校門前。
「バロン、ジャージに着替えて、シューズも新しいのがあったろ。履き替えてこい。今日は休ませるつもりだったが、あんなことがあっちゃ、そうのんびりとしちゃいられねえ。俺も用意をしてくる。ここで集合だ」
バロンはうなずくと栗東寮に疾走していった。
鉄もトレーナー寮へと走る。
二人は準備を済ませると、グラウンドへと向かっていった。
グラウンド。
中央トレセン学園が誇る大型グラウンドである。短距離から長距離まで、全ての距離を網羅したコースは、まさに理想的な走行環境である。
「バロン、お前の強みはその圧倒的な体格とタフネス。そして野生的なまでの走りだ」
こくこくとうなずくバロン。
「早い話、走ってもらうぞバロン。全力でだ。とりあえず芝の2400mは走れるようにならねえと話にならねえ」
バロンのトレーニングが始まった。それはトレーニングと言うには、あまりにも激しいものだった。まるで、目に見えぬ対戦相手がいるかのような、そんな全力疾走。
初めは芝の感触に戸惑っていたバロンだったが、走る度に脚が芝に馴染んでいく。
するとそこへ、サングラスをかけた一人の男が現れた。
「見知らぬウマ娘が走っていると思ったら……鉄。帰ってたのか」
「黒沼さん……!」
二冠ウマ娘、ミホノブルボンのトレーナー、黒沼である。
「いいウマ娘だな」
「そうでしょう……俺はあいつこそ、バロンイーストこそ最強のウマ娘だと思ってます」
「バロンイーストというのか……どうせお前のことだ。また何か訳ありだろ」
鉄とは古い付き合いの先輩トレーナーである黒沼は、鉄の事情を深くは聞かなかった。
「ブルボン」
「はい」
黒沼がその名を呼ぶと、スッとそのウマ娘は現れた。ジャージに身を包み、いつでも走れるといった具合である。
「鉄、どうだ。ブルボンと走らせてみないか」
「ええ、ぜひお願いします。バロン!」
鉄の前まで移動してきたバロン。ブルボンと相対する。
「ミホノブルボンです。よろしくお願いします」
「──バロンイーストだ」
「よしお前ら、まず坂路を5本行ってこい」
「ご、5本……!?」
3本ですらハードトレーニングと言われる坂路を、まさかの5本。あまりの過酷なトレーニング内容に驚く鉄。
「不満か?それだけでかい身体をしてるんだ。スタミナもメンタルも鍛えなければ、この先やっていけねぇぞ鉄」
「……いけるか、バロン」
「──愚問だ」
「素晴らしい意志の強さです。では行きましょう」
バロンを称賛するブルボン。二人は坂路を疾走した。
「ガタイの良いウマ娘は基本短距離向きと言うが……これは逸材だな」
興味深そうにバロンを分析する黒沼。黒沼の言う通り、身体の大きなウマ娘は一般的に長距離には不向きで、短距離向きと言われている。体重の重さが、余計にスタミナを消耗してしまうのだ。だが、バロンは例外であるようだ。
「ただ筋肉の塊って訳じゃない……バロンの柔軟性と耐久性は目を見張るものがありますよ」
「そのようだ。だが……あの走り方はなんだ?お前が仕込んだのか」
「いえ、バロン本来の走りです」
「動きに無駄が多い……矯正した方がいいんじゃないのか」
「いいんです。バロンはあれで。さもないと帝王には勝てないっすから」
「……そうか、帝王に勝つつもりか」
「はい。恐らく正攻法じゃ勝ち目がない……となると、からめ手をぶつけてみるもんかと」
「随分あのウマ娘に入れ込んでるようだが……潰されるかも知れねぇんだぞ」
「……」
「あのガタイなら、まだ短距離路線もある。とだけ言っておこう」
「へっ……黒沼さん、俺がそんなことを素直に聞くと思いますか?」
「そうだったな……」
帰ってきた後輩の成長と実直さを感じ、微笑む黒沼。
二人のトレーナーは、疾走する愛バを見守っていた。
そして、全てのトレーニングを終えたブルボンとバロン。二人の体力は限界に近い。
「ブルボン、よくやったな」
「ありがとうございます……マスター」
「バロン、お疲れ……!」
「……」
バロンは頭を鉄の方に下げると大人しくタオルで汗を拭かれていた。
「鉄」
「はい?」
「久しぶりだ。今夜はいつものバーに顔だせよ。俺がおごってやる」
「……はい!」
「じゃあ後でな」
黒沼とブルボンはグラウンドを去っていった。鉄とバロンはグラウンドのベンチに座り、少しの間話をしていた。
「……よかったぞバロン。芝の走りでもまるで問題ない。いけるぞ」
「……」
疲れを見せるバロン。そしてあんぐりと口をあけた。
「ああ、角砂糖な……頑張ったご褒美だ。4つやるからな」
「……ん!」
バロンは目を輝かせながら、角砂糖を頬張った。
夕焼けが空を染め、吹き抜ける風は芝生の香りを運んでくる。鉄の表情には、深い思索が浮かんでいた。
バロンを寮まで送った鉄は、その足で馴染みのバーへと向かっていた。
かつて、仲間たちと熱く夢を語り合った、思い出の場所である。
バーに向かう途中、様々な思い出が胸を駆け抜ける。皆で中央トレーナーバッジ取得記念のパーティーをしたこと。鉄の誕生日に、皆がサプライズケーキを用意して沖野のドジでそのケーキがグシャグシャになり、皆でケーキだったものを食べた事。
その他──忘年会、新年会、祝勝会……特に、エルコンドルパサーの凱旋門賞二着の慰労会は、自分の担当外ながら鉄の心に残るものがあった。
その後、エルコンドルパサーの仇をとるように欧州最強のウマ娘“ブロワイエ”ことモンジューをジャパンカップで討ち取り、日本の意地を見せた“日本総大将”スペシャルウィークに心から感動した。
その夜、沖野とは朝まで飲み明かした。マスターは嫌な顔一つせず、笑顔で付き合ってくれた。そんな宝物のような思い出に溢れるバー。
到着した鉄。バーのドアを開ける。聴き親しんだドアベルの音が心地よい。
「いらっしゃいませ」
「マスター、しばらく……」
「ええ、お久しぶりです。鉄さん」
席には既に、顔馴染みのトレーナーたちが座っていた。
「お、来たな。戦友」
笑顔で鉄を迎える沖野。
「狂犬の帰還だな。マスター、鉄にビールを一杯」
冗談を交えつつ、スマートに後輩におごる黒沼。
「よしてくださいよ……黒沼さん」
恥ずかしそうに席につく鉄。店の奥側、黒沼の隣の席についた。
「この後すぐ、おハナさんも来るぞ。あと南坂くんも。新入りの子も、一人」
「そうか……」
浮かない顔をしている鉄。
「どうした?」
「どうしたじゃねえよ……沖野、なんだ……?あの帝王は。何があったんだ……」
「帝王に会ったのか……」
その時、ドアベルが何度かバーに鳴り響いた。
「こんばんは。何よ、もう始めてるの?」
「おハナさん、どうも……」
「あら、鉄くん。久しぶりじゃない。類は友を呼ぶのかしら」
麗しいクールな外見をした美女。いかにも有能そうな女性トレーナー、東条ハナ。学園最強レースチームと名高い“リギル”の指導者である。
「ちょっとおハナさん!それどーいう意味!?」
冗談めかして言う沖野。
「皆さんお揃いで……鉄さん、ご無沙汰しております」
「南坂……俺たちはそんなにトシが変わらないんだから……皆仲間だろ」
丁寧な仕草で鉄に挨拶をしたのは、後輩トレーナー、南坂。個性派揃いのウマ娘チーム“カノープス”の指導者。物腰柔らかい優男であり、美男子である。
「もちろんです。ですが、親しき仲にも礼儀有りということで」
「変わらねえな、お前も……」
熱い握手を交わす鉄と南坂。そこへ、メイド服を着た女性が現れた。
「遅くなりましたー」
「いえ、皆今来たところよ」
沖野の隣に座るおハナさん。その動きは素早い。鉄はおハナさんの動向を見逃さなかった。
だが、まるで気にしていない沖野。それに苛立つ鉄。
(このバカ……まだおハナさんを待たせてんのか……お似合いだよ、誰が見ても……いい加減付き合っちゃえよっ……!!このウマ娘バカっ……!!)
それは鉄も同じである。ウマ娘を心から愛するあまり、ヒトの女性に目がいかない。まさにウマ娘バカ。
「はじめまして、お噂はかねがね……」
メイド服姿の女性が鉄に話しかける。サトノ家の専属トレーナー。チーム“カペラ”のトレーナーである。とある事情により名前不詳としており“メイドさん”が通り名となっている。
「いやあ、お恥ずかしい限りで……あなたは、サトノ家のトレーナーですよね?サトノダイヤモンド、サトノクラウン……あげたらキリが無い。素晴らしいウマ娘たちですよ」
「まあ……!嬉しいことを。もっとくだけた言葉使いの方が楽でしょう?仲良くしてくださいね、鉄さん」
「……じゃあ遠慮なく。俺たちトレーナーは、ライバルであり……仲間。ウマ娘の隣に立つ、仲間じゃねえか」
「ふふ、鉄さん。沖野さんの話通りの人ですね。マスター、テキーラのストレートを、ジョッキで!」
「ええっ!?」
鉄が驚くのも無理はない。テキーラとは、メキシコ発祥の蒸留酒。アルコール度数は通常38%から40%の間であり、これはウイスキー等の他の一般的な蒸留酒とほぼ同一の範囲。
一般的なビールの度数が5%と言えば、蒸留酒の強さがおわかり頂けるだろうか。しかし、蒸留酒自体に問題はない。
──問題はその量である。ジョッキの内容量は500ml。それだけの量のテキーラを飲むのは非常に危険。急性アルコール中毒により、めまい、嘔吐、失神等を引き起こし、最悪死に至る。
が、彼女は特異体質。生まれつき極度にアルコールに強い体質なのだ。
飲酒は適度な量を。くれぐれも絶対に彼女のマネはしないで頂きたい。
そして鉄が驚きの声を上げたあと、バーは和やかな雰囲気に包まれた。
「それでは、鉄ちゃんの中央復帰を祝って……乾杯!」
「かんぱーいっ!」
ウマ娘たちを愛するトレーナーたちの、ささやかな宴が始まった。
ミホノブルボン。
皐月賞、日本ダービーを制した二冠ウマ娘。
走行スタイルは圧倒的なスピードから繰り出される逃げ。
感情を表に出さず、淡々とレースを展開していくことから“サイボーグ”の異名を持つ。
が、実は甘えん坊な一面や、友人に激を飛ばす熱い一面もあり、ただクールなだけが取り柄ではない多彩なウマ娘。
ウマドルグループ“逃げ切りシスターズ”の一員でもあり、その人気は計り知れない。
ただ、なぜか電子機器との相性が最悪で、触れただけで機械を破壊してしまうのが悩みの種。