大義を求めていた。生まれながら自分に備わった異能は、無力な人々の為に使うべきなのだと思っていた。
父も母も知らない呪霊の味。知っているのは自分だけ。呪霊が見える人間など自分以外にはいないのかも知れない。何度も自分こそが異常者ではないかと疑ってはみたが、呪霊操術によって引き起こされた事象が現実なのだと夏油傑自身に言い聞かせてくる。
祓い、飲み込む。その繰り返し。無味無臭の日常と、反吐が出るような非日常。けれど自分が立ち止まってしまば、犠牲になるのは無力な非術師たち。得体の知れない使命感に突き動かされて、今日の今日まで彼は呪霊を取り込み続けてきた。
そんな彼に転機が訪れたのは中学2年の春、新学期が始まったばかりの頃だった。
「お前ら席に戻れ。転入生がいるんだからシャキッとしろ」
担任の気怠げな台詞に夏油は眉を顰めた。この日は明朝から不自然なことばかり起きていたのを夏油は覚えていた。
一匹も呪霊を見掛けなかったのだ。通常、蠅頭のような実害の少ない低級呪霊は陰気なところを探せば幾らでも見つかるものだが、残穢すら存在しなかった。人間社会は新年度の始まりで活気付いているのに、呪霊の姿はとんと見掛けなかった。
季節の変わり目は人間にストレスを与える。そのため呪霊も活発になるのを夏油は感覚的に理解していた。
周りの生徒たちに不審な点はない。何か致命的な見落としでもあったのだろうか。
夏油は形容しがたい焦燥感に駆られながら、浮き立つクラスメイトをぼんやりと静観していた。
「入ってこい」
「失礼します」
入ってきたのは杖をつく少女だった。成長期特有の、少女と女性の狭間を揺蕩う淑やかな雰囲気を纏っていた。
目に疾患があるのか、両の瞳は閉ざされていて、それが彼女の儚げな容貌を引き立てているように見えた。クラスの男子のみならず、女子さえも惹き込まれるように彼女を眺めていた。
「禪院
小さく一礼してから、ふわりと花咲くような微笑みを溢して、瀬津那と名乗った少女は自然体のまま夏油へと視線を寄越した───気がした。
常人であれば、同情を集める可憐な仕草の数々に絆されることだろう。事実、夏油以外の教師と生徒たちは揃いも揃って好意的な態度で瀬津那を迎え入れていた。しかし、
(なんて、悍ましい呪力だ……!)
夏油にだけは見えてしまう。奈落のように底なしの呪力が、今にも鎌首をもたげて襲いかからんと猛り狂っているのだ。
その微笑みは冷笑であり、盲目な瞳は瞼の裏で人々を見下しており、その身に宿る呪力の暴威は数多の障害を跪かせてきたに違いない。そう思わされるほどの存在感と悪意を、瀬津那と名乗る存在は身に纏っていた。
悪寒が襲ってくる。夏油の飲み込んできた呪霊たちが、瀬津那の呪力に充てられて今にも吹き零れそうだった。それを律する強靭な精神さえも、濃密で禍々しい瀬津那の呪力の前では意味をなさないのではないか……などと、惰弱な思考が芽生えてしまう始末。
冷汗をかきながら、夏油はとっさに交錯した視線を断ち切って顔を逸らした。
でなければ、瀬津那の閉ざされた瞼の向こうにある、好奇を孕んだ深紅の瞳に酔ってしまいそうだったから。
「じゃあ席は……そこの空いてる席、夏油の隣だな。言うまでもないだろうが、皆も禪院を助けてやってくれ」
担任のありきたりな態度に理不尽を感じずにはいられない。誰にも悟られない程度に、眉間に微かな皺を刻んだ夏油へと、瀬津那と名乗る少女はクスリと悪戯めいて破顔する。
その笑みだけは、悪意から端を発するの呪いと無縁なのは確かだった。
・・・
・・
・
「呪霊の調伏をお一人で?」
「まあ、ね。呪術師は常駐するわけではないだろう? 累を及ぼす前に、自分の手で元を絶ったほうが早い」
「なるほど、道理で三級未満の低級呪霊しか残っていなかったのですね。はあ……かの虹龍をお目にかかれると思ったのですが、機を逃してしまいましたか。
果たして、どこまでが本心か。無気味で薄っぺらい瀬津那の悲嘆には、微塵も「我が家」とやらへの帰属意識など感じられなかった。
立ち入り禁止とされている校舎の屋上で二人。瀬津那が結界を張り、監視カメラを欺く。術式に依存しない呪術師の基礎技術の一つ。才気あふれる夏油は見ただけで容易に習得できたが、それ故にこの結界の拙さを見過ごすことが出来なかった。
「あぁ禪院、悪いがもう少し結界の呪力を薄めてくれないか。君の呪力は少々……禍々しすぎる」
「瀬津那とお呼びください。ただの認識阻害でしょうに。これでも非術師には影響が出ない程度に留めておりますとも。お気になさらず」
「私が気にするのだが……」
「では無問題ですね。ワタクシは気にしませんもの」
さも当然と言わんばかりの瀬津那が、コテンと悪意無く小首を傾げた。
終わっている。夏油傑がこれまでの人生で出会ってきた全ての人間の中でも、禪院瀬津那の傲慢さは救いようがない。呪術師だとか非術師だとか、そんな次元の話ではなかった。
怒りも湧かず呆れるばかりである。夏油は額に手を当てながら大きく嘆息した。
「はあ……君ね、自分の呪力特性を理解しているのかい? 初めてだよ、自分を凡夫だと思わされたのは」
「それは何よりです。傑さんは呪術高専からのスカウトを承諾すると仰っていたではありませんか。でしたら今がモラトリアム、思う存分に悩みましょう。ワタクシも微力ながら先達として協力いたします」
「その悩みの元凶が君なのだがね。それで────何が目的で私に接触したのかな? 御三家と呼ばれる禪院家としての接触かい?」
呪力を揺らめかせて詰問する夏油に、瀬津那は首を横に振って「いいえ」と返した。
ではなぜ、わざわざ人払いをしてまで二人きりの状況を作ったのか。また、『非術師のみが通れる』ように結界を作用させているのか。結論を出せる判断材料を夏油は持ち得ていなかった。
「誠に遺憾ながら、ワタクシは……そう、勘当扱いをされておりまして。実家とはここ数年まともに連絡を取っていないのです」
「勘当? なら
「クスクス。呪術師の家系ではない傑さんにまで、我が家の実に名誉な*1家訓が知られているとは恥じ入るばかりです。まあ、実にどうでもよいのですが」
「だろうね。君が人並みのセンチメンタルな感受性を持っているようには見えない」
「褒めないでください、照れてしまいます。そういう傑さんこそ随分とロマンチストに見えますが」
「……さあ、どうだろうね」
「お世辞ではありませんよ。それで、傑さんにこの場を設けていただいたのは……こちらをご覧ください」
夏油は差し出された資料へ、僅かに目を見開いた。
主題に記されているのは『推薦』の文字。それ以上に目の留まった『特級』の文字が、目の前で得体のしれない微笑みを湛える少女を表す記号であることに、間違いはなかった。
「夏油二級術師殿。昨今の実績を鑑み、このワタクシ───禪院特級術師と九十九特級術師の名において、貴殿を一級術師に推薦させていただきます」