愛を識らぬ天与呪縛   作:リン@ハーメルン

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愛の伝道師、募集中


懐玉・玉折・折衝
第1話


 夜の帳が降りた時分、足を潜めて禪院家の忌庫へ踏み入る人型があった。

 

 筋骨隆々とした体格に軽やかな身のこなしと、何より特筆すべきは、人間ならば必ず持ちうる呪力がその身に一切宿っていないこと。

 

 天与呪縛───生まれながら強制的な縛りを科せられる代わりに、強大な力を得られる祝福(のろい)を授かった禪院甚爾(ぜんいんとうじ)という男は、生まれ持つはずだった呪力を代償に超人的な五感と身体能力を獲得していた。

 

(どうなってやがる。足跡、残り香、大気の淀み……忌庫番の奴らは職務放棄か? 誰一人として居やがらねえ)

 

 そんな彼が立ち入り禁止とされている禪院家の忌庫へと忍び込んだのは、不愉快極まりない禪院家(わがや)を出奔するにあたって保管された呪具を人知れず持ち出すため。

 

 『禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず』───そんな悍ましい思想が今なお蔓延る禪院家において、呪力や術式を持たずに生まれた甚爾は爪弾き者だった。口元に刻まれた一筋の傷跡も、禪院家の悪意によって幼少の頃に刻まれたものである。

 

 故に今宵、忌庫の呪具を盗み出すのは出奔する際の持ち合わせ以上に、禪院家への意趣返しの側面が強かった。

 

 しかし、いざ決行してみれば見張りの一人もおらず拍子抜けであった。

 

 窮地へ陥るたびに感じてきた違和感も感じず、それが返って無気味でもある。甚爾の違和感(それ)はただの直感には留まらず、予知じみた的中率を誇っていた。

 

 だからこそ明らかに異常な光景を目の当たりにして、違和感が働かないこと自体に警戒心が募るばかりである。

 

(引き返すか? 直毘人(ジジイ)が居ねえ間にトンズラする算段だったんだがな。チッ……違和感が働かねえ。その気になりゃジジイも糞もねえが、わざわざ禍根を残すなんざ御免だ)

 

 禪院家の当主である直毘人は任務で出払っている。遅れをとる気は無いが、真正面から相手にするのであれば術師殺しとして大成した今の甚爾でも多少、手を焼く相手には違いない。

 

 だからこそ、今が絶好の機会なのは確かである。理性がそう告げている。けれど天与呪縛のフィジカルギフテッドを授かった肉体が、甚爾の理性に億劫さを投げかけてくるのだ。

 

 ────大気が張り詰めている。およそ自然な空気の流れではない。呪力を持たないはずの自分が第六感を頼りにするなどお笑い種だが、甚爾は己の直感に猜疑を挟む余地はないと判断する。

 

 事実、直感(それ)は正しかった。

 

「ったく、なんでテメェが居やがる。相変わらず気色わりぃ」

 

「あらお兄様。このような夜更けに逢瀬ですか? ええ、今宵の月は美しいですもの。ワタクシも()()さんにご挨拶をすべきでしょうか」

 

「……殺すぞ。さっさと呪具(ブツ)を置いて消え失せろ」

 

「フフ、酷いではありませんか。親愛なる兄の為にこうして場を設けてさしあげていますのに」

 

 ()()は、鈴のような声音を零して艶やかに微笑んだ。

 

 齢10にも満たない幼い相好が月明かりに照らされる。甚爾と同じ濡羽色の髪が風で棚引き、白磁の肌にはほんのりと赤みが差していた。

 

 光を映さない両の瞳は閉ざされているというのに、まるで突き刺すような居心地の悪さと危機感が甚爾を襲ってくる。

 

 実際、彼女の呪力特性を鑑みれば、たとい術式を発動させていなくとも万事警戒する必要がある。それを念頭に置いているからこそ、甚爾は()()()に対して一切の寛容さも持ち合わせていなかった。

 

「ハッ、よく回る口だ────死ね」

 

 瞬き一回、その刹那に甚爾は少女との距離を詰めて剣を振り下ろしていた。

 

 剣筋に躊躇いはない。音速をも超える殺意の剣先が、少女の首へと迫る。

 

 甚爾が振るうのは釈魂刀と呼ばれ、あらゆる硬度を無視して魂を切り裂く特級呪具だ。およそ年端もいかない少女に向ける代物ではない。

 

釈魂刀(それ)は、もう見飽きました。構築術式───『釈魂刀』」

 

 瞬間、突如として飛来した()()()()の釈魂刀が甚爾の居た場所に突き刺さった。

 

 甚爾もさる者、人間離れした反射神経と身体能力でその場を飛び退き、続けざまに取り出した呪具を少女へと投擲する。

 

 万里の鎖と、その先端に取り付けられた天逆鉾の切っ先が、無防備な少女へ向けて放たれた。

 

 けれど少女は、泰然とした佇まいを崩さず幽雅に微笑むだけ。

 

天逆鉾(それ)ならば、無意味だとお兄様もご存じでしょう?」

 

 少女の言葉通り、あらゆる術式を強制解除する天逆鉾は、不可視の何かに弾かれて宙を舞った。

 

 甚爾の相好が苦虫を潰したように歪む。彼自身、こうなることは分かりきっていたが、いざ現実として少女の理不尽さを目の当たりにすると、天与呪縛によって術師としての才能を失った不条理がどうしても脳裏に過ってしまうのだ。

 

 文字通り尽きることのない()()()()()と、特級呪具すら通さない密度の呪力の鎧。

 

 そして術式は燃費の悪さゆえにハズレとされる構築術式───そのデメリットが意味をなさない少女は、息をするように特級呪具の数々を生み出すことが可能だった。

 

 それは呪力を持たずに生まれた甚爾にとって憎らしいほどの天稟である。

 

 何よりも今この場で甚爾の前に立ち塞がっているのも、少女自身の愉悦の為なのだから(タチ)が悪いことこの上なかった。

 

「バケモンが……!」

 

「お互いに」

 

「テメェと一緒にすんな。喧嘩打売ってんのか?」

 

「あら、これは兄妹喧嘩では?」

 

「ガキ相手にマジになるかよ。ったく、さっさと游雲を寄越せ。テメェが持ってても意味ねえだろうが」

 

「いけずですね。ワタクシ、伏黒さんに嫉妬してしまいます」

 

「ガキがませたこと言ってんじゃねえ」

 

 投げやりな甚爾の態度へと少女が鼻白み肩を竦める。

 

 顔に浮かべていた喜悦も消え去り、やれやれと言わんばかりに溜息を吐きながら、一切の瑕疵のない所作で甚爾へと特級呪具『游雲』を差し出した。

 

「いけませんよお兄様。世のご婦人には風情を解する殿方が好ましいのですから」

 

「ハッ! 抜け抜けと()()()()()ことを。太々しい野郎だ……おい、こりゃオリジナルだろうな? テメェの贋作だったら次こそ殺すぞ」

 

「野郎、ではないのですが……ええ、もう検分は終えましたから。それとも、餞別代わりに何か必要でしょうか? 獄門疆など如何です?」

 

「んな欠陥品、誰が要るかよ」

 

 少女の提案を嫌味だと受け取ったのか、甚爾は不快さを隠そうともせず吐き捨てた。

 

 その様子にクスクスと少女が笑みを漏らす。他意はない。そも、禪院甚爾の術師としての自尊心は諦観に染まっている。封印のための特級呪具など売り払って終わりだ。まだ特級でなくとも戦闘で役立つ呪具のほうがマシに違いない。

 

「クスクス、不思議なものですね。禪院家(わがや)を出るお兄様が、どうして特級呪具を必要とするのでしょうか。ワタクシはてっきり、呪術界から足を洗いたいのだと考えていましたが……流石のお兄様でも実の子は愛おしいのですか?」

 

「どこでそれを……チッ。答えることに何の意味がある? 俺がまともだろうがそうでなかろうが、テメェは()()()()()()だろうが」

 

「だからこそ、です。おっしゃる通り、お兄様の進退も、出産を控えた伏黒さんの様態が宜しくないことも、お兄様がお子さんの術式を懸念していることも……至極どうでもよく存じます。けれど今のお兄様にこそ、たった一点だけ訊ねたいのです────()()()()()()()として、お兄様を変えた『愛』とはどのようなモノなのでしょうか」

 

 無垢な表情のまま、少女がコテンと小首を傾げる。

 

 甚爾は、確かに気圧された。閉ざされた瞼の向こうから、光を宿さない深紅の双眸が息を詰まらせる甚爾自身の胸中を見透かしているような気がした。月明かりの静寂は物々しく、灯篭の光が怪しく揺らめいている。乾いた風切り音だけが、ひどく陰鬱とした忌庫の中を通り過ぎて行った。

 

 答えなどない。元より、実の妹は求めてすらいない。彼女に授けられた天与呪縛(しゅくふく)を知る甚爾だからこそ、この問答に何ら意味がないことを理解していた。

 

『愛』(ソレ)を知ったところで、お前に何の意味がある?」

 

 水分を失った唇を微かに震わせて、甚爾が尋ねる。

 

「さあ? ワタクシは───ヒトの『愛』(ソレ)を識ることは叶いませんから」

 

 少女は、酷薄に微笑んだ。

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