戦場より、愛を込めて   作:亥露

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第二話 父強し

「それで? 何故私が怒っているか優秀な彩葉なら分からない訳じゃないよな」

「……はい」

 

 彩葉はリビングで正座をしながら、同じく目の前で胡座で座っている父──忍田真史の言葉に萎縮する。

 

 忍田真史。彩葉が働いているボーダーの本部長。にて、彩葉の()()()の父親。

 

 本部最強の虎と名を打っているだけあって、その圧は本物だった。あの彩葉でさえも慄く程に。普段は温厚な人格者なのだが、そんな人物程憤慨したら恐ろしいのだ。

 

「私はな。何も仕事を頑張るなと言っている訳ではない。何事も、一生懸命と言うのは素晴らしい事だからな。無理をするなとも言わない。だが未成年が──まだ十六歳の娘が明け方に帰ると言うのはどうかと思うぞ」

「……仰る通りです」

 

 忍田にそう言われ、彩葉は更に萎縮する。この彩葉の姿を他のボーダー隊員が見たら目を疑う光景だろう。

 

 ボーダーでは天上天下、唯我独尊を貫いている彩葉だが、矢張り父には敵わない。年の功……の所為ではない。忍田よりも遥かに歳上である己の上司、鬼怒田本吉には決してこの様な弱った姿を見せた事はなかった。

 

 父は強し。矢張りこの一言に尽きるだろう。

 

 それに彩葉は忍田に対して底知れぬ恩を感じているので強くも出れないと言うのもあるのだろう。

 

「鬼怒田開発室長にも再三言われて居ただろう、『夜遅くまでの仕事は禁物だ』と。何故それが守れない。寺島に聞いた話だとその仕事は急ぎではなかった筈だ」

「はい……」

 

 忍田の正論パンチに彩葉は更にしゅしゅしゅと小さくなる。

 

 確かにあれは急ぎの書類ではなかった。言ってしまえばまだ一ヶ月の猶予があった仕事だったのだ。けれども彩葉はただ単に暇だからと言う理由で──言ってしまえば己の都合(我儘)で明け方迄その書類整理に取り掛かったのだった。

 

 その日忍田が出張に行っていたのを良い事に。

 

 けれどもそう言う悪巧みは直ぐにバレるもので。

 

 結局他の技術者(エンジニア)から本部長補佐である沢村響子に話が洩れ、其の儘忍田に話が行ったと言う訳だ。けれどもそんな事を露程も知らない彩葉はただ黙って説教を受ける事になったのだ。

 

 何故こうなったかも分からぬまま。

 

 まぁ、直ぐにでもバレたルーツを考えれば誰が洩らしたかなんて彩葉にとっては簡単に導き出される問題なのだが、今はそんな事を言ってられない。今の彩葉にとって一番の問題は目の前の(タイガー)のを怒りをどう鎮めるかと言う事だけだった。

 

(思考を回せ、思考を。どうしたらこの状況から脱出出来る?)

 

 彩葉は目線を横にしながら考える。

 

 言い訳をしても逆上する事は目に見えている。それらしい理屈を並べても、今迄の経験上説教が長引く事も分かっている。忍田の弟子である太刀川慶を見ていれば尚更である。それは情に訴えかけても同じ事。

 

 ──そしたら素直に謝って頭を下げた方が手っ取り早い。

 

「どうもすいませんでした! もうしません!」

 

 そう言って土下座する形で頭を思いっきり下げる。下げている間の忍田の冷ややかな目が痛い。然しそんな事を言って居られなかった。どんな形であれ、この状況を潜り抜けなければ、彩葉の明日は無いだろう。

 

「──確か前にも全く同じ、一語一句違わない言葉を聞いた気がするが?」

 

 無駄だった様だ。

 

 彩葉は不覚にも、前科を作っていた様だった。

 

 静かに息を吸いながら天井を仰ぐ。もう諦めの姿勢だった。どう足掻いても逃れられないと悟った今、そう自覚してからか、足の痺れが彩葉を襲う。

 

(あぁ、早く終わらないかなぁ。足痺れてきたなぁ。お腹すいたなぁ)

 

 彩葉はそう考えながら足をモゾモゾする。

 

 それを見て、忍田は溜息を吐いた。集中力が切れたのがバレたのかと一瞬心臓が飛び跳ねたが、忍田の次の言葉で、それは違うとわかった。

 

「まぁ、普段早く帰って来れない私にも責任はあるのだがな」

 

 その言葉に、彩葉はハッとする。

 

 忍田は別に、彩葉を貶める為に怒った訳では無い。責め立てる為に目くじらを立てた訳ではない。

 

 ただ、心配なのだ。

 

 明け方に一人で帰る娘が。こんな迄に無理をする娘が。

 

 それはれっきとした父親心。

 

 たった一人しかいない娘を心配するのは、至極当たり前の事。

 

 それを理解した彩葉の中に少し罪悪感が生まれる。自分の事を心配してくれる父に、少し……いや、だいぶ不誠実だったのではないかと。

 

「あのな、彩葉。お前みたいな未成年が夜中迄仕事をしていると鬼怒田開発室長やメディア対策室長にも迷惑がかかるんだ。この意味、彩葉なら分かってくれるよな」

 

 今度は優しく、言い聞かせる様に忍田は言った。

 

 忍田の言う通り、これは彩葉だけの問題ではなかった。

 

 未成年が明け方迄仕事をしている。これだけで市民が後ろ指を指す材料となるのだ。そうなればボーダーの評判がどうなるか、自ずと答えは出てくる。そうなればメディア対策室長の根付栄蔵にも迷惑がかかり、もっと言ってしまえば父である忍田にも何かしらの問題が生じるだろう。それは彩葉にとっては最もあってはならない事だった。

 

「ごめん……なさい」

 

 そこで彩葉は初めて──心の底からの謝罪をした。

 

 それを見て忍田は漸く──柔らかい、安心した笑みを溢す。彩葉は物分かりが良い子供では無いが、こういう素直な所はあるのだ。

 

「分かってくれたのなら構わない。彩葉はまだ子供で、それも女の子なんだから、そんな遅くに帰ったら駄目だぞ。まぁ、忙しい技術者(エンジニア)には難しい事だとは承知だが、出来る限りそうして、もし遅くなりそうなら本部に泊まるんだぞ。私もなるだけ早く帰る様にはするから」

「はい」

 

 彩葉はそう、丁寧に返す。先程とは違い、穏やかな雰囲気がそこにはあった。

 

「よし、話はここまで。夕飯にでもしようか。彩葉は何が良い?」

 

「クリームシチュー!」

 

 忍田の申し出に、彩葉は迷わず挙手をしながら叫ぶ。その姿は年相応の十六歳だった。その姿に忍田は穏やかに微笑んだ。

 

 ──こんなに年相応の顔をするのに、随分と時間がかかったものだと。

 

 そして忍田は彩葉の制服の下に来ているハイネックインナーに目をやる。そこに隠されているものを頭に思い浮かべ、忍田は人知れず顔を歪める。

 

 今が幸せであったとしても、過去は変わらない。

 

 肌を首まで隠しているそれ(インナー)と彩葉の右目を覆っている黒い眼帯は、彩葉の()()()()()だった。

 

 過去は──消えない。

 

 ずっと尾を引く。

 

 そして忍田の犯した罪も、消えてはくれない。

 

「んふふ。楽しみだ──どわぁ!」

 

 彩葉が立ちあがろうとした瞬間、突如前のめりになり、地面に思い切り倒れた。

 

「どうした!?」

 

 忍田は慌てて駆け寄る。

 

 震える声を絞り出しながら、彩葉は答えた。

 

「足……痺れたぁ……」

 

 そう言った彩葉は身体を硬直させ、なるべく足を動かすまいと留まる。

 

 忍田はそれを見て一瞬固まったものの、無表情のまま、何を考えているか分からない顔で無言で彩葉の後ろに回った。

 

 ──それが何を意味するか分からない程、彩葉は愚かでは無かった。

 

「え……父さん? 嘘でしょ? ねぇ、正気に戻って。お願い。そんな事は……ちょ、ま──!」

 

 ツンッと、忍田の人差し指が彩葉の足の裏を押す。

 

 星も輝く夜空に、一人の少女の叫びが響いた。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

「あー。昨日はひっどい目にあった……」

 

 翌日の朝、彩葉は自身が通っている学校の廊下を歩いていた。清潔感のある校舎は、何処となく高級感を漂わせていた。

 

 彩葉が通っているのは三門市内でも少し有名な進学校、六頴館高等学校だった。本当は普通校に通うつもりだったのだが、寺島の「彩葉の偏差値だったら進学校の方が良い」と言う助言のもと進学校に進学したのだった。

 

 然し入ったは良いものの、自身の副作用(サイドエフェクト)の功もあり、一年の教科書を丸暗記してしまった彩葉は授業に退屈を感じていた。だからこそ彩葉は授業に不真面目になり、時折授業をサボり、退屈を紛れさせる為に先生や生徒に悪戯を繰り返していた。だからだろうか、本来成績順に振り分けられる筈のクラス訳で、学年一位にも関わらずC組に入れられたのは。

 

 彩葉としてはどっちでも良かった。楽しめれば、それで。そのおかげで楽しい級友にも出会えたのだから。

 

「あ、おはよう彩葉。今日は早かったんだな」

「人を遅刻常習犯みたいに言わないでくれる?」

「いや実際そうじゃん」

 

 教室の扉を開けると、その級友──歌川遼と菊池原士郎が顔を此方に向けながら喋りかける。

 

 菊池原の言う通り、彩葉は度々遅刻をして登校してくるのだ。

 

「まぁ今日は流石にね。昨日父さんに叱られたばっかりなんだよ」

「へぇ、また何で」

「先週明け方に帰ったのがバレた」

 

 歌川の疑問に、彩葉は席に着きながらそう答えた。彩葉の言葉に菊池原は「だっさ」と呟く。それを一瞥して、鞄の中身を引き出しに入れる。菊池原は口では憎まれ口を叩くが、内心は友達思いの優しい子だと言う事を知っていた。

 だからこそ彩葉や歌川はそんな菊池原の事を優しく見守っているのだった。

 

「まぁ本部長の言う事も分かるけどな」

 

 歌川の言葉に、彩葉はムッと口を尖らせる。

 

「分かっているよ。だから今度からは()()()()定時で帰る様にするさ」

「こいつ何も理解してないよ」

 

 菊池原はそう言って顔を顰め、彩葉は顔を逸らし「ピュー」と口笛を吹く。それを見て歌川は「ははは」と和かに笑った。

 

 これが彼等のいつもの日常だった。彩葉が何かを言って、菊池原がそれを指摘し、歌川はそれの仲裁をする。この変わってしまった戦場の中でも、彼等は変わらず笑うのだ。

 

「そう言えば今日開発室に来なよ。トリガーメンテナンスがあるから」

 

 彩葉は思い出した様にそう伝える。

 

 彼等はA級部隊三位風間隊の隊員。故に来週行われる近界(ネイバーフッド)への遠征に赴くのだ。彼女としては寂しい気もするが、そこは仕事なので何も言えない。まぁ、せめて自分が彼等のトリガーを点検出来るのだから良しとしようと彩葉は自分を納得させたのだった。

 

「あぁ、分かっているよ。昨日風間さんにも言われたし。彩葉の腕も信用してるしな」

「へぇ、歌川の癖に良い事言うじゃん」

「何でキミはそんな偉そうな事しか言えない訳?」

 

 彩葉の言葉に菊池原は口を尖らせる。彩葉はふふんと鼻を鳴らして見下す様に二人を見た。それもいつもの事なので歌川は苦笑いをし、菊池原はジト目になるがそれ以上の言及は無い。言っても無駄だと言う事を知っているからだ。それに二人はそんな彩葉に少しばかり居心地の良さを感じつつあるのだ。歌川はともかく、菊池原は一向に認めようとしないのだが。

 

「まぁそれはともかくとして、お土産は期待してるよ」

「いや、仕事で行くだけだし。それに()()()にそう言うお土産コーナーがあるとでも思ってんの?」

「向こうの住人のDNAでも可。本体だったら尚良し」

「殺して来いってか!?」

 

 彩葉の言葉に歌川は盛大に突っ込む。しかしそんな歌川を一瞥する人間はこの騒がしい教室には居なかった。無論そんな極端に騒がしい訳ではないが、少なくとも談笑する声は響いている。けれどそれは〝強化聴力〟という副作用(サイドエフェクト)を持っている菊池原でさえも極端に苦にならない音量だった。

 

 まぁ、元々進学校に来ている生徒は真面目な人間が殆どで、普通校の様な騒がしい人間はほぼ居ない。だからこそ菊池原は教室でもゆっくり出来るのだった。生徒の殆どは教室で勉強をしているか、軽く談笑をしているかのどちらかにだった。因みに学校内で自由に行動をしている彩葉ははなから例外だ。

 

 こうして近界民(ネイバー)DNA(遺伝子)を求めるあたり、彩葉のマッドサイエンスな部分が垣間見える。

 

「まぁ期待して待っとくよ。じゃあ私ちょっとトイレ行ってくるから」

 

 彩葉はそう言って立ち上がり教室を出てゆく。それを二人は真顔で見送った。恐らく一時限が始まっても戻ってこないのだろう。

 

「でもさぁ」

 

 彩葉を見送った後、菊池原は片手で頬をつきながら怠そうに言った。

 

「彩葉が普通の要求をしたらそれはそれで気持ち悪くない?」

「……確かに」

 

 菊池原の言葉に、歌川は静かに同意する。

 

 ──その後。結局彩葉は一時限になっても帰ってこず、戻ってきたのは四時限目の数学の時だった。

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