【1】
ベッド脇に置かれた時計が、昼の13時を指していた。
しかし実際には針で数字を指しているわけではない。いくつかの棒が形を成して、数字の『13』を表している。外界のデジタル時計というものらしい。
メイド長である十六夜咲夜が取り寄せてきたものだ。使い勝手は良いが品性に欠ける。
淡いピンク色のパジャマ姿で大きく伸びをすると、レミリア・スカーレットはベッドに横たわった。
今日は随分と昼更かしをし過ぎた。
これもすべて妹のフランドール・スカーレットのせいだ。
あれは朝の11時頃。
読んでいた魔道書に一区切り付け、入眠用の紅茶を飲みきり、ベッドに歩みを進めていく。
まさにその時だった。
フランは寝室に入ってくるなり発狂すると、部屋の食器具や家具を破壊し尽くした。
彼女の性格と能力にしてみれば、珍しいことでもないのだが、自分の部屋でやられたら堪ったものじゃない。
どれだけ言葉を投げかけても、聞き入れる様子は無かった。鼓膜にダメージを喰らいすぎて、ほぼ何も分からなかったが、聞き取れた範囲では『冷蔵庫』だの『食べた』だの『プリン』だの。
結局そのまま嵐のように過ぎ去って、どこかへ行ってしまった。
近頃はフランも一人で外出できるようになったし、すぐに咲夜に追いかけさせたから心配はないだろう。しかし部屋はひどい有様で、何とか片付けて復元させるのに、この時間までかかってしまった。
ようやく眠ることができる。
ホッと一息つき、ベッドと一体化でもするかのように、レミリアは眠気と共に身体を沈ませていく。
次の瞬間だった。
「おはようございます!」
唐突に快活な挨拶が聞こえて、閉めたはずの部屋の窓から風が吹き抜けてくる。
レミリアはうんざりしたように、眉をひそめ、身体を起こす。
無視しようと思ったが、そうはいかない。
声に聞き覚えがあった。
「今から寝るのよ」
苦言を呈しながら、声の方に眠い目を擦りながら向けると、自分と同じ黒い羽を有した人影があった。
コウモリのような優雅でスマートな翼ではなく、羽根が集まり構成されたむさ苦しい鳥の翼だ。
当該の人物は、普段の天狗服とは違い、茶色のジャケットを着て人間に変装してはいるが、紅い瞳や尖った耳が隠れていない。
「毎度どうも。『社会派ルポライターあや』です!」
窓枠にもたれかかっている射命丸文が、芝居がかったように満面の笑みで挨拶をして、名刺を差し出して来る。
「咲夜!……は居なかったわ。まったく、ようやく寝られると思ったのに」
レミリアは小さく呟き、溜め息をつきながらベッドを降りると、亜空間から神槍を取りだし、文との間合いを詰める。
「鴉天狗の血は好きじゃないわ」
「ちょっ、戦いに来たわけじゃないですから、一旦それを下ろしてもらえます?」
「窓から侵入してくる奴は悪人だと相場は決まっているの。美鈴はどうしたのよ」
「入館許可を申請したら、『ぐぅ』と言ってくれましたよ」
「そう。じゃあ、これはあの馬鹿にも放るわ」
手に持った神槍が青白く閃光する。
「そんな邪険にしないでくださいよ、ただお話ししに来ただけです」
「……お話?」
この鴉天狗に限ってそんなはずは無い。
しかし、レミリアが一瞬歩みを止めた隙に、文はふわりと部屋の中に入ってくる。
こういう駆け引きは本当に上手い。レミリアは思わず舌打ちをする。
「ええ、お付き合い頂ければ幸いです」
満面の営業スマイルを貼り付けて、弾んだ声で言う。これほど信用ならないものはそうそうない。こいつの性格を知っているなら尚更だ。
おそらく咲夜がいないことも織り込み済みなのだろう。
いや、それどころか。
「なるほど」
レミリアは合点がいくと、八重歯を見せびらかすようにニヤリと笑う。文を見つめるその目は、澄んだ水面のように落ち着いていた。
「フランが家出するように仕向けたのは貴様だな」
「むぅ、こうもあっさり見破られてしまうとは」
「……タイミングが良すぎるのよ」
レミリアは近くの椅子に腰掛ける。
しかしあのフランの乱心は演技には見えなかった。おそらくフランが協力したというよりは、鴉天狗が勝手に仕向けたことだろう。
そして咲夜にフランを追いかけさせることまで想定していた。近頃のフランは美鈴とやたら仲が良い。美鈴に追いかけさせても帰ってくるのに時間がかかることだろう。妖精メイドではフランの相手にならない。咲夜に行かせる以外の選択肢がなかった。
理由は単純。この状況を咲夜に邪魔されないようにするためだ。
「わざわざ忍び込むためだけにこんなことをするのかしら?」
近頃のフランがこの胡散臭い鴉天狗とつるんでいたのは知っていたが、こうも面倒臭いことになるとは思わなかった。白黒の魔法使いといい、付き合う相手は選んでほしいものだ。
「私は真実を追い求めるライターですから」
鴉天狗は勧めてもいないのに対面に着席すると、見せびらかすように帽子を脱いで、尖った耳を露わにさせる。
「それでは早速、質問よろしいですか?」
「取材を許可してないわ」
「ですから、ただのお話ですって」
文は一つ咳払いすると、まるで手品を決めた時のような決め顔をする。
いちいち癇に障るやつだ。
「紅魔館の執権をフランちゃんに譲渡する予定はありますか?」
「あるわけないでしょ」
「でも、もうすぐ隠居されるのでしょう?」
「そんなわけないじゃない! どこからの情報よ」
「実際フランちゃんの方が実力は上じゃないですか」
「何でそんなにフランに肩入れするのよ」
「いやあ、いずれフランちゃんが館主になったら、ここに住まわせてもらおうと思いまして」
「それは何としてでも阻止するわ」
「レミリアさんもパチュリーさんを、住まわせているじゃないですか」
「パチェをお前なんかと一緒にしないで頂戴」
まったく。
レミリアはため息をつきながら、ゆっくりと背もたれに身体を預ける。
こんなことでわざわざフランを家出するよう仕向けて、咲夜に邪魔させないように工作したはずがない。
「さっさと本題に入りなさい。どうせフラン絡みのことでしょうけれど」
「まぁ、フランちゃん絡みではあるのですけれどね」
「……?」
文は含みを持たせて、笑みを浮かべる。
そして少し前傾になって、声のトーンを落とす。
「実は美鈴さんのことで」
「美鈴?」
「はい。最近フランちゃんと仲が良いじゃないですか。ですがその素性は謎に包まれたまま。本人に聞いてもはぐらかすだけで、調べてみても何も分からない」
「幻想郷なんて、そんな奴ばっかりじゃない」
博麗大結界によって外部と遮断されている幻想郷。僅かながら人間も住んでいるとはいえ、大半は妖怪などの人外のものたちだ。
素性がはっきりしている者の方が少ないだろう。
「私のリサーチ力を舐めないでください。阿求さんや紫さんでも分からないなんて、おかしいですよ。分かったことといえば、外の世界出身であることと、元人間であることくらいです。ただ門の前で館を守っている妖怪とは思えません」
「……」
レミリアの顔が一瞬強張った。
「それでレミリアさんに聞くしかないと思いまして」
「そのために、わざわざこんなに手の込んだことを?」
「ええ。フランちゃんにはもちろん、咲夜さんにも聞かれたくないのかと思いましてね。……あくまで想像ですけど」
「まったく……」
厄介なことに、その想像は当たっている。
どこまで情報を握っているか分からない以上、誤魔化すのは悪手だろう。
人の過去を無意味に喋る趣味はない。新聞に書かれるなら尚更だ。
レミリアは指を口元に持っていき思案する。そしてニヤリとほほ笑んだ。
「そうね。話して良いわ。どうせ記事にするつもりはないでしょうし」
「………っ!」
今度は文の顔が強張る。
「咲夜が新聞を読むのが日課なことを、あなたが知らないはずないもの。記事にしたらどちらにせよ目に留まるわ。それなら今、咲夜を追い出す理由がないでしょ。それに今日のあなたはやけに「取材」という言葉を避けている。いつものメモ帳も取りだしていない。おそらく本当に取材のつもりも、記事にするつもりもないでしょう」
「あやや。これまた一本取られましたね。その通りですよ」
文はヘラヘラとしながら、手を挙げて降伏したようなしぐさをする。
「行動が正直ね」
この様子だと、ただの好奇心というよりは、フランのためだろう。自分のために門番の職務をサボって、遊びに付き合ってくれるワケに関心が向くのは自然なことだ。
美鈴に聞いても、答えてはくれない。
それで文に相談したというところか。
レミリアは改めてデジタル時計に目を向ける。普段ならとっくに寝ている時間だ。
ここで断ることは簡単ではある。
しかし文のことだ。次はどんな手段をとってくるか。想像もしたくない。今度は自室がめちゃくちゃになるだけでは済まないかもしれない。
レミリアは重たそうに腰を上げると、棚からカップを二つ取りだし、ポットから紅茶を注ぐ。眠気覚ましのダージリンティーだ。
「まったく。長い一日になりそうね」
レミリアはうんざりしながらそう言うと、片方のカップを文に差し出した。
【2】
門番の仕事を退屈だと思う人も多いだろう。私もそう思う。
だけど美鈴はここに来る前も門番をしていた。紅魔館と同じように、森の奥深くにある洋館だったらしい。
当主は人間の男だ。
朝早くに起床し、仕事に出掛ける当主を見送る。昼は侵入者を許さないよう見張る。夜は仕事から帰ってくる当主を迎える。
それだけのことだ。門番なんて職業は、労働時間は長いのに、タスクは少ない。
もちろん、やりがいはある。
館の門は、並みの男が数人がかりでようやく少し動く、というくらい重い特注品だ。美鈴はその門の開閉を任されていた。
館に金目の物があるという噂を聞きつけ、過去に強盗が来たことがあった。いかにも悪人ですという感じの黒ずくめ大男だ。それを二度と館に近づけないように叩きのめした。
しかし、そんなイベントは滅多にあることじゃない。暇すぎる。
日中やることといえば、正面の森を眺めているくらいのこと。何の変化もない、ただの木々を観察するだけ。夕方に1度ある休憩が待ち遠しくてたまらない。
強盗が来るのを願うのも変な話だが、それくらい暇だった。
しかし美鈴はそこで真面目に勤めていた。一時も期を緩めることなく、門番という職務を全うしていた。
「今とまったく違いますね」
いや、今と同じよ。彼女は真面目なの。
門番という仕事が、真面目で誠実な美鈴にとって天職だったのかもしれない。
あるいは当主に拾ってもらった恩義があったからかもしれない。
「恩義?」
あぁ、その話から始めよう。
美鈴はむかし、天涯孤独のストリートチルドレンだった。当時は清という国だったか。内紛で民間人たちは疲弊していた。
物心ついた頃から、家も身寄りもない環境だった美鈴が、犯罪に手を染めるようになるのは自然な話だ。
人から金を盗み、店から食べ物を盗んだ。そうして生き延びるしかなかった。その手口は巧妙で、その地域の大人たちの間では有名だったそうだ。いつしか美鈴の周りには同じような境遇の子どもたちが集まるようになっていた。
そして美鈴が九つになる頃、当主と出会った。
当主は貿易業を営んでいた。
当時、日本では鎖国が終わったばかりで文明開化が起こっていた。海外の品々は珍しがられ、高値で取引された。当主はそこに目を付けた。自ら海外に足を運び、異国の品々を日本へ持ち込んだ。会社を設立し、船を何隻も所有した。そして日本でも名の知れた富豪となった。
そんな当主が新たな品を探しに中国を訪れたのだ。
そして二人が出会ったきっかけは、やはり盗みだった。異国の金持ちが、警戒せずに歩いていたら、狙われるのは当然だ。
美鈴はいつも通り、部下に注意を引かせているうちに、当主の鞄を盗んだ。鞄の中には、見たことがないくらいの大金が入っていた。美鈴の元にいるストリートチルドレンたちが数ヶ月飢え死にしないほどの大金だった。
しかも美鈴が想像していない幸運も起こった。
事情を知った当主が、美鈴のアジトを突き止め訪れると、さらなる資金援助を行ったのだ。
「どうして?」
さあ。当主も貧しい時代を過ごしたからじゃないかしら。詳しくは知らないわ。
美鈴はそのお金で、貧しい子どもたちを保護する施設を作った。盗賊稼業から足を洗った。もともと地頭の良い美鈴だ。
土地を買い、畑で作った農作物を売買するようになった。施設の運営はすぐに軌道に乗った。優秀な卒業生を幾人も輩出した。
美鈴自身も女性で初めて武進士となった。
「武進士?」
なんでも清という国での試験らしい。軍人になるための体力テストのようなものだ。
とはいえ、戦争が終わったこともあり、軍人は重要視されていなかったらしい。美鈴自身も軍人になる事はなく、日本への留学することを選んだ。
そして日本の武術を学び、自らの腕を磨く傍らで、当主の門番に至る。
命の恩人、再起のチャンスを与えてくれた恩人の館だ。真面目に仕事をする理由には充分だろう。
美鈴の門番としての日々は、平坦ながらも順調だった。
変化が訪れるのは、当主の一人娘が館からの脱走を企てるようになってからだ。
娘はルナという名だった。
珍しい名だが、外国との貿易業を営んでいる当主が、西洋かぶれでつけたらしい。
母親を幼い頃に亡くし、男手1つで育ててきた愛娘は、当主にとって特別な存在だった。
そして幸か不幸か、ルナは世界にとっても特別な存在だったのだ。生後半年で言葉を発し、三歳の頃には、当主の本棚を漁って最先端の論文を読み、五歳になると論文を執筆するようになった。
いわゆる『ギフテッド』というやつだ。
ルナの存在は瞬く間に、世間に広まり、数学者たちが館に訪問に来るようになった。
当主は、初めはそいつらを歓迎し話に耳を傾けていたが、ルナのことを道具としか考えていないような口ぶりに嫌気が差したのか、そのうち謁見をすべて断るようになった。
そしてルナには外に出ないよう、言い聞かせていた。誘拐を恐れたのだ。
それからルナは、館の使用人と本に囲まれて過ごすようになった。外に出ようとしても使用人に止められた。ルナは朝から夜まで一人で過ごした。次第に笑うことは少なくなっていった。
しかし5歳の子どもに脱走するな、という方が無茶だろう。ルナは使用人たちを出し抜いて、館の外に出ては、自由奔放に遊ぶようになった。
館の出入り口は正面の門のみだった。
美鈴はルナとすれ違ってはいたが、脱走を見逃していた。
脱走とはいえ、まだ5才。それほど遠くには行かないし、帳が降りれば帰ってくる。美鈴は脱走をそれほど重く考えていなかった。
それどころかルナと一緒に遊ぶこともあった。美鈴も気の毒に思ったのだろう。
それに子どもの相手は得意だった。
美鈴はルナにいろいろな遊びを教えた。ルナは子どもの遊びを何一つ知らなかったが、恐るべきスピードでそれらを習得していった。
ボードゲームも教えた。将棋もチェスも囲碁も、美鈴が得意なリバーシでさえも、ルナ相手では全く歯が立たなかった。
それだけではない。
追いかけっこは、全速力でなければ見失いそうになった。石を投げて数十メートル先の木の実を正確に当てた。体術も油断をすると一本取られそうになった。
ルナはあらゆる面で、天賦の才を発揮した。
「美鈴さんが一本取られそうって、凄すぎじゃないですか」
あぁ、美鈴もその才能を放っておけなかったのかもしれないな。
そしてルナは次第に変化していった。はじめのうちは、周りを見下すように冷たい目をして、表情も乏しかった。ずっと軟禁状態なのだから無理もない。だが美鈴と遊ぶうちに、笑うようになったのだ。
美鈴も喜んだ。ようやくルナの笑顔が見れたことに。
しかし当主はこれを良く思わなかった。美鈴を呼び出し、ルナの脱走を止めるように命じた。
「なぜそんな命令を?」
当主はルナを後継ぎにするつもりだったそうだ。大事に思っているからこそだろう。
それを美鈴にも伝えた。
これは美鈴の頭を悩ませた。これまでわだかまりなく遊んでいたのに、突然注意をしなければいけない立場になる。
ルナに合わせる顔がなかった。
翌日も、いつも通り、ルナは正面の門から脱走してきた。
そして美鈴は提案した。寝たふりをしていますから、脱走してください、と。
「なんでそんな回りくどいことを?」
言っただろう。美鈴は真面目なんだ。考えた結果の苦肉の策だろう。当主の命令に背くわけにはいかない。しかしルナの脱走を止めたくはない。
自分のミスで脱走してしまったことにしようという魂胆だ。
それからルナは再び一人で遊ぶようになった。
これまでもずっとそうしてきた。それで問題ないはずだった。
しかしルナは一人であることに、退屈を覚えるようになってしまった。気づかないうちに、ルナの中で美鈴の存在が大きくなっていた。
ルナは美鈴と遊ぶ方法を考えた。
美鈴は夕方ごろに一度休憩をとる。その時間を狙うしかないと画策した。
そしてある日、ルナは美鈴の休憩時間を見計らって、館を脱走した。
そして寝たふりをする美鈴に休憩を取らせて、ボードゲームに誘った。
休憩時間であれば、注意をする筋はない、という詭弁すれすれの主張だったが、美鈴は悩んだ上に、しぶしぶ承諾した。
それから美鈴が休憩をとる時間は、二人にとって、かけがえのない時間になった。
時間が止まってしまえばいい。
ルナは本気でそう思った。
——美鈴。ずっと私のそばにいて。
ルナが願うように呟いた。
——はい、わかりました。
それと同時に美鈴は誓った。どんなことがあっても、命の恩人の娘であるルナを守り抜く、と。
それから2か月ほど経った頃。
事件が起こった。
夕日が辺りをオレンジ色に染めるころ、美鈴とルナはいつも通りボードゲームに勤しんでいた。
すると馬車が館に向かってきた。けもの道に揺らされて、大きな音を立てながら、森を颯爽と駆けてくる。艶のある黒を基調として、銀色の装飾が施されている。それが当主のものであることは遠目でも確認できた。
いつもよりも早い帰宅だ。予定にはない。何か緊急事態だろうか。
この状況では、ルナの存在を隠し通すには間に合わない。
こうなったら仕方ない。当主に怒られよう。すべて自分の責任にすればいい。
そう思いながら、美鈴は門を開いた。
違和感に気づいたのは、その直後だった。
荷台がいつもより軽快にバウンドしていた。まるで誰も乗っていないかのようだった。しかも馬車はスピードを落とす気配がない。猛スピードのまま突っ込んでくる。
馬が全く制御できていない。
次の瞬間には、馬車は門に衝突し、大きな音を立てて大破した。
美鈴はルナを抱えて、何とか避ける。
何が起きたのか判らず、呆然とその様子を眺めた。
馬車が突っ込んできた衝撃で、門は歪み、開いたまま動かなくなってしまった。
賊はこのタイミングを狙っていたのだ。館で唯一の出入り口が開く、この瞬間を。
待ってましたと言わんばかりに、森の茂みから賊がぞろぞろと出てくる。
距離があるとはいえ、気配を感じなかった。美鈴は彼らが手練れであることを直感した。
そして呼気を吐いて、構える。
——動くな!
間髪入れずに賊の一人が叫ぶ。
見ると賊の脇には縄で縛られた当主がいた。馬車から引きづり下ろされて、捕まったようだった。
たまらず美鈴は構えを解く。
人質を取られては身動きできない。あっという間に、賊に囲まれ、じりじりと近づいてくる。美鈴はルナを背後に隠した。
そして銃声が鳴った。
賊の一人が、美鈴を目掛けて発砲したのだ。美鈴の腹部から血が噴き出す。
それでも美鈴は、膝をつかない。門の前に立ちはだかった。門の前で賊たちとにらみ合いになる。
——どけ。殺すぞ。
そして再び拳銃が美鈴に向けられた。今度は賊が全員銃を構える。
次の瞬間、美鈴の後ろから飛んできたリバーシの石が、賊の銃に命中した。振り返らずともルナの投擲であることが分かった。
ルナの投げたリバーシの石はことごとく賊たちの銃に命中し、銃が手からはじかれる。美鈴はその隙を見逃さなかった。
賊たちに殴りかかり、戦闘不能にしていく。
残り数人となったとき。賊の一人が銃を拾い上げ、銃口を向ける。
美鈴はとっさに防御態勢をとったが、銃口の先にはルナがいた。
美鈴に狙ったものであれば、避けることができただろう。
美鈴はかばうように、ルナの前に飛び出し、心臓付近に銃弾を受けた。
致命傷だった。さすがの美鈴も地面に倒れ込んだ。
それに気を取られたルナも、背後から殴られ気絶した。
——おい、ガキは殺すなと言っただろ。依頼品の一つだ。
「依頼品?」
ルナの才能に惚れ込んだ学者が、賊に誘拐を依頼したそうだ。
館の中にある金品もあくまで依頼品。賊は雇われただけの傭兵というわけだ。だからこそ咄嗟の判断だったのだろう。
賊が、依頼品であるルナを縛り上げて抱える。
さらに門を越え、館に足を踏み入れた、
その時だった。
——その子を助けてくれ! 私や金はどうなってもいい!
意識を取り戻した当主が美鈴に叫んだ。
賊たちが当主に気をとられている隙に、美鈴は最後の力を振り絞り立ち上がた。
そしてルナを抱えていた賊を発勁で倒すと、ルナを奪取する。
そして森へと走った。肺が燃えるような息苦しさに襲われながらも、最後の力を振り絞って逃げ続けた。
美鈴は何度も背後を振り返った。賊が迫ってくるのが分かった。心臓は激しく打ち鳴り、血が流れ落ちる。捕まってしまえば、もう戦う体力は残されていない。次第に足取りが重くなり、息も荒くなっていく。
限界に近づいていた。しかし抱きかかえるルナの存在が美鈴を動かした。
やがて日が暮れ、辺りは真っ暗になった。
追手からは逃れたが、森の中で迷い、もはや瀕死の状態になった。ルナを抱えたまま、薄れゆく意識の中で、このまま死ぬことを覚悟した。
そこに通りがかったのが、私とパチェだった。
「どうして外の世界に?」
成長したフランを監禁するために、新しい拠点が必要だった。
事情が割れている祖国では駄目だ。遠く離れた日本で探していたのだ。
美鈴は通りすがりで見ず知らずの私たちに懇願した。どうかこの子だけは助けてほしい、と。自分のほうがよっぽど重症なのにな。
ちょうど従者を欲していた私はパチェが使役する小悪魔たちに二人を運ばせることにした。
その後、八雲紫の手引きもあって、幻想郷に来て紅魔館を手にした。
二人の治療は骨が折れた。
まずルナの方だが、外傷は頭部の打撲程度だ。パチェの治癒魔法ですぐに治った。
しかし一向に目が覚めない。彼女は死にたがっていた。
「心の病ですか?」
それに近い。唯一の友人だった美鈴が目の前で撃たれたからだろう。
ルナは昏睡状態ながらも、ルナとして生きることを望んでいなかった。傷が癒えても目覚めないだろう。
だから私は【運命】を変えた。
《十六夜咲夜として、レミリア・スカーレットに従事する》と。
「咲夜、さん…!?」
ああ。私が【運命】を変えたことで、ルナもとい咲夜は目を覚ました。
最もその反動で記憶はなくなってしまったがな。
面倒なのは美鈴の方だった。彼女の外傷はひどかった。
銃弾によって心臓や肺を損傷し、治癒魔法でも手遅れの状態だった。
「また、【運命】ですか……」
いや、違う。
【運命】で傷は治せない。八雲紫に頼んで、妖怪にしてもらった。命を救うためにな。
「……妖怪?」
あぁ。彼女は幻想郷のバランサーだ。そのくらいは容易い。
見捨てても良かったが、頼まれた以上は救わないと目覚めが悪いだろう。
めでたく妖怪となった美鈴は、外傷で死ぬ恐れもなくなり、咲夜から3日ほど遅れて、目を覚ました。
だが、その時の荒れ方は酷かったな。
ルナを使役したと知ったときは、激昂して襲い掛かってきた。妖怪となったことで、身体能力が上がっていたから、危うくやられるところだった。
私は美鈴の一瞬のスキをついて、首を締め上げ、壁に叩きつけて抑え込んだ。
そして出ていくように告げた。新たな従者は咲夜一人で十分だった。
しかし美鈴は引き下がらなかった。どうしてもルナを連れて帰る。たとえ記憶がなくなったとしてもルナに従い続ける、と言って聞かなかった。
私が無理やり紅魔館から追い出しても、門の前でルナを待ち続けた。
そしていつしか、美鈴は紅魔館の門番となった。
「そ、そんなことが……」
不思議だと思わなかったか?
紅魔館に門番がいるなんて。金品があるわけでもないし、守る必要なんてないほど、みな強い。
勝手に美鈴が守っているだけの話だ。かつての主をね。
「じゃあ美鈴さんは咲夜さんに仕えているのですか?」
そういうことになるな。
まぁ今となってはどうでもいい話だ。
それに記憶のない咲夜にとっては、部下の1人という認識でしかないだろうな。
フランが美鈴に対して心地良いと思っているのも、おそらくそれが理由だろう。
紅魔館で私の友人でも部下でも下僕でもないのは美鈴だけだ。気付いてはないだろうが、シンパシーで感じている。
美鈴は重ね合わせているのかもしれないな。フランとルナの存在を。もちろんそんなことは表に出さないだろう。
「もしかして、美鈴さんが昼寝をするのって」
あぁ。待っているのかもしれない。
いつか咲夜が。いや、ルナが遊びにくるのを。