戦場より、愛を込めて   作:亥露

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第九話 炒飯とは、ギャンブルなり

「ほら、遠慮しないで食べて良いのよ。おかわりはまだ沢山あるからね、堤くん」

「あ、あははは……」

 

 金髪の女性に言われ、堤と呼ばれた糸目の男は顔を引き攣らせる。目の前には禍々しい茶色の()()が皿に盛り付けられており、鼻を覆いたくなるほどの刺激臭を放っていた。

 

 ──これが炒飯だと言うのだから末恐ろしい。

 

 その女性──()()(のぞみ)は笑顔を絶やす事なく堤を眺めていた。

 

 ──加古希の好奇心は、止まる事を知らない。彼女は日々様々な炒飯を作っており、どの食材が一番合うか吟味をしているのだった。それは隊室に備え付けられている台所で行われており、もはやそこは台所ではなく一種の研究室だと語る者も居る。

 

 そして目の前に座っている糸目──(つつみ)(だい)()はその純然たる被害者だった。

 

 いや、被験者と言っても良いのかも知れない。

 

 堤の目の前に出されているのは『鮭のチョコレート混ぜ炒飯』と言うかいかにも狂人が考えたであろう食べ物だった。

 

 チラリと横を見る。そこには涼しげな顔で炬燵に入りながら行儀良くお茶を飲んでいる彩葉の姿があった。

 

 ──何故、こんな事になったのか。

 

 それは三十分前に遡る。

 

 堤は防衛任務の時間までラウンジで大学のレポートでもやろうかと足を向けた先に、彼女が居たのだ。

 

 その彼女はニコニコと笑っており、まるでその顔のまま生まれてきたかの様に堤が来るまでずうっと笑って居たのだ。恐らく堤が自分と会うのを予測していたのだろう。まるで待ち構えて居たかの様に角を曲がった所に居たのだ。

 

 その直後、堤の脳が警報を鳴らす。

 

 まずい。

 

 これは非常にまずい。

 

 此の儘喋りかければ自分の命はない。けれども目が合ってしまった。彼女の目と、堤の閉じている瞼の向こう側の目が、がっちりと。

 

「──あら、堤くん。奇遇ね。少し付き合ってもらえないかしら」

「……奇遇じゃなくて待ち構えて居ただけじゃないの?」

「あら心外ね。私が奇遇と言ったら奇遇なのよ」

「驚くほどゴーイングマイウェイ」

 

 堤はそう言って顔を逸らす。こう言う時は決まって断れないのだった。しかもこれから防衛任務があるからと言ってここから立ち去ることも出来ない。防衛任務の時間はまだ後であり、それもあってか自身の隊長である諏訪は己の隊室で大人を集めて麻雀をしている。その事を加古が知らないわけもなく。だからこそこの言い訳は通用しない。

 

 ──と言うより言い訳そのものが加古にとって意味のないものだった。

 

「丁度良い炒飯の組み合わせを思いついたのよ。これから食べてくれるわよね」

 

 ──疑問符が行方不明だった。

 

 これはもう堤は否応無く連れて行かれる事が決定されている。堤の経験上、ここから逃れる事は出来ない。絶対に。

 

「──あのね、加古ちゃん。俺はこれからラウンジにてレポートをしなければいけないんだ」

 

「へぇ、なら尚更丁度良いわ。うちの隊室でしてらっしゃいよ。炒飯もご馳走するし、何より炬燵もあるわよ」

 

 ──堤は逃げられなかった。

 

 せめてもの、苦し紛れの抵抗を見せたが片手で跳ね返されてしまった。

 

 終わった。何もかも。

 

 そう思いながら堤は加古に腕を引っ張られながら人知れず涙を流す。

 

 彼女の好奇心の行先は炒飯であり、その犠牲者はいつも堤なのだ。一度自分で食べてみたらどうかと話したのだが、それでは客観的な意見が分からないからと跳ね除けられてしまったのは古い記憶だ。

 

 ふと、堤は視界の端に一人の人間を見つけた。

 

 白衣を着た短髪の黒髪。右目には眼帯をつけて、ボーダー支給のタブレットを片手に廊下を歩いている女。

 

「──彩葉!!」

 

 堤は思わず呼び止めた。

 

 そして彩葉は顔を上げる。

 

 そこから物語は動き出したのだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆

「なっがい回想終わりました?」

「お前は良いよな……アタリの炒飯を食べれて」

 

 彩葉は我関せずと言った様子でノートパソコンを開いている。恐らくここで仕事をするつもりだろう。確かにこの炬燵は暖かい。それにこのリビングの様な空間はどこか癒やしの様なものも感じられた。彩葉はここで落ち着いてしまったのだろう。加古も咎める事なく好きにさせている。

 

 それより、何よりも堤が優先すべきは目の前に置かれているコレである。

 

 鮭をムニエルの如く混ぜられたチョコレートは全くと言って良いほど食欲をそそられない。鮭までなら何とか許容は出来た。鮭は米と愛称抜群な上に卵もいい味を出すだろう。

 

 しかしそれを差し引いてもあまりある邪魔をしているのは何と言ってもチョコレートだ。魚にチョコレートは絶対に合わないと、堤の内なる本能がそう告げていた。それに所々トッピングされているのは鷹の爪だった。

 

 ──合うわけがない。

 

 因みに彩葉が食べた炒飯は『豚肉ともやし絡み炒飯』だった。堤は遂に一口も食べる事は叶わなかったが、彩葉曰く「いける。普通に美味しい」と言っていた。どこら辺がどういけて、何を基準に普通なのか問い詰めたかったが、いかんせん彩葉は食に興味がない様で終始美味しいと言っていた。

 

 それに比べて堤の目の前に出されているこれは全く持って食欲が失っていく。

 

「堤くん、どうしたの? 早く食べなさいよ。冷めるわよ。まぁ冷めてもレンジで温めれば良いだけなのだけれどね」

 

 加古はそう言って堤の逃げ場所を次々と破壊する。

 

 ──加古の炒飯はギャンブルだ。八割は舌も蕩ける程に美味しい絶品炒飯を作るのだが、後の二割は舌も溶ける程に不味いゲデモノが出来上がる。そしてその二割を引くのは同い年でA級一位部隊隊長の太刀(たち)(かわ)(けい)と堤大地だった。

 

「そう言えば彩葉、前から聞きたかったんだけど、性を変えるつもりはなあい?」

「え? いきなり何?」

 

 彩葉は加古の唐突の質問に眉間に皺を寄せる。加古はそれを見て笑みを溢す。

 

「ほら、うちの隊は全員イニシャルを『K』で揃えているでしょう? 彩葉の苗字がKだったのなら勧誘できたのにと思ってね。だったら彩葉の性を変えれば良いじゃないと言うことよ」

「──……全くわからん」

 

 五秒くらい熟考したが、矢張り理解が出来なかった。彩葉の性がKでない事で加古が残念がっているのは分かるが、それでもどこからどう考えれば相手の性を変えようという結論に辿り着くのかが理解ができなかった。

 

 こうも彩葉の理解の外にいる人間もまぁ珍しい事だが、今に限ってで言えば傍迷惑も甚だしかった。

 

「変えませんよ。私この苗字結構気に入ってますし」

「そう? なんなら彩葉を巡って本部長と法廷で争うことも、私としてはやぶさかではないどころか歓迎の極みだけれど」

「その場合多分勝つのは目に見えて父ですが!」

 

 彩葉は加古のギャグに対して勢いよくツッコむ。いや、加古の場合どこからがネタでどこからが本気なのかが彩葉には理解がまだ出来ていなかった。付き合いが長い三輪辺りなら分かるだろうが。

 

(いや、どうだろう。私も加古さんとの関係は四年目だけれどいまだに分かんないし。若干天然気味な三輪先輩が分かっているとも考えづらい)

 

 彩葉はそう思考し、苦笑する。まぁともあれ、加古のこの言動は深く追求しない方が良いのかもしれない。深掘りしていくうちに本気になられてしまってはたまったものではないのだから。

 

「──器具を洗って来るわね。その後感想頂戴」

 

 話に飽きたのかそう言いながら、加古は部屋を出て行く。その顔は何処か楽しげで、鼻歌がドアの向こうから聞こえてくる。

 

 本人はこの趣味としている炒飯作りは六歳の頃からやっていると言うが、それについて堤は一言物申したかった。

 

 加古夫妻よ。子供を台所に入れるなと。

 

 それは危ないのは勿論のこと。将来この様な化け物を生み出すきっかけにもなるのだ。

 

 恐らく最初は子供乍らの好奇心だったのだろう。だがそれが加古の好奇心と言う車にガソリンを注いだ。

 

 六歳から十四年間。彼女は絶え間なく炒飯を作り続けているのだった。

 

 絶品の炒飯の、その先を目指して。

 

「でも絶品の炒飯のその先って、冷静に考えたら怖いですよね。一周回って美味しいけど形容し難い味……って事なんでしょうか。まぁ私が食べた炒飯は美味しかったですけれど」

「それ一口ぐらい分けてくれても良かったんじゃないの?」

「嫌ですよ。何が悲しくて年上の男性と一つのご飯を分け合わなきゃいけねーんですか。あれは私の炒飯です。それに堤さんの取り分はあるでしょう」

 

 そう言って指差す方向には問題の渦中である炒飯がこちらを睨みつけていた。

 

 加古が洗い物で席を外している今、頼れるのは彩葉だけだった。

 

「……彩葉、食べないか? これ。お前ならいけるって!」

「嫌ですよ。まだ死にたくありません」

 

 堤の懇願を、彩葉は容赦なく切り捨てる。彩葉も彩葉で自由人且つ頑固者だ。こうなればテコでも食べないだろう。

 

 救いのない状況に、堤は頭を抱える。

 

 どうしてこうなってしまったんだ。

 

 こんな事ならあの廊下を使わなければよかった。そうしたらこんな想いをしなくて済んだのに。

 

 堤の中に後悔が渦巻く。それは高めな小説を買ったが中身が薄っぺらい三文小説だった時の後悔だった。

 

「堤さん、少し授業をしましょう」

「へ……?」

 

 絶望し、項垂れている堤を見兼ね、彩葉は口を開く。

 

「──元来、しょっぱいものと甘い物は合うんですよ。それは何故だと思います?」

「え!? そんな言われたって分かんないよ」

 

 彩葉はパソコンを閉じて目を伏せる。

 

「それはですね一種の対比効果ですよ」

「……対比効果?」

 

 堤はいきなり科学的な事を言われ、少し戸惑う。

 

「実は甘味と塩味を感じる真剣は別々に存在しているんです。だから味の伝達の速度が微妙に異なって、塩味は甘味に比べて早く脳に伝わる。故に先に来る塩味が甘味を引き出して美味しく感じる。それに堤さんだってそんな食べ物を常日頃食べてると思いますよ」

「えぇ、そんな食べ物食べた事ないよ」

「そんな事はありません。堤さん、スーパーのお菓子コーナーに行った事はありますか?」

「……舐めてんの?」

「じゃあ分かるはずです」

 

 彩葉にそう言われ、考えあぐねる。そう言われてもそんな狂気の代名詞であるこの料理が変わるわけでもない。しかし此の儘舐められたままでは癪だった。

 

 堤は目の前のコレ(もう炒飯と呼ばない)を一旦隅に追いやって思考を回す。

 

 お菓子コーナー。

 

 しょっぱい物と甘い物。

 

 しょっぱい物はポテトチップス、トッポ、駄菓子類。

 

 甘い物はチョコレート、クッキー。

 

 チョコレート……ポテトチップス、トッポ……チョコレート……。

 

「……あ」

「あ、閃いた?」

 

 堤の中で引っかかっていたものがスコンと落ちたのが分かる。

 

「ポッキーとか、塩キャラメルとか! それにポップコーンとか! それに新発売のポテチのショコラ味はおサノも美味しいって言ってた!」

「──正解」

 

 彩葉は伏せた目を開けながら肯定をした。

 

 堤は「確かになぁ」と納得した様子でうんうんと頷く。忘れていたが彩葉は技術者(エンジニア)の中で研究者と言う立場だった。理系科目に強いのは当たり前だった。

 

「じゃ、もう答えは導き出せるんじゃない?」

「答え?」

「そ、答え。鮭はしょっぱいでしょ? そしてチョコレートも甘い。それを一緒に食べたら?」

 

 ──そうかと堤は腑に落ちる。

 

 今の授業はコレの味を保証する為のものだったのだ。心なしか目の前のコレ──いや、炒飯も堤の目にキチンと食べ物に見えてきたのだった。

 

 堤は意を決してスプーンを持つ。彼にはもう怖い物など何も無かった。それにコレも一種のギャンブルだと思えばこれ以上に面白い物もない。

 

 ──さぁ、加古の八割を、そして彩葉の仮説に賭けようではないか。

 

 皿に盛られている米を匙で掬い、一気に口にかき入れる。もうしのごの言わない。堤は男を見せるのだった。

 

 ピタリと匙が止まる。喉に異物が通る感覚。そして舌に感じる甘味と塩味。そしてそのアクセントとなっている鷹の爪の辛さ。

 

 そしてもう一つ──。

 

「そう、答えはもう出た。基本的に甘い物としょっぱい物は合う。だけれど──」

 

 カランと音を立て、堤は匙を床に落とす。

 

「魚とチョコ。絶対合うわけねーよなって。つーか魚はしょっぱいと言うより生臭いし」

 

 堤は音を立てて倒れ込み、それを彩葉は合掌で堤を労う。

 

 そう、堤はこの人生で一度もアタリの炒飯を食べた事は無いのだから──。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

「それで、堤さんはそんな感じなんですか?」

「そうなんだよ。私もちょっと面白くなって揶揄っちゃったけど」

 

 ソファーで横になっている堤を見ながらツインテールの少女──(くろ)()(ふた)()は眉をハの字に曲げる。

 

 双葉は加古隊の一員にして中学一年生の十三歳。そしてA級隊員最年少である。加古の好きな物に『才能のある人間』とある様に、双葉もその才能を見込まれて加古に勧誘されたのだ。

 

 その才能は彩葉も期待をしており、双葉を見守っているのだった。

 

「すみません。加古さん用事があって途中で抜けちゃって」

「あぁ良いの良いの。気にしないで。それに私こそごめんね、隊室使わせてもらっちゃって」

「いいえとんでもない。彩葉先輩だったらいつでもどうぞ」

 

 双葉の言う通り、洗い物が終わった加古は少し用事が出来たと言って隊室を後にしたのだった。因みに堤の惨状は「美味しすぎて失神しちゃったのね。うふふ」と割と本気の声でそう言っていた。双葉が来たのはその後だった。

 

「それで、どう? 君の隊長が作った『鮭のチョコレート混ぜ炒飯』。美味しい?」

「はい。普通に美味しいですよ。彩葉先輩も食べます?」

 

 彩葉は「まさか」と笑って手を力なく振る。

 

「私は確かに食に興味は無いよ。でも味覚という物は存在してね。双葉には悪いけれど私はまだ死にたくは無いよ」

 

 双葉は「そうですか……」とスプーンを口に運ぶ。

 

 一見可愛くシティーガールに見える双葉だが、実のところ山育ちの野生児なのである。市内の中学に進学するまで、山奥で幼馴染みの緑川と共に魚を獲ったりキノコを食べたりしていたのだ。

 

 それ故胃袋は人が想像するより頑丈であり、舌もその山奥で鍛え上げられている為、堤が失神するほどの激物でも美味しく平らげることが出来るのだった。彩葉も見た時は驚き、その舌の構造と胃袋を検査させて欲しいと頼み込んだ程だった。まぁそれも加古によって阻止されてしまったが。

 

 もりもりと食べる双葉を見ながら彩葉は少し苦笑をする。

 

 見るからにこんなゲテモノを食べられる双葉には脱帽だった。彩葉も多少のものは好き嫌い無く食べられる。何なら過去に作った『いくらカスタード炒飯』くらいだったらいけるだろう。だが双葉にはなれない。

 

 こんな香りですらも涙腺を刺激する様な代物を、余裕綽々と食べられる方が可笑しいに決まったいる。

 

 そう考えながら、彩葉は寝転がって目を伏せる。

 

 ──六年前だったら、恐らくこんなゲデモノでも貪り食っていただろう。

 

 そんな自分が嫌になりつつも、あの頃はそうでもしないと生きていけない程に地獄だったと、自分でも分かっていた。

 

 理想だけでは、生きていけない。

 

 そう思うとどうしてか胸が痛くなり、呼吸もし辛くなる。

 

「……彩葉先輩」

「なあに? 双葉」

 

 彩葉は横になりながら寝返りを打ち、双葉の方を向く。双葉はそんな彩葉に炒飯を掬った匙を向けていた。

 

「……食べてみてください」

「──しょうがないなぁ」

 

 双葉の()()()に少しばかり甘えようと腰を上げる。

 

 そして差し出された匙を口に入れる。するとフワリとした甘さに塩胡椒のしょっぱさと鷹の爪の辛さ。そして何より主張が強いのは──鮭の生臭さである。

 

「……ッ! ……カ……ッ!」

 

 彩葉も堤と同様に倒れ込み、痙攣をする。その姿は宛ら陸に打ち上げられた魚の様だった。

 

「……美味しいのに」

 

 双葉はそう言って堤と彩葉を交互に見つめ、少し寂しそうにまた炒飯を口に運ぶのだった。




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