今昔問わず、人の欲望が尽きぬ限り悪意は消えない。たとえ高度に科学が発達した現代において、呪術全盛などと謳われる平安ほどでなくとも、呪霊や呪詛師による悲劇が終わることはなかった。
六眼と無下限呪術を携えながら更に天賦の才を持つ五条家の嫡子や、禪院瀬津那という呪術を冒涜した存在に、『天与の暴君』と呼ばれ天元を介した因果から外れた禪院甚爾など。
呪術界史上、平安時代の全盛期に比肩する激動の時代であり、呪霊と人間との均衡は崩れかけていた。だから虎杖香織───羂索はこの時代こそ、自らが追い求める可能性に手を伸ばすことが出来ると踏んでいる。
六眼が羂索の計画において脅威なのは間違いない。それも、無下限呪術の抱き合わせどころか、呪術師としても間違いなく呪いの王たる両面宿儺に次いで最強と言える五条家の小僧は、羂索の計画において最大の障害だ。
だが同時に、六眼が脅威たる所以は天元との因果にある。
その因果から外れた禪院甚爾と、呪力という形而上の概念すら超越した禪院瀬津那が同時期に存在していることは、悠久を生きてきた羂索にとって紛れもない僥倖であるのもまた事実。
まさか禪院瀬津那が星漿体であるというのは予想していなかったが、その呪力特性によって禪院瀬津那が天元と同化することは有り得ないと確信したからこそ、羂索は瀬津那へと接触するに至った。
それに、天与呪縛によって人間になり損なった紛い物に対する好奇が抑えきれなかった、という羂索の個人的な興味もあった。
また、人並みの心を持たない程度の、生きる上で実害の無い天与呪縛がどうして『無限の呪力』という不条理を齎したのか。羂索はそれを見極めるため、総監部を通して最初は呪詛師として処刑を宣告したり、その後は体制派の都合のいい駒として扱ってみたが、瀬津那は全くと言っていいほど従順であった。
だからこそ、多少のリスクを負ってでも瀬津那本人と相対して、自身の計画に組み込めるか、それとも障害になるのかを見定めたくなったのだ。
「呪力の最適化、ですか?」
「そうとも。童心を忘れないのが私の長所でね。呪力という可能性について、
「ええっと、ワタクシの噂とやらについて、生まれながらの
「九十九由基が? 彼女と私とでは、求める結果があまりにも違い過ぎるよ。そもそも、私とて呪力からの脱却やら全人類の呪力のコントロールくらい、何度も考えたことはある。だがね、私が見出したいのは可能性なんだ。九十九由基の目的は、結局のところ日常に呪力という選択肢が生まれるだけ。ご執心のところ悪いが、対症療法でしかないよ」
「由基さんの目的は飽くまで『呪い』……という概念による悲劇を無くすことだけですから。原因療法を求めて仮に呪霊が存在しない、或いは発生しない世界にした後はどうでも良いのでは? 呪術師らしいではありませんか。由基さんも香織さんも、生粋の呪術師として無意識に非術師を見下しているのは同じでしょう」
「逃れられない生物としての
「ワタクシが? クスクス……香織さんとワタクシとでは認識に齟齬があるようですね」
「へえ。聞かせてくれるかい?」
皮肉混じりではあるが、羂索は純粋に興味を惹かれた。認識の齟齬、誤謬は典型的な呪術師である自分に何かしら新しい知見を齎してくれるかもしれないと、微かな期待を抱いていた。
瀬津那は1口だけコーヒーを口に含み、嚥下してから数秒、息を整えて言葉を紡ぐ。相変わらず、愛想だけはよく薄気味悪い微笑を貼り付けながら。
「ワタクシは常日頃、幸せも不幸も、喜びも悲しみも、人並みに感じて過ごしています。まあ多少、知ってはいても共感が難しい時もありますが……身の丈に合った生き方をしているつもりです」
「嘘だね。君のそれは、常人の
憶測ではなく事実だ。少なくとも、羂索の見立て通り彼女が冗談以外で嘘を言うことは無い────言う必要が無いからこそ、羂索は確信を持ってそう告げた。
瀬津那は含み笑いを漏らしながら、開き直りにも近い物言いで返す。けれど、それが今までの言動と矛盾することもない。
「フリ、をしてはならない理由は? 非術師か呪術師かに限らず、人間は誰もが仮面を被って生きているでしょう? 貴女や悟さん、そして由基さんや天元様のように気儘に生きている人間はマイノリティです」
「アハハ、天元を人間呼ばわりとはね。星漿体の使命感とやらが君にあるとでも? もとより、君はその醜悪な性根を仮面で覆うことなど出来やしないさ。天与呪縛による縛りは気合でどうにかなるものじゃない。だからどれだけ人間ぶろうが、禪院甚爾が呪術師のなり損ないなら、君は人間の出来損ないなんだよ」
「では───ワタクシこそが呪いだとでも? それこそまさかですよ」
そう断じて、心外と言わんばかりに瀬津那は肩を竦めた。
自分以上に『呪い』を体現するに相応しい存在を知っている。だから瀬津那は、あの『呪いの王』に遠く及ばない己が、呪いを自称するなど烏滸がましいと弁えていた。
「ワタクシは、ワタクシほど真に人間に近づけた人間はいないと自負しています。確かに、
「うーん、婉曲だね。何が言いたいのかな?」
「ワタクシからすれば、貴女方が哀れでならないのです。満たされず追い求め続けることの不毛さが、あまりに忍びなくてならないのです。その不完全さこそが人間だと講釈を垂れた方々も多く居られましたが……心残りを一つもなく満足して去った者は誰一人いませんでした」
凡人の真似事をしていながらも、瀬津那の声色には確かな同情の色が垣間見えた。
確かに、そんな他者を慮る感性を少しでも持ちえているのであれば、宿儺を差し置いて呪いと称するわけにもいかないか────羂索はそう納得しつつも、その共感性が瀬津那の倫理観に働くこともないのを知っている。だから羂索は、人間のフリをする瀬津那を皮肉ってみせるのだ。
「へぇ……まるで
羂索の問いに、瀬津那は無機質な微笑みを湛えたまま、昏い紅玉の双眸を露わにして告げた。
「できますとも。だってワタクシは────愛なきことこそ、ヒトを蝕む愛という
快不快に苛まれることもなく、尽きぬ知識欲を満たすこともない。そもそも満たされぬ