「したい」と思う事は、なんて眩しくて、簡単なんだろう。
それでも、世の中には「しなければならない」事が沢山あって。胸に抱えていた「したい」という気持ちはその中に埋もれて掠れていく。
『私が受け継いで、守るんだ。今日のパーティーにいたあの蒸気騎士みたいに、屋根裏部屋で休む
あの日、自ら口にした誓いが胸を刺す。後ろ指を差して、汚れてしまった私を糾弾する。
話し方を学べば、背が高くなれば、人脈を持てば。
大人になれば、私はそれができると思っていた。
でも違った。
歳を重ねれば重ねた分、柵や責任が纏わりついて、指一本満足に動かせない程雁字搦めになっていく。
父さんも、そうだったのだろうか。高潔不変の二つ名が、重しになっていたのだろうか。だから最期まで国王を守る方についたのだろうか。その道が、例え先に続いていないと知りながら。
あの日憧れた蒸気騎士とは程遠い。策謀を巡らせ、欺瞞に満ちたパーティーで微笑む。
そして仕えるべき主を、自分を友と言ってくれた初めての親友を裏切って
ヴィーナ含むグラスゴーの面々と新しく呼び寄せた傭兵達。彼らを伴って潜った地下空間のさらに奥。
「諸王の息」を求め辿り着いたその場は、無数のサルカズの亡骸とそれと争ったであろう蒸気騎士の朽ちた姿で埋め尽くされていた。
その様子から明らかとなった、蒸気騎士失踪の真実。ヴィクトリアという国は、王無き後新たな障害となりうる彼らを裏切り謀殺した。
誰もが義憤に足を止める中、私の心はやけに冷静だった。
課された使命に気が急いでいたのもあるだろう。だがそれ以上に、彼女らが怒りを向ける人達と自分は同類なのだと、そう皮肉っていたからだと思う。
私の裏切りを、いくつもの石像と蒸気騎士の亡骸が見ている。
これまでヴィクトリアの存続の為にその王冠を継いできた歴代の王。そして最後の最後に守るはずだったヴィクトリアに裏切られ、それでもなお国剣を奪わせまいと相討ちとなった蒸気騎士達。
物言わぬ彼らの怨嗟の声が、耳元に聞こえる。
これは多分幻聴だ。
それでも、私が信頼を踏み躙った彼女は今、目の前にいる。
その後ろ姿が、あの日と同じように凛々しくて輝いて見えた。
(ああ、なんて皮肉なんでしょうね)
私は彼女の事を知った。そして私が追い求めていた
ただ責任感が強くて、力があったから多くを守って。
情が深くて、不器用な。
望まぬ血筋に選ばれただけの、ギャングの1人。
ここに来る前、自分の包帯を巻いてくれたのはヴィーナという1人の人間だった。決して殿下なんていう記号の1つじゃない。彼女は自分の意思で、私に手を差し伸べてくれた。
それが嬉しくて、情けなくて、羨ましくて、辛かった。
それでも。もう、私の歩ける道はこの1本だけ。
アーミヤに、ヴィーナに、エルシーに言われてもそれだけは変わらない。変えられない。
だから私は、ヴィーナの背にナイフを突きつけながら言った。
「もう私は、定められた道を歩き続けるしかないのよ」
「・・・何故だ? アラデル」
彼女は然程動揺していなかった。
私が裏切ると予想していた? いや、彼女はそんな性格ではない。
ヴィーナの体は強張りすらしていない。
ただ自然に、私の裏切りを受け入れていた。
「カスター公爵が、その剣をご希望なの」
言い訳染みた理由だ。同情でも誘っているのか。
自分で言っていて嫌悪感しか出てこない。こんな事を強いた彼女と、それに抗う事すらできない自分が。
振り返らないで欲しい。
私にはもう、貴女に合わせる顔がない。こんな惨めな自分を、目に映さないで欲しい。
もう、こうするしかないから。
「動くな」
シージを助けようと駆け出すダグザに銃口が向けられる。
傭兵のリーダーが、そのバリスタを構えていた。
「トター」
「悪いな。だがこれも傭兵の仕事だ」
「・・・さっき、裏切られた騎士の死を悼んだばかりじゃないか。あなたは、私の恥を覆い隠してくれたじゃないか」
彼女もまた、ヴィーナと同じく特異な血を引いている。
塔楼騎士。ヴィクトリアという国ではなく、国王のみを守る近衛騎士。
革命にて守るべき主を失い、そしてサルカズによる占領の際殲滅された騎士の生き残り。
ヴィーナと同じグラスゴーに入りギャングの真似事をしてはいるが、その本質はこの場の誰よりも騎士らしく清廉で真っ直ぐだ。
ダグザの声は、怒りと悲しみで震えていた。
トターはそれにバツの悪い顔をしたが、やがて表情を消した。
「俺もこうなって残念だ」
「アラデル。本当にこれしかないのか?」
ヴィーナの問いに、私は答えることができない。
そんな資格すら、とうに失っている。
「クロヴィシアに、自救軍の皆にどう伝えるつもりだ?」
「クロヴィシアなら、きっとうまくやるわ。それにこれが終わればもう、会う事も無いでしょう」
「何故そう投げやりになる? お前にはまだ道が残っているだろう?」
投げやり、ね。
だって、しょうがないじゃない。
カンバーランド公爵家が衰退してから、一体どれだけの借りをカスター公爵家に作ってしまった事か。
あの公爵邸を維持するための金も、枯れてしまい新しく植えた庭園の花の種も。地位も、財も、権力すら彼女の後ろ盾あってこそのものだ。彼女に言われるがまま、与えられるがまま進み続けて現在の私がある。
その対価に、私は彼女の腕となった。ならざるをえなかった。
そうしてでも縋り続けたカンバーランド家の残痕は、つい先程灰になって消えてしまった。
エルシーの容態も悪い、一刻も早く医療機関で治療を行わなければ助からないかもしれない。
『私が受け継いで、守るんだ』
あの日の誓いも破ってしまった。こんな、何もないお飾りの存在が守る事なんてできやしないのに。
「もう私には、選択する力すらないの」
だからお願い、もう諦めて。
これ以上、抗おうとしないで。私に、貴女へ刃を向けさせないで。
その剣先が震えないよう、柄を必死に握りしめた。
動揺を悟られれば、彼女はきっと止まらないだろう。それだけはあってはならない。ここまで進み続けて、その日々を全て無駄にすることだけはあってはならない。
「そうか」
ヴィーナが振り返る。本当はその動きすら許してはいけなかった。
それでも、そこには一切の敵意なんてものはなくて。私の中の躊躇いがそれを許してしまった。
振り向いた彼女は、どこまでも真っ直ぐに私を見つめていた。
「アラデル。約束を覚えているか?」
「っ、お願い、止めて」
それはつい零してしまった、愚痴のようなもの。
自分がカンバーランドとしてではなく、1人のアラデルとしてグラスゴーの一員となって彼女とともに戦う、そんなタラレバ。
許されるはずがない。使命も義務も投げ捨てて、どこまでも自由にロンディニウムを駆ける彼女とともになんて。
信頼を踏み躙った私に、そんな資格はないのに。
どうして、そんな優しい声音で自分を呼ぶのだろう?
その瞳から、光が失われないのは何故だろうか?
『アラデル・カンバーランド。いつの日か、君はまたヴィーナと出会うだろう』
いつか予言された再会が、こんな醜いものになってしまったというのに。
だから、そんな目で見つめないで。
縋ってしまいたくなるから。もしかしたらと、期待してしまうから。
でも、そんな懇願は少しもヴィーナには届かない。
今の彼女はどこまでも真っ直ぐで、私への慈しみに溢れている。
「私は約束した。仲間は、必ず守る」
そう言い切った彼女は、あの日見た奇跡のような光景よりも厳かで光に満ちていた。
―だからきっと。これは報いだ。
つい、手を伸ばしかけた。その時、大きな噴射音が地下空間に木霊した。
それはまるで怒りを露にするように息を巻く。
度重なる重苦しい噴射音と、唸るような金属音。
巨大な何かの足音がこちらに近づくにつれ、噴き出す蒸気の奥から姿を見せる。
それは、ヴィクトリアの栄光の証。
ヴィクトリアの盾であり剣。遍く敵を討ち滅ぼす絶対的な力。
全てのヴィクトリア人が憧れた、英雄の姿。
蒸気騎士。
ヘルメットの奥で、光が灯る。
それは悠然と辺りを見回し
―
「グォォォォオオオオオオオ!!!!」
彼の怒りが空間を満たす。
その腕に備え付けられた炎剣が大気を焼いた。
―裏切りの騎士なんて、あっていいはずがないのだから。
在りし日の、同胞の声が聞こえる。
訓練へと誘う先達の声。彼らは私を誇りと称えていた。
もはや名すら思い出せぬほど薄れた記憶に、それでも残るものがある。
『我らは命を懸けてヴィクトリアを守る』
私は国王に誓いを立て、人民に約束をし、大地に敬意を表した。
卑劣な魔族の罠に墜ちようとも、この炎の刃は敵を焼き切り、黄金の鎧装は諸王の息を守った。
だが、また敵はやってくるかもしれん。
ヴィクトリアの象徴を、嵐を切り裂く宝剣を、奪いに来るやもしれん。
固く閉ざされた扉の前で、私は同胞の骸に囲まれながらもその時を待った。
敵は未だ来ぬ。
広間の血が乾き、この身の肉が痩せていこうとも私は待った。
敵は未だ来ぬ。
同胞の骸より漏れ出た腐敗臭の中、私は待った。
敵は未だ来ぬ。
王権を象徴するかの如く静謐を保つその広間で私は待った。
視界が霞んでいこうとも目を凝らし続け、四肢が枯れ枝のように細くなりながらも骸に群がる小動物を喰らい耐え忍び、その時を待った。
もはや何のためにここを守っているのかすら朧気になりながらも、私は待った。
この剣が、あるべき場所に収まる時を。それまで、何としても
散っていった同胞の無念を背負い、私が示すのだと。
蒸気騎士の忠義は決して揺るがないのだと。
遂に敵は来た。「
そして忠義の騎士が立ち上がる。
その眼前に佇む者の正体も瞳に映さぬまま。
暴れ狂う蒸気騎士に、ヴィーナは必死に言葉を届ける。
失くした物を探すように、ヴィクトリアと呟き続ける彼へ。「諸王の息」をどうか使わせて欲しいと懇願する。
それでも彼は止まらない。ヴィーナとの間に立つ傭兵達を蹴散らし、彼女へと近づいていく。
そんな光景を、私は呆然と眺めていた。
英雄になりたかった。この家に掲げられた雄姿を示したかった。
それでも少女は現実を知り、己の無力さを知り、そして英雄の剣を盗み出した。
国の危機に再び立ち上がった英雄が、それを掴まえ裁きを下す。
実によくできた物語だ。あとには真の担い手に渡った剣と、頁にすら記されない片隅に哀れで醜い卑怯者の亡骸が残る。
そのような結末であるべきだ。これは寓話ではなく現実で、奇跡なんて願う事すら許されないのだから。
ならせめて、私は彼に向き合って消えていきたい。
あの日誓った約束とはだいぶズレてしまったけれど。
「女王を庇って逝くなんて、騎士らしくていいじゃない?」
とてつもないアーツの風がヴィーナを扉へと運んでいく。
こちらへ手を伸ばす彼女に向けて、声にならない謝罪をする。
(ありがとう。そしてごめんなさい。私はもう、奇跡を信じられるほど幼くないの)
いくつもの苦難に直面し、それに膝を折ってきた。
それを何度も繰り返して、いつしか騎士になった自分を想像できなくなっていた。
子どもの頃は何度も、それこそ夢に見るほど焦がれた姿だったのに。
もう、夢から醒めた。
今正面には、唸りを上げる最後の蒸気騎士がいた。
(あなたも、今までお疲れ様)
言葉にならない思いが、涙となって頬を伝う。
そしてヴィクトリアを奪われ激昂する彼を受け入れるように両手を広げた。
後ろで扉が閉まる音がする。それからすぐに崩壊した天井の瓦礫がその道を塞ぐだろう。
そして2人の長い物語は、幕を閉じる。
―はずだった。
―ガンッ!!!!
重い槌の音が響く。
何事かと後ろを振り向けば、アーツで弾き飛ばしたはずのヴィーナが床にハンマーを打ちつけ必死にしがみついていた。
静止の声も、彼女の後ろで崩落する石像の音に遮られる。
今、扉は完全に塞がれた。私と蒸気騎士、そしてヴィーナの3人をこちらに置いて。
「な、にを・・・しているの?」
動揺のあまり蒸気騎士の存在すら忘れてそう尋ねてしまう。
だってこれでは私は、最後の最後に守りたいと願ったものまで失ってしまう。
女王を守ったという栄誉も、こんな私でも救いたいと言ってくれた親友の命も、全てがここで瓦礫の下に埋もれてしまう。
瓦礫のすぐ傍で、ヴィーナはゆっくりとこちらを見上げた。
そして瞬きの間に彼女は武器を振りかぶってこちらに迫っていた。
体は動かない。ただ、彼女に裁かれるのならそれでいい。
だがヴィーナは目を閉じかけた私を抜き去って、私に振り下ろされた鋼鉄の腕を横殴りに打ちつけた。
ほんの僅かに逸れた金属塊が、床を割り衝撃を爆発させる。
それを間近で受けた私達は揃って床を滑った。
余波だけで身の内にあった気力が吹き飛ばされた。
立つ事すらままならない私を置いて、ヴィーナは片手のハンマーを杖に立ち上がる。
折れず、曲がらず、凛と立つ。その目は依然として戦意を失っていない。
「なんで、そこまで・・・」
そんな彼女の事が、私には分からなかった。
『何時か君は選択を迫られる。その時、後悔する事のないようにな』
(きっと、今がその時なのだな? タルラ)
体が鉛のように重い。彼の腕を打ちつけた衝撃で利き手は未だに痺れて力が入らない。
堪らず剣の方を床に置く。どのみちあの金属の巨躯にこの刀身では役に立たない。何とか力の入る方の手でハンマーの柄を握りしめ、立ち上がる。
後ろでアラデルが何かを叫んでいた。衝撃で耳が遠くなっていてもなお聞こえる程大きな声だ。これまでの彼女らしくない姿に内心驚く。
「貴女は、どうしてそこまでするの? この剣を持ち帰ることも、私を無事に連れ帰る事も、本来貴女の使命じゃないの! 貴女はこの国でただ1人の王族なのよ? それが、こんな私なんかのために命を懸けて、馬鹿じゃないの?!」
どうやらアラデルは私を叱りつけているようだ。何故無謀な事をしたのかと、そう問い詰める姿は中々に新鮮だった。
今までグラスゴーのリーダーとして生きてきて、私はあまり叱られた事はない。もし私が何か間違いを犯したとしても、それは忠言といった形でのみ伝えられた。
感情を剝き出しにして怒鳴るアラデル。
だからこそ、私も中てられたのだろう。
「使命だと? ああそうだ。そんなものは“ヴィクトリアスラング”だ!」
胸の内を渦まく激情が、言葉となって溢れる。
「私は確かに
これから先、天災の雲がこのロンディニウムを覆うかもしれない。そうなれば多くの人が病に侵され命を落とす。源石に蝕まれ生涯を無念のまま終える、ロドスで嫌というほど見てきた悲しい結末が彼らを襲う。
それは、あってはならない。防がなければならない。
私が獅子の王の末裔だからか? 否。
そんな特別な
ならば私は!
「私はヴィーナ。ただ1人のヴィクトリアとして、そしてヴィクトリアを担う民の1人として! 地上を覆う恐怖を退けるためにこの戦争を終わらせる!」
そして。
「私はシージだ。ノーポート区を牛耳るグラスゴーの頭領。私のシマは、誰にも荒らさせない。私の仲間は、誰一人奪わせない!」
ずっとこの魂が渇望していた、私の故郷。
きっと故郷を想う心は、王であれ民であれ変わらない。
ならばもう、私は迷わない。
私の名は、アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア。
ヴィクトリアの王の末裔にして、グラスゴーを束ねるギャングのトップ。そして感染者と非感染者の共存を目指すロドス・アイランドのオペレーター。
私の持つあらゆる名が、この苦難を乗り越えろと叫んでいる。
ハンマーを構える。王族が持つにはあまりに武骨で、ただひたすら頑丈なだけのそれ。
だがそれでいい。飾りなんて不要だ。求めるのはただ、この錯乱した蒸気騎士の寝ぼけた頭を醒ませられるだけの固さだけ。
「かかってこい。この“ヴィクトリアスラング”!!」
自分が何者であるのか。それをようやく認めた私は最後の騎士に名乗りを上げた。
「
確かに、それは陳腐な物語だろう。
だが彼女はそれを選び、足を踏み出した。
そしてその覚悟は定められた道を外れ、未知へと向かう。
それが迎えるのは幸せな大団円か、はたまた悲劇か。
幕引きのその時まで、結末は誰にも分らない。