翌日、早朝七時二〇分。
アズキは学校の廊下を歩いてたところ、偶然ティナさんと出くわした。
「おはようございます、先生」
挨拶するティナさん。なお、いまは校内なので髪は下ろしていてツインテールではない。
しかし、先程もいったように今は早朝七時。まだ生徒たちが登校してくるには少し早い時間だ。
「おはようティナさん。こんな早い時間に登校?」
「はい。音楽室でピアノを弾こうと思いまして。学校から許可は得ています。この学校に音楽部は存在しませんけど、朝練みたいなものですね」
おそらく、ティナさんにとっては普段のルーティンなのだろう。
でも、だとしたら違和感がある。
「ティナさん、一応確認するけど、いまもメダルが模倣した人格なの?」
「はい、そうですけど」
うなずくティナさん。
やっぱり、いつの間にか取り除かれてたとか、一時的にメダルの動作が停止して本物のティナさんの人格で動いてるというわけではないらしい。
「なら、どうしてそこまでティナさんの行動を再現するの? さすがにただメダルが模倣してるだけなら、そこまで再現する必要はないと思うんだけど」
というのがアズキの違和感である。
けど、ティナさんは言った。
「そう言われましても、いまはティナの人格そのものですから、やらないほうが不自然で気味悪いですよね」
「それは外から見て?」
「いえ、自分がそう感じるだけです」
という彼女の返事を前にして、
「本当に、演じてるというわけでもなく完全にティナさんになってるという話なのね」
「外から見れば演じてるで間違いないと思いますよ。私というメダルがそう認識してないだけで」
「辛くないの? いまの人格がティナさんの模倣って事は、元々別の人格がメダルにはあったという話でしょ?」
それを捻じ曲げてティナさんになりきるだなんて。
しかし彼女は、
「そこは大丈夫ですよ。元々私は一度壊されたメダルで、修復して初期化しても自我が希薄だったメダルですから」
といって、
「昨日ホテルで会った時、最初の私はマスターの言いなりで人格らしい人格が無かったですよね? あれが素の私なんです」
「つまりティナさんの脳を借りないと自我や人格を持てないという事?」
「そうなりますね」
さらっと肯定するティナさん。それはそれで痛々しい。
「じゃあ、本物のティナさんはどう思ってるの? あなたに乗っ取られて、別人がティナさんとして動いてる今を」
「分かりません。本物の藤稔ティナはまだ意識を取り戻してないか、もしくは私が意識さえも奪い取ってるかどちらかですから」
と言いつつも、
「でもそうですね。いまの私の自我で代弁するなら、いっそ死にたいほど生き地獄ですね」
ティナさんは言った。
「だって、誰かに襲われたあの日から、ずっとメダルが私の体を奪い成り代わって生きてるのですから。何より私の姿と人格で誰かに絶対服従してるのが嫌です」
いま、ティナさん「誰かに襲われた」と言った?
「もしかして覚えてるの? ティナさんが事件に巻き込まれた瞬間を」
「はい」
と言って、ティナさんは当時の出来事を語ってくれた。
ある日の夜に街を歩いていたら、後ろから誰かに薬品のしみついたハンカチを口元に押し当てられて気絶した事。
おそらく実行犯は間桐さんではないけど、どこかで会った事のある人だった気がする事。次に目を覚ました時にはすでに自分はメダルだった事まで。
「いいの? そんな重大な事、マスターに黙って話しちゃって」
「構いませんよ。だって言ったじゃないですか。マスターに絶対服従してるのが嫌だって、あの気持ちはそのまま今の私の気持ちでもありますから」
「って事は、メダルに人生全てを奪われてる現状も、メダル目線だけじゃなくって被害者目線でも感じてるという話?」
「複雑な気分ですよ」
ティナさんは自虐的に微笑んで、
「模倣した人格の感情ですから当然メダルとしての私に嫌悪感を抱きますし、でもメダルとしての私はティナの心がないと自我を維持できないのですから」
「中のメダルを強引にでもくり抜いて捨てたい心と、ティナの脳に寄生してないと自分を保てない恐怖っていう相反する心があるという話?」
「その通りです」
ティナさんは頷くと、
「そういえば、ホウジにはまだ何も伝えてないんですね」
不意に話題を変えてきた。
「昨日先生に私の正体がバレてしまったので、ホウジにも情報が伝わってると思ったのですけど、昨日の夜もホウジの様子に違いがありませんでしたから」
ホウジとは春日くんの名前の事である。
「当たり前でしょ。春日くんは一般人なんだから、いきなり常識外れな事を伝えれないよ。どうやって上手く伝えようかいま考えてるところ」
アズキが言うと、
「そういう気遣いができる大人だからこそ、藤稔ティナは先生に心を開いてたんですね」
と、ティナさんはいった。
「私にとって幸運だった事は、自分が先生へのプレゼントとして渡された事です」
「え?」
どうして?
アズキが驚いてると、
「他の人だったら、男でも女でも関係なく気持ち悪いだけですけど、先生なら抱かれても構わないと思ってるからですよ」
ティナさんはアズキの頬に両手を伸ばして、とんでもない事を言ってきたのだ。
「先生なら、私の望みを叶えてくれるかもしれない。生きたくないのにメダルとして生き続けないといけない日々を、終わらせてくれるかもしれない」
ティナさんは虚空と期待の入り混じった目で、
「その手で、その欲望で満たして、麗しき性の果てへと導いて、血肉も心も喰らって、先生の願い、叶えてください」
彼女の発言は一見象徴的で意味の分からないものだったが、
「それってもしかして」
「はい。先生の慰み者に堕としてくださいという意味です。狂わしいほど美しい性愛で、私を苦しめる弱さを、絶望を、攫って、奪ってください」
つまりは、アズキに襲われて、快楽の沼に沈んで何もかも忘れたいという意味なのだろう。
はっきり言って、彼女の誘いはアズキにはとても甘美な言葉だった。
ティナさんは可愛くて色気もある子だ。全てが許されるならまさに血肉も心も貪り喰らうように、この欲望を叶えてしまいたい。
だけど、
「ごめん。プレゼントとしてもらっておいて変な返事だけど、それはできない」
「どうしてですか?」
「私、スタッグと付き合うと決めたから、他の子に手を出す事は」
アズキが言うと、ティナさんはフフッと微笑んで、
「本当ですか? 例え誰かと付き合ってても、物なら、えっち専用の奴隷相手ならノーカンですよね?」
「大事な生徒を物とか奴隷みたいな目では見たくないという話」
「そうでしょうか。本当は私を喰べたい、ひとでなしなのではないですか?」
正直、図星を突かれて激しく動揺したけど、アズキは何とか言い返すのだった。
「メタに突っ込むけど、その『私を喰べたい、ひとでなし』ってそういう意味じゃないと思う」
「分かりました。今日はそういう事にします」
ティナさんは言うと、
「では私はそろそろ行きますね。早くしないとピアノを弾ける時間が無くなってしまいますから」
といって、彼女は急ぎ足で音楽室に向かうのだった。
その日の放課後、校門にて。
「アズキちゃん、二週間お世話になりました」
と、帰り支度を終えたトウコ先生が頭を下げた。
実は今日はトウコ先生が教育実習を行う最終日だったのである。
「トウコ先生こそ、二週間お疲れ様」
アズキが言うとトウコ先生は、
「いえ、この二週間ほとんど役に立てなくてごめんなさい」
「そんな事ないって。授業とかトウコ先生のほうが上手だからすごく助かったという話で」
途中、クワトロさんに襲われて数日間欠席もしたし、アズキからすれば本当トウコ先生に頼りっぱなしの二週間だったと思う。
「あ、その授業のほうもそうなのですけど、ティナちゃんの件でも結局力になれなくて、それどころかクワトロちゃんまで不登校に」
「えっと、あー、それなんだけど」
アズキは、ここでトウコ先生にクワトロさんの問題を伝える事にした。
「実は私を襲った通り魔なんだけど、犯人クワトロさんだったんだよ」
「えっ?」
驚くトウコ先生。さらに、ユスグさんを誘拐した犯人も同様にクワトロさんだった事が判明したと伝えると、
「え、えええっ」
当然、トウコ先生は激しく動揺する。
「ごめん黙ってて。私にとってもあまりに衝撃的な事実だったし、ちょうどティナさんの件もあったから、いまはそっちの問題に集中して欲しくて」
「ティナちゃんの問題、結局最後まで分からず終いでしたね。ごめんなさいなのです」
謝るトウコ先生。実際はこちらも重大な事件が判明してしまったわけだけど、今回トウコ先生には伝えないままにしておく。
「うん。まあそれは、後は私と赤城くんで何とかしておくよ。それより、今から言う事は全部ラエドさんにも伝えて欲しいんだけど」
と、アズキは前置きして、
「ほら、クワトロさんが言ってたよね? 彼女がいま暮らしてる神宮寺家が暴走メダロットの襲撃にあったという話」
「はい」
「実はクワトロさんは襲撃側の人間で、一度捕まえたユニィを逃がしたのもクワトロさんだったんだ」
さらに、そもそも孤児院から神宮寺家に保護される自体がクワトロさんのシナリオだった事も伝えて、
「だからクワトロさんは危険だから気を付けて、できれば安直に彼女の事を調べない方がいいってラエドさんに伝えて欲しいのよ」
「分かったのです」
うなずくトウコ先生。
アズキは言った。
「私からは以上。これからもしばらくはTMZのほうでトウコ先生を護るつもりではいるけど、とりあえず気をつけて」
「はい。アズキちゃんも気を付けてくださいなのです」
と言ってトウコ先生は自分の車に乗って学校を後にするのだった。