シージが自らの血統を明かす事を決めた一方、それを邪魔してはいけないとドクター達は屋外に出る。
屋外はすっかり暗くなり夜の帳が降り始めている。しかしその下、街の家屋からは光が僅かに漏れ、人の営みが失われていない事が分かる。それだけではない。公爵家の別邸でもあるここは広い土地を有し、その分生まれた侵入者が隠れ潜む空間を悉く潰すため至る所に源石結晶を埋め込んだ照明器具が並んでいる。
だからアーミヤ達は薄暗い道で段差に躓くようなことも無い。広く照らし出された場所にどんな光景が広がっているかを目の当たりにした。カンバーランド公爵邸は大きなコの字型をしていて、その中央にはヴィクトリアの貴族にとってお決まりの空間があった。
「うわあ! 見てください、お花がこんなにいっぱい!」
そうはしゃぐアーミヤに連れ添い外に出れば、色鮮やかな花で彩られた庭園がドクター達を迎えた。
ヴィクトリアは近代の工業化の波に乗り周囲は舗装された煉瓦や石畳以外には工場などしかない。これまでそんな外の殺伐とした光景しか見ていなかったためか、生命を感じさせるその空間は日常というものを一層感じることができた。
今まで緊張感からか硬い表情を崩さなかった彼女がようやく普段らしい顔に戻った。その様子を見てドクターとフロストノヴァは微笑み並んでその背を見守る。
「気に入ってくれたのなら良かったわ」
しばし花を見つめていると、扉の方からアラデルがゆっくりと石畳の階段を下りてきた。
「シージは?」
「中で話しているわ。事情を元から知っている私がいても邪魔になるでしょうから」
「そうだな。彼らには受け止めるための時間が必要だ」
「すみません。勝手に入ってしまって」
ドクター達に遅れてアーミヤが振り返る。
頭を下げるアーミヤに対し、アラデルは頭を振った。
「構わないわ。この庭も、今じゃすっかり見てくれる人がいなくなってしまったから。貴女みたいな可憐な少女に見てもらえたのなら、その花達も本望でしょう」
アラデルはそう言って自分の庭を見渡した。その瞳に寂しさのようなものが見えて、ドクターは先程の違和感の正体を確信した。
確かに花が咲き賑やかなこの場所ではあるが、その所々には雑草が見え剪定も僅かながら乱れている。それに加え、先程通された客室には絵画を始めとした芸術品や大きな調度品の類が無かった。部屋を広く感じたのもその所為だろう。
一般的に、商談なども行う客室は見栄を張る為にそういった物で飾り立てられているものだ。それらが無い理由と言えば、貴族にしては珍しくそういった事に頓着が無いか。
あるいは。
「ここもすっかり廃れてしまったけど、それでも私は幼少の殆どをここで過ごしたわ。自分の家が褒められて悪い気はしないわね」
アラデルが微笑む。凛々しさと柔らかさが同居したその笑み。だがそこにはやはり諦めにも似た何かが浮かんで見えた。
アーミヤが何か声を掛けようと口を開くも、それはアラデルの言葉に遮られる。
「それにしても、殿下の正体を知っていたのね。意外だったわ」
まあ、確かにそうだろう。ヴィクトリアのアスラン王家、失われたはずの王家の末裔。その価値は計り知れない。
だが彼女はアレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリアであると同時に、ロドスのオペレーターのシージでもある。
それだけは、何があろうとも変わらない。ロドスの夢を笑わず、ともに戦ってくれていた彼女だからこそ我々は信じるのだと。
そう話したドクターに、アラデルの笑顔が少しだけ柔らかくなった気がした。
「そう・・・彼女の正体を知りながらも、あなたたちは殿下をグラスゴーのシージとして接するのね」
アラデルが腕を組み直す。顎に手を当てた彼女の瞳は興味深げにドクター達を見据えている。迫るアラデルに、アーミヤはややたじろいでいた。
そんな姿を前にドクターは別の事を考えていた。
(・・・よく鍛えている。ただの貴族令嬢というわけではなさそうだ)
ドクターは非戦闘員だ。テラの大地に息づく人々と比べあまりにも非力ゆえ、隠し武器を持つことすら意味がない。
そんな彼でも、こと審美眼という点で言えば一級の戦闘員にも劣らない。
万物を理解する頭脳に、ロドスのオペレーター達を長く指揮してきた経験。それらが合わさりドクターは一目見ただけで相対する相手の強さを察する事が出来る。
重心の移動の仕方。目線の動き。筋肉の配置に立ち居振る舞い。それはロドスで見てきた戦闘オペレーターによく似ていた。
掌には剣ダコと思われる歪みが僅かに伺えるが、それは薄くなって久しい。
ドクターはアラデルの全身をさらに詳らかに観察した。
彼女は貴族令嬢に当たるはずだが、ドレスなどという非実用的な装いは脱ぎ捨てている。代わりに彼女の細く長い肢体はぴったりとしたズボンに包まれその凛とした佇まいがさらに際立つ。白いスキニーズボンに赤のジャケットがよく栄え、所々に灰が混じった髪の下、右目周辺を刀傷が縦断している。
改めて見て、美しい人だと思う。顔の傷もあって勇ましいという表現もそこに加わる。こんな場所でなければ女優か何かと思う事だろう。
そんな感想を頭で浮かべていると、ドクターは肘で小突かれた。見ればフロストノヴァが横一線となった目でドクターを睨んでいた。
「どこを見ている?」
「いや、別にどこを見ていたとかは」
彼女の指摘にヒヤリとする。断じてこれから現地の後援者になるかもしれない人を邪な目で見ていたわけではない。あくまで彼女の人となりを推し量る為観察していただけである。だが見ていたわけではないが、視線を引きやすい部分があるのは確かだ。
極力視界に入れないよう気を付けていたつもりだが、フロストノヴァは気付いていたらしい。ドクターは刺さる視線に怯えながらもというか何故気付けるのかと疑問に思っていた。ドクターのバイザーは基本内側からしか見えないようになっているというのに。
二の句を告げないでいるドクターに、フロストノヴァが追い打ちの言葉を掛ける。
「お前の視線なぞ見ればわかる。凡そ何を考えているのかもな」
フロストノヴァの前では下手な事を考えないようにしよう。
ドクターがそう心に決めた瞬間だった。
「ふふふ」
見れば追い詰め追い詰められる2人の目の前でアラデルが口元を隠し笑っていた。
「いえ、失礼。つい微笑ましくなって」
ひとしきり笑った後、アラデルは表情を引き締めドクター達に向き合った。
「さっきの件、私も協力させてもらうわ。物資の補給は勿論、区を跨いだ移動も任せて頂戴。サルカズに奉仕している商人を何人か知ってるから、その積荷に紛れれば移動も容易いはずよ」
アラデルは自救軍の影の支援者としてここ数年秘密裏に活動していた。ヴィクトリアの公爵家として元より商人との関わりはあったのだ。サルカズによる占領後、その支配に迎合したように装った彼らとの繋がりも保たれており自救軍が使っている武器や食料はそこから融通していた。
アラデルは先程の計画を聞いて今こそが攻め時なのだと判断した。ロンディニウム外から傭兵を招き入れる算段もついており、戦力の拡充も十分だ。
彼らの到着を待って、アラデル達も動き出すだろう。
そう語るアラデルをドクターとフロストノヴァが見つめる。彼らはその説明に引っ掛かる部分があった。
不信とはいかないまでも僅かに残る疑念にアラデルが答える。
「当然の疑問よね。だけど安心して頂戴。監視の目は手懐けてあるから」
普通これだけの事をしておいてサルカズ側が気付かないはずがない。そもそも未だに兵器生産を担う工場の人間達を除いた一般の市民がサルカズの傭兵や兵士による統制下とはいえここで生活できている事自体がおかしいのだ。
アラデルはそれをロンディニウムという大都市の規模が理由だろうと語る。
テラ一とも言われる大国の首都であるこの都市は複数区の移動都市が合わさっている。これだけの規模ともなるとサルカズが元の住民を全て根絶やしにし占領しようとしてもその運営すらおぼつかなくなる。作戦会議にもあったザ・シャードや飛空船の製造に莫大な資本と労働力が必要な状況も合わさり、それらをサルカズに代わって管理する存在が必要だったのだろうと。
「彼らだって私達の全てを監視できるわけではないし、既存の仕組みを全て挿げ替えるような余裕もないの。従順な統治者としての演技を続けていれば、彼らだって私達を追い出す理由はないわ。都市防衛軍が早々に投降して市民の抑圧を行ったのも大きいでしょうね」
彼らは進んでサルカズによる支配への協力を申し出たらしい。
おかげで都市防衛軍はその殆どが消耗しないまま城壁の管理等を行っている。その話にドクターは1人考える。
クロヴィシアは都市防衛軍を率いるレト中佐なる人物を非難していたが、その人物の行動の裏には別の意図があったのではないだろうか。いくら騙し討ちに近い形だったとはいえ、被害が大きくなる前に占領が決定的になったのはその彼の仕業だろう。
「おかげで今もロンディニウムの貴族達は屋敷に人を招いてパーティーを催す事もできるのよ?」
アラデルが皮肉を込めて言う。公爵家の彼女はその頭とも言ってもいい存在だ。暴走したり逆にサルカズ側に取り入ろうとする人間を抑え、能天気な彼らの手綱をしっかりと握りしめなければならない。宴の席で張り付け続けた笑みはすっかり板についてしまった。
だがそれももうすぐ終わる。2つの戦略兵器が完成し、ロンディニウム周辺の各公爵家を相手取る算段が付けばアラデル達は用無しだ。
そうなる前に、こちらから先手を打たなければ。
「アラデルさん」
アーミヤがアラデルの名を呼ぶ。
その呼び声に目を遣れば、頭1つ分低い位置から少女がアラデルを見上げていた。
アラデルはその眼差しに一瞬怯む。
アーミヤの瞳は、真っ直ぐにアラデルの瞳を見つめている。自分の瞳の奥、瞳孔も水晶体も通り越して自分の全てを見透かしているように感じて、アラデルは気圧された。
「大丈夫ですか?」
だからそんな得体の知れない少女から労いの言葉が出た時、アラデルは言葉が喉につかえて呻き声に似た疑問しか口に出来なかった。
「えっ?」
「先程のお話。あなたは商人や他の貴族と協力してサルカズへと反抗しています。ですが彼らが護国のため、彼らの中の愛国心から真に団結しているとは思えません。であれば、彼らには一体、誰から、何が支払われたのでしょう?」
アーミヤは自分達が出てきた公爵邸の扉を見る。
アーミヤもまた、客室や庭園に散りばめられた違和感には気づいていた。イグナスという商人から度々話を聞くこともあり、また今後活かされる場面もあるだろうとイグナスも進んで教示した。そんな聞きかじりの知識は、こうしてアーミヤにより広い視野を与えた。
「それにきっと、ヴィクトリアにはもっと前からこのロンディニウムの現状を変えるだけの力があったはずです。この地の内紛後、摂政王テレシスがここを占領した直後、まだ体制が整っていない状態であれば彼らの力でサルカズをここから追い出せたはずなんです。ですが現状、彼らはロンディニウムの周辺で様子見の姿勢を崩さずあなたは独りここに留まっています」
「・・・」
「きっとあなたの肩には、見えない大きな何かが背負わされているんですよね?」
思い出される、ケルシーによる近代歴史の講義。
ヴィクトリアのアスラン王の公開処刑。20年以上前のあの事件を機に、ヴィクトリアの王政は崩壊した。そしてカンバーランド公爵家は最後まで王家防衛の為に手を尽くしていたという。彼女の父、ロバート・カンバーランドもその際に亡くなった。
当時まだ10にも満たないであろう彼女が、突然家を背負う事になったのだ。
一体どれだけの労苦を、重責を受けてきたのか。アーミヤには想像する事しかできない。
「戦争において、最も価値の低いものって何だと思う?」
アラデルは問う。目を細め口の端を持ち上げながら。
その瞳の奥に、アーミヤは深い悲しみを見た。
「それはね、尊厳よ」
そう言い放つ彼女の言葉の重さに、アーミヤは何も言う事が出来なかった。
それ程までの苦しみと喪失を、彼女は持たない。
テレジアを失った。ドクターは過去を失い、その中の自分を助けてくれた時の記憶も消え去った。アーミヤが今のアーミヤとなった決意と覚悟を知るのは、もはや自分自身だけだ。
それでもアーミヤにはケルシーがいて、頼れる仲間がいて、過去を失ったドクターも変わらず自分を大切に思ってくれている。
そんな恵まれた自分に比べて彼女には一体、どれだけの人が付いていてくれたのだろうか。
ほとんどの公爵家がロンディニウムの外で来たる戦に爪を研ぐ中、その渦中で広い屋敷に留まった彼女に、いったいどれだけの味方がいたのか。
自分の言葉の意地悪さに気付いたのか、気にしないでと笑うアラデル。
手入れもされなくなった花園で、重い何かを背負った彼女が咲かせた花。
それはあまりに、孤独に見えた。
だから、どうか。
「アラデルさん、これからは私達がいます。いつかちゃんと、ヴィクトリアを貴女達に返して見せます。だから、もう少しだけ我儘になってください」
アーミヤは何とか、それだけを口にした。過去を慰めることも、事情を聞いて重荷を請け負う事も出来ない。だけどこれからの、未来への決意だけは絶対に譲れないものだ。
それだけは、アラデルが今まで失って来たものに釣り合うだけの重みがあった。
かつての自分のように。1人で抱え込んで、大切な何かを取りこぼしてしまいそうな彼女が、少しでも報われるように。
自分が多くの人に支えられて、取りこぼさないように手を伸ばすことができたように。
彼女がその胸の衝動のまま手を伸ばせる事を願った。
「・・・」
アラデルは呆然とアーミヤを見つめる。
その胸に、どんな感情が渦巻いていたのだろうか。期待、不安、希望、諦観。それらが浮いては沈み、そして奥底に沈んでいく。
やがてそれらは起伏を失い、平坦になった。
「あの花、綺麗だと思う?」
アラデルが指差す先に、一際目立つ庭がある。そこには低木があり、枝には美しい金の花が咲いていた。ヴィクトリアでは見ない品種で、この庭園の中でも一際重要なものなのだろう。
「はい」
アーミヤは素直に答えた。
「そう。それは良かったわ」
それだけ聞いて、アラデルは背を向け邸宅へと戻っていった。
そろそろ中でシージ達も話を終えた頃合いだった。アラデルは1人扉を開け中へと入る。彼女の侍女と思われる女性がこちらに頭を下げ、その後を追って行った。
「アラデルさん・・・」
アーミヤの声はその背に届かない。
最後に笑ったアラデルからは、悲しみが消えることはなかった。
「アラデルお嬢様」
「大丈夫よエルシー」
1人には広すぎる玄関を抜け客室へと向かうアラデルは心配する侍女を宥める。
そう言葉にしつつも、アラデルの胸中は混沌としていて長年付き添った侍女の顔が歪んでいた事にすら気付くことはできなかった。
父はよく、アラデルを抱きしめて顔を擦り付けてきた。その度に強張った髭がじゃりじゃりと音を立ててアラデルの肌をたわしのように擦っていた。彼女はそれが好きだった。
あの日。幼い頃の殿下と出会い、そして忠誠を誓った日。父にもそれを話そうとして、2人で会える日を待ち望んでいたのだ。
父はきっと喜ぶだろう。カンバーランドに恥じない忠義の騎士を目指す娘を、誇らしいと称えてくれるかもしれない。そんな夢心地のまま、アラデルはベッドで眠りに就いた。
父が死んだのは、その2日後だった。
国王が唐突に絞首刑に処され、側近であった父も殺された。
アラデルは唐突にカンバーランド家の当主となり、何の準備も整えていなかった公爵家の1人娘は反体制派に与した家の者として苦難に包まれた。
家の者は次々に職を辞し、庭師も革命の一年後にはいなくなった。
以来、エルシーとアラデルだけがこの家の住人だった。当然、庭に手を割く余裕などあるはずもない。
あの低木はそれからすぐに枯れてしまい花をつけなくなった。
「お嬢様。これを」
悲痛とすら言える表情を隠さず、エルシーはアラデルに一通の手紙を手渡した。
宛名もないそれはそれでも上等な紙を使っていて、これ1枚で貧民なら一日は過ごせるだろう。それだけでこの差出人が誰かがアラデルには分かった。
そして中身を読んだ彼女は、淀んだ感情に逆らわず力を抜いた。
(あの娘と一緒にいるとダメね。つい、縋りついてしまいそうになる)
一度枯れた庭を取り戻すには、新たな種を植えるしかない。
そして新芽が育ちその庭を花が埋め尽くした時、ただの広い屋外の一画はようやく庭園となる。
だが、その庭園は以前の姿と決して同じではない。
全く同じ種を植えたとしても、そこに込められた思いも何もかもが違っている。
そして一度根を張ったその木々は、深く大地に根付きこう主張するのだ。
―ここは我らの庭なのだと。