【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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〈勇者〉アハト

 癖っ毛のある黒髪。清流のように澄んだ蒼眼。

 およそ防具らしいものは一切身につけておらず、ただ一本、男は腰に剣をぶら下げている。

 

 名を、アハト。

 『悠久世界』エヴァーグリーンの誇る守護の象徴——〈勇者〉の称号を下賜された人族である。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 昔。

 たった一度だけ、遠目からその姿を見たことがあるラルフは、当時と全く外見の変わっていないアハトの存在に瞠目した。

 

「なんで、〈勇者〉がこんなところに……!?」

 

 つい半月ほど前に大図書館で知識を仕入れたストラは、脳内に出力される自分流辞書の〈勇者〉の項目を読み漁った。

 

「〈勇者〉——国防の要、人越の存在。時代にただ一人のみ名乗ることを許される、最強を冠する異名……!」

 

 唯一その名を知らなかったイノリは、しかし二人の尋常ならざる反応から、エトラヴァルトの前に立つ男が『とんでもなくすごい人』だと理解する。

 

「なんで、そんな人がここに?」

 

 〈勇者〉が動く理由に心当たりがあるカルラは、周囲に気取られないように視線を北に向け、すぐに舞台へ。

 

()()()()()()()()ね」

 

 エトは、今。

 〈勇者〉と出会うべきではなかったと。カルラは小さく舌打ちした。

 

 

 そして、シーナは。

 静かに、感情を一切宿さない能面のような表情でオーロラの瞳を輝かせ、アハトの魂を観測し続けていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「外野が騒がしいが——()ろうぜ少年。ま、俺に言われるまでもなくやる気だったみたいだが」

 

 〈勇者〉は、まるで下校中に他愛のない会話をする友人のように気安く俺に笑いかけた。

 

「……っと、どうした? いつでもいいぞ?」

 

 ごく自然体にも関わらず、その立ち姿に一切の隙はない。むしろ、迂闊に動けばその瞬間に俺の首が飛ぶ——そんな幻覚すら見える。

 

 剣を持ったままどうしようもなく静止する俺を訝しむように眉を顰めた〈勇者〉は、その後、「ああ」と思い立ったように声を上げた。

 

「そういや名乗りがまだだったな。悠久の守護者、〈勇者〉アハトだ。さ、これでよし。観客も待ちくたびれる頃だ。いつでも——」

 

『良いわけないでしょ〜〜〜!!』

 

 キィーーーーーン、と鼓膜を揺らす音が混ざったフィラレンテ迫真の大絶叫に俺の全身の緊張がぷつりと途切れ、〈勇者〉アハトが顔を顰めて耳を塞いだ。

 

『なに当たり前のように乱入してるんですか貴方は! 出てくるにしてもせめて決勝戦の後でしょうに!! なんで今! 一回戦の! 途中に出てくるんですかぁっ!!』

 

 司会という立場をすっかり忘れた様子で、顔を真っ赤にして捲し立てるフィラレンテにアハトは露骨に口元をへの字に曲げた。

 

『貴方が出てきちゃったらこの後のどんな試合も塩試合じゃないですかっ! 自分の! 立場を! 弁えてください!!』

 

「いやなぁ、俺も考えたんだぞ? けどやっぱりさ、試合なしってのはつまらんだろ」

 

『代打が貴方じゃ色々前提がひっくり返るんですよっ!!』

 

 周りの熱狂と困惑を置き去りに——否。多くの観客は二人の掛け合いを見て笑っていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……これはエトラヴァルト自身は後に知った話なのだが。アハトとフィラレンテは旧知の間柄、互いに気心知れない仲であるというのは、人々に広く知られている。

 

 戴冠式——アハトが〈勇者〉の称号を与えられた式典を筆頭に、自由人なアハトを嗜めるフィラレンテという構図は『悠久世界』においてはお茶の間の定番とも言えるほど慣れ親しんだ光景なのだ。

 

 が、そんなことを今のエトラヴァルトは知る由もない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 完全に置いてかれた俺は唖然。ぽかんと口を開けて二人の舌戦……というより、フィラレンテの一方的な怒りをアハトがのらりくらりと避ける様を眺めていた。

 

『あーもーわかりましたよ! すみませんエトラヴァルト選手、良いですか?』

 

「えっ!? あ、はい。……何が?」

 

 この流れで突然話題が振られるとは思っていなかった俺は露骨に動揺して挙動不審な返事をした。が、フィラレンテは意に介さず。むしろ申し訳なさそうにしていた。

 

『エトラヴァルト選手は不戦勝扱いで2回戦進出は確定。同時に、〈勇者〉アハト指名によるエキシビジョンマッチを開催します!!』

 

『うおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!』

 

 歓声が爆発する。

 今日一番……否、大会が始まって一番の熱量を放つ大音声に比喩抜きで舞台が震えた。

 

『えーはい! 色々突然で時間も押してるんで始めます! 両者所定の位置についてください!!』

 

 いつのまにか拒否権を剥奪されていた俺は、その場の雰囲気に流されるように〈勇者〉との戦いの場がセッティングされた。

 

 眼前に立つ〈勇者〉は、入場時に放っていた覇気をすっかり納め、言ってしまえば「どこにでもいる気のいい兄ちゃん」くらいの自然さでそこにいた。

 

「……いや、おかしいだろ」

 

 仮にも、闘技場で。

 どこまでも自然に構える男の、その圧倒的な自然さに全身が恐怖を叫んだ。

 

 目の前の男は、()()()()()()()()()だ。

 

 そんな俺の緊張に気づいたような仕草で、アハトは笑みを浮かべた。

 

「全力で来い、少年。でないと——」

 

『試合開始——ッ!!』

 

 フィラレンテの鋭い宣言の、直後。

 

「——怪我じゃすまねえぞ?」

 

 

 それは、本能による反射だった。

 死を予感したとか、そういう生半可な次元ではない。

 

 今、この瞬間。

 

 立ち向かうという選択肢を取らなかった時点で旅は終わっていた。

 そういう未来を、叩き込まれた。

 

「シッ!」

 

 舞台の石畳を爆砕し肉薄。渾身の袈裟斬りは、肉体には届かず。

 眼前、迸るアハトの闘気と拮抗した。

 

「……っ!?」

 

「ん、折れねえ——()()()()魔剣か。いいもん持ってるじゃねえか」

 

 剣から伝わる()()()()()

 あまりにも異質な闘気に一瞬怯み——蒼眼が『来い』と告げていた。

 

「オオッ——!」

 

 瞳の圧力に引っ張られるように、全身全霊の連撃を叩き込む。

 アハトが全身に纏う闘気を突破せんと、ありったけの力と技術の全てを込めて斬撃を見舞う。

 

 その、全てが。

 一欠片すらも、〈勇者〉には届かない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「な、んだよ……あの、防御」

 

 音が聞こえていた。

 ()()()()()()()()()()音が。

 

「エトの剣が……全く、通じてねえ!」

 

 竜殺しの概念という後押しがあったとはいえ、エトの剣は竜の鱗を切り裂き、多くの苛烈な攻撃を受け止めたという確かな実績がある。

 共に旅をしてきたラルフは、その剣の重さを知っている。だからこそ、意味がわからなかった。

 

「闘気だけで、完全に……?」

 

「——“剣気”よ」

 

 端的に、カルラはアハトの防御の正体を告げた。

 

「〈勇者〉アハトの闘気は、それそのものが万を超える斬撃なのよ。名付けられたのは、“剣気”」

 

 出鱈目と言わざるを得ない。

 闘気とは、身体能力や己の延長、分身たる武器防具を昇華させる生命固有の能力である。

 その応用は多岐に渡り、闘気を用いて「斬撃を飛ばす」ことも、闘気そのものを鎧のように固めることだってできる。

 

 だが。闘気がただそこにあるだけで、放出するだけで無数の斬撃と化すなど。

 ましてや仮にも竜にすら通用した斬撃を身構えもせずに容易く完封するなど、あまりにも荒唐無稽な話だった。

 

「そんなこと、闘気で出来んのかよ……」

 

 そこに未知の事象に対する興奮はなく。

 ラルフはただ、理解の及ばないものに対して畏怖することしかできなかった。

 

 断言できた。

 

 この先どれだけ強くなっても、たとえ〈勇者〉と並び立つほどの強者になったとしても、あの防御を演出する力だけは真似できないと。

 

「正確には闘気ではないんだけど……そこは今重要じゃないわね。ええ、この星でただ一人、アハトだけに許された力よ」

 

 カルラは、心の底から湧き上がる()()を左手で握り殺し、その力の根源を言い当てた。

 

「〈勇者〉アハトは、“(つるぎ)の概念保有体”なのよ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一合打ち合う——否、俺が一方的に斬撃を見舞う度に剣を通して甚だしい無数の斬撃が両腕を痺れさせる。

 ただ、剣を振っただけ。それだけで、両腕が鉛にでもなったかのように重かった。

 

「っ、ざけんな……!」

 

 わからない。

 

 あまりにも。

 

 目の前にいるのに、その存在が掴めない。

 

「こんなに——!?」

 

 闘気の有無とか、魔力の有無とか。そういう話ではなく。

 そもそも、立っている場所が違う。

 その瞳で、見ている景色が違う。

 

 初めてだった。

 彼我の戦力差を痛感()()()()()()()のは。

 今の俺は、勝負の舞台に立つことすらできていない。

 

「さっきから気になってたんだが——」

 

 俺の攻撃に疑問を持ったように、〈勇者〉アハトは脱力したまま、柄を握ることすらなく口を開く。

 

「お前、闘気を練れないのか」

 

「それが、どうした……!」

 

 歯を食いしばりながら〈勇者〉相手にとんでもないタメ口をきく。

 会話の最中も出鱈目な闘気が揺らぐことはなく、〈勇者〉はそこに立つだけで俺を淡々と追い詰めていく。

 

「無才? それにしては——いや、チグハグだな」

 

 自分の中で勝手に結論が出たのか。

 

「——確かめてみるか」

 

 〈勇者〉の纏う圧が、一段濃くなった。

 

 その、次の瞬間。

 俺の胸が深々と斬り抉られていた。

 

「——、は?」

 

()()()()、頑丈だな」

 

 焼けるような痛みが俺に現実を突きつける。

 即座にバックステップで距離を取り左手を胸に当ててみれば、左手を鮮血が濡らした。

 

「づっ……いつ、斬ったんだ」

 

 俺の問いに〈勇者〉は答えず、蒼の瞳が、俺の僅か右を捉えた。

 

 空間が揺蕩い、斬撃が生まれる。

 

 反射的にエストックを右へ振り抜けば、剣を通して甚だしい衝撃が両腕を襲い、俺は3M吹き飛ばされた。

 

「クソッ……!」

 

 不可視の斬撃。

 今、〈勇者〉アハトは、俺の問いに答えた。『こういう風に斬ったんだ』と、実践で。

 

「いい眼をしてるな」

 

 それが皮肉でも嘲笑でもなく、純粋な賛辞であることは辛うじて感じ取れた。

 

「アンタが目で教えてくれなかったら、今頃無様に真っ二つだよ」

 

 本来は間違いなく、視線の誘導など要らないはずだ。

 空間を席巻する冗談みたいな密度の闘気、その全てが〈勇者〉の手足で、俺にとっては致命の武器。

 

「大抵はそうなるんだよ。良い勘をしてる……お前、名前は?」

 

 まさか名前を尋ねられるとは思っていなかった俺は、幾許か反応が遅れた。

 

「……。エトラヴァルト」

 

「出身世界は?」

 

「リステル……『弱小世界』だ」

 

 そう告げると、僅かに。

 本当に少しだけ、〈勇者〉は驚いたように目を大きくした。

 

()()は、“霊魂”の贈り物か?」

 

「何を……なんの話だ?」

 

 先ほどまでの圧力が嘘みたいに霧散した〈勇者〉の前で、俺は彼が発した言葉の意味が分からず眉間に皺を寄せる。

 

「知らない……そうか」

 

 〈勇者〉はまたも一人合点して、俺の理解を置き去りに。

 

 蒼眼が俺を射抜く。

 

「エトラヴァルト。突然ですまないが——()()()()()()()()

 

 噴き上がるのは、先ほどまでとは更に比較にならない出鱈目な暴圧。

 全方位——否。舞台上、俺を構成する物質を除く遍く空間が〈勇者〉の覇気に塗りつぶされた。

 

「唐突だが、エキシビジョンマッチの終わりを設けるぞ。俺の剣気を受け斬ってみせろ」

 

「——」

 

 何をふざけたことを、と言いたかった。

 

 受けきる? 冗談じゃない。

 アンタそれ——あの竜(カンヘル)すら簡単に両断できるだろ。

 到底、俺なんかが受け切れるような代物じゃない。

 良いとこ全身輪切り、最悪はみじん切りだ。

 

 理解できない存在を前に理解できることは一つ。

 隔絶した力の差が、そこには()()()あるのだろうという、あまりにも曖昧で、どうしようもない現実。

 

 魔力も闘気も使えない出来損ないが、どうこうできる次元ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 ……なあ、お前。いつからそんな泣き言を言うようになったんだよ。

 

「お前のことだよ、エトラヴァルトッ!」

 

 俺は左拳を握り、思い切り自分の左頬を殴りつけた。

 

『——!?』

 

 思考が明瞭に、周囲の声がよく聞こえるようになった。

 俺の行動に困惑する大多数の視線を感じる。俺を案じる四つの視線を、行末を見守る一つの視線を感じる。

 

 及ばない、届かない——それはもう、わかった。

 わかったから——()()()()

 

 俺は、がなりたてる直感にブチ切れた。

 

「さっきからガタガタとうるせえんだよ……!」

 

 危険なんざ、教えられるまでもなくわかってんだよ。

 それでも、手を伸ばさなきゃいけない世界が目の前にあるんだよ!!

 

 理解する。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「いいや。俺、2回戦棄権する」

 

 俺の唐突な宣言に観客に動揺が走る。

 背後、俺を応援してくれていたイノリたちの困惑も伝わってくる。

 

 けど、()()()()()()

 

 強くならなきゃいけない。今よりもっと、ずっと。

 目指す場所は、今は遠すぎて見えない。

 でも、その場所が、確かめてくれるって言うのなら——

 

「〈勇者〉アハト」

 

 蒼眼を、俺の灰の瞳が睨み返す。

 

 両手でエストックを強く握り、切先を正中線に合わせる。

 左脚を半歩引き、全方位の“剣”に対応できるように極限の脱力を全身に言い渡す。

 

「……胸を貸してもらうぞ」

 

 果たして、〈勇者〉は。

 

「良いぜ。元からそのつもりだ」

 

 笑い、蒼眼が揺れる。

 

 ほんの僅か、恐らく〈勇者〉が残してくれた甘え。

 斬撃の兆候を、俺の全身が捉えた。

 

「フッ——!」

 

 エストックが閃く。

 須臾の間、百を超える斬撃を叩き落とし。

 

 ——千に迫る斬撃が、俺の全身を切り刻んだ。

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