阪神レース場。
暦も12月に入り、冷たい風がターフを吹き抜けていた。そんな風とは裏腹に、観客席は満員。ファンファーレを今か今かと待ち望む観客たちの熱気で溢れていた。
今日はGⅠレースの開催日。
「作戦通りだ。大まかな流れは、スタートから先行し、最後に交わし切る。シルバー、お前ならやれる」
シルバーに熱く語りかける鉄の声には、確信と信頼が込められていた。
「はい……!」
ぴしゃりと己の両頬を叩き、気合いを入れるシルバー。
無事、デビュー戦を一着で勝ち取ったシルバーが挑むは“阪神ジュベナイルフィリーズ”。トリプルティアラ路線のジュニアチャンピオン決定戦を明確にすることを目的としたレース。
同じく12月前半に行われる“朝日杯フューチュリティステークス”とは対を成すレースであり、こちらはクラシック三冠路線のジュニアチャンピオンを決める格式高いレースである。現在ではマイル路線のスタートラインとも言われる。
なお、12月後半に行われる“ホープフルステークス”は“皐月賞”と同条件だが、比較的新しいGⅠレースである。
どのレースに出るかはトレーナーの裁量。なにより、ウマ娘の実力と意思に委ねられている。
「シルバー君、ウォームアップも万全のようだね。お世辞ではない。数値からして身体はかなり良〜い状態だよ」
カタカタとキーボードを鳴らすタキオン。ノートパソコンには怪しげな装置が繋がれており、コードの先から伸びる電極がシルバーの身体に張り巡らされていた。
「……」
傍らにたたずむバロンが、無言でシルバーを見つめた。バロンと視線を合わせるシルバー。
「悪いわね。GⅠトロフィー、先に貰うわよ」
シルバー、ちょっぴり強気。
「──構わん」
「そう」
それだけ言葉を交わすと、シルバーは鉄に向き直り笑顔になった。二人の様子を無言で見ていた鉄。
バロンとシルバーの距離感はおおよそこれくらいの距離感が続いていた。敵ではないが、トモダチというわけでもない。
(これでいい……二人とも性格は真逆だが、負けん気が強い。競い合って……ちょっとピリついてる。“ピリ辛”だ……これくらいがちょうどいい)
うなずく鉄。腕時計をチラリと見る。
「あと少しで時間だな……」
鉄がそう言うと、タキオンは手早くシルバーの身体から電極を外した。
「出走前のデータは貰ったよ。後は結果で示してくれたまえ」
ポンポンとシルバーの肩を叩くタキオン。
「タキオンさんは……レース前に緊張したりしましたか?」
「ふぅン……トレーナー君」
タキオンが鉄に何か問いかけようとしたが、鉄は笑顔で返した。
「頼むよ。“全知全能”GⅠウマ娘。いっちょ、アドバイスしてやってくれ」
「……勿論だとも。シルバー君、緊張しているのだね。今しがたデータを見たから分かってるが」
「はい……」
「フフ……こうは考えられないかい?むしろ緊張を楽しむんだ」
「楽しむ……ですか?」
「データが示す通り、君の身体は最高の状態だ。だからこそ、心もそれに合わせて最高のパフォーマンスを引き出すことができる。心と身体は表裏一体なのさ。どちらも満たされていないとパフォーマンスを発揮できない」
「なるほど……」
「昨日までの訓練を思い出すんだ。トレーナー君の尽力と、私の科学技術。君は最高の環境にいるのだよ……今日、誰よりも強いと言い切れる……最強だ。君は……!」
「ふおぉ……!」
だんだんと語気を強め、シルバーの気分を盛り上げていくタキオン。
「あとは君の意志が、最後の一歩を決めるんだ。風になりたまえ、シルバー君」
「タキオンさん……鉄さん……!」
タキオンの手を取るシルバー。弱気だった心が、強気へと転じようとしていた。だが、あとひと押したりない。
「頑張れ……シルバー……っ!」
優しく、そして強く、鉄がシルバーの背中を押した。
(これだ……このひと押しなんだ……!カワサキでも、鉄さんはいつも優しく背中を押してくれた……!)
「……はい!私、行ってきます!」
その時──バチンッ!と唐突にシルバーの背中が叩かれた。バロンである。無論、かなり手加減されている。
「──気合いだ」
「あ……ありがと」
「よしっ……関係者ギリギリのとこまで見送るからなシルバー!行くぞ、バロン!タキオン!」
「……」
「はいはい」
三人は、シルバーを入場口前まで見送った。
入場口。
三人と分かれたシルバーは、入場口を一人歩いていた。薄暗い場内に、シルバーの銀色の勝負服が美しく輝く。
「へぇ……あんたがキングシルバー?」
「あのバロンイーストの子分だって聞いてるけどォ〜?」
「お手柔らかに。子分さんよ」
戦いは既に始まっている。対戦相手たちが、次々と言葉を投げかけ、圧力をかけてきた。
しかしシルバー、つっかかってきた一人のウマ娘の胸ぐらを掴む。
「おっ……!?」
「ざっけんじゃないわよ。だぁ〜れが“子分”ですって?おい、聴いてる?バロンは私の後輩よ。二度と間違えないで」
そう言うと、シルバーは放るように胸ぐらを離した。
「くっ……根性はあるみたいじゃん、銀ピカぁ……楽しめそうだ」
「地方がどこまでやれるか試してやるよ」
手袋を引っ張り、指にしっかりとはめ直すと、シルバーは対戦相手たちに睨みをきかせた。
「地方も中央もないわ。ウマ娘同士、レースで白黒つけましょ」
そして、歓声の中シルバーたちはターフへと入場した。
阪神レース場。
『さぁ、やって参りました。阪神ジュベナイルフィリーズ!まもなく出走です』
観客席からの歓声が一層大きくなる中、シルバーはゲートに入った。心臓は鼓動を刻むように速くなっていたが、その顔には決意がみなぎっている。
(GⅠレース……こんな大舞台に立つなんて、夢みたい……)
シルバーは生まれて初めてのGⅠレースに緊張を感じた。観客の熱気、他のウマ娘たちの放つプレッシャー。すべてが新鮮であり、気圧されそうなほどだった。だが、タキオンの言ってくれた通り楽しもうと思った。
(でも、私はここまで来た……鉄さんと、タキオンさんのおかげで……あとバロン)
鉄の厳しいトレーニングと、タキオンの最新技術を駆使したサポートが、シルバーの実力を格段に引き上げていた。身体にはこれまでになく力がみなぎっている。
隣のゲートには、2番人気のフレイムリリーが入り、少し離れたところには3番人気のシャドウブリーズが控えていた。どちらも実力派のウマ娘で、シルバーの強敵となることは間違いなかった。
『各ウマ娘、ゲートイン完了……スタート!』
号砲と共に一斉に飛び出したウマ娘たちの中でも、シルバーはひときわ目立っていた。スタートダッシュで抜群の加速を見せ、一気に先頭集団に食い込んだ。
(すごい……身体が驚くほど軽い……というか……遅い?周りが……?)
鉄の指示通り、シルバーは先行しつつペースを維持する。周囲のウマ娘たちが必死に追いかけてくるが、シルバーの脚力は他のウマ娘たちを圧倒していた。普段からバロンと張り合っていたシルバーは、感覚がマヒしていたのだ。
フレイムリリーとシャドウブリーズはすぐさまシルバーの実力を察知し、追走した。その走りは迫力に満ちていたが、シルバーの速度はそれすら凌駕していた。
『キングシルバー、先頭!その後ろにはフレイムリリーとシャドウブリーズ!』
最後の直線に差し掛かると、フレイムリリーが仕掛けてきた。
「舐めんな、地方ぉおおおお!!」
フレイムリリーの猛追が始まるが、シルバーは一瞬のスパートで彼女を突き放す。
「は、速すぎる……!」
その後、シャドウブリーズもスピードを上げたが、シルバーの速度にはまるで追いつけなかった。
(これが、鉄さんの……私たちの力!)
『キングシルバー、一気に加速加速!後続をグングン引き離していく!』
シルバーは背中に強い風を感じていた。吹き抜ける風がまるで彼女を押し進めるように、スピードを引き出していた。
(私、やれる……ここまで来たんだから……!)
ゴールまで残りわずか。シルバーはさらに加速した。その勢いに観客席の人々は目を奪われた。
『キングシルバー、このままいってしまうのか!?』
観客席からの歓声が一段と大きくなり、シルバーの名前が口々に叫ばれる。
その瞬間、彼女は全ての力を振り絞り、最後のスパートをかけた。
「行けぇぇぇぇ!シルバーっ!」
「──勝った」
「風になれぇえええ!シルバーくぅん!」
鉄の声が、まるで背中を押すように感じられた。
(風だ……さっきまで感じてた風はこれだったんだ……鉄さんの声だったんだ……!)
『ゴールイン!圧倒的っ……!キングシルバーやりました!』
シルバーは一着でゴールを駆け抜けた。目には涙が光っていたが、その表情は喜びに満ち溢れていた。夢にまで見たGⅠ制覇である。
「やった……!やったよ、鉄さん、タキオンさん!バロン!」
観客席から歓声と拍手が沸き起こる中、勝利の喜びをかみしめた。鉄たちのいる観客席まで近寄るシルバー。
「シルバー……おめでとう……っ!そして……ありがとう」
鉄はシルバーを労うようにタオルをシルバーの頭にかけると、優しく汗を拭いた。
「嬉しいな……一緒です。あの時と……」
「そうだな……」
カワサキレース場での反逆の文芸記念が、二人の胸をよぎった。あのレースをきっかけに、二人の運命は変わったのだ。その二人のシンパシーを、野生の勘で敏感に察知したバロン。長い耳を絞り静かにシルバーに威嚇する。
「──ウイニングライブがあるだろう……ファンを待たせるな」
「わかってるわよ」
耳を絞り返して応戦するシルバー。
「おおっと待った!おめでとうシルバー君。10秒でいい。脚の数値変化を調べさせてくれ!生のデータが要るっ!」
シルバーの実力は、彼女自身が思っていた以上に遥かに上昇していた。鉄とタキオンの支えと、バロンとの奇妙な関係が、彼女を頂点へと導いたのだった。
キングシルバー、阪神ジュベナイルフィリーズ、快勝。
そして12月後半、中山レース場。
『強ぉーい!やはり強い!バロンイースト桁違い!ホープフルステークスを大差にて完勝!希望の星は巨大な一等星だぁ〜っ!』
「──まず、ひとつ」
当然のように勝つ。バロンはターフのど真ん中で仁王立ちしていた。
その威風堂々とした勝ち姿に、観客たちは数秒沈黙していたが、やがて堰《せき》を切ったように会場は歓声で溢れかえった。
『無頼……っ!これぞ無頼だ!バロンイーストやりました!これは……レコードです!レコードタイムが更新されました!絶好調のバロンイースト、このまま皐月賞も期待できそうです!』
実況に呼応するかのように観客席からは歓喜の声が沸き起こる。
バロンはメイクデビューの時のように、右手を高く掲げ勝ち名乗りをあげた。そしてそのまま観客席の前を横切る。
「やったな、バロン!」
「怖いねえ〜計算通り過ぎて怖いねえ」
「れ、レコード!?なんてデタラメなヤツなの……あんなグチャグチャなフォームでなぜあんなに速く……」
バロンの勝利を喜ぶ鉄たち。しばらくするとバロンは鉄のもとへ勝利を報告しにきた。
「──鉄……夢は、見られたか?」
「ああ……まだまだ見せてくれるんだろ?」
「──任せろ」
バロンは鉄の言葉に応えた後、口を開けた。
「はいよ、角砂糖な……」
三個ほど袋から取り出しバロンの口に含ませる。バロンは嬉しそうに目を細め、尻尾を揺らした。そして次に頭をもたげた。
「わかってるって」
バロンの頭にタオルをかけ、優しい手付きで汗を拭き取る鉄。
イライラしながら鉄とバロンを見つめるシルバーと、その様子を見ながらニヤつくタキオン。
「さて、バロン君。ちょっと脚に触るよ」
「……」
気を許していない相手なら容赦なく蹴飛ばすバロンだが、そこはタキオン。信頼している。トモダチ。無言で作業を受け入れる。バロンの脚にペタリと電極を貼るタキオン。
(終わってみれば、GⅠ 2勝……圧倒的戦績。二人には感謝しかねえわな……こんなにでっけえ夢を見させてくれてよ)
バロンとシルバーの好戦績にとりあえず安堵する鉄。だが、まだまだ気は抜かない。長い戦いは、始まったばかりなのだから。
「バロン、ウイニングライブもしっかりな」
「──稼いでくる」
「そりゃ……まぁ、そうだが……気を遣わせてるよな。悪い、バロン……」
「──フフ……悪くないぞ」
バロンイースト、ホープフルステークス、圧倒的完勝。