愛を識らぬ天与呪縛   作:リン@ハーメルン

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第3話 幕間 星の好誼

 店内に漂うほのかな木の香り。口内に含んだ苦みを嚥下して、ほっと一息をついてみれば、慌ただしい浮世の喧騒から解き放たれたような気がした。

 

 お茶請けの甘味と珈琲の苦みとが程よいアクセントになる。生を授かって十余年、何気ない日常の幸福を噛み締めることが、感受性の乏しい瀬津那にとってのリハビリだった。

 

「ふむ、いい顔をしてくれるね。あの禪院甚爾の妹さんにしては随分と愛嬌がある」

 

「今は伏黒(ふしぐろ)とのことですよ。入り婿らしいので」

 

「……初耳だ。まあ、経緯は概ね察せるけれどね」

 

「ワタクシもここ数年、甚爾兄様とは連絡を取っていません。由基さんのご要望に応えられるとは限りませんが……」

 

「そこは気にしなくていいよ。数年前にこっぴどく振られたものさ。今回の目的は君だよ、瀬津那」

 

「はあ。といっても、四半期に一度は顔を合わせているではありませんか」

 

「そこは()漿()()()()()()()()としてさ。分かっているんだろう? 私とて無償で呪術の手ほどきをするほどお人よしではない」

 

 そう言って、瀬津那の向かいに腰掛けている九十九由基がアイスティーを呷る。一息で豪快にグラスの中身を飲み干す姿に瞠目すべきか、昨今は氷で嵩増しされている現状に嘆くべきか、てんで判断がつかなかったが。

 

「というと、例の……なんでしたっけ。呪霊が存在しない世界についてでしょうか」

 

「正確には呪いだね。呪霊だけじゃない。呪術的概念を廃絶するのが現段階での落としどころかな」

 

「ああ、だから甚爾兄様と。ですが断られてしまったのでしょう?」

 

「新婚気分に水を差してしまったようでね。下らないと一蹴されてしまったよ」

 

「でしたらやはり、全人類に呪力をコントロールさせる方針に?」

 

「それじゃ根本的な解決にはならないし、現状の矮小化に過ぎない。抜本的な解決が必要な命題だからね。ゼロかイチかを考えたときに、やはり君たち兄妹ほどのサンプルは手放せない。まあ、他にも居るなら世も末だが」

 

 九十九が肩を竦めながら言いのけた。

 

 なぜ九十九が頑なに呪力からの脱却やらコントロールに拘るのか全く理解できないし、するつもりもない。瀬津那は適当に相槌をうってアイスコーヒーを一口だけ含んだ。

 

「はあ。陰ながら応援しますね……とはいきませんか?」

 

「当たり前でしょ。私だってそこそこ忙しい身の上だからね。時間分の実りは欲しいわけさ」

 

「高専、というか総監部からの依頼を蹴っているのに? てっきり暇を持て余していると思ってましたが」

 

「……コホン。それはそれ、これはこれ」

 

 途端に勢いを失って九十九は身をすくませた。

 

 単身で国家転覆が可能とされる特級術師の一人、九十九由基との付き合いはそう長くはない。かつて禪院……現、伏黒甚爾が呪具をかっさらって禪院家から出奔し、その責によって瀬津那が実家を追放されてからの付き合いだ。

 

 呪術を師事したとは言うが、実際は瀬津那の呪詛師認定を取り下げて後見人になったが故の顔合わせなのだが、瀬津那にとっては至極()()()()()()義理である。

 

「ではどうして、そんなにもお忙しい由基さんからお声がけ頂いたのでしょう? ワタクシ、それなりに忙しい身の上でして。あと数時間後に任務も────」

 

「ああ、()()はもう取り下げられているよ」

 

「……そうでしたか」

 

「未登録、等級不明の呪霊『虹龍』……少なく見積もっても準一級以上は確実。それを祓った期待の新人がいるようでね。残念ながら、君は機を逸してしまったわけだ。しかもその新人君の術式は────」

 

「呪霊操術でしょう?」

 

「おや、知っていたのかい?」

 

「噂程度に。禪院家(わがや)だけでなく御三家でも有名でしたから。ある程度の古い家でしたら、呪霊操術は最も相伝に加えたい術式の一つですもの。近頃、目覚ましい活躍をよく耳にしています」

 

 ピシャリと言い放って、瀬津那は半分ほど残ったアイスコーヒーにフレッシュを投入した。

 

 マドラーで掻き混ぜてみれば、氷が小気味よい音を立てる。カフェの喧騒の中で、不思議とその音だけがひどく印象に残るような気がした。

 

「なら、話が早いね。瀬津那、私から君に依頼したい。これを」

 

 差し出された資料を手に取る。それは九十九と瀬津那の連名で記された推薦状だった。

 

 手の速いことだ。伊達に特級術師として総監部や呪術連など、数多の組織相手に大立ち回りを演じているわけではない。今はもう呪詛師の片棒を担いでいる甚爾にさえ取引を持ち掛ける九十九の豪胆さは、瀬津那にとって好ましい────()()()()()に値する何かを感じさせてくれた。

 

「予想はしていましたが……よく上層部と取り合えましたね」

 

「まあ私にかかればこんなものさ。君はどうせ事なかれで上に掛け合いもしないだろう? 私から動くしかないじゃないか」

 

「まあ、ワタクシの『縛り』に通ずるものですから」

 

「ぜひその内容を教えてほしいものだがね。君の関心がいつか、世界に向けられることを祈っているよ……呪術師が祈る、というのもおかしな話だが」

 

 九十九が飲み干したグラスには氷だけが残っている。その空虚を埋めるかのように、溶けた拍子で氷がカランと音を立てた次の瞬間には、伝票を持って退店する九十九の後ろ姿が目に入った。

 

 陽気に手をひらひらと振る様には瀬津那も肩を竦める他ない。

 

 手元の推薦状に記された夏油二級術師は、呪術師の家系で無いにも関わらず稀有かつ強力な術式と呪術師の天稟に恵まれていただろうに、九十九はあろうことか瀬津那を共犯者に仕立て上げた。

 

 本来、禪院瀬津那は体制側の人間であり、処刑される寸前まで拗れた関係でありながら総監部の意向に従っている。一般出の術師を推薦するためだけに瀬津那への貸しを消費するというのは、それだけ夏油という術師に九十九が期待している証左なのだろう。それこそ、五条家のぼんぼんよりも。

 

(『階級換算で2級以上の差があれば、ほぼ無条件で呪霊を取り込める』……流石に、虹龍を相手には降伏させる必要があったようですね。補助監督の報告では二次被害はほぼ無し、残穢の後始末や『帳』などの結界術も堪能。上層部が欲しがりそうな逸材ですが……)

 

 瀬津那には九十九への貸し借りの意識など皆無である。そもそも、瀬津那を処刑する以前に、死した後に溢れ出る呪力や術式による被害など誰もが危惧するところ。そして本人の呪力特性と天与呪縛は、呪術的・物質的な束縛など無に帰してしまう。

 

 だから、飽くまで九十九の要請に応じて総監部との折衝を行うのは気まぐれであり、体裁を取り繕うのは自らが常人であるという勘違い甚だしい瀬津那の傲慢だった。

 

 ───まあ、この情報だけでも見返りとしましょう。

 

 ふと、気づけば店内には誰もいなかった。閑散とした喫茶店の店内には瀬津那のみ。

 

 客はおろか、店員までもが居なくなっている異様な光景に、けれど瀬津那は動じることなく僅かに残ったアイスコーヒーと溶けた氷水を掻き混ぜる。

 

 カラン、コロン、カラン、コロン。

 

【カ……rん。k、褸……n。カらン───】

 

 静寂に融和した氷の音色。朧気だった冷たい環境音が、次第に截然とした輪郭を帯びていく。

 

 瞼を閉ざしたまま、瀬津那はただグラスを掻き混ぜるばかり。均斉の取れた相好は妖しい微笑みを湛えたままで、果たして瀬津那を飲み込まんと大きな口を広げた異形───呪霊と、瀬津那のどちらが無気味な存在なのだろうか。

 

 少なくとも、数分前まで同じボックス席に腰かけていた九十九ならば、迷うことなく後者であると断言していたに違いない。

 

【コロ……】

 

「構築────『呪霊操術』」

 

 呪霊に手を翳す。すると呻き声を上げる間もなく、二級相当の呪霊は圧殺されて呪霊玉へと変貌した。

 

 呪霊に宿っていた術式は……人払い程度のあってないようなものだ。しかし呪霊操術はその手数こそが真骨頂、多いに越したことはない。

 

 手土産程度にはなるだろう。呪霊玉を飴玉サイズまで圧縮して、瀬津那は人気(ひとけ)が戻り始めた店内の余韻に浸るのだった。

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