カワサキレース場。
蒼穹に舞い散る興奮の雫。カワサキレース場の高揚する雰囲気が、ピークに達していた。
『さぁっ……!各ウマ娘、第4コーナーをまわりました!最後の直線だっ──!』
レース実況が会場に響きわたり、緊張が走る。
『鍔迫り合い……!抜けてくるのは、どのウマ娘か!』
期待と興奮の中、観客は一心にレースを見守っていた。
「あんた……!自分が何をしてるかわかってんの!!」
「話が違うだろぉ〜っ!テメェええええ!!」
ウマ娘たちの怒号が響き渡る中、キングシルバーはスパートをかけた。
「ハッ……!ハッ……!うぁあああああ!!」
『あ……!キングシルバー!キングシルバー抜けたっ──!』
──その瞬間、白い疾風が直線を駆け抜け、その姿がまるで幻影のように見えた。
『1バ身──3バ身──!みるみる差が開く……すごい足だっ!』
白銀の蹄音が観客を魅了し、その速さに息を呑む。
『ぶっちぎり──!6バ身!文芸記念を制したのは、キングシルバー!』
フィニッシュラインを切る瞬間、観客席は歓声と拍手に包まれた。
『好位から見事に差しました。それにしてもすごい足だったキングシルバー!今までの凡走が嘘のようです!』
興奮冷めやらぬ中、トレーナーの鉄《てつ》は拳を強く握りしめた。
「や、やった……!やったぁー!皆ありがとう──!」
観客へ一礼するキングシルバー。観客達は大歓声をもってキングシルバーの健闘を讃えた。
『やりましたキングシルバー!この後、一着から三着までのウマ娘によるウイニングライブが始まりますので、お手持ちのチケットはお捨てにならないようお願い致します』
肩を上下させながら、キングシルバーは鉄のいる観客席へと歩み寄った。
「鉄さん……あ、あり……ありがとう、ありがとう、ございます」
感極まったキングシルバーは泣き出してしまった。鉄はキングシルバーにフワリとタオルをかけ、頭を優しく撫でた。
「よくやったな、シルバー。ほら、一着が泣いててどうすんだ。早くライブの支度しに行きな」
「鉄さん……」
「何も心配はいらねぇ。お前は正々堂々戦って勝ったんだ。胸を張って、歌って踊ってこい。俺も楽しみにしてたんだから」
「……はい!」
キングシルバーはその日、最高の輝きを放ちカワサキライブ会場を銀色に染めた。
翌日。
地方ウマ娘寮 浅沼寮。
浅沼寮のオフィスでは、浅沼寮オーナーである浅沼が荒れ狂うような怒りを抱えていた。タバコの煙が辺りに漂いながら、彼は鉄に対峙していた。
「……!いい気なもんじゃの。鉄……」
鉄は黙ったまま浅沼の言葉を受け入れつつも、その怒りの中で自身の信念を貫いていた。
「……」
浅沼の説教が続く中、鉄は静かにその言葉を聞いていた。
久我井鉄雄《くがい てつお》。浅沼寮専属ウマ娘トレーナーであり、彼が導くキングシルバーがレースで勝利することは、浅沼にとって非常に都合の悪いものだった。
「おんどれは何様のつもりじゃ……え?」
浅沼の言葉に鉄は答えない。しかし、その沈黙の中には強靭な意志が宿っていた。
「今回のレースはわけありやって……あれほどくどく言っといたろうが……」
浅沼が鉄に向けて語りかける。しかし、その話の裏には計画されたレースと、それを裏切る鉄の思惑が交錯していた。
「昨日の文芸記念は……怪我せんようにゆっくりまわってくれば、それでよかったんじゃ……間違っても勝っちゃいけないレース……」
鉄がキングシルバーに授けた指示は、浅沼の計画から外れるものだった。そしてその結果、キングシルバーは予測外の勝利を収めた。
「ロコドルプロデューサーの山形さんもカンカンじゃ……当然やろ。何の為に──今まで負けてきたか」
浅沼の言葉に、鉄は冷静に応じる。
「全ては次の関西OPでキングシルバーを人気薄にして……逆転勝利させることで完璧なローカルウマドルデビューを飾る為っ……!」
浅沼の怒りは頂点に達した。しかし、鉄はそれに屈することはなかった。
「そうやって少しずつ積み上げていった苦労を、おどれは全て水の泡にしたんじゃ──昨日の馬鹿っぱしりでな!」
浅沼の計画に対抗した鉄は、自らの信念を貫いたのだ。
「あないぶっちぎりで勝たれた日にゃ、次の関西OPは恐らくド本命……」
その結果、キングシルバーが注目を集めることで、中央からのスカウトが殺到することは避けられない。それが浅沼の最大の懸念だった。
「中央からスカウトマンがこぞってやってくる……!シルバーは中央に引き抜かれるっ……シルバーはカワサキの新たな稼ぎ頭になれる素材じゃ!それをおどれは……ワシらの計画はご破産じゃっ!」
浅沼の計画が破綻したことにより、鉄は再びその怒りに直面する。
「おどれは浅沼寮を、カワサキを潰す気かっ……!わしの指示に従えんのなら、当分トレーナー業から上がっとけ!」
怒り狂う浅沼は、鉄に対して強硬手段を示唆する。しかし、鉄の反応は冷ややかだった。
「……失礼します」
立ち去ろうとする鉄。しかし浅沼は立ち上がり、鉄に向かい怒鳴り散らした。
「ちょっと待たんかいっ!まだ話はすんどらんぞ!!」
鉄がその言葉に立ち止まると、寮内に漂う怒りと緊張が手に取るように感じられた。壁に掛かる時計の秒針が異様に大きな音を立てながら進んでいくかのようだった。
「……よかったじゃないですか」
鉄は浅沼に目を交わさず、床の埃を見つめていた。その小さな粒が、浅沼の中に渦巻く怒りや失望を映し出すようだった。
「なにっ……?」
浅沼の声には、何かを悟ったような驚きと同時に、未だに収まりきらない怒りが混在していた。
「シルバーはずっと中央に行きたがっていたんだ。実力もある。あんないい子を、きたねえ大人の都合で人寄せパンダに仕立て上げることないでしょう」
鉄の言葉に、部屋の中の空気が一瞬にして凍りついたような感触が広がった。浅沼の吐くタバコの煙が、部屋の片隅でくすぶっている。
「……おどれだってわかっとるじゃろうが!きれいごとでメシが食えるか!!」
浅沼の声は低く、その低音が寮の中に響き渡った。鉄はそれを聞きながらも、何かを訴えるように固く口を結んでいた。が、にわかに口を開いた。
「……ねぶるのもええ加減にせんとケガぁしますよ──おっさん」
鉄の口調は冷静で、刃物のような鋭さがあった。
「なんだとっ……!」
浅沼がひとしきり激昂する中、寮の中には不穏な静けさが広がった。
「浅沼のおっさん──今、わいが何考えとったかわかりますか……?」
鉄が静かに問いかけた。鉄の目に獣のような殺気が宿る。
「……!?」
浅沼の瞳には驚きと恐れが入り混じり、息を呑むような表情を浮かべた。
「なんとか、おどれを証拠残さんと殺すことはできんかと、考えとったところよ……」
鉄の言葉が響く中、部屋の中には重苦しい空気が立ちこめた。
「な……」
鉄の言葉に浅沼は言葉を失い、狼狽えた表情で彼を見つめた。その目には恐れや憎しみ、そして理解に苦しむ混沌とした感情が宿っていた。
「ご覧の通り。この鉄は落ちるとこまで落ちてこんなところにおるが──この世界で生きていくしかないアホ男じゃけん」
部屋の中には、言葉以上に沈黙が立ち込めた。鉄の言葉はまるで対話の余地がないかのように響いた。浅沼はその言葉に屈し、唖然としてただじっと鉄を見つめている。
「しめあげるのも大概にせんと……ムチャしかねんですよ。自分でもこの気性は、よう止められんけんね──じゃあ……!」
鉄の声は一瞬にして囁きに変わり、寮のドアが無情にも開かれる。彼はそのまま強くドアを閉め、暗闇の中へと消えていった。残された浅沼は、悔しげに口を閉じ、立ち尽くしていた。
それから、鉄は一人電車に乗っていた。向かう先はカワサキレース場である。
カワサキレース場。
その日も、元気なウマ娘たちによる熱いレースが行われていた。
カワサキレース場は、中央程ではないが活気に満ちたレース場で、観客たちがウマ娘たちの走りに期待と興奮を抱いていた。
鉄は売店でビールを買うと、観客スペースの芝生に座り込み、冷たいビールを手にレースを楽しんでいた。
時折ビールを口に運びながら、ウマ娘たちの激しい競走を見守る鉄の表情には、彼女達の情熱に応えるような微笑みが浮かんでいた。
そこへ、香織が静かに近づいてきた。
「鉄雄さん」
鉄は名前を呼ばれて、彼女に向き直った。
「ごめんなさい……気になって追いかけて来たの」
浅沼オーナーの娘、香織。彼女は不安げな表情を浮かべていた。
「さっきは父が……バカなことを言ってすみません……でも、大丈夫だから。私からまた、新しい子のトレーナーになれるように頼んであげる」
「……」
鉄は彼女の言葉に応えず、黙ってしまっている。
「ねっ!……なんのかんの言っても父さん!鉄雄さんのトレーナーセンスは高く買ってるんだから。元中央トレーナーでウチに在席してくれるのは鉄雄さんだけだし……」
香織は鉄をなだめるように、言葉を重ねていく。
「勝ちたいレースは本当に鉄雄さん頼りなの……必ず折れてくれるわ」
しかし、彼女の言葉にも鉄は反応せず、深く考え込んでいた。
「でも、父さんあれで相当頑固だから──鉄雄さんから一言謝ってくれたら助かるんだけど……」
「冗談でしょ……!」
鉄の口調には、浅沼オーナーとの確執が色濃くにじんでいた。
二人が話していると、レース場のゲートが開き、また新たなレースが始まった。
香織から視線を外し、ウマ娘たちを見ながらビールを飲む鉄。彼の目は、ただならぬ熱さでウマ娘たちの疾走を見つめていた。
「みんなそれぞれ夢を背負って走ってるんだ。観客たちもそんなウマ娘たちが大好きで、夢を見に来てんじゃねぇの」
ビールを口から離すと、鉄は険しい表情で言い放つ。
「それを……てめぇらの都合でウマ娘の夢を奪い去るなんて──そんな真似だけはしちゃいかんのとちゃいますか?」
香織は黙ってしまった。が、すぐに口を開いた。
「でも……スターになれるウマ娘なんて、そう簡単に出てくるもんじゃないわ。だったら年に数回くらい、そういうレースをしても……」
風がレース場を通り抜ける。遠くでウマ娘たちが躍動し、それに合わせるかのように鉄の心もざわめいていた。
「ずれてる女だな……」
「え……?」
ダートを舞い上げるように風が吹き、レース場全体が興奮に包まれた。
「ウマ娘はてめぇらの道具じゃねぇんだ!そういうレースだと?出来レースなんざ、一度だってあっちゃいけねぇんだよ!!」
観客たちの熱狂に、鉄の声が溶け込んでゆく。
「……!」
鉄の形相に、香織は父親と同じように気圧されていた。
「そのへんのセンスがあんたらもう狂ってるよっ!」
レース場の異様な熱気が辺りを支配していた。
「……ともかくオレは、もうあんたの親父さんとは仕事したかないねっ!」
「うちを辞めるってこと……?」
香織が問いかけたその瞬間、観客席から悲鳴と歓声が同時に湧き上がった。
「クラッシュだ!」
「衝突したウマ娘、まだ走ってるぞ!」
鉄には、ハッキリと見えた。そのウマ娘の執念。異様なまでのオーラが。
「なんだ……あいつは」
呆然と事態を見つめている鉄。
「普通、あそこまで派手な衝突をしたウマ娘は、レースを中断するはずだが……恐ろしく速い……詰めてやがるっ……!差を……!」
衝突によって1人のウマ娘は転倒していたが、もう1人のウマ娘は驚異的なバランス感覚で即座に体勢を立て直し、レースを続行した。
「うぉおああああああああああーッ!!」
そのウマ娘は、大きな唸り声を上げながら、まるで怪物の如きスピードで先頭集団に追いついた。
「待てよ──ひょっとすると」
鉄は腕時計のストップウォッチ機能を起動した。
(1ハロン《200m》どれくらいでいくか……?)
ダートの中を疾走するそのウマ娘の速度を、鉄は簡易的に測り始めた。
(11:85──11.8秒……!)
「なんだって……!?」
(1ハロン、12秒を切るなんて、並のウマ娘に出せる時計じゃねぇ……!)
(ダービーウマ娘級……!ウイニングチケット……いや、アイネスフウジン、アドマイヤベガと同格の時計だ)
(いずれにしろ、中央の超一流ウマ娘があがりの3ハロンで出すか出さないかって時計──)
(そ、そんなウマ娘が……こんな地方の夏レース。それも未勝利戦を走っているなんて……)
鉄は、感動と戦慄に心を震わせた。砂埃が立ちこめ、レース場は息をのむような緊張感と歓声に包まれた。
驚愕している鉄に、香織は言った。
「あのウマ娘が反則をしたのは、これで二度目だわ」
香織の言葉に鉄は思わず香織と目を合わせる。
「え……?」
レース場の興奮が鈍り、不安の雰囲気が漂い始める。
「──バロンイースト」
香織の口から漏れるその名前が、まるで呪文のように鉄の頭の中に響く。
「この前も派手にぶつかっていたから、覚えていたわ……」
風が不穏な匂いを運び、鉄の心はざわめいた。
「今まで6着が最高の着順のはずよ。今回は3着みたいだけど……あれだけ派手に衝突すれば失格よね」
『3着バロンイースト!斜行及び衝突により失格、失格です!お客様におかれましては、順位が確定するまでお手持ちのチケットはお捨てにならないようお願い致します』
カワサキレース場の雰囲気が一気に緊張と不安に包まれた。
「つくづくタチが悪いっていうか……ツキがないウマ娘……」
鉄は香織の言葉に首を振り、心の中でささやいた。
(違う──!!)
(トレーナーがクズなんだ……あのウマ娘は最強の資質を持っている……!)
嵐の前の静けさ……その兆しを、鉄は感じていた。
「バロンイースト……!」
キングシルバー。
鉄の元担当ウマ娘。芦毛の毛色に青と銀色の勝負服が特徴。夢はトレセン学園に入学し、URAファイナルズ《マイル》を優勝すること。
恵まれた容姿と素直な性格からカワサキレース場限定のローカルアイドルウマ娘、ロコドルへと路線変更を余儀なくされていたが、鉄の働きにより実力を発揮。その走力を認められ、中央からのスカウトマンによりトレセン学園への入学を認められた。