明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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一旦エピソード系入ります。

本編長くて入れられなかった話を大放出。


エピソード17 ロドスの休日3

ロンディニウム潜入作戦より数か月前

ロドス高度診察室

 

 それはとある一室での出来事だった。

 

 医療機関であるロドスには様々な設備が存在する。通常の診察室はもちろん、鉱石病患者専用の処置を行う部屋やICU(集中治療室)などその対応力は荒野を駆ける病棟とも言えるほどだ。

 この大地で猛威を振るう鉱石病、その感染者を救うため日夜研究も行われている。

 

 そしてその日。暗い部屋の中で2人の女性が機械に向き合っていた。両者の間の空気は重く、その次の言葉を躊躇っているようであった。

 

「さあ、フロストノヴァ」

「ああ」

 

 長きに渡る沈黙を一方が切り裂く。ケルシーの促すまま、フロストノヴァは手袋を外し手を伸ばした。

 その掌が向かう先には金属製の板が置かれており、いくつかのケーブルが繋がれている。触れた箇所から金属の冷たさが伝わって来た。

 

 触れたそれは特注の測定器であり、数秒の沈黙を経て結果を画面に映す。

 既に何度も試した事ではある。だが触れた本人は改めて見ても、それが現実の事とは思えずどこかぼんやりとその数値を眺めていた。

 

「やはりそうか」

 

 対してケルシーの判断は早かった。何度も検査を行い、その全てで同様の結果を示した。その時点で、ケルシーは1人の医者として、そして科学者として最終的な判定を下す他なかった。

 

 記録表への記入を終えたケルシーが口を開く。

 

「フロストノヴァ、君の体表温度がどういう訳かここ数週間で緩やかにだが上昇している。加えて深部体温にもさらに僅かだが上昇の傾向が見られる。血液検査や造影検査も一般的な鉱石病患者と同様の結果を出し、健康診断の項目も正常値だ。このような結果が何故齎されたのかは追及の余地が十分にある、何故ならばその原因となった事項を突き止めることができれば今後さらなる改善が期待できるからだ。だがそれでも今この時示された事実を無視することはできない、これは君にとって望外の福音であり1人の医者として患者の」

「長い。長すぎるぞケルシー」

 

 そのあまりにも長いケルシー構文に思わず突っ込むフロストノヴァ。

 

 世界一周りくどい話をする事で知られるケルシーは、3行に纏まる内容で3分はスピーチをする。本人が漂わせる重苦しい雰囲気もありそれを中々指摘する事が出来ないのがまた質が悪い。実際過去にそれを堂々と指摘してみせたのはロドスのエリートオペレーター達古参組とイグナスくらいのものだ。

 フロストノヴァにとってそれはもはや慣れたものではあるものの、今回ばかりは流石に止めた。それくらい、齎された事実は衝撃的だった。

 

 フロストノヴァは画面を見上げたまま微動だにしない。そこには2℃と示されており、それが今自分が測定した肌の温度だ。

 一般人の平熱が約36.5℃である事を考えれば異常な温度だが、以前はこれよりも遥かに低い温度を示していたのだ。-4℃を下回る体表は、触れただけで凍傷を引き起こしていたほどだ。

 

 もはやこの体温で生きている事が不思議なほどで、ケルシーでさえ理屈が分からないと匙を投げた特殊体質。自分から多くを奪い、そして与えた冬の呪い。

 

「このままいけば、もしかすれば君の特異体質も完全に改善されるかもしれない」

 

 ケルシーの言葉がやけに遠くに聞こえる。

 改善の兆しが訪れたと聞いても、フロストノヴァにとってはまるで夢の中の出来事だった。

 

 

 

 

 診察室を後にし、フロストノヴァは1人ロドス艦の廊下を歩く。

 

 道中、幼い子どもらがなにやら急いで向かい側から駆けてくる。それに対しフロストノヴァは壁際の隅に寄り彼らが通り過ぎるのを待った。

 無邪気に走るその後ろ姿を見送って、ようやく彼女はそこまでしなくても良かったのだと気づく。

 既にその身は短時間ならば触れ合っても問題ない程度にまで改善されたのだ。

 だが、幼少の頃から今に至るまでずっとこの身を苛み続けたそれが薄れつつあるなど、突然言われても実感が湧かなかった。

 

 どこか自分がここに立っていないような、そんなふわふわとした心地のまま目的地へと到着する。

 今日は検診後、ドクターの秘書業務を担当する事になっていた。何度も訪れた経験で、夢心地の中でも自然と到着した。

 

 

 ノックをする。だが返事が無い。仕方なく認証キーに自分のIDを触れさせれば登録されていた情報に従いドアが自動で開く。

 静かな噴射音ののち執務室に足を踏み入れれば、中の惨状が目に映った。

 

 応接用の机の上はカップ麺の器が置き去りになっており、他にも見慣れぬ様式の報告書が床にまで散らばっている。

 そして一番に目につく奥のデスクには頭1つ分の書類が山積みにされていて、その後ろに人の気配がした。

 フロストノヴァは音をたてぬようゆっくりとデスク周辺を回り、その正体が判明した。

 

「ドクター? 寝ているのか」

 

 そこには書類の山の中で突っ伏すドクターがいた。

 

 珍しい光景だ。机に突っ伏すという不健康極まりない状態であるとはいえ、彼が執務中に手を休める姿というのは中々見られない。おそらく相当無理をしたのだろう。日々のロドスの事務作業に加え個人的な鉱石病に関する研究、さらに最近はロンディニウムへの潜入作戦に関してオペレーター達と何度も意見を重ねていた。

 そっと、音を立てないよう隣に移動し様子を伺う。

 

(まったく、こんな時くらいバイザーを外したらどうなんだ)

 

 声に出さないまま呆れるフロストノヴァ。もはや彼のアイデンティティとなっているバイザー姿のまま寝息を立てる様子をしばらく見つめたのち、彼の手元からいくつかの書類を抜き取り部屋に設けられたもう1つのデスクへ持っていく。

 

 最終的にはドクターの決裁が必要とはいえ、事前に内容を把握し重要度を分けることはできる。中には秘書業務を取り仕切る者の代理印で済むものもあり、それらの分別に取りかかる。

 

 目にする報告書の内半分ほどは通常通りの内容だ。ロドス・アイランドという製薬会社の運営に関わる各種契約や見積書、それらは重要度ごとに仕分ければ後でドクターが楽になる。

 ここ数か月ですっかり慣れた作業もすぐに終わり、残った別様式の報告書を流し読む。各地で活躍する外勤オペレーター達から齎される報告書は今後の運用を決定するための大きな手掛かりであり、それらの内容をある程度まとめておく。ドクターが起き次第口頭で概要を伝えればそれで済むものもある。

 中にはロンディニウム潜入に深く関わる内容も存在し、それを目にする度フロストノヴァは眉を顰めた。どれもロンディニウムの現状の不安定さを危惧するものばかりであり、そこへの潜入は一筋縄ではいかないだろうという暗い予感が膨らんでいく。

 

「? これは何だ?」

 

 顔を険しくさせていくフロストノヴァは、そこに紛れ込んだメモのようなものを目にする。字も格式ばったものではなく内容も何というかまとまりが無い。まるで子どもが書いたような歪みも気になった。

 しばらく心当たりを探るうち、フロストノヴァはお菓子ネットワークなる単語を思い出した。同時にこれが子ども達と大人数人によって運営されるそれの子ども染みた秘密の暗号と判り顔を綻ばせる。

 微笑みを浮かべたまま、フロストノヴァはそれをそっと最重要書類の山の頂上に置いた。

 

 

 しばらく書類整理を続けたおかげで幾分かその秩序を取り戻したドクターの執務室。

 手持ち無沙汰になったフロストノヴァはもう一度ドクターの傍へ身を寄せた。

 

 いつもであれば止まってしまう距離。ちょっとした事故で他人が肌に触れてしまわないよう無意識に広げていた境界線を、ほんの僅か超えてみる。

 1cmにも満たないその距離だけで、やけにドクターの顔が近づいた気がした。

 

(もう少しだけ)

 

 少しでも反応があればすぐさま引くつもりだった。だがよほど寝入っているのか穏やかな寝息をしたままフロストノヴァの接近を許す。

 気づけばフロストノヴァはバイザーの奥を薄っすらと覗けるほどまでに顔を寄せていた。

 

 以前食堂でも見た顔だ。だがあの時とは違いこちらを包み込むような眼差しは伏せられ、緩んだ目元はどこか庇護欲をそそった。

 

 無意識にフロストノヴァは手を伸ばす。

 フード越しならばこの冷たさも伝わらないだろう、そんな考えが伸ばす手を後押しする。それを自覚し、どうやら自分でも思いがけない吉報に浮かれているようだと自嘲する。でなければこんな言い訳染みた理由を思い浮かべる事も無かっただろう。

 

 だが触れたい。その熱を感じたい。その思いに気付いてしまえば、どれだけ自分がこの男に心を許しているのか再認識させられるようで頬が赤らむ。雪のように白い肌は隠された本音を隠すにはあまりにも心許ない。フロストノヴァはどうか今だけは起きないでくれと心底祈った。

 

 そうして何度か頭頂部を掌が往復した頃、フロストノヴァはいっそこんなところで寝てしまっているドクターが悪いのだと心で言い訳し始めた。

 

 彼が無茶をして働き詰めたりしなければ勤務中に居眠りをすることも無かった。そうなれば自分がそんな彼の無防備な姿を目にすることも無く、それについ魔が差すようなこともなかったのだ。

 誰に言うでもない屁理屈をこねあげ、フロストノヴァは突っ伏したままのドクターを撫でる。

 

「・・・ふふ、仕方のない奴め」

 

 口ではそう言いながら悪い気はしないのがもう手遅れなんだろう。

 戦場ではどこまでも冷静に大局を見据え仲間を勝利に導く指揮官である彼の、そんな弱い姿をもっと見せて欲しい。そう思ってしまう。

 

 子どものように素直な彼の姿に、まだ西北凍原にいた頃を思い出す。

 あの頃は頻繁に子ども達にせがまれていた子守唄も、最近は子ども達も大きくなりあまり歌う事も無くなった。懐かしむ感覚に引かれ、自然と口が開いた。

 

「~~~~♪」

 

 ゆっくりと、穏やかな歌声が執務室を包み込む。

 アーツの儀式詠唱とは違い、どこまでも安らかに眠れと願う子守唄。

 

 撫でる掌からは慈しみが溢れ、見守る瞳は愛しさに満ちている。

 その姿は聖母のように温かく穏やかだった。

 

―ところで。聴覚はたとえ意識が無くとも機能しているらしい。

 

 眠るドクターの耳に、フロストノヴァの歌声が届く。

 その歌をドクターは知らない。それでもどこか、懐かしくて泣きたくなるような歌だった。

 過去を忘れたはずの彼。それでも生まれてすぐ聞いていたのではないか、そんな心地にさせる声音にドクターの目がゆっくりと開く。

 見上げた先で誰かが自分を見下ろしていて、暗闇に慣れた目は光に順応するまで時間がかかっているのかぼやけた視界が徐々に輪郭を帯びていく。

 

 照明に照らされたその顔を見て、寝起きで夢うつつのまま呟く。

 

「・・・白くて、雪みたいだ・・」

 

 ドクターの手が持ち上がる。いつもよりほんの僅かだけ近いその距離に焦点が合っていない。

 それはさながら幼子が飛び回る蝶に手を伸ばすように、何の躊躇もなく彼女の頬に触れる。フロストノヴァもあまりに突然の出来事に意識を奪われ静止の声が遅れた。

 

 幸い、触れたのはごく一瞬。

 ドクターが手袋をしていたのもあり氷を素手で掴んだ程度の冷たさしか感じなかった。

 

 そのひんやりとした感触にドクターの意識が覚醒する。

 目の前の人物が誰なのか。自分が何をしているのか。ようやく把握したドクターはまるでバネのように跳ね起きた。

 

「!! すまない! 綺麗だと思ってつい! ・・・っ」

 

 咄嗟に手を離し謝罪するドクターだったが、寝起きの頭でするりと出た率直過ぎる言葉でさらに墓穴を掘る。

 

 動揺し口を押さえる姿にフロストノヴァは罵倒を返す。

 

「・・・ばかもの」

 

 目を逸らして言い放つそれは、蚊の鳴くような声だった。

 

 

 

 

 それ以来、妙にギクシャクした雰囲気の中2人は残る業務を片付けにかかる。

 仕事に忙殺されるという出来事に感謝したのはおそらくこの時だけだろう。そして時間が解決してくれるという誰かの格言の通り、1つ休憩を挟もうとコーヒーを淹れた頃にはその気まずさも大分薄れていた。

 

「まったく。自分の体調も管理できないからあのような醜態を晒すのだ」

「・・・申し訳ない」

 

 縮こまるドクターに対し、フロストノヴァはやや呆れ気味だった。その顔に言葉ほどの怒気はなく、しょうがない奴だとでも言わんばかりの笑みを浮かべている。

 

「なんだろう。あの時手を伸ばしてしまったのはおそらく、君と誰かの面影が重なって見えたからだ」

 

 だからこそ、続く彼の言葉にフロストノヴァは面食らった。

 ドクターは記憶喪失だ。これまでどれだけ手を尽くしてもアーミヤと出会った時の事さえ思い出せない。フロストノヴァには話していないが、僅かに思い出せたこともある。だがそれも、白衣を纏った女性がアーミヤが自分を助け出してくれた時と同じように石棺で横たわる自分の手を優しく握ってくれた場面。そしてプリースティスという単語だけ。

 

 にも関わらず、ドクターはそれを懐かしいと感じたのだ。

 

「私に過去の記憶はない。だが先程君を見上げた時、きっと母親はあんな顔をしていたんだろうなと思った」

 

 自分が人間である以上、両親は必ず存在する。名前も顔もどんな人物だったかもわからない彼ら。

 

 だが思い出が無くとも、きっとそうに違いないと思える。

 母が子を見つめる時、きっとその瞳はあんな風に温かいのだと。

 

 自分を見下ろす彼女の姿を思い返し、ドクターは思うままを口に出した。

 

「君はきっと、いい母親になるだろうな」

「・・・お前は父親としてはダメかもしれんな。子どもを甘やかす未来しか見えん」

 

 口ではそう言いながら、フロストノヴァは心が何かで温かく包み込まれるように感じた。

 かつて西北凍原にいた頃、感染者だった自分達が人間扱いされることはなかった。当然、誰かと血のつながった家族となるなど夢のまた夢。

 

 だがドクターは心からそう思ってくれている。自分を魅力ある1人の女性として見てくれている。それが伝わってきて今にも小躍りしたくなってくる。

 

 そんな思いを隠しながらふふ、と笑うフロストノヴァにドクターが反論する。

 

「そんな事は無い」

「どうかな? 私がしかりつけたあと、泣く子を抱きしめ優しく諭す姿が目に浮かぶ」

「それは・・・」

 

 ドクターが言い淀む。それが簡単に想像できてしまったのだろう。

 それがまた可笑しくて、フロストノヴァは堪えきれず笑ってしまう。

 

 だからこそ。フロストノヴァは軽い調子でそれを打ち明けた。

 

「何だって?」

「私の体質が最近改善の傾向にある」

 

 一度聴いて、それでも信じられずつい聞き返すドクターにフロストノヴァは再び告げる。

 その意味するところを理解したのか、ドクターは突如身を乗り出して対面の彼女に問いただした。

 

「本当か!?」

「ああ。このままいけば、いつかは誰かと何の気兼ねなく抱きしめ合う事ができるかもしれん」

 

 穏やかに言うフロストノヴァに、ドクターは応接用のソファに座りこむ。

 

「よかった」

 

 絞り出すような言葉だった。その事実を噛みしめたドクターは再度身を乗り出した。

 

「君のその願い、私が叶える。全力を尽くすと誓う」

 

 真摯な約束を前に、フロストノヴァは一瞬呆気にとられたあと笑った。

 危うく、勘違いをするところだったからだ。

 

 きっとその言葉はあくまでも鉱石病研究者としての言葉だったのだろう。フロストノヴァはそう思う。かつて自分に語ったように、全ての感染者を救うついでに私も救って見せると。

 だがそれでいい。今は目の前の問題を解決してからだ。色恋などにかまける暇はない。

 

 

 それでもいつか、この体から冬の呪いが遠のいたとして。

 

 最初に分け合う熱は、お前のものがいい。

 

 

 そんな想いを胸に秘め、フロストノヴァは小さく微笑みドクターを揶揄う。

 

「そうだな。そうなれるかはお前次第だ、期待しているぞ?」

 

 その笑顔があまりにも綺麗で、ドクターはつい見惚れてしまった。

 





予告:
大変、スノーデビル1号君の身に何が?!
犯人は誰? 容疑者はとあるフェリーン? ロドス艦という密室の中で、どんなトリックが? 今こそ君の出番だ、ヴィクトリア王室探偵(自称)メイ!

というわけで、内なるカプ厨を解放します。

次回「ロドスの休日4」
お楽しみに!
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