明日の方舟よ、良い旅を   作:アルパカ戦士

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「忘れたくない。ううん、忘れちゃダメなの。あなた達全員に命がある。どんな人生を歩もうと、この大地には確かにあなたの歩んだ道が刻まれている」
「だから忘れないで。あなたも生きることを願っているって。欲しいものが沢山あるんだってことを」


第七十八話 泣きたくなる音

『くそ! 忌々しいペガサスめぇ!』

 

 老人の苛立つ声が廊下に響き渡る。それまでアーミヤ達と渡り合い、追い詰めていたはずの超越者が成すすべなく後退させられていく。

 

 それもこの場に突如現れた、光を携えた騎士によって。

 

 

 怨嗟の声も空しく、黒き波が光に蒸発させられる。全てを呑み込む暗闇がその端から綻び浄化させられる。

 その光の化身をレヴァナントは睨みつける。実体なき眼は込められた憎しみでカズデルの炉のように熱を発してさえいた。

 

 このような者に構っている暇などない。それはとうに分かっている。優先すべきはその奥に続く異種族の魔王。

 だがその魔王に影の触手が届くより先に立ちはだかる光が悉く阻む。それらを抜けたとしてもニアールが手にしたソードスピアがそれを切り裂き光の軌跡以外に何も残らない。

 

 闇を払いながら進むその姿は何にも縛られない天を駆る駿馬のようで、依り代に囚われる我が身を思い出したレヴァナントはなりふり構わずアーツをけしかけた。

 

 焦燥に力を増したそれらの内幾本かがニアールを中心とした光の結界を越える。

 綻んでいくそれらをレヴァナントが1つに束ねることでアーツの減衰を補った。結果として人の胴どころか肉体そのものを容易くくり抜く大きさとなったそれがアーミヤ目掛けて突き出される。

 

 敵の狙いに気付いたニアールが再びアーミヤの前に立ち塞がる。

 そして迫り来るその攻撃を盾で以て受け止めた。

 

 重い衝突音が廊下を木霊する。

 

 殺意を具現化した穂先と鋼の盾が火花を散らしている。

 だが身の丈を遥かに超える攻撃を受け止めているにも関わらず、ニアールの防御はレヴァナントの渾身の一撃と拮抗していた。

 

 そして何より。

 これ程の超越者を前にして、ニアールの瞳には一切の迷いが無かった。

 

「貴方の抱える憎悪は、確かに重い。この影からは気が遠くなるような歳月を感じる」

 

 背後の仲間を守るため堪える彼女の声には自分自身への誇りがあった。そして対する者への慈悲があった。

 

 ニアールもまた同じだった。その背中で胸に手を置きレヴァナントを見つめる幼き魔王と。レヴァナントはアーツの槍をさらに突き出そうとその眼光から目を背けた。

 

 やめろ。我々を憐れむな。手を取り合えるだなどと唆すな。

 この憎悪は我々のもの。理解は求めぬ。恭順はせぬ。

 

 しかしどれだけ力を籠めようと、その盾を崩せない。

 それどころか、籠めた憎しみに呼応するかのようにニアールの光が増していく。

 

 ニアールはアーミヤとは違い相手の感情を感知するアーツを持たない。

 だが一流の武芸者は言葉を交わし刃を交わせばその者の辿った歩みを推し量ることができる。

 

 練磨の日々は技の冴えに。抱える覚悟は一撃の重みに。受け止めた苦難の数は読みの深さに。

 人生の全ては武に現れる。

 

 ニアールはかつて、これほどまでに重く圧し掛かるような一撃を知らなかった。大地そのものが自分を押し潰そうとしているかのような重圧。だとすれば、彼がどれほどの苦難を乗り越えてきたのだろうか。

 きっと 途方もない歳月だろう。

 

 それでも、いや、()()()()()だろうか。

 騎士たるニアールは、これに倒れるわけにはいかなかった。

 

「だが闇夜の中にこそ光は灯る。その暗澹たる闇では、我が瞳は曇らない!」

 

 確固たる意志は全身に力を漲らせ、思考を鋭くしていく。

 踏みしめる足が床を割り、溢れだす光が闇を削り取る。

 

 どれだけの絶望であろうと、それに抗い乗り越えることはできる。この大地を覆わんとする悪意の雲も、そこに輝く人々の魂の輝きだけは遮れない。

 カジミエーシュ騎士競技大会の決勝後、血斧の英雄と肩を並べ凱旋したニアール達。その背後に続く無数の光を見てニアールは確信を得ていた。

 

 迷いのない信念はより純真たる輝きを生む。誰もが惹かれその熱を分け与えられるかのような、そんな光を。

 ならばこの闇に呑まれるなどありえない。

 

 とある草原で生まれ、今日この日まで語り継がれてきた騎士の本懐。

 彼女が未来に恐れを抱き立ち止まる事は、決してないのだから。

 

「憤炎と憎悪に身を焦がす御仁。貴方の激情を、私が晴らそう!」

『!! ペガサス風情が、思い上がるなぁ!』

 

 押し返そうとレヴァナントがアーツの槍に力を籠める。アーミヤと同じく復讐を悪と断じる小娘に、思い知らせてやろうと影を総動員した。

 だが、ニアールの放つ光が一際強く輝いた。

 

「日輪よ、私に頷け!」

 

 盾を構えるその背に八芒星の円環が浮かぶ。それが後光のように対峙するもの全てを照らし出す。

 空間を埋め尽くす程の光はやがて収束していき、巨大な3振りの剣を顕現させた。

 

 目を奪われるレヴァナントに、ニアールは告げる。

 

「それが大地に蔓延る闇であるならば、私がその全てを祓おう。陽光届かぬ陰をこそ、この光は照らすのだから!」

 

 光の剣が振り下ろされる。

 

 それは1振りでレヴァナントのアーツを半ばから切り裂き、もう1振りがさらに左右に両断した。

 

 2つに裂かれた影の奥、姿なきレヴァナントの動揺が揺れる影を通して伝わってくる。それを確かに目に映しながら、ニアールは残るもう1つを振るう。

 その名を叫ぶ。大地を遍く照らす、崇高たる騎士の本懐を示す名を。

 

 

「ブレイジング・サン!!」

 

 凝縮された質量持つ光が振るわれた。それは薄暗い廊下に蔓延る影を根こそぎ消し去りレヴァナントの意識をその背後に佇んでいた扉ごと吹き飛ばした。

 

 

 その後を追う一行は広い空間に出た。床も壁も全てが鉄で覆われた底冷えのする場所だった。

 その中央には周囲の空気を焦がす巨大な装置が鎮座している。あれがおそらくレヴァナントの本体。そしてこの飛空船を支える炉に違いなかった。

 

「ここが機関室か?!」

「Mon3tr!」

 

 すぐさまケルシーがMon3trに光線を撃ち込ませる。だがそれは寸での所で影のアーツに迎撃された。

 レヴァナントも必死だった。いくら肉体を持たぬ不死者とはいえ依り代であるこの場所を破壊されてはいよいよ力を保てなくなる。

 

 一気呵成に迫るアーミヤ達。ここが正念場とばかりに皆がアーツを放つ。

 

 もはや背に腹は代えられない。そう決断したレヴァナントの行動は早かった。

 

 影が再び床一面を覆った。レヴァナントの支配する領域からの攻撃かとニアールは結界の強度を強める。

 だが違う。浄化の光に晒され崩壊するまでの数秒でその闇から何かが飛び出た。

 

 数は十を超える程度。それらが黒く塗りつぶされた刀身を手に襲い掛かってくる。

 唐突な相手の援軍に一度退く。ドクターを背に一塊になったアーミヤ達はその正体を目にした。

 

 

 それは、黒い戦士だった。体の至るところが漆黒に染まった布で隙間なく覆われている。

 アーミヤ達は一手交えただけで彼らが歴戦の戦士だと確信した。だがどうしても違和感が拭えない。彼らには恐怖が無かった。生物として備えているべき生存本能というものが欠落していた。その一太刀に己の全てを懸けているような狂気じみた覚悟を感じたのだ。

 そしてもう1つ。彼らには角が無かった。頭部も黒布で覆われているが、多くのサルカズの特徴である角があれば何かしらの膨らみは見受けられるはず。

 

 英雄たる器を持ちながら、どこまでも没個性的。そんな存在に心当たりはない。

 

 ただ1人。ケルシーを除いて。

 

「どうしたケルシー?」

「・・・まさか。お前達は・・・」

 

 あのケルシーが動揺を浮かべて瞳孔を震わせている。彼女の目の前にはあの日の光景が蘇っていた。

 バベルが崩れたあの日。アーミヤを抱きしめ血に沈むテレジアと、彼女の傍で1人倒れ伏すドクター。そしてその周囲を埋め尽くす赤と黒に染められた刺客の姿。

 

 サルカズにあるまじき()()()()を為すため。名も角も自ら斬り落とし敬愛する魔王を討った捨身の死士。

 

 幽鬼のような彼らが再び、ロドス(バベル)に刃を振るってくる。

 死んだはずの彼らが、再び蘇っている。不可逆のはずの死が覆されている。

 

 では、彼女もまた―

 

「しっかりしろケルシー!」

「!」

 

 思考の海から抜け出したケルシーは自分の懐に迫っていた死士をMon3trの爪で切り裂いた。

 

「すまない」

「謝罪はいい。それよりこいつらは何だ?」

「・・・詳細を語るには猶予が無い。今伝えられるのは彼らが既に死亡したはずのサルカズで、その実力は次代の英雄と称えられるに相応しいものだったことだけだ」

 

 死から蘇った存在である事、そしてその実力の高さを理解した全員が身を引き締める。

 

 より混沌と化した戦場。暗殺の刃とアーツが入り乱れるその後ろでレヴァナントは焦燥に駆られていた。

 これが時間稼ぎにしかならない事を彼は理解していた。

 本来彼らがいるべき場所から無理矢理引き剥がし戦わせているが、それでもその戦力は徐々に削られている。遅かれ早かれ彼らは再び自らの血に沈むことになるだろう。そうなる前に打開策を講じなければならなかった。

 

 だが自身のアーツはペガサスに搔き消され、端末を一度失い消耗もしている。捨身の死士への加勢すら今は満足にできもしない。

 

 ならばどうすればいい?

 奴らを止めうるものは何処にある?

 

 憎しみに曇りきった思考をそれでも回した。

 そして最後の死士が倒れ伏す直前、レヴァナントは天啓を得た。残酷に過ぎるその手段を躊躇う要素は、彼には1つも無かった。

 

『貴様ら動くな! でなければ地上がどうなるか分からんぞ!?』

 

 レヴァナントの怒号とともに、彼の権能で砲塔が一斉に大地に狙いを定める。既に彼らはロンディニウムの空に解き放たれている。そして眼下にはヴィクトリアの公爵達の移動戦艦のほかロンディニウムの伝統的な街並みも薄っすらとだが見える。レヴァナントは地上を人質に取った。

 その言葉に今まさに炉心に向かおうとしていたアーミヤ達の足が縫い付けられる。

 

 本来、これに躊躇う必要はない。レヴァナントと飛空船の心臓部であるこの炉心を破壊すれば後は墜落を待つのみ。その間に撃ち出せたとしても各砲塔につき精々が1発ずつだろう。一番の懸念点だったロンディニウムの市民は既に郊外にシージ達が避難させており巻き込まれる心配は限りなく低い。

 

 だが、可能性はゼロではない。くわえて、自救軍とロドス、レユニオンの各隊は未だ移動都市に残り重要拠点の攻略と遊撃にあたっている。万が一今その砲弾が放たれれば、彼らに逃れる術はない。

 

 無論、このままいいようにやられるアーミヤ達ではない。

 隙を伺いその暇すら与えずに機関部に致命的なダメージを与える。手にした影霄を構えるタイミングをアーミヤは冷静に待っていた。

 

(だがそれでよい。その僅かな空白で全てを呑み込める!)

 

 レヴァナントの操る影は、厳密にはアーツによる産物ではなくレヴァナントそのもの。一度その内に取り込んでしまえば胃で食物を溶かすようにあらゆるものを闇に沈める。

 

 そしてここはレヴァナントの依り代の中で最も中枢に近い場所。もはや影はその空間全てに存在し、息をするより自然と操る事が出来る。

 

 ペガサスのアーツを止めた時、その瞬間に全てを終わらせる。

 

 見えた一筋の光明を逃すまいとレヴァナントはまくし立てた。

 

『ペガサスの末裔、その忌々しい光を収めよ』

 

 まだ終われない。飛空船を失えばサルカズは戦略的アドバンテージを失う。ザ・シャードにはテレシスとマンフレッドがついているが、もし公爵軍が自滅覚悟で接近し塔にその砲弾を放てばひとたまりもない。

 そうなれば、またサルカズは戦争の敗者として大地を追われるだろう。幾度も繰り返した流浪の旅を、またしても同胞に強いる事となる。

 

 この終わりのない生に終着点があるのとするならば、それは自身の全てを薪としてくべ灰となった姿だろう。

 

『だがそれでは終わらせぬ! この魂が燃え尽きるというのなら、我らを排する全てを道連れに塵と化そう。その熾火が、サルカズの宿命を絶つ業火となるのだ!』

 

 レヴァナントがロンディニウムの中央区に狙いを定める。貴族の邸宅が点在するそこならば味方を巻き込む心配も無い。

 もはや警告として1発撃ち込んでしまおうか。そうすれば無知蒙昧な少女も消えぬ禍根を実感するだろう。

 

 砲弾が積まれた砲塔が熱を帯び始める。

 それを止めようと動くアーミヤ達も間に合わない。それを見下ろすレヴァナント。

 

 そのさらに上から唐突に、呆れた声がした。

 

 

「ほんと、老いぼれってロクな奴がいないわね」

 

 全員が見上げる。その視線の先で、何者かが笑っている。

 

 排気口から侵入したのだろう。天井付近は薄暗くその全容ははっきりとしない。だがその人物がサルカズの女性である事、その角が赤色をしている事は分かった。

 

 楽し気に、薄暗い闇の中焔色の瞳を爛々と光らせて。

 彼女は全てを見下ろしていた。

 

「憎いだとか宿命だとか魔族だとか、小難しいことばっかり並べ立てて馬鹿じゃないの? そんなの全部、壊してしまえばいいじゃない」

 

 彼女はよく笑う。どんな逆境であろうと、狂人染みた笑みを浮かべ何でもないように振舞う。

 その仮面の裏にある本心を悟られぬように。そしてかつて憧れた人の在り方を貫くために。

 

 立ち塞がる壁を砕き、その爆煙の前で笑うのだ。

 正にいま、この瞬間のように。

 

 

「バァァァ~~~~ン、てね!!」

 

 その手の起動スイッチが押される。

 

 直後、連続した爆発音とともに飛空船が激しく揺れる。

 

 爆発したのは飛空船の船底にあるいくつもの砲台。Wの持っていた特製爆弾の8割を贅沢に使った巨大な花火がその砲身をひしゃげさせ刻まれていたアーツ用の刻印を焼き潰していく。

 カズデル軍事委員会が心血を注いで建造した新兵器の兵装が、瞬く間に廃材と化した。

 

 見るも無惨な光景の中、当の実行犯1人だけは高笑いを浮かべていた。

 

「アハハハハ! 随分綺麗な花火じゃない」

『サルカズの娘! 何故貴様が邪魔をする?! これはサルカズの未来の為に欠かしてはならないものだったのだぞ。それを奴らの宣う甘い戯言のために!』

 

 高笑いが止んだ。

 Wが飛空船の炉心を見下ろす。見開かれた瞳は真っ直ぐにレヴァナントを見つめていた。

 

「わるいけど、あたしが信じるのはテレジアが教えてくれたその甘い戯言だけよ」

『!』

 

 鋭く冷たいナイフのような声だった。

 だがそれを剥き出しにしたのはほんの一瞬。床に降り立ったWは愉悦に満ちた表情でアーミヤを見る。

 

 

「時間稼ぎご苦労様、子ウサギ」

「いえ、お陰でこちらもようやく()()()()()()()()

 

 飛空船突入前に遭遇した2人は陽動と工作に分かれ行動した。

 

 レヴァナントのアーツを知っていたアーミヤは自身に注意を引きつけることでWを最後まで隠し通した。異種族の魔王たる自分を退けようと飛空船全ての影を総動員していたために、Wは鼻歌を歌いながら爆弾を設置できたのだ。

 

 これで地上への攻撃手段は失われた。公爵軍も迎撃を恐れることなくロンディニウムに接近できる。

 ここにおける作戦目標を達成したアーミヤは、満を持して一歩踏み出す。

 

「レヴァナント。見つけました、貴方の核を」

 

 一歩、また一歩とゆっくりとアーミヤはレヴァナントに近づいていく。その両手が掲げられ、レヴァナントに差し出された。

 アーミヤは彼に相対してからずっと、その本体を探し続けていた。そしてこの部屋に入り炉心を目の前にしてもそれは続けられていた。だがそれも終わった。感情を剥き出しにしていたレヴァナント、その憎悪が辿る細い筋道をアーミヤは見事手繰り寄せた。あとはそれに手を伸ばすだけ。

 

 その両手に収束していた黒雷が一枚のリボンのようにうねる。イグナスとの特訓で着想を得たアーツ。より深く精神に入り込むための導線。それが荒れ果てたレヴァナントの炉を優しく包み込むように纏わりつく。

 

 それを伝ってアーミヤに記憶が流れ込んでくる。故郷を追われ、永い放浪を経た。そしてサルカズの仲間を守るために同じレヴァナント達を炉にくべ最後は自らその身を溶炉に投じた男の見てきたもの、感じた事。それらを追体験していく。

 

 そして流れ出たのと同じだけ、レヴァナントは溶炉の激しさとは違う人肌にも似た温かさが流れ込んでくるのを感じた。炉を満たす憤炎に慣れた彼にとって、それは久しく感じなかった感覚だった。

 イグナスが変形者の心を解いたように、アーミヤの慈愛が酷く傷ついたレヴァナントの魂に寄り添った。

 

 それは幼子が涙を流す親の頭を撫でるようで。傷を癒しはしなかったがささくれ立った心を慰めていく。

 

『われ、は・・・』

「サルカズの未来への祈りは、私が継ぎます。だから」

 

 どうか、安らかに。アーミヤはそう続けようとした。

 

 

―コツ、コツ。

 

 

 

 足音がした。それにレヴァナントの奥へ沈みかけていたアーミヤの意識が浮上する。

 決して大きくはない。鈴の音のように軽やかで穏やかで、それを耳にしただけでアーミヤは泣きたくなった。

 

 何度も聞いた音だった。ゆったりとした歩調で歩く彼女はいつも自分を笑顔で迎え頭を撫でてくれた。その柔らかい指先の感触がこの瞬間に鮮明に蘇る。

 

 

 その場の誰もが彼女に目を奪われていた。

 ケルシーは愕然と目を見開く。Wは彼女の姿に思考を塗りつぶされた。ドクターは頭蓋の奥に残された空白が軋んだように感じた。フロストノヴァとニアールは迫る存在の穏やかさに反して肌が泡立つ感覚に警戒を強めた。

 

 

 桃白の髪が揺れている。長い白裾が繰り出す足に釣られてふわりと広がっていた。

 

 彼女を忘れるはずがない。見間違うはずがない。対面した彼女に確信を得たアーミヤは口を零した。

 

「・・・テレジア、さん・・・」

 

 名を呼ばれた彼女は何も言わず、記憶のままの柔らかい笑顔でアーミヤを見つめた。

 

 

 

―そして、その掌をアーミヤに向けた。

 

 

 

「「「っ! アーミヤ!!」」」

 

 ニアールとフロストノヴァがアーミヤの前に立つ。動揺から抜け出したWも手榴弾を投げつけた。

 あの指先を揺蕩う光の糸、あれだけはくらってはならないと本能が告げていた。

 遅れて立ち直ったケルシーも近くにいたドクターを抱き寄せる。

 

 

 直後、アーミヤ達は飛空船の外壁に叩きつけられていた。

 あまりの衝撃に肺に溜め込まれた空気が吐き出され嗚咽が漏れる。直前にニアールとフロストノヴァが展開したアーツによる障壁も、薄いガラスのように容易く破られた。威力は減衰されたものの、その余りある破壊力は飛空船の外壁に巨大な穴を穿つ。

 

 何をされたのか、分からなかった。

 ただテレジアがこちらに手を伸ばし、その間にニアール達が立ち塞がった次の瞬間にはアーミヤはニアール諸共空中に投げ出されていた。

 

 割れたガラスが宙を舞い、アーツの残滓とともに光を無秩序に反射する。そのガラスの鏡面に映るテレジアはどれも悲しそうな瞳をしていた。

 

「さようなら、アーミヤ」

 

 そう呟いたテレジアの目元が、光っているように見えた。

 

(どうして、泣いているんですか?)

 

 アーミヤの記憶に彼女が泣いている姿はない。穏やかさの裏に、いつも深い悲しみを抱えていた。それでもそれを悟らせまいとしていたから。

 

 そんな彼女が、泣いている。それはどれだけの悲しみだろうか。

 

 手を伸ばす。だが届かない。既に宙に投げ出された自分達は重力に従って落ちていき彼女をここに取り残してしまう。

 

 このまま落ちるわけにはいかない。届かない手で拳を握りしめる。

 あんな彼女を置いて、何もできないなんて認めない。

 

 だからアーミヤは叫んだ。

 

「! もう一度会いに行きます! だからっ、待っていてください。テレジアさん!!」

 

 風の音が騒がしい。空気の抵抗で耳も服もたなびいている。

 この声が届いたかもわからない。遥か上空の彼女の姿は点のようで、その表情を伺う事はできない。

 

 それでも、アーミヤは確かに耳にした。

 

 

―待ってるわ。と

 

 

 

 

 

 

 

「アーミヤ、フロストノヴァ、掴まれ!」

 

 落下に伴う激しい向かい風に体を揺さぶられる中、ニアールが2人に手を伸ばす。

 掴んだ手を引き寄せたニアールはアーツで光の翼を顕現する。すぐさま落下の勢いが抑えられ、上空に光の軌跡を残しながらゆっくりと舞い降りる。

 

「アーミヤ、彼女が例の?」

「・・・そうです。テレジアさん、ロドスの前身であるバベルという組織のリーダーだった人です」

「そうか、それで」

 

 フロストノヴァが少し離れたところで同様に落下速度を落とすケルシー達を見た。ドクターとWの2人はケルシーがMon3trに回収させていた。これで墜落死は免れただろう。

 だが当の本人達の顔は晴れない。ケルシーは珍しく苦々しい表情を隠せていないし、ドクターは自分が謀殺したという彼女をどう受け止めていいのか分からない様子だ。

 

 重苦しい空気を覆したのはまたしても意外な人物だった。

 

「あんた達いつまでボーとしてるわけ? そんなんじゃテレジアに笑われるわよ」

 

 Wが軽い口調で言う。それがアーミヤには意外だった。

 

 多分、人生においてテレジアの存在が最も多くを占めているのが彼女だ。

 さっきの邂逅で理解したはずだ。あれは紛れもないテレジアそのものだと。そんな彼女が敵として立ちはだかる状況にも関わらず、Wはケロッとしていた。

 

 その理由を聞こうとして、アーミヤはWが真っ直ぐに自分を見つめているのに気付いた。

 初めて見る表情だ。気に食わないけど嫌ってはいない。そんな彼女本来の感情が垣間見える素直な表情。

 

 

「もう一回会いに行くんでしょ、子ウサギ?」

「! ~~っ、はい!」

 

 彼女から伝わる感情の名が「信頼」であると気づいた時。アーミヤは涙を堪えて力強い返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女達は再会を誓った。

 再び空に浮かぶ船に舞い戻るため、ヴィクトリアの大地へと降り立つ。

 

 その足元に広がるのはブレントウード。ロンディニウム郊外の都市。

 ヘドリーとイネス、そして一部のエリートオペレーターが向かったサルカズの活動拠点と思しき場所。

 

 都市が落下してくるアーミヤ達を見つめている。

 

―ジュルリ。

 

 アーミヤは一瞬、それが都市が大口を開け自分達を呑み込もうとしているように感じた。

 

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