明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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少し説明回です。


第六十六話 反撃の狼煙

 鉄の階段を上り下りする音が吹き抜けの空間を木霊する。

 枝葉のように伸びた通路を行くパイプはまるで葉脈のよう。人々が行き交い、その息遣いがパイプを伝って広がっていく。

 

 ロンディニウムの地下迷宮。自救軍の本拠地として機能しているそこは今、かつてないほどの忙しなさを見せていた。

 

 パトリオットとロスモンティス、そして多くの仲間達の献身の末ロドスは絶体絶命のピンチを切り抜けた。

 あの後、地上へと墜落したパトリオットを介抱する彼らの上でカズデル軍事委員会の秘密兵器である飛空船は追撃をすることは無かった。パトリオットの渾身の一撃によって船底に被害を受けた飛空船は少ししたのち黒煙を後に残しながらザ・シャードへと戻っていった。

 

 ドクターはそれを見て、軍事委員会はしばらくその修繕に時を使うだろうと予測。彼らの決死の抵抗は、ヴィクトリアへ迫る決戦を僅かに先伸ばしたのだ。その時間を無駄にするわけにはいかないと、ドクターは都市防衛軍司令塔に集まっていた戦力を早急に地下に避難させ、今後の計画について思案する。

 

 

 場所は自救軍の作戦室。ホワイトボードに囲まれた大机を大勢が囲んでいる。机に広げられたロンディニウムの地図は各勢力の配置や偵察で得た情報を写した紙で埋め尽くされていて、その膨大な情報の海に脳を浸し、戦場という波の流れを正確に読み取る事は容易ではない。ドクターを除けば。

 

 重苦しい沈黙が場を支配する中、ドクターの周囲は一層の触れ難さが漂っていた。その思考を妨げるのが憚られるような、伝わってくる言いようのない圧迫感があった。

 無論、アーミヤやケルシー、フロストノヴァらにとってはそれは慣れ親しんだものだ。チェルノボーグでの天災脱出、龍門でのレユニオン騒動、その他のいくつもの事件を前にドクターはその指揮能力を以て事態を解決に導いてきた。

 

 だがそれに全幅の信頼を置けるほど自救軍は彼と時を同じくしていない。顎に手を当てたまま沈黙を保つ姿を見続けては尚の事だろう。

 大規模な市街地での戦闘によってライフラインもいくつかダウンしたようで、天井から吊るされた照明が時折消えては点いてを繰り返す。

 今後の行く先に対する不安を煽るようなそれを晴らそうと自救軍の長クロヴィシアが意を決して長い沈黙を破った。

 

「さて。こうしてまた全員で集まれたことを嬉しく思う。私達は都市防衛軍司令塔をサルカズの手から奪い返し、奴らの補給路の情報についても暴くことができた。ロンディニウム奪還において大きな成果を上げたと言っていいだろう」

 

 アーミヤ達によるブラッドブルードの大君の迎撃に加え、別動隊として司令塔内のサーバーにハッキングをかけていたクロージャとドクターも無事任務を達成していた。サルカズの物資の輸送の痕跡のうち、明らかに不自然に途切れる場所を発見したのだ。その場所の攻略が叶えば軍事委員会の動きをさらに鈍らせる事もできるだろう。自救軍の一部からささやかな歓声が上がった。

 無論ここまで戦況を覆すことができたのは間違いなくロドスとレユニオンの加勢のおかげだ。だが今それを敢えて述べる必要はない。既に彼らは一蓮托生、この場の全員の協力が無ければ成し得なかったことなのだから。

 

 その思いを共有しているからこそ、会議室は一体感に包まれる。

 

「クロヴィシアさんの言う通りです。今、私達は岐路に立たされています。ですが風は私達に吹いています」

 

 クロヴィシアの言葉を引き継ぎ、アーミヤがその場の皆を奮い立たせる。

 流れは今、自分達が掴んでいる。その実感とアーミヤの力強さが皆に勇気を与える。

 

「だからこそ、我々はより綿密な計画の下その流れを確実に掴まねばならない。そうだな?」

「ああ」

 

 ケルシーの忠告にドクターが答える。その言葉に作戦室の空気が引き締まった。

 実際、片づけるべき事は山積みだ。

 

 

 ロドス一行がテレシスらを撤退させた後。屋上にはロドス一行の他に都市防衛軍の兵士達、そして彼らの指揮官であるレト中佐が取り残された。彼らは敵であるはずのロドスを追撃するでもなく、かと言ってサルカズへの反旗を翻すでもない。ただ目の前の状況を理解するのを拒んでいるのか、茫然としていた。

 

 都市防衛軍とて心から軍事委員会に尽くしていたわけではない。それでも内乱ののちロンディニウムを掌握し始めた彼らに早々に投降、服従したのは彼らにも守りたい存在がいたからだ。

 士官の家族、寝たきりの母やまだ5歳にもなっていない子ども達。彼らがサルカズの振るう暴力の餌食にならないよう、裏切り者と罵られ誇りを汚してでもそれに従った。

 

 その結果がこれだ。サルカズは空で自分達を見下ろす飛空船の砲撃で諸共焼き払おうとした。つまり、自分達は用済みとなった。

 そうなれば、彼らが守りたかった者達はどうなる? 平然と街中に移動艦すら撃墜するほどの砲撃を放つ彼らが手心を加えるだろうか。

 

 兵士達も心のどこかで気付いていた、そんな最悪の未来の到来に絶望してしまうのも無理はない。そして彼らの意を汲みヴィクトリア軍人としてあるまじき命令を自ら下した指揮官に至っては立つことすら出来ずその場に崩れ落ちた。

 屋上へと駆けつけた部下達がその肩を支えるが、その顔からはもはや全ての望みが抜け落ちていた。

 

「レト中佐・・・」

「笑うがいい。もはや私は抜け殻だ。この血肉を憎き怨敵に捧げた哀れな道化だ」

 

 力ない自嘲を最後に、レトはがくりと項垂れた。もう、疲れ切ったのだろう。

 彼は折衝役として大君の傍にいる事が多かった。あの重圧と狂気に晒されながら部下を庇い続けていればどれだけ精強な軍人であろうと精神が擦り切れる。

 そんなぎりぎりの状態だった彼を支えていた糸は、大君の言葉で見事切り落とされてしまったのだ。

 

 糸の切れた人形のような彼を、アーミヤは見下ろす。

 

「立ってください」

 

 そして無慈悲にも言った。

 

「何の意味がある? もはやこの地が戦場となるのは避けられん」

「それでもです。少なくともそうやって床に臥す事が貴方のするべき事ではないはずです。ここにはまだ、取り残された大勢の市民がいます。武器も持てない、貴方達が救い守ると誓ったはずの人々の命が脅かされているんです」

「・・・」

「まだ、貴方達にはできる事があります。目を背けてはいけません、レト中佐」

 

 レトはそうしてようやく自らの前に立つ娘を見た。自分より一回りも二回りも年の離れた少女のはずだ。

 だがその眼光は歴戦の軍人ですら気圧される何かがあった。

 

「抗う事を諦めてはいけません。その手にまだ、守りたい誰かの存在があるのなら」

 

 それは既に一度失ったアーミヤだからこその言葉だった。

 

 

 それを最後に、アーミヤ達は都市防衛軍司令塔を去った。

 

 彼ら都市防衛軍が今後どう動くかは分からない。こちらに合流してともに戦ってくれるのであれば嬉しいが、そうと断言できないまま自救軍の急所を晒す事は得策とは言えずそのまま置いてきてしまった。無いと言いたいがテレシスらの慈悲を期待してこちらの情報を売る可能性もあるのだ。確信を持てるまで距離を取る選択をドクターは取った。

 

「そうか、レトが・・・」

 

 クロヴィシアがその顛末を聞いて口を閉じる。彼女とレト中佐は旧知の仲であったのは以前聞いていた。

 そんな彼の疲弊しきった姿に、彼女は何を思ったのだろうか。アーミヤが声を掛けようとしたが、クロヴィシアは既に切り替えていて次の懸念点をドクターに問う。

 

「して、次の問題点は何だ?」

「軍事委員会側は情報戦において大きなアドバンテージを失ったと言えるだろう。都市防衛軍との繋がりも今まで通りとはいかず、何より最大の脅威であった変形者はもういない」

 

 ドクターがイグナスを見遣る。別行動をしていたイグナスとLogosはその務めを見事やり遂げた。イグナスの望む形とは若干かけ離れたものの、潜入されるなどして唐突に奇襲される可能性を消すことができたのはかなり大きい。もしそうなっていれば、最悪の場合ロドスと自救軍はここロンディニウムを一時離れる事態にすら陥っていただろう。

 

 龍門でのレユニオンのように正体の掴めぬ内通者に怯える必要はない。自救軍は満を持してロンディニウムでの活動に専念できる。

 諸手を上げて歓迎すべき状況のはずだが、こうなったからこそドクターは懸念すべき展開を予測していた。

 

「彼らはもう搦手に頼ることはない。だからこそ、今後はより力押しの戦法を取ってくるはずだ」

 

 ここまで来て今更彼らがロンディニウムの生活を最低限度保証する事はないだろう。生かさず殺さずその国力を吸い上げて戦争に備える時期は終わった。彼らは今度こそ、このロンディニウムを暴力で包むつもりだ。

 その序章は既に始まっている。

 

「あの飛空船か?」

「そうだ。あれが再び起動すれば今度こそこちらは窮地に追い込まれる」

 

 その場の全員が先程の鮮烈な場面を思い返す。

 都市防衛自走砲に囲まれあわや全滅かと覚悟させられたあの戦場。パトリオットらの尽力によりどうにか退けはしたもののその脅威は依然として残っている。

 

 一撃だ。

 主砲から放たれた一発の砲弾で、レユニオンの最高戦力が戦闘不能にされた。

 

 その身を賭して砲撃を受け止めたパトリオットは自救軍の医務室で今も治療を受けている。盾を含む装備の6割が破損し、本人も大怪我を負った。前線への復帰は難しく思われる。

 それ以外にも自走砲による包囲を崩すために戦った者の中には重篤な負傷を負った者もいて、マンフレッド配下のサルカズ兵と戦い殉死した者もいる。

 その治療のためロンディニウムの地下迷宮の一角では今も衛生兵もどきが慌ただしく動き回っている。

 

 

 地上戦力への対処だけでこれだけの被害が出たのだ。そんな中もし再びあれが起動すれば、こちらは一方的に空の脅威に怯えることになる。しかも状況を悪化させる要因はそれだけに留まらない。

 

 それを説明しようと1人のサルカズが手を挙げる。色白の細い指が自然と注目を集めた。

 

 モノクロの装束に白い角を生やした彼女はつい先程ロドスへと合流したシャイニングだった。

 仲間であるナイチンゲールを蝕む病の治療のため、袂を分かった実家である聴罪師のもとを訪れ結果として決裂したシャイニングは騒ぎを聞きつけ自走砲による包囲の突破に加わっていた。

 

 そこで目を疑うほどの強さを見せつけた事もあり、発言を遮る者はいない。

 

「サルカズの巫術は多かれ少なかれ生と死の循環に深く関わっています。この地が戦火に包まれれば、それだけ彼らにとって有利に働くでしょう」

「そんな・・・」

 

 誰かの嘆きが作戦室を木霊する。中には戦意を萎ませるわけにはいかないと気丈に振る舞う者もいたが、彼らの脳裏にはサルカズについての身も凍るような噂が過っていた。

 彼らが魔族と呼ばれる所以。戦場を住処とし生きる血を啜って来たという傭兵の噂話は何も彼らを貶める為だけの言葉ではない。もはや種族単位で傭兵として生きてきた彼らはまさしく暴力の化身となりつつあるのだ。

 

 自救軍はサルカズに支配されたロンディニウムにあってなお抵抗を続けた勇気ある者達の集まりだ。だがその殆どはそれまで武器を手にしたことも無かった一般市民。

 これまでのレジスタンス活動とは次元が違う。大気が全て血と腐臭に置き換わったかのような重苦しさは誰もが感じていて、だがそれこそが戦場の臭いと実感している者はそう多くない。

 漠然とした不安が肩に圧し掛かり彼らの体を強張らせていた。

 

「流れ落ちる血はブラッドブルードの大君に飲み干され、骸はナハツェーラーの糧となる。戦場そのものが彼らにとっての儀式場なのです」

 

 そう締めくくるシャイニングの言葉に異議を唱える者は1人としていない。

 これまで相対してきた彼らの血に慣れた雰囲気、そして先程の大規模な戦闘。シャイニングの言葉を大袈裟だと笑い飛ばすにはそれらはあまりにも痛烈過ぎた。

 

 

 状況の厳しさを認識し、作戦室の空気が重くなる。

 時間をかける事はできない。戦の火蓋が切られればここに残された市民は何の抵抗もできないまま犠牲となり、それに伴って雪だるま式に敵の脅威は拡大していく。

 

 そしてもう1つ問題があった。

 ドクターが指差す先。その場の全員の視線が地図上に立てられた1つの塔のオブジェクトに向けられる。

 飛空船以外にもう1つ。戦禍を引き起こすものが存在する。

 

「ザ・シャード。天災を人為的に引き起こすここを何としても抑えなければ」

 

 今までずっと沈黙を保っていた前代未聞の戦略兵器。まだ起動した姿を拝んだことは無いが、既にいつでも起動できる可能性は否定できない。フェイストの生まれ故郷であるハイベリー区の工場では、つい先日監督者である熟練の機械工が処刑されかけたのだ。それはその力がもう必要ない段階にまで進んでいるとも解釈できる。

 

 サルカズにとって鉱石病とは慣れ親しんだもの、だがそれ以外の種族からすれば致死の病だ。戦場が天災に見舞われれば軍は混乱し何の備えも無い民は死を待つしかない。もし仮に軍事委員会を打倒したとしても夥しい量の感染者が生まれ、ヴィクトリアは苦しめられることになるだろう。

 

 鉱石病への恐怖は皆に等しく刻まれていて。だからこそ、作戦室の多くの視線はそれを払いうる唯一の可能性へと注がれた。

 

 シージが腰にした剣を鞘から抜く。

 未だ穢れを知らぬその刀身が照明の光を反射する。その光をシージはしばらく眺め続けた。

 

 傍から見れば確かに国剣に相応しい意匠が施された美しい剣だ。

 だがその刀身は彼らの不安を取り除くにはあまりにも細く頼りない。本当にこんな棒切れが? 口には出さないながらも皆の胸中ではそんな不安が拭えなかった。

 

「いっそ、その剣で天災を斬り払えれば良いのだがな」

「ヴィーナ、ほんとに何も感じないのか?」

 

 ダグザが縋るような目でシージを見つめる。

 だがシージがいくらその剣を見つめても何か強大な力を感じるといった事はなく、磨き上げられた刀身が鏡のように自分の顔を映すばかり。

 シージにはそれがまるで特別なものは無いのだと、「諸王の息」が答えているかのように感じた。

 

「・・・」

「なあ、やっぱりデマだったんじゃねえのか!?」

「ねえよしなって」

「じゃなきゃおかしいだろ! 俺達だって馬鹿じゃねえ。剣一本で天災をどうこうできるなんて御伽噺を馬鹿正直に信じる程ガキじゃねえんだよ!」

 

 いきり立つインドラをモーガンがたしなめる。直情的なインドラと、グラスゴーをまとめ支えるモーガンのこのようなやり取りは見慣れたものだ。だがこの場に限って言えば、それが不安を煽るようなものでしかない事をモーガンらは認識していた。

 だからこそ、この場で最も事態を把握しているだろうアラデルが声を上げた。

 

「ごめんなさい。私も、詳しく知っているわけではないの。ただその剣を使えば天災を退ける事はできる、それは本当の事よ」

「何を根拠に」

「蒸気騎士の誇りとカンバーランドの名、そして私の命にかけて」

 

 インドラも地下墓での裏切りを忘れたわけではない。ボスと仰ぐシージの決定でその件については内密にし不問にふす事になっているものの、一度自分達の信頼を裏切りかけたアラデルに対しインドラは厳しい。

 だが言い募ろうとしたインドラも、覚悟の籠った瞳で見つめ返されれば何も言えない。

 あの孤独な空間でひたすらに耐え続けた蒸気騎士が託した物が、意味の無い物のはずがない。その思いはあの場にいた全員共通の思いだったから。

 

 それに、とイグナスは内心考える。

 

 事実、カスター公爵はこの国剣を狙っていたのだ。態々シージ達の不興を買い、アラデルという手駒を使うリスクを冒してまで。原作でも彼女の用意周到さ、有能さは嫌という程描かれていた。そんな彼女が象徴としてしか使えない只の棒切れ一本にそこまでの労力を払うとは考えにくい。

 

(おそらく何かギミックがある。あるいはこれ単体では使えない、それかこれがいわゆる鍵の役割を果たしているか・・・)

 

 何にせよ、「諸王の息」には彼女がこだわるだけの何かがある。それがこの剣にまつわる伝説と無関係とは考えにくい。

 ドクターもそれに思い至っていたのか、「諸王の息」には価値があると判断したようだった。そして、それを正しく活かすための手段にまで。

 

「諸王の息については現状情報が足りない。だが、その全容について知っている人物が必ずいる。そしてその可能性が最も高いのは変わらず外にいるヴィクトリアの大公爵達だ」

 

 特に前国王と親戚関係にあったカスター公爵は王家にまつわるそれらについて詳しいだろう。そしてロンディニウムからサルカズを撤退させるには彼ら大公爵達の力が必要な以上、いずれは彼女らと向き合う事になるのだ。

 

 結局、論点はそこに収束する。

 そして、その為に自分達がするべき事も変わらない。

 

 

「ザ・シャードと飛空船。この2つの脅威がある限り、外の公爵達は手を出そうとはしないだろう」

 

 出る杭は打たれると言うが、間違いなく最初に近づいた移動戦艦は標的にされる。それが分かっているからこそ、公爵家が持ち出してきた移動戦艦はロンディニウムから距離を取ったまま動かない。

 

「そこで、その2つをこちらで事前に押さえる。そうすれば彼らが首都を奪還するのを妨げるものはない」

 

 ドクターが塔のオブジェクトと飛空船の模型を掴む。

 外からが駄目なら内から。初手の貧乏くじを除いてやれば、リスクとリターンの天秤は首都奪還へと傾くだろう。むしろロンディニウムを救った英雄の座を手にせんと彼らが我先にと競ってくれるはずだ。

 

 ドクターが示した方針に、しかし自救軍の指揮官としてクロヴィシアが否を示した。

 

「そんなに簡単に公爵達が乗ってくるだろうか?」

 

 クロヴィシアが懸念するのも無理はない。これまでどれだけ自救軍が窮地に追い込まれようと手を出してこなかったのだ。彼らの公爵家に対する信用ははっきり言ってそこまでない。

 だがそれにイグナスが問題ないと答えた。

 

「それに関しては俺に任せてくれ。いい考えがある」

「考えだと?」

 

 怪訝な顔をするクロヴィシア達に、イグナスは胸を張って堂々と言った。

 

「ロンディニウムに乗り込んできたのは何も俺達だけじゃない。あいつらには色々やってもらっててな、そろそろ成果が出るはずだ。外でだんまり決めてる腰の重たい連中も、それで乗ってくるはずだ」

「いつの間に・・・」

 

 ドクターが若干呆れつつ、その言葉を疑う事はない。

 公爵家を交渉のテーブルに立たせる事はこれで可能となった。

 

「大丈夫なのか?」

「そこは俺の華麗な交渉術に期待しておいてくれ」

 

 軽いウインクでクロヴィシアにそう返すイグナス。重苦しい雰囲気に似つかわしくないそれが場の雰囲気を和ませ作戦室に微かに笑い声が上がった。

 

 

 対処すべき事項は整理し終えた。

 

 軍事委員会が抱える秘密の補給路の調査及びその破壊。

 飛空船を破壊する事。

 ザ・シャードの起動を阻止する事。

 

 その3つを作戦目標とし、どこに誰を送るか。それについて議論が重ねられる。

 ドクターによる最終的な采配も終わり、彼らは再び地図に目を向けた。

 

「ロンディニウム周辺の状況は?」

「カスター公爵家、ウィンダミア公爵家、ウェリントン公爵家の3つが移動艦を出しています。そして、外に出ていたはずのナハツェーラー軍もです」

 

 地図の上に3つの移動艦の模型と軍勢を示す凸型のオブジェクトが置かれる。

 未だ様子見を続ける公爵軍。そのどれもがヴィクトリアの中でも覇権に近い者達だ。

 

 カスター公爵は情報戦に強くまた前国王の親戚筋。ウィンダミア公爵はリターニアとの戦争で武功を挙げたヴィクトリアの二大武闘派貴族の1つ。そして最後にもう1つの武闘派貴族、アイアンガードと称された叩き上げの軍人でもあるウェリントン公爵。また、ウェリントン公爵はターラーの後ろ盾となっており当然そのリーダーであるドラコの末裔も参戦してくるだろう。

 

 地図の配置を見るに武闘派2人がやや先走っているといったところ。

 そして彼らとロンディニウムを遮るように立つのはナハツェーラーの軍勢だ。

 

 彼らがいる限り、下手に攻めきれないのだろう。拠点を守っているといえば聞こえはいいが、ロンディニウムは公爵軍にとって人質でもある。

 無理に攻めればロンディニウム内すら戦火に巻き込む可能性があり、そうなれば例え軍事委員会を退けたとしてもロンディニウム市民からの印象は悪くなる。彼らの目的からは大きく遠ざかる事だろう。

 

 その配置によくここまで均衡を保ってきたものだとドクターは感心していた。カズデル軍事委員会側もそれを承知でむしろバランスを崩さず時間稼ぎに徹してきた。その手腕はこんなところでなければ賞賛したいところだが、この睨み合いを崩さなければいよいよもって軍備を整えつつあるカズデル軍事委員会の1人勝ちとなってしまう。

 彼らをどう誘い出すか。その手腕が試されている。

 

 

 敵を読み、己を知り、大局を見据え決を下した。

 後は人事を尽くすのみ。

 

 ドクターの役目は終わった。だからこそドクターは一歩下がる。その代わりに前に進み出たアーミヤは、机を囲む全員を見渡し口を開く。

 

「これまで、多くの危機が私達を襲いました。サルカズによる抑圧と粛清。ですが自救軍の皆さんはそれに挫けることなく自由を勝ち取ろうと立ち上がった誇りある方達です」

 

 唐突なそれに自救軍の戦士が顎を引く。でなければ、自分よりも一回り幼い少女の言葉に感極まって涙を零していただろう。

 続いて剣を鞘に納めたシージが前に出る。

 

「君達に私の出自を打ち明けた時、戸惑った者もいただろう。正直な話、私自身がその事実を受け止められていなかった。この体を流れる血と家名、それに見合う何かを私は持てずにいた。だが今は違う。この名を、アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリアの重みを背負い、私は先陣を切ろう。それが特別なものなど無くともその勇気だけでここに集った君達に報いる方法と信じて」

 

 溢れかけた涙は引っ込み、行き場を失った感情が拳を震わせる。

 そしてタルラが前に出る。

 

「感染者の自衛組織である我々が、ここまでこの事態に介入する事に疑念を抱いている者はいるだろうか? 私達はこれまで幾度もその背中を預け合い、助け合った。そこに鉱石病の有無は関係していただろうか? 私は無いと信じたい。そこにこそ我らレユニオンの理想への足掛かりがある。いつか我らが何の蟠りも無く祝福の抱擁を交わせる時が来るまで、レユニオンは戦い続ける。その戦友たる君達とともに、我らは今日大きな一歩を踏み出すだろう!」

 

 拳の震えはやがて全身を伝い、体を震わせる。

 

 それは頼もしい彼女らに報いたいと感じる彼らの心が生んだ武者震い。

 それは今か今かと解放の時を待っていた。

 

「皆さん。どうか力を合わせ、この苦難を乗り越えて、ロンディニウムをこの手に掴み取りましょう!」

 

 アーミヤ達が拳を振り上げ重ねる。

 

 直後、地下迷宮が一際大きく轟いた。

 ロンディニウムが、雄たけびを上げたのだ。

 

 

 

 

「シャイニングさん」

「どうしましたか?」

 

 決起を誓った会議が終わり熱の冷めやらぬ間、イグナスがシャイニングを呼び止める。

 

「そっちは、聴罪師と決着をつけるんでしょう?」

「・・・はい。これは私の罪。だからこそこの手で彼を討ち取ります」

 

 彼女の意思は固かった。例えそれによって自分の身がどうなってしまうか知っていても。

 シャイニングは死ぬ覚悟だった。クイサルトゥシュタを剣で貫き、その胎に寄生した奴の魂を道連れに一族を縛り付けてきた呪いを自らの代で終わりにすると言う。

 

「シャイニングさん・・・」

 

 彼女のすぐ傍でナイチンゲールが袖を掴む。だが心配気に揺らぐその瞳を受け止めはしてもそれでシャイニングが引く事はない。ただ申し訳なさそうに眉を落とすだけだった。

 

「リズ、ごめんなさい。あなたにこれまで多くの苦行を強いてきました。それも全てあの日までの私が招いたことです」

 

 ナイチンゲールの手を、シャイニングは両の手で優しく包み込んだ。

 聴罪師の一族に生まれ、歴代最高の器と称えられ、命を奪うだけの剣を修め、非道な実験に加担した。

 その被検体であったリズを憐み、全てを捨てて彼女を実験場から連れ出した。その後は放浪の使徒として各地の人々を救って回った。

 

 それはシャイニングにとって贖罪の旅だった。だが結局、犯した罪が消える事はない。

 こうして過去は現在に追いつき、リズの体を蝕んでいる。鉱石病とも違う未知の症状によって彼女は苦しみ続け、今では自力で立つ事すらままならない。

 

 車椅子に座る彼女を見る度、自身を責めずにはいられない。手を尽くせと、心の奥底から聞こえてくる。

 

(リズを癒し、過去の罪業を禊ぐことが出来るのなら、私は)

 

「怖い顔してますよ、シャイニングさん」

 

 シャイニングがはっとする。

 

「! ・・・そこまでではないでしょう?」

「いつも優しい顔してるんですから。そんな強張ってたら分かりますよ」

「・・・」

 

 言葉の出ない彼女にイグナスは呆れた顔をした。

 

「誰かを頼れって。そう言われませんでした?」

「・・・ええ、言われましたね」

 

 1人だけではない。リズにも、同じ仲間であるニアールにも、そして目の前にいる彼とその父にも。

 

 シャイニングを案じる人々はいつだって眩しくて、温かい。こんな自分が触れていいのかと、そう躊躇ってしまうほどに。

 

「なら頼ってくださいよ。あなたが絆を結んだ人達は、それで折れる程ヤワじゃない」

「・・・」

 

 そう言われても一歩を踏み出す事ができない。

 そんな彼女にイグナスはとっておきを披露した。

 

「なら俺から1つ提案がある。上手くいけばクイサルトゥシュタを、誰の犠牲も無く滅ぼせるかもしれない」

「本当ですか!」

 

 唐突な大声に目を丸くする2人。何故ならその声の主は、車椅子から転げ落ちそうなほど身を乗り出したナイチンゲールだったからだ。

 

「ただいくつか懸念事項があるし、多分2人には負担をかけることになる」

「構いません。教えてください!」

「リズ・・・」

 

 懇願するナイチンゲールに言葉を失うシャイニング。

 あなたがこれ以上苦しむことは無いのだと、そう口にしようとした。

 だがそれをナイチンゲール自身が遮った。

 

「シャイニングさん。私は貴女の仲間です。決して守るべき弱者ではありません」

 

 車椅子に座る彼女の目線はそれだけ低い。だからこそ、シャイニングの前髪に遮られる事無くその瞳は真っ直ぐシャイニングを捉える。下から見上げる碧い宝石のようなそれは揺らがない。

 同じ使徒として、平和を目指す者の一員としての覚悟をナイチンゲールは示した。

 

「・・・ここまで言ってるんですよ?」

「・・・そうですね。仲間を信じる事の大切さを、私は彼らから学んだはずなのに。それを忘れるところでした」

 

 ナイチンゲールの顔が晴れる。

 彼女に笑みを返しながら、シャイニングはもう一度イグナスを見据えた。

 

「イグナスさん、教えてください。彼を滅ぼすその方法を」

 

 

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