【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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褪せない記憶

 ——約四百年前、豊穣の地。

 

 早朝、小鳥の囀りが聞こえる温かな陽気に包まれる地に一人の少女の悲鳴のような絶叫が響いた。

 

「——(いった)ぁあああああああああああああ!?」

 

 雑巾掛けの行き届いた道場の中に響く打突。

 スパコーン! と景気の良い音でしばかれた幼い黒髪の鬼人は、涙目になりながら両手で額を抑えた。

 

「何すんのよお爺ちゃん! いきなり孫の頭木刀でしばくなんて!」

 

「いきなりじゃないわい! ちゃんと『鍛錬を始める』言うたじゃろうて!」

 

 当時齢10歳のカルラは「やりたくないって言ったもん!」と駄々をこねるようにジタバタ足を揺らした。

 

 嫌々と、10歳にして既に成人男性顔負けの闘気を練って暴れるという、誰がどう見ても「お前ふざけんなよ」と言いたくなる、子供の癇癪では済まない行動に爺さん……若かりし頃のリンドウが眉間に皺を寄せた。

 

「カルラや。なぜお前はそこまで戦いを嫌う?」

 

「だって痛いのは嫌だもん! 痛くするのはもっと嫌! 訓練でも、お爺ちゃんをぶつなんて私したくない!」

 

 捉え方によっては「リンドウを倒せる」と発言する向こう見ずな子供、自分の身の丈を知らない思考。

 しかし、カルラの発言に一切の嘘偽りがないことをリンドウは知っている。

 

 カルラは、過去から現在に渡って。ともすれば未来ですら、豊穣の地で最も恵まれた才覚を持って生まれた。

 少なくとも、四百年後の未来、エトラヴァルトたちが訪れるまでの時間軸において、カルラを凌ぐ者は出てきていない。

 

 当代巫女アオイ——キキョウの曽祖母に当たる“魄明(はくめい)”の継承者の助けを得ることなく、カルラは僅か八歳にして自己の輪郭を掴み取った。

 

 魔力や闘気の運用においては、既に歴戦の戦士たちに引けを取らない精度と出力を体得している。

 

 そんな10歳児の()()など、下手をすれば軽い大事故に繋がりかねない爆弾である。

 リンドウは「今日もダメか……」と木刀を肩に担いでため息をついた。

 

 恐るべきは、「痛い」と涙目になりながらもしれっと闘気を集中させ肉体強度を高め、リンドウがそれなりに力を込めて振るった一撃を肌が赤くなる程度で受けきったカルラの瞬発力である。

 

「全く……駄々をこねるなら最初からここに来なければ良いものを」

 

 リンドウのぼやきに、駄々をやめたカルラが「約束だもん!」と毅然として言い放った。

 

「今日はモミジと背比べするって前から決めてるのよ!」

 

「あの柱はお前たちの物差しではないんじゃが……はあ」

 

 気苦労が絶えないリンドウが再びため息をつくのと、道場の扉が開かれるのは殆ど同時だった。

 

「おっはよ〜ございま〜す!」

 

 元気のいい声と共に一人の少女が道場の中に転がり込む。一本に束ねた朱色の長髪を尻尾のようにブンブンと揺らす少女の登場に、カルラの表情がパッと明るくなった。

 

「モミジ!」

 

「おっは〜! カルラちゃん今日は早いね!」

 

「いつも私の方が早いわよ!」

 

 常に遅起きなモミジの、まるで「いつもはカルラの方が寝坊助である」と誤解させかねない発言にカルラが食ってかかる。

 

「にはは〜、冗談だって〜。それよりも——」

 

 ふにゃりとした笑みを浮かべたモミジは憤慨するカルラを宥めて柱を指差した。

 

「背比べしよ?」

 

「する!」

 

 当初の目的を思い出したカルラは、モミジと手を繋ぎながら鼻息荒く柱に向かう。

 

「今回は負けないわよ!」

 

「カルラちゃん、前みたいに背伸びはダメだからね〜」

 

「モミジも段差はなしよ! ほらお爺ちゃん、測って!」

 

「お願いしま〜す!」

 

 二人仲良く柱に背をつけるカルラとモミジに、リンドウは相好を崩し「仕方ないのう」と木刀を腰に差した。

 

「ほれ、では削るでな。じっとするんじゃぞ」

 

 お互いに服の裾を引っ張ってどうにか足を引っ張りあおうとする同い年の二人に微笑ましい笑みを浮かべながら、リンドウは爪の先で素早く柱を削り、乱雑に二人の名前を彫った。

 

「出来たぞ。今回は——」

 

「「どっち!?」」

 

 リンドウの発表を待ちきれなかった二人は同時に柱を振り返り、ほんの僅か、2ミリほど高い場所に刻まれたカルラの名前が目に入った。

 

「やった〜〜〜! 成長期万歳〜〜〜!」

 

「ええ〜〜〜〜!?」

 

 大はしゃぎで喜ぶカルラと本気で悔しがるモミジ。道場の中に正反対の感情が溢れた。

 

「なんでよ〜! カルラちゃん好き嫌いばかりなのに〜!」

 

 苦い、辛い、酸っぱい味付けを軒並み受け付けない子供舌のカルラに対して、好き嫌いなくご飯を食べてきたモミジが不服の声を上げた。

 

「やったやった! モミジに勝った〜〜!」

 

 七歳の背比べで敗北してから苦節三年、ようやく訪れた逆転にカルラは不器用な歓喜の舞を踊った。

 

 カルラとは対照的に悔しさを滲ませ歯を食いしばるモミジは、ビシッと力強くカルラの胸を指差した。

 

「来月ぜ〜ったい追い越すからね!」

 

「ふふーん! 来月はもっと突き放してあげるわ!」

 

「うぎぎぎぎぎ……!」

 

「ぬぐぐぐぐぐ……!」

 

 二人して睨み合って、同時に吹き出した。

 

「「ぷっ……、あははははははは!」」

 

 鬼人族には珍しい、双子でもないのに同い年の二人は、何かにつけて勝負をした。

 今回の背比べしかり、体重、早食い、かけっこ、畑の手伝い、料理の手伝い、皿洗い、早寝早起き……あらゆる事柄に勝敗を求めた。

 

 それが二人にとっての“遊び”であり、コミュニケーション。そこに関係の不和はなく、むしろ競うことが二人の仲をより深めていた。

 

「それじゃ、ボタンさんの畑仕事手伝ってくるね〜!」

 

「いってらっしゃ〜い!」

 

 モミジに見送られ、気分良くカルラが道場を飛び出した。

 二人のことをにこやかに眺めていたリンドウは、カルラが体良く鍛錬から逃げ出したことに遅れて気がついた。

 

「あっ! これ馬鹿娘! 何逃げ出しとるんじゃ!? 今日という今日はお主を——いや逃げ足早いのう!?」

 

 逃げるために闘気を練り身体能力を底上げし、猿のような身軽さで畑へと向かったカルラの宝の持ち腐れ度合いに、リンドウは盛大なため息と共に額を抑えた。

 

「全く、仕方のないやつじゃのう」

 

「やっぱりカルラちゃんは凄いなあ」

 

 一人、道場に残ったモミジは壁に掛けられている木刀をひょいと取り、そのまま素振りを始める。

 その勤勉さにリンドウが強く頷いた。

 

「モミジは偉いのう」

 

「カルラちゃん、に、追いつきたい、から!」

 

「うむ。お主ならいずれ届くだろうて」

 

 道場に、一人の少女の逞しい掛け声と厳しく指導する壮年の男の声が響く。親友に追いつきたい、その一心で、少女は今日も剣を振るう。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方で、カルラは。

 巫女の住まう屋敷に庭から不法侵入をかましていた。

 

「アオイさ〜ん! 遊びにきたよ〜!」

 

 真新しい畳の上に一つ敷かれた座布団に背筋を伸ばして座る当代巫女のアオイは、元気よく縁側からよじ登ってきた少女の気配に僅かばかり、薄明を開いた。

 

「カルラさん、正面から入って良いと何度も言ったでしょう? 部屋を土で汚したらまた叱られちゃいますよ?」

 

 薄茶色の髪を肩口で切り揃えた女性は、薄明の映す魂と声を頼りにカルラを見つけて微笑んだ。

 

「いーの! 道場からだとお庭が一番近いから!」

 

「全く……後で雑巾掛けですね」

 

「ええー!」

 

 今日は靴脱いだのに、とぶー垂れる幼い少女の声に、アオイはくすくすと肩を震わせた。

 笑う巫女に、カルラもつられて笑顔になる。

 

「アオイさん、今日も探知魔法の訓練やるよ!」

 

「ええ、ご指導お願いしますね。カルラ先生」

 

「まっかせなさい!」

 

 対面に座り、カルラがアオイの白くきめ細やかな手を掴む。その両手に、探知魔法を構築する魔法陣が浮かび上がる。

 

「私に合わせて魔力を流して」

 

 一転、真剣な表情と声音でカルラがアオイを導く。

 アオイは呼吸を整えて、カルラが作ってくれた道筋を辿るように魔法陣を構築、探知魔法を発動する。

 

「どう? 何か見える?」

 

「そう、ですね……カルラさんの輪郭がぼんやりと」

 

「それじゃ、今私どんな顔してると思う?」

 

「どんな……えっと。舌を出して、ベロベロさせて……ふふふっ、ひどい顔ですよカルラさん」

 

 俗に言う変顔をするカルラに、アオイが堪えきれず笑う。それは、彼女の探知魔法がかなり正確に周囲の輪郭を捉えている証左。確かな成長に、カルラは「やたっ!」と小さく歓声を上げた。

 

 

 アオイは、魔力の扱いや魔眼の使用に慣れていない。と言うのも、彼女は魔眼の継承からまだ二年しか経っておらず、また、継承も23歳になってからのこと。

 

 魔眼継承により激変した諸々に、彼女は未だ追いつけていないのだ。

 

 これは余談だが、彼女のひ孫に当たるキキョウは、齢七つにして薄明をその身に宿した。魔眼は彼女の生活の一部であり、見えないというのは当たり前のことだった。ゆえに、キキョウは自然と魔力で周囲を知覚する術を身につけるようになった。

 

 そんなキキョウに対して、アオイは光ある世界が基準であり、ゆえに失明は大きな変化となって彼女の身に降りかかっているのだ。

 

 

 そんなアオイに、カルラは以前と近しい生活を送れるように、探知魔法の伝授を手伝っている。

 

「アオイさん、前より見えるようになってるよ!」

 

「そうですね。でも、まだ上手く持続させられません。カルラさんは凄いですね」

 

「ふふ〜ん!」

 

 巫女に褒められご機嫌になったカルラは、ふと“強い魔力反応”に目を向けた。

 

「ねえアオイさん。前から気になってたんだけど、あの白い羽織って誰のもの?」

 

「羽織、ですか?」

 

「うん。壁にかかってるやつ。すんごく強い状態保存の魔法がかけられてるアレ」

 

 カルラは自身の魔力でそれとなくアオイを誘導する。

 その正体に行き着いたアオイは、「ああ」と得心したように頷いた。

 

「アレは、スイレン様の羽織です」

 

「スイレンって……()()?」

 

「はい。()()スイレンです」

 

 幼いカルラでも知っている。寝物語に聞かされた、豊穣の地を守り抜いた英雄。

 たった一人で繁殖の竜を退け、今に至るまでの土台を作り上げた鬼人の王。

 

 汚れひとつない白い羽織は、そのスイレンのものである。

 

「英雄の羽織ですから、ああして保存して……カルラさん? どうしました?」

 

 急に黙り込み魔力も萎ませたカルラを心配したアオイが眉を顰める。

 

「……ねえ、アオイさん。私もやっぱり、戦場に立たなくちゃダメ?」

 

「……なにか、聞いたんですか?」

 

 コクリ、と頷く。

 

「玉ねぎ畑のウツギおじちゃんとかが、私に“羽織”を着て欲しいって。私に、みんなの前でって」

 

「……そう、なんですね」

 

 

 カルラは、豊穣の地のすべての人の期待を背負っている。

 少女自身も理解している。自分は天才であると。ちょっと人よりできる——そんな次元の話ではなく、隔絶したものを持っていると、軽い謙遜ですら毒になるほどの才能を持つと、知っている。

 

 そんな“鬼王の生まれ変わり”とすら称される彼女に、繁殖の竜との戦い、その最前線に立って欲しいと思うのは当然の思考なのだろう。

 

「私、怖いよ」

 

 カルラは戦場を知らない。だが、そこが命懸けの場所であることは知っている。

 

「剣を持つのも、血を流すのも……命を奪うのは、怖いよ」

 

 魚を捌けなかった。たったそれだけ。

 しかし、その事実がカルラの心に影を落とした。

 

 命を奪う、その感覚が恐ろしいと、自覚した。

 

 わかっている。いずれ戦わなくてはならないことくらい。そうしなければ、豊穣の地が呑まれてしまうことくらい、少女の感知能力は繁殖の恐ろしさを結界越しに感じ取っている。

 

 それでも、恐ろしいと震える。

 

「私、自分が戦ってる姿なんて、全然想像できないよ」

 

 目尻に涙を溜め、カルラは思い切り鼻を啜った。

 

「……大丈夫ですよ、カルラさん」

 

 不器用に。

 アオイは、探知魔法が象る輪郭をたどり、たどたどしくも優しく、カルラの頭を撫でた。

 

「カルラさんには、背負わせません。それは、わたくしの役目です」

 

「アオイさん……」

 

「わたくしは頼りない巫女です。ですが、カルラさんに押し付けるような真似はしません。皆も、貴女一人に任せたりはしません」

 

 決然と、アオイは巫女として告げる。

 

「貴女が無邪気に笑っていられるように、わたくしは巫女としてこの目を受け継いだのですから」

 

 手のひらから伝わる温かさに、カルラは頬に一雫流し、それきり、涙は流れなかった。

 

「どうか健やかに、カルラさん。貴女が笑顔で生きられるように、わたくしたちは戦うのです」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その、翌日。

 リンドウは、早朝から鳴り響く空を割く音で目を覚ました。

 

 屋敷の近くに建つカルラとリンドウが住まう家の小さな庭。そこで、カルラが一心不乱に木刀を振っていた。

 

「……おはよ、お爺ちゃん」

 

「……おはよう、カルラ」

 

 一体どんな心境の変化なのか。挨拶もそこそこに、カルラは再び視線を剣先に集中させる。そして、荒い動作で木刀を振り下ろした。

 

「そうではない。もっと肩肘の力を抜くんじゃ。手首の力で動かす意識を……そう。振り下ろしに合わせて膝の力を抜いて…………うむ。良い筋じゃ」

 

 リンドウは理由を問わず、黙々と素振りを行うカルラに口頭で指導を行った。

 

 この日から、カルラは鍛錬に精を出すようになる。

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