「もしもあの教室の前で、立ち止まって逃げていれば」
『駄目です』
「生徒の顔も知らずのまま、幸せに生きていただろうか」
『ですから駄目です』
今日も
週明けの朝。
現在、アズキは小学校の職員室にいる。時刻は大体生徒たちが登校して学校が賑わい始める一時間ほど前。
「でもスタッグ、この一週間で私、生徒から忘れられてたり好感度が下限値まで下がってたらどうしよう」
アズキはいま不安で震えていた。
先週、高校の定期試験のために丸々一週間教師としては休みを入れていたので、久々に会う生徒たちがどんな反応をしてくるのか怖いのだ。
クラスの教え子たちは皆いい子ばかりである。けど、御萩さんの事件のせいで、生徒たちは全員病んでるといっても過言ではない。
幸運にもアズキは受け入れられたけど、本来教師に不信を抱いてた生徒も多いはずだ。
そんな中、突然担任が長期の休みを取ったとあれば教え子たちはみんな失望を覚えてしまわないだろうか。
『大丈夫ですよアズキ。あのクラスにはモッチーズもいますから、彼女たちがフォローしてるはずです』
「モッチーズ」
弱ったアズキは、ある意味クラスで最大の理解者にして問題生徒である三人を思い浮かべて、
「そうだ。モッチーズに会いたい。あの小さな手で慰めて欲しい」
『通報します』
「待って! どうして?」
アズキが言うと、スタッグはメダロッチ越しでもジト目で言ってるのが伝わる声で、
『普通に犯罪ですから。といいますか、ついにあの子たちに甘え始めましたか』
「でも」
『神宮寺さんかクワトロさんが聞いてたら愉快な事件を起こすところでしたよ。それぞれ別の意味で』
「ひえっ」
と、反応したと同時にアズキは正気に戻り、自分がとんでもなく危ない発言をしていたと気づく。
とはいえ、今日教え子たちにどんな目で見られるのかという恐怖からは何一つ抜け出せてなく、
「もうどうなってもいいや」
『駄目です』
「モッチーズは私の母になってくれるかもしれなかった女性だから」
『うわっ』
と、いつも以上にディープな会話をしてたところ、
「せんせー!」
突然、開かれる職員室の扉。
で、今まさに話題にしてたモッチーズの三人が中に突撃してきたのだ。
アズキの会話には参加してなかったけど職員室にはすでにいたキクナが、
「おはようございます。でも職員室は静かにしてくださいですよ」
と応対するも、赤城くんこそ、
「ごめんなさい」
と頭を下げるが神宮寺さんは完全にスルーして、
「あ、やっぱりいたー。紅下先生、おはようございます」
言いながら、小走りでアズキに近づいてきた。
アズキは驚き、焦りながら、
「あ、えっと、おはよう神宮寺さん。でも登校時間にはずいぶん早い気が」
「先生に会いに来たんです。先生ならもうこの時間に来てるかなって思って」
神宮寺さんがいい、さらに隣からクワトロさんが、
「それで、一週間休んだせいで生徒に嫌われてないか怯えてると思いまして」
「うっ」
バレてる。
『よく分かりましたね。まさに先ほど、アズキがそう言って喚いてました』
スタッグが言った。クワトロさんは微笑んで、
「心配して来てみて正解でしたね」
「お前の突拍子もない考えも役立つ事あるんだな」
赤城くんが言った。続けて神宮寺さんは、
「それと金曜日の事も改めてお礼言いたくて。あの時、見逃してくれてありがとうございました」
と、三人はぺこりと頭を下げた。
間違いなく、ロボロボ団として高校に現れた事件の話だろう。
「あの後、ちゃんと学校には?」
「はい。先生に言われた通り遅刻として登校しました」
神宮寺さんは言った。アズキはほっとしながら、
「なら良かった。とは言い切れないけど、ここじゃ話しづらい内容だからまた時間を改めてでいい?」
「はい。まずは、せめて感謝を伝えないとって思っただけですから」
神宮寺さんは言って、
「それと先生、クラスの事は心配しなくても大丈夫ですよ。私たちもフォローしましたし、みんなちゃんと元気です」
と、笑顔で伝えてくれる。
スタッグは言った。
『私の言った通りでしたね』
「うん」
アズキは頷く。同時に、心の中から不安の感情がある程度消えていく。
赤城くんが言った。
「その様子だともう大丈夫そうだな」
「うん。ありがとう三人とも」
アズキが返事すると、神宮寺さんは一歩下がって、
「じゃあ私たちは先に教室に行ってますね。朝のホームルームで待ってます」
と言って、ふたりを連れて職員室を出て行く。まるで嵐のように現れて、去っていくようだった。
スタッグは言った。
『本当にいい教え子に恵まれましたね、アズキ』
「うん」
アズキは頷く。
同時にとんでもない問題児でもあるけど。
本鈴が鳴り、ホームルームの時間になった。
アズキは緊張しながら教室の扉を開け、中に入ると、
「あ、先生だー」
「久しぶり。紅下先生ー」
悪い予想とは反して、笑顔で迎え入れてくれるクラス中の生徒たち。
アズキはほっと安心しながら、
「よ、良かった。嫌われてなかったー」
直後、教室内が笑いに包まれる。
「先生びくびくしてるじゃん」
「モッチーズの言った通りだったな。先生、たった一週間休んだだけで嫌われてないかって怯えてるよ」
「さすが先生、メンタルざこざこー」
言いながらはしゃぐ生徒たち。まあ悪意もないし嫌われるよりは笑われたほうがずっといい。
「えっと、じゃあとりあえず」
アズキは言った。
「今日の日直は藤稔ティナさんと春日ホウジくんだけど、これで大丈夫?」
「はい」
「いいぜ」
ふたりから返事をもらったので、アズキは黒板にある日直を記載する欄に二人の名前を書く。
藤稔ティナさんは、紫に染めた長い髪をストレートに下した女子生徒で、若干冷めた態度をしてるが染髪以外は特に当たり障りない生徒といった印象だ。
逆に春日ホウジくんは、オールバックにした茶髪に眼鏡をかけ、服装もタンクトップの上に派手な柄の開襟シャツと見るからにガラが悪い男子生徒である。
しかし真面目ではないが無暗に反発する事もなく、横柄だが理知的な性格で、意外にもアズキに対して敵対的な態度はとらない。
(それが逆に、小学生にしてすでにインテリヤクザみたいで怖いんだけど)
アズキは春日くんに対する本音は心の中に隠して、
「じゃあ、早速だけど。私がいなかった一週間、何か変わった事はあった?」
と、生徒たちを代表して日直であるふたりに確認する。
ふたりはそれぞれ、
「何もありませんでした」
「別に」
と返事。たぶん本当に何も無かったのだろう。アズキはふたりを信じる事にして、
「なら、早速朝の会を始めるね」
アズキは教壇に立った。
「日直の人、お願いします」
「はい」
ティナさんは頷くと、
「起立」
と言った。この時点で教室内ではまだ遊んでた子もいたのだけど、彼女の言葉を相図に全員が机の前に戻って、席を立つ。
続けてティナさんと春日くんが、
「おはようございます」
と言うと、残りの生徒も一斉に大きな声で、
「おはようございます」
こうしてアズキは一週間ぶりに生徒たち相手にホームルームを始めるのだった。
この日、久しぶりの教師生活は特に何も問題なく放課後に入り、
「アズキさん。今日はそろそろお終いにしましょうですよ」
と、キクナに呼ばれて現在時刻を確認した時、すでに一八時近くになっていた。
一週間休んでた分の仕事を片付けてたら、つい時間を忘れていたのだ。
「気持ちは分かりますけど、復帰早々頑張りすぎたらすぐバテてしまいますから程々にしてくださいですよ。お互い」
キクナの言葉に、アズキは頷く。
「うん。ありがとうキクナ」
「という事ですので、今日はこれで僕たちは失礼します」
他の教師に向けてキクナは言った。
すでに残業の時間帯ではあるので、今日はもう退勤してる教師も何人かいたが、まだ学校に残る予定だろう数名は、
「お疲れ様です」
と、アズキとキクナを送り出してくれた。
「お疲れ様です」
アズキは返してから、身支度を終えて学校を出る。
で、キクナと一緒に駅に向かって足を進めてたのだけど、
「あー。確かに早めに帰って正解だったかも」
アズキの呟きにキクナが、
「どうしましたか?」
「いや、思ったより疲れてる事にいまごろ気づいて」
「久々の出勤なうえ、いつもより長く残業してましたからね」
「だから、ちょっと途中、寄り道してコンビニでエナドリ買う事にする」
アズキが言った。
コンビニ自体は駅にもあるけど、道中もう一軒あるのでそちらに寄るとキクナに伝えると、
「分かりましたですよ」
「キクナはどうする?」
「僕は駅に直行します。ですから今日はコンビニ前でお別れですね」
程なくして、目的のコンビニに到着。
「じゃあ、キクナお疲れ様」
「お疲れ様です」
キクナと別れたアズキは、コンビニに入ってドリンクコーナーから適当なエナドリを探し始めたのだけど、
(あれ?)
とアズキは思った。
化粧品が陳列してる棚に一組の男女を見つけたのだけど、
(もしかして、ティナさんと春日くん?)
だったように見えたからだ。
少なくとも春日くんは、服装も教室で見た姿と同じで、本人で間違いなさそう。
対してティナさんのほうは、服が紺色でノースリーブのブラウスに変わってて、
(なんだか、エッチな雰囲気)
フリルで少しゴスロリ感もあり、肩を出した薄着のせいで、ただのブラウスより胸元が目立ってるのが大きいのかもしれない。
そうでなくても、普段の彼女より過激で色気のある服装なのは間違いなく、髪型もストレートロングではなくツインテール。
当然、校内とは雰囲気が違って見える。とはいえ、紫色の髪に顔の造形からティナさんである可能性は高そうだ。
しかし今は一八時。
近くに保護者がいる様子もないし、こんな時間に子供がふたりでコンビニにいるのは変ではないだろうか。
「あ、あの」
アズキはふたりに声をかけようとしたが、直後絶句してしまう。
ティナさんは、棚から小さめの化粧水を手に取ると、なんと手持ちのバッグに放り込んだのだ。
間違いなく、万引きの瞬間であった。
(嘘)
硬直するアズキ。
その間に春日くんはこそこそと周囲を見渡し、当然だけどアズキと目が合ってしまう。
「げっ」
と春日くんが呟いたのがアズキの耳に届いた。
春日くんはティナさんの腕を掴んで、
「見つかった。逃げるぞ」
と、急いでコンビニから立ち去ろうとする。店員は事態に全く気付いてない様子。
自動ドアが開き、ふたりがコンビニから出たところ、アズキはハッと思考を取り戻し、
「待って!」
ふたりを追いかけてコンビニを出るのだった。
サブタイトルはアニメ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」のED「もうどうなってもいいや」より