明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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第六十三話 悠久を生きる者よ

 

 小さな教室の中、静かな戦いが幕を開けた。

 

 イグナスはその手にした旗の柄を握りしめ、変形者は膝を折ったまま立ち上がろうと苦心している。

 刃も出血も無いその戦場で、2人は激しいせめぎ合いを繰り広げていた。

 

「どうした痛くも痒くもねえぞ!! 2人きりだからって照れてるのかぁ!?」

「くっ」

 

 イグナスの煽りを無視してそのアーツに抗おうと試みるも、変形者は依然として立ち上がる事すら出来ずにいた。

 

 体は正常だ。命にかかわるような不調は何1つ無く、呪いに類する異常もない。

 ただまるで底が抜けたバケツのように、戦意と呼べるものが心から抜け落ち敵を打ち倒そうとする意志そのものが萎んでいく。

 

 感情を直接伝播する。確かに魔王に匹敵するほどの御業だ。変形者は揺れる心を強く保ち、それを解明する事に全力を注ぐ。

 

 もし先程イグナス自身が語った術理が正しいのであれば、彼もまた立ってすらいられない程の心境にあるはずだ。対象の心を意のままに歪めるのではなく自身の感情に共鳴させるというのなら、彼の心もまた同じ状態になければならない。

 

 しかし、イグナスは険しい表情を浮かべているものの依然としてそこに立っている。口元に笑みを浮かべ、もがく変形者を見つめていた。

 

「本、書いたんだろう? 何を感じた?」

「関係・・ないだろう・・・そんなことは」

 

 何故そんな問いを? そう突っぱねる変形者。

 

「あるに決まってんだろうが!」

 

 だがそれに対するイグナスの激しい追及に、変形者は目を点にした。

 

 イグナスは以前の邂逅にて、変形者にとある願いを込めて提案した。悠久の時を経て学んだものを、本にしてみないかと。自死という選択を取るしかなかった彼が、それ以外で変革を迎えられるように。

 それでも変形者は変わっていなかった。理解しているはずのものを風化し濁った瞳で見続ける彼に、イグナスは苛立ちを覚えていた。

 

「お前がこれまで見て、読み取ってきたはずの人達の想いが! お前1人揺さぶれねえわけねえんだよ人類なめんな!」

 

 イグナスはその本を読んでいない。それでもそこには沢山の実在した人々について記されていたはずだ。

 

 彼らの生き様と、歩んだ軌跡。そして何を想い、後世に託していったのか。

 その1つ1つに、かけがえのない生命の重みがあるのだとイグナスは知っている。空に瞬く星のように、暗闇を照らす事が出来るのだと。

 かつてレユニオンに見た星空のように、それらが集う景色は涙が零れるほどに美しいのだと。 

 

「それは、違う。何度も、何度だって見てきた。あんなもの、特別でも何でもない。この大地を、僕達を、変えられるほどのものでは」

 

 その言葉に、イグナスの堪忍袋の緒が切れた。

 

「お前が特別じゃないと断じた人々の想いは、石ころくらいの価値なのか? 今まで多くの人が抱えてたからって、その1つ1つに意味が無いのか? 違うだろう?!」

 

 確かに多くの願いは果たされることも無いまま消えていった。愛した同胞や家族を奪われ、復讐の炎に身を投げた者もいるだろう。

 何千と滅亡を繰り返してきたカズデルが、それを証明している。

 

 カズデルだけではない。歴史という名の過去に埋もれていく、数えるのも億劫になる程の人々。

 

「何も実を結んでいない、そんなもの」

「それでも! 性懲りもなく挑んだろうが!!」

「!」

 

 それはある意味楽観的なイグナスならではの言葉だった。

 どんな時にも希望を見失わない。無ければ自ら照らすと誓った男の姿が変形者に映った。

 

 何千の滅亡、それは即ちその度に復興を成し遂げたという事。

 そんな事、普通は不可能だ。首都となる場所を崩されれば、民の心もまた崩れる。それを再び再建し、サルカズの民に火を灯すのにどれだけの苦難が立ちはだかるか。

 サルカズの望郷の念。同胞に安寧の土地を、その思いが可能にした偉業だ。

 

 イグナスは変形者に突きつける。繰り返されてきた悲劇に濁った瞳に、その裏にあった確かな希望を注ぎ込まんと。

 その目は変形者を確と捉え逃さない。

 

「忘れたってんなら思い出させてやる。その意思がどれだけ熱く燃え滾ってたか。他者の幸福を願う心が、どんな色をしていたか!」

 

 再び旗を振るう。

 その旗が宙を薙ぐたびに、突風が変形者の体と心を打ち、耐え切れず変形者は後退る。

 

 変形者ほどの存在が、たかが向かい風に足を引きはしない。実際、この教室内に風など吹いてはいない。だがイグナスのアーツによる感情の激流が、あたかも質量を得て迫って来たかのように錯覚させていた。

 

「それでもそれを下らねえって思うなら、この俺を倒してみろ」

 

 イグナスのアーツは双方向のものだ。

 相手を圧倒する風は、即ち意思の強さが齎す暴風。

 

 刃なきこの戦場で、両者を打倒するための武器は心のみ。

 にもかかわらず、イグナスは敢えて変形者を挑発し焚きつける。それは敵に塩を送るようなもの、だがイグナスはそれこそが変形者に必要なものだと確信していた。

 

 変形者は悠久を生きる者故に視点が違う。上から全てを見下ろして、ただあるがままを受け入れている。

 

 実際、先程からイグナスが感じているのは変形者の膨大な時の流れのみ。変形者が目にしたいくつもの悲劇がまるでその場にいたかのように体感させられるが、耐えられない程ではない。記憶というより記録とでもいうべきそれに、イグナスを揺さぶるだけの重みはない。

 もっと熱を持った、変形者の奥底より生じた感情こそイグナスを倒すのだ。

 

 自分を苦しめる変形者の本音、それを自ら引きずり出す矛盾に思わず笑みがこぼれる。

 

(上等だ! まずはそこから引きずり下ろす!)

 

 苦難に自ら飛び込み、果敢に笑うイグナス。

 その口はかつてないほど流暢に、熱を乗せ、敵であるはずの変形者に言葉を届ける。

 

「思いを燃やせ! 意思を貫け! この世界を尊ぶ俺を、否定してみやがれこの傍観者気取りぃ!」

 

 呻く変形者に、立ち上がってみろと吼えるイグナス。

 その姿は依然変わらず、敵に対する者のそれではなかった。

 

 

「僕達に、まだ希望を持てって言うのかい・・・?」

「そうさ! 何度だって言ってやる!」

「これまで何度も繰り返してきたことを、君は傲慢にも強いるのかい?」

「傲慢上等! そっちこそ、世界に飽きただなんて人生エアプもいいとこだぜ!」

「・・・20年そこらの若造が、言うじゃないか・・・」

 

 変形者の呟きに空気が変わる。それまでよりも声音を落としたそれは嵐の前の静けさだった。

 イグナスはほんの些細な衝撃で爆発してしまいそうな緊迫感に気付く。

 

 そして、自らそこに火種を投げつけた。

 

「何だ?! 聞こえねえぞもっと大きな声で喋れや!!」

「! ・・・若造がって言ったんだよ!!」

 

 初めて、イグナスが押しとどめられる。それまでの変形者の態度からは考えられない程の怒号だった。

 それに乗せられた棘持つ激情に俯きかけるも、口元に笑みを浮かべて反論する。

 

「戦争も飢饉も虐殺も、友を失う事すら知らない君が傲慢にも程があるんだよ! 大体なんだ、感染者も非感染者も救うなんてできるわけがないだろう!?」

「やれるつったらやれるんだよ!!」

「それを無理だって言ってるんだ! 源石についての研究が今までされていなかったとでも思ってるのかい? リターニアやクルビアを中心にどれだけの時と人と資本を浪費したことか! その結果が今のテラの大地さ!」

 

 源石を手放せず、その下に積み上げられる幾つもの骸を荒野に置き捨て悠々と移動都市が闊歩する。

 荒野の赤土は、踏み潰され滲み出た彼らの血に染まっていると変形者は知っている。

 

 例え源石がこの世になくとも、悪意は容易に人を呑み込み悪魔に変える。

 積み重ねられた文化と歴史は、世の摂理のように善意を踏み躙る。芽吹きかけた希望は蝋燭よりもか細い。

 もはや起源すら知らぬまま憎しみの連鎖を繋ぐ今の人々に、何を期待しろと言うのか。

 

「人の善性に期待するのも、実らない試みを眺めるのも飽きた。ならばもう、僕達は死の先へと向かい新生する。それを邪魔する権利なんて君には無いんだよ!」

 

 常ならぬ感情の発露に戸惑いつつも、その口は止まらない。

 

「答えろ特異点! 何の理由があって僕達を邪魔するんだ!?」

 

 強い敵意を乗せた問いがイグナスに突きつけられる。

 それを受け止めたイグナスは、一片の迷いもなく。

 

 

「友人を助けるのに、理由も何もいらねんだよ!」

 

 

 そう、口にした。

 

 

 変形者が、予期せぬ言葉に面食らう。

 

「・・・友人、だって・・・?」

「ああそうさ。なんたって文字通り魂でぶつかり合った仲だろ?」

 

 理解できない。意味不明で、脈絡もない甘い戯言。

 そのはずなのに、変形者はストンと腑に落ちた。

 

 今までの、イグナスと出会う前の彼であれば殊ここに至っても気付きを得ることは無かっただろう。

 だが、変形者は知ってしまった。イグナスのアーツを通じて、彼の心を感じたのだ。

 

(そうか。君は僕を打倒しようとしているんじゃない。救いたいと、ただそう思っているだけなんだ)

 

 倒すためではなく、救うため。

 それは確かに、イグナスという男に相応しい動機であるように思えた。

 

『俺はそれを、寂しいって思う』

 

 変形者を、時に捨て置かれた者をイグナスは友と呼んだ。

 

 見ず知らずの、いつかの物語で読んだだけの男のために彼は命を懸けている。

 それだけじゃない。流れ込んでくる彼の心の奥にはいつだって誰かの笑顔があった。イグナスは今までそうやって何度も奔走したのだろう。

 

 ただ1つ。誰かの幸福な未来の為に。

 

 

 その在り方を、変形者は忘れていた。今まで幾度も目にしたせいで色を失っていたものの輝きが、その明るさを取り戻していく。

 テレジアの、過去の魔王の、あるいはとある時代の片隅にもそれは常にあった。そして、イグナスが見せた彼の心象にも。

 

 北の国で、太陽と見紛う輝きを見た。それに集い互いを照らす夜空のような光景を、美しいと呼ぶのだと思い出した。

 

 人が人たる所以。理屈だけでは説明しきれない、心というものが生み出す無限の熱量を彼は目の当たりにしたのだ。

 

 

(ああ、それはなんて・・・)

 

 眩しいのだろう。

 

 そう思ってしまったのが止めだった。完全に立ち上がる気力を失い、自死への渇望も遠く薄れていく。

 イグナスが堪らず膝をつく。旗はその動きを止め体は旗竿に寄りかかるが、その表情はやり切ったと清々しい笑みに溢れていた。

 

「どうだ? 少しは気が晴れたかよ」

「・・・君なら、まだ見ぬ景色を見せてくれるのかい? 今度こそ、時に埋もれぬ偉業を」

「任せとけ。俺達が見せる。誰も知らない、前人未踏のハッピーエンドってやつを」

 

 イグナスが手を差し伸べる。

 

「・・・そうかい。それなら」

 

 その手を変形者は掴もうと手を伸ばす。

 

 

「イグナス!!」

 

 

 だが、Logosの鋭い呼び声にイグナスが手を引く。見れば腰元の通信機が明滅していた。

 

「どうした師匠?」

「敵襲だ。すぐにここを離れるぞ!」

 

 いつになく余裕の無い声に、何事かと胸がざわつく。

 敵の正体を聞こうと再度スイッチを押すが、何故かLogosは応答しなかった。

 

「ジャミング? 随分手の込んだ真似を」

 

 ひとまず教室内に一緒に居たゴールディング氏を後ろに庇い、すぐに逃げ出せるようガラス窓を背にする。

 

 廊下から複数人の足音が聞こえてくる。気配は多いにも関わらず聞こえてくる足音は潜められていて、それだけでかなりの手練れが集まっていると予想できた。

 ほどなくして彼らが姿を見せる。そしてイグナスは今日一番の不幸を呪った。

 

 

 彼らが纏うのは黒い襤褸と見紛うコート。それが次々に教室内へと侵入しイグナス達を取り囲む。一糸乱れぬその動きは、数あるサルカズの軍隊の中でも上位に位置するだろう。

 幽鬼の如く流れるように進むその歩法に、擦り切れたコートの端が揺らめく。暗闇の中でこちらを見つめる白く濁った骸骨の面、その眼窩の奥には闇しか見えず怖気すら感じる。

 

 

 彼らの正体に見当が付いてすぐ、イグナスは背後の窓を割って外に逃げ出そうとした。

 これだけの数、そして質を前に撤退以外の選択肢はありえない。だが窓を叩き割ろうと振りかぶったイグナスに、凛とした声がかかる。

 それを聞いた瞬間、イグナスはまるで影が縫いつき体の全てを押しとどめたように錯覚した。それ程までに濃密な死の気配が、傍に迫っていた。

 

「無駄ですよ」

 

 硬直するイグナスの眼前で、取り囲む集団が2つに割れる。その間を1人のサルカズが悠々と歩く。

 

 その他とは異なる面の意匠、そして手にした枯れ木のような1振りの剣。

 またイグナスのアーツに映る、歪んだ魂の光。輝いているようで、暗く淀んでもいる。濁った光源とでもいうような歪さが目に余る。

 

 自らを絶対の存在と信じて疑わない、そんな生物としての格の違いのようなものが振る舞いに滲み出ていた。

 

「監視をつけておいて正解でした」

 

 黒い襤褸に、白い角。フードと骸骨の仮面に隠された顔、そこから二房の白髪が垂れている。

 彼がその仮面を外す。現れたのは耽美なサルカズの青年だ。

 

 イグナスは彼に似た女性を知っている。だが怜悧かつ慈愛に満ちた彼女のそれと比べ、その瞳はどこまでも冷たく淀んでいた。

 

 そして何より、変形者にも匹敵する圧力に全身が最大限の警鐘を鳴らす。

 その手の剣が揺らめく度、いつ自分の首に振るわれてしまうのかと気が気でない。

 

 

 彼は聴罪師。摂政王たるテレシスの補佐を務め、サルカズの医療組織である他の聴罪師並びにその直属衛兵を統括するカズデル軍事委員会の実質的なナンバー2。

 

 彼もまた、この場に本来いるはずの無い人物だった。

 

 

「聴罪師、何故ここに」

 

 質問を投げかけつつ機を伺う。

 だが対する彼の眼はイグナスを捉えたまま放さない。もしも外に出ようと動き出したなら、その瞬間距離を詰められ斬られるという確信があった。

 

「謁見の時より様子がおかしいと思っていましたが、まさか裏切るとは思いませんでした。最古の王庭よ」

「ぐっ」

「! 変形者!?」

 

 聴罪師は変形者を一瞥すると、その手の剣を掲げた。

 何らかのアーツを使ったのだろう。変形者が突如苦しみ床に手をつく。

 

「自らが不滅であると驕りましたね。例え滅ぼせずともやりようはあります」

 

 イグナスが旗を掲げアーツを起動する。感情の奔流が聴罪師を襲うが、それらは鈍い光に阻まれた。

 

 半ば予想していた事ではあったが思わず舌打ちをする。シャイニングの親戚という事もありそういった精神干渉系のアーツにも造詣がある可能性はあった。子どもに精神を上書きするなんていう悪趣味なアーツを使うくらいだ、そしてその予感は悪い方向に的中したようだった。

 

 苛立つイグナスとは対照的に、聴罪師はイグナスに関心を見せた。

 光の壁の奥、端正な顔に薄笑いが浮かぶ。

 

「なんとも興味深い。よもやここまで魔王の力に近似するアーツがあるとは」

「・・・そりゃ世の中には似ている人が3人はいるって話もあるし、アーツだって似ている事もあるだろ?」

「いえ、それはありえません。魔王の異能とは他とは一線を画す機能を備えています」

 

 そう言いながらもイグナスを見るその目からは関心が尽きない。

 有用な実験動物を見るような、どこまでも傲慢で冷たい目だった。

 

「ですが面白い。魂の同調・・・いえ、これはもっと根源的な何か。サルースにでも渡せば良い研究結果が得られるでしょう」

 

 聴罪師が剣を払い、ゆっくりと近づいてくる。一歩距離が縮む度、動悸が加速し頭脳は加速する。

 近接戦闘は不利だ。これもまた嫌になるがシャイニング同様彼の剣の腕は達人の領域にある。自らのアーツにも耐性があるとなればいよいよ逃げる以外の選択肢はなく、それを許してくれるような隙も無い。

 ここから2人を連れて逃げる術を模索するイグナスに、穏やかな表情のまま聴罪師が告げた。

 

「安心しなさい。貴方の同胞もすぐに我らサルカズの糧となるでしょう」

 

 イグナスの額から冷や汗が一滴落ちた。

 今も自分とは離れ戦っている仲間達の事が頭に浮かぶ。

 

「・・・舐められちゃ困るな。あっちにはロドスとレユニオンの最高戦力が揃っている。大君にだってあいつらなら勝てるさ」

「ええ。そうでしょうとも」

 

 

「ですが、人は戦争には勝てぬもの」

「・・・何が言いたい?」

 

 余裕綽々。その態度を崩さない聴罪師に尋ねる。

 返って来た答えは、イグナスの想像を遥かに超えていた。

 

「これよりサルカズはヴィクトリアに対し宣戦布告するのです。その呼び声となる祝砲がこの地に放たれるのですよ」

「お前らまさかっ! ふざけてんのか! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 原作では周囲の公爵家に付け入る機会を与えないためまだ猶予があった。

 だがそれが前倒しで、しかも市民がまだ残っている都市のど真ん中に撃ち込まれれば被害は甚大だ。なんせあれは一撃でウィンダミア公爵の移動艦を堕とす程の威力を持つ。

 

 事前に想定していた最悪をなお上回る事態だ。

 

「仲間ごと吹き飛ばす気かよ!」

「我らにとって距離など些細な問題です。そして残された彼らはレヴァナントの憤怒に身を焼かれるでしょう」

 

 イグナスはサルカズの十王庭の1つ、リッチを思い浮かべる。

 彼女らは戦力としてはこの戦争に参加していないがカズデル軍事委員会に協力している。リッチはたしか空間に作用するアーツを得意としていたはずで、おそらくその力を利用して逃げるつもりなのだろう。

 

 おそらくこの話をしたのも、最初からここでイグナス達を捕えるつもりだからだ。通信ジャミングを用意していたあたりその可能性は高い。うんともすんとも言わない通信機を一瞥し、イグナスは一歩下がった。

 

 聴罪師の直属衛兵がじりじりと距離を詰める。一刻も早く仲間に知らせなければいけないというのに、どんどんと追い詰められている。

 

「さあ、無駄な抵抗は止めなさい。私も貴重なサンプルを傷つけるのは不本意ですから」

 

 万事休す。為す術の無いイグナスはそれでも思考を止めなかった。

 

 

「さっきから僕を置いて随分饒舌じゃないか」

「!」

 

 気づいた聴罪師が一歩下がる。先程まで彼がいた場所をアーツの光が撃ち抜いた。

 床に縫い付けられていた変形者が、膝をつきながらもその手を聴罪師に向けていた。

 

「君の醜悪さも、彼と出会ってからはより鮮明に見えて嫌になってくるよ」

「変形者!」

 

 心配するイグナスを置いて、変形者はゆっくりと両者の間に立つ。

 

「彼の名前はクイサルトゥシュタ。自分の未練の為に一族を食い物にし続けてる、悍ましい過去の魔王の名さ」

 

 変形者は語る。

 

 聴罪師は代々魔王の力について研究をしてきた一門であり、全サルカズの中でももっとも純血に近い一族だという。

 その中でクイサルトゥシュタはかつて魔王となり、その矜持を遂行せんと力を振るった。だが力及ばず、魔王の王冠は次のサルカズへと引き継がれることになった。

 

 だがそれを彼は認められなかった。そして倫理を投げ捨てた禁忌に手を染めた。

 一族に近親との婚姻を繰り返させ、その子孫の男児の体を乗っ取る事で彼は不滅を体現した。

 

 全ては魔王となった時に手にしたサルカズ全てを支配する全能感、それを取り戻さんがため。

 

 クイサルトゥシュタ。白き角の魔王。永久と支配に魅入られた過去の魔王。

 不滅の希望を意味するその名が、ここまで歪められ貶められる事も無いだろう。

 

「・・・認識を改めるぜ。こいつはあの不死の黒蛇(クソモンペ)より腐った外道だ」

 

 変形者の話を聞き、怒りに震えるイグナス。

 歩むべき未来を奪われた子ども。望んでもいない婚姻を強いられ我が子を奪われた女性たち。彼らの無念を想像し、拳に力が入る。

 

「そうだね。まだあんなものに固執して長生きしているなんて、生き恥を晒しているよ」

「そちらこそ。目標も無くただ放浪するだけの貴方に言われたくはありませんね」

 

 対する2人が睨み合う。悠久を生きる者同士の膠着は永遠に続くかと思われた。

 だが、その沈黙を変形者が終わらせる。

 

「行きなよ、()()()()

 

 変形者が目線を反らさないまま言う。

 

「仲間を助けたいんだよね? 僕が彼らを止めるよ」

「だけど!」

「言っただろう? 僕は不滅の変形者だ、欠片が倒されても関係ない。でも君が助けたい人達はそうじゃない。限りある生を生きる者達だ」

 

 行ってやれと、そして救ってこいと。

 そう背中を押す声に、イグナスは拳を振り上げた。

 

「僕達は確かに救われた。誇っていい」

 

 変形者の呟きを、イグナスは聞こえなかったことにして拳を振るう。そうでなければその場に留まってしまっていただろうから。

 そのまま窓を叩き割りイグナスはゴールディングを連れ外へ飛び出す。彼らを背中で見送りながら、誰へと話すでもなく変形者は独りごちた。

 

「僕達を友と呼んだのなんて、この大地で君が初めてだからね」

 

 

 残された2人と多数。

 

 クイサルトゥシュタは微かに顔を顰めた。

 

「殿というわけですか。変形者ともあろう者が、どういう風の吹き回しです?」

「そっちこそ。テレシスに隠れてこそこそ何をやっているんだい?」

 

 先程とは打って変わって、一触即発の空気に場の緊張は高まっていく。

 

 片やサルカズでも五指に入る不滅の剣士とその部下達、片や手負いの最古の王庭。

 前者が有利な状況は変わらないが、それで慢心する彼らではない。

 

「全員、常に包囲を崩さず私に続きなさい。彼の欠片が近くにないとも限りません。その警戒も怠らないように」

 

 直属の近衛兵の体が強張る。死を前にして体を固くするなどクイサルトゥシュタにしてみれば落第もいいところだが、それでも数は武器だ。

 自分が生み出した最高峰の器は既に完成している事もあり大して苛立ちもしなかった。

 

 今はただ、粛々と敵を排すのみ。

 

「何の為に抗うというのですか?」

 

 クイサルトゥシュタは眼前に立ちはだかる変形者に問う。

 その体躯に外傷は無いが、立つのもやっとの有様。だが体の奥底が警鐘を鳴らす。

 

 見た目に騙されるなどありえない。クイサルトゥシュタは彼が最古の王庭であると心底理解している。

 だがそれ以上に、変形者はこれほど晴れやかな顔で戦いに臨む存在だったか? その違和感が胸を引っ掻く。

 

 そして、彼の記憶にない表情のままその口から放たれたとは到底思えぬ言葉に耳を疑った。

 

「決まってるだろう? 友達を助ける為さ」

 

 驚き固まる彼の前で、変形者は懐にしまっていた呪物を浮かび上がらせアーツを放った。

 

 

 

 

 

 ほどなくして、教室内は静寂に包まれた。

 変形者の最後の抵抗、それを鎮め体躯を剣で貫いたクイサルトゥシュタは対変形者用に開発していたアーツを起動した。

 

「これでしばらくは安全でしょう。術式の構築を進めておいて正解でした」

 

 無力化された変形者の前で、クイサルトゥシュタは息をつく。

 

 変形者は各欠片が独立しているのではなく、それぞれが端末として機能し意識が1つに統合されている。

 故に精神を縛る巫術を伝染させれば変形者という存在そのものを縛ることができる。その理論の元構築された封印術式。

 

 本来は魔王を捕縛する為に開発したものだったが、改良すれば応用が利く。クイサルトゥシュタのアーツがそういった操作に長じていたのも幸いした。

 

「私も不滅の身、殺せぬからといって対策が無いわけではありません。暫く眠っていてもらいましょう」

 

 不滅の者は味方にするには心強いが敵にいられると厄介だ。彼の諜報能力が失われるのは惜しいが、このまま寝返られるよりはいい。既に開戦は目の前で損なわれた戦力は今後十分に取り戻せる。そう判断した。

 

 最古の王庭はしばしの眠りに就かされた。そこに弔鐘の音はなく、残るのは数人の近衛兵の屍だけ。

 減った自らの部隊を一瞥しつつ、残る者達に指示を出し退去させる。

 

 ゆっくりと塵になっていく変形者の欠片を前にして、大した感慨も無くクイサルトゥシュタは視線を切った。

 

『彼らはこの大地に吹いた新しい風だ。精々その腐臭を吹き飛ばされるがいいさ』

「・・・」

 

 散り際に遺した彼の言葉と表情が一瞬脳裏に過る。だが、それを不可解なものと切り捨て来るべき未来に目を向ける。

 その口元は弧を描き、瞳は愉悦に歪んでいた。

 

 サルカズを縛り続けた檻は破壊され、何世代にも渡って研ぎ澄ませてきた一族の悲願は今代にて果たされる。

 哀れな鳥籠を抱える愛すべき姉上(むすめ)の胎にて、遂に最高の器が完成する。

 

 それを想像するだけで、クイサルトゥシュタには万感の思いがこみあがる。

 

「間もなくこの地は戦場となる。サルカズの新たな門出に相応しい暗雲が、ロンディニウムを覆うでしょう」

 

 サルカズにとって慣れ親しんだ生と死の坩堝。それがこの地を覆った時、サルカズは全ての者が恐れる厄災となる。

 

 彼が見上げた空の遥か先。

 ザ・シャードと飛空船が蠢いていた。




Xにて投稿しましたが、作者のオリ主のイメージです。
絵描きなんて素人なので雰囲気だけでも掴んでいただければと思います。


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