明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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第六十八話 揺るがぬ誓いをここに

 

「何故ウィンダミア嬢がここに・・・」

「それは私が先程までノーポート区にいたからですよ、カスター公爵の間者さん?」

 

 思わず口に出すグレーシルクハット。そんな彼に彼女、デルフィーン・ウィンダミアは告げる。

 

 ウィンダミア公爵家。それはヴィクトリアの八大公爵家の中でも一、二を争う武闘派貴族。そしてヴィクトリアの玉座に最も近い三家の一つ、ウェリントンとカスターに並ぶ大物だ。そしてそれはつまり、今のロンディニウムを囲む大艦隊の内の1つであるという事。

 現当主であるアンフェリス・ウィンダミア、彼女の率いる私兵隊はヴィクトリア屈指の実力を持ちリターニアとの戦争で巫王を光のアーツで切り裂いたという。そんな彼女らはヴィクトリアの誇る二振りの剣の片割れとして名高い。

 

 そんな一大勢力の重要人物が突然目の前に現れてさぞ混乱している事だろう。

 そしてその混乱こそ、俺が待ち望んでいたものだ。

 

「ここに俺達が乗り込んだ時、やけに多いと思わなかったか?」

 

 俺は自信満々に告げる。全てを把握しているとでも言わんばかりだった彼に負けないくらい、お前は俺の掌の上だと言外に突きつけてやる。

 

 俺達がロンディニウムの外壁を越えて来た時、空を飛ぶガーゴイルの数はこいつらも見ていたはずだ。このロンディニウムを取り巻く事件はいずれこの世界中を戦火に巻き込む。だからこそロンディニウムには俺達の主力メンバーをほぼ投入している。タルラと俺とフロストノヴァとパトリオットはロドスとほぼ行動を共にしていたが、それ以外のメンバーにはそれぞれ別の任務を与えてあるんだ。

 

 そして俺は原作知識によってノーポート区に彼女がいる事、ノーポート区がこのままではロンディニウムから切り離され市民諸共囮に使われてしまう事も知っていた。

 事前に分かっている事に対策を打たない程、俺は馬鹿じゃない。

 

「既にノーポート区は解放済みだ。中に閉じ込められてた市民達は揃って安全な場所に避難させてある」

「大変だったんですよ? こちらが感染者と分かった途端反発し始める人が多くて苦労しました」

「そいつらはどうした?」

「なら自分達でサルカズと交渉しろと放り出したら本当にやってしまいましてね。門前払いされてました。その際怪我をした人達に治療と食料を提供したら大人しくなりましたよ。もしかしてそうなる事まで予想していました?」

「まあ、あるかもしれないとは思ってた。だからこそ支援物資についてはお前達に多めに配分したわけだしな」

「流石、こういった事に関しては本当に頼りになります」

 

 淀みなく流れる会話。

 原作でもそうだったが、市民が暴徒化するのは目に見えてたからな。これだけの緊張状態で狭い空間に押し込まれて外に出る自由も無い、そんな中衣食住が欠け始めたら人間は理性を失う。ナインをこちらに引き入れて携帯食料の増産に努めていたのがここで活きた。

 

 無論、パーシヴァル隊以外にもレイド隊、スカルシュレッダー隊、ファウスト隊、マドロック隊、クラウンスレイヤー隊、それぞれ各地で市民を秘密裏に解放し避難させている。都市防衛軍からハッキングした秘密の補給路を逆に上手く使えばあれだけの大人数でもロンディニウムの外に逃がせるだろう。

 当初の予定とは違いロンディニウムそのものが決戦の舞台になると予想される今、これは極めて重要な任務だ。

 そして庇うべき市民がこの地から逃げおおせた時、ようやくこちらは万全の状態でサルカズと事を構えられる。人質となる彼らがいなくなれば大公爵達も移動戦艦を出しやすくなる。

 

「さて、ウィンダミア公爵家としてさっきの話どう思う?」

「こちらとしては、飛空船の設計図云々は別としても是非協力したい話です。そちらが内側からザ・シャードと飛空船を抑えていただけるのならば移動戦艦で一気に制圧する事もできるでしょう。ロンディニウムの市民の身の安全も確保できるのであれば文句のつけようがないですね」

「だってよ、グレーシルクハット?」

「この期に及んでロンディニウム奪還よりも新兵器技術の接収を目論む誰かとは違いますので」

 

 国の覇権争いではなくあくまでも首都奪還と市民の命の安全の為に自分達は動く。デルフィーン嬢にそう皮肉を込めて言われてしまえば彼は何も言い返せない。

 

「・・・」

 

 さて、十分にプレッシャーは掛けられたはずだ。ここで俺達への協力に賛成しなければロンディニウムを巡る大公爵達の競争は実質ウィンダミアの一人勝ちになる。国の剣としての実績に加えロンディニウム奪還に颯爽と駆けつけた英雄性、そのどれもが彼女を後押しする事だろう。

 そしてそれを邪魔しようとしても無駄だ。俺達はロンディニウムから連れ出した市民をウィンダミア公爵に引き取ってもらおうと考えている。そんな彼女を公に邪魔したとあればそれこそロンディニウムの市民達からの支持は地の底に落ちるだろう。

 

 もはや彼は首を縦に振るしかない。そこまで追い詰めた。

 グレーシルクハットはただ黙りこくっている。

 

 

 沈黙が続く中、デルフィーンの後ろに控えていた人物がゆっくりと近づいてきた。

 

 彼女の事は知っている。パンクファッションに身を包んだ紫の女性。彼女の名はベアード、シージがロンディニウムから逃れた際ついてきたダグザとモーガンとインドラとは違い、グラスゴーを守るとロンディニウムに残ったシージの仲間だ。

 

「ヴィーナ・・・」

「ベアード、それにカドールも」

「もう一度会えてよかった」

「・・・おう」

 

 ようやく絞り出したような声だ。再会を喜ぶベアードの後ろでもう1人のフェリーンの男もぶっきらぼうに返事だけ返す。

 

 久方ぶりに出会った彼女の姿は随分やつれてしまっていたようだ。シージの顔が僅かに歪む。

 隈が目立つ顔を見るに、もう何日もまともに寝られていなかったのだろう。疲れたその表情を彼女は無理矢理笑みに変えた。ひどく不格好で歪な笑みだった。

 それを目の当たりにしてシージは何を聞いていいか分からなくなったようだった。

 

「私がいない間、どうだった?」

 

 とりあえず互いのいない間の事を尋ねる。だが聞いてすぐシージは後悔した。

 分かり切った事だ。目の前の憔悴した様子の友人の姿を見れば尚更の事。

 

「そうだね。何とかやって来れてたけど、ここ最近は流石に辛かったかな」

「っ」

 

 そして彼女の回答は予想通り、最悪のものだった。

 

「ひどいものだったよ。皆んな自分の事以外何も考えられなくなって、どんどん理性を失くしていった。虫一匹仕留めるのも躊躇ってた知り合いが血走った目で扉を叩き割ってきた事もあった」

 

 先んじて手を打ったつもりだったが、どうやら状況はかなりひっ迫していたらしい。原作でも見た光景、人間性を剥ぎ取られ獣同然となった市民で溢れかえったそこは地獄の一歩手前だっただろう。そりゃ眠りも浅くなる。

 

 そんな友人を心配してか、グラスゴーのムードメーカーであるモーガンが彼女を励ました。

 

「大丈夫だよベアードちゃん。ヴィーナは今、私達と一緒にロドスっていう組織で戦ってる。きっと皆んなの事も受け入れてくれる。それにロンディニウムを占領してるサルカズ達なんて私達の手に掛かればすぐに追い出せるよ!」

 

 そうしてモーガンはこれまで自分達が紡いできた冒険譚を語って聞かせた。

 ロドスで過ごした日々。遠くに残した故郷を想う中、その一大事に舞い戻る仲間達。そしてその先陣を切るシージの隠された出生を。

 

 シージの本当の名を聞いた時、ベアードは大して驚きはしなかった。

 

「何となく、そんな気はしてたよ」

 

 何でもない事のように力なく笑うベアード。

 おそらく察してはいたのだろう。勘が良く周囲をよく見ている彼女ならばシージの特別さに理由を推測していても驚かない。

 

 驚くシージにベアードは微笑みかける。

 

「でも、ヴィーナが私達のボスってことは変わらない。でしょ?」

 

 きっとそれは彼女のいつもと変わらぬ笑みだった。一緒に戦っていた仲間が実は王族だったなんて弩級のサプライズを何でもない事のように言い、逆にそれさえ変わっていないのならそれでいいとする。見かけによらずタフな人である。

 

 ・・・いや、おそらく縋りたいんだろう。

 彼女は変わっていない。グラスゴーのリーダーとしてノーポート区を牛耳りどんな奴も退けてきた頼れるギャングの姿のまま、今度はサルカズ達だって倒してくれるのだと。

 

 

「もちろんだ」

 

 そう答えた時のシージの声を、俺はきっと一生忘れない。

 

 原作では未だ迷いながらも、ようやく絞り出したようなそれはどこか自信無さげに聞こえた。

 

 だが、今は違う。

 彼女は、確固たる信念と自負を持ってそれを口にした。

 そうなって欲しいではない、自らの手でそれを成し遂げるという彼女の揺るがぬ思いが伝わって来た。

 

 ベアードは一度目を見開き、そして微笑みながら言った。

 

「・・・私、あのボクシングジムで変わらないものなんて何も無いんだって思い知らされた。ずっと続いていくんだって信じてたものがどれだけ脆いのか、それがどれだけ大切でかけがえのないものなのかようやく気付いた」

 

 でもね、とベアードは続けた。

 

「あなたに会って、変わっていく事が全部悪い事なんじゃないって思えた。ありがとう、ヴィーナ」

 

 再会を誓ったあの日、必ず帰ってくると言ってのけたその顔よりも何倍も自信に満ちた顔でこの国を救って見せると言ったシージ。

 三度彼女に向けられた笑顔から、ようやくぎこちなさが消え去った。

 

 

「いや、待て」

 

 いい雰囲気で纏まりかけていた空気を邪魔されつい眉間に皺が寄る。ようやく口を開いたグレーシルクハットがこちらを向いている。

 事もあろうにまだ悪あがきを続けるのか? いいからさっさと仲間になれや。

 

「先程の交渉には無理がある」

「へえ? その根拠は?」

「デルフィーン嬢は確かにウィンダミアの人間だが、家に直接関与する権限はまだないはずだ。君は成立しないかもしれない取引を盾に私に譲歩を迫っている。違うか?」

 

 言葉のわりに相手は随分その意見に自信を持っているようだった。

 俺はそれに小さくため息を吐く。

 

 

 そしてこれまた残念な事に、それはその通りなのだ。

 

 

 デルフィーン嬢はあくまでも後継者であってまだ家を動かす立場にはない。それを彼女も分かっているからこそ悟らせないように堂々と交渉に乗っていたわけだが、指摘されてしまえばそれはただのハリボテだ。多分ウィンダミア公爵はこの提案に乗ってくると思ってはいるが、それを拒否される可能性はゼロではない。

 

 くそ、やっぱ気付くか。相手が冷静さを失っているうちに強引にいければよかったんだが、そこは彼が一枚上手だった。

 

 

「そもそも、感染者の自衛組織である君達レユニオンがロンディニウム奪還にそこまで力を入れる理由は何だ?」

「極めて単純明快で人道的かつ倫理的な理由だが?」

 

 奴の舌が回り始める。どうやら俺達を危険と判断し孤立を狙う方向にシフトチェンジしたらしい。

 

「それが疑わしいと言っている。君達のリーダーは随分と()()()()()()()()()()()ようだからな。それに君達はヴィクトリアに内乱を引き起こそうとしているダブリンとの繋がりも報告されている」

 

 その指摘は流石にギクリとなってしまうな。地下迷宮に残してきたマンドラゴラの顔が頭に浮かぶ。

 彼女の事が無くても、レユニオンとしてはターラーの独立には大っぴらには後押しとかはしないが否定はしない。長い時間をかけて熟成されてしまった同じ国での民族間の対立は正直言って互いに距離を取るしか方法は無いと思うし、逆にあれをそのままにしていても状況は良くならないだろう。俺が相対したヒロック郡の駐屯軍指揮官なんて唆されたとはいえ民間人に源石爆弾を使おうとしたしな。

 

「デルフィーン嬢、貴女もどうか冷静になって頂きたい。彼らが味方である保証はありますか? レユニオンのリーダーの素性を貴女も耳にしたことはあるでしょう。彼らが善人を騙ってヴィクトリアの玉座を欲していないと断言できますか?」

「少なくともあなた達よりは信頼できると思いますが? みすみすロンディニウムの市民を見殺しにしたと言う汚名を背負いたくないはずです。それを回避できる一番の近道があるというのに、くだらない邪推でそれを妨げるつもりですか?」

「その近道が当然のように用意されている不自然さこそを警戒するべきだと言っているのです。それにそれが本当に近道なのかはそれこそウィンダミアの現当主が決める事だ」

 

 こいつ、俺達が散々手を尽くしてきたことを怪しいの一言で片づけやがったな。

 まあそりゃ二大王家の血筋の片割れがテロリスト集団のリーダーになっていて自国の軍隊すら相手取れるような戦力を携えて戻って来て国を救い国民の支持を得るかもしれないなんてヤバイ状況だろうけどさ。

 いや今改めて考えてみると相当に怪しいわ。あっちからみればあまりに手際が良すぎるし何かあるんじゃないかと疑いたくなるだろう。

 

 しかし、これでまた交渉は振り出しに戻っちまった。

 トップを引き出そうにもあちらが折れてくれなければ話が進まない。どうしたものかと悩む俺に意外な方向から助け船が現れた。

 

 

「そこまでだ」

 

 突然の乱入者に全員が武器を構える。グレーシルクハットだけはその正体に気付いていたのか動きはしなかったが。

 声のした方を向けば、その声の主がいた。

 

「グレーシルクハットが、もう1人?」

 

 アーミヤの呟くとおり、そこには俺達に対面している彼と全く同じ服装をした人物がいた。

 おお、ゲームではまあ同じ兵士とかの立ち絵を使いまわすのはよくある事だがこいつらマジで同じ格好してんだな。間諜として個人を特定されないって点で利点があるんだろうが、口元も見えねえし誰が喋ってんのか分からんぞ。

 

「同輩、ここは私が担当するという手筈だったが?」

「貴様はいつもぬるい。それだからポッと出の自衛組織の一幹部に転がされるのだ」

「・・・言い訳にはなるかもしれないが、彼らを甘く見ない方がいい。武力、知略、工作、どれもがヴィクトリアを脅かしかねないぞ?」

「釈明は後で聞こう。だがそれよりも優先すべきことがある」

 

 奴は視線を同僚から逸らし、俺を見据えた。

 

「いきなり現れて随分な物言いだな」

「貴様らがどうやってこちらの情報を得ているのかは知らんが、よく調べ上げたものだ。テロリストなどでもなければ是非その手腕を聞き出したかったところだ」

「お前が話の分かる奴なら、安くしとくぜ?」

「いや、遠慮しておこう。一部下に過ぎない私がこの会話に割り入るなど畏れ多いからな」

 

 どういう事だ? 援軍に来たわけじゃないのか。

 なら何をしに、そう尋ねようとしてジジと無線機が繋がる音がそれを遮った。

 

 奴がポケットから取り出したそれが起動している。相手は誰だ?

 

 

 

「私を呼びつけるなんて、随分肝の据わった青年がいたものね」

 

 

 

 その声が響いた時、自然と空気が引き締まった。

 この感覚を俺は知っている。権力というものに生まれた時から慣れ親しんだ者特有の、聞くだけで自然と彼らを“上”であると認識してしまうような口調。それは通信機越しであったとしても変わらない。

 

 俺は彼女の声を知らない。それでも通信機の向こうに立つ人物が彼女であると確信していた。高圧的なその言葉にすら思わず口角が上がる。

 どうやら俺は本当に大物を釣り上げたようだ。

 

 恭しく、胸に手を添えてお辞儀をする。

 

「お会いできて光栄です。カスター公爵家現当主殿?」

「ええ、お望み通りテーブルにはついたわ。話を聞かせて頂戴?」

 

 

 さて、役者は揃った。

 

 俺は彼女にもう一度取引の内容を伝えた。

 

 こちらが提示するのはロンディニウムの奪還の為に飛空船とザ・シャードを抑え移動戦艦が近づけるようにする事。それと残された市民を救出し都市外に避難させる事で囮として使われる懸念を払拭する事。他にもおまけ程度、何ならおまけにすらならないのだが、飛空船のレシピも添えてある。

 

 対してこちらからの要求はロンディニウム奪還の為にロドス、レユニオン、そして他の公爵達と対等な協力関係を結ぶ事、ただそれ1つ。

 

 何とも良心的な取引だろう? だからさっさと頷いてくれ。

 

 だが俺の祈りに反してカスター公爵は俺の要求の意図を正確に察したようで、しばらく笑っていた。

 

「対等な関係、ね。あなた、随分欲張りね」

「要求はそれ1つ、しかもロンディニウム奪還という目標は貴女も同じでしょう。実にお買い得だとは思いませんか?」

「いいえ。その条件を飲んだ場合、私はウェリントンにも譲歩を強いられるでしょう。彼がターラーの独立を条件に同盟を結ぼうと迫れば私はそれを受け入れざるを得ない。あなた達はターラーは独立させることができて尚且つこの膠着状態を崩しサルカズとの決戦に専念できる」

 

 よく考えたものねとカスター公爵が感心する。余裕の笑みが透けて見えるな。それについでとばかりに彼女は俺の裏の狙いについてもネタバラシしやがった。

 

「それと、()()()()()()という条件。その娘を自由にしたいという意図もあるのでしょうね」

 

 こちらの状況は見えてないはずだが、カスター公爵が誰の事を言ってるのか分かる。くそ、そこまで気付くのかよ。

 アラデルとシージが目を見張る。彼女らもそれに気づいたのだろう。アラデルはまだカンバーランド公爵の名を捨てていない。それに「諸王の息」奪取の任務については既に達成の見込みがなくグレーシルクハットに任せているのなら彼女はそれほどアラデルの身柄に頓着していないはずだ。だから条件ついでにさらっと解放できるかと思ったんだがそううまくはいかないらしい。

 

「いい加減、同じ国の貴族同士で足を引っ張り合うのは止しませんか? 貴女もそれが今のヴィクトリアを停滞へと誘った大きな要因だと気づいているでしょう?」

「その言い方は意地が悪いわ。私達がこの国を自分の物とする為に謀略を巡らせていると考えているのなら、それは誤った認識よ」

「そうでしょうね。でなければ貴女達はスタッフォードとキャヴェンディッシュが共倒れとなった時点で摂政王より先にロンディニウムを制圧していたでしょうから」

 

 そしてそうなっていた場合ヴィクトリアはよくて分裂、最悪の場合地図からその名前を消していたことだろう。ガリアという前例もある。1094年なんてウルサスで戦争支持派がうずうずしていただろうからなおさらだ。

 度重なる内乱で疲弊したところを周辺国によって攻められる隙を与えなかったのは、大公爵達が目先の玉座ではなくヴィクトリアという国の発展を見据えていたからだ。

 

 彼女らが対立しているのは他の者にはこの国を任せる事はできないと確信しているからに過ぎない。

 この人達は正しく、この国の明日を憂うヴィクトリアの代表者達なのだ。

 

 それは分かる。だがもう、事態はそれどころじゃなくなっているんだ。

 ここで尻に火を点けてもらえなきゃ手遅れになる。

 

 説得の言葉にも自然と力が入る。

 

「貴女達がヴィクトリアを真に案じているのならば、この下らない睨み合いにもはや意味が無い事は明白でしょう? 貴女方はヴィクトリアの為に尽くしてきたのではないのですか?!」

 

 俺の問いに、しかしカスター公爵はため息を漏らした。

 俺が放った“ヴィクトリア”という言葉に、彼女は心底うんざりしているようだった。

 

「ヴィクトリアの為ね・・・ヴィクトリアとは果たして何を指しているのかしら?」

「・・・」

 

 彼女の零した問いかけは、俺達の間をすっと通り過ぎていく。

 中身の伴わないそれは誰に受け止められるでもない。言った本人でさえ、その答えを得ていないのだろうから。

 

 彼女は滔々と語り出す。

 

 ヴィクトリアの為に!

 ああ、我らがヴィクトリアに栄光あれ!

 

 王宮にその言葉が野花の如く咲き乱れていた時代の話を。

 

「私のいとこが処刑されたあの日まで、その言葉はまるで魔法のように人々を魅了したわ。でも我らが祖国の名も今は虚しく聞こえる。私達がその偉大な言葉に縋る時はもうとっくに過ぎたのよ」

 

 貴族と貴族、貴族と平民、同じ国旗の下ですらいがみ合う自分達がそれを旗印にする空しさを知っている。彼女の前でそんな空虚な言葉が一体何度飾り立てられて口にされたのだろうか。

 

 だからもう、彼女はそれに頼ることはない。

 

 カスターとして、その名と力の下に集う者達をこそ守り抜く。

 そしてそれ以外に容赦はしない。他の貴族を頂点に据えようとする勢力も、自分を信奉することのない市民も、その足掛かりを遮る王家の血筋すら悉くを排してみせると言った。

 そうして自らに集うものを、ヴィクトリアであると再定義する。

 

 カスター公爵は問う。

 何を以て、ヴィクトリアとするのかと。

 その言葉を胸に戦い続ける意義を問うた。

 

「・・・」

 

 これに答えるべきなのは、おそらく俺じゃない。

 後ろを振り返る。そこにその資格を持つ唯一の人がいる。

 

 彼女は俺の視線を受け頷き、俺の前へと進む。

 

 そしてシージは、ヴィクトリアの姓持つ者は。

 この国で一番次の玉座に近い人物の問いを受け止め、そして。

 

「決まっているだろう。ヴィクトリアとはヴィクトリアだ、それ以上でもそれ以下でもなく、その音以上の意味を持ちはしない」

 

 

 それに意味は無いと、そう断言した。

 

 

「ほう?」

「ヴィクトリアとはただの名に過ぎん。そこに国境も、言語も、人種すらありはしない。貴様が言う通りそれは決して魔法の言葉ではない」

 

 ならば、何を以てシージはカスター公爵に力を貸せと迫るのか。

 思想も国の未来像も守るべき者も違うヴィクトリアの貴族達、そして明日の我が身すらおぼつかぬ市民達。彼らを何を以て団結させようというのか。

 

 その答えを、シージは既に得ていたのだ。

 

「だが彼らがその名を叫ぶとき、あらゆるものが異なる彼らがただ一つの名のもとに束ねられる。ヴィクトリアとは全てを失った彼らが縋れるただ一つの藁であり、同志を集い逆境へと立ち向かう彼らに送る旗なんだ」

 

 空虚な言葉の羅列。力も質量も持たぬそれ。

 ならば、それに意味を与えるものは何か。

 

「自らをヴィクトリアと誇る者達、彼らが築いた砦の虚像こそが我らが信じるヴィクトリアだ。だからこそ一度作り上げられた虚像に胡坐をかきそれを信じさせる努力を怠った。土台を支える釘を錆びつかせ、それはありふれた空虚な言葉に成り下がった」

 

 土台を失い崩れ去った城壁にもはや意味はない。

 ならば新しく創り上げなければならない。

 

 誰もが信じ、果てしなく未来へと残るであろう、偶像にも似た揺るがぬ雄姿を。

 誇りを胸にその後に続き列を成すような、そんなヴィクトリアを示さなければならない。

 

 シージは拳を握りしめる。

 その手には既に多くの希望が託されていた。自救軍の戦士達、未だ怯えるロンディニウムの市民、グラスゴーの仲間達、救うと誓ったアラデル、最期まで忠義を貫いた蒸気騎士。

 

 この地で見届けた彼らの雄姿が、その瞼の裏に焼き付いている。

 腕を振り、シージが吼えた。

 

「私達がヴィクトリアを奇跡にする! その名を呼ぶだけで無限の勇気が湧き上がるような、誇りあるものに私が変えてやる! 貴様はどうだ、カスター公爵? その名を背負う覚悟はあるか?」

 

 今度はシージが問いを返す。

 姓を、国を、継がれた思いを背負うと誓った彼女が問う。

 

 暗澹としたロンディニウムに差す一筋の光となるか。カスターではなく、ヴィクトリアを背負う気概はあるのかと。

 

「ではあなたがなると言うの? ヴィクトリアという城を形作る、王という名の支柱に」

「いいや。私はロンディニウムに来て気付いた。この国はもはや王を必要としていない」

「!」

「だがそれは嘆くべき事だろうか? むしろ誇らしい事なのだと思う。国という大きなものの前では平民も、貴族も、王ですらその土台を形作る釘の一本に過ぎない。そして自救軍の皆が奮戦する姿は、蒸気騎士の栄誉に劣るものではなかった」

 

 シージは自分を特別だとは思わない。それは責任から逃れるためではなく、誰もがその特別になりうるからだ。そしてだからこそ、今自分にしかできない事があると分かっている。

 彼女は己が果たすべき役割を知っている。それは断じて戦いに向かう人々を労い送り出す事でも命を天秤にかけ取捨選択する事でもない。

 

 それは彼らの先頭に立って一人でも多くの敵を打ち払い道を作る事。

 後ろに続く彼らに迫る苦難へ、手にしたハンマーを叩きつけてやる事だ。

 

「そんな事では何も変えられないわ。あなたが偶像に形を与えたところで、救われる命は微々たるものよ」

「そもそも私個人に出来る事などたかが知れている。だからこそ私は仲間を信じる。私を信じる彼らに恥じぬよう戦い続ける。その背を以て私はヴィクトリアを繋ぐ。火力が足りないと言うなら貴様が移動戦艦にでも乗って私の後を走ればいい」

 

 シージの返答にカスター公爵は暫し口を閉ざした。

 そしてそののちにそれが齎す結末を示した。

 

「ならあなたは『英雄』になるしかない。ヴィクトリアは『英雄』を欲している」

「英雄などと驕るつもりはない。だが、迷う彼らの道標となれるのならば私はヴィクトリアの先陣にたなびく旗となろう」

 

 それがシージの覚悟だった。

 この国の王族として、感染者を守るオペレーターとして、ヴィクトリアの一市民として、その全てを取りこぼさない。

 

 カスター公爵が呟いた。

 

「『約定は何があろうと違えない』」

「何?」

「カスター家に伝わる家訓よ」

 

 唐突な言葉にシージが戸惑う。だがそれを聞いたグレーシルクハットらの驚きが全てを物語っていた。

 

「アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア。貴女はこの国の象徴として国民全員を魅せると誓える?」

「ああ。私の後に続く全ての同胞と、並び立つ誇り高き仲間に誓って」

 

 その返答を以て、カスター公爵の腹は決まったらしい。

 

 

「ならば誓いましょう。私は貴女に続く人々を守り立ち塞がる障害の悉くを砕きましょう」

 

 カスターの名に懸けて。

 敵対していたはずの彼女の言葉が、妙に頼もしく聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそれを見つめる1人の影。

 

「・・・ほう」

 

 その口元が、緩く弧を描いていた。

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