時間は少し進んで、たしかキクナが小学校の卒業を控えた二月ごろ。
「キクナ、ちょっといいかな?」
マイカゼさんが言った。
「実は田村崎家と通杭家の合同でキクナの卒業祝いをしようと思うんだけど、何か欲しいものはあるかい?」
この時、今日もキクナはマイカゼさんの部屋にお邪魔して、本棚を借りて法律の勉強をしている真っ最中だった。
もちろんマイカゼさんと一緒に遊ぶ片手間ではあるけど。
「うーん、そうですね」
キクナはちょっと考えてから、
「ミネルバさんは駄目ですか?」
「それはちょっと難しいね」
なお、現在ミネルバさんは田村崎邸にはいない。
元々TMZ社が管轄するメダロットであった彼女は、現在あちらでの仕事が増えたそうで滅多にキクナとは会えなくなってしまったのだ。
ボディガードという役目も解任。現在マイカゼさんのボディガードはTMZエージェントの人間が行ってるらしい。
「もちろん冗談ですよ」
キクナは言ってから、
「でも、メダメイドは欲しいですね。少し面白い使い方を思いついてメダテック製とTMZ製の両方を入手したくてお小遣いを溜めてたところだったんです」
「いいねいいね。これなら片方は君の両親から、もう片方は私の両親からのプレゼントにもなる。けどメダルはどうするんだい?」
「メダロットを買うために溜めてたお金をそちらに回します」
と言って、キクナは本棚からメダロット関連の本を引っ張り出して、
「このメダルなのですけど」
「なら、こっちは私たちからのプレゼントだね」
マイカゼさんの言葉にキクナは、
「え?」
「ノリカ君とショウイチ君だよ。せっかく私たちみんなの弟で妹なキクナのお祝いだよ? 私たちにも一枚噛ませてくれないかな?」
こうして、キクナは卒業式の夜にプレゼントを三つ一気にいただいた。
「早速、組み立ててもいいですか?」
キクナが言うと、当時はまだちゃんと帰宅して顔を見せてくれた母が、
「もちろんです」
すでに見た目だけなら息子や娘よりずっと年下に映る姿で、これまた幼さを感じさせるにぱっとした笑みで言った。
キクナは早速メダメイドを組み立てる。
両方とも完成させてから一度メダロッチの中に回収し、キクナは頭部・脚部はTMZ社製、右腕・左腕はメダテック製にしたメダメイドを転送し直した。
これで、右腕のガトリングで最低限の自衛力を持ちながら光学無効と高性能の盾を持ったメダロットが出来上がる。
「なるほど、だから両方とも必要だったんだね」
マイカゼさんが言った。
で、最後にみんなから買ってもらったマシンメダルをハッチに装着すると、
「初稼働完了。マスターの名前は
新しいキクナのメダロットは、まだ自我の薄い機械的な喋りで言った。
最初からキャラの濃かったユディトとは違い、まるでパソコンやメダロッチをセットアップする時の感覚に似ている。
「大丈夫です」
「了解しました。続けて私の名前を教えてください」
「そうですね。君の名前はアテ」
キクナは言いかけた言葉を撤回した。
いま名付けようとしたアテナという名前は、ギリシア神話に登場する女神でありローマ神話のミネルバと同一視されている。
つまりキクナは、つい目の前のメダメイドに幼い初恋の代役を命じてしまうところだったのだ。
キクナが彼女に求めてるものは、そんなものではない。そんな程度の扱いではない。
「いえ、メダメイドでお願いします」
「頭部パーツに沿って名称を変えるデフォルトでよろしいですか?」
「いいえ、そうではなくちゃんとした愛称でメダメイドと名付けます」
「了解しました」
結局キクナはミネルバさんを手に入れる事はできなかった。
それどころか、密かな想いさえ伝えられなかった。
でも、メダメイドを手に入れる事はできたのだ。
ミネルバさんとも、他のメダメイドとも違う唯一無二キクナだけのメダメイド。
(あなたは僕だけのものです。僕は僕専用のメダメイドを手に入れたのです)
この感情が薄汚い独占欲だという自覚はあった。けど、ルールに則って正規の方法で手に入れたのだ。法律にも道徳にも間違ってるとは言わせない。
何より、メダルも他の個体より初期の性格が形成されてない物を使わせてもらった。
先ほど「パソコンやメダロッチをセットアップする時の感覚に似ている」と言ったが、まさにその通りいまのメダメイドは他の誰より自我が希薄で純白だ。
これから、目の前のメダメイドはキクナ自身の手でゼロから人格を養っていく。
全てがキクナの色に育っていく。
なんて考えると、いまにも悪い笑顔が零れそうになり、
『やれやれ。この様子だと彼女はこの先酷い目に遭いそうですねぇ』
ユディトが未来を予言するのだった。
「これが、僕がメダメイドを愛称で呼ばない理由の全てです」
キクナが語り終えると、辺りは絶妙な空気に包まれた。
当たり前である。
題材はキクナとメダメイドの関係だったはずなのに、いきなり幼少期の初恋話から始まり、その相手であるミネルバというメダロットとのエピソード。
結局恋が実らなかった想い出と、だからこそメダメイドにどろっどろの重い感情をぶつけていた事実が告げられたのだから。
「確かに爆弾だったな。それ以前までの重い空気が見事に吹っ飛んだ」
帯刀くんが言いながら麻婆豆腐を平らげ、水を一気に呷る。
ノリカは悪い笑みを浮かべて、
「でしょう?」
で、当のキクナは羞恥と後ろめたさが入り混じった複雑な顔をしていたが、メダメイドから反応が無いと気づくと、
「どうでしたか? 自分の誕生の秘密を知った気持ちは。自分が愛称で呼ばれない理由を知った気分は」
ヤケクソになってメダメイドを煽り始める。
『人間じゃないのに、メダロッチの中にいるのに胸焼けと悪寒がします』
メダメイドは言った。
『私にミネルバって方の面影を求められても、私は私ですから知らない人の偽物を演じるなんて出来ないですし、それに』
「気持ち悪くてゾッとするですか?」
『それも少し。ごめんなさい』
と、メダメイドはマスターに不快を抱いた事を素直に謝り、
『でも私の仕事はマスターの身の回りの世話ですから。それでも代わりを求めるのなら務めなければいけないわけで』
「その必要はないですよ」
キクナは言った。
「これでも、最初の日以来、あなたにミネルバさんを重ねた日は一度も無いつもりです。これは僕だけの物という独占欲はありましたけど」
『マスター』
「そもそも噛みつくほど負けん気の強いメダメイドには、ミネルバさんの真似なんて最初から期待できるわけないじゃないですか」
『カチン! ならいっそやって差し上げます。マスターの初恋の女性のフリなんて簡単ですよ!』
まさにキクナの言う通り、噛みつくほどの負けん気をみせるメダメイド。
キクナはくすりと笑って、
「だから大丈夫ですよ」
『私が平気じゃありません』
「そうではなくて」
キクナは一拍置いて、声のトーンを下げて冷静に、
「僕の隠してた重い感情を受け止めたうえで、これまで通りのメダメイドでいてくださいという事です」
『これまで通り?』
「僕があなたをメダメイドと呼ぶ時点で、安直に愛称を貰うよりずっと責任重大な任務を背負ってるのと同じなのですから」
『あっ』
マスターの言ってる事に気づいて、はっとなるメダメイド。
キクナは言った。
「メイドの役割をこなせる程度にはちゃんと上品で礼儀正しく振舞うけど、本性は直情的で勝気なあなたこそ、世界でただ一人、僕だけのメダメイド。ですよね?」
『はい』
「これからも、誰かの代わりになんてなれない僕だけの玩具でいてください」
『承知しました。……って玩具!?』
メダメイドは一度和やかな声で返事をするも、時間差で聞き捨てならない言葉に反応。
キクナはわざとらしく笑っていた。まるで。
「あまり気にする必要はない」
帯刀くんが言った。
「あれは単なる照れ隠しだ。シリアスな空気で終わらせず、笑い話で誤魔化したかったんだろう」
『だからって玩具扱いは。もう、ムカッ』
メダメイドは、言いたい事は分かるけど納得しきれないといった様子だった。
ちなみに余談だけど、アズキの夢がパティシエだったように、キクナは法学部の大学を進んで弁護士になるのが夢らしい。
つまり、先程のエピソードは今のキクナを形成しているもうひとつのルーツも語っていた事になる。
結果的にキクナの話を介して、この場の空気はそれなりに和やかさを取り戻したようにみえた。
しかし、マイカゼさんの顔だけは未だに険しい。
むしろブルー博士の話をしてた時より表情が固くみえる。どういう事だろう。
「ま、マイカゼさん?」
「なんだい?」
「えっと、いや、なんでもないです」
アズキは何も言えなかった。なんだか確認したらいけない空気をマイカゼさんから感じたからだ。
不意にスタッグが言った。
『そういえば、話に出てきたミネルバさんとは、元TMZエージェントのミネルバさんですか?』
「知ってるのですか?」
驚くキクナ。スタッグはメダロッチ越しに頷いて、
『はい。機体もTMZ製メダメイドで、私が初めて起動した時お世話になりました。ある日を境に異動で私も会えなくなってしまいましたけど』
「たぶん同一人物ですよ。僕もミネルバさんを追いかけてTMZエージェントになりましたから」
『そうだったのですか!?』
今度はスタッグがえっと驚くが、
『ですけど、確かキクナさんがTMZに来た日には』
「はい。すでに異動された後でした」
キクナは苦笑い。
ここでマイカゼさんが、
「そうだ。ちょうどいい機会だから今度はスタッグ君が昔話をしないかい?」
『え?』
「時期はそうだね。君が初めて目を覚ました日から、アズキ君と出会うまで」
『分かりました』
スタッグは言った。
『ですけど、アズキもTMZと関わるようになって私と出会うまでを話してくれるのでしたら、ですけど』
「はぇ?」
急に話を振られ、アズキは変な声を出してから、
「どうして私?」
『あの出会いはまずアズキの口から話すべきだと思いますから。それに、私自身が
「いや、言葉通りの意味としか」
アズキは弁解するも、
『ではまず私からいきます』
「ちょっと待ってスタッグ?」
アズキの返事は無視して、スタッグは勝手に自分の昔話フェイズに入っていくのだった。