彼、パトリオットはゆっくりとこちらに近づいてくる。
(動けない!)
圧倒的だった。生物としてここまで個人によって差が生じるのか、俺はこのテラの大地をまだ甘く見ていたらしい。
油断していた。そういえばここで初めて彼に遭遇するんだったか。完全に見逃していた。
何をすればいい。逃げる?いや、敵意はないはず。
ならどうやって説得する?何を話せば彼の逆鱗に触れずに済む?
思考が空回りしているのを感じる。何を優先すればいいのか、どう振る舞えばいいのか、それすら分からない。
ただその場で立ち尽くす事しかできない、その最中。右手が温かい何かに包まれた。
見れば、タルラが俺の右手を掴んでいた。その手は僅かに震えていたが、それでも彼女の顔は未だ戦意を失っていなかった。
呑まれるものか。何としても仲間になってもらう。その意思が伝わって、何とか俺も平静を取り戻した。
(くそ、魂の大きさに呑まれるなんてまだまだだな俺!)
そうだ、彼は戦闘しにここを訪れたんじゃない。
むしろ逆。ここで説得さえできれば最強のジョーカーが手札に加わる。娘であるフロストノヴァもこちら側だ、こんなチャンス二度とない。
包まれていた手を握り返す。もう大丈夫だと、言葉にしなくとも伝わった。離れていく手の温もりに一抹の名残惜しさを感じながらも、今度は彼にしっかりと向かい合う。
「我らが同胞に何か用か?」
サルカズが口を開く。しわがれた、重く低く響くような声だった。
「君の服装には聞き覚えがある。ここより東の辺境で、感染者を人知れず助け攫うウルサス将校の軍服を纏った麗人。その名をタルラと言ったか」
「ああ。こちらこそお会いできて光栄だ、ミスター・パトリオット。あなたの武勇は広くこの地に語り継がれている。今も遊撃隊盾兵とともに、感染者を守る盾となっているのですね」
「賞賛は不要だ。この盾は祖国に捧げたが、今はその過ちを正すことが私の正義だ」
「彼女ら、スノーデビル小隊にも話をしました。私達が目指すものは同じものです。ともに手を取れないでしょうか?」
「違うな」
パトリオットはタルラの言葉を遮る。
「私達は自身とこの西北凍原に住まう感染者のためにその盾を掲げた。君達は都市とその周辺の感染者のため、その剣を振るったのだ」
「どちらも同じ感染者です」
「いや違う。彼らは採掘場でどのような非道が横行しているかを知らない。彼らは真の飢えと恐怖を知らない」
「それを互いに理解し合い、手を取り団結することこそがこのウルサスという地に住まう感染者に必要なことです」
「それが可能だと何故断言できる?」
「私達が掴むべき未来がそこにあるからです」
そしてタルラは彼らと協力関係を仲間としたその後の計画、移動都市の再建と南方への移動について話した。
だが、パトリオットの反応は芳しくなかった。
「支援を受け、見返りに拠点の防衛に人を出すというのなら協力しよう。だが、凍原を離れることはない。それ以上は望むな、君では力不足だ」
「ミスター、貴方であれば可能ではないのですか?」
「君はウルサスという国を甘く見ている。これはもはや戦力や名声の有無で覆せるものではないのだ」
「この国の誰よりも強く勇敢な貴方がそうおっしゃるのですか?」
誰よりも国に貢献し、勝利を捧げてきたその将校は、淡々と述べる。
「私は戦に勝利してきただけの愚かな軍人だ。だが、その私ですら持つ覚悟を君は持ち得ていない」
「何を」
「君は感染者を救うことを願っているが、そのために非感染者を排除することは拒んでいる」
その言葉に、タルラは何も言い返すことはできなかった。
「この地で非感染者に恨みを持たない感染者はいない。そして感染者を忌避しない非感染者もいない。我らの間にその隔たりがある以上、その衝突に血が流れることは必然だ」
「・・・」
「君の語る未来は、そこまで輝かしいものではない。戦争を引き起こし、同胞を血の海に沈め、それより多くの都市の住民を破滅させたうえで得られる平穏だ。それを拒むのであれば、これ以上手を遠くへ伸ばさず自分の周りだけを守ればいい。安易な理想は掲げるな。それは君だけではなく、その後ろに続く者達を死に追いやる」
彼の言葉は正しい。
人口の多い南へ下りれば軍との衝突の機会はずっと増え、よりその激しさを増すだろう。その過程で戦士達も負傷し、時には命を落とすかもしれない。
原作のようにその戦いについていけず離反者や裏切り者まで出るかもしれない。感染者が今までの恨みを爆発させ暴徒化しないとも限らないし、ましてやそれらに配慮しながらの移動都市の再建など気の遠くなるような計画だ。
それをできるだけ血を流さない方法で成し遂げようなんて、数々の現実に打ちのめされてきた彼にとってはあまりに甘い考えなのかもしれない。
それでも、ここまで俺達の夢を否定されて、黙っていることなんてできなかった。
「失礼ですが、よろしいでしょうか? ミスター・パトリオット」
「君は?」
「タルラの同志であり、商会として援助を行っているイグナスと申します」
「君達が強気な理由はそれか。確かに兵站は重要だがそれも危ない橋だ。いずれ政府の目に留まりそれすら断たれる」
「ええ。だからこそ、我々はともに南へ向かうべきなのです。一刻も早く態勢を整え南へ向かい、都市の膨大な感染者を味方につけることが必要です」
「まだ凍原の中で虐げられる感染者など捨ておけと?」
「無論そちらにも手を伸ばさなければなりません。ですが戦力の拡大と資源リソースの確保を同時に行える手段は早めに行使しなければそのメリットを失います。貴方はこの地平線の先にどれだけの同胞がいるか認識できていますか?貴方は遠大な理想論だとおっしゃいますが、その目が映さぬ遠くにこそ我々が掴める勝機があるのです」
それに、パトリオットは自分の主張にも無理があることに気づいていない。
「そもそも、貴方の言動は矛盾している」
空気がひりつく。彼の巨戟を握る手に僅かに力が込められた。
「貴方は手の届く範囲、凍原の感染者を守ることで精一杯だと仰っていましたね」
「そうだ。理念など実践されなければただの幻想だ。我々は幻想など抱かない。南方に向かうなど、成すすべなくウルサスの鉄甲に粉砕されるぞ」
「それは本当に彼らを救うことに繋がりますか?この麦も育たないような土地で、彼らを飢えへと向かわせているのは果たして誰でしょう?」
「おい貴様、父さんを侮辱しているのか?」
「待て、よい」
フロストノヴァをパトリオットが制す。
「ここには採掘場があり、緩慢で愚かな守備軍もいる。それら全てが資源となりうる」
「生み出すことができない以上、どうしたっていずれ枯渇します。これ以上、その身が痩せ衰え己の武器すら満足に握られなくなった時では遅いのです」
さっきから震えが止まらない。目の前の男が少しその戟を振るっただけで俺の首と胴は別たれるだろう。
それでも、彼に思いを伝えるための声だけは意地でも震えさせず、彼の視線に真っ直ぐ応えた。
「貴方は幻想と仰いました。では貴方の描く彼らの未来とは何なのですか?武装も賄えず碌な食糧もない。凍原を転々とし遭遇した守備軍から略奪したもので耐え凌ぐ。やがて軍の標的にされ、この雪しかない平らな凍原で少数の遊撃隊で隊列を組みそれに立ち向かう。そのどこに未来などと呼べるものがあるのですか!」
「ならば私達はその手を血で染めるしかない。君達が語る理想とは、今まで多くの感染者が理不尽を訴え、革命と称しその刃を血で染めながらも散っていった取るに足りない反乱と同じものだ」
「私は鉱石病に罹患していません」
パトリオットの瞳が僅かに揺れる。
「それでも、私は感染者を人でないなどと思ったことはありませんし、非感染者の全てが救いようのない差別主義者だと思ったこともありません。我々にとって戦いとは手段の1つに過ぎない、感染者の故郷を作り上げることすら通過点の1つに過ぎないんです」
「ならば、何を」
「この世界から鉱石病と、それによる差別を根絶する!」
ただ反逆しただけではあのチェルノボーグ事変と同じなんだ。
俺が目指すのは、ハッピーエンド。感染者が虐げられず、非感染者も暴力に怯えることのない、そんな世界。
「遠い理想だからこそ、その一歩を踏み出すことは躊躇いません。そんな暇はない」
そう断言した。
パトリオットは無言だった。ようやく口を開いた時、その声は悔恨を滲ませていた。
「君と似た人間を知っている。彼は、報われなかった」
「誰と私を重ねているのか存じませんが、関係ありません」
少なくとも、それを本気で追い求めた集団がいることを知っている。
俺しか知らない。やがて現れる、方舟を。
「必ず、我々は鉱石病に打ち勝ちます!」
誰も声を上げられない。その言葉に込められた熱量に、皆が引き寄せられていた。
「私の娘ならば信じただろう。だが私は、現実に絶望したことさえなく、ひたすら机上の空論を唱えている者を信じない」
「ならば証明しましょう。その視力の落ちた老眼が見落としたものを、私達が見つけましょう。その時は、我々とともに歩いてくださいますか?」
その言葉に返答は無く、ただ彼は振り返り来た道を戻っていった。
そんな彼の背中がようやく見えなくなった頃、隣のタルラに声を掛けた。
「タルラ」
「なんだ?」
「やってやるぞ、何としても彼を頷かせてやる」
「ああ。見事な啖呵だった」
「よせよ、膝が震えて歩けねえ」
「それでもだ」
「あの時、君の手を取って良かったと。心から思ったよ」
1人、雪原を歩くサルカズは立ち止まる。
先程話した青年。その姿が、語った思いが、どこか息子と重なっていた。
自ら殺してしまった、優しい息子と。
「ああ。ヘレン、グロワズル。私はまた、守れないのか?」
溢した後悔は誰にも聞き届けられず、積もる雪に溶けていった。