戦場より、愛を込めて   作:亥露

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第一話 隻眼少女

Prologue 夢の狭間

 

 

 

 雨が、降っている。

 

 しとしとと言う言葉が似合いそうな、激しくは無いけれど、それでも一度外に出て十秒その場に立って居ればずぶ濡れになる程度には。

 

 少女はその音を、何処か他人事の様に聞こえた。実際他人事なのだろう。彼女にとっては、何もかも。

 

 その少女にとって、全ての事が如何でも良くなっていた。雨が降っていても、部屋が薄暗くても、お腹が空いていても、怪我が痛くても、家の外から怒鳴り声が聞こえても。右目が焼ける様に熱くても。己の手が、身体が液體で(ぬめ)っていても。

 

 ──目の前で両親がただの肉塊と化していても。

 

 少女の関心は、何処にも向いていない。ただ抜け殻の様に座り込んでいる。意思もなく、思考も回さず、ただ人形の様にじっと。何をするでも無い、何を、しようともしない。

 

 ──此の儘死んでしまおうか。

 

 少女は自分の手元にある刃物に目をやる。真っ赤に染まった、少女が持つのには些か不似合いな、大きい包丁。

 なんの事は無い。この刃を自分の首に押し当てれば良いのだから。

 

 必要なのはほんの少しの勇気と──覚悟。

 

 ──さぁ、その手で自らの人生に終止符を打とう。

 

 少女が包丁を自らの首に押し当てたその瞬間、扉が思い切り開かれる。そして聞こえる怒号。

 

 いつもの金を取りに来る連中かと、少女は無感情にそう考えた。それならば関係無い。居ても居なくても、もう終わるのだから。

 

 だけれど──。

 

 だけれど、其処に立っていたのは、神様と言うには荒々しく、鬼と言うには優しい顔をした、青年が立っていた。

 

 神様と言うには荒々しい。だけれど私には──────。

 

 

 

第一話 隻眼少女

 

 

 

「──(いろ)()

 

 彩葉と呼ばれた少女はハッと目を覚ます。

 

 どうやら寝ていたらしく、顔を上げるとその声の主──(てら)(じま)(らい)(ぞう)は飲み物を飲みながら彩葉の肩を揺すっていた。

 

「あ……寺島さん」

 

 彩葉は目を擦り、大きな欠伸をする。その仕草は何処か猫の様で可愛らしかった。

 

「もうそろそろ十時だよ。早く帰りな」

「あ、本当だ」

 

 寺島の言う通り、壁に掛けてあるデジタル時計を見ると二十一時五十五分を表示しており、他の同僚達はもう居なかった。彩葉はその事実に眉間に皺を寄せ、目頭を指で掴みながら背もたれに背中を預けた。

 

「あー。マジか。寝落ちた。最悪だよ」

「社畜サラリーマンみたいだからやめな? でも今日の分の仕事終わってんじゃん。何やってたの?」

 

 雷蔵はそう言い、彩葉のパソコンを覗き見る。見られて困る物も無いので、彩葉は其の儘立って給湯室に行き自分専用のコップに水を入れ、喉に流した。そもそもこのパソコンは本部から支給された物で厳密に言えば彩葉の物ではない。それを態々自分の物かの様に扱うのは流石にお門違いも甚だしい。

 

副作用(サイドエフェクト)の研究資料作成。近々コレを鬼怒田さんに提出するんだ」

「へぇ、出来たら見せてよ」

「鬼怒田さんに提出したらね。コピーも取る予定だし、それで良いんだったらあげよう」

「良いの? やったぁ」

 

 ──界境防衛機関『ボーダー』

 

 其処の技術者(エンジニア)である少女──彩葉は寺島の喜んだ顔を一瞥し、またデスクに戻りパソコンに手をかける。

 

 しかしそれを許さないのが寺島雷蔵と言う男だった。

 

「ちょっと、何しようとしてんの? 早く帰れって」

 

 寺島は彩葉の首根っこを掴み、仕事を再開しようとする彩葉を止めた。

 

 先程も記述した通り、時刻はもう二十二時を回っている。未成年──十六歳をこんな時間まで働かせる程、寺島は鬼ではなかった。いくら己の上司からの無理難題を彩葉に横流ししようが、寺島は決して鬼ではないのだ。決して。

 

 そもそもこんな夜遅くまで未成年を働かせる事は法律的にはグレーなのだが、ボーダーと言う異質な組織故か、例外的な物も多いのだ。法律的にも──道徳的にも。

 

「まだいける。大丈夫だって」

「そう言ってこの前も明け方迄仕事してたでしょ。ダメだよ」

「何でバレてんの!?」

「沢村さんに聞いた」

「ゲェ。それ後で父さんに叱られるやつじゃないか。やだなぁ」

 

 舌を出しながら彩葉はいかにも嫌そうな顔をした。いくら彩葉でも、父の怖さには勝てないのだ。

 

「はいはい帰りますよーだ。まぁ続きは家に帰ってでも出来るし」

「あのねぇ……」

 

 彩葉の全く理解をしていない行動に寺島は頭を抱える。いや、理解はしているのだろう。理解をしているが彩葉はそれを受け入れない。

 

 彩葉と言う人間は──そう言う人間なのだ。

 

 それを理解している寺島はこれ以上は何も言わない。言っても無駄だと言う事は、寺島は嫌と言う程知っているのだから。

 

「じゃあせめてこれ。はい」

 

 そう言って寺島が手渡した物はティッシュ箱だった。彩葉はその意図が分からず大きい目をパチクリさせる。

 

「〝思考〟。使ったんでしょ。隈酷いよ。あと鼻血」

「……室長よりはマシだよ」

 

 よく見ると彩葉の鼻から赤い液體が伝っており、着用している白衣に赤い模様を描いていた。それに気付いた彩葉は素直にティッシュ箱を受け取り鼻を抑える。すると瞬く間にティッシュは赤く変色し、ふやけてゆく。その光景に寺島は苦笑した。

 

 ──トリオン能力が高い人間には、極稀に副作用(サイドエフェクト)と言うものが発症される。彩葉もそれに該当する者だった。

 

 〝思考強化〟

 

 それが彩葉のサイドエフェクトだ。

 

 常人よりも五倍のスピードで頭の回転が速い。故に彼女はエンジニアでかなりの功績を残し、そして周りもそんな彩葉を慕い、尊敬する。

 

 しかし強化されているのは思考──脳味噌だけであり、身体は常人のままである。つまり彩葉の思考に身体がついて行けず、度々鼻血を出す事がある。今回がその良い例だ。

 

「無理、しないでね」

「してるつもりは無いんだけどね」

 

 彩葉は肩を竦めながらそう答える。彩葉としては無理をしているつもりは無い。ただ自分の仕事を従順にこなしているだけ。ただそれだけだった。

 

 然し周りの人間はそうは思っていない様で、度々「無理をするな」とか「少しは休め」などと言われている。彩葉からしてみればまだいけると思っているのだが、鼻から垂れている赤い液體を見れば実際の所はどうかなど一目瞭然だ。

 

「あ、それともう直ぐでA級の遠征があるから、そこんとこ宜しく」

 

 思い出したように寺島は彩葉に釘を刺す。案の定彩葉は目線を上にし、宙を仰ぐ。どうやら忘れていたらしい。

 

「あれ、もうそんな時期だっけ」

「そんな時期って……この前遠征選抜やったでしょ? 覚えてないの?」

「いや、それは覚えてるけど……そっか、もうそんなに経ったのか。早いものだね」

 

 彩葉は頭をがしがしと掻き、スマホの予定帳を確認する。そこには寺島の言っていた通り十一月十日の所に『遠征』と書かれていた。今日が十一月五日だとするのならあと五日後にはA級の三部隊が近界へ発つ事になる。

 

 遠征艇の整備は彩葉の管轄では無いものの、最終確認でトリガーのメンテナンスはしなければならない。特に万年人手不足で名を打っている技術者(エンジニア)は例外なく、十名のトリガーを点検しなければならないのだ。それも入念に。

 

「わかった。じゃあ明日ら辺に戦闘員のトリガーチェックをしよう。何処のをやれば良いいの?」

「風間隊をお願い」

「了解」

 

 そう言って彩葉は白衣を脱いだ後制服のジャケットに着替え、予定表の次の日の欄に予定を書き込む。彩葉の予定表にはびっしりと文字が書き込まれており、その殆どが仕事関係だった。その他は友人との約束や家庭の事など。そして次の日の予定を書いた事により、十一月の予定表は埋まってしまった。然し彩葉は気にする素振りも見せず、其の儘電源を落として制服のジャケットのポケットにスマホを入れる。

 

「じゃ、お疲れ様。お先に──わぁ!」

「っぶな!」

 

 部屋を出ようと歩き出した時、彩葉は右側へとよろけた。すんでのところで寺島が腕を掴んだは良いものの、そうでなければ机を巻き込んで倒れていたかもしれない。

 

「──わぁ。助かったよ。ありがとう」

「まったく、気を付けなよ。ただでさえ彩葉は()()()()()()()()()なんだから」

 

 ──それを言われ、彩葉は己の右側目に手をやる。

 

 黒い眼帯で覆われたそれは、彩葉にその物体を認識させる事は出来ない。

 

 意識をしていたら、ジュクジュクと鈍い痛みが彩葉を襲う。

 

 ──彩葉には、右目がない。

 

 それは先天的なものではなかった。

 

 七年前、失ったのだ。

 

 あの()と共に。

 

 彩葉としては出来る事なら一生思い出したくない地獄の様な出来事なのだが、どうしてもそれは忘れられなかった。

 

「じゃあ、今度こそ帰るよ、お疲れ様」

「うん、また明日」

 

 彩葉はそう言い会釈をした後、寺島を残し部屋を発つ。

 

 白い、無機質な廊下をひたすらに歩く。他に人がいないからか彩葉の足音が反響する。妙にサイバー感溢れた建物の構造に最初こそは驚愕したものの、今となってはそれが当たり前になっていた。

 

 スマートフォンを取り出し、彩葉は父に今から帰ると連絡を入れる。まぁ入れたとて父は恐らくまだ仕事をしているのだろう。それもまた彩葉にとっていつもの事だった。

 

 仕事人間──と言う訳では無い。むしろ家庭的な分類に入るのだろう。いくら仕事が遅くてもどうしても外せない出張以外は毎日必ず家に帰ってきてくれる上に、彩葉が苦手としている家事を率先して行ってくれる。彩葉にとってこれ以上に無い程の良い父親だった。

 

 ──全く持って頭が上がらない。

 

 常日頃、彩葉は父親に感謝の念を抱いているのであった。

 

「──あ」

 

 父に連絡を送って顔を上げて前を見ると──見知った後ろ姿が目に入った。茶髪の癖っ毛。少し高めの身長の少年を見つけ、彩葉は少し不敵の笑みを浮かべる。

 

 こんな時間まで仕事をしている人間は一人しかいない。

 

「けーん。お疲れ様ー」

「わぁ! い、彩葉ちゃん!? 後ろから急に抱き付かないでよ!」

 

 そう言いながら彩葉は思い切り少年──佐鳥賢を後ろから抱きついた。佐鳥は少しよろけはしたものの、彩葉を落とす事なく背中で支えた。流石の体幹の良さである。彩葉もそんな佐鳥に満足気だった。

 

「ごめんごめん。賢を見つけたからつい。賢はどうしてこんな時間まで本部に居るの? 訓練?」

 

 彩葉は適当に誤魔化しながら話を逸らす。佐鳥はそんな彩葉を見て溜息を吐いた。彩葉のこの調子は今に始まった事ではない。寺島と同様、佐鳥も彩葉の事を良く理解をしているのだ。

 

「広報の仕事と訓練してたらこんな時間になったんだよ。彩葉ちゃんも仕事?」

「そ、仕事してたんだけど寺島さんに追い出されちゃって」

「ナイス寺島さん」

「それどういう意味?」

 

 佐鳥は何処になく親指を立て、彩葉はその様子をジト目で睨む。然し佐鳥から送られて来たのは言い訳でもなく、茶化しでもなく──缶コーヒーだった。

 

「無理しないでって意味」

 

 そう、佐鳥は微笑んだ。彩葉は差し出されたコーヒーを受け取る。コーヒーはまだ暖かく、彩葉の悴んだ手を暖めてゆく。

 

「……ありがとう」

 

 彩葉はそう言って微笑む。自分の親しい人の厚意が、どことなく嬉しかった。佐鳥もそれを見て微笑む。

 

 佐鳥と彩葉の交流はもう三年にもなる。だからこそ佐鳥は彩葉の事を理解をしているし、彩葉もまた佐鳥の理解者だった。

 

 言って仕舞えば恐らく佐鳥は寺島より彩葉の事を理解している。少なくとも、佐鳥にはその自負があった。それは友人だからでは無い。もっと深く、一言では済ませられない程の絆が、二人の間にはあった。

 

「でも、賢もだよ」

「え?」

 

 彩葉に言われ、佐鳥は間抜けな声を上げる。彩葉はジッと佐鳥の方を見つめていた。その目は真っ直ぐと佐鳥を射抜き、佐鳥はその目力に辟易する。

 

「賢だってこんな時間まで訓練して。いつかぶっ倒れるよ」

 

 彩葉はいつになく──真剣な面持ちだった。

 

 その眼差しに、佐鳥は思わず目を逸らす。それは図星故か、それとも──。

 

 けれども佐鳥の沈黙を、彩葉は許さなかった。

 

「確かにトリオンを使ったら使っただけ成長する可能性はある。けれど賢のトリオン数値は6。平均値だし、狙撃手(スナイパー)をやるにあたって何も問題は無い筈。トリオン怪獣(モンスター)を狙っているわけでもあるまいに。それは、何故?」

 

 彩葉は──そう問いただす。一見どうでも良い様な質問だが彩葉にとっては重要な事だった。

 

 二人の間に重い沈黙が流れる。彩葉は距離を詰める訳でもなく、ただ佐鳥をジッと見つめる。

 

「────別に、普通に訓練していただけだよ。オレのツインスナイプは特殊だから、基礎を完璧にしないとね。だからこんな時間までになっちゃった。オレは天才じゃあないからね」

 

 佐鳥は本当の理由を話そうとして──止める。それを言うのはまだ先で良い。そう佐鳥は考えたのだ。

 

 今は、その時ではないと。

 

「──そう、そうなの。分かった。今の所はそれで納得してあげる」

 

 彩葉はそう言って笑みを溢す。その瞬間辺りの空気は緩み、佐鳥の肩は一気に抜け、その時初めて佐鳥は己が緊張していたのだと気付いた。

 

 その佐鳥の顔を覗き見、彩葉は笑みを貼り付ける。

 

 今の所は。

 

 それは即ち今後またそれを言及する事もあると言う事。

 

 結果の保留。

 

 けれども佐鳥はそれでも心底ホッとし、胸を撫で下ろす。彩葉の尋問は何処か恐ろしいものがあるのだ。例えるのなら天井がどんどんゆっくりと此方へ近づき押し潰すかの様な、そんなじわじわとした恐怖が。

 

 一時的でもその尋問を逃れられたのなら上々だろう。

 

「そう言えば、彩葉ちゃんはなんでこんな時間迄仕事してたの? やっぱ遠征が近いから?」

 

 佐鳥は話を変えようと今度は彩葉に話を振る。いくら技術者(エンジニア)が万年人手不足だからと言って、未成年をこんな時間まで働かせる上司は佐鳥が知っている限り存在しない。いや、少なからず存在はしているのだろうが、彩葉の口からそんな人間は聞いたことが無かった。

 

 当の彩葉は、本当はただ単に自分の興味で始めた副作用(サイドエフェクト)の研究による……もっと言って仕舞えば居眠りの残業なのだが、どうも彩葉的にはそれを言ってしまうのは気が引けた。これが佐鳥以外の人間だとしたら迷わず、恥もせず本当の事を言うのだが、佐鳥は別だった。どうしても本当の事を言えない。

 

 それは単純な、思春期の女の子の気持ち。

 

「まぁ、だいだいそんな感じ」

「ふうん?」

 

 佐鳥は首を傾げながら、然しそれ以上踏み込んで来ず、そう呟いた。その配慮(佐鳥にそんなつもりは無いだろうが)は彩葉にとって今は何処か嬉しかった。

 

「ま、最近会えて無かったし、私としては賢が残ってくれて凄く嬉しいよ」

「うん、僕も嬉し──……彩葉サン?」

「うん? なあに、賢」

 

 佐鳥は素直な感想を言おうとし、やめる。

 

 彩葉はその枝の様に細い腕を、佐鳥の腕に回していた。

 

 まるで恋人にする様に。

 

 断っておくが、彩葉と佐鳥は決してそう言う関係では無い。例え彩葉が佐鳥に熱烈な感情を向けていたとしても、これは断言できた。

 

 ──そう、彩葉は佐鳥が好きなのだ。

 

 それだけならまだ良い。だけれど彩葉の問題は、それを少しも隠そうとしない所だった。佐鳥の腕に手を回している状況が、その例だろう。

 

 良い意味では無く、悪い意味で。

 

「その腕はなんですか?」

「危なっかしい賢の為にエスコートしてあげる……構図?」

「何故疑問系!?」

 

 佐鳥の叫びが廊下に響く。けれども廊下には自分たち以外には人っ子一人居らず、虚しく消えてゆく。

 

 彩葉はその間にも腕を絡めているが、創作(フィクション)である胸が押し当てられてドキドキすると言うのは皆無である。

 

 彩葉の胸部には、おおよそ肉というもは付いていなかった。

 

 骨と皮。それだけである。

 

 いや、胸部だけとは言わず、その体の中に内臓と言うものが収納されているのが疑わしい程に、彩葉には脂肪と言うものがない。それは一般の女性は羨ましがるだろうが、彩葉の場合モデル体型と言うか、虚弱体型だった。

 

 第三者から見て心配される程に。

 

 けれども、それでも年頃の男の子にとって女の子に触られるのはどうしてもドキマギしてしまうもので、佐鳥は手のやり場に困っていた。

 

「丁度良いから一緒帰ろうよ。帰りどこかに寄ってさ」

「寄りません。もう時間も遅いし。此の儘家に帰りなさい」

「えー。ケチ」

「誰がケチですか」

 

 尚、この時でも彩葉の腕を振り払わないのは矢張り佐鳥と言えよう。

 

 佐鳥の好きなものに『女の子』と記載されているだけあり、女性にはこれ以上に無い程の紳士ぶりを見せるのだった。

 

 その時、ブブッとバイブ音が響く。彩葉は佐鳥と目を合わせ、佐鳥が首を横に振ったのを確認し、改めてその音の発信源は自分の携帯だと言う事に気付く。

 

「────あ」

「どうしたの?」

 

 彩葉は携帯の通知を見て顔を引き攣らせる。彩葉がそんな顔をするのは大変珍しく、佐鳥は思わず携帯の中身を覗き見た。

 

 其処には内容は記されて居ないものの、差出人を見て、佐鳥は納得をする。

 

「……一応聞くけど。察しているけど一旦質問させて。何があったの?」

「……父さんが、今日は早めに帰ってた」

「それで?」

「先週明け方に帰宅したのが多分バレてた」

「あちゃー」

 

 そう言いながら佐鳥は合掌をする。彩葉はそれを一瞥し、項垂れる。佐鳥はその姿を見ながら苦笑をした。彩葉がこんなにも弱るのは本当に珍しく、佐鳥は少し良いものを見たと得した気分になったのだ。

 

「……急いで帰る。じゃあね」

「あ、うん。武運を祈るよ」

 

 得した気持ちと共に、佐鳥は少し彩葉の事を哀れに思った。これから説教を受けに行く友人の背を見て、再度苦笑をするのだった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

「お、賢じゃないか。こんな時間までご苦労様」

 

 彩葉を見送った後、さぁ自分も帰ろうと足を進行方向に向けた時、後ろから声をかけられた。自分はいつになったら帰れるんだと思いながらも、佐鳥は和かに振り返った。声の主は己がよく知る直属の上司だった。

 

「嵐山さん、お疲れ様です! 嵐山さんもこんな時間までお仕事ですか?」

 

 目をやると、真っ赤な隊服を着た男──嵐山准が爽やかな笑顔で此方へ歩いてくる。流石は広報部隊の隊長だと佐鳥は感心する。佐鳥もその広報部隊に所属しているのだが、佐鳥はどちらかと言うとマスコットの様な立ち位置だ。最初から嵐山とは立つ場所が違う。

 

「実は夜に防衛任務を入れててな。今から現場に向かう所なんだ」

「ひぃー。そうなんですか? 夜中迄よくやりますねぇ。お疲れ様です」

 

 佐鳥はそう大袈裟に戯けで敬礼をする。嵐山はそれを見て「あはは」と頭を掻いた。反応は少し大袈裟なくらいが丁度良い。それが佐鳥が生きてきた中で覚えた処世術だった。

 

 嵐山は佐鳥の後ろを覗き見、佐鳥も倣って振り返る。其処には誰も居らず、ただ廊下が続いているだけだった。どうしたんだろうと首を傾げたら、不意に嵐山が口を開く。

 

「さっき迄誰かと喋ってたか?」

 

 それを聞いて、佐鳥はあー。と納得をする。恐らく喋り声が聞こえ、気になって此方へ来たものの、其処に居たのは佐鳥一人だけだったのが気になったのだろう。

 

 佐鳥は先程の会話を話す。勿論、あの尋問はぼかしながら。

 

「彩葉ちゃんと喋ってたんですよ。帰りが一緒になって。嵐山さんも後もう少し早ければ喋れてましたね」

「成る程、そうだったのか。それは惜しい事をしたな。それにしても相変わらず二人とも仲良しだな」

 

 疑問が取れたのか、嵐山は笑みを溢し、うんうんと頷く。然しその顔は一瞬であり、すぐに目線を上にやり、考える素振りを見せる。

 

「二人は一緒に帰らなかったのか?」

「帰ろうと思ったんですけど、彩葉ちゃん、父親からお説教の連絡が来たみたいで急いで帰りました」

 

 今度は嵐山が「あー」と何処か納得した表情をした。嵐山も彩葉の()()()()()に覚えがあるのだろう。

 

 逆にこんな人間全肯定botの様な嵐山にも苦言されると言うのは余程だろうと、佐鳥はまた苦笑をする。彩葉はボーダー一の変人として有名だ。変人にして変態。恐らくボーダー内で関わりたくない人ランキングを実施したら余裕で一位に君臨するだろうと、佐鳥は人知れず思うのだった。

 

「そう言えば彩葉の父親って確か……」

 

 嵐山はあっと思いついた様に目を丸くする。佐鳥はそれに肯定する様に頷いた。その後、嵐山は哀れな顔で廊下の先を見る。

 

「そうですよ、彩葉の父親は────あの本部最強の虎、忍田真史本部長です」

 

 ──忍田彩葉。思考強化という副作用(呪い)を持って産まれた隻眼の少女。

 

 これは、一人の少女と三人の少年少女が地獄の中で踠がき、幸せをつかもうとする物語。

 

 彼等は確かに、そこに存在していたのだ。

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