戦場より、愛を込めて 作:亥露
「はい、じゃあこれで問題無いかな。他に追加したいトリガーとかは無い?」
「いや、今の所これで良い。必要なら遠征先で臨機応変に追加する」
「了解。じゃあこれで最終メンテナンスは終了かな。これから何か不具合があったらすぐ言いなね。遠征先でバグが起きたら笑えないから」
「そこら辺はきちんと心得ている。気遣いに感謝しよう」
「風間さん。こんな奴に礼を言う必要無いですよ。どうせ
風間と彩葉が業務連絡をしている間に、菊池原はそう憎まれ口を叩く。
──彼等が今居るのは開発室だった。遠征に向けて、A級三位である風間隊の面々は彩葉によるトリガーメンテナンスをしているのだった。
そしてその中でも一際低身長の目立つ青年──風間蒼也は彼らの上司であり、風間隊隊長をも務めている。
「菊池原、そんな事を言うものじゃあないぞ。彩葉の性格がどうであれ、俺たちのトリガーを点検してくれたのは事実なのだからな。それに事実は時に人を傷つけるんだ」
「風間さん、今確実に一番傷付けているのは貴方の言葉です」
歌川は風間の言葉にツッコミを入れ、オペレーターである三上歌歩はクスクスと慈愛の笑みを浮かべながら眺めていた。そして唯一の被害者である彩葉は何処か納得いかない顔をしていた。
「取り敢えず本当にありがとう。今度なんかお礼するね」
三上は彩葉にそう伝え、頭を撫でる。彩葉の身長は154㎝と決して低くはなく、何なら頭を撫でている三上よりは高いのだが、彩葉の元の属性故か、こうして年上女性に可愛がられる傾向にあるのだった。特に三上などは長女であるからして世話焼きである。
「お礼なんて良いですよぉ。でもそうだな、強いて言うなら駅前の新しく出来たラーメン屋に行きたいな」
「あ、じゃあ今度二人で一緒に行こうね」
「やったー。歌歩先輩の奢りー」
「しょうがないなぁ」
三上はどしようもなく愛し気に彩葉の頭を撫でくりまわす。矢張り長女というのはこういうタイプに弱いのだろう。しかし男性陣は彩葉が何故こうも可愛がられるのかが心の底から不思議でしょうがなかった。
「お前達、そろそろ戻るぞ。此処に長居をしても邪魔なだけだ」
風間の号令に、皆一同「はい」と返事をする。風間隊の様にここまで統率の取れている隊は珍しい。それはきっと風間の人徳故なのだろう。
彩葉はそれを見て、少し……ほんの少しだけ羨ましくなった。けれどもその羨望は一瞬のうちに彩葉の中で音もなく──弾け飛んだのだ。
「それじゃあまたね、彩葉ちゃん」
「今日は定時で上がるんだぞ」
「忍田本部長に怒られなければ良いね」
「邪魔したな」
四者、四様。
それぞれ彩葉に言葉を掛けながら部屋を出ていく。それを彩葉は片手を挙げながら返答し、見送った。
扉が閉まるのを確認して、彩葉は椅子に深く腰掛ける。此処は開発室でも彩葉専用の仕事部屋なので、人は滅多に来ない。内装はまるで診察室の様だった。
主にこの部屋では
──この部屋は彩葉の為にあてがわれた部屋だった。
勿論本部長権限で優遇されているなどではない。申請をすれば部屋は貸して貰えるのだ。それこそB級下位の海老名隊のオペレーターである武富桜子が良い例と言えるだろう。
けれども彩葉の
彩葉はある意味ボーダーの生命線であり、
だからこそボーダーの上層部側としては彩葉に出来る限り集中出来る環境を提供したいと思っているのだろう。
その上層部の恩恵を受ける程の信頼と実績を、彩葉は築いているのだから。
彩葉は机の上の本棚に並べているファイルの内一冊を手に取り、慣れた様子で捲っていく。
そこには様々な数値、文字、グラフが書き起こされている。どれもこれも難しい内容で、恐らくは普通の人間が見ても理解不能な内容だろう。
──彩葉の主な仕事は
彩葉はその未知なるものに惹かれ、彩葉は自らその研究に名乗りを上げたのだ。
己の実態を理解したいからと言うのも──否定は出来ない。けれどもそれ以上にそれが気になったのだ。
「まぁ、今の所まだ停滞状態なんだけれどね。
そう、人知れず彩葉は独り言を言う。呟くと言うには些か声が大きく、まるで誰かと会話をしている様だったが、しかし実際には誰も居らず、彩葉の言葉を拾う者は誰も居なかった。
彩葉はオフィスチェアに体育座りの様な姿で座り、椅子を回していた。それも資料を読みながら。
普段は数十分で終わるトリガーメンテナンスだが、遠征も近いと言う事で入念に入念を重ね一時間くらいは経ってしまっていた。
「……お腹空いたなぁ」
グゥと、彩葉の腹が悲鳴を上げる。一時間もメンテナンスをしていたので当然である。引き出しの中に確かスティック型の栄養食品が入っていたはずだと思い出し、二番目の引き出しを開ける。……が、不運な事にそのストックが丁度切れていた。そういえば一昨日くらいの夜に食べたのが最後の一本だったと記憶を手繰り寄せ、肩を落とす。そして部屋の端に設置してある冷蔵庫を開けるも、これもまたものの見事に空っぽ。飲み物でも入っていれば良いのだが、本当に何も入っていない。冷凍庫も空である。いつもは飲料ゼリーが入っているのだが、それすらもない。
彩葉は食を楽しむ方ではないが、矢張り腹は減る。それは人体の当然としての摂理であり、抗えないものだった。
彩葉はチラリと時計を見る。時間はまだ六時半。晩御飯と言うにも少し早い。けれども彩葉の腹は
まずそもそも、彩葉は空腹という物が嫌いだった。
辛いし、絶望するしで何も良いことがない。
よく腹を空かせた状態で食う飯は美味いというが、その説ですら彩葉はとても煩わしく感じていた。
(……どうするべきか。今から食堂に行くのも面倒だ。コンビニなんてもってのほかだし、でもお腹は空いたなぁ。此の儘仕事を上がる訳にもいかないし……と言うかまだ仕事残ってるし。どうしたものか)
彩葉は頭を悩ませる。普段は
寺島にでも買ってきて貰おうとも思ったが、いかんせん寺島は遠征の事で鬼怒田開発室長の所へ出向いている。況してや今繁忙期ともあってピリピリしている
唯我独尊を貫く彩葉でも、大の大人には生身で勝てっこないのである。トリオン体は別として。それにそういう危機感は養っているつもりだった。彩葉にとっては。
彩葉が空腹に頭を悩ませていると、携帯の通知音が鳴る。先日の事もあり、過度に肩をビクつかせて携帯を即座に取り画面を見たが、そこに書いてある名前を見て、飛び上がる様に椅子から立ち上がって部屋を出た。
──携帯の通知欄に書かれてあった名前は彼女の最も親しい友人、志岐小夜子の名だった。
文字通り、彩葉にとっての親友だ。
◆◆◆◆◆
「いやぁ、小夜子が来てくれて助かったよ。それに手土産のお菓子まで……本当に頭が上がらないわ」
「……彩葉って本当現金だよね」
彩葉は小夜子に礼を言いながら小夜子の持ってきたお菓子を口一杯に頬張っている。因みに彼女が持ってきたのは自身の好物の塩昆布などでは無く、実家から送られてきた缶に入れられたチョコレートクッキーだった。尚恐らく小夜子が塩昆布を持ってきたとしても、彩葉は文句も言わずにありつくのだろう。
何故なら彩葉は空腹を満たせればそれで良いのだから。
──志岐小夜子。B級中位部隊那須隊のオペレーター。
そして、男性恐怖症。
そんな彼女が何故平均で男性の方が多いボーダー本部に来れているのかと言うと、単純に彩葉の迎えがあったからである。彩葉にお菓子を渡すべく途中まで廊下を歩いていたものの、矢張り男性の行き来が多く、意を決して彩葉に連絡とって迎えに来てもらった次第である。
当の彩葉は別に迷惑とは思っておらず、逆に何か食べ物にありつけるかもと言う思惑もあった為、喜んで迎えに行ったのである。
だから──現金。
恐らく太刀川隊の
「でも本当に何も無いね。買い出し行かなかったの?」
小夜子は冷蔵庫を開けながらそう言った。
「最近忙しくてね。ほら、遠征近いし」
「成る程」
「なんなら小夜子が買いに行ってくれても良いよ」
「やだね。通販でも使いなよ」
「やだね。はぁ、明日にでも買いに行くか」
そう言いながら彩葉はカレンダーを見る。確かに明日は会議が入っているが、時間は夜だ。それまでに買い出しに行ければ良いだろう。荷物持ちを一人引き連れて。
「……佐鳥くんを連れて行くつもりでしょ」
「え、バレた?」
「彩葉が一緒に出かけるのは佐鳥くんくらいしか居ないしね」
「やな言い方ー」
けれども本当の事だった。
彩葉の性質を知っている者はこぞって彩葉の申し出を断るのだった。しかし彩葉は気にする素振りも見せず、時には断る友人の腕を引き摺ってでも己に従わせる事もある。けれどもそんな状況は本当に稀で、殆どが佐鳥を連れている。
流石唯我独尊を地で行く女である。
「でも本当佐鳥くんに対して執着凄いよね。何が彩葉をそうさせるのやら」
そう言って小夜子は横に首を振る。
「──聞きたい?」
彩葉は地面にしゃがんで冷蔵庫を見ている小夜子の方にかけより、ずいっと小夜子に顔を近づけそう聞いた。小夜子は急に顔を近づけられて少し仰け反ったが、なんとか倒れずに済んだ様だ。お互い室内でしゃがんでいると言う側から見れば
「私は賢が好き。大好き。ううん、大好きなんて言葉では足りない程愛してる」
彩葉の赤裸々な言葉に、小夜子は呆れ返る。ここまで来ると最早尊敬の域だ。
けれども重く思えるその感情は、決して真似して良いものでは無かった。
少なくとも、そんな健全な想いではない。
重すぎる想いは、重しにしかならないのだから。
「けど、小夜子も大切だよ」
先程の声色とは打って変わって、穏やかな優しい声でそう言った。
小夜子は驚き彩葉の方へ顔を向ける。彩葉は片方しかない翠眼を、真っ直ぐと小夜子に向けていた。
彩葉の容姿は、驚く程に整っていた。百人中百人が振り返る──とまでは行かないが、それ程までに目を惹く容姿である事は確かである。
彩葉の性格を知らずに告白し、泣かされた男が大勢居る程には。
まぁ、その彩葉は佐鳥賢と言う男に執心らしいが。
そんな事もあり、真っ直ぐと見つめられる小夜子は、恥ずかしさで顔から火が出そうになった。特に美人体勢のない小夜子にとっては。
自身の隊長である那須玲も絶世の美女だが、そもそもお互い病弱と引き篭もりと言う属性故に顔を合わせる事も少なく、隊員がよく那須の家にお泊まり会に行く際も、小夜子は出不精の為一人だけリモート参加になっているのだった。唯一合わせるのは任務の時かランク戦の時だろう。
「小夜子は私にとって恩人でもあるし、何より親友だしね。私の人生で初めての女友達と言っても過言ではないくらい」
「そ、それは買い被りすぎだよ」
「そうかな。でも、それだけ小夜子の事を大好きだって事だよ」
彩葉はそう言って小夜子の手を握る。両手で、まるで割れ物を扱う様に。小夜子の手が細い手に覆われ、温かさがじんわりと広がっていく。
彩葉の顔は俯いて小夜子からは窺えない。けれども、小夜子は彩葉の今の心情は見てとれた。
親友だから。
同じだから。
小夜子と彩葉は、佐鳥とは別の意味で深い絆で結ばれている。
解こうにも、もう絡みすぎたくらいに。
「小夜子。私と君は親友だよ。今までも、これからも、ずっとずっと」
「……うん。親友。私も彩葉を見捨てないし、彩葉も私を見捨てない。ずっと、永遠に親友」
小夜子は彩葉の手を握り返してそう言った。
まるで誓いの言葉の様に、静かにお互いに言い聞かせる様に、はたまた自分に暗示をかける様に小夜子の言葉と彩葉の言葉は、響く事もなく部屋に消えていった。