自信たっぷりで、彼はそう言う。
今まで家族以外と関わった事のない娘からしたら、この先ちゃんとやっていけるか不安なのだろう。それでも、彼の表情を見て娘も決心したらしくその小指を絡めた。
「うんっ!!」
交わされた無邪気な約束はいつか果たされるだろう。
根拠のない確信が、今はこの胸に確かにあった。
アークナイツ公式漫画「セシリアと安魂の旅立ち」
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