【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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概念斬り

 100年と少し前。

 

 『悠久世界』エヴァーグリーン北東方面に、一つの異界が出現した。

 後につけられたその名は、『幽境死灰雪原』。出現の時点で穿孔度(スケール)7を記録した異界である。

 

 この異界の全貌を掴み、なおかつ異界主を討伐せんと、エヴァーグリーン本国は先代〈勇者〉バルトザーム率いる調査団を派遣。

 

 そこで、穿孔度(スケール)7の異界を単独で踏破し帰還した、当時16歳の青年と邂逅した。

 

 その青年こそが当代〈勇者〉にして、歴代最強の名を誰もが信じて疑わない悠久の守護者、アハトである。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ムーラベイラ北方、山脈を超える巨躯を従える雲竜の前にただ1人、〈勇者〉アハトがあまりにも矮小な身ひとつで立ち塞がる。

 

 

 雲竜キルシュトル。

 この竜が保有する最大の能力は『無制限の肥大化』である。

 雲の名を冠する竜はその名に違わず、純白の巨躯を寸刻ごとに巨大化させ、天を呑み干す勢いで成長する。

 

 まさしく天変地異と呼ぶに相応しい威容であり、危険度15に相応しい出鱈目さ。

 

 だが、竜の前へ単身躍り出た人族の男は、その出鱈目さすら凌ぐ、前代未聞の怪物である。

 

『オ/オ/オ/オーーー!!』

 

 竜が啼き、空を覆う雲が渦巻き嵐を呼ぶ。

 瞬く間に一帯が豪雨に包まれ、山を押し流す津波となって〈勇者〉アハトを飲み込んだ。

 

「——海を割る」

 

 直後、一閃。

 

 真縦に振り抜かれた直剣が大瀑布を一刀で両断し、同時に剣気が迸る。

 ムーラベイラへと到達しようとしていた津波の一切が最早数えるのも馬鹿らしくなるほどの斬撃の壁によって受け止められ霧散する。

 

 雲竜の猛攻は止まらない。

 

 乱層雲のように黒くその身を染め上げた竜は、湿気充満する大気へ向けて無差別放電を敢行する。

 

 アハトが都市を、世界を守りながら戦っていることに即座に気がついた竜は、アハトではなく、人と世界を破壊する攻撃を選択する。

 世界を焼く赫黒の暴雷が無差別に、しかし確かな破壊の意思を持って咲き誇る。

 

 対するアハトは、左の指で剣をなぞり、()()()()()()

 

壊劫(えこう)

 

 剣気が吹き荒れる。

 

 嵐を容易に凌ぐ気迫が雲竜を呑み込み、雷諸共その巨躯を億に迫る斬撃で粉微塵に切り裂いた。

 

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!』

 

 身を削られ、しかし竜は何事もなかったかのように再生する。

 幾千万の斬撃が吹き荒れる絶死の空間で、雲竜キルシュトルは無限の再生を繰り返す。

 

 雲ゆえに。その竜は、物理攻撃の一切を無効化する。

 

 過去7度に渡る雲竜討伐から、この竜が持つ能力は殆ど明かされたと言っても過言ではない。

 肥大化、貪食、再生、物理無効——この四つが雲竜を危険度15たらしめる力であり、〈勇者〉の埒外の斬撃を受けてなお一向に消耗する気配をみせない理由。

 

「昔の俺なら、周りの被害なんて考えずに()()()んだろうけどな……」

 

 破壊を撒き散らす雲竜に対して、アハトは敢えて斬撃圏を広げ、雲竜を囲うように、世界を守るように周囲へ斬撃を散らす。

 

「悪いな、雲竜。今の俺は〈勇者〉だ。今の俺は、みんなが好き勝手できるこの世界を守る」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 かつて、アハトは餓狼だった。

 ひたすらに戦いに飢え、己の強さと相対する強者を求めていた。

 ただ、己の欲を満たすために。ただ、己が笑うためだけに。

 自らの持つ埒外の“概念”など知らず。

 求めるものはただひとつ、血湧き肉躍る闘争。

 

 その果てに、彼は〈異界侵蝕〉に()()()()た。

 そして()()である先代〈勇者〉バルトザームと出会い、敗北し——彼は自分以外の“世界”を知った。

 

 アハトはその果てに〈剣鬼〉と〈無形〉の異名を返上し、〈勇者〉の称号を賜った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 今でも時々思う。

 あの日、先代〈勇者〉バルトザームに敗北していなかったとしたら。今の自分は、どこで何をしていたのだろうかと。

 

「……ハッ、それこそお前と好き勝手に斬り合ってたかもしれねえな、雲竜」

 

 好戦的な笑みを浮かべたアハトは剣を腰の鞘に納め、虚空に手を伸ばす。

 

「『始まりに夢ありき 鉄打ちの調べありき』」

 

 祝詞に合わせ、荘厳な鐘の音が鳴り響く。

 

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?』

 

 どこか鍛冶を思わせる苛烈な大鐘楼に、危機を感じた雲竜が雄叫びを上げ純白の巨躯を震わせた。

 

 天変地異が巻き起こる。

 

 大地を穿つ落雷、生物を死滅させる絶対零度、恵みを押し流す大瀑布、山々を消し炭にする大火災。

 

 アハトの斬撃圏でもなお完全には殺しきれない災害の権化がその真価を解き放った。

 

「『餓狼は闘争を求めた 凶剣は友を斬り、魔を斬り、師を斬り、界を断つ』」

 

 滅びを前にしたアハトはしかし、一切の淀みなく祝詞を紡ぐ。どころか、祝詞の進行に呼応するように剣気は一層鋭さを増し、背後——彼が守護すると誓った都市を狙う厄災の悉くを斬り伏せる。

 

「『夢潰えし(かいな)が握るは護りの柄 狐狼が唄うは星霜の願い』」

 

 キルシュトルが動く。

 肥大化により既に体高1万Mを超えた埒外の怪物が鎌首をもたげた。

 

 緩慢な動作であっても、その巨躯の胎動はただ一歩のみでも災害に相違なく。

 

 万物を呑み込む竜の顎門が開かれ、〈勇者〉アハトを一息で呑み込んだ。

 

「『我、滅びを滅す永久(とこしえ)の守護者也』!!」

 

 しかし、祝詞は紡がれた。

 

 時計の秒針が動くより速く。

 空と大地が、分断された。

 

 

 その光景を瞬きひとつせずに観測していたエトラヴァルトは、現象の理解に寸刻の時間を要した。

 

「空が……割れた?」

 

 驚きは、ムーラベイラ全土で巻き起こる。

 空が割れる——あまりにも荒唐無稽で、しかしどうしようもなく現実である。〈勇者〉が欺瞞などするはずもなく、真実彼に嘘偽りなどない。

 

 フィラレンテは、その相変わらずな出鱈目さにため息と、ほんの少しの嫉妬と無力感を孕んだ舌打ちをした。

 

「相変わらず、意味わかんないわ」

 

 

 世界を、地平線の彼方まで覆い尽くしていた黒雲が横一文字に切り裂かれ、その奥に待つ青空を覗かせる。

 

 〈勇者〉を呑み込んだ雲竜の巨躯は当然のように両断され、声なき絶叫が上がった。

 

 その体が、再生されない。

 

 まるで世界に拒絶されるように、今まで当たり前に行われていた再生が——“天候の概念保有体”である雲竜キルシュトルが持つ流転の力が、完全に阻害されていた。

 

 その現象を、エトラヴァルトは知っていた。

 

「概念、昇格……!」

 

 

 

 雲竜の巨大な顎門に無数の斬閃が走り、瓦解する。

 砕けた顎門の中から現れた〈勇者〉の右手には、輝く純白の刀身の剣が一振り。

 

 其れは、〈勇者〉アハトが雲竜キルシュトルを殺すためだけに、たった今鍛造した竜を……否、“天候”を殺す剣である。

 

 眼前、己の身を破壊してまで自壊の運命を逃れたキルシュトルが再び巨躯を取り戻す。

 

 斬撃を受けた()()を自ら削り取り、無傷の身体を再構築した雲竜の体は明確に小さくなり、しかし未だ山脈に相違なし。

 

 相対する〈勇者〉は、剣を両手に持ち、そっと、大上段に構えた。

 

『オ/オ/オ/オ/オ/オーーーーッ!!』

 

 全身を黒く染め雷を纏ったキルシュトルがその身全てを凶器と化す。

 空の雲すら喰らい、たった1人の人族を殺すためだけに、都市一つを容易に消滅させ得る赫赫の雷が竜の顎門に収束した。

 

 雷速の突進(チャージ)が敢行される。

 疾走から衝突まで、0.001秒。

 

 その僅かな刹那、〈勇者〉の声が空間に響いた。

 

「——()()()り」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 決着は、唐突に訪れた。

 エトラヴァルトたちが見守る先、ただ1人厄災の化身と対峙したアハトの光の剣が、雲竜キルシュトルを斬滅した。

 

 一瞬という単語でも言い表せない、コマ送りの出来事だった。

 

 辛うじて、エトの瞳は〈勇者〉の()()()()()だけを捉え。

 次に彼の視界が捉えたのは、その身を無数の煌々たる残痕を刻まれ地に伏す竜の姿だった。

 

「……ちゃんと、見えたかしら」

 

 カルラの問いにエトは答えず。

 その視線は〈勇者〉ただ1人の姿を焼き付けていた。

 

 喝采が巻き起こる、その少し前に。

 

 キルシュトルと封印している『聖女の鎖』が再起動する。

 〈勇者〉アハトによって調伏された竜はその身を瞬く間に霧散させ、復活直後と同じ化石のような矮躯に逆行した。

 

 その全身に巨大な鎖が突き刺さり、巻きつき、()()()()()()

 

 地鳴りのような音を立てて封印を実行する鎖の音は、ムーラベイラにも届いた。

 

「……鎖」

 

「エト?」

 

 ぽつりと、エトラヴァルトが呟く。

 何を言おうとしているのか、疑問に思い耳を傾けるカルラを他所に、エトは右手を北へと伸ばす。

 

「懐かしい、音……」

 

 それだけ言い残して。全てを見届けたエトラヴァルトは目を閉じ、意識を失った。

 

 間も無く鎖が雲竜をがんじがらめに縛り上げ、異界は再び山を成す。

 

 ——空が晴れる。

 一面を覆っていた曇天が嘘のように青空が広がり、澄んだ空気が世界を満たす。

 

 皆が見つめるその先、〈勇者〉アハトが高々と剣を掲げた。

 

「護剣によって、ここに厄災は終息した! 悠久は、未だ健在である!!」

 

 静寂。

 そして、大歓声。

 

 

 異界・『竜啼く天蓋山脈』は、〈勇者〉アハトの手によってここに再び封印された。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 翌日、進行に遅れが出たとはいえ、剣闘大会は何事もなかったかのように開催された。

 遅れが出た分の第一試合は午前中でつつがなく終了し、翌日開催される2回戦へ選手たちはそれぞれが調整に入る。そこには、ラルフの姿もあった。

 

「エトの様子はどうだった?」

 

 空振りで基本の型を忠実になぞるラルフに対して、イノリは浮かない顔で答える。

 

「まだ眠ってた。傷自体に致命傷はないけど、血を流しすぎてるんだって」

 

「エト様、どうやらかなり特殊な血液型らしく……医者の男性も驚いてました」

 

 ストラの補足に、ラルフは僅かに目を見張る。

 それは、『悠久世界』の病院が在庫を持たない血液型であることを意味する。それがどれほど希少な事例であるかを理解するラルフは、「そうか」とだけ呟いた。

 

「んじゃ、二回戦の応援には来れなそうだな。教えてくれてありがとよ。俺も明日、試合の後に見舞いに行ってくるわ」

 

「わかりました。では、わたしたちはひと足先に宿に戻っていますね。イノリ、行きますよ」

 

「……うん。それじゃラルフくん、また後でね」

 

「おうよ」

 

 去っていく2人の背中を横目で眺めたラルフは、小さくため息をついた。

 

「イノリちゃん泣かせてんじゃねえよ、エトのバカ野郎」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 エトが眠る病院の一室に、1人の来客が現れる。

 男は淀みなく入院患者の名前を確認し、取手に手をかけた。

 

「——何しにきたのよ、〈勇者〉アハト」

 

「……随分と過保護になったな、〈紅花吹雪〉」

 

 取手を掴んだまま静止したアハトの背を、壁に寄りかかったカルラが鋭く睨みつけた。

 

「ただ見舞いに来ただけだ。害する意志は()()ねえよ」

 

「入らせるわけないでしょ、寝てるエトにあんたを近づけるのは害毒よ」

 

 明らかにエトを守る発言を繰り返すカルラに、アハトは意外そうに目を瞬かせた。

 

「害毒って……随分と入れ込んでるんだな」

 

 飄々とした態度を崩さないアハトに、カルラは容赦なく舌を打つ。

 

「やってくれたわね、ホント。エトはまだ、あんたを知るには早過ぎたのに」

 

 基準値が高すぎた、とカルラは苦い顔をした。

 

「ここから先、エトにとっての全ての指標が〈勇者〉(あんた)になるのよ? これがどれだけ残酷なことかわかる?」

 

「……謝罪はしねえぞ」

 

 取手から手を離したアハトはカルラを振り返り、真剣な眼差しで彼女を射抜く。

 その蒼眼は、使命に満ちていた。

 

「悠久を守るためには不可欠だった。《英雄叙事(オラトリオ)》を使わなかったのは、お前の入れ知恵だな?」

 

「軽く誘導しただけよ。ま、エトは気づいていたと思うけど」

 

 『極星世界』へのスカウト、直感の鍛錬、崩しの練習……それらは全て、「エト個人の能力」に焦点を当てている。

 カルラは遠回しに、《英雄叙事(オラトリオ)》を使わずに戦うように外堀を埋めていた。

 

「なるほどな……ま、正解だったな。あの本の力を使った時点で、俺は少年を殺していた」

 

「……やっぱり、そうなのね」

 

「俺自身は反対したんだがな——一部過激派が聞かなかった」

 

 その顛末について、カルラはあれこれ否定する気はなかった。「そういうことなのだろう」と予め察しをつけていた彼女は、精々「老害共が」と吐き捨てるだけだった。

 

「あんたは、あの本についてどれくらい知ってるわけ?」

 

「それは俺が聞きたいことだったんだがな……まあいいか。俺が知ってるのは、《英雄叙事(オラトリオ)》が《終末挽歌(ラメント)》の対存在であること。そしてその起源が『魔本世界』であることくらいだ」

 

「…………それ、本気で言ってるの?」

 

 思わず、カルラの口から確認の言葉が漏れた。

 アハトは、誤魔化すことなく頷いた。

 

「ああ。《英雄叙事(オラトリオ)》は、『穿孔度不明(オーバースケール)残響回廊(ロスト・ソング)』と起源を同じくしている——らしい。長老からの伝聞だが」

 

「何から何まで全部眉唾物じゃないのよ。そもそも、『魔本世界』が本当にあったのかすら疑問視されてるのに」

 

 ——『魔本世界』。

 その存在は、遥か昔からお伽話のように人々の間で語り継がれている。

 

 曰く、この星全ての本が集った巨大な図書館。

 曰く、全ての知識が集約された知識人の楽園にして地獄。

 曰く、それはこの世の行末を書き記した巨大な一冊の本である。

 曰く、全ての本が入り口になりえる夢の世界である。

 曰く、その世界はすでに滅びている。

 曰く、『魔本世界』は異界である。

 

 話の内容は地域、世界によって千差万別。

 唯一確かなのは、その全てが正確な情報ではないこと。

 誰1人として、『魔本世界』の場所、あるいは姿を知らないということ。

 

 早い話、子供の読み聞かせに出てくるような完全な空想の産物、それが現状の『魔本世界』の実態である。

 カルラが「お前正気か?」と訝しむのも、たとえ相手が〈勇者〉であったとしても当然の反応だった。

 

「そもそも、『残響回廊』(ロスト・ソング)からして与太話の極みよ。あんたのとこの爺さん、とうとう耄碌したのかしら?」

 

「お前聞いといて容赦ねえな……俺も流石に痴呆疑ったけどよ」

 

 揃いも揃って“長老”の悪口を言ったのち、アハトはその場から引き返すように背を向けた。

 

「あら、思ったより簡単に引き下がるのね」

 

「番犬が睨みを効かせてるからな」

 

「……ハッ、よく言うわ」

 

 カルラの渇いた笑いを背中に、〈勇者〉アハトはその場を去る。

 

「……ああ、最後に一つだけ。少年に伝えといてくれ」

 

 はたと足を止めたアハトは、振り向かずに言った。

 

「『楽しくなかった。ワクワクもしなかった。だが、少し期待した』ってな」

 

「……私からも、一つだけ良いかしら」

 

 カルラの問いに、アハトは肩をすくめて肯定する。

 

「あんた、なんでエトを試したのよ。悠久からすれば、所有者は殺すべきって判断なのよね?」

 

 アハトの発言を纏めれば、《英雄叙事(オラトリオ)》を持つエトラヴァルトは『悠久世界』にとって危険人物に他ならない。

 上層部は即刻抹殺を求めた、と判断しても良いだろう。だが……どうにも、アハトがそれに待ったをかけたようにカルラには見えていた。

 

「……確かめたかったんだよ」

 

 その問いに、アハトは。

 

「俺に並び立つはずだった女が、自分犠牲にしてまで護った野郎を」

 

 ほんの少しだけ、寂寞を感じさせる声音で言い放った。

 

「俺に届いてくれるのか——気になった。それだけだ」

 

 カルラの反応を待たず、アハトは今度こそその場を立ち去った。

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