シャイニングの剣が、クイサルトゥシュタを貫いた。
胸に刺し込まれ肋骨の間を抜けた剣は心臓を穿ち、溢れ出る血が肉と剣の隙間から噴き出す。
明らかに致命傷。その命はもはや数刻ともたないだろう。
だがクイサルトゥシュタは口から血の滴を零しながら笑っていた。
「ふふふふふ、ようやく、ようやくです。器は完成した。サルカズの原初の源石ももうすぐ再誕する。長きに渡る枝葉は、ようやく実を結ぶ」
それまでの道程を思い返せば、クイサルトゥシュタは感慨のあまり昂っていた。
千年彼は生き続けた。一度は手にした魔王の権能。あれをもう一度手にするために。
だがその旅もじきに終わりを迎える。こうして最高の器を手中にし、あの魔王の王冠よりも遥かに強力な器物、原初の源石たる
彼は引き抜かれようとした刀身を自ら掴み押しとどめた。
「自害しようとしても無駄ですよ姉上。これまで何人の血脈が私に抗おうとしてきたと? その手は既に封じてあります」
抵抗は止めろと彼は諭す。
彼女の母親もそうだった。子ども達を自由にしようと無意味な妄想に囚われ、
だがそれでも彼は滅びなかった。古い巫術の儀式と血によって深く繋がった彼らは輪廻の冒涜を断ち切れなかった。下手人たる彼女が宿していた息子を器とし、彼は更に深淵へと手を伸ばした。
気が遠くなるほどの歳月は枝を伝う蔓のように一族を縛っている。何より彼は彼女に最高傑作に相応しい名を与えた。
クイサルシンナ。その意味は離別を許さぬ希望。
決してこの呪縛からは逃さないという、彼の偏執染みた執着がシャイニングを絡めとろうとしている。
「さあ、手を取り合いましょうクイサルシンナ。これまでの些細な抵抗は全て水に流します。これよりサルカズは新たな時代を迎えるのです。黒き王冠に拠らぬ、新たな、永遠の魔王の誕生。絶対的な隷属の力をもって、今度こそサルカズはテラの大地に楽園を築く!」
高揚のまま高らかに宣うクイサルトゥシュタ。古くから虎視眈々と機を伺い、その野望を燻らせてきた彼は歓喜に震える。
ようやく、あの時の感覚を取り戻せる。サルカズを、自ら導くことができる。伝説の白き角の魔王の再誕だ。カズデルの敵を悉く屠り不滅のカズデルを築いた英雄の凱旋だ。
全能感にも似たそれが温かさを失っていく四肢に新たに充填されているかのようだった。
彼は、笑いが止まらなかった。
「ふふふふふ、ははははは」
「ふふふ」
彼の腹の内で、突然ささやかな笑い声がした。剣を突き出した姿勢のまま、何故かシャイニングは笑っていた。
「何がおかしいのです?」
「いえ、あなたは結局それに尽きるのだなと。過去の栄光に酔い、渇望するだけの男だったのだなと」
「姉上には分からないでしょう。一度経験してみなければ、あの感覚は理解できない」
「そうですね。私にあなたは理解できないのでしょう。あなたはそれだけを見ていた。それ以外は些事と切り捨てた」
「?」
何だ? 彼女は何を言っている?
何故こうも冷静なのだ? 既に転生の儀は済んでいる。自害という手も自らが潰した。
なら何故、彼女は
困惑のまま、クイサルトゥシュタは眼前の娘を見つめる。
その口が薄っすらと開いた。
「
口調が、変わった。
静謐を是とした彼女には似つかわしくない、どこか軽い声音。
どこか聞いたことがある、苛立ちを感じる悠然さ。
高笑いが止んだ。いや、突如喉が絞られたように引き攣った。歓喜に打ち震えていた体は唐突に温度を失い額を冷や汗が伝っていく。
そんなはずがない。村にやって来た彼女は確かに自分の後継の器だった。
だというのに、彼の胸の内では鳴り響く警鐘がその音を増していく。
「・・・あなたは、誰ですか・・・?」
思わず零れたと言った様子の問い。
それへ返す声音を、彼は知っている気がした。
「この前はどうも、聴罪師。あの時のお返しにきたよ」
目の前の彼女の姿が歪む。溶けて、再構成されるかのような肉体の変容。それは最後には見知った姿を形どった。
そこにいたのはかつて彼が封じた者。最古の王庭でありながら敵に絆された軟弱な漂流者。
それを前にするだけで苛立ちを感じていた幼い顔が、彼を見上げていた。
「変、形者・・・っ!」
叫ぼうとして、喉元までせり上がった血がゴボリと口を満たす。白い肌に不格好な赤い化粧をしたまま、彼は当然の疑問を口にした。
「馬鹿な! 貴方は私の巫術で封じられているはず。それに私は確かに彼女の魂を捉えていた! あれは間違いなくクイサルシンナだった! なのに何故?! ・・・!」
失血とあまりの驚愕に体が震える。
記憶を思い起こす最中、クイサルトゥシュタは一度だけ彼女から目を離した瞬間を思い出す。
動揺する彼女の隙を突き、人質として実験体の小娘を奪い取ったあの瞬間。
瓦礫に埋もれ見えなくなった彼女から、確かに視線を外した。
「あの時か!」
「ご明察」
押さえ込まれていた剣先を変形者はぐっと押し込む。滑り込んだ刃がクイサルトゥシュタを内から傷つけその命をさらに削る。堪らずクイサルトゥシュタは刀身を握る拳に力を籠めた。
変形者は確かにあの時、古びた教室の中でクイサルトゥシュタに封じられた。
クイサルトゥシュタが施した巫術の中で、変形者は微睡んでいた。深い海の底にいるように音は遠く体は浮き上がっているような心地だった。
だがしばらくして、彼は誰かの呼ぶ声が聞こえた。最初はよく聞こえなかったそれも時が経つにつれ次第に大きくなり、遂にははっきりと変形者と呼ぶ声が聞こえた。
未だ巫術からは抜け出せていないのだろう。周囲は相変わらず何もなく風の音すら聞こえないその場は現実離れした静寂に包まれている。
それでもこうして変形者の自我を呼び起こした。そんな芸当ができるとすれば、その候補は限られる。加えて、自分の名を呼ぶその幼くも凛とした声音を変形者は覚えていた。
『君かい? 異種族の魔王』
『変形者、目を覚ましましたか?』
『君が何度も呼ぶからだよ。僕は経験した事無かったけど、睡眠ってこういうものなんだね。初めて知ったよ』
『えっとそれは、いきなり起こしてすみませんでした』
良い気分を害してしまったとでも考えたのだろう。申し訳なさそうに謝罪する彼女に、冗談だと変形者は笑った。
『初めての微睡みも悪くなかったけど、ここは何もなくて退屈そうだしね。ところでどうしてここに? まあ多分彼の差し金なんだろうけど』
『そうです。変形者、貴方に力を貸してほしい、と』
殿となってイグナス達を逃がした時、彼は最後まで変形者を残すことを躊躇った。そんな彼ならばいずれ自分を助けに来るだろう。そんな確信が変形者にはあった。
そして外の事情を聞き、変形者は二つ返事でそれを引き受けた。イグナスからの頼みという事もあるし、何より自分を封じたクイサルトゥシュタへの意趣返しの意味も込めて。
アーミヤと付き添いで同行していたシャイニングによる魂への干渉。そして変形者自身による内側からの抵抗。その2つで封印を突破した彼らはイグナスと合流しその作戦を聞いた。
そして変形者、シャイニング、そしてナイチンゲールの3人はイグナスの作戦に乗る事を決めた。不滅の魔王でありサルカズ屈指のアーツと剣術の使い手であるクイサルトゥシュタを正面から迎え撃つのは得策ではない。
故に、変形者がシャイニングを装い、シャイニングに代わってクイサルトゥシュタに止めを刺す。肉親による介錯を引き金とする聴罪師の思惑に敢えて乗る事でそれを不発にする。それは彼女らが考えうる限り最も勝算の高い作戦であった。
崩れた建物の瓦礫がさらに崩れる。そこにはそれまで息を潜めていたシャイニング本人がいた。
作戦が無事成功したことに安堵するが、油断してはいけないとすぐに切り替える。剣は変形者に渡してしまったため丸腰なものの腰を落とし半身になりながら彼女は仇敵を見据えた。
「クイサルトゥシュタ。これがあなたの業の果てです」
「っ!!!」
彼女の決着の言葉にクイサルトゥシュタは歯を食いしばり、やがて俯いた。口から零れた血液で赤黒い池がさらに広がる。
その足元を自らの血で濡らしながら彼はか細い声で何かを呟いていた。
「まだ、死ねない・・・ここで倒れてしまえば、誰が、サルカズの未来を」
「それは今を生きる若者たちが決める事だ。お前は長く生き過ぎた」
それを拾うのはすぐ傍にいる変形者ただ1人。そんな彼も同情は浮かべない。
こうして不滅の魔王はようやく滅ぶ。イグナスの機転と、変形者らの力によって。
旧き妄執に取りつかれ、一族を食いものにしてきた残忍な男の輪廻はここに絶える。
「まだ、死ねないっ!!」
「「!!」」
だが、それに抗う者がいた。
クイサルトゥシュタがシャイニングに手を伸ばす。
決して届くような距離ではない。だが彼にはまだ手が残されていた。
人格を引き継ぐためのトリガー。その手で直接命を絶たれる事。それができない今、儀式は不完全なものになるだろう。
だがそれでもいい。また長い時が必要になるが、それには慣れている。耐えられる。
これまでのように、着々と力を蓄え機を待つ。不純物を取り除いていき、いずれ純粋なサルカズとして再びこの大地に生まれ落ちる。これまでの研究を利用すればそれも早くなるだろう。
(魂の結合にはあまりに届かない、引き継ぐ事ができるのは精々が一割程度。それでも完全に消滅するよりはいい!)
再びの千年を覚悟し、それでもと手を伸ばす不滅の魔王。その執念は深く複雑な巫術を無理矢理に継ぎ接ぎ、即席の転生の儀式を行使する。
彼の指先から、枯れた黒い枝が伸びる。それは新たな宿り木を求めてシャイニングへと伸びる。
対する彼女は予想外の出来事に反応が遅れた。しかも彼女は剣を持っていない。その黒い枝に触れてしまえば儀式が完了してしまうこの状況でそれは致命的な隙だった。
それはこの期に及んでも諦めを知らない不滅の魔王の執念が生んだ偶然だったのか。だがその本人に自覚はない。ただひたすらに、自らの痕跡を残そうとシャイニングに手を伸ばす。
―ガシャン!!
だがしかし。そうして伸ばした手が、そこから浮かんだ魂の糸が、突如として見えない壁に遮られた。遮るだけではない、それはクイサルトゥシュタの全周を完全に囲い始める。
その淡く輝く壁は、細く頼りない魂の枝葉を完全に閉じ込めた。
「何?!」
驚くクイサルトゥシュタ。再び魂を枝葉のように伸ばしシャイニングへと絡みつかせようとする。
だがそれは先程同様遮られ、その壁を超える事はできなかった。
自らを封じるその結界に、クイサルトゥシュタは振り返る。
そこには先程まで自らの足で立つ事すら出来なかったひ弱な白いサルカズの少女が、杖を頼りに懸命に立ち上がっていた。
杖の先についた鳥籠を模したランプが揺れ、繋がれていた鎖が高く鳴る。そこに灯る明かりと同じくらいに、その瞳は輝いていた。
「シャイニングさんには、指一本触れさせません!」
自らの研究の産物。魔王を欺くための空虚な器。偽りの記憶を植え付けられただけの被検体。
それが自分に対し牙を剥いている。しかも、不滅の自分が滅びかねないこの状況で。クイサルトゥシュタが語気を荒げる。
「と、鳥籠風情がぁ!」
今すぐにでも飛び掛かって八つ裂きにしてやりたかった。だがそれは叶わない。
変形者が変わらずその剣で不滅の魔王をその場に縫いとめている。剣を振り間合いをとろうにも既に懐に入られていて難しい。何より致命傷を負った状態でしかも剣をこれ以上押し込まれぬよう片手が塞がっているのだ。血の気が失せたその体に、この状況を打破できるような余力は残っていなかった。
「どうだい、籠の中の鳥になった気分は?」
変形者の皮肉にすら、もはや取り繕う余裕はない。
「ありえません、こんな、ことが」
「いいや。これは必然だったよ」
追い詰められた状況に呆然とするクイサルトゥシュタを見上げながら変形者は思い出す。この作戦を聞かされた時、ナイチンゲールを同行させるのは危険だという話が出ていたことを。
シャイニングや変形者と違い直接戦う術を持たない彼女が負う危険性は誰とも比べられるものではなかった。
それでも彼女はシャイニングと運命を共にすると言ってのけた。シャイニングが彼女を救い出したように、今度は自分がシャイニングを救うのだと。
「彼女はこの作戦を立てた時、確かな自分の意思でその茨の道を進むと決めていたよ。彼女は鳥籠なんかじゃない、大空に羽ばたく青い鳥だったんだ。お前はどこまでも人を見る目が無い男だったね」
イグナスと違って。そんな言外の言葉が透けて見えるようだった。
展開された結界の中、変形者が剣を引いた。突然逆方向に力が加わった事でクイサルトゥシュタは掴んでいた刀身を放してしまった。
僅かに開いた彼我の距離。一足一刀の間合い。
その先で変形者はシャイニングから学んだ剣の理合いをもって構える。
「死に損なうのもこれまでだ、古き魔王」
「ふーふー、変形者ぁ!!」
怒りに身を任せ、不滅の魔王が剣を振るう。それに合わせ変形者も踏み込んだ。
巨大なアーツの牢獄で2人が交差する。
振るわれる二振りの杖剣。
その一方が肉を裂き、軌跡に赤い月を描く。
そして体が崩れ落ちる音に続き、刀身が鞘の内にゆっくりと収まる。
果たして、最後に立っていた変形者は崩れ落ちる相手に振り返りながら言った。
「これからは、彼らの創る時代だよ」