【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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抑圧と解放

 侵攻収束後、大広間に寝かされていたイノリが目を覚ましたのは夜半だった。

 

「……エトくん?」

 

 あどけない寝顔の延長、半開きの目が俺を捉えた。

 

「起きたか。体は痛くないか?」

 

「うん、大丈夫。……ごめん、とちっちゃった」

 

 やらかした、とイノリはにへらと笑う。

 

「ちょっと、調子乗ってたみたい」

 

「アレは……初見じゃ無理だろ。無事で良かった」

 

 本当に、無事で良かった。

 

「うん。ごめんね、エトくん」

 

「……お前が謝ることじゃない。今日はもう、寝ろ」

 

 そうだ。イノリが謝ることじゃない。

 

「そうする。おやすみ、エトくん」

 

「ああ。おやすみ、イノリ」

 

 目を閉じ、規則正しい寝息を立てたイノリの手を握る。

 本当に謝るべきは、俺だ。

 

 

「……はっ、つまんねえな、テメェは」

 

 背後、縁側に座り宣言通り酒を飲む赤肌の鬼人、バイパーがせせら笑う。巨人族とのハーフだという大柄な体は、座っていても壮絶な威圧感を放っている。

 

「アハトの野郎を前にして折れなかった奴がどんなもんかと思ったら……とんだ腑抜けじゃねえか」

 

「……知ってるのか、俺を」

 

「知ってる? 俺が? テメェをか? ……クカカッ!」

 

 バイパーがゲラゲラと嗤った。

 

「知らねえなあ、テメェなんざ! これっぽっちも覚える気にならねえ」

 

「…………」

 

 俺は、手元のエストックの柄を強く強く握り込む。鎖によって雁字搦めに縛り上げられた剣が擦れ、ジャラジャラと音を立てた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 時は、侵攻収束直後。昼前にまで遡る。

 

「お帰りなさいませ、えと様」

 

「ただいま、キキョウ。突然で悪いけど、“線引き”を手伝って欲しい」

 

 帰宅と同時にこう切り出した俺に、キキョウは「今からでございますか?」と驚きがちに小首を傾げた。

 

「ああ、頼む」

 

 玄関口で頭を下げる。

 俺の切羽詰まった様子から何かを察したのか、キキョウはやや声量を落とした。

 

「なにか、あったのでございますね?」

 

「イノリが、竜の奇襲を受けて死にかけた」

 

 手のひらが破けるほど拳を握り爪を食い込ませる。

 

「俺は、アイツを守れなかった……!」

 

「…………」

 

 深く、深く頭を下げる。無茶を言っていることは重々承知で。でも、なりふり構ってはいられなくて。

 

「一刻も早く、強くならなくちゃならない。だから、頼む!」

 

「…………」

 

 俺の頼みを、果たしてキキョウは受け入れてくれた。

 

「……わかりました。拙にできることなら、可能な限り力をお貸しします」

 

「……ありがとう、キキョウ」

 

「膝枕のお礼でございます」

 

 そう言って微笑んだキキョウの眼差しは、どこか憂を帯びていた。

 

 

 そうして昼食を流し込むように胃に収め、俺たちは早々に鍛錬に移る。

 キキョウの反応は、しかし芳しくなかった。

 

 数分後、キキョウの手が止まる。

 

「……どうした? 戦闘後は流石に無理か?」

 

「いえ、そういうわけではございません。これは、戦闘とは無関係にございます」

 

 キキョウは何度か呼吸をした後、意を決したように口を開いた。

 

「……端的に申し上げますと、えと様の御魂の()()具合は最早拙一人の手に負えないところまで来ています。以前は毛糸玉のようだった御魂が、今は濁った色水のようになっております」

 

「……つまり?」

 

「明確な区分は、最早ありません。境界を生み出すには、えと様自身で見つけるしかない……拙はそう考えます」

 

 これ以上、役に立つことはできないと。

 キキョウは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「……そうか。わかった」

 

「申し訳ありません、えと様。お役に立てず——」

 

 頭を下げようとするキキョウの肩を抑え、止める。

 

「謝らなくていい。そもそも、今日まで面倒見てもらってきただけで十分助かった」

 

 ……と言ったものの。

 今の状況は正直、手詰まりと言うほかない。

 

 魄導の“は”の字、そのとっかかりすら掴めていない現状。

 シャロンに変化し闘気を使ってみたり、エルレンシアになって魔力を流してみても、スイレンの言う“その奥”、“その前”という言葉に相当する引っ掛かりはいつまで経っても指先に触れない。

 

「キキョウのお陰で前より全体像は鮮明に見えてる。だから後は……」

 

 どれだけ言語化しようにも、そこから先が続かない。

 

「——なんだテメェら、揃いも揃って間怠っこしいことしてやがんなぁ?」

 

 閉口する俺とキキョウ。そこに、枯山水を踏み荒らしながら赤肌の鬼人……バイパーが口を挟みに来た。

 

「お久しぶりでございます、ばいぱー様」

 

 面識があるのか、オーロラの瞳を開いたキキョウが丁寧にお辞儀をした。

 

「はっ、前よかマシな顔つきになったじゃねえか、半人前が」

 

「そうでございましょうか?」

 

「ああそうさ。前のテメェは人形以下だったからなぁ」

 

 酒が入っていると思しき瓢箪でガラガラと音を立てるバイパーは、俺に一瞥もくれず。接点の生まれない俺に、キキョウが橋渡しをするように咳払いをした。

 

「紹介します。えと様、こちらは、ばいぱー様。お爺様の古いご友人です」

 

「んなもんじゃねえよ。ただ酒をたかりにきてるだけだ」

 

 紹介されているバイパーは一口で瓢箪の中の酒を干す。

 

「このように、お爺様が趣味でお造りになっているお酒を気に入っておりまして、こうして定期的に飲みにいらっしゃるのです」

 

 〈異界侵蝕〉を前に堂々と立つキキョウに、バイパーが金眼を向ける。

 

「んだテメェ、随分とそこのガキに入れ込んでやがるな。その目にゃ、()()()()()()()()()?」

 

「関係ございません。拙はただ純粋に、えと様のお力になりたいだけです」

 

「——はっ、くだらねえな」

 

 キキョウの言葉をバイパーは一笑に付す。

 

「いくらテメェが観測しようと、そっから先に意味はねえ。そりゃテメェの自己満足だろ。——オイ、クソガキ」

 

「俺はクソガキじゃねえよ」

 

 今日初めて、バイパーの金眼が俺を捉えた。

 

「名前なんざ興味ねえよ。ジジイが言ってた『魄導を会得したい客人』ってのはテメェか?」

 

「……そうだ」

 

 隠すことなく頷いた俺に、一歩、鬼人が近づく。

 ——ギシ、と空間が軋みを上げた。

 

「聞くぜ。なんでテメェは魄導を求めてる」

 

「強くならなくちゃいけないからだ」

 

「…………あぁ?」

 

 瞬間、目の前の男の熱が急速に冷めていくのを感じた。

 事実、金眼が視界に収める俺に対する焦点を外す。

 

「一問目から()()かよ…‥話になんねえな」

 

 大きなため息をついたバイパーは、「興醒めだ」と瓢箪に蓋をし、腰に下げる。

 

「諦めろ。テメェにゃ何千年かかろうが魄導には至れねえ」

 

「それは——」

 

「なんでか、なんて野暮なこと聞く時点で論外なんだよテメェは」

 

 金眼が見開かれ、空間を歪ませるほどの暴圧が降り注ぐ。

 辛うじて立つことだけはできる俺は、その場から一歩も動けず、表情を凍り付かせ、バイパーの眼光を一身に受けた。

 

「テメェ自身を雁字搦めに縛り上げてる使命感野郎にゃ、一生かけても辿り着けねえよ。縛ってるもん、いっそ全部捨てちまえよ。なぁ!?」

 

 鬼人の巨大な左手が閃く。狙いは、俺の背——アルスが託してくれた剣。

 反射的に右手が柄を握り、その上から、バイパーの左手が俺の右腕を握り潰した。

 

 肉も骨も関係なく、柔らかな果実のように右腕がバイパーの手の中でひしゃげる。

 

「づっ……!?」

 

「ばいぱー様、なにを!?」

 

 キキョウの詰問に、バイパーは答えない。ただ、俺の右腕を握り潰した己の左手をじっと見た。

 

「テメェ、今なんで避けなかった」

 

「……っ、この剣には、触らせねえよ」

 

「答えになってねえんだよ。テメェの腕犠牲にしてまで守りたいってか?」

 

「……、当たりまえ、だ!」

 

 左手でバイパーの手首を掴み、引き剥がそうと全力を込める。

 

「ぬりぃな」

 

 が、鬼人の腕はびくともしない。血肉を搾り続ける左手は、それそのものが鋼鉄を上回る強度で俺の五指の圧迫を退けていた。

 

 まもなく、バイパーは興味を失ったように手を離す。ボロ雑巾ですらもう少しマシな見た目をしているであろうぐちゃぐちゃになった右腕がだらりと垂れ下がった。

 

 それでも、剣は掴んだまま。

 

「……まだ折れちゃいねえらしいな」

 

「——今、なんて?」

 

「黙ってろクソガキ。……コイツでいいか」

 

 俺の言葉を一切聞き入れないバイパーは、腰にぶら下げた鎖に触れる。すると鎖が独りでに動き出し、目の眩む素早さでエストックに巻きついた。

 

「何を!?」

 

 慌てて左手で剣を取り、鎖を千切ろうと力を込めるも、鎖は剣身と一体化したようにぴたりと吸着し、まるで動く気配がない。

 

「魄導を使えねえテメェじゃ解けねえよ」

 

 心底つまらなさそうに、義務のようにバイパーは鎖の正体を話す。

 

「ソイツは“聖女の鎖”の分け身だ。テメェが魄導を会得できりゃ外せる。指標くらいにはなんだろ」

 

 大柄な鬼人は縁側に腰掛け、再び瓢箪を手に取った。

 

「心底面倒くせえが、ジジイに頼まれた酒の対価だ。コイツで腕も直しとけ」

 

 ピン、と弾かれたコインを掴み取る。察するに、師匠がよく使う治癒魔法が刻印された魔石。俺は躊躇いなくコインを指先で砕き、右腕を治療した。

 

「ジジイに『目をかけてくれ』と頼まれたが、鍛えろとまでは言われてねえんでな」

 

 誰に伝えるわけでもなく、バイパーは言い訳のような言葉を並べ、嗤う。

 

「俺はテメェを鍛えねえ。俺はテメェを導かねえ。辿り着きたきゃ、勝手に辿り着きやがれ。腑抜け」

 

 バイパーは、失望したように遠くに浮かぶ月を眺め、それっきりなにも話さなくなった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 そして、夜。

 イノリが穏やかな寝顔で規則正しい寝息を立て始めた頃合いを狙って、バイパーが俺に問う。

 

「……クソガキ。テメェ、本気で()()()()()()を目指してんのか?」

 

「そうだ」

 

 間髪入れずに肯定した俺を、〈異界侵蝕〉は鼻で笑う。

 

「アホくせえな。大方、アハトの野郎を前に基準が引き上げられたんだろ。……泣き虫女とそっくりだ」

 

「……アンタは」

 

「ぁ?」

 

 声音そのものにすら覇気を宿すバイパーに、無意識に右手が震えて鎖が擦れた。

 

「アンタは、師匠のことを泣き虫ってずっと言ってるけど。師匠のどこが泣き虫なんだ?」

 

 初対面の印象は、泣き虫というより情緒がヤバい奴。そこから流れで行動を共にするうちに、「いろいろ抜けてるけど頼りになる人」というのが俺の師匠に対する評価だ。

 バイパーの言う“泣き虫”は、イメージと合わないのだ。

 

「俺が話すことじゃねえ。知りたきゃテメェで聞いてこい」

 

「…………」

 

 少し、意外だった。

 

 ゲラゲラと笑いながら罵倒を飛ばす姿を想像していた俺は、真面目な表情でそれ以上を語ろうとしないバイパーに少なからぬ驚きを覚えた。

 

「泣き虫女なら、いつもいつも丘上の木の下にいる」

 

「…………なんで」

 

「今年の酒は出来が良い。その()()()だ。俺の気が変わらねえうちにとっとと失せろ、腑抜け」

 

 俺は、剣を背負って立ち上がる。……腹立たしいことに、鎖は“重さ”すら封印するようで、いつもより体への負担が小さかった。

 

「……バイパー」

 

 俺は大広間を出る前に今一度振り返る。

 

「イノリには手を出すな」

 

「……クカカッ! 子鹿みてえに震えながら何言ってやがる。そもそも興味ねえんだよ、馬鹿が」

 

 少なくとも害する意思はない、それだけを確認した俺は、バイパーの言う丘へ向かった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 縁側に腰掛けた鬼人は一人、遥かな夜空を見上げる。

 雲ひとつない晴天の夜に瞬く星々は、男が生まれた五千年より昔から変わらない。

 

「……どいつもコイツも、テメェを抑圧しすぎなんだよ」

 

 好きなように生き、好きなように暴れ、好きなように死ぬ。それが生命の一生であるべきだと。

 本能と欲望の赴くままに生きるべきだと。それが、バイパー・ジズ・アンドレアスのたったひとつの標。

 

「不自由がそんなに欲しいってのか? なあ、いい加減答えに来いよ」

 

 かつて、不自由を選んだ二人の友を想う。自分とは違う道を選んだ者たち、その答えを、世界の我儘は求めていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 今日の夜の風は嫌に冷えていた。

 バイパーに言われた通り、白い花を咲かせる木の繁る丘を目指して進む。寝静まった夜は、小石を蹴る音さえよく響いた。

 初めて繁殖の竜の侵攻を目にした丘の上。そこに、師匠はいた。

 

「……師匠、いつも同じ酒飲んでるよな」

 

 声をかけると、師匠は背を向けたまま首を僅かに動かした。

 

「お気に入りなのよ。……あなたは随分、バイパーに絡まれてたわね。座りなさい」

 

 ぽんぽん、と自分の左横を叩く師匠に従い腰を下ろす。

 

「……私の過去でも聞きにきたの?」

 

 俺とバイパーの()()()()()を感知していたのか、師匠は俺の目的を察していた。

 

「そんなところだ」

 

 俺は、木の根元に置かれたお猪口に目を落とす。

 

「ここに、眠ってるのか?」

 

「ここにはいないわよ。ここはただの、私の未練」

 

 師匠はぐいっと酒を呷り、「薄いわね」とため息をついた。

 

「眠れないなら少し、昔話に付き合ってもらえるかしら」

 

「そのつもりで来た」

 

「そう。それじゃ、子守唄代わりに聞いて行ってちょうだい」

 

 目を閉じた師匠は、細く長い息を吐き。

 

「……一人ね、立派な親友がいたのよ」

 

 そうして、自らの過去を訥々と語り始めた。

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